少しでも暑い中に冷たさを覚えて楽しんで下さると嬉しいです!
今までの線が少しづつまとまり出して。
何となくこうなってどうなるだろうと考えていただけるとこれまた嬉しいですねー。
雪は冬に降るものだ。
いやしかし偶には春先にだって雪が降ることもあるだろう。
或いは今後千も万も年を重ねた先には夏と呼ばれた頃合いであっても融けない凍土が広がることだって、あり得た。
「これは……身に沁みる寒さだな」
とはいえ、今の頃の雪は最早完全に冬のものだ。風は唸り声のような強い音を立てながら、雪華をぶつけて木々を激しく揺らす。
薄片の重なりのみで出来た白き世界は正しく恐ろしき自然の極地だ。暴力的なまでのマイナスに吐息の白も、もうろくに見えない。
寒さは痛みに似ていると、共に語ったのは何時誰にか。
そんなのは忘却の彼方でしないが、とはいえこの吹雪の中にて寒さを痛みのように歯を食いしばって耐えるにも限度があった。
次第に噛み合わなくなってゆく奥歯が教えてくれるのは、これまで安堵できていた温もりのありがたみ。
あえてそこから抜け出て森の中を飛び回っている上白沢慧音は、半分獣とも思えぬ重装備の中で息を潜めながら思わずこう呟いていた。
「この中を通うものが居るとは……考えがたいが……」
白一色の眼下を粒のノイズが邪魔をする。それが、一体全体停止を誘うマイナスの粒ばかりというのが恐ろしい。
人は流れるものである。それは生きるたとえだけでなく、身体の中身の血潮も含めて。
そしてそもそも生き物は止まってはならぬものであるからには、凝結にほど近い凍えという概念に些かならず弱い。
嘘か誠かかの境界の賢者ですら冬眠を毎度慣行していると聞く。
そうでなくても経験から、大概の存在は冬に沈むように暮らすのがここ幻想郷のならいだと慧音は考えていたのだ。
「最近、あの辺りに何だかふわっとしたのがうろうろしてるよ、か……」
だがしかし、そんな冬に活発な妖精チルノは言葉足らずにそんな事実を教えてくれた。
チルノはさっきもこそこそしてたからきっとあいつったら悪い奴よと、楽しそうにする。雪華に踊る氷の精は、ダイヤモンドダストに全身を預けながら零下を楽しんでいた。
「流石に冬ともあればこの森も様変わりしているな」
そう。紅魔館からの帰りに顔を出してみれば、氷の純粋そのものである彼女が小さな丸っこい指をさした先には鬱蒼とした森。
つい慧音も不安を覚えてしまうくらいにそこは他を排した場所で通称、魔法の森といった。
住まう魔女たちも強く門戸を閉ざしている中、底冷えをうろつく存在なんて一体何者だろうか。
「よく分からないが、何故か気になるな」
一度首を傾げて、それを一旦戻しても不安定になった心地は戻らない。
今の慧音は博麗を忘れて久しい、ただの半人半獣。とはいえ、元巫女としてのシックスセンスは健在だ。
嫌な予感を辿れば事件、楽しそうな気配に向かえば好事が待っている。記憶を失ってからこの方そんなことばかりを経験し続けていれば、己の勘に自信を持ちもするだろう。
故に、何かに焦らされているかのように慧音の冬の嵐訪れる中での強行は始まった。
しかし、はじめは舞い散るばかりの雪も進むにつれて風吹をまとって彼女の身体を白く塗りたくるようになる。
向かいたいと思う方に行けば行くほど逆風ばかり。いっそ寒さに全てを諦めたくなるが、止まれば死ぬのは冬の当たり前。
「ここは……」
それでもひたすら前に前に、と進むばかりを続ける。
流石に厳しすぎる自然の仕打ちに疑問符が浮かびだす頃合いになって、白に切れ間が出来た。
しかし、むしろだからこそ静けさがより寒々しいそこら一体。
まるで冬の中心そのもののようなそこは何もかもが冬に枯れて凍って腐れた後に成っただけの広場であり、そしてその中心には厚着の女性がたった一人ふよふよ浮かんでいる。
彼女から発される極まった妖気は雪華と同じくどこか刺々しい。
だがそんな己の様態をすら自然に受け入れこちらを向いて微笑む少女はどうにも色が薄くてそれらしかった。
慧音はぱりぱりと凍った唇を動かし、彼女に向けてこう問った。
「どうもこの場の天気が冬に過ぎると思ったら……さしずめ君が幻想郷のジャック・フロストかな?」
「あら。霜男なんて呼ばれるのは流石に嫌ね。私はレティ・ホワイトロック。普通の冬の化身よー」
陽気に冷たく、何より透明を越えてひたすらに薄白く。
レティ・ホワイトロック。慧音には彼女が自己紹介をするまえから、これがただならぬ妖怪であることには気付いていた。
冬の妖怪にも格と限度というものがあるならば、これはその突端。冬全体の形象そのものであり、それら全てを力にして乗りこなすなにか。
そんじょそこらの雪女なんて比べ物にならない。自然の摂理とほぼ同一の存在であるからには、最早冬限定の最強。
かの風見幽香に近しいものを覚えながら、慧音はそっと彼女の下にこんもりと積もった雪を気にして言う。
「私は上白沢慧音という、ただの人里からの迷い人だ。それで……君の下で雪に埋もれた塊はひょっとして……」
「そうねえ。何故か私に斬ってかかってきた子がいたのだけれど、避け続けていたらそのまま凍っちゃったわ」
「斬る……それが文字通りならばひょっとすると」
人は道具を使うもの。そして別段、人里にて刀を帯びるものは少なくはない。
だが大概が示威として持ち運んでいるばかりの半端者であるからには、こんな冬に斬りかかれるまでの真剣を持ったものなどそうは考えられなかった。
だが先から元巫女としての第六感は雪の下の人が自分に縁ある存在だと叫んでいる。
やがて近頃交友を深めている幻想郷の外からの遣いと名乗った、上等な刀を携えた少女の姿が慧音には自ずと浮かんだ。
奇しくも霊夢とほど近いその名前は、彼女の口からするりと出て大きく零度に響いた。
「妖夢、だろうか」
「あら。その子って貴女の知り合い? でも、きっと助けないほうが良いと思うわよ?」
「それは……どうして?」
彼女ならば早く助けなければと動こうとした慧音の機先を制するように冷たく言う、レティ。
怜悧な彼女の底冷えするような視線を受けつつ、真正面から慧音は問い返す。
すると呆れたかのように苦笑してから、握っていたらしい自称冬の化身は桜の花びらのような何かを、手を開いて浮かばせてから吹き飛ばし、続けた。
「実はその子、なんだかずっと奇妙な道具を使ってこんな春っぽさ? を集めていたのよ。私がそれを咎めたら急に攻撃的になって……危険人物だわー」
怖い怖いと微笑むレティ・ホワイトロックはしかし全くの無傷。
実際斬れぬものなどあんまりないらしい刀に拠って弾幕ごっこ未知の少女の手によって散々の刀傷を刻まれたはずであるのに、そんなものなどまるでなかったかのようにふわりと浮かんでいる。
むしろ動けば動くほど凍傷だらけになったのは妖夢の方であり、飛ぶことすら冷えに出来なくなって雪の底に沈んだ今、助けがなければ彼女の残り少ない命も直ぐに潰えてしまうだろう。
そんな全てを知ってか知らずでか、まず冬にこれ以上ないくらいの強敵を前に慧音がしたのは、頭を下げることだった。
こんな時でも冠っていた謎の帽子を取ってから、彼女はぺこりと謝りレティの瞳を丸くさせる。
「む。それは確かに妖夢もレティ殿に無体なことをしたものだ。春っぽさを集めていたのはよく分からないが……暴かれたことで暴れ出したことに関しては私も申し訳ないとは思う」
「あら。貴女ったら別にその子の親ってわけでもないでしょうに、健気ねえ。悪いことした他人の代わりに謝ってくれるなんて、珍しい人」
「はは……まあ実際私は彼女の親ではないし、健気でもないさ。むしろ、これから続いて私も無体を働くつもりであれば、むしろ半端な謝罪など悪いものだ」
「ふぅん……そんなに大事な子なの? この半分死んでる子ったら」
前に倒した子のように、立ち向かおうとする慧音のその様子。それにレティは酷薄に眦を細める。
自然は熱を知らない。愛は覚えなくても別に良かった。
故に、大切というものですらこれまで投げ出しても別に良かったレティ。
けれども、そんな彼女だってこのままでいいのかという疑問くらいは引っかかるように持ち合わせていた。
「大事でない他人などこの世に居ないさ。袖すり合うも他生の縁なら、私はレティ殿との出会いですら大切にしたいと思う」
「ふぅん……」
ただ他人とすれ違うばかりってつまらないのよねえ、と思うばかりの妖怪は慧音という女性の中に燃えるものを見つける。
そして、合わないなあと苦笑するのだった。
「情熱的ねー。でもあいにく私は冬そのものだから、ごめんなさいとしか言えないわ」
「っ!」
諦めの笑みは、果たして誰に向けたものか。
それにむしろ熱量を増させた眼の前のケダモノもどきの人間に、終わりの季節の如き妖怪は少し残念に思ってしまった。
だがしかし、それだけであるからにはもうこの一期一会はどうでもよく。
レティ・ホワイトロックの周りの冬は急速に巡って数多の弾幕と雪華を広げる。
雪という絶対に避けられない冷たき粒で視界をいたく奪われる中、慧音が最後に聞いた声はそんな全てよりあまりに冷たく、そして。
「季節は巡り、別れるもの。命だってそれと同じ……さあ。敵わぬと理解しながらも冬に楯突く頭でっかちな愚か者。――――貴女はこの風雪の中を舞う弾幕を前に何時まで他人のために手を伸ばし続けられるものかしら?」
少しばかりこちらに期待をかけるような冬のように薄い希望の色も確かにあったのかもしれない。
「ううん……」
温かい。それが、起きた慧音が殊更に感じた覚えだった。
そして、全身に感じる倦怠感に痛みも、寒さの後遺症として慣れ親しんだもの。
助かったのだと、慧音は寝ぼけ眼に薄く、理解した。
「あ。起きた」
「貴女は……っ」
「わっ。あまり急に動かないほうが良いわよ? 魔法で多少は治したつもりだけれど、それまで身体殆ど凍っちゃってたから……」
ぼんやりとした意識の中で、瞳に映るのはどこかで見たような傘を被った誰かの姿。
それが矢田寺成美という地蔵のゴーレムであるとは憶えていないが、しかし何となく覚えのある優しさに慧音は有り難みを感じた。
「くっ」
「だから、無理しない! あ、そうか。貴女が抱きしめて一緒に凍ってたあの子は……」
だが、だからこそそんなものに安穏と出来ないのは慧音の性。
自分より大切な他人のために、軋む身体を動かそうとする彼女は成美の言葉の殆どを耳に入れられない。
だがそんな彼女も、流石に小さくも聞きたかった相手の声を受け止めることで、止まる。
「慧音さん……」
眠り倒れてから殆どそのままの視線の先に、半霊がふわり。
成美から魔法に拠る治療を先にあつく受けていたためか氷のようだった先の感触が嘘のように綺麗な肌をした彼女を目にして、慧音はその瞳を大きく丸くさせた。
「妖夢、か?」
「ありがとうございます。私を助けて下さって……」
銀のボブカットが垂れるように、魂魄妖夢は頭を下げる。
素直で真面目な彼女の謝意は本気だ。先程までは慧音に迷惑をかけたと狼狽えて得意の刀で己を斬ろうとしていた程。
それを止めるのに大変だった成美も、この子ちょっと叱られて良いんじゃないかなとも思っていたのだが。
「良かった」
しかし成美が冬を越すために整備している土の洞の中に響いたのは、万感籠もった、たったそれきり。
これには、何かしらの叱咤や罰を欲していた妖夢は納得がいかない。
とはいえ、優しさを受け取れないほど狭量でもない少女はまず少し温もった胸元を抑えてからこう言った。
「……そう言っていただけて嬉しいですが、でも実際のところ私は過ったことをしており、あの末路も仕方なく……」
「あー……そう。この子ったら誰かの指図をそのまま受けて幻想郷から春を持っていこうとしていたんだって。それはまあ、良くないよねえ」
「はい。面目次第もありません……」
そう。先にチルノが見たふわっとしたの、とは妖夢のこと。そして、氷精が感じたとおりに実際悪さのために冬に彼女は動きまわっていた。
その中でレティ・ホワイトロックという自然の猛威にやられてしまったのは妖夢の誤算だったが、しかしそうでもなければ彼女は幻想郷の自然を壊していたに違いない。
主の言いつけは絶対。そう信じていた妖夢だったが、地蔵から生まれた妖怪であり理に賢い方である成美の言葉によって既に考えは変わっていた。
曰く、季節を壊してしまえば多くが不幸になる。それも、行わせた貴女のご主人も間違いなく幸せにはなれない。聞き、背筋は怖気だった。
知らずとはいえそんな悪いことをしたのだから、だから誰かに怒ってもらわなければ決まりが悪い。
そんな思いを外の暴風雪に心行かせるなどしながら、慧音が起きるまで不安に包まれながらも彼女は悪口を覚悟していたのだが。
「でも、良かった」
「えっ?」
しかし、繰り返されるは同じ言葉。
隣でびくりとした半霊。そういえば今自分は刀を下ろしたままでただの半人前以下でしかないことをどうしてか痛感した妖夢に、慧音は上半身を持ち上げて手を伸ばしてから。
「だって君が無事なら、また違った道へと諭せるだろう?」
そんな、春のような希望に満ちた言葉を告げたのだった。それが、どこか大好きな幽々子様のものに似た柔らかさを持っていたものであったから。
「はいっ! どうかこれからもご指導ご鞭撻よろしくお願いします!」
思わず涙した妖夢は、早く親愛なる
「はは……妖夢は固いなあ……まあこれからもよろしく」
「っ」
そして慰めのためにと伸ばしたまだ冷たい手のひらは、やがて妖夢の頬に。
壊れ物に触れるかのように優しくしてくれたそれの感触を、温かさを彼女はずっと忘れない。
『あらあら』
ああ春遠からず、そして死は尚もう近くに。
そんなことを誰も気づかない雪の下にて。
「うう……どこか遠慮がちだけれど……貴女っていいお母さんねっ!」
「えぇ?」
成美の勘違いの言葉がまた、違う歴史のもと紡がれたのだった。