「ねえねえ、おかーさん。織姫様と彦星様は七夕の夜に出会えるんだよね?」
「ええ、そうよ」
「でも、お星様はくっついていないよ?」
「近づいているだけ……これじゃあ会えないわ」
星空の下、小さな双子の姉妹が星を指差しながら母親に話しかける。
好奇心旺盛な妹に、年齢以上に落ち着きを払ったように見える姉。
そんな宝物達の愛くるしい質問に微笑みを浮かべながら、母親は姉妹の頭を撫でる。
「そうね、残念だけど一日で渡れるほど天の川は小さくなかったみたい」
「えー! 織姫様かわいそう」
「彦星もね……」
ぶーたれる姉妹の頭から手を放し、母親はゆっくりと立ち上がる。
「でも、安心して。織姫様と彦星様が出会えないなら、他の人が手伝ってあげればいいの。2人ともお手伝いしてくれる?」
「なになに!? どうしたらいいの!」
「……する」
手伝ってあげればいい、そう宣言した母親に続いて立ち上がる姉妹。
その様子に優し気な微笑みを浮かべながら、母親は予め用意しておいた水桶を2人に渡す。
「そう、ありがとうね、2人とも。それじゃあ、まずはこの桶に水を汲んできてくれる?」
「うん!」
「わかった……」
そう言って母親は昔のことを思い出しながら、姉妹に水桶を渡すのだった。
「アドマイヤベガの妹か、母親と姉を考えれば素質はありそうだが、いまいちパッとしないな」
「双子の姉妹でトレセン学園に合格できるのは、凄い才能よ? でもね、上に行くには足りない」
「同じ顔、同じ声、なのに才能だけは姉より劣る……残酷だねぇ、レースの世界は」
彼女の選抜レースを見た他のトレーナー達の声を聞きながら、悔し気に汗を拭う彼女を見つめる。
確かにそうだ。姉のアドマイヤベガのような圧倒的強さは彼女からは感じ取れない。
順位は4着。悪くはないが、これといって目を引く結果でもない。
ましてや、これからの相棒を決める大切な場で我先にと彼女に声をかけに行く、変わり者はいない。
「アルタイルアーヤさん、少しお話する時間を頂けませんか?」
俺以外は。
「……え? あ、あー、あの…私とお姉ちゃんを間違えてないですか? ほら、私とお姉ちゃんって同じ顔だから、よくアドマイヤベガさんですかって間違えられるんですよ」
トレーナーに声をかけられたことが意外だったのか、目を白黒させながらこちらを向くアルタイルアーヤ。しかしながら、俺に向ける瞳には懐疑の色がありありと溢れており、どうせ自分と姉を間違えているんだろうという諦観の念が感じとれた。
「いえ、他の誰でもなくアルタイルアーヤさん、あなたに声をかけたのです」
「あー、それじゃあ、私にお姉ちゃんやお母さんみたいな才能があるって、思っちゃった人ですか? ……ないですよ、私には才能なんて。選抜レースだってこれで3回目なのにまだ勝ててないですし。お姉ちゃんは1回で勝ったのに……圧勝で」
どこかスレた顔で笑いながら、自虐するアルタイルアーヤ、長いのでアーヤと呼ばせてもらう。
その姿からはありありと姉へのコンプレックスがうかがえる。
おそらく、今まで散々姉と比べられてきたのだろう。
その姿に俺は強い責任感を覚える。
俺が責任を取らなければいけないと。
「だから、私にお姉ちゃんみたいな才能を期待しているなら、別の人に――」
「―――あなたを勝たせたい」
期待して裏切られるくらいなら、いや、期待させて裏切るくらいなら。
そんな想いを込めて断ろうとするアーヤに名刺を差し出す。
「アドマイヤベガではなく、アルタイルアーヤが勝つ姿を見たい。そう思ったから、あなたをスカウトしているのです」
これは勝手な義務感だ。
神に願い、俺が彼女に生まれてきて欲しいと、生きていて欲しいと、奇跡を望んだのだ。
そして、その結果として彼女が苦しんでいるのなら、俺がどうにかしなければならない。
「私が勝つ姿を…?」
「今すぐに返事をしていただく必要はありません。ただ、もしその気になったのなら、その名刺に書いてあるトレーナー室に訪ねて来てください。もちろん、話を聞きたいというだけでも結構です。それでは」
醜い偽善かもしれない。
二度目の人生だというのに何とも情けない男だと思う。
だとしても、今の俺にはこうすることしか出来ない。
「私は……」
もっとも、最後は彼女が俺を選んでくれるか次第だが。
『転生特典は何が良い?』
『アドマイヤベガの妹が姉妹揃って無事に生まれてくること』
懐かしい夢を見た。
俺がこの世界に転生する際に、女神に祈った願い。
アドマイヤベガの妹が死産にならずに、生まれてくること。
それさえ、願っておけば後はみんなが幸せになれると思っていた。
だから、俺はそう無責任に願った後は彼女のことなんて忘れて、呑気にトレーナー業に勤しんでいた。せっかく、ウマ娘プリティーダービーの世界に転生したのだから、トレーナーになろうと。そう、単純に考えて。
『勝ったのはベガ! 西の一等星は、東の空にも輝いた!!』
夕日が差し込むトレーナー室で目を覚ます。
どうやら、過去のレース映像を見ている間に寝落ちしてしまっていたらしい。
俺は無意識のうちにアイマスク代わりにしていた、資料を目の上から退け溜息を吐く。
「まだ、決まったわけでもないのに、何をやっているんだ、俺は……」
名刺を渡してから3日程経つが、アーヤはまだ訪ねてこない。
フラれたと思った方が良いのだろう。
だが、どうしても俺の心は諦められずに、彼女の母親のレース映像の研究している。
無駄な努力かもしれない。しかし、仮にアーヤを担当することになるのなら必ず確認しておかなければならないことがあるのだ。
そう気合を入れなおし、再び資料に目を通そうとした時だった。
コンコンとしっかりとしたノック音が俺の耳に届く。
「ッ! はい、すぐに出ます!」
まるで、好きな女の子に声をかけられた思春期の男子のように、上ずった声で返事をする。
果たして、扉の向こう側に居るのは俺の待ち人なのか。
「……どうも」
扉を開けた先に居たのは、恋に焦がれた人物と
が、若干眉間にしわを寄せてムスッとした表情をするのは。
「あなたは……アドマイヤベガさん?」
「ええ……流石に間違えはしないみたいね」
アドマイヤベガ。アーヤの双子の姉である子が腕を組み、仁王立ちでそこに立っていた。
何故ここに? と、思うが黙っていても仕方がないので語りかけてみる。
「えっと、僕に何か御用ですか?」
「あの子をスカウトしたそうね、どうして?」
突如として始まる圧迫面接。
そうとしか言えない、気迫に若干気圧されながらも答えていく。
「あの子と言うと、アーヤさんのことですか?」
「質問に質問で返さないで……それで?」
俺の方が年上だというのに、目の前のアヤベさんにまるで敵う気がしない。
何故、これ程のプレッシャーを彼女がかけてきているかは分からないが、俺もトレーナーの端くれだ。引くわけにいかないと、言葉に勇気を込める。
「アーヤさんを勝たせたい、そう思ったからです」
「……あの子の才能で、どうやって?
やけに辛辣な物言いに少しカチンと来てしまう。
転生者である俺はアヤベさんが心優しい子だと知っているが、こういった物言いで周囲に壁を作ってきた子だというのも今の会話で十分に理解できた。
「あの子にはあの子の道があるわ。別にトレセン学園だってレース以外の選択がないわけじゃない」
「お言葉ですが、僕はアーヤさんは必ず勝てると思っていますよ」
「無責任ね、あの子が誰に勝てるって言うの?」
「―――アドマイヤベガに」
ハッと息を呑む音が聞こえる。
ピクリとアヤベさんの大きな耳が
しかし、目は逸らすことなく俺を捉え続ける。
1秒か、10秒か、それとも1分か。
痛い程の静寂が続いた後に、アヤベさんはフゥと息を吐く。
「……そう、
「? まだ、契約は決まっていませんが?」
「話はそれだけよ、邪魔したわね」
来た時と同様に唐突に去って行くアヤベさん。
その後ろ姿を見ながら、一体何をしに来たのかと考えてみるが答えは出ない。
仕方がないので、扉を閉め再度仕事に取り掛かる。
すると、その10分後。
コンコンコンと控えめなノック音がトレーナー室に響く。
「はい、どちらさまですか?」
今度もまた待ち人ではないだろう。
そう、諦観の念を込めて扉を開くと。
そこに恋焦がれた彼女はいた。
「あ、あの……ふ、不束者ですが、よろしくお願いします!」
「うん。少し落ち着きましょうか、アーヤさん」
何故か、頬を赤らめてやたらとてんぱった状態で。
生まれた時から、ずっと2人で一緒だった。
誕生日プレゼントも、学校も、おやつの量も。
双子だから、いつも一緒で同じ。
別にそれが嫌だと思ったことはないの。
「……契約内容は以上のようになります。何か質問などはありますか?」
「あ、はい、大丈夫です」
「でしたら、ここに署名をお願いします」
双子でいつも一緒だった。
ずっと一緒だと思っていた。
でも、初めてレースに出た日に、それが幻想だと突きつけられた。
「はい、これで署名が必要なものは全部になります」
お姉ちゃんにはお姉ちゃんだけの走りがある。
それを、前を走るお姉ちゃんの背中を見て理解した。
お姉ちゃんはお姉ちゃんだけのものを持っている。
なのに、私には自分だけのものが何もなかった。
走りだって、お姉ちゃんやお母さんの真似をするだけ。
だから、ずっと、これが私だけのものだって言える何かが欲しかった。
「これで、これで……あなたが私だけのトレーナーさんなんですね?」
「ええ、契約完了です。これから2人で一緒に頑張って行きましょう。アーヤさん」
「は、はい! 2人で一緒に……がんばります!」
でも、これからは違う。
目の前に居るのは、私だけのトレーナーさん。
お姉ちゃんとは違う、私だけのもの。
「さて、今日は日も暮れてきましたので、細かい話は明日にしようと思うのですが……少しだけ、確認をしなければならないことがあります」
「えっと、なんですか?」
そんな少し浮かれ気味だった私に、トレーナーさんがある資料を渡してくる。
細かい文字がズラリと並んでおり、内容は良く分からないが、その中でも見慣れた名前はすぐに目に留まった。
「ベガ……お母さんのことですよね」
「はい。それはあなたのお母様の怪我について記したものになります」
「お母さんの…?」
トレーナーさんから資料についての詳しい説明を受ける。
私達のお母さんであるベガ。お母さんはティアラ2冠を達成した凄いウマ娘だ。
でも、桜花賞、オークスと勝った後に、秋華賞の三つ目の冠を取ることは出来なかった。
それは単に実力が足りなかっただけじゃなくて。
「あなたのお母様は、生まれつき左足が内側に曲がっており、それが負担になり度重なる怪我に悩まされていました。また、爪が割れやすかったとも聞いています」
度重なる怪我に悩まされたから。
そして、トレーナーさんが言いたいことはきっと。
「これらの症状は親子で似ることが多いものです。もし、心当たりがあるのならどんな小さなことであっても、必ず伝えてください。それと、可能であればお母様とお話をしたいのですが。お母様も現役時代には脚部の負担を減らすために、特殊な蹄鉄を使用していらっしゃったそうなので、出来れば参考にしたいのです」
私も同じような怪我をする可能性があるということ。
そして、それは当然私だけでなく。
「それと、可能ならば、この話はお姉さんの方にもしていただきたいのですが……」
「……それで、さっきお姉ちゃんと話してたんですか?」
お姉ちゃんも同じ。
「? 見ていたのですか?」
「え? あ! えーと、ここに来る途中でお姉ちゃんと会って」
「ああ、それで」
疑問符を浮かべるトレーナーさんに慌ててごまかす。
本当はここに来る時に、お姉ちゃんがトレーナーさんと話していて慌てて隠れただけ。
おかげで、トレーナーさんの気持ちが聞けたから良かったけど、お姉ちゃんはなんであんなことを言いに来たんだろう。
お姉ちゃんより才能がないことなんて、私が一番わかってるのに。
「アーヤさん? 大丈夫ですか?」
「あ、すみません! ……あの、トレーナーさん。1つ聞いても良いでしょうか?」
「ええ、何でもどうぞ」
ニッコリと私に微笑みかけてくれるトレーナーさん。
この人になら、この人なら、私の気持ちを受け止めてくれるかもしれない。
そう、願いを込めて口を開く。
「私……お姉ちゃんに追いつけますか?」
「……はい、必ず追いつかせます。大丈夫ですよ、私も
ああ、やっぱり。この人は私だけのトレーナーさんだ。
『ねえねえ、お母さん! お姉ちゃん! 大きくなったら私ね! 日本ダービーに出る!!』
嫌な夢を見た。
あの子が夢を語った日。
初めて2人でレースに出た日。
1着でゴールをして満面の笑みで振り返る私。
今まで見たこともない悲し気な顔で泣きじゃくるあの子。
「あれ? アヤベさん、どこかにお出かけですか?」
「少し出かけて来るわ、カレンさん」
「えーっと、今日って確か妹さんの……」
同室のカレンさんに一声かけ、背を向ける。
カレンさんは何か察しているけど、私には関係ない。
「じゃあ、行ってくるから」
「あ! アヤベさんまた髪を整えてないでしょ! カレンが綺麗にセットしてあげますよ」
「必要ないわ。それじゃ」
扉を少し雑に閉め、居ないとは分かっているが廊下を見渡す。
よし、あの子の姿はない。当然。
今日はあの子の
とっくの昔に寮を出ていないといけないのだから。
時計を見る。予定通り、今の時間から行けばレース開始直後に到着するはず。
「見つからないようにしないと……」
別に、あの子の応援に行くわけじゃない。
ただ、レースを観戦しに行くだけ。
身内の姿を見たら、あの子が変に緊張してしまうかもしれないから。
なんて思ってない。
見つかると気まずいなんてことも考えてない。
ただ、偶然あの子と出会わないかもしれないだけ。
「……ついたわね」
頭の中でグルグル考え事を巡らせている間に、いつの間にか体は目的地へとついていた。
一瞬、心がまだ準備が出来ていないと、レース場に踏み込もうとする足に待ったがかかる。
でも、私の耳はレースが始まる直前の、うるさいとも静かとも言えない独特のざわめきを捉える。
「…………」
出来るだけパドックに続く道に近づかないように、そろそろと足を進めて行く。
客席へと続く階段を上り、ターフがギリギリ見える位置で足を止める。
別に、あの子に見つかるのを恐れているわけじゃない。
ただ、他のお客さん。特に年配の方が席に座れないと困るから、席を空けているだけ。
『さあ! まず初めに飛び出したのはアルタイルアーヤだ!!』
『事前のデータでは、差し、追い込みよりの脚質だと載ってましたが、これは大胆な作戦に出ましたねぇ!! さあ、2000メートルの道筋を最後まで先頭で駆け抜けられるか!?』
あの子の名前が聞こえたと同時に、体が勝手に飛び出していた。
そのことに自分でも驚くが、今はどうでもいい。
『レース終盤! アルタイルアーヤがまだ先頭をキープしているぞ! しかし、後続も続々と後を詰めて来る!』
『母親のベガや、双子のアドマイヤベガなら、この距離からバネの様に伸びる強力な末脚があるんですけどねぇ』
今まであの子が逃げで走っているのは見たことがない。
ずっと、差しか追い込みだった。
私やお母さんを真似するように。
『ゴールまで後少し! だが、後続のウマ娘が一気に差し込んで来るぞ!! このまま逃げ切れるか! アルタイルアーヤ!?』
『根性で粘っていますが、これは厳しいか!?』
差される。
自分がいつもする側だから直感で分かる。
このままではあの子は負ける。
そう、あの子が私に負けて泣いたあの日みたいに。
「負けないでッ!! アーヤッ!!」
気づいたら、叫んでいた。
私の声なんて届くわけないのに。
『2人並んでゴール!! アルタイルアーヤ、僅かに体勢有利か!?』
『判定の結果は!? ……アルタイルアーヤ! アルタイルアーヤ!! ハナ差の激戦を制したのはアルタイルアーヤです!! 姉に続き未勝利戦を制してみせました!!』
会場に響くあの子の名前に目を閉じホッと胸を撫で下ろす。
よかった。これで、あの子の泣く姿を見ずにすんだ。
その事実に安堵して、思わず目を閉じたままボーッとしてしまう。
でも。
「あれ? あそこに居るのってアドマイヤベガじゃない?」
「本当だ。妹さんの応援に来たのかな」
「いやー、双子でデビュー戦で勝てるなんてすごいよね。でも、アドマイヤベガの走りの方が私は好きかなぁ」
「分かるー。追い込みってロマンがあるよねー、シービーみたいに後ろから一気にグワーッてさぁ!」
これ以上私が居たら、せっかくの勝利に水を差すことになりかねない。
そう思い、出口に足を向ける。
いつだって、他の人はあの子と私を比べたがるから。
あの子の良い所を何にも知らないくせに。
あの子は困った人を見過ごせない優しい子。
あの子は私なんかよりも明るくて友達が多い。
あの子は私より料理が上手で、きっといいお嫁さんになる。
あの子は私とは比べ物にならない程に、優れている点がいっぱいある。
それなのに周りの人間はあの子と私を比べたがる。
「……来るんじゃなかったわ」
私が居ると、せっかくのあの子の輝きを邪魔してしまうから。
「来るんじゃなかったわ」
お姉ちゃん。
そう、笑顔で声をかけようとした口が開かなくなる。
脚が凍り付いたように動かなくなる。
そのまま動けなくなった私とは反対に、お姉ちゃんはどこか不機嫌そうな顔で歩き去って行く。
そう……だよね。
私のレースなんて、見る価値もない。
お姉ちゃんみたいな本物の輝きを持つ人には、見たって時間の無駄でしかない。
きっと、レース中に聞こえた応援の声も空耳なんだ。
「デビュー戦もさあ、一気に3人も追い抜いてさぁ! マジですごかったよね!!」
「あれは興奮したよね! 私さ、アドマイヤベガならダービーとか取っちゃうんじゃないかって思うんだよね!」
「分かるー、なんというか物が違うっていうか?」
そこに追い打ちとばかりに聞こえてくる会話。
さっき勝った私じゃなくて、お姉ちゃんを褒める会話。
私じゃなくて、お姉ちゃんしか見ていない会話。
頭がグルグルと周り、地面に立っているのがやっとになり、思わず壁にもたれかかる。
そうだ。誰も私のことなんて見ていないんだ。
所詮、私はお姉ちゃんの添え物でしか――
「アーヤさん! 大丈夫ですか!?」
「あ……トレーナーさん」
「気分が悪いのですか? それとも、どこか体に痛むところが?」
心配して私の顔を覗き込んでくるトレーナーさんに、フルフルと首を振る。
何かを話さないといけない。でも、お姉ちゃんの言葉が耳にこびりついて離れない。
そんな、子供みたいな私にトレーナーさんは。
「一度控室に戻りましょうか。ウィニングライブも無理そうなら僕の方から、断りを入れておきます」
「え? でも、ファンの人に迷惑をかけるんじゃ……」
「一番大切なのはアーヤさん自身ですよ。それに、心配しないでも大丈夫ですよ。怒られる役目は大人である僕の役目ですし、何より何があっても僕は
そっと寄り添い、優し気な微笑みを向けてくれるのだった。
私が……一番大切?
本当に? こんな出来損ないの私なのに?
「ねえ、トレーナーさん……」
「はい、どうしましたか」
「肩に寄りかかっても…いい…?」
「ええ、もちろん」
体調が悪いのを免罪符にして、トレーナーさんの肩に寄りかかって歩く。
そんな私をトレーナーさんは嫌な顔一つせずに受け入れてくれる。
傍に居てくれる。隣に居てくれる。
それに何より、
「トレーナーさん」
「はい、なんでしょう?」
「フフ、呼んでみただけ」
「? そうですか」
お姉ちゃんにも入れない、私だけの特別な居場所だって思えたから。
「うーん、その言葉は……本当にアーヤさんのレースについて向けられたものですか?」
「え?」
「例えばですけど……通路でガムを踏んだとか、財布を落としたとか。そんな不幸に対してボヤいたのではないでしょうか?」
アーヤから話を聞き終えた俺はまず、彼女の思い違いではないかと言ってみる。
アヤベさんが妹をどれだけ大切に想っているかを、転生者である俺はよく知っている。
もちろん、アニメやアプリとは関係性が同じとは思わないが、彼女の性格はほぼ同じはずだ。
「そうかな…?」
「ええ、きっとそうですよ。それに日本語は主語が抜けていれば違う意味に聞こえたりします。例えば、『“見に”来るんじゃんかった』『“この服で”来るんじゃなかった』同じ言葉でも前に何が来るかで、大分印象が変わってくるでしょう? お気に入りのふわふわの服が汚れたから、来るんじゃなかったと独り言を言った可能性もあります」
特に独り言であれば、他人に説明する必要がないので主語を抜きやすい。
現に俺も人前で話す時と、内心で呟くときは話し方が大分違う。
そう、補足する俺に対してアーヤは何故か訝しげに見つめて来る。
さて、なにかおかしなことを言っただろうか?
「………お姉ちゃんがふわふわなものが好きって、どうして知ってるの?」
そこ?
一瞬、そんなことを思ってしまうが、すぐに過ちに気づく。
アヤベさんがふわふわ好きなのは、転生者である
だが、トレーナーの
「おや? アーヤさんが話してくれませんでしたか?」
「え? あ、でも、言われてみたら話したことがあるような…?」
「まあ、何はともあれ、お姉さんがアーヤさんのレースを酷評したというのは勘違いだと思いますよ」
取りあえず、何食わぬ顔をして以前聞きましたと言っておく。
アヤベさんであれば、無駄な会話をしないのでこういった情報は出てこないだろうが、アーヤは結構色々と話してくれるので、家族の話題の際に言ったかもしれないと勘違いさせることが出来る。
転生して、今まで知らないはずの知識を知っていることを指摘された場合に、編み出した誤魔化し方だ。少し、罪悪感を抱くが変に並行世界のことなど知らない方が良いだろう。
そう、自己弁護をしつつ、話題を完全に逸らしにかかる。
「さて、お姉さんのことは解決したので、次の目標について相談でもしましょうか」
「う、うん! 分かった! ……そうだよね、お姉ちゃんと仲が良いわけじゃないんだよね」
チラリとアーヤの瞳を見つめてみるが、そこには動揺はもう見られない。
彼女の中でも納得がいったということだろう。
「まずはアーヤさん、あなたの目標ですが……日本ダービーということで間違いないですね?」
「……はい! 昔、お姉ちゃんと一緒に初めて生でレースを見たのが日本ダービーで……それから、そこで走りたいってずっと思ってて……」
「…………」
「日本ダービーは私の夢なんです…!」
黙ってアーヤの話を聞く。
その声には熱が、想いが、何より夢が籠っていた。
だからこそ。
―――
アヤベさんの言葉がより鮮明に思い出される。
「あの、トレーナーさん。私……日本ダービーで走れるかな…?」
「アーヤさん……まず、今日のレースを見て確信したことがあります」
ゆっくりと、姿勢を整えてアーヤの目をしっかりと見つめる。
夢を見せるべきかもしれない。だが、無茶を実現させるには現実を見つめるしかない。
彼女の脚は、アルタイルアーヤの脚は。
「あなたの脚は―――2400mはもちません」
「ハァ…ハァ…ハァ……」
ターフの上に倒れこみ、ボーッと星空を見上げる。
昔はよくお姉ちゃんと、星を見に行った。
でも、今は星を見ることも少なくなった。
俯いて下ばかり見ていることが多いからかもしれない。
「……身の丈にあった目標にするべきなのかな」
私の脚は2400mはもたない。
トレーナーさんが言ったのは簡潔な言葉だった。
「分かってたんだけどなぁ……」
何となく分かっていた。
トレーナーさんの言う通り、私の脚はマイル向き。
短い距離なら、序盤のスタートダッシュの上手さで逃げきれる。
でも、距離が伸びたら差される。
それこそ、お姉ちゃんやお母さんみたいな末脚がすごい人達に。
「諦めないと……ダメかな」
マイル路線に行った方が、活躍できるかもしれない。
でも。
『ねえねえ、お母さん! お姉ちゃん! 大きくなったら私ね! 日本ダービーに出る!! それでね! お姉ちゃんと一緒に走るんだ!!』
『あらあら、そうしたら、お母さんはどっちを応援したらいいか困っちゃうわね』
そう簡単に夢を諦められない。
だって、私の大切な思い出だから。
トレーナーさんもゆっくり考えて欲しいって言ってくれた。
トレーナーさんはこんな出来損ないの私にも優しい。
2人なら、あの人の隣に居るときは私がすごいウマ娘なのかもって思える。
でも、そんな妄想をしてるだけじゃあ、才能の無い私はお姉ちゃんに置いていかれる。
だから、目標は早く決めるべき。そう、頭では分かっているのに……。
―――ガシャーンッ!!
「な、なに!?」
突然、聞こえて来た大きな音に慌てて飛び上がり、辺りを見渡す。
すると、コースの端にあるベンチがひっくり返っているのが見えた。
そして。
「あうぅ~……転んでベンチをひっくり返しちゃいましたぁ…ッ」
どういうわけかベンチの下敷きになっている、鹿毛の子が居た。
「だ、大丈夫!?」
「す、すみません~。練習の邪魔をしちゃいましたよねぇ?」
「えっと、それはいいからとにかく、そこから動ける?」
「は、はいぃ。ベンチを退ければぁ……て、ああ! ベンチが観客席の方まで飛んで行っちゃいましたぁッ!?」
そして、鹿毛の子はそこから抜け出るために、ベンチを押しのけ、勢い余ってベンチを観客席まで吹き飛ばしていた。まるで、ピタゴラスイッチだと思ったけど、黙っておく。
「はうぅ~、すみません! すみません! ちゃんと戻しますー!」
「だ、大丈夫だよ。私も手伝うから」
「す、すみません~」
何故か、私に謝り倒すその子を宥めつつ、一緒にベンチを元の場所に戻す。
幸い、ベンチは頑丈だったらしくどこも壊れていなかった。
「ありがとうございますぅ。えっと、アルタイルアーヤさん」
「アーヤで良いよ。それで、ドトウちゃんは何をしてたの?」
一仕事を終えた汗を拭いつつ、鹿毛の子。
メイショウドトウに何をしていたのか尋ねてみる。
「えっと、そのぉ……夕方のトレーニングの際にカバンを忘れてしまってぇ……お母さんから貰ったカバンだから、無くさないように気をつけてたのにぃ……」
「……それで探しに来てたの? どんな鞄? 私も一緒に探すよ」
「ええっ! そ、そんな申し訳ないですぅ! 私1人で探します!」
驚いたようにグルグルの目を瞬かせるドトウちゃんに私は首を振る。
困っている人を見捨てるのは心が痛む。
だから、これは私のためでもある。
「1人で探すより、2人で探した方が早いでしょ? どこに置いていたか覚えてる?」
「あ、ありがとうございますぅ。えっと、そこのベンチの上に置いていたことまでは覚えているんですけど……」
そう言って、ドトウちゃんは先程吹き飛ばしたベンチを指差す。
なるほど、カバンがベンチの下に落ちていないか確認した拍子に下敷きになっちゃったんだ。
「じゃあ、この周辺から探していこうか」
「は、はい~! よろしくお願いします!」
「大丈夫。2人で探せば、きっとすぐ見つかるよ」
そう言って、気軽に引き受けて1時間後。
「……見つからないね。ねえ、トレーニング後に他にどこかへ持っていったりしてない?」
「えっとぉ、トレーニングの後はそのまま部屋に戻ったんです。それで、部屋には無かったので、あるならここのはずなんです」
ベンチの近くにないので、さっき吹き飛ばした拍子に、他の場所に飛んでいないかまで探しているが、カバンは見つからない。悪戦苦闘している間に空には大きな雲がかかり、いつの間にか星の光さえ、隠してしまっていた。
チラリと時計を見る。
流石に寮に戻らないといけない時間だ。
「ドトウちゃん、一旦戻って明日また探さない? 昼間に探した方が見つかりやすいと思うし」
「……そう、ですね。アーヤさんは帰っていてください。私はもう少し探してみますぅ。私なんかのために、貴重な時間を使ってくださってありがとうございましたぁ」
一緒に寮に戻ろうと提案してみるが、ドトウちゃんは頑なに帰ろうとしない。
「えっと、このまま帰らないと怒られるよ?」
「は、はいぃ。でも、諦めることだけはしたくないんです……大切なカバンだから」
諦めない。
そう、口にするドトウちゃんの目はとても強い光を灯していた。
まるで、空に輝く一等星のように。
「大切だから諦めない……か。分かった、私も残るよ!」
「え? でも、そしたらアーヤさんまで怒られちゃいますぅ」
「うん。その時は一緒に怒られてね?
2人ならどんな怖いものも平気。
昔からそうだった。まあ、最近はお姉ちゃんと2人で居ることは少ないんだけどね。
ううん。でも、今はトレーナーさんと2人だから。きっと、平気。
「じゃあ、こんどはあっちを探してみよっか。ドトウちゃんはそっちをお願い」
「は、はい! 分かりましたぁ!」
そして、気合を入れ直して2人で捜索を再開。
そのまま門限を過ぎるまで残ろう。
と、したんだけど。
「おや? こんな時間まで何か探し物かい? ポニーちゃん達」
「あ、フ、フジ先輩……」
それは寮長であるフジキセキ先輩の登場で中断される。
恐らく、帰って来ない私達を見かねて探しに来たのだろう。
「フ、フジさん! えっと、アーヤさんは私の探し物を手伝ってくれただけで、えっと…その…全部私のせいなんですぅ~! て、はわわッ!?」
いけない、バレた。
そう、思った時にはドトウちゃんは私を庇ってフジ先輩に頭を下げていた。
そして、その勢いでどういう訳か躓いて、フジ先輩の胸の中に突進していた。
「おっと、大丈夫かい?」
「す、すみません~。でも、本当にアーヤさんは手伝ってくれただけなんです!」
「うーん。少し、落ち着こうか? ほら、大きく深呼吸をして? 私の胸の中で」
「は、はいぃ~」
フジ先輩の胸に抱かれながら、大きく深呼吸をするドトウちゃん。
多分、フジ先輩のファンクラブの人ならその場で卒倒すると思う光景だけど、私もドトウちゃんもファンクラブ会員ではないので無事に耐えきる。
「落ち着いたかな? ポニーちゃん」
「はい、すみません~」
「それは良かった。それじゃあ、落ち着いたご褒美にこれをあげよう」
そう言って、フジ先輩はパチンと指を鳴らし、何もないように見える空間からあるものを取り出す。
取り出されたのは大切に扱われていそうなカバン。
もしかして。
「あ、あーッ! そ、それ! 私のカバンですぅ!?」
「落とし物置き場にあったものを、匿名希望のポニーちゃんが私に教えてくれたんだよ」
「え? あ!? そう言えば、落とし物が届けられてないか、聞くのを忘れてましたぁー!?」
ドトウちゃんのカバンはどうやら私達が探すよりも、もっと前に親切な人に届けられていたようだ。思わず、その事実に苦笑いを零してしまう。
「ううぅ~、私のバカバカバカバカ! ちゃんと聞いてたら、アーヤさんに迷惑をかけないですんだのに~」
「えっと、気にしてないよ? とにかくカバンが見つかって、良かったね」
「すみませぇん! すみましぇん!」
ガックリ来たけど、ちゃんと見つかって良かった。
そう伝えても、まだ申し訳なさそうにしているので少し提案をしてみる。
「えっと、それじゃあ、こんど私が困ったことがあったら手伝ってくれたらいいから。それで、お相子様ってことで」
「わ、分かりました! 私に出来ることなら何でもします!!」
フンスと豊かな胸を張って、何でもするというドトウちゃん。
その姿が何だか、とても幼く見えて実家に居る弟のことを思い出して笑ってしまう。
「さて、これにて一件落着かな」
「あ……フジ先輩、それで時間のことなんですけど……」
「時間? まだ、
そう言って、フジ先輩は1時間ほど
「時間はまだあるように見えるけど、うん。早く帰るにこしたことはないかな」
「えっと、ありがとうございます。フジ先輩」
「カバンを届けてくださってありがとうございますぅ」
恐らく、見逃してくれるということだろう。
フジ先輩の優しさに感謝しつつ、私はカバンを無くさないようにギュッと抱きしめるドトウちゃんと一緒に、寮への帰り道を急ぐ。
「そう言えば……」
「どうかしましたか?」
その道中、ふとした疑問が浮かび。
「フジ先輩はどうして、私達があそこに居るって分かったのかな?」
思わず、呟いてしまうのだった。
「これで、良かったかな? 匿名希望のポニーちゃん」
「ええ、感謝するわ」
「でも、本当に君のことを2人に伝えないで良かったのかい?」
「別に……ただ、たまたま通りがかった時にあの子達が、何か探しているのが見えただけだから。それであなたに伝えた。それだけよ」
「ふふふ、そういうことにしておこうか」
『さあ、待ちに待った日本ダービー! 勝利の女神はどの娘に微笑むのか!?』
『今年も全てのウマ娘達の憧れの日がやってきましたねぇ。注目はやはり皐月賞ウマ娘、テイエムオペラオーでしょうか?』
『ええ、皐月賞で見せたあの末脚は、まぐれでも何でもないでしょう。しかし、ナリタトップロードも見逃せませんよぉ』
『はい! 今日も抜群の仕上がりで観客からの期待も最高潮です! しかし、他にも要注目の娘がいます!』
遂にこの日がやってきた。
日本ダービー。史実通りならアドマイヤベガが勝利するレース。
今日、その日に。
『アドマイヤベガ! そして、アルタイルアーヤの双子の姉妹です! 日本ダービー史上双子での出場は初となります!』
『母親譲りの末脚のアドマイヤベガ。それに対し、自らの道を自ら切り開くようなアルタイルアーヤの逃げ足。今回は姉妹対決にも注目です!』
史実では絶対にありえなかったウマ娘が出場する。
アルタイルアーヤ。
俺の
『私…! 日本ダービーを諦めたくない!! だって、私の大切な夢だからッ!!』
脚が持たないと伝えた翌日に、アーヤは俺にそう伝えて来た。
強い意志を持った瞳。それに対して、トレーナーである俺は頷くだけだった。
そして、その日から距離適性を伸ばす日々が始まった。
『さあ、今全てのウマ娘がゲートに揃いました』
『大観衆の期待を受けてのスタートダッシュ。ここが重要ですよ』
併走では本来の適性より長い2400Mを走らせ、距離に慣れさせた。
練習ではスタミナを重点的に鍛えた。
だが、レース本番自体はあくまで上位を狙いやすいマイルを中心に出走させた。
『今! ゲートが開きました!!』
アーヤはゲームで言うのなら、おそらくモブウマ娘のようなステータスなのだろう。
だから、出走したからと言って必ず入着できるわけではない。
そのため、日本ダービーの出走権を得るために、どうしても得意な距離で走らせる必要があったのだ。
ちぐはぐな特訓だ。他のトレーナーにも苦言を呈された。
『さあ、各ウマ娘一斉に飛び出した!』
『長くて短い2400Mの旅路が今始まります!』
俺自身もそのちぐはぐさは分かっている。
だが、それでもアーヤは無茶を通してここまで来てくれたんだ。
だとしたら、俺だってアプリのトレーナーのように距離適性を伸ばせるかもしれない。
いや、きっと出来ているはずだ。そうに決まっている。
『まず抜け出したのはアルタイルアーヤ! このまま先頭をキープできるか!?』
『この距離への出走は初ですが、スタミナが持つのか注目です!』
だって、アーヤは大勢の観衆の声援を受けて、期待を背負って走っているじゃないか。
きっと、きっとッ、きっと! 奇跡は起きるはずなんだ。
『さあ、レースは第3コーナーに差し掛かって来た! テイエムオペラオーが前に進出を狙っている! だが、ナリタトップロードがそれを外から捕まえにかかる!』
『注目のアドマイヤベガはまだ後方で不気味に息を潜めています。対する妹のアルタイルアーヤはまだ先頭で踏ん張っていますが、苦しそうな表情ですねぇ』
アーヤの表情が苦し気に歪む。
それでも、アーヤは足を緩めることなく先頭を走り続ける。
彼女本来の適性の限界はここまでだ。
それでも、彼女は諦めずに走ってくれている。
『遂に最終コーナーにやってきました! 先頭はアルタイルアーヤ! だが、すぐ後ろにテイエムオペラオーとナリタトップロードを筆頭に、先頭勢が続く!! そして、ここでアドマイヤベガが遂に動いた! 外に回り、一気に追い上げを開始するッ!!』
ペース配分は間違えていない。
スタミナも彼女の不断の努力によって手に入れている。
だから――
『ここで先頭が変わったぁッ!! テイエムオペラオーが先頭に躍り出たぞ!! だが、後続のナリタトップロードも引き下がらない! 反対に先頭だったアルタイルアーヤはどんどん抜かれていく! 初めての2400Mに足が持たなかったか!?』
彼女の脚が最後まで持たなかったのは、
『さらに先頭は変わる! 遂に! 遂に! ナリタトップロードが先頭に変わった!! 皐月賞での雪辱をここで晴らすか!?』
『いえ! まだです!! アドマイヤベガが! アドマイヤベガが!! 母ベガを思い出させる末脚で追い込んできます!!』
『凄まじい加速だ!! まるで抜き去った妹の分の想いまで背負っているようだッ!!』
アヤベさんが後方から迫ってくる。
アーヤを
まさに、鬼のような表情で前だけを見て走る。
そして。
『そのまま一気にナリタトップロードを差し切ったぁああッ!!
ベガはベガでもアドマイヤベガ!!
一等星の娘もまた! 一等星だったッ!!』
俺の存在など何の意味もなかったかのように、史実通りにアドマイヤベガが勝利する。
いや、もしかすると俺は……。
『2着はナリタトップロード。そして、注目のアルタイルアーヤは最後尾、18着で今ゴールしました。まさに、姉妹で明暗がハッキリと別れる形になってしまいました』
『いやぁ、この場に立てただけでもすごいことですよ。ですが、惜しむらくは適性の壁があったということでしょうかねぇ』
アーヤを不幸にしてしまっているだけかもしれない。
姉妹の残酷な才能の差を見せつけられ、姉にも俺にも目を向けず俯いている彼女の姿に、そう思わずにはいられなかった。
「俺は…俺は……」
勝手に生まれてきて欲しいと願って。
勝手に勝って欲しいと願って。
自分勝手に想いを押し付けただけの俺は
「……無能だ」
彼女を不幸にしたクズなのかもしれない。
「おや、アヤベさん? 英雄の凱旋だというのに浮かない顔とはいけないね」
「……うるさいわね。どんな表情をしようと私の勝手でしょ」
ウィニングライブが始まるまで後少し。
そんな独特の緊張感が漂う中、オペラオーがいつものように明るい声で話しかけて来る。
あの子が泣いているかもしれないのに、笑顔でなんて……いられるわけないでしょ。
「いーや、そういう訳にはいかないね。今日の君は舞台の主役。言わば、アヤベさんは世界の中心、太陽の如く輝いていないといけないのさ!」
「…………」
いつものように、意味不明なことを喋り出したオペラオーを無視する。
頭の中はどうすれば、あの子の元気が元に戻るかだけで一杯なのだから。
「反対にボクは、今日だけは太陽のように輝いていられない。ああ! これは日食! 古来よりの不吉の象徴がボクを襲う! 何たる悲劇! なんとかしなければ、地上は真っ暗なままだ!」
「そう……」
だから、代わりに私に太陽になって欲しいと言っているんだと思う。
でも、そんなこと私は興味がない。
だから、このまま適当に無視をしておいた方が良い。
そう、思った所で。
「―――ボク達敗者の姿など誰も見はしない」
不意にいつもとは違う真面目な声で向けられる。
「……何が言いたいの?」
「君が、舞台の中心が、太陽が、陰っていれば人々は太陽しか見つめないだろう。どうにかして天の岩戸を押し開けようと、必死になるだけだよ。太陽が当たり前のように輝いていてこそ初めて、人々は太陽以外に目を向けられる。何より、太陽が輝いていなければ脇に居るボク達の姿など見えはしないだろう? どれほど可憐に情熱的に踊ろうとも観衆に見えなければ意味がない」
オペラオーの言葉に私は押し黙ることしか出来ない。
簡単に言えば、敗者のためにも最高のライブをしろということ。
私が負かしてしまったあの子を見てもらうためにも、私は手を抜いてはいけないのだと。
「それとだ。同じ姉として言わせてもらうと……妹の手を引き、守ることだけが姉の役目ではないよ」
「あなたに何が…ッ」
思わずカッとなってオペラオーに食って掛かってしまう。
あの子は
あの子は本当は、本当はッ、本当はッ! 本当は…? なに…?
そもそも、二度と? 私は一体何を言っているの…?
「もちろん、君達の関係性はボクには欠片も理解できはしない」
興奮し、頭の中がグチャグチャになる私に対し、オペラオーの方は少しも動揺せずに、真正面から私を見て言い返してくる。
「だが、少なくともボクは、同じ戦場を共に駆けた
「……ッ! ……そう、分かったわ」
勝てない。
走りでは勝てても、今のオペラオーに言葉では勝てない。
いえ、きっと私も心のどこかで分かってた。
「あの子も……覚悟を決めて出走したのよね」
日本ダービーを夢だと言ったあの子。
適性がないのも分かっていた。それでも、出場した決意。
覚悟がないのは私の方だった。
だから、私もあの子のように覚悟を決めよう。
「……やれるだけやってみるわ」
「ああ、それでいい! ボクも今日だけは君の引き立て役に徹するさ!」
妹の夢を踏みにじり、泣きじゃくる妹をバックダンサーにして歌う覚悟を。
何も変えられないのかもしれない。
いや、そんなことはない。
アーヤがあれだけ頑張っているのだから、変えられないのは俺の努力不足だ。
「………さん」
もう一度、トレーニングメニューの見直しをしよう。
スケジュールも絶対に無理をさせないように組み直そう。
後は――
「トレーナーさん!」
「ど、どうしましたか? アーヤさん?」
「もう! それはこっちのセリフだよ。トレーナーさん、さっきから声をかけて話しかけても反応がないんだもの」
大声で呼びかけられ、自分が思考の沼に嵌まっていたことを気づかされる。
そうだった、今は夏合宿の真っ最中。
貴重な時間を無駄にしてしまうなんて……やっぱり俺は無能だ。
「すみません、昨日面白いテレビがあって夜更かししたせいでしょうか? 少し、寝不足気味で」
「ふーん……」
慌てて、作り笑いで誤魔化そうとするがアーヤには効かない。
下から覗き込むように見つめられて、疑いのまなざしを向けられる。
「トレーナーさん、最近ちゃんとご飯食べてる?」
「そう…見えますか? 夏バテ気味で少し食べる量が落ちているんでしょうか? ほら、この天気ですし」
夏の砂浜にサンサンと照り付ける太陽を指差し、曖昧に微笑む。
最近は休憩もろくに取らずに仕事をしているので、昼食はほとんど取っていない。
だが、そんなことを話せばアーヤに余計な心配をかけさせてしまうだろう。
もっと言えば、優しい彼女は自分のせいでなどと見当違いの罪悪感を抱きかねない。
悪いのは、全部無能な俺なのに。
「………うそつき」
「今、何か言いましたか?」
「ううん、何でもない。それじゃあ、今日も
何かボソリと言われたような気がしたが、アーヤが何でもないと言うので流すことにする。
それよりも、今よりも彼女を早くするためのトレーニングを考えないと。
必ず、彼女をアドマイヤベガに勝たせるために。
「それでは、今日のトレーニングはここで終わりです。今日はよく体を休めておいてください」
「うん、分かった! ……えっと、トレーナーさん」
トレーニングも終わり、綺麗な夕焼けが海の向こう側に沈んでいく景色の中。
アーヤが何かもの言いたげに声をかけて来る。
何かトレーニングで不満なことでもあっただろうか。
「どうかしましたか? 何かトレーニングで不満などがあれば遠慮せずに言ってください。すぐに修正します」
「え? いや、トレーニングに不満とかはないよ。トレーニングじゃなくて、どっちかというと」
どっちかというと、何だろうか。
そう思いつつアーヤの方を見ていると、彼女は良いことを思いついたとばかりに手を叩く。
「あ、そうだ! トレーナーさん、この後はどこかに行ったりしないよね?」
「ええ、特に予定はありませんが?」
「じゃあ、後でトレーナー室に訪ねに行くね。それじゃあ、お腹を空かせて……あ、なんでもない! なんでもない! とにかく、また後で!」
「はい? 分かりました」
一体、何を思いついたのか分からないが、何となく気合が入っているようなので悪いことじゃないだろう。そう思い、駆け足で背を向ける彼女を見送る。
それよりも、今はアーヤのトレーニングメニューの改善を優先しないと。今回のトレーニングで、また新たな改善点が見つかった。やはり、完璧には程遠い。こんなのじゃダメだ。もっと、もっとアーヤの可能性を引き出せるようにしないと……。
日本ダービーの敗戦でマイル路線に絞ることに決めたとはいえ、スタミナの強化を軽視するわけにはいかない。アーヤの持ち味はスタートダッシュの良さだ。そこで稼いだアドバンテージを維持するにはやはりスタミナが居る。
だからと言って、スピードを落としてしまえば持ち味を殺してしまうことになる。そうなってくると、スピードとスタミナを同時に鍛えるのが望ましい。そうなると、泳ぎで肺活量を増やすよりも、砂浜での短距離ダッシュの本数を増やすのが一番だろう。
いや、アンクルなどをつけて負荷を増やすのもありかもしれない。タイヤ引きもいいかもしれないが、瞬発力という点では少し重要性が下がる。筋肉の作り方から考えても、瞬発的に力を引き出せるメニューにするべきだ。
しかし、そうなってくるとどうしても、水泳よりも足に負荷がかかる。今は兆候がないが、アーヤの脚が脆いことに違いはない。いたずらに本数を増やすのではなく、合間にマッサージなどをして様子を見るのがいいか? 筋肉をつけるのは勿論だが、それに柔軟性が伴っていなければ壊れやすいガラスの筋肉になる。
だが、合間合間に休憩を入れると、肉体的精神的な追い込みが出来ないのでスタミナの強化に不安が残るか。やはり、アーヤ自身に自分はこれだけこなしたのだという自信をつけさせることは重要だ。
それならいっその事、膝が浸かる程度の浅瀬でのダッシュでも試してみるか。いや、足場が不安定で少し危険か? だったら、先に泳がせて体力を使わせた後に砂浜ダッシュをして、スタミナ強化を狙うのが一番かもしれない。
とにもかくにも、アーヤの脚の状態が一番の鍵だ。
今日は問題がなかったが、明日もそうだとは限らない。
そう言えば、足の状態と言えば――
「ねえ、あなた……大丈夫?」
「ちょうどよかった。アドマイヤベガさん、足に何か不調はないですか?」
アーヤに伝えてもらったとはいえ、アヤベさんの脚の状態は大丈夫だろうか。
俺には運命を変える力はないのだから、史実通りになりかねない。
気が付くと、アヤベさんが私を上から覗き込むように立っていたので、それを直接聞いてみる。
「………私はあなたの方がよほど心配なのだけど」
「心配…?」
「無意識なのかしら。ほら、あなたの周りを見てみなさい」
若干引いた様子で指摘するアヤベさんに言われ、いつの間にかしゃがみ込んでいた自分の周りを見てみる。すると、今まで頭の中で考えていたと思った内容がメモしてあった。
……砂浜一面に。
「これは……お恥ずかしい。重要なとこだけ紙に写したらすぐに消します」
気づけば夕日は完全に消え、空には星が輝いていた。
アヤベさんが居るのは、星を見に行く際に偶々俺を見つけたのだろう。
「別にいいわよ。砂浜だからほっといてもすぐに消えるわ。それより……あなた顔色が悪いわよ。夕飯は食べた…?」
「まだですが……」
「じゃあ、これでも食べなさい」
そう言って、アヤベさんはサンドイッチを1つ差し出してくる。
恐らくは星を見に行く際の夜食なのだろう。
なので、当然。
「いえ、悪いですよ。あなたのものでしょう、これは」
俺は断る。
だが、アヤベさんはより一層強く、サンドイッチを押し付けて来る。
「……いいから、食べなさい」
「ですが……」
「あなたが倒れたら、
有無を言わさない。
まさに、そう言った圧力を受け俺は渋々サンドイッチを受け取る。
そう言えば、アヤベさんのサンドイッチはアプリのトレーナーにも好評だったな。
そんなことを考えながら、レタスとハムのサンドイッチを頬張ってみる。
「………美味しいですね」
「別に味の感想は要らないわ。それじゃあ――」
―――カシャン。
何となく予想通りの反応をする、アヤベさんに苦笑いを返すと何かが落ちる小さな音がした。
今のは一体?
そう思い振り返ると、そこには。
「アーヤ…?」
「……なんで、お姉ちゃんが
今まで見たこともない表情をしたアーヤが立っていたのだった。
「あうぅ~、トレーナーさんのための料理の邪魔をしてすいません~。こんな私を手伝ってくださってごめんなさい!」
「それを言うならありがとう……じゃないかな?」
合宿所にある厨房で、ドトウちゃんと一緒にサンドイッチを作っていく。
ドトウちゃんは厨房に入った時に、ボウルを頭に被り、お玉を尻尾に絡ませた状態で見つけた。
夜食を作りに来たみたいだけど、包丁とかを使う前に見つけられて本当に良かったと思う。
「はい、ありがとうございます~。私1人じゃきっと何も作れなかったと思います」
「そんなことないよ、ドトウちゃんは絶対に諦めないから、時間はかかってもちゃんと作れたと思うよ。ドトウちゃんは凄い子だから」
と言っても、ドトウちゃんのことだから、いつかは成功させていたと思う。
だって、ドトウちゃんの執念と言うか諦めの悪さはよく知っているから。
ドジっ子で、年下みたいに目が離せないけど、諦めることだけはしない。
そんなとても強い子。
「あわわわ! 私なんかがすごいなんて、全然そんなことないですぅ。アーヤさんの方こそ、こんなドジでダメダメな私をいつも助けてくれる……優しいお姉さんみたいで凄いです」
「
ドトウちゃんの言葉にくるっと振り返り、聞きなおす。
「ねえ、もう一回言ってくれる?」
「え? 優しいお姉さん…ですか?」
「後半部分だけ、もっと」
「えっと、お姉さん…?」
「できれば、お姉ちゃんって言って欲しい」
「お、お姉ちゃん?」
「大きな声でアーヤお姉ちゃんって言ってみて!」
「ア、アーヤお姉ちゃん!」
お姉ちゃん。
その響きが嬉しくて、ついついアンコールをしてしまう。
何だろう。ドトウちゃんのためなら何でもやって上げたくなる、魔法の言葉だろうか。
「お姉ちゃん……やっぱり、良い!」
「あ、あの、急にどうしたんですか?」
嬉しさでピコピコと動かしていた耳に、ドトウちゃんの戸惑った声が入ってくる。
いけない、今の私はお姉ちゃん。可愛い妹を不安にさせるわけにはいかない。
「あ、ごめんね。お姉ちゃんって言われるの久しぶりだっただから。実家には年末しか帰らないし。帰っても弟は最近は恥ずかしがって呼んでくれないし……うん、お姉ちゃんだけ、いつも私にお姉ちゃんって呼んでもらえてズルい」
そもそも、双子なんだから私の方が姉でも良い気がする。
江戸時代なら後から
……でも、何だか私がお姉ちゃんなのは凄い違和感がある。なんでだろう?
何があっても、本当なら私がお姉ちゃんにならないようなそんな気が。
本当なら…?
「あの~、大丈夫ですか?」
「あッ! ごめんね、脱線しちゃって。それより、早くサンドイッチ作っちゃおっか」
「はい~、お願いします~」
急に頭にもやがかかったような気がしたけど、頭を軽く振るとすぐに元に戻る。
とにもかくにも、ドトウちゃんと
トレーナーさんが最近疲れているのは、きっと私のトレーニングについて考えているからだろうし。……私がお姉ちゃんよりも才能がないばかりに、ごめんね。せめて、こういう所で恩返ししないと。
「それじゃあ、具を挟んでいこうか。あ、トマトとかの水分が多い野菜は最初に塩を振って水分を抜いたほうが、パンがべちゃべちゃにならなくていいよ」
「へー、そうなんですねぇ。アーヤさんって料理が上手なんですね」
「んー、まあ、お姉ちゃんよりは得意だけど、サンドイッチに関してはお母さん直伝で良く作ってたからかな」
トレーナーさんはどんな具材が好きかなと考えながら、ドトウちゃんとおしゃべりする。
サンドイッチは持ち運びやすいから、天体観測に行くときに良く作った。
もちろん、最初はお姉ちゃんと一緒にお母さんに教えてもらった。
だから、多分サンドイッチだけはどっちが作っても同じ味。
「懐かしいなぁ。昔はとにかく自分の好きなものを詰め込もうとして、パンが閉じられなくなってたっけ」
「ふふふ、わかりますぅ。好きなものを一杯に詰め込んで、結局全部落ちちゃったりしちゃいますよね」
「あるあるだよね。それで、落として泣いてたらお姉ちゃんが自分の分を半分くれたりして……」
昔話をしながら、サンドイッチを作っていく。
こうして思い出してみると、私の思い出のほとんどにお姉ちゃんがいるなぁ。
まあ、双子なんだから当たり前だけど。
「…………」
「アーヤさん?」
「ううん、なんでもない。もう一種類作ろうかなって思っただけ」
せっかくだし、お姉ちゃんの分も作ろう。
最近はあんまり話せてないし、偶にはゆっくり話そうか。
お互いのトレーナーさんのこととか。
恋話とか? ……まあ、お姉ちゃんからそんな話が聞けるとは思えないけど。
そんなことを考えながら、冷蔵庫を開ける。
「お姉ちゃんが好きなのは……あれ? 誰か使ったのかな」
お姉ちゃんの好きな具材が、最近使われた形跡があることに気づく。
まあ、共用の厨房だし他にも誰か使うか。
「あわわわ! すいません、アーヤさん。ここはどうしたらいいんでしょうか?」
「あ、ちょっと待っててね。それはね」
取りあえず、ドトウちゃんの助けを呼ぶ声が聞こえたので、私は食材を取り冷蔵庫を閉めるのだった。
トレーナーさんはまだ戻ってきていないらしい。
トレーナーさんの同僚さんにそう言われたので、私はサンドイッチの入った箱を持ったままプリプリと頬を膨らませる。
ちゃんと訪ねに行くと伝えていたのに、どこをほっつき歩いているのだろうか。
せっかく、私のために頑張ってくれるトレーナーさんに日頃の感謝を込めてサンドイッチを作ったのに。
「……これからも2人で頑張ろうって伝えたいのに」
トレーナーさんが最近無理をしているのは分かってる。
でも、トレーナーさんはそれを表には出さない。
大人として子供の私に心配させないようにしているんだと思う。
「ちょっとぐらい……私に頼ってくれてもいいのに」
私だって、ダービーで最下位になったことに何も思ってない訳じゃない。
お姉ちゃんと私の才能の差を見せつけられて、心が折れそうになった。
センターで堂々と踊るお姉ちゃんの姿に、嬉しさと悔しさで泣きそうになった。
でも、私にはトレーナーさんが居てくれると思ったら耐えられた。
「私達はパートナーなんだから」
私だけのトレーナーさんが隣に居てくれるなら、頑張れる。
トレーナーさんの傍に居るときだけは、お姉ちゃんの添え物じゃないって胸を張れるから。
お姉ちゃんじゃなくて、私を選んでくれたあの人が私を見てくれる。
それだけで勇気が湧いてくる。
「2人の間に嘘なんていらない」
優しい嘘は大人として正しいんだと思う。
でも、私は嫌だ。二人三脚でこれからも一緒に歩いていきたい。
嬉しいことも悲しいことも、余さず分け合って進みたい。
「私だけの……トレーナーさんなんだから」
お姉ちゃんのものでも、姉妹2人のものでもない。
私だけの、私だけのトレーナーさんなんだから、私だけを見ていて欲しい。
だって私は、トレーナーさんのことが――
「いえ、悪いですよ。あなたのものでしょう、それは」
トレーナーさんを探して歩いていたところに、本人の声が聞こえてくる。
全く、別れた場所から動いていないなんて。
もしかして、待っていてねっていうのをその場で待っていてと思ったのだろうか。
ともかく、探し人は見つかったので声かけに行く。
「トレ――」
「……いいから、食べなさい」
「ですが……」
「あなたが倒れたら、
お姉ちゃんの声がして、慌てて物陰に隠れる。
なんで…? なんでお姉ちゃんがトレーナーさんと一緒に居るの?
頭の中で疑問がグルグルと渦巻く中、物陰からこっそりと2人の様子を盗み見る。
「………美味しいですね」
トレーナーさんはサンドイッチを食べていた。
お姉ちゃんから貰った。きっと、お姉ちゃんが作った。
私が作ったものじゃない。だけど、きっと私が作るものと
「別に味の感想は要らないわ。それじゃあ――」
頭がそれを理解すると、自然と指から力が抜け持っていたサンドイッチの箱が滑り落ちる。
それに気づいたお姉ちゃんが振り向く。
私と少しも違わない、
「アーヤ…?」
なんで?
「……なんで、お姉ちゃんが
なんで
そこは、そこだけは、私の、私だけの居場所だと思っていたのに。
頭の中に汚いノイズが走る。
「ど、どうしたの? アーヤ…? ……あ」
私が落とした箱から、地面に零れ落ちたサンドイッチを見て、お姉ちゃんが顔を青ざめさせる。
どうしたの? どうしてそんな顔をするの? 別に、お姉ちゃんは悪くないのに。
「ち、違うの…! あなたのトレーナーさんの顔色が悪かったから、自分の分のサンドイッチを渡しただけで…ッ」
「……別にいいよ。私もそのために作って来たんだから……私じゃなくても別に」
同じもの、同じ味、同じ目的なら、別に私じゃなくて、お姉ちゃんで何も問題はない。
むしろ、私である必要なんて、この世界のどこにもない。
それどころか。
「アーヤさん、もしかしてそれは僕のために……」
「気にしなくていいよ、トレーナーさん。どうせ、お姉ちゃんが作ったものと味は同じなんだから……私のものなんて食べる必要ないよ。落としちゃったし」
お姉ちゃんの下位互換の私が居る必要なんてない。
お姉ちゃんより遅くて、お姉ちゃんより気が利かない。
だけど、顔や声だけは同じ。
そんな存在、別に。
―――誰にとっても必要なんてないじゃない。
「……じゃあね、お姉ちゃん、トレーナーさん。私は
「待ってください、アーヤさん!」
「そ、そうよ、アーヤ。お姉ちゃんが悪かったから、戻って来て」
「……息ピッタリだね」
背を向ける私に2人が一緒に声をかけて来る。
すごく息の合った声の掛け合い。
そう言えば、トレーナーさんは最初から私よりお姉ちゃんの事の方が詳しかったかな。
焼いちゃうなぁ……。
「やっぱり、私じゃなくてさ。お姉ちゃんのトレーナーになったらよかったんじゃないの?」
「……な、何を言っているのですか?」
「だって、そうでしょ?」
脚の不安も見抜くし、性格も最初から知ってたみたいに理解している。
それにどうしてか、お姉ちゃんの趣味も知っている。
私のことなんかより、よっぽど
「顔も体も声も同じ。でも、走るのが速いのはお姉ちゃん。だったら、私なんかを選ぶ理由なんてないよね?」
「そんなことは――」
「うそつきッ!」
もういい。何も聞きたくない。
今はとにかく1人で居たい。
「じゃあ、なに!? 私とお姉ちゃんを比べてどこが優れてるの!? お姉ちゃんじゃなくて、私じゃなくちゃダメな理由なんてどこにあるのッ!?」
振り返って子供みたいに怒鳴りつける。
自分でも何を言っているのか分かっていない。
だから。
「お姉ちゃんが居るなら、私なんて別に―――生まれて来なくてもよかったでしょッ!?」
最低の言葉を言ってしまったんだと思う。
「お姉ちゃんが居るなら、私なんて別に―――生まれて来なくてもよかったでしょッ!?」
魂がその言葉を拒絶しようとする。
だが、鼓膜はその音をしっかりと受け取り、脳に焼き付ける。
そして、これは現実なのだと何度も何度もその言葉を頭の中で繰り返す。
ああ、そうだ。これは―――俺のせいだ。
「ごめん……なさい……」
隣でアヤベさんが膝をつく音がする。
顔を見るまでもなく、真っ青になっているのは分かる。
そして、聞こえる全く整っていない荒い呼吸音。
過呼吸になっているのかもしれない。
すぐに処方しないとまずい。
だが。
「………あ、ち、ちが、私そんなつもりじゃ…! ごめんッ」
姉の様子に自分が何を言ってしまったのか理解した、アーヤが逃げるようにその場を離れて行く。
追わなければならない。
トレーナーとして、男として、何より人として。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
しかし、この状態のアヤベさんを放置して行くわけにもいかない。
それに何より。
この状態を生み出したのは俺の身勝手な願いのせいだ。
アーヤが生まれて来れば、みんなが幸せになると安易に考え。
アーヤ本人の幸せをこれっぽっちも考えていなかった俺の責任だ。
そんな俺が一体、彼女に何と言えばいいのだ。
嘘つきの言葉なんて誰が信じてくれるのだろうか。
俺は……クズだ。
「あ、あの~、大丈夫ですかぁ?」
「……君は、メイショウドトウ…?」
そのまま動くことが出来ずに、無為に時間を費やそうとしていた所に、助けの手が差し伸べられる。差出人はメイショウドトウ。最近よくアーヤと一緒に居てくれる子だ。
「は、はい~。そうですぅ。そ、そんなことより、何があったんですか? さっき、トレーナーさんにサンドイッチを持って行ったはずのアーヤさんが泣きながら、走っていってぇ……アヤベさん大丈夫ですかぁ?」
ああ、俺は彼女を泣かせてしまったのか。
疲れている俺のためにわざわざ料理を作ってくれた子を。
自分のバカらしさに自分でイラつきながら、アヤベさんの背中を優しく撫でるドトウに質問をする。
「……ドトウさん、アーヤさんはサンドイッチを僕のために作ってくれたんですよね?」
「は、はい。最近トレーナーさんが疲れているから、せめて食事だけでもって……」
ドトウの返事を聞き、俺は地面に落ちて砂に塗れたサンドイッチを拾う。
見た目は確かにアヤベさんの作ったものと同じだ。
「……いただきます」
一口口にする。
じゃりっとした砂が口の中に広がるが関係ない。
そのまま、食べ進め砂を含めて全てを飲み込む。
「……こっちの方が美味いじゃねえか」
何が、同じだ。
この世に1つたりとも同じ者など存在するものか。
ああ、そうだ。何をうじうじとしているんだ。
男なら腹をくくれ。責任を取れるのは俺しかいない。
「ドトウさん、すみませんがアヤベさんを医務室に連れて行ってくれませんか?」
「はいー、分かりました。アヤベさん、立てますか?」
「僕は……いや、俺はアーヤの所に行く」
もう俺は、アーヤに嘘をつかない。
「どうしよう……」
お姉ちゃんとトレーナーさんから逃げて来た砂浜で1人しゃがみ込む。
酷いことを言っちゃった。もう、取り返しがつかない。
なんであんなことを言っちゃったんだろう。
「あんなこと言う気じゃ……ううん、違う」
ずっと思ってたことだから、簡単に零れ落ちたんだ。
「別にこの世界に、私が居る必要なんてない」
自己嫌悪でも自己否定でもない。
どうしようもない事実として、そんな言葉がするりと出てくる。
「そっか……私は本当は生まれるはずなんてなかったんだ」
それで、生きている意味もない。
当然ね。大好きなお姉ちゃんを、トレーナーさんをあんなに傷つけた。
最低で最悪の妹。だったら、私なんて消えた方が良い。
「だから……居なくなったって誰も困らない」
立ち上がって、海に向かって歩いていく。
おいで。帰っておいで。お帰りなさい。
そんな声が海の中から聞こえてくる気がする。
私はその手招きに応えるように、海の中に足を踏み入れていく。
冷たい海水が足を包み込む。
背筋が冷たくなるような感覚なのに、どこか懐かしくて私はまた一歩海の中に足を進める。
そうだ、私は水の子。流されて、みんなに忘れ去られるのが正しい姿。
このまま歩いていけば、きっと私が本来あるべき場所に辿り着く。
そんな確信が頭を支配して、私は膝の上まで海に浸かる。
心残りなんてない。だって、お姉ちゃんさえ居れば世界は回るんだから。
心残りなんて――
『―――あなたを勝たせたい』
初めてトレーナーさんと出会った日の言葉を思い出して、足が止まる。
『アドマイヤベガではなく、アルタイルアーヤが勝つ姿を見たい。そう思ったから、あなたをスカウトしているのです』
うそ。
本当はトレーナーさんだって、お姉ちゃんの方がいいでしょ。
こんな才能がなくて、嫉妬深い、醜い私なんて誰も――
「アーヤッ!!」
闇夜を裂くような怒声が私の耳を打ち、思わず振り返ってしまう。
いつもの聞き慣れた優しい声じゃない。
切羽詰まった、大人としての余裕なんて欠片もない声。
でも、誰の声かなんて考えなくても分かる。
「……トレーナーさん」
「アーヤ! 聞いてくれ!!」
何の戸惑いもなく、トレーナーさんが海に飛び込んでくる。
その事実に、私の心は薄ら暗い喜びを覚えてしまう。
でも、トレーナーさんから何も聞く必要なんてない。
私は今からこの世界から消えるのだから。
「最後にトレーナーさんの顔が見れてよかった……」
「アーヤ!! 俺は――」
さようなら、トレーナーさん。
もし、来世があるならその時は一緒に――
「―――別世界で一度死んだ転生者で、生まれ変わる際に、女神様に転生特典は何がいいかと聞かれて、アドマイヤベガの妹である君が無事に生まれるように頼んだ男なんだ!!」
え、ごめん、今なんて?
「というわけで、転生してきた俺は今、君のトレーナーをしているんだ」
「そ、そうなんだ」
若干引き気味のアーヤを砂浜まで引き戻し、説明を行う。
何を言っているんだこいつはという目を向けられるが、気にしない。
俺だって、突然知人が自分は転生者ですなんて言い出したら、病院に連れて行くからな。
「……でも、なんで急にそんな話を? 話し方も変わってるし」
「もう、君に嘘はつかないって決めたから。後、自殺しようとしている人には説得よりも、訳の分からないことを言って、一旦死ぬことから気を逸らさせた方が効果的だと考えたからだ」
「うわぁ……ぶっちゃけるね。確かに、訳分かんなくて一周回って冷静になったけど」
他に方法はなかったのかと思うが、効果はあったので批判は出来ない。
そんな感じの表情を浮かべるアーヤに、一先ず内心でホッと息をつく。
この様子なら、もうバカなことはしないだろう。
だが、まだ油断は出来ないのでもう一押しする。
「それにな、溺れて死ぬのって……辛いぞ? 頑張って息を止めようするんだけど、苦しくて苦しくて結局、肺の中のものを全部吐き出してしまって、それと同時に肺の中に水が流れ込んできてさ? それを吐きだそうとして、また水を飲み込んで。何とか水面に上がろうと藻掻くけど、結局何もつかめなくて、そのうち意識が薄れてきてな。そっちの方が楽だからって動きを止めようと思うんだけど、体は必死に空気を求めて無意識に動くから結局楽にもなれないんだ」
「ごめん、待って! 待って! 私が悪かったから、それ以上言わないで!」
死ぬってのはとても苦しいことだ。
それを念押しすると、アーヤは顔を青ざめさせながら俺の口を塞ごうとする。
まあ、これだけ言えば、もう死のうなんて考えないだろう。
そう考えて、俺は口を閉じる。
因みにだが、俺はもう二度と死にたくない。
「ふぅ……でも、そっか。
「どうして……そう思うんだ?」
「んー、何となくそんな気がしたからって言うのもあるけど……一番は名前がないからかな?」
「名前がない?」
それは一体どういう意味だろう?
彼女にはアルタイルアーヤという立派な名前があるはずだ。
そう疑問に思い尋ねてみる。
「うん。ウマ娘ってね、生まれる前から自分の名前が決まってるんだ。だから、親が考えて付ける名前じゃないの」
確かに。ウマ娘のアプリでもそんな感じの説明があったような気がする。
それによくよく考えると、自分の娘にミスターやキングはつけないよな。
「でもね、私には名前がなかった。アドマイヤベガの妹でしかない。生まれてくるはずの無かったものに名前なんてあるわけないよね」
「……じゃあ、今の名前は君の御両親がつけたものなのか?」
「うん。お母さんやお父さんは何も言わないけど、どうしてか私は小さい時に名前を貰ったことを覚えてるんだ。……やっぱり私ってお父さんにもお母さんにとっても、要らない子だよね」
自分の名前がないという事実。
いや、本当は自分のものでない名前を呼ばれ続ける違和感だろうか。
そうした小さな違和感が積み重なり、今までアーヤを苦しめて来たのだ。
気づいてあげられなかったことに、何よりも自分の身勝手さに本当に嫌気がさす。
だが、後ろを向いていては何も始まらない。
「要らない子っていうのは違うよ」
「何で分かるの?」
「アルタイルアーヤ。アルタイルはベガと対になる存在としての名前」
これはあくまでも予測に過ぎない。
だとしても、俺にとってはそうとしか思えない。
「そして、ベガもアルタイルもアラビア語が元になってつけられてるんだ」
「じゃあ、
「ああ、そしてアーヤの意味は―――
直訳すると、奇跡のアルタイル。
生まれる前にベガを残して、燃え尽きるはずだったアルタイル。
それが共に光り輝くことが出来ている。
これを奇跡と呼ばずになんと呼ぶのか。
「娘に奇跡なんて名付ける人達が、君を愛していないわけがない」
アーヤがそうであるように、きっとご両親も本来の運命をうっすらとだが理解している。
だからこそ、名付けたのだろう。
生まれるはずがなかった我が子が生まれたという奇跡。
それに感謝して。
「そう…なの…かな…? 私…生まれてきてよかったのかな…?」
「ああ、そうだ。仮に、仮にだ。万が一! 億が一! 君が誰にも望まれてなかったとしてもだ!」
自信なさげに呟くアーヤの手を握り、まっすぐに彼女の瞳を見つめる。
「俺だけは君の生を肯定する! だって、俺はこの世界に
まるで、夜空に輝く星のような瞳が揺れる。
この輝きは双子の姉のものとは違う、彼女だけの光だ。
「誰が否定しようと、世界が否定しようと、例え君自身が否定しようと関係ない。俺は言い続けるよ。生まれて来てくれてありがとう。生きていてくれてありがとう。他の誰でもない君が良いんだって。もし、それでも君が死にたいっていうなら、一緒に死ぬから。君の喜びも、悲しみも、全部ひっくるめて君が生まれた責任を俺に取らせて欲しい……だから」
そうだ。俺の今生はこの娘に捧げるためにあるんだ。
「もう一度俺と一緒に走ってくれないか、アーヤ」
君を勝たせたい。
その言葉だけは、嘘じゃなかったと証明させてくれ。
「うん……私もあなたと…勝ちたいッ!」
涙を流しながら何度も頷くアーヤ。
そんな彼女の涙をハンカチで拭ってあげながら、もう1つ言わなければいけないことを思い出す。
「ありがとう、アーヤ。それから……サンドイッチ美味しかったよ」
「……え? 落としちゃったやつを食べたの!?」
「君が作ってくれたものを残すわけがないだろ。味わって食べられなかったのが心残りだけど」
「いやいや! お腹壊しちゃうよ! それにお姉ちゃんのと同じ味だったでしょ?」
サンドイッチを食べたことを伝えると、慌てたようにアーヤが言ってくるので首を横に振る。
「君が俺のために作ってくれた。それだけで、俺にとっては世界で一番美味しい食べ物だよ。それでも気にするんなら、もう一度俺のために作って欲しい」
「うっ…そういう言い方はずるいと思う……」
顔を赤らめて、大きな耳をせわしなく動かす姿に思わず可愛いと思うが、あまり言い過ぎるとそのまま拗ねてしまいそうなので、黙ってそのまま愛でておこう。
と、思っていたのだが、どういう訳かアーヤの顔が再び青く染まる。
何事だろうか。そう思ったのもつかの間、すぐにアーヤが答え合わせをしてくれる。
「と、トレーナーさん! お、お姉ちゃんって大丈夫!?」
「………メイショウドトウに医務室へ連れて行ってもらった」
「ど、どうしよう……あんな酷いこと言っちゃって……嫌われたよね」
自分が姉に向かって何を言ってしまったのか思い出し、見舞いに行こうとも言い出せずに俯くアーヤ。
「様子を見に……でも、どんな顔をして……」
「アーヤ、行くぞ」
そんなアーヤの手を強引に引き、俺は砂浜を歩き出す。
「わ!? ま、待ってトレーナーさん! こ、心の準備が……」
「いいか、アーヤ。転生者からの忠告だ。明日、仲直りしようなんて思っててもな……明日が来ないこともあるんだ」
「…ッ! うん……わかった」
いつか謝ろうと思っていても、相手や自分が消えていなくなることなんて珍しいことじゃない。
だから、喧嘩をしたらすぐに仲直りをするんだ。
「それにな、俺が
後、アヤベさんは1人でため込むタイプなので、すぐに状況を改善しないと不味い。
菊花賞で終わるどころか、思い詰めてアーヤの代わりに私が消えればいいんだとか言い出しかねない。
「……お姉ちゃんって、もしかしてものすごく面倒くさいタイプ…?」
「そういう所は君と同じだな」
「え?」
「よし、行くぞ」
「待って、私も? 私も面倒くさいの?」
さて、医務室へ急ごう。
『お姉ちゃんが居るなら、私なんて別に―――生まれて来なくてもよかったでしょッ!?』
「……お姉ちゃん、入るね」
ごめんなさい。
私が悪い。
私が悪いの。
私が居るから、あの子にあんなことを言わせてしまった。
『お姉ちゃんが居るなら、私なんて別に―――生まれて来なくてもよかったでしょッ!?』
「お姉ちゃん…?」
ごめんなさい。
あなたから夢を、大切なものを奪ってしまったから。
あなたから居場所を奪い取って、我が物顔で光を浴びてしまった。
あなたをまた泣かせてしまった。
『―――生まれて来なくてもよかったでしょ?』
「お姉ちゃん! 聞こえてる?」
そうね。生まれて来なくてよかったのは、私の方。
光を浴びるべきは
薄汚れた罪深い手で、何食わぬ顔で笑っている盗人は私。
『お姉ちゃんなんて―――生まれて来なくてもよかったでしょ?』
ええ、そうね。私が―――消えて居なくなればいい。
「お姉ちゃん!!」
「え!?」
不意に温かい何かに抱きしめられた感触を覚えて、顔を上げる。
そこで初めて、自分の状況を理解する。
ベッドの上に座る私と、それにタックルするような姿勢で抱き着いているアーヤ。
「アー…ヤ?」
「うん、私だよ」
「……都合の良い夢ね。あの子は私のことを恨んでる」
だから、抱き着いてなんて来ない。
きっと、一刻も早く私に消えて欲しいと思っている。
これは夢。許されたいと思っている私が見せた反吐の出るような妄想。
「ごめんなさい、私が居なければあなたは幸せになれたのに」
「え? いや、現実だよ」
「ああ、もう……どこまで恥知らずなの私は……許されていいはずがないのに」
「いや、だから夢じゃないよ。というか、謝らないといけないのは私の方……」
あの子の優しさに甘えて、自分の罪から目を逸らしている。
ごめんなさいね。こんなお姉ちゃんで。
「ごめんなさい、私なんかの妹にしてしまってごめんなさ――」
「人の話を聞けぇーッ!!」
「わきゃ!?」
突然、夢の中のアーヤに両頬をつねられて痛みで変な声を出してしまう。
……痛み?
「……現実?」
「だから、さっきからそう言ってるよね?」
グリグリと私の頬を弄りながらジト目を向けて来るアーヤ。
確かに、私と同じ顔でこんな子供っぽい表情をするのはあの子しかいない。
でも、目の前のアーヤが現実ということと同じで。
「あなたは……私のことが嫌いじゃないの?」
『お姉ちゃんが居るなら、私なんて別に―――生まれて来なくてもよかったでしょッ!?』
あの言葉もまた、現実のはず。
「……私ね、ずっとお姉ちゃんの事が羨ましかった。双子なのにお姉ちゃんは、私より速くてカッコよくて優しくて……いつも一緒に居たはずなのに置いていかれたみたいで、嫉妬してたんだと思う」
ああ、やっぱり。
私の存在は、ずっとこの子の重しになっていた。
ずっと苦しめていた。
「でもね!」
そう思って、目を伏せる私の手を取ってアーヤが私の瞳を見つめて来る。
まるで、幼い頃に一緒に星を見た時のようにキラキラとした目で。
「ずっと憧れてた! いつか、お姉ちゃんの背中に追いつくんだって! いつかお姉ちゃんを追い越すんだって!」
思い出すのは初めて一緒にレースに出た日。
この子は先にゴールした私を見て泣いていた。
今まで私は、それを置いていかれたことが悲しくて、泣いているのだと思っていた。
だから、足を止めて戻り、あの子の手を引いてあげようとしていた。
「お姉ちゃんは優しいから、私がお願いしたらいつでも私の手を引きに戻って来てくれる。でも、それじゃ嫌だったの。私はお姉ちゃんと一緒に走りたかったの! えっとね、つまり」
でも、違った。
アーヤ以外の人と走り、競ってきた今なら分かる。
この子は私に守られるだけの妹じゃなくて。
「―――ライバルになりたかったの!」
競い合う
「一緒に競い合って、一緒に笑い合う。姉とか妹とかじゃない対等な関係。そんな関係になりたいの! だからね、お姉ちゃんの事は嫌いなんかじゃなくて」
幼い子供の時のように、あの子がまた強く抱き着いてくる。
そして、あの頃と変わらない満面の笑みで告げる。
「―――大好き!!」
ニパッと笑うアーヤ。
その顔には1つの嘘もない。
だから、私もアーヤの背中に手をまわして抱きしめ返す。
「お姉ちゃんも……大好きよ、アーヤ」
「えへへ」
今までもずっと双子だったのに、何故だか随分と久しぶりに双子に戻れた気がする。
ずっと抱えていたわだかまりが解けてなくなり、頭がスッキリとした。
そうすると、色々と考える余裕が出来て、ある感情が胸の奥から湧き上がってくる。
「ねえ、アーヤ」
「なぁに、お姉ちゃん?」
子猫のように首をこてんと傾げるアーヤ。
そんな、可愛い可愛い妹の頬に手を添えて私は。
「生まれて来なくてよかったなんて、バカなことは二度と口にしないでちょうだい」
「いひゃい!?」
思いっきりつねり上げる。
「あなたが生まれて来なかったら、私がどれだけ苦しむか……お母さんとお父さんがどれだけ悲しむか……理解しなさい」
「ご、ごひぇんなしゃい」
生まれ来なくてよかったなんて絶対にありえない。
他の誰が否定しようとも、私だけはこの子が生まれてきたことを祝福する。
「もし、また同じことを言うようなら……お姉ちゃん、怒るから」
「も、もうおひょってあい…?」
怒ってない。
もし、怒っているように見えるなら、それはきっと目の錯覚よ。
「とにかく、もう言わないで。お姉ちゃん本当に悲しかったんだから」
「うん……ごめんなさい」
痛みか、反省からか涙目で謝るアーヤに免じて頬から手を放す。
「もう、分かったから。私がどれだけ愛されて生まれて来たか……それに」
「それに?」
急に何かを想い出したかのように、もじもじと顔を赤らめるアーヤ。
まるで、お母さんがこっそりお父さんに甘えていた時のような表情。
おかしい……お姉ちゃんは妹のこんな顔は知らない。
「トレーナーさんが……せ、責任は取ってくれるって言ってくれたから」
「……責任を取る? ……何に対して?」
「えっと、生まれた責任って」
「そう……」
生まれた責任を取る。
男女の仲でそういった言葉が使われる時、何があったのかを想像し、私は息を吐く。
そして、ゆっくりとベッドから起き上がり出口へと向かう。
「お姉ちゃん、どこ行くの?」
「あなたを傷ものにした奴を警察に突き出しに行くわ」
「へ? ……あ! ま、待って! 誤解! まだ誤解だから!?」
ロリコン死すべし、慈悲はない。
今日は京都新聞杯。
あれから、アヤベさんから闇討ちを受けたり、アーヤと一緒に夏祭りに行ったりと色々とあったが、とにもかくにもこの日を迎えた。史実におけるアドマイヤベガ最後の勝利レース。そして、アーヤにとって最後の中距離路線のレース。
「ねえ、トレーナーさん。トレーナーさんの記憶だと、今日はお姉ちゃんが勝つんだよね」
「ああ、そして2着はナリタトップロード。ダービーのワンツーコンビだ」
「日本ダービーと同じ……」
レース場の控室。
そこで最下位に沈んだ日本ダービーのことを思い出したのか、アーヤの顔がこわばる。
歴史を変えようとした愚か者への罰か。それとも、純然たる実力か。
お前の存在は世界の異物でしかない。
まるで世界から、そう告げられるような結果だったのだから、気分が落ち込むのも無理はない。
「そして、俺の世界のアドマイヤベガは次の菊花賞でナリタトップロードに敗れて、その時の左足の怪我で引退する」
「…ッ!」
もう、アーヤには1つも隠し事はしていない。
全てを話してある。
彼女が本来辿るはずだった運命も、アドマイヤベガの悲劇も、そして、未来のレース結果も。
「仮に怪我をしなくても、来年はテイエムオペラオーが年間無敗グランドスラムを達成するし、2着も天皇賞春以外はメイショウドトウに独占される。中長距離は地獄だ。君どころか、アドマイヤベガでも勝負になるか怪しい。素直にマイル路線に行った方が良い」
今から歴史を変えようとしているアーヤには悪いが、トレーナーとしては勝てない勝負をこれ以上させるわけにもいかない。このレースを最後に路線を変更すべきだ。
「えっと……オペラオーさんはともかく、ドトウちゃんがそんなに…? 確かにドトウちゃんの諦めない心は凄いけど、併走しても私でも相手にはなれる速さだよ?」
「実はな、メイショウドトウはまだ本格化していないんだ」
「…………え?」
こいつ、何言ってるんだという目を向けられるが、間違いはない。
普段のドジに加えて、レース後などに保健室によく行っているのは本格化していない影響だ。
「つまりだ、現在君と互角のメイショウドトウは
「何それ怖い」
「そして、テイエムオペラオーはそれを全て跳ね返す」
「よく言ってる覇王ってそういう意味なんだ……」
やだ、私の同期怖すぎという顔をするアーヤ。
黙っていた方がよかった気もするが、せっかくの未来知識。
活かさなければ損というものだ。
「だからだ。運命を変えるには、ここが最後のチャンスだと俺は思う」
「期待が重いなぁ」
「ここで勝てば、アドマイヤベガの怪我の運命も、テイエムオペラオーの覇王化の運命も変えられる可能性がある。だから、頑張るんだアーヤ。未来は君の脚にかかっている」
「本当に期待が重いんだけど? ちょっと、期待し過ぎじゃない?」
今まさに出走しようとしている娘に、そんなことを言う?
ちょっと引くわー。
ギャル風に言うとそんな感じの表情をするアーヤ。
しかしだ。俺がアーヤに期待を寄せることは仕方のないことだ。
なんたって、アーヤは俺の。
「期待するさ。なにせ、君は俺の―――愛馬なんだから」
愛馬だ。
期待をしない方が嘘だろう。
「…! もう……裏切られても知らないんだから」
「君にならいいさ」
顔を赤らめてそっぽを向くアーヤに笑いかける。
アーヤにはまだ言ってないが、俺は彼女の担当を最後にトレーナー業をやめるつもりだ。
彼女に余計なものを背負わせてしまった。そのケジメは一生をかけて償うべきだろうから。
「さあ、もうそろそろ時間だ」
「うん……」
赤く火照った頬を軽く叩き、アーヤはパドックへ向かうために控室の扉に手をかける。
小さな背中。華奢な体。抱きしめたら壊れてしまいそうな女の子。
「アーヤ」
「なに?」
でも、俺は知っている。
彼女はとても―――強い子だと。
「一緒に勝とう!」
「うん! 任せて!!」
さあ、一緒に運命を変えよう。
天気は晴れ。でも、少し雲が空を覆っている。
まだ少し残った夏の暑さも逃げていったのか、今日はとても走りやすい日。
『さあ、全てのウマ娘がゲートに入りました』
『菊花賞トライアル、京都新聞杯2200M。どの娘が菊花賞に向けて名乗りを上げるか、注目です』
ゲートの横にはお姉ちゃんも居る。
でも、いつもと違って、今日はお姉ちゃんだけを気にしてるわけじゃない。
他の人全員に目が行く。
『そして、まもなくゲートが――』
きっと、レースそのものに集中できているんだと思う。
だから、今なら。
『―――開きます!!』
最高のスタートが切れる。
『さあ、いいスタートを切ったのはアルタイルアーヤだ! 対して注目のアドマイヤベガは後方で出方を窺う! 2番手集団につけるのはナリタトップロード。ダービーでの雪辱を晴らせるか?』
『日本ダービーの再現になってしまうのか。それとも、他の娘が意地を見せるか。この勝負注目ですねぇ』
先頭に立つ。
他の子は無理して私に並んできたりはせずに、後ろについてくる。
まずは第一目標は達成。
『先頭にアルタイルアーヤが立ち、集団を引っ張って行く形になりました。アルタイルアーヤ、序盤からかなりのペースで前を走って行きます』
『作戦か? それともかかってしまっているのか? 動きに注目です』
次に、出来るだけ速度を出して全員を引き剥がそうとする。
でも、当然みんなその程度では離れてくれない。
少しペースを上げるだけで私との距離を一定に保つ。
『中盤に入ったところで、集団のペースが少し落ち着いてきました! 先頭のアルタイルアーヤの速度が落ちて来たのか?』
『序盤にとばし過ぎてしまったようですねぇ。これは痛い失速です』
中盤に差し掛かったところで、私は疲れを
呼吸を
『しかし、先頭は譲りません、アルタイルアーヤ。いや、後続のウマ娘達が抜かそうとしないのか? 一体どういうことでしょうか』
『今、アルタイルアーヤを抜いて自分が先頭に立つとなると、ペースがかなり乱れますからねぇ。余程スタミナに自信のある娘でなければ、終盤までは今の集団のままでいたいということでしょう』
速度は落ちても私と後続の距離はさほど変わらない。
みんな、私がダービーの時みたいに落ちていくと思っているんだと思う。
うん。これで第二目標は
『さあ、第三コーナーから第四コーナーにかけて、後方のウマ娘達が徐々に進出してくるぞ! ナリタトップロードが先頭を狙っている! アドマイヤベガは囲まれるのを嫌って外に出る!』
終盤になってみんなが一斉に詰め寄ってくる。
こうなったら、後はスタミナを使い切った私はズルズルと落ちていくだけ。
でも。
『ナリタトップロードが先頭を狙う! 先頭を狙う! が! 縮まらない! 縮まらないぞ!? どういうことだ! アルタイルアーヤ、未だ脚は健在です!』
私はスタミナを使い切ってなんていない!
途中でスピードを落としたのは、最後まで体力を保たせるため!
そう、今回の私の作戦は――
『なるほど、これは幻惑逃げですねぇ!』
―――死んだふり作戦!
『幻惑逃げですか?』
『ええ、敢えて速度が落ちたと見せかけることで、後方の油断を誘いつつ終盤まで体力を保つ。セイウンスカイが昨年の菊花賞で使ったのが有名ですね』
『なるほど! しかし、上手いものですね! 私、すっかり騙されていました!!』
死んでるように見えて、実は死んでいない。
ある意味で私にピッタリの作戦だ。
『さあ、逃げるぞ! アルタイルアーヤ! ナリタトップロードも必死に頑張るが僅かに届かないか!?』
『これはこのまま逃げ切れるかもしれませんねぇ! いやぁ、日本ダービーでの失速とは打って変わり見事な逃げです! むしろ、ダービーでの敗戦を利用しての策でしょうか?』
一番多くの人が見たダービーと同じように走れば、大勢の人が私が同じように失速すると無意識のうちにイメージしてしまう。だから、それを利用する。私とトレーナーさんで考えた作戦だ。もし、私が人気選手だったら何かあると思われて通用しなかったと思う。
でも、私はお姉ちゃんの輝きを、引き立たせるための添え物としか見られていなかった。
だからこそ、通用した手。私なんて誰も期待していない。そのことを逆手に取った。
作戦は大成功。と、言いたいところだけど。
『ここでアドマイヤベガだ! アドマイヤベガが猛追する!!』
『流石は姉妹! 姉だけは妹の作戦を読んでいました!!』
お姉ちゃんだけには通用しない。
お姉ちゃんだけは騙されてくれない。
ううん……違う。
『アドマイヤベガとアルタイルアーヤが並ぶ!! 双子の姉妹のデッドヒートだ!!』
『ダービーで見せた末脚は健在だ! アドマイヤベガ! このまま一気に抜き去るか!?』
お姉ちゃんは一度だって私を添え物扱いなんてしていない。
死んでいるとも、存在しないと思ったこともない。
私が勝手に劣等感を募らせていただけ。
だって、お姉ちゃんは
『鬼のような表情でアドマイヤベガが迫る! 妹相手でも一切の手加減無し!! これが勝負の世界の非情さか!?』
―――私のために走ってくれているんだもん。
私に勝利をくれるため。
私が傷つかないように守るため。
今まで私をレースを遠ざけようとしていたのも、私が負けて泣いてしまわないように。
そんな少し心配症で、世界で一番優しい私の自慢のお姉ちゃんが。
『だが粘る! 粘る! アルタイルアーヤも簡単には譲らない!!』
『姉妹だからと言って仲良しこよしはありません! 走っている以上は誰でも対等なライバル! そう言っているようです!!』
ライバルになってっていう、私のお願いを聞いてくれないわけがない。
『ゴールまであと僅か!』
『勝利の女神はどちらに微笑むか!?』
ありがとう、お姉ちゃん。
大好きだよ。
本当の本当に大好きだからこそ―――
「ハァアアアアッ!!」
『アルタイルアーヤが犬歯を剥き出しにして吠える! まるで何かに噛みつこうとしているようだ!』
負けられない。
お姉ちゃんを負かすことで、運命を変えないといけないの。
他ならぬお姉ちゃん自身のために、私のために、私達家族のために。
何より――
―――もう一度俺と一緒に走ってくれないか、アーヤ。
トレーナーさんのためにッ!!
『僅かに! 僅かに! アルタイルアーヤか!?』
『しかしアドマイヤベガも譲らない、姉としての意地かこれは!?』
菊花賞を取るナリタトップロードでも。
ダービーを取るアドマイヤベガでも。
宝塚記念を取るメイショウドトウでも。
年間無敗のテイエムオペラオーでもない。
トレーナーさんが選んだのはアルタイルアーヤ。
未来を知ってるくせに、勝てるかどうかも分からない私を選んでくれた。
そんな大大大好きなトレーナーさんのために。
私は――
『ここでアルタイルアーヤが抜け出したぁあああッ!!』
―――
『僅かな差だが確かにアルタイルアーヤが前だ!』
『アドマイヤベガも追うがあと一歩! あと一歩が遠い!!』
お姉ちゃんの脚が、誰かに追いつくための脚なら、私は誰も行ったことのない道を切り開く脚。
目の前に、運命という決まり切った道があるのなら道ごと作り変えてやる。
そうだ。私の未来は私の脚で踏み出していくんだ!
「運命よ、そこを退け! 私が通るッ!!」
そうだ。ふざけた運命なんて、お前の脚で踏み砕いてやれ。
どうしてだろう。どこからか一瞬。
聞いたことのないはずの、懐かしく感じる声が聞こえてきた気がする。
『そしてハナ差を維持したままゴールッ!!
姉妹対決を制したのはアルタイルアーヤだ!!
空に輝く一等星は1つでないと証明してみせたッ!!』
歓声が聞こえる。
みんなの目線がお姉ちゃんじゃなくて、私に注がれているのが分かる。
私の名前が祝福の声と一緒に耳に響いてくる。
「……私…本当に勝ったんだ……お姉ちゃんに…勝ったんだ……」
荒れる呼吸を整えて何度も瞬きをする。
嘘じゃないのか、錯覚じゃないのか。
そう、自分で自分を疑うが、映し出されたものは全て私の勝利を肯定するものばかり。
「もしかして私……お姉ちゃんと入れ替わってる?」
「何バカなことを言ってるの? 勝ったのは……あなたよ」
お姉ちゃんがゆっくりと近づいてきながら、呆れたような声を出す。
自分の後ろにお姉ちゃんが居る。
それこそが、私がお姉ちゃんに勝ったという何よりの証拠だった。
「アーヤ、おめで……いや、違うわね」
どういうわけか、祝福の言葉を出すのを止めてお姉ちゃんが考え込むそぶりを見せる。
でも、それもつかの間。すぐに、笑顔で私に手を差し出してくる。
「次は私が勝つわ……アーヤ」
姉としてではなく、ライバルとしての言葉。
これからも走り続けていくという宣言。
そんな対等であるというメッセージに対し、私は。
「…! こっちこそだよ! お姉ちゃん!!」
しっかりと、差し出された手を握り返すのだった。
さよなら、運命。
こんにちは、未知。
これからは誰も知らない未来の始まりだよ。
「おかーさん! お水くんできたよー!」
「それで……どうするの?」
昔のことを思い出していた母親は、子供達の声に現実に引き戻される。
「2人ともありがとうね。それじゃあ、織姫様と彦星様を会わせてあげようか」
母親、アルタイルアーヤは子供達から受け取った水桶をゆっくりと地面に置く。
その水面に、
「まず、お星様の光を水に映してあげるの。それでね。こうやって……」
アーヤは水の中に手を入れ、ゆっくりと星の映った水をかき混ぜる。
すると。
「ほら、こうすると織姫様と彦星様が1つになって、出会えたでしょ?」
星々の光が1つになり、何とも言えぬ輝きを放つ。
これは昔の人間が考えた、古く奥ゆかしい遊びだ。
そんな非常に風流なアーヤの行動だったが。
「ええー、水が混ざってるだけでしょー」
「……肝心のお星様はちっとも動いてない」
子どもには不評だったようだ。
まあ、ロマンチックな感傷を覚えるには、少し彼女達は幼過ぎたのだろう。
「あはは……流石にお星様自体を動かすのはお母さんには無理かな」
頬を膨らませ、プリプリと怒る子供達を宥めながらアーヤは苦笑する。
本当はお母さん凄いと、尊敬されるつもりだったのだが上手く行かなかった。
だが、それでも。
「でも、誰かが手伝ってくれたら、
ベガとアルタイルが出会うことは出来たのだとハッキリと告げる。
「本当ー?」
「本当…?」
「うん、本当だよ。ほら、噂をしたら」
揃ってこてんと小首を傾げる双子を見つめながら、アーヤは耳をピクリと動かす。
「ただいまー」
「あ! おとーさんだ!」
「お父さん……」
「お母さんの彦星様が帰ってきた」
そして、声の主である夫。
昔は担当とトレーナーの関係だった男を、子供達と一緒に出迎えるのだった。
「お帰りなさい、あなた」
「おかえりー」
「おかえりなさい……」
「うん、ただいま。それと……これ。伯母さんからのふわふわスイーツのお土産だよ。後で2人で分けて食べなさい」
2人の愛の結晶である双子の娘を抱きしめ、一頻りデレデレとした表情を見せた後、男は娘達の伯母から預かったお土産を姉妹に渡す。
「やったー! おばちゃんよくお菓子をくれるから好き!」
「……ふわふわ」
「食べる前にお姉ちゃんに……伯母さんに電話でお礼を言うのよ」
優しい伯母からの贈り物に飛び跳ねて喜ぶ姉妹に頬を緩めながら、アーヤは夫からスーツの上着を受け取る。そして、もう何度も繰り返して何度聞いたかなど覚えていない質問を行う。
「お風呂はもう湧いているけど、ご飯とどっちにする?」
「うーん、ご飯で……ところで、水桶なんて出して何をしてたんだ?」
いつものように答えつつ、いつもは見かけない水桶の存在に男は首を傾げる。
「織姫様と彦星様を出会わせていた所よ」
「? そうか」
「おとーさんだっこ!」
「……おんぶ」
「こらこらちょっと待ってな。遊ぶのはお父さんが服を着替えてからだ」
アーヤからの返答に疑問符を浮かべる男だったが、お菓子を置いて戻ってきた可愛い姫君達のわがままを優先させる。
そんな光景に微笑みを零しながら、アーヤはもう一度水桶を見る。
どれだけ近づこうとも、決して出会うことが出来なかった
そんな2人を無理やり
「ねえ、あなた」
「ん? どうしたんだ?」
生かして欲しいと頼んだことないと思ったこともある。
勝手な願いに振り回されて、姉妹揃って大変なことになったと思ったこともある。
だとしても。
「私ね、今――」
これだけは胸を張って言える。
アルタイルアーヤはこの世界に。
「―――全世界で一番幸せだよ」
生まれて来て良かったと。
三女神「君の願いはあの子を死なせたくないんだね? いいよ、七夕だし。でも、責任は自分で取ってね」
これが三女神マッチング。
感想・評価よろしくお願いいたします!