あらゆる情報を受け取ったクロノたちは、敵たるオリオンの強さを知っていた。
アインの情報は、とても色濃い。
経験と秘めたる想いがない交ぜになり、忘れられないほど濃く染み付いている。
敢えて尋ねる必要もなく、本能に刻まれるほど根源的に、彼らはオリオンという男の強さを覚えたのだ。
最強の魔法使い
根源を知る者
叡知の結晶
人類の可能性の全て
どんな名で呼んだとて、その能力を言い表すには足りない。
記憶に残るその姿は、アインに勝るとも劣らない力を発揮した。
星明かりが墜ちる様を、時空を具現化して操る様を、地獄の劫火が顕現する様を、大陸が空を泳ぐ様を、アインの記憶を通して見ていた。
ハッキリ言って、勝ち目がない。
アインを、あらゆる手段を暴力にて打ち砕く不条理の化身とするのなら。オリオンという男は、数多の不条理を、無数の手段で実現させる、理解不能の存在である。
その力の一端を知るだけでも、まともな勝負は期待できない。
ここまでが、オリオン個人の基礎性能。
さらにオリオンは、クロノの『神』の力とアインのエネルギーを手に入れた。
オリオンは、あらゆる不条理を顕現させる。しかし、そのための源は、有限だ。アインの力は、その有限を消し去るに余りある。
そして、クロノの力は、オリオンの作り出す不条理をより強固に実現させる。あらゆる物質を、非物質を、概念を支配する『神気』は、致命的に強大だ。
他にも、彼の武器に目を向けねばならない。
彼が有する剣の銘は、『蒼海』。
封じられた『天空』の姉妹にあたる剣であり、『勇者』が遺した遺産。
世界最強の魔剣の一振と呼んで差し支えない。
今、世界最強の男が、世界最強の力を手に入れ、世界最強の魔剣を振るう。
クロノたちとの戦力差など、赤子と大人でも足りない。
勝つための手段など、最初からありはしない。
百万にひとつすら、勝ち芽はない。
だから、純粋に疑問が湧いた。
彼らは何故、自分の前に立ちはだかるのかと。
「……どうやって来たか、とは問いません」
時空の狭間は、オリオンの魔法によって鮮やかに彩られていた。
森の中に潜むように建てられた、小さな家と整えられた綺麗な庭。
そこで、空間の主たるオリオンは、立て膝をたてて座り込んでいた。
「私と戦うことが何を意味するか、分かっているはずです」
クロノたちは、足を止めない。
その闘志に些かの衰えもない。
彼らは、託された想いを果たすことに集中している。
だから、絶対的な差を感じても怯まない。
あるべき形に現実は辿り着くのだと、信じている。
「……警告は、しましたよ」
それは、人が龍に挑むような。
それは、天へのびる山を飛び越えるような。
そんな無謀な挑戦のはずだった。
はずだったのだ。
※※※※※※※※
決着は、とても早く着いた。
時間にすれば、一時間も経っていない頃だ。
戦闘の余波で時空間が軋み、ひび割れ、あわや崩壊する手前である。
荒れ狂うエネルギーの残滓が宙を舞い、激しく渦を描いていた。痛ましい傷と死の匂いが溢れていた。
なのに、そこはとても静かだった。
破壊と戦闘の痕跡は、至るところから感じるが、冗談のように空は青く、地面の芝は整えられ、小屋は変わらず佇んだ。
台風の目のごとく、静と動がくっきりと別れる。
その場で、両足で地を踏めずにいるのは一人だけだった。
身体が言うことを聞かず、精神は砂上の楼閣のように脆い。
傷を負いながらも、一人を除いて誰も倒れていない。満身創痍でも、挫けていない者たちばかりだった。
ならば、何故そうなったのか?
答えは単純で、勝負がついてしまったからだ。
「バカな……」
オリオンは、クロノたちを見上げることしかできなかった。
どんな目で見下ろされているのか。どんな険しい表情が浮かんでいるのか。ただ、とてつもなく、恐ろしいことだと察する。
今、こうして這いつくばり、見ることができないのは、幸いだったかもしれなかった。
「純粋に、リソースが足りなかったな」
その声は、とても淡々としていた。
事実を伝えるだけの口は淀みなく、矢の如く刺さる。
オリオン自身が、理解していなかったこと。しようとせず、目を背けたこと。
単純な敗因がくっきり浮かぶ。
「暴れる『神気』を押さえつけ、一人で抱えきれるはずもないアインのエネルギーを制御し、『星』からの干渉を防ぐために結界を張り」
「…………」
「ひとつでも、凄まじい作業だ。片手間じゃあ絶対に済まない」
そんなことは、知っていた。
だが、その上でいけると踏んだのだ。
敵は『神』の力を失った、雛鳥の集まり。
両足を封じた大人でも、両手があるなら赤子に負ける道理はない。
ずっと観察し、期を待っていた。実力を計り損なうはずがない。
十二分に勝てるという確信があったのだ。
なのに、
「さらに、貴方には二つ、想定外があった。一つ目はコレだ」
クロノが差したのは、一振の剣だった。
飾り気のない、無骨な、『天空』や『蒼海』に似たものである。
フィリップが持っていた、彼が託された、未来のために創られた鍵だった。
「『
「くっ……!」
理そのものを体現した剣術は、かつての勇者の影を見せる。
込められた力をそのまま使うだけで、オリオンの想定を遥かに越えた。
「ですが、おかしい……」
「なにが?」
「そうだとしても、貴方たちが私の想定より遥かに強いとして、その程度で、私が負けるはずがない!」
知らぬ者とは、なんと滑稽なことかと。
敵意を越え、恨みを捨て、憐れみしか残らない。
何も分からぬ幼子に道理を説くようなもの。
理解できると、思いもしない。
「貴方は、自分が持つ剣の力も知らないのか?」
心底から呆れて、アリオスが続けた。
あらゆる執着を手離したクロノとは違う。
焼け焦がす憤りを隠せない。
恩人を死に追いやった仇敵を、まっとうに恨んでいたからだ。
「勇者の聖剣は、ともに『信頼』の概念から創られたのだろう? 『天空』がそうであったように、『蒼海』にも能力がある」
「…………」
「『仲間に恥じない私でありたい』。貴方はそう在れなかった」
オリオンは、憎しみを込めて殴りかかろうとした。
力が抜けきった身体では、踠くのが精一杯で、簡単に倒れてしまう。
もはや、塵ひとつ分すら武には頼れない。
残ったものは、とてもお粗末な、知識の片寄った頭から出る言葉だけだった。
「能力だと? そんなことは知っている。だが、『蒼海』が、彼女の剣が私に仇なすはずがない!」
「何故、そう思う?」
「私が、あの二人を、想わないはずがない!」
その言葉が本心だからこそ、悲しくなった。
自分では、気付くことさえできないのだ。
「払った犠牲を、強いた理不尽を、私は忘れない。
「貴方は、自分を義務で追い立てることしかできないのですか?」
だから、教えてやるしかない。
きっと、拒絶され、意味を介することなどないだろうが、
こうなりたい、こう在りたいという願いは、決して呪いではない。
自分を奮い立たせる方法を間違えた。
聖剣は、使い手を選ぶもの。誤った志を持つ者を、真の主とは認めない。
「背を預ける仲間を手にかけ、自分の行いを肯定できるほど、貴方は人の道を外れられなかった」
「私は、そんな……」
彼の失敗は、残酷なまでに知られてしまった。
彼は、自らの業によって身を滅ぼした。
あっけない終わりに、悲哀が満ちる。
「もう、終わりよ。アンタの願いは叶わない」
罪を清算する時が来た。
裁きが、彼の元へ現れた。
「……アイン嬢なら、弱い奴の願いが叶わないなんて当たり前、とか言うのかね?」
「!」
だが、だからこそ、
「私は、まだ!」
万一に備えて、多くの魔法を仕込んでいた。
それは、戦闘のためのものではなく、もはや悪戯に近いもの。
アインが面倒事を起こした時や、彼女がごねた時に強制移動させるためのもの。
強力な『転移』の力が発動する。
「まだ! 終わらない!」
空間が切り替わる。
その瞬間に、少年少女たちの顔が見える。
彼らは、
「…………!」
泣きそうな顔をしていた。
※※※※※※※※
「はあ……はあ……」
ボロボロになりながら、彼は歩く。
どこに逃れられたのかも、彼には分からない。
深い霧の中を彷徨い、苦痛に悶える。
言うことを聞かない身体を引きずり、目指す場所もなく歩いている。
(まだ、私は終われない……。まだ、まだ……)
倒れてしまいたい。
眠ってしまいたい。
そう思っても、彼は変わらず歩き続ける。
折れない意思だけで、身体を無理に進ませた。
彷徨い続けたのは、何も今だけではない。
彼の人生の大半が彷徨いの中にあった。
目指すべき場所を見失い、分からないままに戦った。
だから、まだ倒れられない。
(何のために、外道を歩んだと思っている……。何のために、友を殺したと思っている! 私の願いは、そんな安いものではない!)
諦めることを知らない。
これは、敗北ではない。
失敗したのなら、反省を次回に活かし、挑めば良い。
何十度だって、繰り返してきたことだ。
逃げれば、生きてさえいるのなら、それは勝利と呼んで構わない。
(アインは、もう居ない……。戦力はガタ落ちだ……。だが、『神気』さえ解析できれば、『神』にさえなれれば!)
世界を相手に、彼はひとり敵を演じる。
もはや、背中を預ける友は亡く。それを慟哭する資格もない。
背筋が凍るような恐怖心を抱えながらも、彼は戦う意志を滾らせる。
「そのために、まず、逃げねば……」
傷を癒して、時を待つのだ。
世界から自分を隠し通し、期を窺う。
これから先にどう戦うべきなのか、いくつもプランを考える。
熱にうかされ、歪んだ視界が正しいと盲信する。
狂気に浸ってこそ、力が漲るのだ。
手段を選んで、為せることなど知れている。彼はこれまで、そうして戦ってきた。
「逃げる……?」
それでも、熱は常には続かない。
ふとした瞬間、途絶えることもある。
「どこに……?」
帰る場所を無くした。
拠り所を無くした。
ならば、孤独に数百年を耐え抜けるのか。
永遠に続く闇を踏破するために、どれほどの勇気が必要なのか。
ふと、歩みを止めたくなった。
止めれば、もう次を踏み出せないかもしれないのに。
冷静になってしまえば、続けられないことがある。
気付かない方がよかったこともある。
しかし、
「…………嗚呼」
「あ?」
辿り着いた場所を、悟った。
「お前、何してんだ、こんなところで……?」
彼は、途方もない逃亡の果てに、無二の友の元へ辿り着いたのだ。