TSお嬢様はミスター味っ子の料理を食べ尽くす!【完結】   作:寛喜堂秀介

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34 ペガサスSファンタジー

 

 

 それは、なんの変哲もない取材のはずだった。

 

 

 ──素性の分からない記憶喪失の人間が、戸籍を得るために、家庭裁判所に就籍の申し立てをする。

 

 

 たしかに珍しい。

 連日報道するほどではないが、ニュース番組の一枠を埋めるには充分な案件だ。

 その上、記憶喪失だという人間が、「若い」「美女」だというのだから、報道関係者が飛びつくのも仕方ない。

 

 とはいえ、この手の話は盛るのが常識。

 その美女というのも、どうせそれなりの容姿の女だろうと思っていた。

 

 だが。

 それなりに豊富な報道経験からの予測は、裏切られた。

 担当の弁護士から報道関係者一同に紹介された女は、開口一番、元気全開の声を放った。

 

 

「皆さま、本日はわたくしのためにお集まりいただき、ありがとうございますわ! わたくし安生歩夢と申します! よろしくお願いいたします、ですわ!」

 

 

 ひと目見た時、ヤバいと思った。

 

 整った美貌。

 活力にあふれた目。

 エネルギーを全身から放射しているかのようなオーラ。

 大ぶりな動作は、人から見られることに慣れた──さながら一流の舞台役者。

 

 なにより、声だ。

 耳に心地よい透き通った声質。

 それが、どんな喧騒も貫通するような力を持っている。

 

 

「タダモノじゃないぞ、この子は……」

 

 

 第一印象は裏切らなかった。

 まず視聴者の反応がすごい。

 

 

「あの子は何者だ」「どこに住んでるんだ」「会わせろ」

「家族です。連絡先を教えてください」「応援したい」「寄付したい」「支援したい」

 

 

 回線は簡単にパンクした。

 

 

「あれ、芸能界(こっち)に引っ張れませんかね」

 

 

 そんなことを言い出す者も居た。

 が、うなずく気にはなれなかった。

 

 

「いや、やめといたほうがいいな」

 

 

 彼女は記憶喪失で、素性がわからない。

 ということは、逆説的に、どんな素性でもありうる、ということだ。

 立ち居振る舞いを見れば、教育の行き届いた──相当なお嬢様だというのは、嫌でもわかる。

 

 

「でも、もったいなくないスか?」

 

「もったいねえな。だがまあ、藪をつついて蛇を出すのも怖い。素人として出てもらうに留めとくが吉さ」

 

 

 どのみち、出す出さないに口を挟める立場じゃないが、訳知り顔でそう語った。

 

 そんな会話をしてから、数ヶ月。

 彼女が新聞や雑誌に載るたびに、切り抜き帳(スクラップブック)に貼り付け、側に置いておく生活をしていたが、そこに新たなニュースが舞い込んできた。

 

 グルメ合戦。

 彼女が企画したという、地域を巻き込んだ一大イベント。

 そこで見た彼女は、あのときのようにキレイで、輝いていて。

 

 そしてこの日、奇跡を見た。

 数千の観衆と自然体で向き合う。

 一声一声が、聴衆を魅了してやまない。

 一言一言が、聞くもの全てにエネルギーを与える。

 

 忘れられない幸福体験。

 

 この日数千人が、安生歩夢を直に知った。

 そして日本中が、テレビ越しに安生歩夢という個性(キャラクター)を知った。

 いまはまだ早い。だが彼女を知るものがこのまま増え続ければ……ある段階を超えれば、人気は爆発的に膨れ上がるだろう。

 

 

「これは……すごいことになるぞ」

 

 

 

 

 

 

 ジェネシスが白旗を上げたことで、ハンバーグ勝負に決着がついて、数日。

 

 

「一雄さん、阪神に行きましょう!」

 

 

 電話口に立った一雄に、歩夢は開口一番ぶちかました。

 受話器越しに、一雄が戸惑う気配が伝わってくる。

 

 

「阪神……ああこの18日、東京ドームのこけら落としに、巨人阪神戦やるらしいね。昨シーズン引退した江川が引退登板するっていう」

 

「マジですの!? それはぜひとも観てみたい……って違いますわ! 阪神は阪神でも、阪神違いですわ!」

 

 

 話の内容に心惹かれまくったが、歩夢はかろうじて耐える。

 野球ファンとしては心惹かれるイベントだが、いまは関係ない。

 どうせなら暗黒期じゃなくて、阪神が優勝した1985年に行ってみたかったと思うが、言っても仕方ない。バース掛布岡田*1が揃ってるところを見れただけでも御の字だ。

 

 というのは、さておき。

 阪神違い、という言葉に、一雄は戸惑いながら。

 

 

「え、歩夢ちゃんがそれ以外に言う阪神って……ひょっとして競馬場?」

 

「その通りですわ! 仁川(にがわ)の阪神競馬場! 狙いは第11レース──重賞ペガサスステークス、ですわ!」

 

 

 阪神競馬場は兵庫県宝塚市にある、中央競馬の競馬場だ。

 ペガサスステークスは昨年──1987年より始まった、阪神競馬場の重賞レースだ。

 もちろん、ただの重賞レースのために、わざわざ関西まで行きはしない。だが、これはただの重賞レースじゃない。

 

 

「ペガサスステークス……歩夢ちゃん、ひょっとして!」

 

「そう! あのオグリキャップ様の中央競馬デビューですわ!」

 

 

 気づいて、声をはずませる一雄に、歩夢は満面の笑みをたたえて答えた。

 歩夢が一雄に布教した漫画、「ウマ娘 シンデレラグレイ」の主人公の、モデルとなった競走馬だ。

 

 

「うう、行きたい! 行きたいところだけど、いま新店舗について、いろいろ詰めてて……」

 

 

 一雄が声を震わせながら答える。

 葛藤している姿が目に浮かぶようだ。

 しかし、歩夢も闇雲に一雄を誘ったわけじゃない。

 いや、ノリと勢い100%ではあるのだが、一雄の抱えている問題についても、ちゃんと考えている。

 

 

「それに関しては、一雄さん、わたくしにいい考えがあるんですわ!」

 

 

 たとえ本当にいい考えだったとしても、絶対にやらかしそうなセリフになっているが、問題ない。

 

 

「いい考え……というと?」

 

「はいですわ! いま永田社長にお願いして、探していただいているところなんですけれど……数日ほどお時間をくださいまし!」

 

 

 食材ではない。人である。

 ジェネシスの元社長、【毛利】のことだ。

 ハンバーグ勝負で早々に白旗をあげて数日。

 ジェネシスは店舗を閉じ、阿部二郎も毛利社長も姿が見えなくなった。

「おしまいだハハハ……」と身の破滅かと思うような絶望っぷりを見せていたので、阿部二郎と違い、敗北が味将軍に知れたら切られる立場なのではと推測しているのだが。

 

 それなら拾ってもいいよね、というのが安生歩夢である。

 

 実はすでに所在も確認できている。

 どうも妻子にも逃げられ、安アパートに引きこもっているらしい。

 秒速の落ちぶれっぷりは、アニメ版の彼のセリフ、「落ちてゆく~、ど~こまでもど~こまでも落ちてゆく~」を地で行っている。

 

 まあ、切られたのは味将軍にだけじゃない、という話なのだろう。

 ともあれ。

 

 

「あ、もしかして歩夢ちゃん、オレと阪神競馬場にいくためにいろいろ考えてくれたの?」

 

「ハンバーグ勝負のときにふと思いついて、速攻永田社長にお話したんですわ!」

 

 

 ちょっと期待のこもった一雄の問いを、歩夢はばっさりと切って捨てた。

 つまりはまったく関係ないということだ。

 

 

「そうかぁ……でも、ひょっとして泊まりだったり?」

 

「日帰りの予定ですわね! 新幹線で朝イチ出発ですわ!」

 

「そうかぁ……」

 

 

 一雄の声音は、なぜか子犬のようだった。

 

 

 

 

 

 

 ある者は言う。

 地方から中央に出て活躍し、怪物と謳われ、皆に愛された様はハイセイコーのようだと。

 

 またある者は言う。

 最強と信じられながら、クラシックに出られない無念はマルゼンスキーを思い起こさせると。

 

 そして、また別の者は言う。

 故障に悩まされながら、奇跡の復活を遂げた姿はトウカイテイオーのようだと。

 

 数多の強力なライバルと戦い、熱戦を繰り広げてきた世代最強。

 レジェンド騎手とともに、競馬の枠を、一般人にまで広げた立役者。

 見る者すべてを魅了したかの馬は、まさに、完璧で究極のアイドルホース。

 

 

 ──芦毛の怪物、オグリキャップ。

 

 

 その姿を、パドック周回で目の当たりにして。

 歩夢はバグって、「オグリキャップ様ですわ」「やっべーですわ」「ステキですわ」しか言えなくなってしまった。

 

 無理もない。

 歩夢の時代でも知られる伝説的なアイドルホース。

 その現役時代を、直に見られるのだ。

 

 一雄も似たようなものだ。

 漫画から入ったとはいえ、笠松での活躍を、地元に行った友人の話や、競馬新聞などでずっと追ってきた推しの競走馬だ。

 それをやっと目の当たりに出来たのだから、感激は計り知れない。

 

 その様子を奇異に感じてか、当のオグリキャップが立ち止まって、こちらをガン見してきたが、歩夢たちにとっては最高のファンサービスである。

 

 限界化する二人に、ほかの観客が奇異の目を送るのも仕方ない。

 現状オグリキャップの評価としては、「地方の超強い馬だが、中央では未知数」といったところ。

 これからのオグリキャップの大活躍を知っている歩夢や一雄とはテンションが違って当たり前なのだ。

 

 それから、二人はスタンドに移動して。

 ほどなくしてレースが始まった。

 

 コースの奥側でゲートが開き、各馬一斉に飛び出していく。

 オグリキャップは後方に控えていたが、第3コーナーを回ってじりじりと上がってくる。

 そのまま第4コーナーを回って最終直線。大外から一気に先頭に踊り出た芦毛の怪物は、他馬を置き去りにしてゴール板の前を突っ切っていった。

 

 

「やっべーですわ。ステキでしたわ。さすがすぎますわ……」

 

「いやほんと、ナマで見れてよかったよ……あれ? オグリ、またこっち見てない?」

 

「ファンサ感謝ですわ。ずっと推してきますわ。ああ、ローレルちゃん、これは浮気じゃありませんわ!」

 

 

 なぜか急に悶えだす歩夢。

 自身にも、少なくない数のファンが付き、推され始めていることを、歩夢はまだ知らない。

 

 

 

 

 

*1
85年優勝の原動力となった、打線の中核

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