「ごめんなさい、センパイ」ミフデは泣き出した。「私、センパイにひどいことしちゃいました」
スズリガはうろたえた。彼女に交際を申し込まれ、即答できず返事を保留してから3日。ギクシャクした関係が続いていたが、この展開は想定外だ。「なんで……なんで泣くんだよ。ひどいことなんてされた覚えは」
「しました!センパイがイチコー狙ってるって聞いてたのに……受験勉強が忙しいって聞いてたのに。こんなにひどく悩ませて」「俺は悩んでない」
「悩んでます!」ミフデはいよいよ興奮してまくし立てる。「だって一昨日、ショドーの道具忘れたじゃないですか!昨日はドアに頭をぶつけてたし!今日はコートのかけ方がいつもと違います!」
ギョッとしてハンガーを振り返る。言われてみれば、いつもより右寄りになっているかもしれない。一昨日と昨日の話も本当だ。
「ショドーだってすっかり変に……!」言われて、今書いたばかりのショドーと壁に飾られた過去の受賞作を見比べる……これはわからない。何か違うか?
ぽろぽろと涙をこぼすミフデを見ると、スズリガの胸中に今まで感じたことのない感情が巻き起こった。苛立ちに似ている気がした。彼女に少し言い返してみる。
「お前なあ、そんなちょっとしたことで俺が悩んでるだなんて……」言い淀む。悩んではいなかったか?本当に?「……俺は悩んでない。勝手に決めるなよ」
「……そうですか。ごめんなさい、変なこと言っちゃって。泣かれても困りますよね。本当バカみたい」ミフデはハンカチを取り出し、涙を拭った。
スズリガはいよいよ混乱する……謝られてしまった。謝らせたかったのか?胸の中の感情はそれで満たされるどころか、いよいよ増大して思考を圧迫するばかりだ。これは苛立ちではなかった。
「とにかく、この前言った、『付き合ってください』とかなんとか……コクハクみたいなこと、忘れてください。イチコー、絶対受かってくださいね」ミフデはそう言って席を立つ。「私、しばらく部活休みます。今からセンセイに……」
スズリガの鼓動が早鐘を打ち、思考が加速した。(彼女をこのまま行かせていいのか……?この感情はなんだ?俺はどうしたい?考えるのをやめるか?……それだけはダメだろう。彼女にシツレイだ)
後輩が席を離れる姿がスローモーションのように見える。スローだが停止ではない。時間は進んでいて、戻らない。(きっと、この瞬間は人生で今だけだ。今すべきことをしなければならない。今すべきことをしろ!スズリガ・タグル!)手を伸ばす!
……「センパイ?」ミフデはキョトンとした顔で問うた。彼女のセンパイは椅子に座ったまま、うつぶすようにして目一杯手を伸ばして、彼女の手を握っていた。
「ミフデ=サン……その……何を言えばいいのか……」スズリガは顔を起こせないまま、モゴモゴと言った。「謝らないでくれ。そんなことをされると……なんというか……胸が苦しいんだ」
「……センパイ」「つまり、その……嫌ではなかった。嬉しかったんだ。好きだって言ってくれて……」言葉に詰まり、顔を起こすと、彼女と目が合った。泣き腫らしてはいたが、今までテレビや雑誌で見たどんな美女よりも美しく見えて……余計に、何も言えなくなってしまった。
一体どれだけの時間そうしていただろう。スズリガのニューロンは少し喋っただけでフルマラソン後のランナーのように疲弊していたが、わずかに余裕を取り戻し、ずっとこのままではまずいだろう、と考えた。
手を握ったまま、あてもなく部室を見回す。ミフデは黙って待っている。やがて、12月のカレンダーが目に入った。今日から数日先の週末。12月25日。
「……ク、クリスマス」スズリガの声はうわずった。口がカラカラに乾いている。「遊びに、行かないか。2人で」
……ワイヤープラーは目を覚ました。青白い照明の下、トコヤ・バーバーの天井。目だけで時計を見る。午後9時。
「アレッ、痛みましたか?」彼が目を開けたのを見て、店主が問う。手にはカミソリ。「イエ。大丈夫です」ニンジャは短く答えて、再び目を閉じた。
髪を短く刈り、髭をきれいに剃ると、少年だった頃の自分に少し近づく気がした。(あの頃の俺は信じていた)バーバーを出ると、外気の冷たさに、息が白く煙る。
(クリスマスまでには、自分のあの気持ちに確かな名前をつけて、ミフデ=サンに伝えられると。待たせた分、とびきり格好いいセリフを言ってやれるのだと)
日付は12月25日。クリスマス当日だ。バーバーのある商店街はクリスマス商戦のクライマックスを迎え、家族連れやカップルでごった返していた。オトノサマ・サンタが風船を配っている横を通り過ぎる。
……10年前の今日、彼女は待ち合わせ場所に来なかった。あの夜、ザイバツ勢力がネオサイタマ市内各所で同時にソウカイヤ関係者を襲撃・暗殺し、マルノウチ抗争が勃発した。
その陰で、ミフデの家族は自宅マンション内でひっそりと全滅した。公には抗争の混乱に生じた強盗事件だと解されているが、彼らの死体の損壊ぶりは異常だ。
自分がニンジャになった今ならば、確信を持って言える。あの事件の下手人は訓練されたニンジャだ。おそらく家族のうちの誰かがソウカイヤの関係者で、ザイバツニンジャがそれを暗殺するために乱入したのだ……あの後輩、善良なミフデ・シュノンの家族にソウカイヤの関係者などいるものかという違和感を除けば。
ミフデ自身の死体は見つからなかった。しかし現場には彼女の出血が残されていた。致死量をはるかに超える量の出血が。
BEEP。ワイヤープラーのIRC端末が受信音を発する。確認すると、チェミ婆からの短いノーティス。……「タスケテ」。
【Avenger in love】
『解錠な』合成マイコ音声とともに、マンション管理室の扉は戒めを解かれ、ゆるゆると開いた。静寂。
(無人か)ワイヤープラーはドアの外側で透明になって潜伏していたが、ひとまず安全と判断し、ステルスを解いて入室した。
赤い非常灯だけが灯る薄暗い部屋。壁面にマスターキーが入っていると思しき金庫があり、その下にUNIX端末がある。画面の縁に「監視カメラを管理したりする」というラベルが貼られている。
……ワイヤープラーはチェミ婆からのノーティスを受け取ると、ただちにタクシーを拾い、聖夜に浮かれる街を走り抜けた。数日ぶりにこのハイツ・ハルカナルに戻ってきて初めに探したのが、この監視カメラ管理端末だ。
「イヤーッ!」ワイヤープラーは電源ボタンを探す時間も惜しみ、管理端末に手をかざしてジョルリ・ジツを発動した。手が緑色に輝いたかと思うと、端末は高速で立ち上がり、パスワード入力画面を表示した。
「イヤーッ!」ジョルリ・ジツ再発動。たちまちアスタリスクが入力欄を埋め、キャバアーン!クリティカル電子音とともにセキュリティは突破され、マンション各階の監視カメラを参照する画面が出現した。「クッ」ジツで複雑な操作をした負荷で目の奥に鈍痛。こらえる。
ワイヤープラーはここにきて初めてマウスを握り、「44階」のボタンをクリックした。映ったのは、まっすぐな廊下。その横の壁に並ぶ各部屋の扉。
ある部屋の入口扉が開いている。ワイヤープラーは眉を動かした。4404号室……チェミ婆の部屋だ。扉から誰か出てくる……昼間にラーチャーのところで見た顔だ。クローンヤクザである。
ワイヤープラーはメンポの裏で顔をしかめた。(チェミ婆はザイバツからの仕事を受けていた。とすると、下手を打ってソウカイヤに目をつけられたか?……しかし、あのプロフェッショナル気取りのババアが、単純なミスをしたからといって無関係な俺を事態に引き摺り込んでくるものか)
クローンヤクザが廊下を見回す。その拍子に、胸に所属を示すバッジをつけているのが映った。「バカな」ワイヤープラーはうめいた。「ザイバツだと」
然り。そのクローンヤクザがつけていたのは、ラーチャーの配下の個体がつけていたのと同じ、ザイバツ・シャドーギルドのダイヤ型のエンブレム……管理端末の画面に、何かがチラリと反射するのが見えた。
「イヤーッ!」背後から突然のカラテシャウト!同時に、チョップが降ってくる!「ウオオーッ!?」ワイヤープラーはわずかな映り込みから辛うじてこれを察知し、横に倒れ込んで回避!CRASH!すぐ横でチョップが管理端末のキーボードを砕き、その下のデスクにまでめり込む!
「ギイーッ!」ワイヤープラーの回避を見咎め、ケリ・キックが飛んでくる!「グワーッ!」吹き飛ばされ、背後の壁に激突!「き、貴様は……」
「ギギギ……ドーモ、はじめまして」襲撃者が先手を打ってアイサツする。右半身をサイバネ置換し、その上から紫色の装束を纏った壮年のニンジャである。胸にはザイバツのエンブレム。「ザイバツ・マスターニンジャ、ハーデンベルギアです」
「ド、ドーモ、ハーデンベルギア=サン。ワイヤープラーです……」ワイヤープラーは混乱しながらどうにかアイサツを返す。「……なぜ、ザイバツニンジャがこんな真似を」
「ギギ……我々はあのハッカーが何かしら救難信号の類を送ったことを把握していた」ハーデンベルギアは冷たく答える。軋むような異音が声に混じるのは重サイバネゆえか。「一定以上のレベルの仲間がそれに応えるなら、まずここであの部屋の状況を調べようとするだろうと予測して待ち伏せただけのこと」
「……」ワイヤープラーは内心舌を巻いた。完全に考えを見透かされている。格上だ。「……そうじゃない。あのババアはザイバツシンパで、今もそこからの仕事を受けていたはず……なんで当のザイバツがそのアジトを荒らす?」
「ザイバツシンパ。ギッギッギ……」ハーデンベルギアは不敵に笑った。「まるで、あのUNIXをいじるしか能のないモータルの老いぼれが……私たちの仲間だったかのような言い草だな?」
「はぐらかしたな」「ギギ……今度はこちらが質問する番だ」ハーデンベルギアがサイバネの手で指差す。「今日、あのハッカーから暗号化されたデータを受け取ったな?」
ワイヤープラーは眉をひそめた。「そんな覚えはない」「信じられないな。見たところ奴自身は持っていなかった。そしてお前は奴の相棒だろう?」ザイバツニンジャの隻眼に残虐な光が宿る。「ギギギ……体に聞くとするか」
「イヤーッ!」ワイヤープラーが右手でクナイを投げる!「イヤーッ!」ハーデンベルギアはスリケンを投げ返し相殺!「まだだ!イヤーッ!」ジョルリニンジャは左手を輝かせる!
「ギ!?イヤーッ!」ハーデンベルギアはニンジャ第六感で危機察知しその場でブリッジ!次の瞬間、KABOOM!監視カメラ管理端末の画面が爆発し、機械部品混じりの爆風が彼の腹の上を通過!
「イヤーッ!」ワイヤープラーが低くジャンプして敵の股間を蹴りにいく!「ギイーッ!」ザイバツニンジャは横に転がるワーム・ムーブメントで回避!
「オタッシャデー!」ワイヤープラーは追撃に固執せず出口へ走る!「イヤーッ!イヤーッ!ギイーッ!」ハーデンベルギアが床を転がりながらスリケンを3枚連続で投げつける!「グワーッ!」最後の1枚が背中に命中!
しかしワイヤープラーはダメージに耐え、そのまま管理室を走り出る。逃走である!『施錠な』ジョルリ・ジツで入口扉がロック!頑丈な金属製の扉がザイバツニンジャの行手を阻む!
「ギギイーッ!コシャク!」ハーデンベルギアはパッと跳ね起き、サイバネの右拳で扉を殴りつける!
「イヤーッ!」インパクトの瞬間、KBAM!腕がパイルバンカーじみた炸薬機構により超音速で数十センチ伸長!CRAAASH!!爆発的に強化された一撃により扉は一撃で吹き飛んだ!
「ギギギギギ!必ずインタビューする!」ハーデンベルギアは全速力でワイヤープラーを追う!
【Avenger in love】
雪が降ってきた。ホワイト・クリスマスだ……大気汚染の影響で灰色に濁ってはいるが。時刻は22時。ネオサイタマの祝日の喧騒はいまだ衰えない。
家族連れの姿は減ってきたが、その分酔ったサラリマンやパンクスたちが大声を張り上げ、煌びやかに彩られた街を練り歩く。スモトリめいて巨大なサンタ・バルーンがビル屋上に立ち、にこやかな笑顔でその賑わいを見下ろす。
「イヤーッ!」そのサンタの横を、銀色の風が吹き抜けた。「イヤーッ!」続けて紫色の風がそれを追った。二陣の風は立ち並ぶビルの上を目にも止まらぬスピードで駆け抜けていく。
銀の風の正体はフリーランスニンジャ・ワイヤープラーであり、それを追う紫の風はザイバツマスター・ハーデンベルギアである。クリスマスに盛り上がる一般市民の頭上で、ニンジャたちは命懸けのチェイスを展開していた。
「イヤーッ!」ハーデンベルギアが敵の背中めがけスリケンを投げつける!「イヤーッ!」ワイヤープラーは後方へクナイを投げ返して撃ち落とす!「イヤーッ!」さらに一本を投げて反撃!
「イヤーッ!」ハーデンベルギアはスリケンを投げ返し相殺!回転ジャンプして「ビョーキ・トシヨリ・ヨロシサン」のネオン看板を飛び越し、「ギイーッ!」空中からさらにスリケン!撃ち落とすには足を止める必要のある巧みな投擲軌道だ!
「イヤーッ!」ワイヤープラーはそれを見もせず、ビル屋上でスライディングして「皆さんを守るオムラ社のマシンガン」のネオン看板の下をすり抜ける!スリケンは虚しく看板に突き刺さった。ワザマエ!
「ギギギ!ラチが開かん!」紫のザイバツニンジャは不快そうに唸って跳躍し、「新鮮ロブスター」のネオン看板を蹴ってトライアングル・リープし、別のビル屋上、コケシ給水塔の側に着地する。摩天楼を飛び渡って遠ざかっていくワイヤープラーを見下ろす。
「イヤーッ!」そしてサイバネパンチ!KBAM!CRASH!破壊したのは、給水塔の固定部分だ。ハーデンベルギアは給水塔を両手でグリップし……サイバネの右腕が熱蒸気を噴出し、生身の左腕に筋肉が隆起する……巨大なそれを抱え上げて!おお、投げるというのか!?
「イイイヤアアアーーーッ!!」大型自動車並みのサイズのコケシ給水塔が、今、ネオサイタマの夜空に投げ放たれた!ゴウランガ!雪の舞う中、巨大な金属のコケシが、水を撒き散らしつつネオンの海を泳ぐ……幻想的な、しかしマッポー以外の何物でも無い光景!
ワイヤープラーはオイランビルに着地した直後、謎の破壊音を聞いて振り返った。巨大コケシが彼を押し潰さんと飛来した。「何だ!?コケシ!?」困惑が反応を遅らせる!
CRAAASH!!「グワーッ!」コケシ着弾!オイランビル屋上が破壊されて粉塵を巻き上げる!数十メートル下の地上で、サイバーゴスとゲイシャパンクスがそれを見上げて騒ぐ。「何アレ、花火?クリスマスの演出?」「ヤンバーイ!アーハーハー!」
「イヤーッ!」数秒後、ハーデンベルギアがオイランビル屋上に着地した。風が粉塵を吹き払うが、敵の姿はない。真新しい血痕だけが残されていた。
「ギギッ……シブトイやつめ」ザイバツニンジャは毒づいて、IRC端末を取り出す。「モシモシ。私だ。例のニンジャの件だが、思ったより手間取っている……イケイケな新曲のインスピレーション?何の話だ?後にしろ」
『ドスエェーッ!』合成電子音声の叫びとともに、屋上入口の扉が勢いよく開く!全裸のオイランドロイドが走り出て、「備え付け防犯」と書かれた散弾銃をハーデンベルギアに向ける!
『激しく前後するドスエ!』BLAMN!「イヤーッ!」ニンジャは片手側転で散弾を回避!「ギギーッ!」そしてスリケンで反撃!『ピガーッ!?』ドロイドの右腕が散弾銃ごと吹き飛ぶ!
「イヤーッ!」続けざまのトビゲリ!『ピガーッ!』CRAAASH!!オイランドロイドは屋上入口に蹴り込まれ、突き当たりの壁に激突して大破!ナムサン!
「ギギッ……しかし奴はここまで3度攻撃を受け、ダメージを負った」ハーデンベルギアはトビゲリの反動で跳躍・着地し、何事もなかったかのようにIRC通話を続行する。「ああ、もはや遠くには行けまい。30分以内には連行する。オタッシャデー」
紫のニンジャは通信を切ると、ニンジャ野伏力で標的が逃げた方向を探知。ビルの屋上から飛び降りて姿を消した。
「ちょっとヒメナチャン、いきなりどこ行くの?寒いよ?」中年男性が全裸のまま階段を登ってきて、オイランドロイドの残骸を見て仰天した。「アイエエエ!?ヒメナチャン!?」
【続く】