TSお嬢様はミスター味っ子の料理を食べ尽くす!【完結】 作:寛喜堂秀介
菊花賞が終わってから、しばらく。
とある競馬雑誌に、小さな持ち込み記事が載せられた。
記事には、場外馬券売り場のモニターの前で両手を広げる、競馬場に似合わぬ美少女の姿。
『菊の季節に桜が満開! 淀と府中で奇跡の唱和!』
そんなタイトルで書かれた記事には、この美少女についての真偽定かならぬウワサが載せられている。
曰く、高額配当窓口の常連。
曰く、競馬が趣味の、どこぞのお嬢様。
曰く、いつもお付きの人を連れて食べ物屋に居る。
読者は眉唾のウワサだろうと笑うだろうが、おそろしいことに半分くらいは実話である。
ともあれ。記事の内容はともかく、被写体が目を引く美少女なので、その姿は読者の記憶に残った。
そんなことを知る由もない歩夢は、今日も今日とて稲荷町商店街を歩いていた。
目的はいつもの食べ歩き……はついでで、商店街の組合長との交渉がメインで、その帰りだ。
永田社長という悪だくみ仲間を得た歩夢が、次に欲しいのが経験と実績。
そのためにも、歩夢が夢見る一大イベントの前に、自前で企画を立てておきたい。
そのつもりで、まずは気心の知れた地元商店街の組合長に、話を持ち込んだのだが。
「やっべーですわ。思ったよりでっけーイベントになっちまいそうですわ」
思ったより話が盛り上がってしまい、かなり大規模な話も出てきてしまった。
それ自体はいいのだが、あまり大規模となると、準備にも時間がかかってしまう。
だというのに、組合長たちは「2月頃にやりたいですなあ」「然り然り」とやる気だけは前のめりだ。
「まあ商店街の協力が仰げるんですから、この際願ったりですけれど、もっとおもしろい絵図面引き直して組合長ズに叩きつけてやりませんとですわ! わたくしがエンジョイさせて差し上げますわ!」
なんて叫んでいると、ちょっと楽しくなってきた。
やはりなんでも楽しんでやるのが一番だと歩夢は真理を再確認する。
「あれ? 歩夢さんじゃん。どうしたの?」
通りすがりの陽一に声をかけられた。
「こんにちはですわ陽ちゃん! ご機嫌麗しゅう! どこかお出かけですの?」
「ううん。帰ってきたとこ。今日から輸入牛肉の展示即売会だったでしょ? ウエマツの小西シェフと勝負する、ステーキコンクールの申込みが今日だったから」
「あ、今日でしたのね? 小西シェフとはお会いになりましたの?」
「ああ。会ったというか、やっこさん待ち構えてたよ」
言って、陽一は会場でのことを語った。
◆
輸入牛肉展示即売会会場。
ステーキコンクールの案内のアナウンスに従い、受付に向かった陽一を腕組み待ち構えていたのは、ステーキレストラン「ウエマツ」料理長、小西和也だ。
「来たか小僧」
「ああ。約束通り来たよ」
見下ろす小西の視線をまっすぐに返しながら、陽一は応える。
たいした因縁もない。ただ勝負を挑まれ、挑み返した間柄。だからこそ、負けられない。
そんな陽一の様子に、小西は不敵に笑い。
「ならば勝負だ。せっかくヒントをやったんだ。一次審査でコケるんじゃねえぞ」
言い捨てて、コンクールの参加受付に向かう。
その背に、陽一は指差し、言葉を叩きつける。
「言われなくても。決勝で待ってなよ!」
◆
「──って感じのことがあったんだ」
「味勝負! って感じですわね! 素晴らしいですわ! ぜひ応援させてくださいまし!」
歩夢の言葉に、陽一は眉をひそめた。
「そりゃ歩夢さんに試食してもらえりゃ心強いけど……まずはそれ以前の問題なんだよなあ」
「輸入牛肉の問題ですわね! 冷凍での輸送ですものね! しかもオーストラリア産の牛肉は、日本人には馴染みの薄い
「ああ、オレが普段使ってる肉とは根っこから違うのか……でもまあ、まずは食べてみて、問題を見つけ出さなきゃ」
「ぜひともお手伝いさせてくださいまし!」
歩夢は秒で企画作業を後回しすることに決めたが、味っ子関連だから仕方ない。
それから。
陽一とふたり、肩を並べて日の出食堂への道を歩く。
「そういえば陽ちゃん、風雲たけし城って見てます?」
「見てる見てる! あれ最っ高にワクワクするよね! オレもああいうアトラクションやってみたい!」
「オーディションに応募すれば、もしかしたら参加できるかもしれませんわよ! 陽ちゃんよりちっさい子でも参加してらっしゃいますし!」
「子供扱いはよしてよ。でも、応募するなら歩夢さんもいっしょにどう?」
「挑戦してみるのも楽しそうですわね! でも国境の坂*1を超えられる気がしませんわ……」
「悪魔の館*2とか、上から見てて他人事だから面白いけど、いざやると怖いかもね!」
「あんなクソセクハラが許されるなんて時代って怖いですわ……でも面白いは正義ですわ!」
そんなことを話しながら、日の出食堂に入る。
中で待っていたのは、味吉法子……だけではない。
味皇・村田源二郎と、味皇料理会イタリア料理部主任、丸井善男だ。
「村田のおっちゃんに、丸井のおっちゃん!」
「よう、元気にしてたか坊主!」
陽一の声に、丸井シェフが元気に返す。
それに続いて、歩夢が飛び出すように前に出た。
「おひさしぶりですわ味皇様! そしてはじめまして! わたくし安生歩夢と申しますわ! 丸井シェフのことは、陽ちゃんや法子さんからうかがっておりますわ!」
味皇の前なので、ややおしとやかなポーズをとりながら、歩夢は頭を下げる。
「いやはや、はは。イタリア料理部主任の丸井です。よろしく」
「こちらこそ、よろしくお願いいたしますわ!」
握手のためか、丸井シェフが伸ばしてきた手に、歩夢は名刺を差し出す。
「食い道楽 安生歩夢」。
謎の肩書に丸井シェフは怪訝な顔をしていたが、流すことにしたらしい。
味皇と丸井シェフは、あらためて、日の出食堂まで来た事情を説明した。
ウエマツの料理長、小西和也が、1年前まで味皇料理会の主任シェフだったこと。
ステーキの名人、肉料理の天才と讃えられていたが、わがままで傲慢な性格だったため、他人との折り合いが悪く、ついには味皇にすら噛みついて、味皇料理会を飛び出したこと。
「そんな男が、陽一くんと味勝負をするという話を聞いてな。あの男について、耳に入れておこうと思ったのだ」
「性格は悪いが、あいつは天才だぜ。陽一よ、おまえさんの腕を心配するわけじゃないが、よっぽど気を引き締めていかにゃならんぜ」
横で聞いている歩夢は、ふむ、とうなずいた。
本来、味皇と丸井シェフが陽一の元を訪れるのは、固い輸入牛肉を柔らかくするための工夫ができてからのことだ。
それが早まった理由は、考えてみれば単純だった。
陽一と小西和也の味勝負が決まったのは、本来よりずっと早い。
だからその分、ふたりが来るタイミングが前倒しになったのだろう。
さらに言えば、陽一はすでにウエマツのステーキを食べてしまっているので、丸井シェフが腕をふるってウエマツのお持ち帰りステーキを料理するシーンがしめやかに爆発四散してしまっている。
ウエマツの紙袋があるので、持ってきてくれてはいるようだが。
そうこうしているうちに、陽一がサンプルとして提供された赤身肉をみなに見せている。
「こりゃそうとうなもんだな。陽一、なにか算段はあるのか?」
「一応、いくつか試してみたいことはあるかな……歩夢さんはどう?」
丸井シェフの問に陽一は答え、歩夢に振る。
一同の視線が歩夢に集まる。
本来、陽一は苦労して一人で重曹の工夫を見つけ出す。
あんまり出しゃばってもどうかと思うし、すっとぼけたいのだが。
──だめですわ。味皇様に情けないところは見せられませんわ!
じっと見てくる味皇への見栄が勝った。
「陽ちゃん、カレー勝負でやったじゃありませんの。パインは肉を柔らかくする上に、味付けにもなるいい方法だと思いますわ」
「あ、そっか。あのときは軍鶏だったけど、モノが肉なら牛でも同じか。試してみるよ!」
陽一が手を打つ。
といっても、漬け込むには時間がかかる。
一個一個試すと手間取りすぎるので、歩夢は先にいくつか工夫を伝えることにした。
「他にも、王道なら玉ねぎ、マリネ、舞茸、ビール、コーラなんかもありますわね」
「ビールにコーラ?」
「炭酸がお肉を柔らかくするんですのよ。すき焼きとかチャーシューなんかに使いますわね」
歩夢の言葉に、丸井シェフが「ほう」と感心し、味皇はうむうむとうなずいた。
それで気持ちよくなってしまった歩夢は、さらに言葉を続ける。
「──それから、
「味噌!?」
「昔からある方法ですのよ。徳川将軍に献上されていました
「ありがとう歩夢さん! よーし、とにかく片っ端から試してみるよ!」
歩夢の説明に、陽一が目を輝かす。
が、歩夢は内心冷や汗をかいていた。
──やっべー調子に乗りすぎましたわ。陽ちゃん重曹を選んでくれますかしら。
歩夢が上げた候補の中でも、重曹は効く。
というより、冷凍肉の欠点である水分の出やすさを補う働きがあるため、いい選択ではあるのだ。
ただ、処理を間違えば重曹自体が持つわずかな雑味が残るため、どうなるかちょっとヒヤヒヤだ。
「やっぱり歩夢さん、くわしいわねえ」
「食い道楽ですので!」
法子の笑顔に、歩夢はサムズアップで返す。
歩夢自身、そこまで専門知識がある訳ではないが、ダテに情報化社会を生きていない。食い気に関することならなおさらだ。
まあ、調べたきっかけは、味っ子のステーキ勝負の回なのだが。
「──さてさて、どうなったかな」
一時間後。
陽一はキッチンから、寝かせていた肉を焼いて持ってきた。
歩夢が挙げたもので、手に入るものは全部試しているので、結構な数になっている、のはいいのだが。
──味皇様たち、待ってますわ。なんで帰りませんの? 気まずいですわ!
実験が気になるのか、味皇も丸井シェフも、すっかりテーブルに落ち着いてしまっている。
陽一が、テーブル狭しと肉の乗った皿を並べていく。
どれがなにに漬け込んだかわかるようにか、平皿の縁には、使った材料が入った醤油皿が置かれている。
「ふむ。では、試してみようか」
味皇が、洗練された手付きでそれぞれの肉を、人数分に切り分ける。
それを全員で試食して。
「うん、どれも効果はあるけど……肝心の肉が安くて筋っぽいのがなあ」
「重曹はいい感じですわね。ヨーグルト、パインもそれに次ぎますわ。その他のはもう少し寝かせる必要があるでしょうか……あとは筋切りなんかでも、変わってくるかもしれませんわね」
陽一に続いて、歩夢がさり気なさを装って重曹をプッシュする。
味皇はアドバイスすることなく、静かにうなずいている。
「──よし、だんだん見えてきた!」
と、陽一が勢いづく。
やるべきことが見えて、あとは試行錯誤の時間。
となると作業に集中したい陽一が取る手段はひとつ。
「さあ、これから研究だ! みんな帰った帰った!」
「せめて、せめてソースをかけてもうひと箸食べさせてくださいましー!」
ぐいぐい押してくる陽一に、歩夢は情けを乞う。
そんな歩夢に、陽一は殺し文句を用いる。
「大丈夫大丈夫。歩夢さんにはまた試食してもらうから」
「わかりましたわ。さあ、帰りましょうか味皇様、丸井シェフ」
優雅に踵を返す歩夢。
その様子に、味皇は微笑ましいものを見る目になる。
横では丸井シェフが、残念な生き物を見る目で歩夢を見ていた。