「フハハハハ!!」
歌えば、壊れる。
動けば、壊れる。
空に浮かぶ美しき月が、血に染まっていく。
名剣のような爪牙は半ばから砕け、宝玉のような瞳は片方を潰されていた。
明らかに、『巨狼』は死に体だ。まともに動けるはずがない。
ただでさえ、巨体なのだ。体を支えられるほど、力が出るはずもない。
だから、こうして未だに戦えているのは、かつては獣の支配者であった誇り故だろう。
「Rrrrrrrr……!」
ギリギリ、死んではいない。押せば倒れそうなほど、弱っている。
もうすぐ、死ぬだろう。放っていても、屍に変わるはずだ。
だが、手負いの獣は、手強いものだ。
風前の灯となった命ですら、業火と変わらない。敵を燃やし尽くすのに、支障はない。
「良イ。流石、我ガ直接配下トシタ『魔』ヨ」
「Arrrrrr」
放たれる、極限の一撃。
強き『巨狼』の体毛は、光をエネルギーとして吸収し、活用する。
戦闘の補助や回復に用いていたエネルギーの全てを、攻撃に費やすのだ。
これまで吸収してきた周囲の光を、解き放つ。
万物を灰に変える熱量を持つ極光が、『魔王』に襲いかかり、
「ヤハリ、良イモノダ。死ハ」
だが、『魔王』には当たらない。
次の瞬間には、『巨狼』を通りすぎていた。
そして、『巨狼』の首が、ドスン、と音を立てながら、地に落ちた。
※※※※※※※
「まあ、勝ち目と言っていいのかは分かりませんが、アレと我らとでは明確に有利な点があります」
ルサルカは、気付けば講義を始めていた。
突っ込むとまた話が拗れるから何も言わないが、相当摩擦は大きい。
クロノが実質的に二人の手綱を握っていたから、場が壊れない。
クロノがルサルカに逆らわない限りは、二人もルサルカに歯向かわない。
「それは何だと思いますか? クロノくん」
「……人数?」
「確かにそうですが、もっと良いものです! では、アリオスくん」
怪しすぎてまともに話したくもないが、いつまでもグダグダしていられる時間はない。
かなり癪だが、受け答えくらいはせねばならない。
眉間にシワを寄せながら、言う。
「……地の利か?」
「大正解」
ルサルカは、空間に図を描き出す。
魔力を可視化して、空中に固定させているのだろう。
例えるなら、粘度の高い水のような性質である魔力を、鮮明な絵とするのは、それなりに高度な技術が必要だ。
やろうと思えば、生徒役に甘んじた三人ともが可能だが、これほどスムーズに出来るかは怪しい。
実力の高さは、推して知れる。
「小生は今、このような形で『魔王』を閉じ込めています」
十の階層。
上から二番目には、巨大な黒点。下から二番目には小さな点が四つ。一番下には、白い点が一つ。
誰がどれかは、流石に一目で分かる。
閉じ込める、と言う以上は、正攻法以外での脱出は考慮していないのだろう。
「そして、『魔王』はこの迷宮の性質を理解しているようです。真っ直ぐ、こちらを目指しているようです」
「……なるほど、今、妨害中ということですか」
「正解。話が早くて助かります」
にっこりと笑みを深める。
クロノが頭に『?』を浮かべた。
だが、ルサルカはそれを察したらしく、優しく『良いですか?』と続ける。
「ここは、小生の領域。時間すら、ある程度は小生の思うまま。今、『魔王』は小生から妨害を受けています」
「な、なるほど……」
「貴方たちは小生が行う妨害に紛れ、『魔王』と戦えばいい。これは素晴らしい事ですよ」
確かに、それは悪くない状況ではある。
ただ攻めやすい、守りやすい、戦いやすいという訳ではない。
時間すら操れるのなら、『魔王』の戦闘能力は相応に下がる。さらに、クロノたちは即席とはいえ、戦闘能力を大幅に向上させられる。
この世界の管理者から授けられる恩恵と、押し付ける弊害は、確実に『魔王』との差を縮める。
しかし、
「それだけで埋まる戦力差とは思えんがな」
仮に、管理者のバフでクロノたちの能力が三割増しになったとして。
仮に、管理者のデバフで『魔王』の能力が三割減になったとして。
それで勝てるとは、まるで思えない。
この認識は、直接『魔王』と対峙した三人の共通のものだ。
訝しんでしまうのは、当然だった。
未だに戦う気や、実力を見せようとしないルサルカが、言うのだから。
「確かに……」
「そもそも、貴方も戦うのですよね? 今の発言、貴方自身は、戦う気がないと言っているように聞こえましたが?」
ここまできて、まだ出し惜しむのか。
かなり、腹が立っている。
そんなことを言っている状況ではなかろうに。
「ええ、小生は戦いません。今回の件、貴方たちだけで勝って欲しいのです」
「ふざけているのか?」
話を聞いている限り、元はルサルカが『魔王』への対処を行うはずだったのだ。
それを、アリオスやアリシアからすれば、押し付けられているという感覚だ。
これにふざけるなと思うのは、当然だ。
「いえ、ふざけていません。純粋に、善意から提案しているのですよ」
「善意? サボタージュの宣言にしては大胆ですね?」
「貴方たちにとってはそうでしょうね。ですが、私の善意は、彼に向けているのですよ」
柔らかな動作で、手を向ける。
その先に居るのは、クロノだった。
「小生よりも、彼が殺した方がいい。これまで呪いを受け止めようとした、彼の方が」
「彼に、リリアさんを殺させろ、と?」
「貴方たちは、些か過保護なのでは? この期に及んでも、クロノくんを死なせないようにするとはね」
にこやかな笑みで、ルサルカは的確に二人の思惑を言い当てる。
不愉快そうにする二人が、その証拠だ。
二人は『魔王』の力を見た瞬間から、いかに適切な人間に『魔王』の相手を任せるかしか考えていない。
途中まで、クロノの願いを叶えてやろうと思っていたが、その道は既に切り捨てた。
戦わせたい、戦いたい。そんな気持ちは、理解の範疇にはない。
矜持などなく、優先すべきはクロノの命だ。
だから、
「……俺は、戦いたいと思ってる」
クロノの意思など、関係ない。
生存させることこそが、第一目的だった。危険からなるべく遠ざけたい。
しかし、それは頓挫した。
本来ならば、クロノのやる気を無くしたかった。戦う理由を削ぎたかった。
だから、しまったと思った。
「呪いを受け止めると、言ったんだ。手を差しのべられるのに、見て見ぬふりはしたくない」
「「…………」」
言っても、きっと頷いてはくれない。
残された手段は、力ずくくらいだ。
だが、クロノに救われた側の人間である二人は、わきまえている。
自分たちにその権利はない。
出来ることが、あるとするならば、
「……はあ。ここまでか。出来れば、戦わせたくはなかったが」
「もう、何も言いませんよ。貴方のしたいことを全力でしてください。私たちは、それを支えるだけです」
ルサルカへの敵意が消える。
こうなっては、圧をかける意味もない。
致命的な事には、もうなってしまった。
「では、話は纏まりましたね?」
ルサルカは、微笑んでいる。
慈愛か、策謀か、その下に埋まっているものが何か、図りかねる。
だが、ここが唯一の道なのだ。
他の道なき道よりマシだと、思うしかない。
「よく、聞いてください。面白い体験が出来ますよ」
そして、彼らは深淵に触れる。
※※※※※※※※
第一の門番が倒されたと同時だ。
第九層の一室に用意された『繭』から、アリオスが這い出した。
かなり息が乱れている。
立つことも出来ず、膝と手を地面につけた。
「どうだった? 『魔王』は?」
ゆるりと近付いたのは、ルサルカだ。
黒い『繭』のある部屋とは別の部屋から、やってきた。
アリオスを見下ろし、笑っている。
そんなルサルカに、アリオスは息を整えてから、
「化け物だな……借り物の体での戦いだったが、モノが違いすぎる……」
「そんなことは最初から知っています。聞いているのは、能力のことです」
黒い『繭』から這い出て数分。
ようやく立てるほどに回復したらしい。
見下ろされるのではなく、目線を対等に持ち上げてから、澄まし顔で答える。
「『魔王』は、呪い以外にも、何か一つ特殊な能力がある」
「それはそれは。重畳ですね」
満足そうに頷くルサルカに、アリオスは疑問の目を投げ掛ける。
本当にこれで良いのか、と。
それに対してルサルカは、
「何かしら、ある、と分かっていた方がやりやすい。十分な仕事はしました」
「……そうか」
「では、アリシアさんと代わってください」
パチン、と音がして、アリシアが現れる。
杖を構えたままの姿勢だ。しかも、やけに体はボロボロだった。
直前まで、戦っていたようである。
「……やっと交代ですか?」
「おや? まだ半日も経っていませんよ? 外の時間では」
「分かっていて言ってるじゃないですか。早く、交代です」
今度は、アリシアが『繭』へ潜っていく。
そして代わりにアリオスは、部屋から消える。
「はあ……これで良いのですよね、一席殿?」
加速された時の中、使徒は独り言ちる。