TSお嬢様はミスター味っ子の料理を食べ尽くす!【完結】 作:寛喜堂秀介
数日後。
歩夢は日の出食堂で、陽一のステーキを試食することになった。
日の出食堂に行くと、野球道具を抱えた少年たちが、入口前で法子と話している。
どうやら陽一を野球に誘いに来たけど、陽一が料理の研究中で断られた、というところらしい。
「お邪魔いたしますわね皆さま──法子さん、参りましたわ」
ふわりと髪をなびかせ、少年たちと入れ違いに法子に挨拶する。
少年たちがドギマギしながら顔を見合わせているのを尻目に、歩夢は笑顔の法子に招かれて、食堂に入った。
「歩夢さん、待ってたよ! いま準備するから待ってて!」
そう言われて、法子とともに待つことしばし。
「さあ、これがオレの陽一ステーキさ! 食べてみてよ!」
意気軒昂の陽一。
歩夢は出されたステーキ皿を見る。
ステーキに、卵黄を加えた大根おろしソース。
──見た目はほとんど完成ですけれど……皿にボッチがありませんわね。
陽一がステーキ勝負で使うことになる、冷めたステーキを温めるための工夫だ。
だが、それ以外はほぼ完成。美味しそうな匂いに、歩夢は逆らえない。
「それでは、いただきますわね」
ステーキをナイフで切る。
断面から、肉汁があふれ出てきた。
ステーキ肉をスライスし、脂身を挟み込む工夫だ。
切った肉をフォークで刺し、口に放り込む。
「これは──うっめーですわ!!」
「よし!」とガッツポーズする陽一。
肉は柔らかく、またスライスした肉の巻き方に工夫があるのか、バラけない。
重曹と挟み込んだ脂身のおかげで肉汁が豊富に出ていて、ジューシーな肉の旨味がガツンと味わえる。
加えて黄身の入った大根おろしのソース。赤身肉にあるまじき濃厚かつ脂分豊富なステーキを、卵黄でまろやかになった大根おろしがさっぱりと食べさせる。
「美味しかったですわ陽ちゃん。肉の工夫もすごいですし、まさかステーキに黄身おろしを合わせるとは」
「へへーん、ちょっとしたもんでしょ?」
ステーキを全部食してから、歩夢は満足顔で語る。
陽一はご満悦だが、しかし。
「あら……」
「どういたしました? 法子さん」
いっしょに試食していた法子が眉をひそめるのを見て、歩夢は尋ねる。
「いえ。なんだか、時間が経つにつれ、少し味が落ちたような……」
「そんな、なんで!?」
「あ、それたぶん冷めたからですわ」
焦る陽一に、歩夢が答える。
大根おろしソースは冷たい。
なのでその分、鉄板が冷めるのが早くなってしまい、それが味を損なってしまったのだ。
かといってソースを温めてしまうと、今度はソースのほうが、大根の旨味をそこない、黄身が固まってしまう。
「よーし、それなら、冷めないようにもっと皿を温めたら……」
「そうするとステーキ肉に火が通り過ぎるので、やめておいたほうがいいですわ」
陽一の発言に、歩夢がふたたびツッコむ。
そもそも、鉄板皿の役割は、あくまで保温。
それでも、レアで焼き上げたステーキを鉄板皿に乗せれば、食べ進んだ頃にはミディアムになる、と言われてる。
熱しすぎると焦げるのは必定。
最初から最後まで冷めない、は鉄板皿の仕様外だろう。
もっとも、この手の鉄板が冷めない工夫は、ミスター味っ子や将太の寿司で、色々なされているのだが。
「そんな……歩夢さん。どうにかできないかしら?」
「そうですわね……」
法子に尋ねられて、歩夢は考える。
冷たいソースによる影響を和らげる方法は、いくつか思いつく。
要はソースが肉や鉄板に触れなければいいのだから、間になにか挟んでしまえばいいのだ。
といって、肉とソースが絡まなければ本末転倒なので……
「薄切りのパンかおこげ──じゃコンクールで、ステーキとして邪道あつかいされそうですし、揚げたライスペーパーなんかを肉とソースの間に挟むか、ソースを泡立てる手がありますわね」
ライスペーパーであれば、肉汁を吸い上げながらソースとの間の壁になる。また香ばしさの演出にもなる。
泡は、単純に内部の空気が断熱の役割を果たしてくれる……が、味わいが変わってしまうので、味の調整が必要になるだろう。
「なるほど!」
「でもそれじゃ根本的な解決にはなりませんわ」
試してみたくて目をキラキラさせる陽一に、歩夢はまるっとひっくり返して、語る。
「──これだと、他の出店者の皆さまと同じラインに立っただけですわ。でも、時間を置いてもステーキが冷めない。そんな方法があるのなら……ライバルに対する絶対的な武器になると思いませんこと?」
まあ、要はボッチの工夫をやって欲しい、という話である。
◆
輸入牛肉ステーキコンクール当日。
歩夢は観客として、大会を見に来ていた。
味皇や丸井シェフも来ていたので、挨拶してから、ステーキの調理にかかる料理人たちをながめる。
「歩夢くん。陽一くんはどうだね?」
「はい、味皇様。ウエマツのステーキがお店の物そのままなら、陽ちゃんの勝ちはゆるぎませんわ」
味皇の問いに、歩夢はそう答えて微笑を浮かべる。その胸は微小であった。
「ふむ。もうひと工夫してくる可能性があると?」
「それが難しいんですわよね。店の戦略的に考えたら、定番メニューで勝つ意義が大きいですし。もともと極めてハイレベルにまとまった、お客側としてもコストパフォーマンスのよい作品ですし、新規開発にコストをかけずに済みます。それにお持ち帰り商品としても提供しておりますので、店のキャパシティ以上にどんどん売っていけるってのも強みですわね」
歩夢は味皇に説明する。
聞き慣れぬ横文字に味皇は不思議そうな顔をしていたが、意味は通じるだろう。
「なるほど。しかし……」
「そう。これは味勝負、なのですわ」
味皇と歩夢の見解が一致する。
どれくらい工夫を加えてくるかはわからない。
傲慢な小西の性格だ。
「小僧ごときに全力を出す必要はない」とか言ってもおかしくない。
おかしくはないが、工夫を加えてくる可能性は、やはり高いだろう。
そう見込んでいたのだが。
「ウエマツのステーキ、調理している様子を見るに、既存のものと、ほとんど変わらぬようだが……」
「でも小西シェフの表情、真剣そのものですわ。調理の手順にすこしの揺らぎもなく、細心の注意を払って料理してらっしゃいます」
味皇の言葉を、歩夢が引き継ぐ。
己の工夫を信じ、己の技量を信じる。そこに慢心はない。
「少年相手にな……ひょっとしてあの男、陽一君と我々の縁も知っているのかもしれんな」
「あとは、たぶん……食材のグレードも上げてるんじゃないでしょうか。巻いているベーコンがあきらかに上物ですわ」
「ふむ。食材にも相性がある。ただ高いものを使えばよいというものではないが……ヤツも肉料理の天才。そこに思いをはせておらぬはずはない、か」
話し合う味皇と歩夢に、丸井シェフが心配そうに眉をひそめた。
「おいおい、陽一のやつ、大丈夫なのかよ」
「大丈夫ですわ。陽ちゃんの工夫、あいかわらずぶっ飛んでおりますので」
見れば、ちょうど陽一がステーキ肉を薄切りにして、すり潰した脂身を挟んでいる。
ステーキ皿には、ちゃんとボッチがあるので、歩夢はちょっと安心した、というのは置いておいて。
奇天烈な光景に、丸井は納得せざるを得ない。
双方、調理の手腕を目にしてか、陽一と小西は、視線を交錯させて──不敵に笑う。
おたがい、相手をライバルと認め、気合を入れ直す。
その様子に、味皇が「ふっ、あやつめ……」と頬をゆるめた。
才能に恵まれ、己の腕に絶対的な自信を持ってきた小西和也。
それゆえ周囲を見下し、味皇をすら倒すべき敵と見定めていたあの男が、等しい技量を持つ敵を見つけた。
しかもそれが下町の包宰──味吉隆夫の遺した一粒種だというのだから、味皇も、過去の出来事と重ね合わせてしまっているのかもしれない。
「丸井よ。小西のやつは大丈夫かもしれんな」
「だとしたら、陽一のおかげでしょう。さすがオレの見込んだ男ですよ」
味皇と丸井シェフが静かに語り合う。
その渋い姿に、歩夢はきらきらと目を輝かせていた。
制限時間が近くなり、料理も佳境。
コンクール会場に、肉の焼ける香ばしい匂いが漂う。
そして。
「時間です! 焼き上がったものは、順次急いで審査員席にお持ちください!!」
西部劇のガンマンの格好をした司会が、声を張り上げる。
声に従い、審査員の前に、ステーキ皿が乗せられたワゴンが並んでいく。
コンクールに参加したのは20店。それだけのワゴンがすし詰めになっているんだから、壮観だ。
そのうちの一台。
日の出食堂のワゴンに乗っているステーキ皿を見て、小西は唐突に笑い始めた。
「小僧! ご大層に用意してきたあの鉄皿にどんな工夫があるのか知らないが、おまえのステーキの湯気も、他の連中と変わりはしない! あのボッチはただのハッタリか!?」
その問いに、陽一は答えない。
ただ、試食に移ろうとする審査員に、言った。
「オレのステーキを食べる人は、まず皿のボッチの上に乗せてから食べてください!」
その言葉に従い、ボッチの上に切り分けたステーキを乗せた、瞬間。
香ばしい音を立てて、ステーキから湯気が上がり始めた。
その場の全員が驚愕の表情を浮かべ。
陽一は一人、ぺかりん、と笑っていた。
◆
審査員は、まずはひと口ずつ味見して、一次審査の合否を判断する。
残ったのは4店。
【レストラン「ラ・シャイ」】。【杉屋】。ステーキレストラン「ウエマツ」。そして、日の出食堂。
続いて、残った4店のステーキをじっくり味わって、やわらかさ、肉汁等5項目で審査する。
だが、ラ・シャイと杉屋は、早々に優勝レースから脱落した。
肉汁が決定的に足りないせいで、ソースとの食べ合わせに難が生じてしまったのだ。
──ラ・シャイのマスタードソースも杉屋のブルーチーズソースも美味そうですわ! あれ霜降りでやるとめちゃ美味しいやつですわ! ぜったい食べに行きますわ!
一方歩夢は、観戦しながらそんなことを考えている。
ともあれ、勝負は最初からウエマツと日の出食堂の一騎打ちの情勢。
ウエマツのステーキは、周りにベーコンを巻き、ソースはパセリの入ったレモンバター。つけ合わせはトマトのスライス。
パパイヤ酵素に漬け込んだステーキは、この上もなく柔らかく、ベーコンとレモンバターからたっぷりの脂分を加えている。
レモンの清涼感。パセリの香気。トマトの酸味。すべての工夫がステーキをさっぱりと食べさせる。
評価は極上。
歩夢の記憶にある反応より、みな心を動かされた様子。
ブラボーおじさんであれば、「ブラベスト!」と叫んでいただろう。
──やっべーですわ。こんなものお出しされるんなら、なんとしても審査員に潜り込んどくべきでしたわ!
歩夢は悔しがるが、もう遅い。
続いて日の出食堂のステーキが審査員の前に並べられる。
日の出食堂のステーキは、一見ごく普通の赤身肉のステーキの上に、揚げ焼きにした薄いライスペーパー。その上から、軽く水気を切り、黄身を加えた大根おろしソース。つけ合わせは小梅と栗の実だ。
重曹に漬け込んだステーキは、ウエマツと同じくか、それ以上に柔らかい。
スライスして牛脂を挟み込んだおかげで、たっぷりの脂分を加えながら、赤身肉と抜群の一体感を持っている。
揚げ焼きにしたライスペーパーは、大根おろしの冷たいソースが肉を冷やさないよう守りながら、肉に香ばしさと歯ごたえを加えている。
卵黄を加えた大根おろしは、肉汁たっぷりで脂っぽいステーキを、さっぱりと食べさせ、つけ合わせの栗の実のガーリック炒めと小梅が、脂っぽくなった舌を新しくさせる。
そして、ボッチの工夫。
ステーキ皿が冷めても、端にある盛り上がりだけはむしろ熱いほどで、そこに切り分けたステーキを当てると、冷めたステーキも熱々で食べられる。
審査員の反応も
料理の出来は、たがいに互角に見える。
だが。
「この勝負、陽ちゃんの勝ちですわね」
切り分けたステーキをボッチに押し当てる審査員の表情を見て、歩夢は勝利を確信する。
「ほう。見たところ、おたがいの工夫は互角だが、なぜそう思ったか、教えてくれないかね」
「はいですわ、味皇さま! 若輩ながら安生歩夢、答えさせていただきますわ!」
尋ねてきた味皇が、答えを知っていることを確信しながら、歩夢は答える。
「小西シェフの料理は素晴らしいですわ。ただ美味しいだけではありません。視覚的にも興味を引くもので、匂いにも心を配っています。たっぷりの脂が弾けて耳を楽しませ、ステーキ皿の熱が失われないようにと、温度にまで気が配られている。味覚は他の五感に影響を受けることをよくご存知で、ステーキを心地よく味わえる工夫が巧妙に成されてますわ。まさにステーキの名人」
「うむ。だが、小西がそこまでしても、歩夢くんは陽一君の勝利だという」
「はい。なぜならば……陽ちゃんの料理には、それに加えて、食べる者に“料理する楽しみ”があるからですわ!」
歩夢には信念がある。
料理は舌だけでなく、心でも食べるもの。
楽しい気分で味わえば、美味しさは何倍にもなる。
「エンジョイ・イーティング! 料理を作る楽しみすらも、食べる方と共有する。それが陽ちゃんの勝因ですわ!」
歩夢の言葉とともに、審査結果が発表される。
ウエマツは、5項目すべてに丸。
日の出食堂は、4項目に丸……そして、焼き方に二重丸。
「決まりました! 優勝は日の出食堂です!」
司会の声に、歓声が上がる。
そのすべてが、陽一の勝利を祝福する声だった。
そして、少年料理人と肉料理の天才は、たがいをライバルと認め合う。
次の勝負を。あるいは別の形での出会いを約束して、小西和也は去っていった。
その後姿を見ながら、歩夢は。
いいもん見せてもらいましたわ、と感動の余韻に浸っていた。