TSお嬢様はミスター味っ子の料理を食べ尽くす!【完結】   作:寛喜堂秀介

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10 歩みはじめるロコモーション

 

 

 戸籍を得てから、しばらく経って。

 さっそく小額を預けて口座を作ったり、保険証を見てしみじみと感慨にふけったりしていると、久保弁護士からの連絡があった。

 

 

「安生さん、テレビや雑誌から取材の申込みが来ておりますが、こちらで断らせてもらってよろしいですね?」

 

「はい。お願いいたしますわ。お手数おかけして申し訳ありませんわ」

 

「いえいえお気になさらず。それから、芸能事務所からも連絡がありまして」

 

 

 はいはい芸能事務所ですのね、と一瞬聞き流しかけて。

 

 

「ちょっと待って下さいまし! 雑誌やテレビはともかく、なぜ芸能事務所から!?」

 

「ぜひうちの事務所に欲しいと。雑誌やテレビに関しても、こう、記憶を失った悲劇の美少女、といった方向で売っていきたいと」

 

「売っていきたいってなんですの!?」

 

「あらためてお尋ねしますが、芸能界に興味は……」

 

「あるわけないですわ! 下手に詮索されて、若い頃のお父様やお祖父様のお耳に入ったら大惨事ですわ! というか下手にお祖父様の耳に入ったら、『安生の家で保護する』とか言われかねないので本当に勘弁してくださいまし!」

 

 

 歩夢の祖父、重徳(しげのり)は、父いわく「いい意味でも悪い意味でも昭和の親父」。

 家父長としての意識が強く、一族の良き庇護者であり、指導者であり、支配者でもあった。

 バブル崩壊からのゴタゴタで弱気になっていなければ、母との結婚も最後まで許してくれなかっただろう、という話だ。

 

 いまはバブルのまっただ中。イケイケの時だ。人の話なんて聞きゃしないだろう。

 

 

「あまり詮索するのもどうかと思いましたが……歩夢さんのご実家は相当大きな家なのでは?」

 

「ただの田舎の小金持ちですわよ。まあ、名字と在所でこの家かってのはわかると思いますけれど……変に調べないでくださいましね? 田舎なのですぐに嗅ぎつけられますわ」

 

「わかりました。それでは取材や芸能事務所の件も、断っておきましょう」

 

「そうしていただけるとありがたいですわ……というかわたくしの何を見て芸能人とか……頭ぶっ飛んでますわ」

 

 

 久保弁護士が、「何を言ってるんだこの子は」と呆れ顔になっているが、電話越しなので歩夢には見えない。

 

 

「しかしマスコミ……住処がバレてるのがまた厄介ですわね……久保先生、どこか防犯がしっかりしたホテルとか、ご存知ではありませんでしょうか?」

 

「ここまではっきり目をつけられてしまうと、それもなかなか難しいですな。それに、いまお住いの旅館であれば、近所にお知り合いも多いでしょう。それが意図せず安生さんを守っているのです。下手に動かないほうがよろしいかと」

 

 

 そういえば、日の出食堂に行こうとした時、顔見知りのマッチョなお兄さんたちが、ナンパ男から守ってくれたことが何度かある。

 強引な取材を受けたとしても、そんなふうに日の出食堂の同士が守ってくれるかもしれない。

 久保弁護士が言うように、住居のセキュリティだけを見て、外での安全を考慮しないのは悪手だろう。

 

 味吉法子は、自分のことを家族だと思って欲しいと言ってくれた。

 そのことを思い出し、えへへとニヤつきながら、歩夢は久保弁護士に言葉を返す。

 

 

「ご指摘いただきありがとうございます。そうですわね。まだ当分は、いまの旅館にお世話になろうと思いますわ」

 

 

 通話を終えて、あらためて部屋を見回す。

 すでに2ヶ月も住んでいる部屋は、もはや部屋の隅々まで歩夢の空間と化している。

 鏡台の前には祭壇も構築され、いつでもサクラローレルを写したスマホが設置可能だ。素晴らしい。

 

 

「さあ、新生歩夢になっても……まだまだお世話になりますわね!」

 

 

 布団の上に倒れ込んで、天井を仰ぎながら、部屋に呼びかけた。

 

 

 

 

 

 

「そういえば、安生さん」

 

 

 久保弁護士から電話があった翌日。

 朝のニュースでやれ銀座の地価が1坪1億円を超えただの、世界人口が50億人を超えただのという話を聞いていると、朝食を片付けにきてくれた女将さんが、「すみません」と声をかけてきた。

 

 

「安生さん宛に、20枚くらいお手紙が来てるんですけど、どういたしましょうか」

 

「お手紙、ですの? 区役所とかからでしょうか」

 

「いえ、おそらくラブレターなんじゃないですかねえ。テレビに映っちゃったから」

 

「は? テレビに映ったからラブレター? 因果関係がよくわからないんですけれど……」

 

 

 戸惑う歩夢に、女将さんは「ああ」と納得げに手を打つ。

 

 

「安生さん記憶喪失ですものね。けっこう多いみたいですよ。テレビに出て“彼女募集中!”とやった人に、実際お話が来たり」

 

「わけがわかりませんわ! というか手紙じゃなくハガキの方が多いんですけど! 嫁に来ないかとか(メカケ)に来ないかとか、堂々とハガキで送って来られても困りますわ! というかなんですの妾って!?」

 

「生活に困ってると思われてるのかもしれませんねえ。その上安生さん、美人さんですし……ここの住所がテレビに映ってたら、もっとお手紙が来たんじゃないですかね」

 

「なんかもう、心の底から助かりましたわ……」

 

 

 歩夢は胸を撫で下ろす。

 なにもかも知らない文化すぎて怖すぎる。

 

 

「安生さん、お手紙はどういたしましょう。よろしければこちらで処分しておきましょうか?」

 

「いえ……なにかあった時の証拠として、久保弁護士に預けておきますわ」

 

 

 手紙が来るということは、住所を把握されているということだ。

 警戒しすぎかもしれないが、準備はしておいた方がいい。

 

 

「手慣れてますねえ」

 

「身の安全に関しては、久保弁護士からしつこいほど注意を促されておりますわ!」

 

 

 ということにしておく。

 実際はもっぱらユーチューブ知識だ。情報化社会バンザイだ。

 

 

「こちらでも、なにかありましたら、相談してくださいね」

 

「ありがたいですわ女将さん! 頼りにさせていただきますわ!」

 

 

 

 

 

 

「こんにちは! ですわ!」

 

 

【カレー専門店DHULIA】。

 店の扉を開いて飛び込むと、中は満席だった。

 

 

「ああ、歩夢ちゃん、いらっしゃい!」

 

「おば様! まだ昼前なのにすっごい繁盛ですわね!」

 

「そうなのよ! おかげさまでねえ! 席が空くまでちょっと待っててね!」

 

 

 と、レジ横の待機椅子に着席を促される。

 見ていると、フルーツカレーやカレーサンドの注文が多い。それに、女性客が増えている気がする。

 

 

「新メニューの効果ですわねえ」

 

 

 一雄さんの新メニューが店に並んだのは、一ヶ月ほど前。

 そこから、カレー専門店DHULIAはじわじわと客足を伸ばし、グルメ雑誌に紹介されて一気に客が増えた。

 

 あまりに急激に増えたので、手が足りなくなり、歩夢もバイトが見つかるまでヘルプに入っていたものだ。

 いまではキッチンとフロントに一人ずつバイトが入っていて、忙しそうに動き回っている。

 

 待つことしばし。

 席に案内され、フルーツカレーを注文する。

 ほどなくして、運ばれてきたのは、平皿に盛られたカレーライス。

 

 

「いただきます、ですわ!」

 

 

 手を合わせて、カレーをひとすくい、口に運ぶ。

 どっしりとコクのある辛さ。同時に舌に広がる甘味と清涼感。

 日の出食堂で食べたものより、より一体感がある。

 辛さと甘さの見極めが絶妙だ。これは熟成──いや、そんなごちゃごちゃした理屈はどうでもいい。

 

 

「これは──うっめーですわ!」

 

「ブラボー! これほど美味いカレーが、お手軽な値段で食べられるなんて最高だー!」

 

 

 なんだかブラボーおじさん*1が来ている気もするが、あえて声はかけない。

 いろんな味勝負で試食しまくって、しまいには味皇GPで審査員までしているブラボーおじさんは、基本ライバルなのだ。

 

 

 ──ふっ、貴方とは、いずれ相対することになるでしょう。その日まで、首を洗ってお待ちなさい、ブラボーおじさん!!

 

 

 心のなかのブラボーおじさんが、「ブラボー! その日を待ってるぜ!」と言った気がするが、歩夢の思い込みである。

 

 

 

 

 

 

「歩夢ちゃん、ごめん。今日来てくれてたのに出てこれなくて!」

 

 

 その日の夜、一雄から電話があった。

 あんまり申し訳なさそうなので、歩夢は明るく笑い飛ばす。

 

 

「お気になさらず! ですわ! お仕事中だとわかってて来たんですし、一雄さんのカレーが食べたくなってお邪魔しただけですので! お店が大繁盛なのは、わたくしもうれしいですわ!」

 

「歩夢ちゃんのおかげだよ。なにせ36年後まで店をもり立てて行かなきゃいけないからね。でも頑張った成果がすぐに出たのは、俺もうれしいかな」

 

 

 照れながらも、一雄の声はうれしそうだ。

 

 

「一雄さんの努力の結果ですわ!」

 

「陽ちゃんや歩夢ちゃんの協力あってのことだけどね」

 

「他人に教えを乞うのも努力のうちですわ! 協力してもらえる人徳も必要ですしね!」

 

 

 自己評価の低い一雄に、そう返してから。

「あ、そういえば」と歩夢は手を打つ。

 

 

「一雄さん、競馬のお金の使い道とかお決まりですの?」

 

「あんまりかな。ポルシェは目をつけてた中古のを買うことにしたし……やっぱオレが欲しい、乗りたいってワクワクしたのはその車だし」

 

「ワクワクこそすべてに優先! いいと思いますわ!」

 

「うん。それで、ただ持ってるだけなのもなんだし、残りのお金を運用しようと思ってるんだけど……よかったら歩夢ちゃんもやってみる?」

 

 

 一雄の言葉に、歩夢は手を打った。

 

 

「資産運用! いいですわね! それこそバブル時代の醍醐味って感じですわ! ワクワクですわ!」

 

 

 将来的にやりたいことのためには、金はいくらあってもいい。

 やりたいこととは何かというと、味皇グランプリみたいなことを自分でやってみたい。

 そして自分が審査員になりたいという、味っ子の料理を味わうための、究極のパワープレイだ。

 

 

「それで、電話でもなんだし、また週末にでも。他にも提案というか、誘いたいことがあるから」

 

「なんでしょう? 楽しみにしておりますわ!」

 

 

 一雄の言葉に、少しワクワクしながら。

 歩夢はニッコニコの笑顔で返した。

 

 

 

 

*1
須原椎造(すばらしいぞう)

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