TSお嬢様はミスター味っ子の料理を食べ尽くす!【完結】 作:寛喜堂秀介
ステーキ勝負も終わり、11月下旬。
歩夢は商店街のイベントのため、奔走していた。
その間に、グラタン勝負の話が始まってしまった。
陽一の同級生、【江川たけし】は、有名な料理研究家、【江川洋子】の息子でありながら、やせっぽちのガリガリ。
多忙な彼女に代わってお手伝いさんが作る料理は、あまりおいしくはなく、そのため少食になってしまったという。
それを心配した陽一は、たけしに日の出食堂の料理を振る舞おうとしたのだが、江川洋子はそれを許さず、口論の末に味勝負にもつれ込んでしまう。
そのお題が、イワシを具材に使ったグラタン、なのだが。
勝負の大元は、江川たけしの健康を思っての対立だ。
そしてたけしが本当に求めていたのは、母の手料理。
正直歩夢の出る幕じゃない。
なので、歯噛みしながらも味勝負を見過ごし、その後、日の出食堂に並んだイワシのパイグラタンを注文した。
「はい、歩夢さん。イワシのパイグラタンよ」
「ありがとうございますわ法子さん!」
運ばれてきたのはマグカップに入ったパイグラタン。
パイがドーム状にカップを覆っていて、見た目はちょっとした気球だ。
「もう見た目だけですっげー美味そうですわ!」
パイの焼き色は、食欲をそそるきつね色。
フォークで突くと、パイは乾いた音を立てて崩れる。
マグカップの中には、たっぷりのホワイトソースに、色とりどりのマカロニ。パイ生地の欠片ごとマカロニをすくい、ひと口。
「──っ、うっめーですわ!」
マカロニの空洞部分にイワシが詰められている。
下味のついたイワシの旨味を充分に含んだマカロニは、まろやかでコクのあるホワイトソースとの相性も抜群。
しかもマカロニには、ほうれん草、カレー、ケチャップなどが練り込まれており、グラタンに色味を添えるとともに、味の変化を楽しめる。
「これは! たのしくて! おいしくて! さいっこーですわ!」
幸せに浸りながら、満面の笑顔で、歩夢は両手を広げる。
「へへっ。だろっ!」
キッチンカウンターの向こうから、陽一がピースしてきた。
直後、イワシのパイグラタンの注文が殺到した。
◆
11月も下旬になって、ようやく商店街の企画がまとまってきた。
そこで、いまやってる悪だくみについて、報告とお願いをするため、仲間である永田社長にアポを取ると、意外なところで話をすることになった。
その場所とは。
「ふちゅー! ですわ!」
11月29日、東京競馬場の、馬主専用駐車場。
黒塗りのベンツから降り立った歩夢は、天井に向かって両手を広げる。
落ち着いた色味のドレスに白くてふわふわのファーコートは、まるで身分を隠しているお姫様。単純に似合いすぎていて人目を引く。
「うわあ……止まってるの高級車ばっか」
きょろきょろしながら助手席から降りてきたのは、カレー屋の若旦那、一雄。
気合を入れてスーツで来ているのはいいが、ワインレッドのダブルスーツに黄色のネクタイはシンプルに似合っていない。歩夢がお姫様なら、一雄は道化師といった風情だ。
「おいおい。ふたりとも、私を置いて行かないでくれよ」
言いながら降りてきたのは、永田社長である。
普段と変わらぬスーツに、黒のロングコートを引っ掛けている。
それが妙に堂に入っているのはいいが、フルスモークのベンツからこんなのが顔を出したらちょっと怖い。運転手はグラサン黒背広だし。
歩夢たちを迎えに来た時も。
「DHULIAのオーナー、真船一雄君だね? 君の店はうちの女性社員からも評判がいいよ。私は安生君の悪だくみ仲間の永田だ。これからよろしく頼むよ」
などと後ろから声をかけられて、一雄は緊張しきりだった。
ともあれ。
今日は永田社長の誘いで、東京競馬場に来ることになった。
まあ、どのみち11月29日はジャパンカップがある日なので、歩夢と一雄は行くつもりだったが。
「でも、驚きましたわ。永田社長がお馬さんをお持ちだったなんて」
「私自身、自分が馬を持つとは思わなかった。だが、馬好きの友人に、絶対楽しいから、と一頭押し付けられてしまってね。資格を取って馬主をやることになってしまったよ」
「布教用ってやつですわね! 素晴らしい趣味人ですわ!」
「いや、馬一頭いきなり押し付けられるのはちょっと怖い……」
一雄の一般人視点のツッコミはともかく。
馬主席に向かい、歩きながら、永田社長は話を続ける。
「まあ、代わりというわけではないが、彼にも私の道楽につき合わせている。だからおたがいさまの関係ではある」
「味ビル関係ですの?」
「というか、美食関係かな。各地の名物料理を求めて、いろいろと連れ回しているよ」
「そのご友人、得しかありませんわ!」
「歩夢ちゃん視点だとマジで得しかないね」
一雄が苦笑交じりに言う。
馬と美食。歩夢の趣味全部のせである。実際はそこに漫画も加わるが。
電子書籍だけでなく、週刊少年ジャンプが、最近歩夢の本棚を圧迫しつつある。マガジンも、はじめの一歩が連載され始めたら買う予定だ*1。
◆
手続きを済ませ、馬主席の片隅を拠点と決めて。
馬主専用の馬券売り場で何レースか買ってから、歩夢たちは席に落ち着く。
眼下には広大なコースが広がっており、レースの様子を一望できる。
一雄はそれよりも、馬主席の空気に物怖じしているようなので、歩夢は笑顔とガッツポーズをプレゼントした。
「さて、まずは観戦しながら、安生君の話を聞かせてもらおうか」
永田社長が口を開いた。
歩夢はうなずいてから、まとめた書類を社長に差し出す。
「来るべきグルメの祭典に先立って、わたくしが催そうと考えているイベントの企画書ですわ」
「ほう……」
と、永田社長は企画書に目を向ける。
表紙には、「下町グルメ合戦(仮題)」と書かれており、協賛に稲荷町商店街組合、岡本町商店街組合の名がある。
「ご存知かもしれませんが、この稲荷町と岡本町、仲は悪くはありませんが、対抗意識が強いんですわ」
「言っちゃなんだけど、しょうもないとこで張り合ってるよね。合同で旅行に行くくらいには親しいのに」
「ま、親しいからこそ、かもしれませんけれど。こういうのは健全にスポーツなんかで発散すべきだと思いますわ」
「草野球チーム同士でも言い合ってるけどね。仲田は反則だろとかマッチョは反則だろとか」
歩夢の説明に、一雄がつけ加える。
半分茶化したようになってしまっているが、事実だから仕方ない。
「ともあれ、この対抗意識は、食に関しても例外ではありませんわ。岡本町がラーメン祭りを開けば、稲荷町はにぎり寿司コンテストを開く、といったように……ですので、いっそ合同で対抗戦を催しちゃおう! というのがこの企画の趣旨ですわ!」
「……なるほど、面白い。話題性も高いし、メディアも食いつきそうだ……それに、これなら運営も少人数で済むだろう」
企画内容に目を通しながら、永田社長は評価する。
「えーと、一応、うちの店を紹介してくれた雑誌やテレビの関係者にも聞いてみましたが、手応えよかったです。はい」
メディアに関して、一雄がつけ加える。
メディアとの折衝は、一雄が引き受けている。
歩夢が直接折衝すると、別の番組や雑誌へのしつこい勧誘が来るのが目に見えているから、一雄としては当然の選択だろう。
実は、歩夢の状況も、戸籍を取得した頃とはだいぶ違ってきている。
セキュリティのしっかりとしたマンションに居を構え、資産も安定している。
もはや祖父に目をつけられようと怖くない……のだが、一雄が間に入ったほうが面倒事が少ないのなら、素直に頼った方がいい。
「それは素晴らしい。だが、ひとつ、問題があるね。おそらくそれが、私と話をしにきた理由だと思うが」
「一番の理由は、悪だくみ仲間だから、ですが……見破られちゃいましたわね」
永田社長の言葉に、歩夢が笑顔を返す。
「この勝負、稲荷町の勝ちが見えている。なぜなら稲荷町には、天才少年料理人、味吉陽一君が居るのだからね」
「そうですわね。岡本町にも天才少年料理人が居ないかぎり、バランスが取れませんわね」
「ふふ、困ったね。そんな話を聞けば、うちの天才少年料理人が出せ出せとうるさいだろう……一馬には、私から話しておこう」
「ありがとうございますわ永田社長! もちろん店舗が借りられるよう、先方にお話は通しております! みんなでイベントを楽しみましょう!」
馬主たちの注目を浴びながら、歩夢はふたりに語る。
それから、イベントについて、いくつか確認して。
「……そういえば、私のほうでも、ちょっとした悪だくみしていたのだよ」
永田社長は手を打って、いたずらっぽく笑う。
「悪だくみですの? 面白そうですわね!」
「ああ。君に一人、紹介したい人がいるんだ。安生君の話を気に入りそうな人をね……もっとも、安生君のいうところの“美味しいものを独り占めしたい人間”かもしれないが」
「お名前を、教えていただいても?」
歩夢の問いに、社長は居住まいを正して、答えた。
「──美食60年、【飛鳥涼吉】」
ちなみに歩夢さん、この日のレースでさらっと2600万ほど勝ってます。