TSお嬢様はミスター味っ子の料理を食べ尽くす!【完結】   作:寛喜堂秀介

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47 たまごのトロトロ

 

 

 レストラン【ESPRIT DE PARIS】。

 味皇料理会フランス料理部主任、下仲基之が営む店は、内装もきらびやかな高級料理店だ。

 クロスのかかったテーブルの上には、クローシュ*1を被せられた皿。

 

 その中身は……プレーンオムレツ。

 ソースもなにもかかっていないオムレツは、だというのに美味い。

 焼き上がりの肌目が細かく、厳選された卵の上質な味がダイレクトに分かる。

 中は、もちろんトロトロの半熟。有塩バターの塩味がまろやかな半熟卵と溶け合って、旨味を引き立てている。

 

 

「う、うっめーですわ……」

 

 

 魂まで溶かされそうな至福の味わいに。

 安生歩夢はため息混じりの声を漏らした。

 

 フランス料理会の至宝、【ジョルジュ・ムスタキ】氏のオムレツ。

 オムレツコース料理3番勝負が陽一の勝利で終わった後、頼み込んで作ってもらったのだが……思わず息をつくほど素晴らしい味わいだ。

 

 陶然とする歩夢に、料理を用意したふたりは微笑む。

 一人はこの店を提供した下仲シェフ。もう一人はこの料理を作ったジョルジュ・ムスタキだ。

 

 

「喜んでもらえてうれしいぞお嬢さん(マドモワゼル)

 

「ムスタキさま、すばらしいですわ! 美味しいですわ! 作っていただいて感謝ですわ!」

 

「なに、美しい乙女の希望だ。フランスの男であれば無下にする者はいないさ。なあモトユキ」

 

 

 話を振られて、下仲シェフは苦笑する。

 

 

「僕はフランス人ではありませんよ……もっとも、僕も料理人です。食べたいと望む者に閉ざす扉は持ち合わせておりませんが」

 

「その通り。男としても料理人としても、当然のことをしたまでのこと。礼などいらんよ」

 

 

 キザに微笑む下仲と歯を出して笑うムスタキ。

 

 ふたりの言葉に、あらためて感謝しながら。

 歩夢は痺れるほどの幸福感とともに、オムレツを堪能する。

 

 

「ごちそうさまでしたわ!」

 

 

 両手を合わせて、食事を終えた歩夢に。

 ふいに下仲シェフが顔を近づけ、尋ねてきた。

 

 

「満足いただけたところで、ひとつ聞いてもいいかな?」

 

「はいですわ! なんなりと!」

 

 

 パーソナルスペース狭っめーですわ。

 と心の中でつぶやきながら、歩夢は動じず応じる。

 

 

「陽一くんとの味勝負が終わった後に、君はムスタキ氏の料理を食べさせてほしいと詰め寄ってきた。もちろん、その気持ちはわかる。わかるが……目的はそれだけではない。そうじゃないかね?」

 

「そうですわね。わたくし本当は、おふたりにお願いがあって、声をかけさせていただいたんですけれど……気がついたら食べさせて欲しいって言ってましたわ!」

 

 

 歩夢の返答に、下仲は調子を外されたように眉を動かす。

 傍で聞いていたムスタキは上機嫌に笑いだした。

 

 

「わははははっ! 乙女が用事を忘れるくらい、わしの料理が魅力的だったのというのなら光栄なことだ!」

 

 

 だが、と、ムスタキは言葉を続ける。

 

 

「マドモワゼル。わしはきみに、なんでもひとつ、オムレツを作ってあげようと言った。だが、きみのリクエストは、ヨーイチとの勝負で出したどの料理でもなく、プレーンオムレツだった。その理由を、聞かせてもらってもいいかな?」

 

 

 前菜にキャビアのオムレツ。

 メインに仔牛のレバーオムレツブロッコリーソース添え。

 そしてデザートにフルーツオムレツのアイスクリームかけ。

 

 ムスタキのコース料理は、どれもがどれも、魅力的だった。

 それだけに、それ以外をリクエストされたのが疑問だったのだろうが、歩夢にとっては当然の選択だ。なぜなら。

 

 

「はいですわ! ムスタキさまのオムレツは、どれもこれもぜってー食べてー料理でしたわ! だからこそ、最初から順番に食べたいって思いましたの!」

 

 

 最初から。

 コース料理の最初ではなく、日本に来たムスタキが、陽一に作った最初の料理から。

 

 

「次はフランスのムスタキさまのお店に、食べに行かせていただきますわ。そのときは、ぜひともオムレツのコース料理を、食べさせてくださいましね?」

 

 

 歩夢の話を聞いて。

 ムスタキはまた笑う。

 

 

「わしの料理を全部食べたい、とは、なんともうれしい言葉じゃないか……いいともマドモワゼル。その時には、わしが腕によりをかけてご馳走しよう!」

 

「ありがとうございますわ、ムスタキさま!」

 

 

 と、ムスタキの手を取って握手してから。

 歩夢は呆れた様子の下仲シェフの視線を察して、頭をかく。

 

 

「──と、話が盛大に逸れましたわね。いえ、まぎれもなく本題ではあったんですけど……お願いの話ですわ!」

 

 

 あらためて、歩夢は両手をあわせて。

 微笑んでから、お願いを口にした。

 

 

「クッキングフェスティバル。わたくしの企画する料理の祭典に、お二人ともご参加をお願いしたいんですの!」

 

 

 下仲が仕掛けた、陽一とムスタキとのオムレツ勝負。

 決着がついて、ムスタキは陽一を心底から認め、下仲シェフは陽一をライバルと見定めた。

 

 勧誘するタイミングとしては、ここしかない。

 

 

「もちろん、陽ちゃんも勧誘いたしますわ」

 

 

 歩夢の言葉に。

 ふたりの料理人は、にやりと不敵な笑みを浮かべた。

 もちろん返答はウィ(イエス)だった。

 

 

 

 

 

 

 6月某日。

 都内のホテルで、企業パーティが催されていた。

 バブル期のイベントらしく、華やかできらびやか。

 参加者同士の交流の場であり、情報交換の場である。そんな会場の一角で。こんな話がされていた。

 

 

「安生歩夢ちゃん、いいよね」

 

「いい……」

 

 

 違った。

 別の場所で、こんな話がされている。

 

 

「うわさの安生歩夢。君の所の会長がご執心らしいな」

 

「うむ、ウチの会長もな。馬狂いでなけりゃいい人なのに……まあ、仕事の関係で直に会ったが、彼女、思ったよりちゃんとした子だったな」

 

「本当か。通り一遍のことは知ってるが、どんな子なんだ?」

 

 

 東京の下町に突然現れた記憶喪失の美少女。

 競馬で伝説を作ったラッキーガールで、一級の飲食イベント企画屋。最近起業して、目標は馬主になること。

 

 このあたりは二人の間にある前提知識だ。

 

 

「まず、仕事について話ができる」

 

「まだ若い、社会経験もないだろう二十歳の娘っ子が?」

 

「うむ。もっとも、これは有能なサポート役がいるからかもしれんが」

 

「ジェネシスの元社長だな。まあ、彼がついてるなら、いらぬ心配などせずに、仕事を進められるだろう」

 

 

 ジェネシスの元社長──毛利が歩夢についていることも有名だ。

 細かい事情を知っている人間は少ないが、そこを知っていれば、彼らは宇宙猫になっていたかもしれない。

 

 

「それから、人当たりがいい。媚はしないが遠慮はない。それでいて作法は守っていて、無礼を感じさせない。押しの強さが心地よくすらある」

 

「まあそれは、テレビで見た通りか……あの容姿じゃそれも納得だが」

 

「容姿を抜きにしても、なのだが、容姿も手伝ってなおさらだな。あの若さだ。天性のものだろうが」

 

「歩夢ちゃんいいよね」

 

「いい……」

 

 

 会話の最中に、一般通過会長たちが、話しながら通り過ぎていったのはともかく。

 

 

「実はな。表に出ている言動は破天荒だが、案外守りも上手い」

 

「本当に? 競馬で1000万の大勝負を打ったり、企画をバンバン打ちだしたりする攻め100%の人間に思えるが」

 

「うむ。しかし、いまに至るまでの彼女を考えれば、納得がいく」

 

 

 記憶喪失で、戸籍すら定かでなかった時も。

 就籍手続きの申し立てがニュースになり、衆目を集めた時も。

 長者番付に名を連ね、資産家としても有名になってしまった時も。

 彼女はそれによって予測される危険を遠ざける手を、適切に用意してきた。

 

 地元の人間と交流を重ね、コミュニティにとっての異物でないと示した。

 おそらくはその信用をもって弁護士を頼り、就籍申し立てを経て戸籍を手に入れた。

 戸籍という信用を得て、さらには住居を購入して、堅実に社会的信用を高めていった。

 さらには地元地域の振興活動を手伝い、またイベント企画を成功させ、地元での信用を盤石なものとした。

 

 

「地元の振興に関しては、最近でも稲荷町の寿司握りコンテストの運営に加わっていたらしいな」

 

「うむ。ただの大会ではなく、江戸前寿司に欠かせない海苔を使わず、各店の創意を競う、面白い企画だった。優勝した寿司屋は、カツオの削り節をシートに仕立てて巻きモノをつくっていたが、あれはアイデアだ」

 

「司会してた歩夢ちゃんよかった……」

 

「いい……」

 

 

 また通過していった会長たちと、本編で他の店に海苔とマグロが手に入らないよう手を回した寿司虎が、悲しみを背負ったという事実はともかく。

 

 それから、長者番付に名を連ね、ともすれば財産を狙われそうな立場になった時にも、彼女は身を守る準備を整えていた。

 

 地域住民による監視と防衛。

 セキュリティのしっかりした住居。

 弁護士による情報管理の徹底と、財産管理の法人化。

 加えて、就籍に協力した地元区議も、彼女の活躍に鼻高々だという。

 さらには、美食と競馬を介してであろうコネは、虫よけには十分な物々しさ。

 非合法に頼らず、法と手順を守り、人との縁を育み続けたことで、彼女は非合法なアプローチに対して、極めて強固な体制を築き上げている。

 

 

「意識的にか無意識にか、彼女はうまく身を守っている。おそらくは組織も。ぶっとんだ攻めで見落としがちだがな。彼女となら、じきに3年先、5年先の話も出来そうだ」

 

 

 一年前には、およそ信用と呼べるなにもかもを持ち合わせていなかった事を考えれば、それは破格の評価だろう。

 

 

「なんとまあ。ミーハーな気持ちで聞いたが、アイドルにしておくのがもったいないような子だな」

 

「そもそもアイドルではないがな。メディア露出も、半分は自前の飲食イベントの宣伝が目的だ」

 

 

 ちなみに、あとの半分は競馬である、というのはさておき。

 歩夢に対する、極めて真面目な人物評がなされている、おなじ会場で。

 

 

「歩夢ちゃん、いいよね……」

 

「いい……」

 

「いい……」

 

 

 なんか響き合うのが増えていたという。

 

 

 

*1
料理に被せる銀色の丸い蓋。

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