TSお嬢様はミスター味っ子の料理を食べ尽くす!【完結】   作:寛喜堂秀介

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01 迷い込んだはバブル時代

 

 

 時は1987年、バブル興隆期。

 下町の商店街に、その店はあった。

 

【日の出食堂】。

 下町情緒あふれる、昭和レトロな大衆食堂だ。

 客は、土方(どかた)か職人、はたまた工場労働者か。粗雑で騒がしく、昼日中だというのに、酒やタバコの香りが店内を漂っている。

 

 女性なら、一人で入るのが、ためらわれるような。

 そんな店に、場違いな女性客がいた。

 

 年の頃は二十歳前か。

 童顔ながら、輝かんばかりに整った容姿。

 胸元まで伸びたまっすぐな髪は、艶々として美しい。

 白のシルクブラウスにチェックのロングスカート。お嬢様然とした恰好は、さながら掃き溜めの鶴だ。

 

 と、誰もが思うだろう。

 だが、お嬢様は、注文したカツ丼が来た刹那。

 カッと目を見開き、カツ丼を男らしくかっ込みはじめた。

 

 

「あいっかわらずうっめーですわ!」

 

「だろっ!」

 

 

「きめっ!」とばかり、厨房でピースする少年──ミスター味っ子、【味吉陽一(あじよしよういち)】に、お嬢様はピースを返す。

 

 彼女の名は、安生歩夢(あんじょうあゆむ)

 ちょっと特殊な事情を持つ、日の出食堂の常連である。

 

 彼女が、なぜ日の出食堂の常連となるに至ったのか。

 それを語るには、まず歩夢の素性について説明しなければならない。

 

 だがあえて、一言で言うならば。

 安生歩夢は令和の世からこの世界、この時代に迷い込んできた……ただのSNSに浸りきったウマ娘*1オタクで、元男性のサラリーマンである。

 

 情報量が多い。

 

 

 

 

 

 

 令和5年5月某日。

 この日安生歩夢は、東京の下町に来ていた。

 休日に、ご縁のある先生の勉強会に参加するついでに、母方の実家を訪ねるためだ。

 

 歩夢の母の実家は、浅草の小さな居酒屋だ。

 店自体は叔父に任せているが、祖父母ともに健在。

 大学時代は、東京の大学に通っていたこともあって、頻繁に訪れていたのだが、地元に戻って勤め始めてからは、すっかり足が遠のいてしまった。

 せっかくだから顔を見せに行き、ついでに叔父さんお得意の、ふわふわだし巻き卵を食べさせてもらおうと、うきうきで路地裏を通り抜けようとした、その時。

 

 ふいに、正面から熱気を帯びた風が吹いてきた。

 そのことに、小さな違和感を覚えながら、歩夢は路地裏を進む。

 子供の頃から何度も通り抜けた、薄暗い細道。その先には懐かしい町並みがあるはずだ。

 

 そう考えながら、細い道を抜けて。

 眼前に広がった光景に、歩夢は絶句した。

 

 曇り空の下にたたずむ町並みは、歩夢の記憶にある下町とは似て非なるもの。

 全体的に古いし、東を向いてもスカイツリーが見えない。まるで昔の映画で見るような、何十年も前の下町だ。

 通行く人の装いも同様で、ずいぶんと古臭い。みんな昭和レトロ*2の世界から飛び出してきたかのような格好だ。

 

 

「これは、いったい……」

 

 

 異様すぎる光景に、思わず声を漏らす。

 声の高さに、歩夢はようやく、自分の身に起きた変化に気づいた。

 

 自分のものとは思えない、子供か、女のような声。

 驚き、体を見れば、本来ありえない、胸元まで伸びた髪が目についた。

 着ているスーツこそ、変わらず自分のものだが、これも微妙に体に合っていない。

 

 丈はぴったりだが、胸がゆるくて、お尻がちょっとキツい。

 約160cmの身長から、大きく変わってはいないだろう。

 足のサイズも変化はなく、24,5cmの革靴はぴったりだ。

 

 スマホ、時計、財布、カバン……所持品も無くなっていない。

 書類やタブレットPC、ガチャガチャで当てたフィギュアなどなど……カバンの中の物も無事だ。

 

 歩夢はスマホのカメラアプリを立ち上げ、画面側のカメラに切り替える。

 画面に映し出されたのは……二十歳(はたち)前くらいの、幼さの残る細身な美人さんの姿。歩夢が笑うと、画面の中の美人も笑う。

 

 わけがわからない。

 歩夢は男だし、年齢ももう少し上だったはずだ。それがなぜ。

 何枚か自撮りしてから、ひとしきり途方に暮れていたが、いくら待っても、状況は変わらない。

 

 とにかく、情報がほしい。

 そんな思いで本屋を探し、店先のラックに突っ込まれた新聞を見ると、中曽根(なかそね)内閣の文字が目に飛び込んできた。

 スポーツ新聞にはヤクルトサヨナラ勝ち、競馬新聞にはニッポーテイオーなんて言葉が見える。並んでいる名前は、どれもえらく古いものだ。

 

 あらためて新聞の日付を確認すると、1987年5月17日(日曜日)。

 バブル期*3──日本が狂った繁栄を謳歌した、狂騒の時代のまっただ中。25歳の歩夢は生まれてすらいない年だ。

 

 

「そんな、いや、まさか」

 

 

 歩夢は衝動的にダッシュで路地裏に戻った。

 だが路地裏を抜けた先は、やはり昭和の町並み。

 あきらめきれずに何度か往復して、結局本屋の前に戻ってきてしまった。

 

 

「……どうしよう、どうする?」

 

 

 ふたたび途方に暮れる。

 ここが本当に、1987年の日本なのだとしたら、マズいなんてものじゃない。

 

 なにせ歩夢は令和の人間だ。

 見た目や性別が変わったといって、そこは変わらない。

 

 そうなると当然、この時代には戸籍がない。

 キャッシュカードの類も、当たり前だが使えない。

 かといって現金も……紙幣はこの時代のものとは違うので、使用できない。

 硬貨は、と確認すると、使用可能な──昭和62年以前の500円硬貨が1枚、100円硬貨が6枚、50円玉が2枚、10円硬貨が3枚あった。ガチャガチャのために、小銭を貯め込んでてよかった。

 

 とはいえ、使える現金はたった1230円。

 身一つで、今晩泊まるあてはない。しかも女の体だ。野宿は危険を通り越して無謀というものだろう。

 

 浅草の祖父母を頼ろうにも、話が荒唐無稽すぎる。とうてい信じては貰えないだろう。

 母はこの時代14歳の中学生なので、そもそも頼りに出来ない。考えれば考えるほど絶望しかない。

 

 

「……いや」

 

 

 考えに考えて、歩夢はふと思いついた。

 さきほど見た競馬新聞には、安田記念*4の予想がデカデカと書かれていた。

 ウマ娘好きが高じて、リアル競馬にまで手を伸ばした歩夢は、スマホやタブレットPCに競馬のデータを、ローカルで参照できるようにしている。

 主にウマ娘化された名馬たちが活躍していた時期のものだが……1987年といえば、ゴールドシチーがクラシック戦線で活躍していた時代。同世代にはタマモクロスやイナリワンも居る。この時代のデータはあるはずだ。

 

 歩夢は素早くスマホを確認する。

 1987年5月17日……今日のレース結果がすべてわかった。

 

 

「これ、イケちゃうんじゃ……? うん……うん……きっとイケる!」

 

 

 期待とともに、歩夢の胸の鼓動は高鳴る。

 それを抑え込むように声を絞り、歩夢は拳を握り込んだ。

 

 レースの結果がこの通りなら、うまくやれば大金をつかめる。

 後ろめたさもあるが……下手すると貞操の危機なのだ。選り好みしていられる状況ではない。

 

 

「となると、府中の東京競馬場に……いや、たしか場外馬券場(ウインズ)が……この辺なら浅草が近いか? でもあそこ、治安ヤバかったって話だしなあ」

 

 

 むかし浅草の祖父に、そんなことを聞いた覚えがある。

 いつの時代の話かまでは聞いてないが……正直ウインズには行ったことないから、敷居が高い。

 競馬場なら、京都競馬場や阪神競馬場に行ったことがあるが……馬券自体は、応援馬券くらいしか買ったことがない。

 

 

「やっぱり多少遠くても府中に行くべきか。この時代は第二次競馬(オグリキャップ)ブーム以前とはいえ、70年代の第一次競馬(ハイセイコー)ブーム以降、客層も変わって、家族連れも増えたっていうし……ネット知識だけど」

 

 

 なにせ生まれるはるか前の話だ。真偽の程はわからない。

 返す返すも美人になってしまったことが悔やまれる。治安やら何やら、本当だったら気にする必要もなかったはずだ。

 

 ただ、このままなにもしなければ、どのみち破滅だ。

 ほかに短期間で稼ぐ方法など、歩夢には思い当たらない。

 カラダを使えば、この時代馬鹿みたいに稼げるだろうが……当然歩夢は死んでもやりたくない。

 腕時計は換金性が高いし、歩夢が持っているものはそれなりの値段だが……いかんせん未来のモデルだ。ニセモノ扱いされるだけだろう。

 

 どう考えても、他に選択肢はない。

 ままよと、駅に向かって歩き出そうとした、その時。

 

 

「おーい。さっきから様子がヘンだけど、なんか困ってるの?」

 

 

 と、背後から声をかけられた。

 振り返ると、そこにいたのは、サングラスに柄シャツ、スラックス姿の、どこか抜けた感じの青年。

 

 

 ──ご親切に……いや、いま自分女だった。ひょっとしてナンパ?

 

 

 身構えた歩夢だが、青年の方も、歩夢の顔を見て目を見開いた。

 

 

「お、女の子……?」

 

 

 女だと気づかず声をかけたかのような口ぶりだ。

 不審に思ったが……よく考えれば、歩夢が着ているスーツは男物だ。

 後ろから見れば、長髪の男だと勘違いしても、仕方がないのかもしれない。

 

 

「よっ、カレー屋のバカ旦那! 仕事サボってナンパかい?」

 

「うるへー! ナンパじゃねーよ! 若いあんちゃんが困ってると思って声かけたんだよ!」

 

 

 道行くおっちゃんの冷やかしに、グラサン青年は顔を真っ赤にして反論する。

 

 

 ──うん。

 

 

 青年の様子を見ながら、歩夢は考える。

 

 素性としては、カレー屋の若店主。

 バカ扱いされてはいても、周りからそれなりに親しみは持たれてそうだ。

 困った人間に、下心なしに声をかけたことを考えると、お人好しの部類でもあるのだろう。

 

 

 ──頼ってみるか? 人柄を見るに、マズいことにはならないはず。

 

 

 少し迷ってから、歩夢は彼に協力を仰ぐことを決意する。

 

 頼るからには、失敗したくない。

 いまの歩夢は文句なしに美人なのだから、そうそう断られることはないだろうが……

 もうすこし、助け甲斐のある人柄を演じたほうがいいかもしれない。そう、どこかの名家のご令嬢のような。

 

 

「困ってますの──わたくし、困っておりますわ!」

 

 

 はて、お嬢様言葉ってこんな感じだったか。

 歩夢は内心首を傾げるが、もう引き返せない。

 

 歩夢が訴えかけると、青年の顔は真っ赤になった。

 汗もすごい。こうかはばつぐんだ。

 

 

「え、その……どうしたの? オレでよけりゃ力になる……ますけど」

 

 

 その瞬間。

 言質をとったとばかり、歩夢は勢い込んで要望を口にする。

 

 

「わたくしを、東京競馬場にエスコートしてほしいんですの!」

 

 

 突拍子もない、そんな言葉に。

 思考がフリーズしたらしい青年は、見事に固まってしまった。

 

 

*1
ウマ娘 プリティーダービー。史実の競走馬を美少女化したメディアミックスコンテンツ

*2
懐かしい昭和の雰囲気を感じさせる物や作品

*3
1986~1991年にかけての好景気

*4
中央競馬のマイルG1




おひさしぶりです。
不定期更新ですが、本日は2話まで更新いたします。
よろしくお願いいたします。
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