「賭けをしませんか?」
私は賭け事が好きだった。レースに勝つことも好きだったが、それ以上に賭けることに興奮を覚えていた。賭ける相手は誰でも良かった。学園のウマ娘でも、外のウマ娘でも、人間でも。賭ける対象も何でも良かった。お金でも、品物でも。
ただ一つだけ、勝敗のはっきりしない勝負で絶対に賭けないものがあった。
それはトレーナーだった。
アイツは私にとって特別な存在だった。私の才能を伸ばしてくれた奴で、私の性格や趣味を受け入れてくれた人だったし、私のレースを応援してくれた人間だ。アイツがいなかったら、私は今頃どうなっていたんだろうか。
そんなトレーナーを失うことは考えられなかった。
──────
「久々に足を運んでみたけど、あんまり変わってないな」
暫くレースの予定がない私は久々にフリースタイル・レースが行われている会場に足を運んでいた。
暇つぶしに商店街をぶらついていた時、レースの話をしていた学園外のウマ娘とすれ違い、過去のこともあり気になって様子を見に来たのだ。
「相変わらずやかましいというか、熱気があるというか⋯⋯ここにいると耳が遠くなりそうだな」
会場には沢山の人が集まり、皆思い思いに過ごしていた。昔はなかったが、今は出店もあるようで何か食べながら見ている人もいれば、大声で応援している人もいる。そして会場の端で賭けに興じている奴らもいる。そんな光景を見ていると昔のことを思い出して少し感傷的な気分になる。
昔は私もよくここに来てたな。勝っても負けても楽しかった。今はもうこんな所に来ることはないと思っていたんだけどな。
まあ今日はただ覗き見に来ただけだ。
「さて、トレーナーに飯でもたかりに行くか⋯」
「──ナカヤマフェスタさんじゃないですか?」
名前を呼ばれて振り向くとそこには一人のウマ娘がいた。
髪は短く切り揃えられ、目元を隠すような前髪。一見すると地味な印象を受ける。しかしよく見ると容姿は非常に整っていることがわかる。小柄だが健康的で可愛らしい顔立ちだ。
「どっかで会ったか?」
「お久しぶりです。 覚えてないですよね」
そう言って彼女は嬉しそうに笑う。どうやら向こうは私のことを知っているらしい。正直覚えていなかった事は申し訳なく思う。
「何か用か?」
私がそう聞くと彼女は笑顔のまま答える。
「実は私、最近賭けというものにハマり始めてしまって⋯⋯。そんな時に賭け事が好きと周知のウマ娘を見かけたら、話しかけてしまうのは必然だと思いませんか?」
「まぁわからなくは無いな」
「そこでひとつ。ナカヤマフェスタさんは以前ここで走っていたんですよね?」
「⋯? あぁ」
「それならこの後、新顔のウマ娘達のレースが行われます。そのレースの勝敗で賭けを行いませんか?」
「⋯⋯私がそれに乗るメリットはあるのか?」
確かにフリースタイル・レースに興じていたことはある。
だが彼女が私に賭けの話を持ってきたのには何か裏があると感じた。でなければ大衆の中にいる私を見つけ出したりはしないだろう。
彼女の方を見ると相変わらずニコニコとした表情をしていた。その笑顔がどこか胡散臭く感じたが不思議と不快感はない。
「そうですね〜。なら敗者は勝者の言うことを聞くというのはどうですか? ありきたりですけれど」
彼女の提案を聞き考える。
これはあくまでも賭け事だ。リスクを負うのは自分だけではない。それに負ければ言うことを聞いてくれるというのなら、こちらも気兼ねなく要求ができるというものだ。
「いつ始める?」
こうして私と彼女は賭けを行うことになった。
「──コースは1200mの芝です」
「微妙な距離だな」
「こんな街中に大層なレースコースなんて作れませんよ。ご存知でしょう?」
「言われなくても」
「──では、1レース3人を3レース行う予定なので、私たちの勝負も3回戦としましょう」
ルール説明をしながら彼女はコースを囲む観衆の後ろを進む。
その後をついていきながら私は考え事をする。勝負の内容は非常に単純だ。
これから行われるレースで先にゴールした方に賭けていれば勝ち。ただそれだけだ。
そして勝つためにはいかにして走者の情報を集めるかにある。しかしレースはすぐに始まる。
「足りねぇ」
「何がですか?」
「なんでもねぇ」
「はぁ⋯⋯そうですか」
私たちは観客席についた。周囲は人で溢れかえっており騒がしいが私には関係ない。この程度喧騒のうちにも入らない。
「では少し席を外しますね」
突然席を立った彼女に驚く。
「どこに行くんだ」
「お花摘みですよ」
「席はキープしとかないからな」
トイレに向かうという彼女の背を見送る。
なんだかキナ臭さを感じずにはいられない。あの笑顔の下に何を隠しているのか、それがわからない内は警戒を解くことはできない。しかし今の私にはそれを知る術がない。
それまで沈黙を保っていた観客席が、突然大きな歓声に包まれた。レースが始まろうとしている様子だ。観客たちの期待に満ちた表情が、この場の熱気をさらに高めていく。
その中で私は、彼女が去っている間に、短い時間で集められる情報をもとに、賭けるウマ娘を選ぶことに集中する。トモの具合、集中力、アナウンスされている情報からさまざまな要素を考慮しながら選ぶのだ。
一方、彼女はその場を離れていたが、どこかでレースに関する情報を集めているのだろう。彼女がどんな情報を持ってくるか、それが勝負の鍵になる。
レースが始まる直前、彼女は席に戻ってきた。
「お待たせしました。さて、それでは第一戦の賭けの対象を選びましょうか。」
彼女は私に向かってニコニコと微笑んだ。その笑顔はこれからいい事が起こるのを知っているかのような笑顔に見えた。
私は観客席のざわつきを感じながら、彼女との賭けに集中することにした。そして、選んだウマ娘たちに対して、自分の権利を賭ける決意を固める。
第一戦、第二戦と続き、彼女と私の勝敗は一勝一敗。いよいよ最後の試合だ。この勝負に勝てば、彼女が私の言うことを聞く。それがどんなことでも。
「さぁ、最後のレースです。いい勝負になりそうですね。あの追込脚質の子とかどうですか?」
「同じ相手に賭けたら勝負になんねぇだろうが」
彼女がニコニコと笑いながら、緊張感のある空気に包まれた観客席で最後のラウンドが始まろうとしていた。私は彼女の表情を見つめながら、賭けに挑むことを決意する。
そして、その勝負がどんな結末を迎えるのか、それを静かに待ち続けた。
私の不安はさらに増していた。彼女が何か企んでいることは確かだった。そして私は、この安易な勝負に賭けたその軽はずみさを後悔した。
レースがスタートし、私たちの賭けは予想通りの大接戦となった。私が賭けたのは先頭を走り続けるウマ娘だったが、突然よろめき速度を落としてしまう。
「なんだ!? ⋯ツマづいたみたいな⋯…足を取られた?」
「フリースタイル・レースはコースの整備がままならないんですよ?」
横でアイツがニヤついているのがわかる。
そして後方から抜け出した、誰もが3番手と思い込んだウマ娘が先頭でゴールした。私の賭けは外れ、彼女の勝ちだった。
それでも私は、負けたこと自体よりも、この賭け事に加担してしまったことを悔やんでいた。賭けを持ち掛けた彼女の目的が何であれ、私自身が足を踏み入れたことは間違いだった。
みっともないと思われるかもしれないが、トレーナーのヤツに電話をかけながら勝負を有耶無耶にして立ち去ろうとした。
だが、そこで何かが起こった。
背後から聞き慣れた着信音が鳴り響いた。私が電話をかけようとしていたのと同じように、アイツのポケットからだった。
「はーい。もしもし♪」
見覚えのある携帯を左手で持ちニヤつきながらアイツは応答する。
「──は?」
「トレーナーですよー」
それは明らかに私に向けられていた。
「なんでお前が⋯」
嫌な予感が頭をよぎる。まさかとは思うがコイツ⋯⋯。
「なんでお前がトレーナーの携帯を持ってんだ」
「そんなに怖い顔しないでくださいよ」
ニヤニヤと笑う彼女の顔を睨みつけるが動じない。それどころか楽しそうにすら見える。やはり何かがおかしい。違和感が拭えない。
「知ってますか?」
「何がだ」
「このフリースタイル・レース場で世界のウマ娘を相手にリスキーな勝負を挑むウマ娘に憧れた人達がいたってことを」
「何が言いたいんだ」
「そのウマ娘は今では有名な学園の生徒だそうなんです。でも──」
「昔の、私達が憧れた、ただ無謀なハイリスクを求める姿はどこにもないんです」
こいつが指している人物はおそらく──
「私はね、1ファンとして昔に、トレーナーが付いていなかった頃の貴方に戻って欲しいんですよ。〝ナカヤマフェスタ〟さん」
「──じゃあなにか? トレーナーをダシにして言う事聞かせて昔の自分に戻れってか?」
ふざけんな。今更戻ることなどできない。そんな私の心の叫びを無視して彼女は話を続ける。
「その通りですよ⋯⋯だって今の貴方は見ていて面白くない」
「どういうことだよ⋯⋯ッ!」
率直な感想に声を荒らげてしまう。こんな感情になるのはいつぶりだろうか。こいつのせいで冷静さを欠いてしまっている自分がいる。
落ち着け⋯⋯今はこいつの話を聞くしかない⋯⋯っ!
「今の貴方には熱意が足りないんですよ⋯⋯つまらないんです⋯そんな貴方の垢抜けた姿を見ていたら腹が立ってきました」
そう言って彼女は私を睨みつける。
「ファンなら黙って応援でもしてりゃいいだろうが」
「別に応援していないわけじゃないですよ。GⅠのレースにも出ていて素晴らしいじゃないですか」
「じゃあなんで──」
「言ったじゃないですか。昔の方が熱意があったって。今の貴方はそこそこのリスクで勝負を挑むギャンブラーの恥ですよ」
こいつは今なんと言った? 恥だと? つまり、私に喧嘩を売っているということか。
だが冷静になれ、挑発に乗るな。ここはまだ我慢しろ。とにかく落ち着こうぜ。まずは冷静になって状況を整理しようじゃないか。
相手は私のことをよく知っている人物であり、なおかつ過去に関わりのあった相手だとわかっただけで十分だ。
それならあとは簡単だ。コイツが次に何を言いだすか予測を立てればいい。それだけで私は有利になれるはずだ。
大丈夫だ、大丈夫。焦る必要は──ない。冷静になれ。
「まさか意識を落ち着かせようとしてませんか?」
「うるせぇ」
「私に棘を刺されて意識外に行っているのかもしれませんが、コレ…忘れてませんか?」
携帯を指先で摘み、プラプラと見せてくるそれは──携帯?
「そうですよ。貴方の大事な大事なトレーナーさんの携帯ですよ〜」
「──⋯⋯何処だ」
「この場所が見えるところです」
「勿体ぶるな。我慢の限界だ」
「私に手を出したらこの携帯からトレーナーさんの悲鳴が聞こえてきますよ」
「ハッタリだろ」
「ではどうぞ? 私は抵抗しませんよ」
彼女は両手を上げ無防備を晒す。その表情からは嘘は感じ取れない。しかしだからといって信用できるわけもない。が、もし彼女の言葉が本当ならトレーナーの身の安全が脅かされているということになる。
私はどうすればいいのだろうか。
私は思考を巡らせる。どうすれば彼女を追い詰めることができるのかを考えるのだ。しかし考えても答えは出ない。この状況では情報が少なすぎるからだ。それに下手に動けばトレーナーの命に関わることをしでかすかもしれない。それだけは絶対に避けたい。どうするべきだ……。
私は更に思考を加速させるが、いくら考えようとも答えが出ないことに焦燥感を覚えるばかりだった。
「このままやり取りしていても埒が開きませんね」
手を顎に当て何かを考える素振りをしたかと思った後、突飛なことを言い出した。
「5秒あげますので、トレーナーさんの辛い声を聞くか、私達の言うことを聞くか。どちらか選んでください。因みに時間切れだと前者になりますよ」
「なっ!?」
不味いことになった。
選択の余地がない。ハイリスクなんてもんじゃないぞ。これは最早ゲームではない──イカレてる。最悪の展開だ。クソっ! どうしたらいいんだ⋯⋯!! 考えろ、考えろっ⋯⋯! ここで選択を間違えれば待っているのは後悔だ。
「…3⋯2」
まずい⋯もう時間がない⋯⋯こうなったら賭けに出るしか⋯⋯いや待て早まるな⋯⋯っ! もっと情報が必要だ⋯っ! そうだ電話だっ!
「おいちょっと待て! トレーナーと話したいんだが構わないよな?」
「ダメですよ。 だって私との会話がまだ終わってませんから」
「お前と話すことなんてねぇんだよ」
私は吐き捨てるように言いながら彼女を睨むと彼女も睨み返してきた。その目は本気であることを雄弁に語っているようだった。歯噛みしながら考える。
一体どうしたら切り抜けられるのかを必死に考えた。その結果、私は限られた選択肢を選んだ。
「言うことを聞けば返してくれるのか」
「えぇ、まぁ」
「⋯わかった」
「素直なのはいいことですよ」
彼女はその言葉を合図に携帯の画面を見せる。画面を見るとそこには『非通知』の文字があるのみだった。通話ボタンを押し耳に当てると僅かな電子音の後、相手が電話に出た。
その声は聞き覚えのあるものだ。トレーナーの声──私は歓喜に打ち震えた。
だが、それも束の間の出来事であった。スピーカー越しに聞こえたのは悲痛な叫び声。否、すぐさま何かを噛ませられてくぐもった声だった。
「お、おい! 話が違うぞ! 何もしないって言っただろ!!」
「何言ってるんですか? とっくに5秒すぎてるじゃないですか」
「くっそ⋯⋯」
私は怒りのあまり拳を固く握りしめるが何も出来ない自分が情けなかった。
「さぁ、ナカヤマフェスタさん。私達ファンの期待に応えてくださいね?」
楽しそうな笑顔の裏に歪んだ本性を隠し持つ彼女に恐怖を抱きながらも頷くしか無かった。
「そして大事な相棒に会えるといいですね」
含みのある物言いにおぞましい何かを感じ取り背筋が凍りつく感覚を覚えた。
賭けるのは尊厳か、はたまた取り返せないものか。
左手のプレイヤーは賭けられました、さあビッグブラインドの番ですよ。
変な賭けに手ぇ出して死ぬほど後悔してほしい
賭博はほどほどに