TSお嬢様はミスター味っ子の料理を食べ尽くす!【完結】 作:寛喜堂秀介
秋も深くなってきた11月初頭。
薄雲ただよう朝の空は淡く、レースのカーテン越しの柔らかな光が、ベッドで寝る歩夢の意識を、やさしく引き起こす。
「おはようございますわ! 本日もログボはありませんわ! ファッキンですわ!」
瞬発的に半身を起こした歩夢は、朝のルーティンをこなす。
歩夢とて、もはや永遠に起動できなくなったソシャゲの数々については忘れたいのだが、魂に刷り込まれた習慣は忘れられない。
「と、ゆかたじゃありませんわ! パジャマですわ!」
無意識に帯紐を解こうとして、歩夢は気づいた。
ここは半年近く滞在していた旅館じゃない。歩夢の新居だ。
歩夢の寝室と決まった東向きの部屋は、まだベッドやクローゼットなど、大物の家具がドン、ドン、と置いてあるだけで、無骨な感じがする。
パジャマを脱いでワンピースに着替えると、洗面所で顔を洗い、目を覚ます。
それから物置部屋になっている、もうひとつの部屋にある祭壇でサクラローレルとサイレンススズカを崇め、エプロンを着てキッチンで朝食の準備に取り掛かった。
昼は外食、夕方は日の出食堂と決めているので、大型の冷蔵庫の中身は、基本的に朝食用の食材しかない。
作り置きしていた鰹と昆布の水出しのだし汁を手鍋に移し、わかめとさいの目切りにした豆腐を加えて軽く煮立たせると、味噌を溶き入れて、煮え端に小口切りをした長ネギを加え……歩夢は味見してみる。
「うん、お母様の味。グッドですわ!」
火を止めると、次はだし巻きにとりかかる。
生卵をゆるく溶いてだし汁、醤油、砂糖にみりんを加える。
それを、よく熱して多めの油を引いた卵焼き用の四角いフライパンに、何度かに分けて流し入れながら、くるくると巻いていって……完成だ。
切り分けて、ひとつまみ。
「美味しいですわ! でも叔父様の卵焼きみたいなふわふわ感が足りませんわね。あのふわふわ、どうやったら再現できるのでしょう?」
少し首をひねってから。
「まあいいですわ! 美味しいからおーるおっけー! ですわ!」
そう言って配膳に取り掛かる。
ごはんに汁物、だし巻きたまご、昆布と鰹節の佃煮、焼き海苔。それに熱い緑茶。
「しかしこれは……ひさしぶりのひとり暮らしのテンションで頑張っちゃってますが……作業カロリーでかすぎて、続けられる気がしませんわ……大学に入ったときの、はじめてのひとり暮らしを思い出しますわ……」
ふと我に返って、歩夢はちょっと遠い目になる。
大学合格が決まったとき、父は「下手にひとり暮らしで雑事に手を取られるより、寮でお世話になったほうが楽だぞ。それともハウスキーパーを手配しようか?」と言っていた。
そんな大げさな、というのと、あこがれのひとり暮らししか目に入っていなかった歩夢は、母の指導で最低限の家事スキルを手に入れたのだが……半年も経たないうちに家事に取られる時間が気になってきて、父の卓識に感服したものだ。
「あのときはワンルームでしたのよね……2LDKは難敵ですわ。でも一国一城の主として、責任を持たないと、ですわ!」
言っている間に配膳が終わったので、席につく。
ダイニングテーブルは、なぜか6人くらいが席を囲える大きさだ。
一人で使うには過剰だったが、部屋のサイズ感に合っているのと、一枚板の朴訥な感じが気に入ってしまったから仕方ない。
「さて、いただきます、ですわ──っ!?」
手を合わしていただきますしようとした、ちょうどその時、インターホンが鳴った。
マンション玄関からの呼び出しではなく、部屋の外のインターホンだ。
誰かと思い、ドアスコープを覗くと、そこに立っていたのは旅館の若い仲居さんだった。
ちなみに彼女、名字が「仲居」なので、仕事外での呼び名も「仲居さん」だったりする。
「仲居さん。どうしたんですの……というかオートロックどうやって抜けてきたんですの?」
ドアを開け、中に招き入れながら、歩夢は尋ねる。
仲居さんは買い物かごを軽く持ち上げながら、笑顔で語る。
「えへ。今日お休みもらっちゃったし、歩夢さんがちゃんとひとり暮らしできてるか心配になって。ここまで来れたのは、ちょうどマンションから出てくる人が居たから、入れ違いに」
──せ、せきゅりてぃ……
歩夢は内心頭を抱えたが、この時代だとこんなもんである。
「そうだ! 歩夢さん、ちゃんと朝ごはん食べてます? わたしフレンチトースト作ってきたんですよ! えへへ」
「まあ、助かりますわ! 仲居さん、お食事はまだですの? よろしければご一緒いたしましょう」
そう言って、歩夢はダイニングに案内する。
仲居さんは妙に照れながらダイニングに入って、配膳された朝食を見て、目を見張った。
「すごい。歩夢さん料理できたんですね! ひょっとして余計なお世話でした?」
「とんでもない! フレンチトーストは大好物ですので、とっても助かりますわ!」
びしっ、とポーズをつける歩夢。ポーズに意味はない。
それから、仲居さんが作ってきた二人分のフレンチトーストを取皿に移し、仲居さんにたまご焼きを進呈して、いっしょに食事する。
「このだし巻き卵美味しっ!?」
「フレンチトーストもふわトロで幸せな甘さでうっめーですわ!」
それから。
食後は、仲居さんに掃除洗濯を手伝ってもらって、その後はリビングでテレビを流しながら、ゆったりと雑談する。
「それでね、わたし洋風のお屋敷とかにあこがれてるんですよ! 女将さんにはお世話になってるし、あの旅館も大好きなんですけど、お屋敷の使用人さんとかステキじゃないですか? 服装とか!」
「メイド服ですわね! 素敵だと思いますわ! 着てみたいと思いませんか? プレゼントいたしましょうか!?」
歩夢の食いつきがすごい。
ちなみに。メイドブームが起こり、一般に周知され始めたのは2000年代のことである。
益体もない話をしながら、午前中ゆっくりとした後、家事のお礼に、仲居さんに鰻浜のうな丼をごちそうして、その日は別れた。
◆
鰻浜からの帰り道。
なんとなく秋の空をながめながら、考える。
ラーメン祭りから、一月とすこし。そろそろ次の勝負が始まる時期だ。
「一馬さんとのチキンカレー勝負、楽しみですわね」
ミスター味っ子、味吉陽一の終生のライバル、【
見過ごせないし、可能ならぜひとも試食したい。
そんなことを考えながら、歩夢の足は自然と日の出食堂に向かう。
すると、定休日でもないのに、日の出食堂ののれんが下げられている。
近づくと、中から声が聞こえるので、陽一も法子も居るようだが。
「考えても仕方ねえ! ですわ! たのもー!」
と、いつものように突貫すると、陽一と法子がテーブル席で頭を悩ませている様子。
「あら、歩夢ちゃん」
「お二人とも、なにやら悩まし気な様子ですけれど……わたくしでよければ、お力になりますわ!」
「それがね……」
と、法子が語ったのは、歩夢がよく知る話。
日の出食堂の一帯を取り壊して、大食堂ビルを建築する計画が持ち上がっていること。
建築主に掛け合いに行った時、行きがかりで少年料理人、カレーの天才、堺一馬との、店の立ち退きを賭けたチキンカレー勝負をすることになったこと。
とりあえず試作してみたが、とてもじゃないが一馬のレベルには及ばないこと。
──出遅れましたわー!?
歩夢は内心悲鳴を上げたが、努めて平静を装う。
できれば陽一たちといっしょに、永田社長に会いたかったが、まだあわてるような時間じゃない。
「とにかく、まずは鶏だよ。近所の肉屋で買った最上級のモモ肉でもぜんぜん敵わない。まずは最高の鶏肉を探さないと」
「それなら、お力になれると思いますわ! 法子さん、お電話お借りしますわね!」
悩む陽一に、歩夢は手を叩き、法子に声をかけてから電話を借りる。
「もしもし、あ、一雄さん? すこしお時間いただけませんかしら……ええ、日の出食堂に、車で、はいですわ」
それから、5分もしないうちに。
日の出食堂の前にパールホワイトのポルシェが止まった。
パワーウィンドウを開き、顔を出したのは、サングラスをしたカレー屋の若旦那、一雄だ。
「歩夢ちゃん、おまたせ!」
「助かりますわ一雄さん! それでは陽ちゃん、鶏肉探しにいきましょう!」
「アッシー*1……」
「お口が悪いですわよ陽ちゃん。足代わりに使うわけじゃありませんわ。カレーに関しては、一雄さんもたいしたもんですわよ?」
歩夢はいたずらっぽくウインクする。
少し照れながら、一雄はサングラスを外し、陽一に顔を向ける。
「聞いたぜ陽ちゃん。チキンカレー勝負だってね。オレも力になるよ。まずは鶏肉探しだろ? さ、乗った乗った」
「乗った乗ったって……一雄さん、どこに行くの?」
「どこにって、陽ちゃん、当てはないのかい?」
双方顔を見合わせ。
間の抜けた沈黙が訪れる。
「こういうとこ一雄さんだよなあ」と、陽一が小声でぼやいた。
──えーと、前置きなしに郊外の闘鶏場、というのも不自然ですわね。
どうやって自然に
その間に、陽一と一雄は顔つき合わせて頭を悩ませる。
「肉のエキスを出すのは老鶏がいいんだ。だけどただの老鶏じゃなく、筋肉が発達した……スポーツ選手みたいな」
「鳥のスポーツ選手……あ」
「軍鶏だ!」と、陽一と一雄が同時に手を打った。
それから、近所の博打好きの常連さんに場所を聞いて、車を飛ばして闘鶏場に向かう。
郊外の闘鶏場にたどりついた陽一は、飼育員から、もう戦っていない年寄りの軍鶏を見せてもらい──快哉を叫ぶ。
「間違いない! これぞオレが探してたトリだ!」
「コケーっ! ですわ!」
一方歩夢は闘鶏場で軍鶏たちの戦いを観戦していた。
◆
最高の軍鶏を手に入れた翌日。
気になったのか、時間を作った一雄とともに日の出食堂に行くと、陽一が早速チキンカレーの試作版を作っていた。
「ぜひ試食させてくださいまし!」
「いいよ! さあ、食べてみてよ!」
と、陽一は嬉々として深皿に盛ったチキンカレーを出してくる。
一見した感じ、まだパイナップルで鶏肉を柔らかくする工夫はされていない。
ライスは人参とバターを溶かし込んでいるのか、ほんのりと赤く、完成一歩手前って感じだ。
スプーンでひと匙すくい、口をつける。
「辛っれーですわ! でもうっめーですわ!」
「これは……マスタードかい? なかなか攻めてるけど老鶏の旨味がしっかりカレーに調和させてる。うん、美味いや。でもこの、辛いカレーをしっかり受け止めてるライス……サフランライスじゃなさそうだけど」
一雄が尋ねると、陽一はぺかりん、と笑顔で答える。
「へへっ、わかる? それはこいつ──バターとすりおろした人参さ!」
完成度は、8割程度。
あと大きいのはパイナップルを使った工夫だ。
煮込んだ老鶏は硬い。それを解消するため、パイナップルの酵素を使うのだ。
老鶏の硬さについては、おそらくすでに法子が指摘している。言ってしまってもいいだろう。
「これで鶏がもう少し柔らかかったら、もっと美味しいかもしれませんわね!」
歩夢の指摘に、陽一が顔を曇らせた。
「そうなんだよ。いまその方法を考えてるんだけど……一雄さんは、店ではどうしてる?」
「うちはビーフメインだけど、筋切りや肉たたきで繊維を切ったりするくらいだなあ。それから……」
──あ、うまいこと辻褄を合わせられそうですわ!
歩夢は内心手を打った。
実は一雄のフルーツカレーは、パイナップルの酵素のおかげで肉が柔らかくなっている。
それを指摘すれば。
そう思い、口にしようと思ったところで、一雄がはたと手を打った。
「あ、ウエマツのステーキは、赤身肉なのに柔らかかったな!」
── 一雄さーんっ!? なに言っちゃってますのー!?
内心悲鳴を上げるが、口にしてしまった言葉は戻らない。
「ステーキ、ウエマツか……よし、行ってみよう!」
陽一が宣言する。
そうして、思いもしない邂逅が決まってしまった。
◆
ステーキレストラン「ウエマツ」。
歩夢と一雄、陽一と法子の4人でステーキを注文する。
やってきた、肉厚の赤身肉が、鉄板の上でじゅうじゅうと食欲を刺激する音を立てている。
柔らかいステーキは、ナイフで切り分けるのにほとんど抵抗がない。
「これは、美味い! それに硬いはずの赤身肉がこんなに柔らかく! 足りない脂の旨味をベーコンとレモンバターで補って……ここのシェフ、とんでもない腕前だ!」
「本当、美味しいわあ。しかもこんな本格的なステーキが980円だなんて!」
その手腕に驚く陽一。
法子はその美味しさと安さに頬を緩ませている。
歩夢が思わず「うっめーですわ!」と幸せに浸ってしまったのはともかく。
「早速この工夫について聞いてみないと!」
歩夢がステーキに気を取られているうちに、陽一はキッチンに特攻していった。
ウエイターさんに止められたが、そんなことであきらめる陽一ではない。
「あらあら、悪い癖だわ」
「引っ張ってこようか」
ため息をつく法子に、提案する一雄。
トリップから帰ってきて、遅まきながら事態に気づいた歩夢は、キッチンの方を見て、思案する。
「……かえってややこしくなりそうですので、問題になってから謝りに行きましょう。陽ちゃんだけなら、きっと子供がやったことで済ませてもらえますわ」
歩夢の提案に、ふたりがうなずいた、直後。
「なんだぁ? オレの料理の秘密を教えろだとぉ?」
「頼むよ! あいつのチキンカレーに勝つためには、肉を柔らかくする工夫が必要なんだ!」
陽一ともう一人が言い合う声。
オレの料理、というからには、一連の工夫をした人間に違いない。
ということは、声の主はおそらくウエマツ料理長、小西和也。
元味皇料理会主任シェフにして、味皇料理会とたもとを分かった肉料理の達人だ。
──なんでご本人が出てきてますの!? しかもなんか喧嘩になりかけてますし! 陽ちゃん! 売り言葉に買い言葉はだめですの! なんでステーキコンテストでの対決を決めてますの!? 原作を、原作を守ってくださいまし!
内心悲鳴を上げながら頭を抱えるが、この場面に介入はその後の展開が予測不可能過ぎる。
運を天に任せながら、ふたりのやり取りを見守っていると。
「ヒントだけ教えてやろう。あるフルーツの酵素だ!」
──あ、きっちり教えてくださるんですのね。
心配が増えたが、まあなんとかなりそうだ。
あとはパイナップルをみつけてコーヒーを入れればいいのだから。
でも「陽ちゃん、つけ合わせとかは?」とは言えない。
あのありあわせでベストなつけ合わせを作り、一馬が驚愕するシーンは歩夢のお気に入りだ。
しかし、それを見るためにも、ぜひとも勝負の場に居合わせたい。
なので歩夢は、事前に電話で頼むことにした。
「──関係者ですの! 判定役をさせろとは申しません! ぜひいっしょにお食事させてくださいまし!」
陽一を笑えない、とんでもねえ特攻である。