恋する復讐者◆暗黒の7日間   作:ボブ・ニンジャ

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ヨロシサン・アンチドート・クエスト#2/8

 

……翌日、12月28日。ネオサイタマ西部のスギナミ・ディストリクトに、その施設は存在した。ヨロシサン製薬スギナミ支社。巨大なロケットか坐薬めいた形の高層ビルがそびえ立ち、その足元から北側へ平たい工場区画が伸びている。

 

『始業開始時刻です。今日も1日ガンバロ』アナウンスが響く。カバジマは腕のサイバー腕時計を確認した。時刻は朝9時。「今日も終わったな」ドータニがエンジニア席から話しかけてくる。

 

彼らがいるのは、支社ビル正面入口、回転ドアのすぐ内側である。空港めいた金属探知ゲート、X線手荷物検査機が計4セットあり、脇のUNIXでエンジニアがそれらを管理する。そして警備員が近くに立ち、強行突破を阻止する。厳重なセキュリティである。

 

カバジマはそのうち警備員の役目に就いている。彼は元湾岸警備隊の荒事屋だ。右半身を爆弾マグロの至近弾で失ったが、それらをサイバネに置換したことで彼の外見はさらに厳めしい。ヨロシサンの社章を戴いた警備員服を纏い、両手でショックメイスを持つ。右腰のホルスターにはニードルガン。

 

「ああ。あとは遅刻野郎と、戻ってくる営業サラリマン、あと他社の営業か」カバジマは答える。社内のサラリマンたちがこれから1日の仕事を始める一方、カバジマとドータニの仕事はもう終わったようなものだ。出口は他にあり、そちらは他のチームが担当している。データの持ち出しなどを警戒した、別のセキュリティが敷かれていることだろう。

 

「ハアーッ!ハアーッ!ハアーッ!」回転ドアから遅刻サラリマンが駆け込んできた。七三分けだったであろう髪が汗で額に張り付いている。「はい、手荷物出して」カバジマは冷淡に言って、荷物トレーを差し出す。「急いでくださいよ!スミマセンケド!」サラリマンはほとんど叩きつけるようにしてカバンを入れ、その場で両手を横に広げた。

 

カバジマは荷物トレーをX線探査機に放り込み、隠しているものがないか、サラリマンをぞんざいにボディチェックする。「ベルトは?バックルが金属」「セラミックです!」「アイ、アイ。行って」サラリマンは弾かれたように金属探知ゲートへ走る。

 

「ゆっくり通って。頼みますよ」ドータニが横から釘を刺す。サラリマンは急減速し、イライラしながらゲートを潜った。ブガー!ブガー!「アイエッ!?」鳴り響くアラート!サラリマンは立ちすくんだ。

 

「アーララ、どうしたのかな」ドータニはサイバーサングラスを上げ、UNIXモニターとサラリマンを交互に見た。「金属なんて持ってませんよ!ボディチェックだって!」サラリマンはほとんど叫ぶようにして弁解する。

 

「あのー、ホラ。磁気がダメなのかもね。磁気がね。もう一回戻ってやり直して」「エーッ!?」「悪いね。規則だから」サラリマンは渋々もう一度ゲートを通過する。ブガー!ブガー!「ナンデ!?」「磁気かな?」

 

ドータニはサラリマンをいやらしい目で見やった。「ところでさあ、私今朝5000円落としちゃったんだけど、あんた拾ったりしてない?」……ナムアミダブツ!これは露骨な賄賂の要求である!サラリマンは眉間に深い皺を寄せたが、今は押し問答している時間がない!探査機から排出された手荷物トレーからカバンを、サイフを取り出す!

 

「バカ!」サラリマンは無事ゲートを通過し、捨て台詞を残してエレベーターの方へ走り去った。「毎度あり。お仕事ガンバッテ!」ドータニはひらひらと手を振った。「お前なあ」カバジマがエンジニア席に近づく。

 

「遅刻野郎ばっか狙うのやめろよ。カワイソだぞ」「んなこと言ってもね、ラッシュの時にいちいちやってられないじゃないか」ドータニは開き直った。「だいたい、寝坊か電車の遅れか知らないけど、遅刻しなきゃいいんだよ。罰金みたいなもんだ」

 

回転ドアから次の客が現れた。見た目麗しいOLである。「あのー、スミマセン。ガマ・メディテック社のユガミと申しますが」厳重なセキュリティに面食らったのか、カバジマとドータニに相談を始める。「アポは取っているはずなのですが」そのバストは豊満であった。カバジマの目は釘付けになった。

 

「アーハイ、ガマ・メディテックのユガミ=サンね」ドータニがUNIXで今日の来客予定を確認する。「アポ、たしかにありますね。じゃあホラ、カバジマ=サン。ご案内して」「アッハイ」カバジマは我に返った。「じゃあ、このトレーに手荷物置いて」「ハイ!」

 

そしてボディチェックが始まった。「フウーム、ホオン、ハアーン」カバジマはOLの体をねちっこくまさぐった。「ココ、何だか膨らんでませんか?怪しいな。何か隠してませんか?」「隠してません」OLもすぐに違和感に気づいたが、取引先で騒ぎを起こすわけにはいかぬ。カバジマもそれを承知の上だ。

 

「怪しい……怪しくない……怪しい……怪しくないですね。どうぞ」カバジマはやっと解放した。OLはジャケットの乱れた襟元を直し、早足で金属探知ゲートを潜る。アラートは鳴らない。OLは手荷物を掴み取り、「バカ!」捨て台詞を残してエレベーターの方へ走り去った。

 

「ずいぶん念入りだったじゃないか」ドータニが相方を冷やかす。「うるせえな、スパイは美女だって相場が決まってんだろ。警戒重点だ」カバジマは余韻を楽しむように両手をわきわきと動かした。「嘘つけ、今まで来たスパイ全員オッサンだったじゃないか」「それもそうだ」「テロリストもだ」「違いねえ」

 

カバジマはこの1年で14人もの不法侵入者を撲殺していた。すなわち他社の産業スパイや、イッキ・ウチコワシ組織のアンタイセイ・テロリストなどである。セキュリティシステムに不慣れなだけのヨロシサン社員も何人か混じっていたかもしれないが、システムを安定して運用していく上で必要な犠牲であろう……彼はそう考えていた。

 

「ああ、いっぺんでいいから美女の不法侵入者に来てほしいぜ」カバジマは体では厳めしくメイスを構えつつ、口ではあけすけに欲望を露わにする。このフロアには監視カメラはあるが録音装置はないのだ。「そしたらお前、殺すことになるんだぞ」ドータニが言う。「それはそれで楽しいだろ」「お前ヤバイな」「今更それ言うか?」

 

回転ドアから次の客が現れた。モジョー・ガレットの配達員だ。小柄な女性で、ぶかぶかのユニフォームを着て、帽子を目深に被っている。指で背中のバックパックを示し、「オハヨ・ゴザイマス。モジョーの配達で」と言う。その声は幼かった。

 

(ガキだな)カバジマはそう判断する。ネオサイタマにおいても児童労働は原則的に違法だが、暗黒メガコーポ群のロビー活動により、無数の例外規定が設けられている。子供が平日の昼間に働いていることもチャメシ・インシデントなのだ。「たしかに社内からIRCで注文されたログがある」ドータニがモニターを見て言う。

 

「ハイ、じゃあ手荷物ここに入れろ。んで、ボディチェックする」お決まりのルーティン。カバジマはボディチェックをぞんざいに済ませた。ドータニがUNIXでX線検査結果を確認すると、この配達員の持ち物はモジョー・ガレットの他はIRC端末とインカム、LANケーブルのみである。いつも通り、ノープロブレムであることを無言をもってカバジマに伝える。

 

ジュニア配達員は無事ゲートを通過し、慇懃にエシャクしてからエレベーターの方へ歩いていった。「ずいぶんあっさりしたボディチェックだったな」ドータニが水を向ける。「俺に少女趣味はねえ。そっちこそ、ゲートの調子が良かったみてえで」「私も児童虐待の趣味はないからな」

 

「つうか、誰だよ?こんな朝っぱらからモジョーなんか頼んだのはよ。ニンジャか?」カバジマは突飛なことを言う。というのも、このスギナミ支社には、社員たちの間で囁かれる噂がある……支店長がニンジャを使役しているという噂だ。当然ニンジャなど実在するわけがなく、休憩時間中の話のタネにするためのホラ話に過ぎないが。

 

「バカ、ニンジャがやっすいモジョーなんか食べるもんか。トロ・スシ食うだろ」ドータニは社員割引で買ったバリキをあおりつつ、UNIXを操作する。「……カロウシ対策研究室のトヤマ=サンらしい。徹夜明けだろ」「自分がカロウシするんじゃねえのか」カバジマはあくびを噛み殺す。昨日遅くまで飲んでいたせいで少し寝不足だ。

 

……そうした一幕を、ビルの外から見ていた者がいる。正面エントランスの前、道路の向かい側に、バンが一台停車している。車体には「電磁波を計測したりする」「路上駐車許可取得済み」「怪しくない」という耐水ショドーが貼られている。その運転席に、きれいな総白髪の紳士が座っているのだ。

 

紳士は手元のラップトップUNIXに目を落とす。車体後部に積んでいる高性能なマシンとリンクしているものだ。彼はこの数日、スギナミ支店のネットワークを継続的に監視していた……ゆえに、社内からIRCでモジョーが注文される時、ネットワークに生じたわずかな揺らぎを見逃さなかった。

 

紳士はラップトップを操作し、上司とのIRC画面を開く。そして4文字タイプ。「好機やも」「すぐ行く」レスポンスは1秒以内に返ってきた。

 

【Avenger in love】

 

ニンジャはぴくりと眉を動かした。「……集中が乱れました。エテルの流れが」「何だと?」ヤクシマル支社長はUNIXモニタから目を上げ、尋ねる。「どういう意味だ」

 

そのニンジャ、ボーンブレードは、支店長室の隅に設けられたタタミ席でザゼンしていた。朝5時に出社して以来……1度バイオインゴットを摂取するために席を立ったのを除けば……かれこれ4時間も黙ってザゼンし続けていたのだ。それが今、沈黙を破った。

 

「この社屋に、招かれざる客が紛れ込んだかもしれません」支社長室は南の壁が1枚ガラスの大窓になっている。ボーンブレードはそこからスギナミ・ディストリクトの雑多な街並みを睨んだ。ヤクシマルは一旦UNIX作業を止め、「今、社内に来客は何人いる。確認しろ」横のデスクにいる秘書に命じる。

 

「ヨロコンデー」秘書はクローンヤクザの特別カスタム個体であった。バイオ筋肉で強化された指で手元のUNIXをタイプし、調査結果をヤクシマルのモニターへ転送する。「来客は2人です。1人はガマ・メディテック社の営業、ユガミ=サン。事前のアポがあり、身分も確かです。サイバネもなし」

 

「もう1人は……これは、ヒキャクか?」ヤクシマルは表示された監視カメラ映像を睨む。何らかのユニフォームを着て、立方体のバックパックを背負った小柄な女性が、廊下を早歩きで進んでいる。「いえ、モジョー・ガレットの配達員のようです。カロウシ対策研究室のトヤマ=サンがIRCで注文したログがあります」

 

「ふむ」ヤクシマルはトヤマを顔だけは知っていた。壮年の男性で、優秀な上級エンジニアである。トヤマに音声通話を試みる。「ハイ、トヤマです」応答はすぐにあった。「モシモシ、支社長のヤクシマルです」「ドーモ」「ドーモ」

 

「これはネットセキュリティ上のちょっとした話で、あなたの責任を追及するものではないのですが……今、何かケータリングを注文しましたか?」「ハイ、モジョー・ガレットを。徹夜明けで小腹が空いたもので……何か問題でもありましたかッコラー?」「コラー?」「アッイエ、セットでコーラは頼んだかな?と思いまして。スミマセン」

 

ヤクシマルは内心で首を捻りつつも、アイサツして通話を切った。そしてボーンブレードと目を見合わせた。秘書ヤクザが横から口を挟む。「監視カメラ映像を確認しました。トヤマ=サンが徹夜していたのは本当です。トヤマ=サンがたった今、音声通話していたのも確認しました」

 

「私の勘違いだったやも。スミマセン」ボーンブレードは潔く頭を下げた。彼の左腕は異様に太く、長い。とあるバイオ・サイバネティクス手術の結果である。

 

「いや、以前お前に同じことを言われて社内を捜索したら、テロリストが地下に爆弾をセットしている最中だった。もう少し疑ってみよう」ヤクシマルはフォローし、UNIXをタイプし始める。

 

「私も捜索に向かっても?」「いや、お前はひとまずここにいろ。下の動きは陽動で、本隊がここを狙う可能性もある」ボーンブレードがこの支店長室に常駐しているのは、テロリストや他社の破壊工作チームがヤクシマルの命や同じフロアにある機密情報保管サーバーを狙ってくるのを警戒してのことである。

 

ここは地上46階の最上階だが、ヘリやグライダー、ジェットパックによって地上のセキュリティをスルーし、屋上や窓から侵入されるリスクはあるのだ。

 

「ヨロコンデー」ボーンブレードは厳かに答え、瞑目してザゼンに戻った。ヤクシマルは本館と工場区画の警備主任に連絡を取り、各階をスキャンするよう命令を下す。警備員とそれに従うクローンヤクザたちが支店内を忙しく巡回し始める……。

 

【Avenger in love】

 

「オイオイ!敵がめっちゃ出てきてるじゃねえか!」インカムからハンザワの狼狽える声が聞こえてくる。スギナミ支社内の警備員たちが一斉に巡回し始めたことをモニターしたのであろう。「IRC関係を誤魔化せたかと思ったらこれだ!やっぱ俺たちの作戦はバレたんじゃねえのか?」

 

「バカ!本当にバレてるならあちこち動かずニンジャスレイヤー=サンだけ狙うに決まってるだろ。監視カメラにモロ映ってるんだから」インカムの向こうで、チェミのしわがれた声がそれを嗜める。彼ら2人はスギナミ支社の側の仮設拠点からオンライン支援を行っている。

 

先ほどは支店長のIRCコールをチェミがハッキングで捻じ曲げ、ハンザワがその相手方のトヤマを騙った。さらに同時にチェミが適当にでっちあげた内容の電話をトヤマへかけることで、監視カメラに対しても彼が通話に応じたように見せかけた。

 

トヤマが徹夜したのは事実だが、彼はモジョー・ガレットなど注文していないのだ。ニンジャスレイヤーが潜入するための、チェミによるハッキング工作である。

 

「ま、こっちが仕掛けたタイミングをどうやって察知したのかはわからないけどね」チェミが匙を投げる。「ニンジャかもしれません」ニンジャスレイヤーは廊下を歩きつつ、小声で口を挟んだ。ヨロシサンの早すぎる対応の陰に、ぼんやりとニンジャの気配を感じた。

 

(ニンジャか……)彼女のニューロンの底、朱墨X字の封印の下で邪悪なニンジャソウルが身をもたげる。(たしかにこのあばら屋の上の方に、ニンジャソウルの存在を感じるぞ……しかし、まだ遠くてよくわからぬが、この様子ではさほど高位のソウルではない。つまらぬ弱敵……)ナラク・ニンジャは不満そうに話を止め、再び闇の中に沈んでいく。

 

「……やっぱり、ニンジャがいるらしいです」ニンジャスレイヤーは小声でインカムへ話す。「ヨロシサンのニンジャか?誰がそう言ったんだい」チェミが尋ねてくる。「ナラク=サンが。私のニンジャソウルの」「アン?よくわからないね。あんたの頭の中は同じニンジャでもワイヤープラー=サンとだいぶ事情が違いそうだ」

 

「ザッケンナコラーッ!」廊下の角を曲がってクローンヤクザ警備兵が出現!右手には物騒なニードルガン!ミフデは身を固くした。今騒ぎを起こすのはまずい。警備兵は彼女を見て……「ドーモ、ゴクロ・サマデス」深くオジギした。「ド、ドーモ」ニンジャスレイヤーは動揺しながらもオジギを返す。

 

「スッゾー!」ヤクザ警備兵は掛け声とともにコバシリを再開し、彼女とすれ違った。そして奥の角を曲がって姿を消した。ニンジャスレイヤーは安堵の溜め息を吐き、自分も歩を進める。「……でもそのニンジャ、弱いらしいです」「弱い、ねえ。その評価はあまり信用ならないね」

 

通信の向こうのチェミの声は訝しげだ。「ニンジャの戦いはアンブッシュだの、カラテの相性だの……あと、なんて言うか忘れたけど、周りの環境を利用できるかどうかってところでも結果がコロコロ変わるだろ?」「そうですね」ニンジャスレイヤーは肯定し、一昨日戦った敵ニンジャのトキシーを思い出した。

 

ナラク・ニンジャの力を使える前提でも、ドヒョー・リングめいた何もない空間で、お互い万全の状態で彼女と戦ったなら、おそらく負けていただろう。あのイクサの最後の交錯にしても、チェミの言う「周りの環境」の働きでようやく五分に持ち込むことができ、そこからトキシーが勝負を捨てて確実な機密保全に走ったことで勝てたのだ。

 

「まして、今回はその辺のヤクザの事務所じゃない。ヨロシサンのビルだ」チェミは続ける。「ヨロシサンのニンジャにとってはホームだろ。格下の相手でも、一番強い状況でぶつかってくる。つまり」「つまり?」「戦わずに、さっさとこっちの仕事を済ませて逃げるのが一番だ」

 

「そうですね」ニンジャスレイヤーは目を細め、重々しく答えた。「本当にそうです」……もとより、彼女はヨロシサン製薬に恨みはないのだ。そのニンジャについても、ニンジャというだけで忌避感はあるが、今の彼女にとっては殺したいほどではない。愛するセンパイもニンジャなのだから、ニンジャというだけで殺す理由にはならないのだ。

 

今回自分がこの施設に忍び込みベンテンを勝手に使うことで、そのニンジャがケジメを強いられるような結果になるならば、少し心苦しい気持ちすらある。

 

ニンジャスレイヤーは廊下を進み、トヤマのいるカロウシ対策研究室の入口に辿り着いた。「研究室の前に着きました」「オーケイ」チェミがインカムの向こうで深呼吸する。「ここからがヤバイ級ハッカー、チェミー様の本領発揮だ」

 

そう言ったきり、チェミはしばらく沈黙する。意識を電子空間に没入させ、全力で論理タイピングを行っているのだろう。通りすがりの研究員がニンジャスレイヤーをじろりと睨み、部屋へ入っていく。ニンジャスレイヤーは額を冷たい汗が流れるのを感じる……この偽装は長くは保つまい。

 

「ヨシ、終わった」無限にも思える静寂の後、チェミが言葉を発した。「これが例のダミー映像か?」インカムの向こうでハンザワが口を出す。チェミのUNIXモニタを覗き込んでいるのだろう。「……オオッ、すげえ!ニンジャスレイヤー=サンがトヤマにモジョーを渡してるぞ!本当はそんなことしてないんだろ?」

 

「ハイ」ニンジャスレイヤーは安堵とともに答えた。予定通り、この周辺の監視カメラを一時的にジャックすることができたようだ。ヨロシサン側は、モジョー配達員がトヤマにブツを渡して帰る合成映像を見せられることになる。その間、ニンジャスレイヤーは監視カメラに移動を咎められることのない透明人間となるのだ。大胆なハッキング工作であった。

 

ニンジャスレイヤーはしめやかに近くの女子トイレへ入り、個室を施錠すると、配達員の装備を脱ぎ捨てた。すると、今やニンジャスレイヤーはニンジャ装束姿だ。以前着ていたボロではなく、白地に金糸の刺繍がなされた、古代ローマ風の真新しいニンジャ装束である。彼女の体形に合わせて裾も詰めてある。

 

ニンジャスレイヤーは便器の上に乗り、めいっぱい伸び上がってなんとか天井のベントのフタを外し、ダクトへ侵入した。暗く狭い迷路を、事前の情報通りに這い進む。音を立てないようにしつつも、速い。ニンジャ身体能力の成せる技である。

 

ニンジャスレイヤーはやがて、ある一箇所のベントに辿り着く。そこは「カイジュウ対策室」……巨大なカロウシ対策研究室の隣でフロアの隙間に押し込められた、弱小部署である。

 

ホワイトボードには「酸素駆逐艦」「MASER」「溶け落ち」などの現実離れした文言。デスクは5つしかなく、人がいるのはそのうち1つだけ。さらに、その1人も机に突っ伏して眠り込んでいる。ニンジャスレイヤーは社会人経験を持たないながらも、この部署に満ちるノーフューチャーな空気をひしひしと感じた。

 

音もなくダクトを出て、部屋の中へ降り立つ。部長のデスクを見ると、段ボールの荷物が届いている。居眠り職員を横目に、忍び足でそちらへ向かい、(イヤーッ)カラテシャウトを口の中で押し殺しつつ、指先でガムテープを切り裂く。開封。

 

中に入っていたのはカラテ・スターターキットである。ニンジャスレイヤーはジュー・ウェアや教本を押し退け、ブレーサーとレガース、メンポを取り出す。いずれも鷲と狼の装飾が施された、古代ローマ風の代物である。

 

……実のところ、このスターターキットの内容物の大部分は、この3点を自然に支店内へ持ち込むためのカムフラージュに過ぎない。このキットを送付したのはニンジャスレイヤーたちなのだ。

 

ハッキングによってこのデスクの持ち主が出張中であることを知り、彼宛に送られた荷物が机上に放置されることを期待してのことである。その期待は成就し、ニンジャスレイヤーは一通りの装備を手に入れた。

 

読者の皆様の中には、この装備の出所を疑問に思われる方もいよう。ハンザワが調達したのである。かつて、かのグレーターヤクザの舎弟には古代ローマカラテ使いのニンジャがいた。その頃のコネを使い、専門の業者から古代ローマ風の装束や防具を取り寄せたのだ。

 

(でも、チャカ・ガンは持ち込めなかった)ニンジャスレイヤーは心細く思うとともに、かつて自分にチャカをくれたワイヤープラーのことを連想した。今、彼はどんな状態だ?闇医者が3日間は延命すると言っていたが、早くも急変して危篤に陥ったりしてはいないか……そうした思考が彼女のニンジャ感覚を鈍らせた。

 

「ニンジャ……?」不意に横合いから呆けた声がかかった。ニンジャスレイヤーはびくりと肩を振るわせ、恐る恐るそちらを見た。居眠りサラリマンが顔を起こし、寝ぼけ眼でこちらを見ている。「ニンジャの……女の子?夢か……?」

 

「……そう、夢ですよ」ニンジャスレイヤーは努めて穏やかに言い、両手をゆらゆらと神秘的に動かした。「さあ、ニンポです。あなたはだんだん眠くなる……」「眠くなる……」「そう、眠くなる……」「ネム……」

 

完全に即興の、メチャクチャな催眠術だった。しかしサラリマンは元々寝ぼけていたこともあり、呆気なく眠り始めてしまった。「ニンジャの……女の子……白と金の、ローマチックな……」不明瞭に寝言を発する。

 

ブガー!ブガー!ブガー!「アイエッ!?」突然の警報音!サラリマンは飛び起きた。何か夢を見ていたような気がする。「ニンジャの、女の子……ニンポ」周囲を見回すが、人影はない。やはり夢か。

 

アラートに続き、放送が鳴る。「30階、カロウシ対策研究室周辺に、不審者が侵入しましたドスエ。カラダニキヲツケテネ」「30階だって?」サラリマンは1人で目を白黒させた。ここがまさにその30階だ!

 

【続く】

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