巨大な存在二つが突如消え、アリオスたちは自由となった。
傷とダメージのせいで鉛のように体は重いが、そんなことは千も承知で己に鞭を打つ。
何より先に、クロノの元へ駆け寄り、即座に状況を見て取った。
今や、クロノにまともな臓器はない。
人間、というより生物の枠を越え、もはや大半の機能は必要なくなった。
しかし、心臓には、急所や要という象徴的な部位であることから、エネルギーを身体に循環させるという役割を担わせていた。
それを持ち出されるということが、何を意味するか。
急所を抉られた人間は、普通に死ぬ。
それが人であれ、『神』であれ、死は平等である。
「今すぐ魔法を準備しろ!」
本来ならば、周囲を警戒し、常に余力を残すべきだ。
常、そうしているものだが、今回は抑えが効かない。
己の命を削ってでも、使命を果たすつもりだ。
クロノへの忠誠が、限界を超えて力を振り絞らせる。
虫の息の彼らが、そうして動いた。
焦りを隠せない声色、荒い息遣い、血走った目。強い狂気が彼らに宿っていくのが、見てとれた。
「心臓をやられてる! なんとかして、回復しないと!」
「アリシア!」
「もうやってます!」
ただの生物であったなら、アリシアなら簡単に再現可能だ。溢れる光から肉が盛り上がり、失われた部位を埋めていただろう。
何一つ機能を損なうことなく、起き上がっていたはずだ。
しかし、
「再生しない!?」
生物としての格が違う。
違うからこそ、失われたものの価値の高さは、簡単に賄えるものではない。
取り返しの付かないものは、えてしてある。
もはや、手足や首は、爪や髪のように斬られても問題ない部分である。しかし、いかに『神』といえど、生物としての中枢をどうしても設定せざるを得ない。
体のどこが切り取られても問題ない怪物の、中枢。
多く傷が問題ないゆえに、大切な部分を欠けた時の損失は計り知れない。
「ラッシュ、アリシアの補助! アリシアはなんとかしろ!」
「「わかってる(ます)!」」
鬼気迫る彼らは、空気を切り裂くような恐ろしさを放つ。
アリシアとラッシュは、クロノの肉体を分析、延命のためにやれることはやり尽くす。『神』の心臓を置換するため、あらゆる手段を模索する。
アリオスとリリアは、戦闘に特化した能力しかない。二人のやり取りに魅入り、いざとなれば、身を削ってエネルギーを捻出することを考える。
「死ぬな……死ぬなよ……!」
きっと、全員から漏れ出た声だ。
響きはしたが、耳には届かない。
極限の集中の中で色すら抜け落ちていくのを感じる。
発汗する、心臓が激しく脈打つ、息が浅くなる。そうした機能を手放してしまった彼らだが、人間の名残が己の体に現れる錯覚を起こしている。
力なく倒れるクロノに、全員が注目する。
そして、
「!?」
アリオスは、雷を超える速度で、やって来る危機に反射で対応できる。
突如、やって来た飛来物を、アリオスは正確に斬り落とす。視界の端で、拳のようなものが見えたが、仔細はこの時には分からなかった。
岩のように硬い感覚で、少なくとも傷ついたアリオスには、押し返す他にはない。
振り向き、剣を構える。
ようやくそこでリリアも攻撃に気付いたようだが、今さらかける言葉はない。
そして、クロノへの心配を塗り潰す、驚愕に支配された。
アリオスが驚いた主な理由は、敵の襲来自体ではない。いったい、手を出したのが誰かということである。
「ごほっ……! ごほっ! ボクが、この、程度で、死ぬと思ったか……!」
「師……」
何故、両足で立っているのか、アリオスには理解できなかった。
クロノが心臓を失って意識を手放し、死にかけているのだ。アインも同じく倒れ伏していないとおかしい。
この欠損は、アリシアとラッシュが全力を尽くしてなお、生死の如何は分が悪い。ただ一人で、アインは己を死の淵で、立ち尽くしていたのだ。
「その体で、何故動ける? 死に体どころではないだろう」
「知らん。てめぇが、死んでるかどうかなんて、考える奴は、いねぇよ」
先ほどのような、絶対的な力は感じない。
エネルギーの源を抜き取られ、既に残る力は見る影もない。
死ぬ直前の、延命のために相応の力を分けねばならない存在で、放つ殺気は些かも衰えない。
だが、戦意を衰えないアインに、ひとり、自然と疑問を抑えられない者がいた。
リリアは、いつでも攻撃できるよう準備をしつつ、立ち上がる。
「……アンタ、なんであたしらを攻撃すんのよ」
「あ?」
「もう、戦う理由はないでしょうが? アンタ、裏切られてんのよ?」
苦痛に喘ぐアインの姿は、リリアにとって見るに耐え難いものだった。
いつでも飄々と、つねに泰然と。
最も強く、見知った少女が、かつてなく弱っている。
だから、当然のことを問いかけた。
「……自分を肯定、できるものを、ボクは探していた」
アインは、被害者だ。
突如として裏切られ、命は終わりに向かっている。
利用されるだけ利用され、挙げ句の果てに捨てられたようにしか見えない。
「この世界に生まれ落ちて、死にたくないから生き続けた。でも、苦しくて仕方ない。だって、力はあれど、ボクは異物で、誰からも、拒絶された……」
狂気に圧倒されるとは、この事だろう。
きっと、今のアインは目の焦点が合っていない。
震える体は、自分を制御できなくなっている証拠だ。
血の代わりに、どんどん体が消えようとしている。
それでも、胸の熱と見てきた夢は、変わらずアインの中にある。
「だけど、居場所を求めた訳じゃない。仲間を求めた訳でも、ない。ただ、アイツらだけがボクと対等だった。だから、アイツらはボクの友達だった」
恐るべき妄執は、敵の言葉を奪う。
何故なら、アインは、理解すらしてほしくはないからだ。
「何故、ボクはここまで狂ったか、お前たちに理解できない。いや、ボクが何に狂わされたかなんて、お前たちには一生分からない」
腹の底から溢れる拒絶は、死にかけの身で押し付ける凄まじき威圧は、用意にアインの敵たちを無意識に後退させる。
ぶつぶつと呟く声なのに、一語一句がはっきりと捉えられる。
込められた『怨』の一文字が、くっきりと見える。
「日の光を失った日々を、知らないお前たちなんかに分かられてたまるか」
かかった帷は、ついに役割を終えた。
超常の頂上であったからこそ、知られずにいた心が、ようやく見えた。
キッと睨むアインから、剥き出しの魂を感じた。
「……確かに、アイツのせいで今、ボクは死にかけてる。アイツの思惑を察しきれなかったから、ボクはもうじき死ぬ」
「…………」
「だけど、それが、いったい、どうして、ボクがアイツを裏切る理由になるってんだよ!!」
空気を震わせ、感情をぶつける。
先ほどのように、攻撃としてのソレは殺傷性が宿っていた。
だが、この慟哭は純然たるアインの想いだ。
ぶつけられた怒りの熱は、これまでにない。そして、これまで声を荒らげたことはあれど、怒りに憎しみを宿したことはなかっただろう。
だから、これは偽らざる本心だ。
攻撃されたことも、裏切られたことも、そのせいで死にかけていることも、アインにとって、裏切る理由には決してならない。
そんな、意味不明な結論が、変わることのない選択だ。
「お前らには、分からねぇだろうさ! お前らにとっちゃ、アイツは今さっき現れただけの悪役だろうさ! ボクは、憐れな被害者に見えるだろうさ!」
叫ぶ。
この世界の、理の外の人間にさえ聞こえるように。
「だけど、ボクはずっとアイツに命を預けて戦ってきた! いきなり現れて、ボクの心臓抜き取った奴を、庇ってるのが不思議か? 悪役やってるのが、設定だと思ったか! お前らと戦ってるのが、思いつきだと思ったか! 舐めんなよ! お前らが思うほど、ボクらの願いも、アイツへの信頼も、軽くねぇ!」
アインの体は、ボロボロだった。
重要な器官を傷つけられた。それは、弱点だらけのそこらの生物とは違い、他は究極だからこそ、輝かしい強き生命だからこそ、損なわれた価値は計り知れない。
既に、五体は崩壊へと向かっている。
手負いの獣などという、生易しいものではない。
死ぬ直前、魂は肉体から離れる寸前の、最期の輝きすら発揮した後の状態が、今である。
分かっている。
もしも、一割でも力が残っていたなら、最初の奇襲で終わっていた。
それすらできないほどに、弱っているのだ。
だが、
「ボクがすべきことは、一ミリだって変わっちゃいない」
負けるつもりで戦うなどと、一度すら考えたことはない。
アインは、あくまで挑戦を受けると、手招きをした。
「アリオスさん……私たちは、」
「待機だ。俺と、リリアで殺る」
「アイン嬢を相手に……?」
「関係ないわ。アンタらは、自分のするべきことをしなさい」
アリオスとリリアは、剣と呪詛をもって立ち向かう。
優先することは、互いに決まっていた。
何を言っても、アインにはもう、理解も言葉も及ばない。