TSお嬢様はミスター味っ子の料理を食べ尽くす!【完結】   作:寛喜堂秀介

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35 イージーカミング、イージーゴーイング!

 

 

 西の秘密兵器、無念。

 クラシック登録がないオグリキャップ。

 

 ペガサスSの記事は、そんな書き出しで綴られていた。

 

 クラシック競争。

 すなわち皐月賞、東京優駿(日本ダービー)、菊花賞、桜花賞、牝馬優駿(オークス)の総称だ。

 4歳(令和の数え方で3歳)になった競走馬が頂点を競う、非常に格式の高いレース。

 

 これに参加するためには、2歳時の夏までに初回登録が必要なのだが。

 当たり前だが、笠松所属で中央移籍とかまるっきり考えていなかった……どころか、馬主が中央競馬の馬主資格を持っていなかったオグリキャップがそんなものに登録しているはずがない。

 

 追加登録の制度が出来るのは後になってのこと……というか、オグリキャップの件がきっかけで生まれた制度である。

 オグリキャップほどの強い馬が、世代最強を決めるクラシック競走に参加すらできない。その憤りは大きな圧力になって、JRAを動かしたのだという。

 

 だが、オグリキャップ自身は、結局クラシックレースを走れなかった。

 その事を、つくづく残念に思いながら。一雄は深いため息をついた。

 

 

「はあ。なんとかオグリ、ダービーを走れないもんかねえ」

 

 

 場所はカレー専門店DHULIAの店内。

 開店準備も一段落して、休憩がてら一雄が競馬新聞を呼んでいた、ちょうどその時。

 

 

「──わたくしが来ましたわ!」

 

 

 開店前の店内にダイナミックエントリーしてきたのは、安生歩夢……だけではない。

 タキシード姿で、髪をピッタリ後ろに撫でつけた中年男性が、歩夢の背後に従っていた。

 

 

「歩夢ちゃん! ……と、あんたはジェネシスの社長!」

 

 

 思わぬ人物の登場に、一雄は身構えた。

 

 ジェネシスの毛利社長。

 一雄にとっては、仲のいい先輩の店を潰そうとした敵である。

 

 が、毛利社長の方は、敵意など微塵もない。

 どころか、鋭利な刃のような「出来る人間」オーラもない。ちょっと煤けてすらいる。

 

 

「元社長ですよ。いまはお嬢様の下僕というか、所有物というか……そのようなものだと思っていただければ」

 

 

 人の変わった……を通り越して、洗脳されたような表情で、毛利元社長が返す。怖い。

 

 

「下僕って……歩夢ちゃん」

 

「誤解ですわ! 毛利さんが勝手に言ってるだけですわ!!」

 

 

 ちょっと引いている一雄に、歩夢は説明する。

 

 ジェネシスから姿を消した毛利社長を、永田建設で探してもらっていたこと。

 捜索時点で、彼は落ちぶれ放題に落ちぶれており、歩夢が接触したときには、すでに路上生活するまでになっていたこと。

 

 

「前提状況がおかしい……そんなに早く落ちぶれることある……?」

 

「トロイメライ買収失敗──いやぶっちゃけると地上げですわね。その関係で怒らせた方が大物だったといいますか、大物を怒らせたことで勝手におびえて勝手に没落したといいますか……念のために永田社長と話を通しに行った時、その方も事情を聞いて困惑してらっしゃいましたわ」

 

 

 流れるように大物に会いに行っているが、この際気にしないことにする。

 馬主つながりなり、株主つながりなり、いまの歩夢が伝手をたどれば、門前払いされることはないだろう。むしろ交渉を成功させている事実がヤバい。

 

 

「まあ保護の意味合いもあって、形としてはわたくし預かりって感じですわね」

 

「二度とお天道様の下は歩けないと思ってましたが……お嬢様に救っていただきました! 神様仏様お嬢様です!」

 

 

 おめめキラキラで主張する毛利。

 

 

 ──これぜったい歩夢ちゃんの説明よりヤバい状況だったよね!?

 

 

 一雄は心配になったが、すべて終わった後である。

 

 

「歩夢ちゃん、あんまり無茶はしないでよ?」

 

「大丈夫ですわ! こういうのは礼儀と手順さえ守れば問題ありませんので!」

 

「ほんとかなぁ」

 

 

 疑心暗鬼ゴロリになる一雄。

 ちなみにこの時代にゴロリはいない。1990年初登場である。

 

 だが、一雄は不思議に思う。

 毛利社長は、そこまでして手に入れたい人材なのか。

 そういえば、一雄が新店舗について考えていた時、歩夢は「数日ほどお時間をくださいまし」と言っていた。それが毛利社長を雇うためだったら。

 

 

「歩夢ちゃん、そこまでして毛利社長が欲しかったのって、もしかしてオレのため──」

 

「永田社長や飛鳥さまも絡んでいる悪だくみ──わたくしの夢、グルメの祭典のためですわね!」

 

「そっかぁ……」

 

 

 期待に満ちた声から一転、子犬になる一雄。

 

 

「グルメ合戦の時には、稲荷町、岡本町両商店街組合の方々が動いてくださいましたが、食の一大イベントを企画、運営しようと思えば、全部外注とは参りませんわ! というか根本的にわたくしの手が回りませんわ! ですので実務関係は毛利さんに人をつけてぶん投げる予定ですわ!」

 

 

 両手を腰に当てて胸を張る歩夢。*1

 

 たしかに。

 飲食関係の一大イベントだ。

 企画、運営、広告、警備、流通……あらゆることに手を届かせなくてはいけない。

 そんなとき、飲食チェーンを組織、運営できる人材が路頭に迷っていたら……そりゃあ多少の無茶をしてでも声もかけたくなる。

 

 

「それに、一雄さんの新店舗の件ですわ! 毛利さんなら、実体験に基づいた的確なアドバイスをいただけると思いますわ!」

 

「まあ、本職ですからな。素案を見せていただければ、ご指摘出来ることも多いと思いますよ」

 

 

 歩夢の言葉に、毛利がうなずく。

 

 

「歩夢ちゃん……!」

 

 

 やっぱりオレのことも考えてくれてたんだ、と一雄は感激した。

 ついでだろうがなんだろうが、うれしいものはうれしいのだ。

 

 

「あと、永田社長も毛利さんのこと、欲しがってらっしゃいましたわ! 将来建てる味ビルについて助言が欲しいのと、人材を育てて欲しいって!」

 

「あ、永田社長、すげー骨折ってくれると思ったら、そういうことだったんだ……人材?」

 

「──オレや!」

 

 

 バン、と、唐突に、店の扉が開く。

 二度目である。よく唐突に開く扉である。

 入ってきたのは、十代半ばの、八重歯の少年。

 

 

「君は、グルメ合戦でカレー屋を出してた……」

 

「そう、オレが天才少年料理人、堺一馬や!」

 

 

 一馬はそう言って胸を張る。

 

 えらくタイミングがよかったが、自分の話題が出るまで、外で聞き耳を立てて待っていたのだろうか。

 まあ、そういう年頃なのだろう。オレにもそんな時があった。と、一雄は勝手に納得する。

 ちなみに、中二病という言葉が生まれたのは1990年代末のことである。

 

 

「一馬さんは、将来的には自分のお店を全国展開したいと思ってらっしゃるんですわ」

 

「なるほど、じゃあ毛利社長には学べるところが多いわけだね」

 

「アホ言うなや! オレは天才や! 人から教わらんでもきっちりやったるわい……と、こないだまでは思とったんやけどな」

 

 

 歩夢の説明に一雄がうなずき、一馬が突っ込みかけて……途中で苦虫を噛み潰したような顔になる。

 

 

「──グルメ合戦。あんとき陽一に思い知らされたわ。あいつは超極厚カツ丼を、名物メニューとして他店に提供した。一朝一夕のことやろ。あいつの料理は、一目でそれとわかる独創性と、それなりに腕があるヤツなら再現できる再現性を備えとる……変なモンもぎょうさん作っとるけどな」

 

 

 癪なのか、一馬は口をへの字に曲げながら話を続ける。

 

 

「くやしいけど、店を広げてくんに必要なセンスを、あいつは持っとる。あいつ自身は一店舗の主に甘んじとるし、経営者目線やとまだまだ荒いけどな……オレも負けてられんわ」

 

 

 一馬の独白に、歩夢はひとり、微笑んで。

 

 

「──とまあ、要するに陽ちゃんに勝ちたいから、毛利さんにいろいろ教わりたいって感じですわね」

 

「だぁほっ! ちっとも要してないわい! 誰が誰に教わるんじゃ! 逆にオレが教えてやるわい!」

 

 

 歩夢に本音を直球で撃ち抜かれて、一馬が全力でへそを曲げた。

 思わずその場の全員が、ほほえましい生き物を見る目で一馬を見てしまう。

 

 

 ──と、子供だからって舐めちゃいけない。オレがこの子に勝ってるところなんてないんだぞ。

 

 

 はっと、一雄は思い直す。

 料理の腕、発想、経営能力、プライド。

 どこをとっても一雄は一馬に勝てないだろう。

 

 なら……せめて学ぶ姿勢だけは、忘れちゃいけない。

 

 

「じゃあ、一馬君にもアドバイスしてもらえるとありがたいな。この店の新店舗を出すんだ」

 

「ええで、オレも実地で勉強できるんや。望むところや。アンタの店、オレが成功させたるさかい、大船に乗った気で任せたり!」

 

 

 一雄が手を差し出すと、一馬は上機嫌で握手を返す。

 そんなふたりに、うんうんとうなずいてから。歩夢は笑顔で両手を合わせた。

 

 

「さあ、顔合わせは済みましたし、開店準備のお邪魔をしてはいけませんわ。一度お暇しましょうか」

 

「あ、うん。じゃあたたき台の案を作っとくから、土日どっちかに見てもらっていいかな?」

 

「ではみんなでお時間合わせて、あとで連絡させていただきますわ! 場所は、いつもの喫茶店にいたしましょう! ……それまでに、毛利さんのお住まいの手配ですわね!」

 

「すみませんね、なにからなにまで……」

 

「おい、今日これだけかいな!? オレこのために予定開けたんやぞ!せめてなんかオゴれや!」

 

「いいですわね! 鰻浜でも天星でも、どこでもご馳走いたしますわ!」

 

「うっうっ、温かい飯が食べられる……ありがとうございますお嬢様……」

 

 

 一礼してから、わいわいと騒ぎつつ、歩夢たちは店を出ていく。

 その背中を、見送って。

 

 

「……うん、がんばろう!」

 

 

 やる気をもらった一雄は、両拳を天に突き上げた。

 

 

 

 

*1
その胸は平坦だった。

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