ある調査任務に失敗し、そのせいで体が急成長したスズランと、特に変化がなかったススーロ。

その日の夜、自分の部屋で日記を書いていたススーロは、部屋に入ってきたスズランと歓談を楽しんでいく。しかしスズランは、ススーロが浮かない様子であることに気づいて――

ススーロがメインキャラクターな短編小説。

(pixivとのマルチ投稿です)

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「あらゆる物事は出会いから始まる」とパパは教えてくれました。
「あらゆる物事は辛い別れで終わる」とママがそう続けました。
「出会いと別れの間には何があるの?」私が思わず問いかけると……
「たくさんの奇跡があるんだよ。」――二人はそう答えたのです。

コラボイベント「また会えたね」より引用。




ちいさなひとつの奇跡

 インスタントコーヒーの粉に牛乳と砂糖。いつもの分量でそれらをマグカップに注ぎ、お湯を注いでスプーンでかきまぜる。

 あま苦い香りを吸い込みながらススーロはキッチンを離れ、自室の机にマグカップを置いた。机の上の照明を点け、椅子に座り、本棚から一冊のノートを取り出して静かに置く。それは時間に余裕があるときに彼女がよくやるルーチンだった。

 ボールペンを用意して息をつく。地味な赤い色合いのノートの表紙には、それが彼女の日記であることが記されている。

 静かにボールペンのキャップを外し、白紙の部分にペンの先端を置く。そうしながらマグカップに手を伸ばし、口をつける。

 書き出しはどうしよう。考えながらペンを動かし、思考につまずいてコーヒーを飲み、そうして想定の半分まで書いたところでマグカップの中身がなくなってしまった。

 このまま書くか、コーヒーをいれなおすか。少し前に、この静かな部屋に小さな足音が加わったことにススーロは気づかなかった。だから、

「ススーロお姉さん」

「わっ! え、スズラン?」

 後ろに仲の良いオペレーターがいることに気がつかなかった。そうか、部屋に鍵をかけていなかったんだ。日記を書くことにも集中しすぎていた。

「お仕事ですか? それなら、コーヒーもってきましょうか?」

「あー、うん、おかわりをおねがい。スズランも飲みたいものがあったら好きにとっていいから」

 白いワンピース姿のスズランにマグカップを渡し、彼女が小さなキッチンへと向かうのを見送る。個人用の冷蔵庫にはスズランの好きなジュースも置いてあったはずだ。

 大きな九本の尻尾で分かりにくかったが、たしかに、いまのスズランの体は大きくなっていた。幼い子供の体はどこにもない。もう大人の体になっていた。

 こうなったのはすべて今日の作戦のせいだ。そのことを記すために、ススーロは再び日記に向き直った。

 

 

 

 

 

 

 今日が作戦の実行日であることは以前から通知されていた。そのためにスケジュールは調整されていたし、ブリーフィングにも参加した。

 

 数日前、ロドス・アイランドはある移動都市からの依頼を受けていた。依頼内容は奇妙なうわさを調査、可能であれば解決して欲しいというもの。

 うわさの中身は「自身や他者の体を縮めたり大きくしたりする奇妙なアーツを使う感染者がいる」「その不審者は奇妙なアーツを人にかけて混乱を起こしているらしい」というものだった。

 依頼主としてはうわさが本当かどうかを確かめられればそれでいいし、例の奇妙なアーツを使う不審者を追い出せればもっと良いという。該当地区の住人の不安を取り除ければいいのだろう、とブリーフィングを受けたススーロは考えた。

 また、危険度が低い任務であるとドクターは見積もって、経験の浅いオペレーターの起用を考えていたという。経験を積ませるいい機会だと見たのだろう、だからスズランと自分も選ばれたのだ。ススーロはそう思い、納得した。

 確かにスズランの戦闘経験は少ない。優れたアーツの素質を持っているが、これを頼ってどこかの最前線に立たせても思ったような成果は見込めないだろうし、酷な話で、とても危険だ。

 スズランには少しずつ経験を積ませることが大切だ。それに彼女と親しい人物が隣にいれば少しは安心できるかもしれない。さらに行動予備隊A1の面々がいればもっと落ち着けるはずだ。

 

 

 

 こうして、不審なうわさと不審者の調査・追放のために行動予備隊A1があてがわれ、それに随伴する形でススーロとスズランも参加することになった。予想される敵の情報は少ないが、作戦地域は平和な方で、だから危険度が低いと見積もったのだろう。

 作戦地域となる集落はやや大きいが背の高い建物は目立っていない。標高の低い山や深い森に囲まれていて、気候は温暖。からっと晴れていて気持ちのいい天気だ。

 ここは暮らしやすい場所だし、いつかすべてを解決したらこういう場所で暮らすのもいいかもしれない――車を降りたススーロはすこし空想にふけっていた。

 

 集落のそこかしこに畑がある。なにをつくっているのかは分からなかったが畑の面積はとても大きく見えた。この移動都市にとって重要な農業地帯なのかもしれない。そんなことを考えながら、ススーロはスズランの後ろ姿を見ていた。

 自分よりも少し背が低い、まだ幼い少女だ。九つの尻尾がふわふわとゆれているのもかわいらしいし、彼女の笑顔は多くの人を虜にする魅力がある。いや、魔力なのかもしれない。ロドスの職員もスズランにデレデレしてしまう人が多い。困るほどに。

 

 だからか、聞き込みを受けた現地住民の態度は想定よりも柔らかいものだった。ブリーフィングで聞いていた「感染者への差別意識が薄い土地」という情報も正しかったのだろう。最初は緊張していたスズランも少しずつ笑顔を見せるようになっていた。

 集落での調査は三手にわかれて行うことになっていた。ススーロとスズラン、フェンとビーグルとクルース、ラヴァとハイビスカス。この三組で効率的に聞き込み調査を行い、合流地点の公園で情報を共有する手はずになっていた。

 

 合流の時間を考えると次の聞き込みが最後になりそうだ。

 少し前に話をした若い男のことを思い出す。彼の態度は横柄なように見えたが、毅然とした態度をとれば普通に接してくれるようになった。

 おそらく自分だけならそうはならなかったかもしれない。背の小ささ、印象の幼さで態度を決める人はこれまでたくさん出会ってきた。彼が態度を改めたのは隣にいる小さな友人のおかげかもしれない。ススーロは民家のドアの前に立ち、深呼吸してからノックする。

「はいはいどなた?」

 ドアが開く。一歩下がったススーロが見たのは年老いた女性だった。昼食の用意をしていたのだろう、地味な色合いのエプロン姿で手にはミトンをつけている。

「あら、かわいいヴァルポの姉妹さんね。旅の方?」

「いいえ。私たちは――」

 ススーロは自分たちがここに来た目的を話した。奇妙なアーツを使い地域住民を不安がらせる不審者がいること。自分たちはロドスという企業から派遣されたオペレーターでその不審者の調査をしていること。そして自分たちは姉妹ではないということ。

「あらあらまあ、ごくろうさま。でも姉妹じゃないのは不思議ね。こんなに雰囲気が似ているのに?」

 後ろを振り返る。かわいらしいという言葉が人の形をとったような、そんなスズランが嬉しそうに照れながらこちらを見ていて、やはり似ていないような気がした。

「そうだったら良いと思うことはあるのですが。それで、件の不審者のことですが、なにかご存知ですか」

「アーツを使う不審者…そういえば近所の子が声をかけられたとか、又聞きだけど、そんな話があったらしいわね」

「知っていることを詳しく教えていただけますか」

「その子は何日か体を大きくしてみないかって問いかけられたらしいの。大人の姿になってみないかって。怖くなって逃げてきたのですって。知っているのはそれだけよ。これ以上のことは分からないわ」

 ごめんなさいね。申し訳なさそうに微笑む老婆にススーロはいえいえとこたえ、スズランもありがとうございますと頭を下げる。

「そうだ。代わりといってはなんだけど、すこし待っていて」

 老婆はキッチンからなにかを取り出してススーロとスズランに配る。出来上がったばかりらしいパンだ。

「ほら、みんなでお食べになって。なんにも悪いものははいってないし、味には自信があるのよ!」

 陽気に老婆は持っていたパンを目の前で食べてみせる。毒見のつもりなのかな、とススーロは思い、しばし間をあけてから自分でもひとつ取って口に運ぶ。思っていたよりも美味しい。ふわふわのパンだ。

 ありがとうございます。ススーロとスズランは感謝の意を述べ、老婆の家を去る。もうそろそろ集合時間だ。集合地点の公園に向かわなければ。

「いい人でしたね、さっきのおばあさん」

「そうだね」

「私たちが姉妹みたいだって言っていましたよ!」

「そう、だね」

 えへへとスズランは嬉しそうにしている。任務中だよと声をかけようとして、やめることにした。それを良しと思っているのなら水を差す真似をしなくてもいいはずだ。

 

 

 

 集落での調査で三手に別れ、予定していた合流地点の公園で情報を共有した頃には、太陽は頂点を過ぎて折り返そうとしていた。作戦の終了予定時間まで、まだ余裕がある。

「――ということは、ここの地域が怪しそうだね。不審者の目撃情報はここが多いみたいだから、きっとうわさに関係した誰かがいるはずだよ」

 小さなテーブルに広げた地図の一点にフェンは指をおいてあたりを見回した。指が置かれているのは集落の北側、川と山が近い地点で、森と呼ばれる場所でもある。近くに建物は少ない。

 もしも不審者の拠点が密かにあるのだとすればこういう場所にあるのだろう。ススーロは他にそうした人気の少なそうな地点がないことを確かめ、頷いた。

「ところで、ハイビスと一緒に話を聞いていたら面白いことが聞けたよ」

「ラヴァ、詳しく聞かせてくれる?」

「ああ……小さな女の子が例の不審者と接触したって話をしてくれたんだ。そいつは『何日かだけ君の将来の姿になりたくないか』って尋ねてきたらしい。怖くなって逃げたっていうんだが、出くわした場所がそこなんだよ」

 目線をフェンの指先に向けながらラヴァは言った。きっとそのあたりにいるんだね~とクルースも頷く。

 ふとススーロは隣のスズランが気になって横を向く。不安そうに緊張したスズランが地図に目を落としていて、そんな彼女の小さな手をススーロは上から握り、大丈夫だよと声をかけた。

「ススーロお姉さん」

「うん」

「あの、私たちが追ってる不審者さん、想像していたより悪い人のように思えなくて…話し合いで解決できないかなって思うんです」

「そうだね。でも、あやしいアーツを使う人が近くに潜んでいるらしいよって、とても不安に思う人はいるんじゃないかな。だからこの移動都市の人はロドスに依頼してきたし、私たちはここにいる。スズランの気持ちはわかるけど、考えているようにはいかないかもしれない」

 すこし間があってスズランがゆっくり頷いた。暴力に頼った解決はしたくないのはススーロも同じだ。だがそれしか手段がないようなら選ばざるを得ないだろう。

 

 

 

 公園での休憩と装備品の確認を終えたあと、一行は不審者が潜伏していると思われる場所の調査に向かった。

 集落からはそう離れていない場所だが、確かに人気は少ない。ここなら潜伏していたとしてもおかしくはない。

 

 しばらく捜索を続けているとビーグルがあやしい洞窟があるとチームに報告した。意識しなければ目につかないような場所にひっそりと口をあけた洞窟。不審者がそこにいるのだとしたら雰囲気は似合っていた。

「あっ」

「どうした姉ちゃ、いや、ハイビス」

「なんか変な香りがするなと思って。お香かな」

 首を傾げるハイビスカス。その隣ではクルースが洞窟の入口に指をむけていた。

「そことそこ、なんか足跡に見えない?」

「足跡? 本当だ、確かに靴の跡みたい!」

 重々しい盾を構えながらビーグルが地面に残された痕跡を確かめていく。A1の面々が慎重に捜索をするなか、一歩下がった場所でススーロはスズランの隣で警戒を強めていた。

「この先になにかがあるのは間違いなさそうだね。みんな、二列縦隊で先に進もう。ススーロさんとスズランちゃんは一番後ろにいてください」

 フェンの指示でてきぱきと列を整える七人。アーツロッドをいつでも使えるようにしてススーロは最後尾からついていく。

 前にはハイビスカスとスズランがいるが、やはりスズランは緊張しているのかいつもより背が小さく見えた。

 

 

 

 洞窟を歩き始めてからしばらく。冷たい風に目を細めながら、ススーロは目印になるように、光る小石を落としつつ最後尾を歩いていく。

「やっぱり誰かいたんだ」

 先頭を歩くフェンが知らせるように口を開いた。

 洞窟の中では人が生活しているらしい痕跡がいくつか見つかっていた。焚き火の跡、寝袋。食器らしき器。お香のような匂いも強くなってきた。

 洞窟をさらにくり抜いたのかいくつかの部屋に分岐する広い空間にたどり着いた七人は、暗い場所をなにかが動いたのを認めた。

「誰だ!」

 槍を構えてフェンが叫ぶ。返事のかわりになにかが飛んできて、そろって後ろに下がる。投げられたのはビンで、地面に当たって激しく割れた。

 中から赤い煙が急速に広がっていく。煙幕だ! ススーロはスズランの手をひいてもっと後ろに下がって、しかし煙にのまれてしまう。あのお香の匂いがもっと強くなった。

 煙自体はすぐに消えて視界も元にもどっていく。だが煙幕のなかにいた行動予備隊A1の面々は体を丸めて動けなくなっていた。

 毒のある煙幕だったのか? ケープの白衣で口元を抑えていたススーロはA1たちに目を凝らし、アーツユニットを強く握る。

「体が…成長した?」

 彼女たちの身長が伸びていた。変化があったのは身長だけではなく、体つきもそうだった。誰もがより女性らしさのある体になっていたように見えた。

 急激なスタイルの変化のせいで服や装備がきつくなって動けないのだろう。もしかしたら破けてしまったかもしれない。

 煙を吸って異常成長をした? あたりをつけたススーロは、そこで視界の端でなにかが自分の方に動いたのを見た。ガスマスクをした人物だった。

「じゃあなお前ら! デカい服なら奥に用意してあるからなッおわァァッ!」

 後ろに下がっていたススーロとスズランの二人に出くわし、ガスマスクの人物は驚きの声を上げた。黒い革の分厚い服装やくぐもった声のせいで性別はわからない。だが背丈はそこまで大きくない。

 まちがいない。ガスマスクの人物が「不審者」なのだ。それはススーロを押しのけ、洞窟から出ていこうと駆け出していく。

「わっ!」

「大丈夫ですか!」

「平気だよ! それより追いかけないと! アーツの準備を!」

 すぐに立ち上がってスズランの後ろから駆け出すススーロ。走りながらもスズランのアーツロッドに光が集まっていくのを認め、A1の面々に聞こえるくらいの大声を出す。

「私たちは不審者を追跡します! 追跡ルートはマークするから、後で追ってきて!」

 

 

 

 ススーロは懐から光る小石の袋を取り出し、中身を使いつつ走り続ける。洞窟を出たあたりからこれをまいて目印にしているから、動けるようになったA1のメンバーはこれを辿って追いつけるだろう。

「スズラン! 足止めを!」

 返事のかわりにスズランが走りながらアーツロッドを振る。すると遠くを走っていた不審者の動きが不自然に遅くなり、また速度が戻って逃げようとする。

 走ることは得意ではないが、スズランのアーツのおかげで追いつけそうだ。断続的に速度が落ちる目標めがけて、ススーロは息を荒くして走り続ける。

 

 集落に続く橋を走り渡る不審者、その後をススーロ、スズランが追いかける。スズランの足止めがうまく機能して、ススーロも不審者との距離をぐっと縮めていた。

 あとすこしで不審者に追いつける。飛びついて動きを止めれば、現地住人の助けを借りて確保できるかもしれない。

 集落の方へ逃げる不審者は、人や建物を使えば小さな追跡者をまけると思っているのだろう。そう簡単に逃がすものか。

「*スラング*!! なんで逃してくれねえんだ!!」

 あなたが不審者だからでしょ! 声が出せるなら叫んでいた。だが叫ぶどころではない。心臓がばくばくして息も荒くなって足も痛い。でも追いつかないと。後ろでスズランがもっと疲れながら走って足止めをしてくれているのだから!

 

 あの簡素なつくりの門は集落の玄関口だ。不審者はそこをくぐって、しかしスズランの減速を受けてつまずき、とうとう転んで動きを止める。

 いましかない! そこそこ離れているが、ススーロは体力の限界を感じつつ、力を込めて地面を蹴って不審者との距離を詰め、

「うっ」

 けれども確かに後ろからの声を聞いた。スズランだ。走り続けて苦しいような声ではなかった。

 勢いの乗った体で不審者を取り押さえようとしたが、すんでのところで転がられて避けられてしまう。疲労で体が言うことがきかず、立ち上がれないままススーロは振り返っていた。門の向こう側でスズランが倒れている。

「じゃあな! その子のこと頼んだぜ!」

 不審者はすぐに立ち上がって駆け出していた。荒く息をするススーロに、不審者を追いかける体力は残されていなかった。

 もっと走り込みのトレーニングを受けるべきだった、オペレーターとしてのトレーニングを、座学だけでなく実技を、どこまでも沸き立つ後悔を横に置く必要があった。スズランが倒れたまま立ち上がらない。

「スズラン?」

 この子になにかあったら。全身にのしかかる疲労や後悔は吹き飛んでいた。

 よろよろとススーロはアーツユニットを杖がわりにして門の外へと歩き、スズランのそばにつくと膝をつく。

 

 スズランは体を丸めていた。苦しそうな声がもれ、体が震えている。仰向けにしようとしてススーロは驚きに目を丸くした。

 ドレスの大部分が破れ、服として機能していない。巻いている腰のベルトもぎゅうぎゅうにきつくしめられてしまっている。原因は明白だった。スズランの幼い少女の体は、いまや豊満な大人の女性の体になっている。急成長した体が服を破いてしまったのだ。

「スス、おねえ、ちゃ……」

「大丈夫だよ! 少しだけ我慢してて、すぐに楽になるから」

 まずは腰のベルトだ。しめつけのせいで骨に異常がおきていないことを祈りながらススーロはベルトを緩めていく。

 装備品を備えていたベルトが外れ、これを傍らに置いてからスズランの様子を見る。彼女のドレスは破れているが背中を覆うケープは無事だ。これのベルトも緩めなければならない。

 体のしめつけが解消されたからか、スズランは落ち着きを取り戻したようだった。

「わたし、どうなって?」

「体が成長して大人の体になっているの。服が破けているけど、大丈夫だよ。私の目を見て。落ち着いて、深呼吸して」

 走り続けた疲労や、突然の成長。それに伴う痛みで状況が飲み込めなかっただろう。大人の姿になったスズランは仰向けのまま、ススーロと目線を合わせてすうはあと大きく深呼吸をする。

 呼吸にあわせて大きな胸が上下する。きっと五年後にはそうなっていてもおかしくない姿は、洞窟を出て五分と経たずに成ってしまっている。

 痛みは引いてきたのか、スズランの表情が少し和らいだ。だが彼女が視線を落とせばほぼあらわになった自分の体が見え、すぐに顔が赤くなった。おまけにここは外だ。私的な空間は確保されていない。

「え、服が破けて、え!?」

「落ち着いて。大丈夫、これを使って」

 ススーロは急いで白衣のケープを脱ぎ、スズランの体を隠すように結ぶ。

 結んでいる途中で手が止まりそうになった。A1の面々やスズランが急成長したのは、お香の匂いがしたあの煙を吸い込んだからではないだろうか。自分だって微量とはいえ吸い込んでしまっていた。遅れて効果が出て、次は自分が裸同然になるのかもしれない。

 考えて、しかしススーロは手を止めなかった。目の前にいる小さな友人を助けられるなら、自分が恥をかこうがそれでいい。

「ありがとう、ございます……私のせいで逃げられちゃいました」

「スズランのせいじゃないよ。もっと普段から訓練に参加していれば、私が息切れすることもなかったんだから」

 そこまで話してススーロは顔を上げた。集落の方角がざわざわしている。振り返れば集落の人々がこちらを見ているのがわかった。近づくべきかどうか迷っているのだろう。

「みなさん! すみません、距離をとっていただけませんか!」

「わかったわ! その子になにかしてあげられることはないかしら!?」

 集団の中から一歩進み出て協力を申し出たのは、ススーロたちが最後に聞き込みをした、あのパンをくれた老婆だった。あの人にならなにか頼めるかもしれない。すぐにススーロは大きく口を開いた。

「なら、大きな布かなにかを貸してください! 大人をひとり包み込めるようなものを、貸してください!」

 

 

 

 

 

 

 その後ロドスに連絡を取り、回収地点で迎えの車両に乗り込んだ。気分は晴れやかではない。見回せばススーロ以外の面々も似た気分であったようだ。

 任務には一部成功したが失敗したようなものだった。うわさにまつわる不審者の調査と追放。前者は達成できたが後者はできていない。逃してしまい、追跡もできていない。

 集落の人が服を譲ってくれていて、スズランはそれを着て車内で揺られている。異常成長させるアーツのせいか体力を消耗していて、ススーロによりかかる形で眠ってしまっていた。

 行動予備隊A1のメンバーも大人の女性の体になっていた。やはり服が破けたりしていたというが、代わりに大きなサイズの黒いワンピースを着ていた。

 不審者が言っていたとおり洞窟の奥に服がいくつも保管されていて、それを着て洞窟を脱出したという。そんな彼女たち――もう立派な大人の女性に見える――の表情には疲れがみてとれた。

 

 

 

 車両がロドス本艦に到着し、着替えをすませたあとで、ススーロは作戦メンバーとともに検査を受けることになった。帰りの車の中で報告書は用意していたし、ドクターに提出もされることになっていた。

 対象の体を急成長させるアーツ。命に危険があるものではなさそうだが、やはり未知のアーツであることに変わりはない。普段より項目の多い検査をしたい理由は分かるし、受けなければならない。

 検査が終わったのは夕食の時間だった。こんな時間になってもススーロの体に変化は起きていない。彼女だけが大人のような姿になっていないのだ。

 不安をおぼえつつ、検査着からいつもの服に着替えたススーロは、まだ検査が終わっていないスズランを待ってベンチに座る。隣で足音がして横を見れば、そこにはロドスのジャケットと、金属のマスクとフードで顔を隠した人物がいた。ロドスの指揮官、ドクターだ。

「ススーロ、今日はおつかれさま」

「ドクター。ごめんなさい。作戦、失敗して――」

「気にすることはない。あれはうまくいかなくても問題ない依頼だったんだ。それに目標の一部は達成できていたんだ。全部失敗したわけじゃない」

「――ありがとう」

「ああ。それと、もう食堂は空いているけど、スズランを待っているのかい」

 軽く頷くススーロ。それなら、とドクターは手をうった。

「スズランにも教えておいてほしいんだ。今回の作戦に参加したメンバーに、少なくとも三日間の休暇を出すことになった」

「え?」

「体を急成長させるという未知のアーツを君たちは受けてしまった。だから様子を見る必要がある」

 君なら分かるだろ、ススーロ。マスクのせいでドクターの表情はよくわからないが、なんとなくそう言われたような気がして、ススーロはゆっくり頷いた。

「普段どおりすごして構わないが、激しい運動は控えるように。これも伝えておいてくれ。ところで、君は例のアーツを受けたのか?」

「たぶんそう…お香の匂いがついた煙を、少しだけ吸ってしまったから」

「ふむ。話を聞く限り、例のアーツはその煙を媒介にした代物なのだろう。吸った量が微量であればアーツの効果は発揮されないのかもしれないな。とにかく、君が無事で良かった。おやすみ、ススーロ」

 ありがとう。立ち去っていくドクターの背にススーロは声をかけた。おやすみドクター、またあした。

 

 

 

 その後、ススーロとスズランは二人で食堂に行き、夕食をすませた。ロドス職員たちの視線を受けながら。無理もないとススーロは思う。

 背の高さの順番がひっくり返っただけではない。身体つきだってそうだ。二人を並べて写真を撮って姉妹だと紹介すれば、誰もがスズランを見て彼女が姉だと言うはずだ。

 スズランはじろじろと見られるのが嫌な様子だった。だからススーロはそうした目線を向ける人々に強い目線を投げ返してやった。すると申し訳無さそうに彼らの視線はそれていく。

 

 三日間の休暇。急に休日があってもどう使えばいいかうまく考えつかない。ルーチンとして参考になりそうな医学書なんかを読むことは習慣づいているが、他にもなにかやりたい気がする。

 そして――そして、おそらく、例のアーツの効果は出たのだろう。自室に戻って赤いパジャマに着替えた時、少しだけ腰回りが窮屈になった感じがした。

 姿見鏡の前で確認してみたが、大きな変化はあらわれていない。背が伸びたり胸が大きくなったり、そうしたわかりやすい変化はなかった。

 もしもあのアーツが体を急成長させるものだとしたら。成長期を省略してその人物の将来の姿にするものだとしたら。きっと、これが自分の成長した姿なのだろう。姿見に映った自分の顔は、どこか困ったように笑っていた。

 

 日記をつけるのはある種の習慣になっている。備忘録代わりにもなるし、あの時どう考えていたかの振り返りもできる。ススーロはそうして日記をつけて、後ろにスズランが来ていたことも気づかなかった。

「ススーロお姉さん」

「わっ! え、スズラン?」

「お仕事ですか? それなら、コーヒーもってきましょうか?」

「あー、うん、おかわりをおねがい。スズランも飲みたいものがあったら好きにとっていいから」

 白いワンピース姿のスズランにマグカップを渡し、彼女が小さなキッチンへと向かうのを見送る。個人用の冷蔵庫にはスズランの好きなジュースも置いてあったはずだ。

 日記はもう半分くらいまで書けていた。スズランが戻ってきたら少し休憩を挟んで、それから最後まで書けばいい。ペンを机においたススーロは手を組んで上に伸ばし、ストレッチをした。

「はい。コーヒーのおかわりです」

「ありがとう」

 マグカップを受け取って机に置く。スズランも部屋にあるテーブルにコップを置いて、クッションの上にちょこんと座っていた。果汁百パーセントのリンゴジュース。共通の好物のひとつだ。

 インスタントコーヒーの粉の量も、砂糖の量も、自分の好みを覚えてくれている。それが嬉しくなって自然と笑みがこぼれてしまう。

「やっと笑ってくれた!」

「え?」

「ずっと調子が悪そうな顔をしていましたから。ススーロお姉さん、やっぱり具合が悪いんですか?」

 あの不審者が仕掛けたアーツのことで心配をかけてしまっているのだろう。首を横に振ってススーロはスズランの不安そうな顔を見る。

「全然、問題ないよ。あいつのアーツだって気分が悪くなったわけじゃないし、体を悪くしたとかでもないんだ。心配かけちゃったね」

「無事なら良かったです。それと、ありがとうございました。ススーロお姉さんのおかげで裸になっちゃっても、どうにかなりました」

 大人の姿でスズランは笑みを浮かべていた。この子を守れて本当に良かった。つられてススーロも笑顔になる。

「でもススーロお姉さん」

「うん」

「私たちはみんなあの煙を吸ってしまった。だからススーロお姉さんも体が大きくなって、私やA1のみなさんみたいに服が破けちゃうかもしれなかったんです。ススーロお姉さんも、きっと気づいていたと思うんです」

「そうだね…もしかしたら、とは考えてた」

「なのにどうしてケープを貸してくれたんですか?」

「親しい友人が恥ずかしい目にあうの、嫌だから。スズランが助かるなら、それでいいと思ったから、だよ」

「……ススーロお姉さんって、とても、とっても、強いんですね。ありがとう、ございました!」

 スズランの目が潤んだが、涙は流れない。きっとこらえているんだ。ススーロはやわらかくハグして、しばらくそうすることにした。

 

 

 

 それから他愛のない話が続いていた。二人はクッションの上に座り、お互いの飲み物もなくなったところで、スズランがススーロを見てなにかに気づいたように口を開いた。

「ススーロお姉さん。例のアーツは効果が出たんですか?」

「え?」

「お話していてなんだか元気がないように見えたから…体に変化がなくても悪い効果があったりするかもしれませんし」

 思わずススーロは目線を外してしまった。スズランに心を読まれたような錯覚をおぼえて、書いていた日記を横目で見る。

 大抵の悩み事やもやもやはアレに書けばスッキリする。幼い友人に聞かせるような話でもない。だが、ごまかしてしまうのはスズランに対して誠実でないような気もする。

「ちょっとだけ待ってくれる?」

 はい! 笑顔で返してくれるスズランの顔を見る。

 すっかり成長した彼女の顔は安心させてくれるような魅力がある。だが、変わったのは見た目だけだ。スズランの心までもがさらに成熟したわけではない。言葉を選ぶ必要があった。

「……えっとね。たぶん私にも例のアーツの効果はあらわれたと思うんだ」

「そうなんですか?」

「ちょっとだけお尻が大きくなった。他はあまり変わらないんだけどね。それで元気がないように見えたんだと思う。背が大きくなったらいいなとか、思っていなかったわけではないから」

「よかったら聞かせてくれませんか? お話したら気持ちが楽になるかも」

「うん。そうだね…私は見た目のせいで軽く見られることがそれなりにあったの。仕事ぶりを見てそんな印象を拭ってくれる人もいるけど、そうじゃない人だっている」

 こうした話は初めて聞いたのだろう。スズランの表情に戸惑いが見て取れた。あまり過激なことは聞かせるべきではない。マグカップに口をつけ、次になにを続けるかをススーロは考えた。

「だから、そうだね、やっぱり身長や体型のことであれこれ言われることがあった。いまはもう大して気にしていないけど、嫌なことが積もっていくことが悩みだったんだ」

「そうだったんですか…」

「私はまだ成人していないし、まだ成長期にあるから、時間がたてばきっと成長するって思っていた。でも、そうはならないって、分かってしまった。だから元気がないように見えたんじゃないかな」

 明るく言えたはずだ。本当にいまでは大げさに嫌だと思うことではなくなっている。

 でも。僅かにあった将来への期待が潰えたことは、確かに心のダメージになってしまっていた。ついさっき日記に書いたことを思い出して、スズランから目をそらしてしまう。

「ススーロお姉さん」

「だから気にしないでね。それにありがとう。気づかってくれて嬉しいな」

 

 ススーロはわっと声を上げてしまった。大きくなったスズランが自分を抱きしめてきて、その勢いに負けそうになっていた。

「スズラン!?」

「ススーロお姉ちゃんが悩んでいること、全然知らなかった!」

 涙声でスズランが話すのを、大きな胸に顔を包まれながらススーロは耳にした。そうか。親しい人だと思っていたのに、そんな人のことのある部分を知らなかったのが辛かったのかもしれない。

「大丈夫だよ、大丈夫。いまは割り切って考えられていることなんだから」

 スズランの背中に手を回してぽんぽんと軽く叩く。これじゃあ立場が逆じゃないか。

 あれ、でも待って。聞き違いじゃなければ、

「いまお姉ちゃんって言った?」

「あっ」

 気が抜けてしまったのだろうか。スズランは年相応の呼びかけ方をしたことに気づいたらしく、顔が赤くなっているのが見えた。

「ご、ごめんなさい!」

「ううん。ダメなことじゃないし、むしろ嬉しかった」

 言ってススーロは自分が抱きしめる力を強める。

 はたから見れば年上の女性に甘える幼い少女に見えるかもしれない。なんだかそれがおかしくて、思わず笑ってしまった。

「お姉ちゃん?」

「ごめんね、嬉しくなっちゃって。ありがとうスズラン」

「そんな! 私はなにもしてないし、逆に迷惑かけちゃった――」

「迷惑なんて思ってないよ。スズランの気持ちはとても嬉しい。そうだ、お姉ちゃん呼び、また今度やってほしいな」

 恥ずかしそうにはにかんで、それからスズランは大きく頷き返した。

「ありがとう。それじゃ歯をみがいて寝よっか。もう夜も遅いしね、ね?」

 スズランを抱きしめる力をゆるめて、ススーロはスズランの顔を見る。涙で赤くなった顔で元気よく「はい!」とこたえるスズランが、とてもかわいかった。

 

 

 

 

 

 

 翌日。ドクターに呼び出されていたススーロはロドス本艦の廊下を歩いていた。後ろにはスズランがくっついて歩いている。彼女の体はまだ大きく、両手にはインスタントカメラと小さな三脚を携えていた。

「ドクター?」

 執務室のドアをノックして、中から返事がした。はいってきてくれ。ススーロは振り返ってスズランを見る。笑顔でカメラを持ち上げていた。

「失礼します」

「失礼します!」

 えっ、とドクターのとまどった声が聞こえたが、構わず部屋に入る。

「どうしてスズランもいるんだ?」

「ちょっと用事があって。でも後回しで大丈夫。先にドクターの用事をお願い」

「わかった。実は昨日の作戦だが、結論から言えばあの作戦は成功したんだよ」

 なにを言っているんだろう。スズランと顔を見合わせる。彼女も困惑した表情を浮かべていた。

「うまくいかなくても大丈夫なように別の部隊を用意していた。彼らがうまくやってくれたんだよ」

 初耳だった。そんな保険があることを知ってしまえば任務に対する心構えに影響が出てしまうだろうから教えなかったのだろうか。

「彼らはうまく不審者を追跡し、尋問し、依頼人の期待にこたえてくれた。だから昨日の失敗を気にしていたとしたら、その必要はないってことを伝えたかったんだ」

「行動予備隊A1の子たちはもう知っているの?」

「君たちが来る前に呼び出して伝えたよ。ホッとしていたみたいだった。そうだ、彼女たちは、今日はのんびり過ごすのだと教えてくれたよ。大人の体になったから記念撮影をしてまわるのだそうだ。っと、スズランのそれは?」

 はい! 楽しそうにスズランはカメラと三脚を小さく振ってドクターに示してみせた。

 シャッターを切ればその場で写真が出てくる種類のカメラだ。机の上でカメラを三脚に固定したスズランはドクターに笑顔で言う。

「ドクターさん。一緒に写真を撮りませんか?」

「写真? 君たちも記念撮影をするつもりだったのか」

 はい! 楽しそうに答えるスズラン。そんなやりとりをしている間に、ススーロはドクターの隣に回り込んで肩に手をおいた。

「一緒に撮ろうよ。きっといい思い出になると思う。いいよね、ドクター?」

「もちろん。さあ、カメラのセルフタイマーを設定するぞ。これをこうして――」

 できたぞ! ドクターの声を聞いてスズランも彼の隣に立ち、ススーロと同じように肩に手をのせる。

 いつかの未来にこうして写真を撮ることは、もしかすると、誰かが欠けて出来ないかもしれない。絶対にそんなことはない、なんて言いきれない世界だから。

 ススーロも、スズランも、きっとドクターも。とびきりの笑顔でカメラのシャッター音が響くのを聞いた。

 



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