TSお嬢様はミスター味っ子の料理を食べ尽くす!【完結】 作:寛喜堂秀介
勝負の日、永田建設ビル。
特設のキッチンには、6人の男女が集っていた。
永田建設側は、永田社長と堺一馬、お手伝いのスタッフ。
日の出食堂側は、味吉陽一と法子。それから、なぜか居る安生歩夢。
「おい、なんやその姉ちゃんは」
「はじめまして! わたくし食い道楽の安生歩夢と申しますわ!」
胡散臭げに見てくる一馬に、歩夢は最高の笑顔を返す。
苦手なタイプなのか、ずい、と迫る歩夢に、一馬は引き気味だ。
「──お二人の勝負の話を聞いて、ぜひとも食べさせていただきたく、永田社長に頼み込んで試食の席に座らせていただきますわ! そちらの陽ちゃんと仲良しではありますが、判定役ではありませんのでご心配なく!」
「おっちゃん、つまりこのねーちゃんは
「うむ。その理解で正しいよ」
「お二人とも対応が
歩夢が抗議するが残当である。
それから。これから始まる味勝負が、日の出食堂の退去を賭けたものだと、あらためて確認して。
永田社長の号令で、双方調理を開始した。
堺一馬のチキンカレーは、老軍鶏をヨーグルトに漬け込んで柔らかくしている。
野菜は玉ねぎ、人参、ニンニクに生姜。ルーは36種のスパイスを経験と天才的な勘でまとめ上げている。
ライスはサフランライス。薬味は自家製のマーマレード、ピクルス、それにキウイのカッテージチーズ和え。
味吉陽一のチキンカレーは、同じく老軍鶏を、ペーストにしたパイナップルに漬け込んで柔らかくしている。加えてパイナップルをくり抜いて器にしたものをオーブンで加熱したのは原作通りだ。
野菜は玉ねぎ、人参、ニンニク、生姜に加えて、トマトにナス、カボチャ。ルーは基本的なスパイスに加えて、インスタントコーヒーで渋みや苦味を与え、味に奥行きを持たせている。
ライスはすりおろした人参とバター。そして薬味は……
「陽一。大事な勝負や。薬味にも工夫があるやろ。まさかただのらっきょや福神漬けだけやないやろな」
「しまったー!! ルーや鶏肉のことにばっかり気を取られて、そいつを忘れてた……!」
一馬に指摘されて頭を抱える陽一。
薬味もまた、味を左右する重要な要素だ。
一馬の考え抜かれた薬味相手に、薬味なしでは勝負にならない。
「薬味なしのカレーなどカレーやない」という一馬や、降伏を勧める永田社長。
だが、ここからが味っ子の真骨頂だ。
逆境をバネにして、脅威の瞬発力を見せる。
「──母さん! あと材料はなにが残ってる?」
「もうろくな物が残ってないわ! パイナップル、りんご、カボチャ、あと玉ねぎくらいなもんよ!」
「……よーし、それで充分だ!」
そこから、強火で軽く火を通して甘酸っぱさを増したパイナップルのスライス、小麦粉をまぶし、玉ねぎ独特の香ばしさと甘みを出したオニオンフライ、薄切りスライスのかぼちゃチップスを、あっというまに作ってしまった。
「ありあわせの材料で、この短時間でよくぞこれだけのものを……なんという少年だ……!」
永田社長が驚愕の表情を浮かべる。
──ちょっと違いますが……これこれ、この場面が見たかったんですわ!
歩夢はご満悦である。
本来はパイナップルではなくりんごのスライスなのだが、誤差だと思いたい。
その後、数々の工夫を一馬の前でやって見せて、奇想天外なパイナップルカレーがテーブルに並ぶ。
外観に関しては極めてオーソドックスな一馬のチキンカレーとは好対照だ。
「それでは、ただ今より試食を始める。どちらがうまいかは、わしが食通の誇りにかけて正直に判定を下そう」
永田社長が宣言する。
陽一が勝てば、永田社長は日の出食堂一帯を潰して味ビルを建てるのを諦める。
一馬の勝ちなら、陽一たちは即刻店を立ち退く。
永田社長の確認の後、実食が始まった。
まずは一馬のチキンカレー。
「うむ、うまい! 食欲をそそる刺激的な辛さ! 野菜の風味が充分に効いていて、絶妙な仕上がりになっている! サフランライスがカレーの味を引き立てて、何杯でも食べられそうだ! 問題のチキンも、肉のエキスもよく出ている! それに何より肉が柔らかい! 骨付き肉が骨からポロリと落ちるほど柔らかく、しかも噛んだときの弾力を失っていない! ……さすがだ一馬!!」
「うっめーですわ!」
続いて、陽一のチキンカレーの試食。
「わずかだが一馬のルーより辛い! しかしその辛さは一瞬で消え、あとには適度な辛さが口の中に残る……うまい!! 何種類もの野菜の甘みが、一層カレーの辛さを引き立てる! これまた何杯でも食べられそうだ! ルーは香り高く風味よく、苦味や渋みなどの絶妙な味わいが十分に出て最高の味わいになっている! そして、チキンだ! うまい! そして柔らかい! 口の中で肉がとろけるようだ! 短時間で作った薬味も甘く、また香ばしく、さらにカレーの味を引きたてる工夫がふんだんに使ってある!! キミのも一馬に負けないくらい美味かったよ陽一君!」
「うっめーですわ!」
歩夢は判定役じゃないから純粋にふたりのカレーを堪能している。
法子がジト目で見てくるが、なるべく判定に影響がないよう、自重している部分もある。ここで陽一が負けたら本当に洒落にならないし。
それならそれで、試食の席に座らなければいいって話だが、歩夢に、この二人の料理を食べ逃がすという選択肢はない。
──ただ、主観ですが陽ちゃんのほうが上だと思いますわ。
辛さと食べやすさの差、ではない。
歩夢が知るものに加えて、陽一がさらに工夫を重ねた、その差。
それに、パイナップルをルーの器とした、その視覚的なワクワクが、美味しさを増している。
「おっちゃん! どっちもうまいなんて判定はないで! オレのと陽一のとどっちがうまいンかはっきりさせてくれや!」
「うむ……ふたつがふたつ、それぞれに素晴らしい味だった。あえてそれに優劣をつけるとするならば……!」
詰め寄る一馬に、永田社長は頭を悩ませて……決断する。
「決まりだ! この勝負、陽一君の勝ちだ!」
永田社長が宣言する。
理由は、歩夢とおなじ。わずかな差だったが、陽一の創意が一馬を上回ったのだ。
「でも一馬さんのカレーも、陽ちゃんのカレーに負けないくらい美味しかったですわよ! 特に王道を積み上げるような調味の工夫は素晴らしいの一言ですわ!」
びしっ! と親指を立てる歩夢だが、一馬は収まらない。
店の立ち退き撤回を法子と喜び合う陽一を「やいっ陽一!」と指さして宣言する。
「今回は負けにしといたる! しかしオレも天才や! この次はないで! わかっとるやろな!」
「ああ、わかってるよ。お前も大した天才さ! 次を楽しみにしてる! それまでその可愛い八重歯を覚えといてやるよ!」
「ボケーッ! 牙といえ牙と! オレのチャームポイントをなんとぬかすかー!」
追っかけ合いを始めた一馬と陽一を、他のみんなが微笑ましげに見ていた。
◆
「さて」
勝負が終わり、陽一親子が帰った後。
歩夢は永田社長とさしで向かい合っていた。
「永田社長。本日は無理を聞いていただき、ありがとうございましたわ」
「かまわんよ。いきなり電話が来た時は驚いたが、こういう無茶をする人間は嫌いではない」
歩夢が礼を言うと、永田社長は鷹揚にうなずいた。
スーツの着こなしも堂に入ったもので、いかにもやりての社長といった風情だ。
「無茶、とは思いませんでしたわよ。まあ、大前提としてダメ元ではありましたけれど」
「それなりに成算があった、と? ふむ。よければ聞かせてくれないかね?」
興味を惹かれたのか、永田社長が尋ねてきた。
「もちろんですわ。わたくし、この世には二種類の人間が居ると思っておりますの!」
「ほう、二種類」
「すなわち──美味しいものを独り占めしたい人間と、美味しいものをみんなと分かち合いたい人間ですわ! 世界中の料理を食べられる味ビルを建てたい! 永田社長は後者の人間だと思ったのですわ!」
「なるほど」
歩夢の言葉を、永田社長は楽しげに聞く。
この年の経営者だ。相応の見識は有しているはずだ。
その上で、相手の見識を新たな視点として楽しむ器量を持っている。
やはり一角の人物なのだろうと歩夢は感じた。
「面白い切り分け方だ。その分類だと、たしかに私は後者だね」
「かく言うわたくしも後者の人間ですわ! そして永田社長同様、夢がありますの!」
「聞かせてもらおう。おそらくキミはそれを語るために、この場に来たのだろうからね」
「いや陽ちゃんと一馬さんの料理を食べたいってのが大前提ですわ! 美味しい料理を食べたい! それもまた、わたくしの願いですから……しかし、永田社長にこの話をするのも、おなじくらい大事なことですわ!」
言わなくてもいい前置きだが、安生歩夢の根幹の部分だ。
それを理解してもらうために、あえて前置きしてから、歩夢は言葉を続ける。
「実はわたくし、こういう企画を考えておりますの!」
歩夢は、カバンから書類を出して、永田社長に手渡す。
歩夢が夢見るグルメの祭典。
その青写真を描いた企画書だ。
それに軽く目を通して、永田社長は「ふむ」とうなずく。
「なるほど。しっかりしたものだ……私に出資してほしいと?」
「出資は不要とは申しません。ただ、最悪金銭はわたくしがすべて負担してもいいと思っておりますわ。現状、わたくしが出せるものは、お金だけですので」
金はある。
現状でも歩夢の資産をすべて現金化すれば、歩夢が思い描く規模のイベントでも足りないということはないだろう。
「出資は不要、と言われたら、私は君のことを、とんでもない馬鹿か、とんでもない詐欺師かと疑わなければいけなかったな」
「お金が要らないなら、なにが要るんだって話ですものね……ぶっちゃけるならお金以外のすべてなんですが」
「人手に、伝手……イベントのノウハウは無くはない、程度だが」
「あとは信用、ですわね。現状、小娘一人が札束抱えて、こんなことやりたいですわって声を張ってる状態ですので!」
一応、信用に関しては味皇の裏書きもあるが。
これにおんぶにだっこしてると、鬼の室長さんが圧迫面接してきそうで怖い。
「ふふ、なるほど。それじゃあたしかに誰も乗ってこないだろうね」
そう言って、永田社長は笑う。
「──君のことは、調べさせてもらったよ。記憶喪失で天涯孤独の身ともなれば、人手や伝手に苦しむのも納得だ。これまでの人生で積み上げてきたものが存在しないわけだからね」
「そうですわね。戸籍を得て、資産を得て、住居を得て……やっとこさ信用だけは、一般社会人並みってとこですわ」
それでも普通の人間なら持っているはずの地縁血縁、それに学縁が無い。
だが、歩夢は、そんなことは百も承知だ。
泣いても喚いても、そんなものは無から湧いてこない。
いま持つ縁を大事にしながら、これから丁寧に築き上げていくしかないのだ。
「正直、この短期間で、しかも女の身でたいしたものだと思うがね。よい
「檀那……ああ、パパ活的な意味ですのね*1。違いますわ……まあ、お金の出処は褒められたもんじゃないっていうか、信用を積み増せるようなものでは、間違ってもないんですけれど」
「差し支えなければ、教えてもらってもいいかね」
「競馬の配当金を原資に財テク*2ですわ」
「なるほど、それはたしかに信用には繋がらない」
永田社長は苦笑した。
高確率で資産を増やせるとはいえ、財テクは博打に等しい。競馬なんて博打そのものだ。
「そう。現状、社長に信用していただけるほどのものを、わたくしは持ち合わせていませんわ。
「キミも人が悪い。わかっていて言っているんだろう?」
永田社長がニヤリと笑う。
「──おなじ言語を使う。おなじ価値観を持つ。おなじ夢を持つ。これもひとつの信用だよ。君の語る夢が面白そうだと。夢を共有してみたいと、そう思わせた時点で、君の勝ちさ」
それに、と永田社長は言葉を続ける。
「なにより、君は運がよさそうだ。そういう人間とは、共に仕事がしてみたくなる」
「永田社長、ご厚意感謝ですわ。ですが、今日は飛び込みで来た身。なのでまずはふたつ、言わせてくださいまし──これから仲良くいたしましょう。そして、いっしょに悪だくみいたしませんこと?」
今日、歩夢が永田社長に伝えたかったのは、このふたつだけだ。
単に人手や伝手、信用を求めてではない。
彼ならば。堺一馬を見出し、彼に惜しみない支援を与えてきた永田社長ならば。
歩夢の夢を、料理の祭典について、共に語ることができるだろう。歩夢はそう、信じたのだ。
「……ふふ、悪だくみはよかったな。思わず混ぜて欲しくなってしまう」
歩夢の言葉に、永田社長もいたずらっぽい笑みを浮かべ、手を差し出してくる。
「こちらこそ、よろしく頼むよ。安生くん」
「よろしくお願いいたしますわ。永田社長!」
歩夢はその手を、握り返した。