ラッシュ・リーブルムは、生まれながらに仕える事が決まっていた。
その全てを、ひとつに捧げる。
それのためにあらゆるものを犠牲にし、尽くすことを強要される。
いったい何故、どうして、という問いに意味はない。
生まれた家が悪かったとしか、言いようがない。
そのための命として、生まれ育ったのだ。
越冥教団
仕える組織の詳細は、分からない。
クライン王国が成り立つ以前から、世界中で活動していたらしい、大規模な犯罪組織らしい。
王国内での活動の足掛かりのひとつに、生家であるリーブルム家がある。
末端も末端の、損ばかりの立ち位置。
行われる大規模犯罪の、取っ掛かりとなる。
そのための準備は、抜かり無い。
ラッシュは、主に密偵としての役目を任されていた。
隠密や暗殺といった、役目に必要な訓練は、死ぬほどしてきた。
その十六年の期間に、地獄を味わってきた。
生傷が絶えず、苦しみの中で生きてきた。
ラッシュは、そんな運命を強いる教団に対して、まったく良い感情はない。
両親や兄たちは従順な性格であり、教団に従う事に否はなかった。
しかし、親の教育に素直な男ではなかった彼は、己の運命に怒りを抱き続けた。
いったい誰が、こんなものを気に入るのか?
血の滲むような努力をした末の強さなど、誰が願ったか?
押し付けられた苦痛など、必要なかった。
だが、そんな文句は言えなかった。
何故なら、
「逆らったら、殺される」
不本意にも鍛えられたおかげで、実力はかなり付いた。
現役の騎士より、遥かに強い。
元来、才能とやらがあったらしく、格闘術と短剣の扱いは、飛び抜けている。
有数の実力者と数えられる程度に、力はある。少なくとも、自分に並ぶ実力者には会ったことがない。
だが、格上は居るだろう。組織に幾人か、己より遥かに強い者は。
けれども、そう数は居まい。それに、強い事と、探す能力は別だ。だから、もしも自分が本気になれば、きっと余裕で逃げ切れる。
そんな事を漠然と考えてはいたのだが、すぐに甘い目論みだと知ることになる。
使徒
最も高き存在である、教主の手足。
教団の目的を達するための、五つの柱。
それぞれが一国に匹敵するほどの戦闘力を有すると、聞いていた。
だが、実物を見て、それが過小評価だと知る。
「逃げ切れるなんて、出来るわけがない」
優秀だから。
そんな理由で、使徒の一人に会う事が出来た。
幹部に目をつけられるのは、旨味のある展開ではなかったが、拒否権はない。
逃亡にあたって、ある程度、厄介な敵の力を見ておく分には得だと言い聞かせた。
だが、余裕もあった。楽観もあった。
幹部とはいえ、そこまでではないだろうと。予想を大きく越える力はないだろうと。
全て、甘い幻想だと知る。
こんなものを相手にすれば、国など簡単に滅び去る。
中途半端に力があるせいで、それだけの力があると分かってしまう。
しかも、それで最も弱い使徒だというのだ。
他に、これ以上の強者が四人。
その気になれば、世界すら滅ぼせるだろう。
「馬鹿げてる」
唯々諾々と、命令に従い続ける。
違法な魔道具を作成することもあったし、薬を流すこともあったし、人を殺したこともあった。
だが、どんな後ろ暗いことも、やるしかない。
アレに逆らうなど、考えたくもない。
何故かあの後から気に入られ、個人的に何度も招かれた。
楽しげに見せてもらった、実験記録。
教団が何を目指しているか、ほんの少しだけ教えてもらえたりもした。
だが、楽しげな使徒とは対照的に、彼にはそれがおぞましいとしか、思えなかった。
「世界が、違いすぎる」
学園に入学した時も、特段深いことは考えなかった。
貴族の令息令嬢なら、普通に入学するものだからだ。
表向きは普通の貴族だ。取り敢えず入学させ、任務はこれまで通り、合間にさせられるのだろう。
そう、思っていたのだが。
予想外に、馬鹿げた命令が多かった。
これまで行ってきた暗い命令など忘れたかのような、簡単で、子供のおつかいも同然な任務だ。
なにか、おかしい。
明らかに、教団は何かを狙っている。
そして、その中心に居るのは、
「……馬鹿げている」
違和感はあった。
ただの少年ではない事など分かっていた。
ラッシュとてバカではない。特別な力を宿していると、嫌でも気付く。
それだけではない。
周囲の人間を巻き込み、変えてしまうのだ。拒めども、頑なであろうとも、心の奥底へ潜り込み、優しく触れてしまう能力がある。
これを、片鱗と言わずして、なんと表そう。
間違いなく、新たな英雄候補だ。
助けて欲しいなどと、考えたことはない。
「――――――」
全ては、無駄な足掻きだ。
何を願っても、変わりはしない。
もしも、出会った使徒が第五位だけだったなら、思わなかっただろう。
圧倒的な実力差を知ってもなお、ラッシュは、いつかは使徒から逃げ切れる実力が身に付くと、僅かに思っていた。己の才能と、これからの時間を鑑みて、いつかはと予感があった。
言葉には出来ないほど微かな希望ではある。だが、それでも、心が完全に折れるということはなかった。
……英雄の卵という希望を見たというのも、あったかもしれないが。
それでも、今は希望を抱かない。
世界の頂点を、見たからだ。
「…………」
突如、言われた。
たった一言、『頂点に会わせてやる』と。
かつて、聞いたことがある。
教団の最高幹部、使徒の第一位は、世界最強の生物であると。
ただの噂だ。信じてはいない。
五位の使徒に会って、ようやく僅かに信じてみようかと思える程度だ。
しかし、実物に会って、当然のように考えが変わった。
ソレは、『絶対』だった。
豪奢な椅子に腰かけた、不明な人物だ。
仮面を被っている上に、その仮面も『認識阻害』の魔法がかけられているのだろう。
特徴という特徴が、まったく記憶できない。
だが、それだけで隠しきれるはずのない、究極の力があった。
世界最強の生物という言葉ですら、ソレの凄みは、表し切れない。
生命の枠に収まらない、莫大なエネルギー。そこに太陽があるのではないかと錯覚するほどに、偉大で、比べるものがない。
しかし、真に恐ろしいのは、ただ放出するだけで、ラッシュが容易く消し飛んでしまうほどの力が、完全に制御されていたことだ。暴れ狂うだけで、大陸が焦土に変わるような力が、正しく扱われてしまう。その気になれば、どんな事が起きるか、想像すら出来ない。
悟る。
これは、象徴だ。
絶対、勝利、究極、至高。
そんな、正の概念の塊だったのだ。
ラッシュを縛るのは、強い恐怖心である。
使徒五位は、使徒たちの中でも頭脳派だ。
人の使い方は、誰よりも心得ている。
このタイミングで、こうして力で恐怖心を煽ったのは、目を付けられている証拠。
これまで見守る方針を取っていたのに、急に暗殺と命令が出たのは、教団に引き込む戦法を取ることを止めたためだろう。
今回の事が終われば、恐らく五位の側仕えとなるだろう。
そのためのテストだと、思って良いはずだ。
「……クロノ・ディザウス」
嫌いな男ではない。
むしろ、良い人間なのだろう。
これから先、きっと多くの人を救う事が出来る資質を持つ男だ。
とても、とても心苦しい。
だが、自分よりも大切なものはない。
「必ず、殺す」
その闘志は、真っ直ぐ敵へ向く。