TSお嬢様はミスター味っ子の料理を食べ尽くす!【完結】 作:寛喜堂秀介
歩夢たちが博多旅行から帰ってきてしばらく。
不在の穴埋めと、近い未来の不在──香港行きに備えて、歩夢は忙しい日々を送っていた。
その間に、中江兵太が遊びに来たり、若い頃、日の出食堂で修行していた香港一の名店【小亀楼】のオーナー、【
さておき、李小亀である。
味吉隆夫の薫陶を受けた彼は、恩人の息子である陽一に、自分の持つ中華料理の技術を伝授しようと考え……味試しになった。まあいつものことだ。
お題は「
陽一の座右の書である父の料理帳から、「冬虫夏草鶏湯」を見つけ出した陽一は、ページが破れて不完全な資料から、料理を再現しようとして。
その場に中江兵太が居たことで、おかしな悪魔合体が生まれた。
「冬虫夏草……聞いたことがある。オオコウモリガの幼虫に寄生するキノコ──セミタケだね。漢方や薬膳料理なんかに使われるらしい」
「漢方薬……なら漢方のお店で探すのが早いかな」
「なら僕は、野生のものを探してみるよ。僕にとってもいい食材になりそうだし、条件さえわかれば、探し当てるのは難しくないはずさ」
そんな感じで本編の流れをショートカットして。
陽一が買ってきたもので味の工夫をする間に、中江兵太が新鮮な冬虫夏草を取ってくるという連携プレーで、あっというまに陽一式冬虫夏草鶏湯を作り上げてしまった。
漢方の──乾物の冬虫夏草の戻し汁をベースに味を整えたスープ。
ひな鳥の腹に生の冬虫夏草ともち米を詰めて、スープで煮込んだ、滋養満点の一品だ。
味だめしは、文句なしの合格。
さすがに李小亀の体を考えて作られた一品を横で賞味するわけにはいかないので、歩夢は陽一に頼み込んで、後日食べた。ドチャクソ美味かった。
それから。
陽一は、李小亀の店で修行することになり、香港へ。
中江兵太は、東京での食材調達に目処を立て、クッキングフェスティバル参加の意志を伝え、博多に帰っていった。
陽一の香港修行は、だいたい2~3週間。
そのほとんどが、修行ではなく味勝負のために費やされていたのは、ともかく。
歩夢も、さすがにこんな長期間ひっついて回る余裕はない。
でも、味勝負の料理は食べたい。なので、歩夢は陽一にこんなお願いはした。
「もし向こうで味勝負したなら、わたくしが香港で合流したとき、その料理を食べさせてくださいまし! お相手のやつも!」
「あっはっは。いくらオレでも修行のために香港まで行って、味勝負はしないよ」
香港では3回も味勝負をする、なんて思ってもいない陽一は、そう言って快諾した。
◆
ミスター味っ子では、天才と呼ばれる少年料理人が度々登場する。
その中でも、陽一と何度も腕を競い、作中において技量等しきライバルとして描写される少年が3人いる。
カレーの天才、堺一馬。
素材の魔術師、中江兵太。
そして。
香港において、陽一は3人目のライバルに出会う。
【
皇帝の料理番、名門劉家の跡取りにして、若くして名店「小亀楼」の厨房を束ねる責任者に収まった、香港の天才少年料理人。
「ぜひともクッキングフェスティバルにお招きしないと、ですわ」
歩夢は心に決めている。
ハードルは、それほど高くない。
これまで勧誘したライバルたち同様、陽一と戦った後なら、新たな勝負の場を提供されて、否とは言うまい。
欲を言えば、虎峰の師匠である【味仙人・
馬主仲間がぶん投げてきた会社の新規事業も一段落付いた。
毛利が表立って動けない問題も、永田建設から出向してきた黒背広のおかげで解決した。
段取りや筋として、歩夢が出るべき場面も少なくないが、それも一週間やそこら都合をつけられないほどではない。
難しいのは同行者である。
「香港なら、あえて危険な地域に行かないのであれば、安全と申して差し支えありませんが……ぜひとも私を同行させてください!」
相談すると、毛利は猛然と主張した。
場所は、急激に人が増えたおかげで、建物内にカオスな増床を重ねることになり、雑然としている歩夢のオフィス。
毛利の声が大きかったので、その場にいた社員たちが、何事かと様子をうかがっている。
もちろん、彼を会社から外せるほどの余裕はない。
いの一番に割を食う黒背広が泣きそうな顔になっていたので、歩夢は毛利を諫めるしかない。
「毛利さんには、わたくし不在の会社を守っていただかないといけませんわ」
「ならば……」
毛利はクッキングフェスティバル運営チームに目をやった。
美人社長と海外に行けるかもと目を輝かせたが、その反応を見て、毛利は首を横に振った。
論外な連中はスルーして、次に毛利が目を向けたのは、ちょうど顔を見せていた、別フロアの飲食コンサル部門の連中だが、黒背広が全力で首を左右に振っている。
「一馬さん。なんとかお願いできないでしょうか」
「いや、黒背広のおっちゃん泣いとるから勘弁や」
あきらめて一馬に声をかけた毛利だが、この少年を引き抜かれると、黒背広はもっと困る。
半分修行でコンサル業を手伝っているとはいえ、残した実績は毛利以上なのだ。
ちょっと心惹かれてるのか、一馬の視線が、微妙に揺れている。のは、ともかく。
「困りましたな。香港行きを否定するわけではありませんが、信頼できる同行者が欲しい。出来れば男性の……ふむ」
毛利は考え込んで。はたと手を打った。
◆
安生歩夢が香港に旅立ったのは、6月26日のことだった。
リクルート事件の発端となった、川崎市助役へ一億円利益供与疑惑のスクープから一週間。
各種報道は、政界をざわめかせながらも、まだ世間にとっては小火さわぎといったところだ。
これが延焼に延焼を重ね、あまつさえガソリンがぶっかけられるのは、8月に入ってからのこと、というのはさておき。
英領香港。
中国東南部の
イギリスの資本を背景に、アジアの金融、商業、観光の中心地として発展してきた香港は、中華と西欧の文化が混在する、不思議な魅力を持っている。
「ほんこーん! ですわー!」
香港国際空港*1を出て。
カメラを持った男が、すかさずパシャパシャとシャッターを切った。
不審者ではない。
同行のカメラマンである。
いやそれにしても、大の大人にいろんな角度から撮られるのは圧がすっげーけど。
ちなみに、同行するのはカメラマンだけじゃない。
機材を抱えた助手や、雑誌記者──取材班がセットでついてきている。
遊んでばかりは申し訳ないと、香港行きのついでに、ちょうどオファーのあった、香港グルメのガイド誌や、グルメ雑誌関係の撮影モデルを引き受けたのだ。ちなみに、下町グルメ合戦の取材なんかで、みな面識がある。
加えて、歩夢側同行者が2人。
旅先でもメイド服のメイド、仲居さんと、カレー屋の若旦那、一雄だ。
仲居さんには、毛利との連絡役。一雄には、毛利の代わりの随行員。
海外での長期滞在ということで、毛利は信頼できる2人を歩夢につけたのだ。
海外旅行ということで、仲居さんは二つ返事。
一雄も、「これは」と目をかけていた調理スタッフを店長代理に置いて、初めての海外旅行に出ることを即断した。
「オレになら歩夢ちゃんを預けられるって、毛利さんに認められたんだ! 正直海外は怖いけど、がんばらなきゃ……!」
使命に燃える一雄だが、認められたのは忠誠心である。
そして、歩夢のほうが(令和では)海外渡航経験豊富だという悲しい事実はともかく。
一行がわちゃわちゃとしていると、突然思わぬ方から声がかかった。
「みなさま、ようこそ香港へ。お待ちしていました!」
「歓迎」のフリップを手に持ち、笑顔でこちらに手をふるのは、痩身糸目の中年男性。
というか既知の人物だ。つい先日、日の出食堂で顔を合わせた、香港の名店「小亀楼」のオーナー、李小亀である。
「李先生!?」
「安生さん。これは、思わぬ所で……」
驚いた小亀に、顔見知りらしい記者のおじさんが事情を説明した。
ついでに歩夢も経緯を聞いたところ、李小亀は、日本に滞在していた時、雑誌社に香港グルメガイドの企画を持ち込んでいたらしい。
「陽ちゃんは中華料理の修行、頑張ってらっしゃいますの?」
「元気いっぱいですね。うちの子達にもいい刺激になっています。とくに虎峰は腕が立つ同年代ということで、無視できません……いや、最初は舐めてかかっていたのですが、味勝負で互角ともなれば、認めざるを得ないといったところでしょうか」
小亀は楽しげに話す。
「陽ちゃん香港でも味勝負してるんだ……」
「博多でもやってたみたいだし、どこでも勝負してますよね……」
一雄と仲居さんが小声で話しているが、歩夢からすれば「知ってた」である。
「皆様、ご案内します。まずは宿泊するホテルへ。その後うちの店で打ち合わせをしましょう」
「ありがとう。お世話になります──安生さん、俺たちは打ち合わせに行くけど、安生さんたちはどうします? 今日のところはホテルで休んでてもいいですよ」
李小亀の言葉にうなずいてから、記者のおじさんが尋ねてくる。
「では、小亀楼──李先生のお店までご一緒させていただきますわ! 陽ちゃんの様子も拝見したいですし!」
「その、さっきから言ってる陽ちゃんって……?」
首をかしげるおじさんに、一雄が口を挟む。
「ほら、味皇グランプリに優勝した、味吉陽一君。歩夢ちゃんは日の出食堂の常連なんだ」
「へえ。あの天才少年料理人が、香港の名店で修行を……そして味勝負まで。それだけでいい記事が出来そうだな」
「ちょうど明日、2回めの味勝負がありますよ。よければ取材してください。店のいい宣伝になるでしょうし」
説明しながら、李小亀はホクホク顔だ。
味勝負の場となった小亀楼は超満員。大成功のイベントだったので、さもありなんである。
「じゃあ、ホテルにチェックインしてから、14時にロビーに集合で。時差があるから、時計も合わせておいて」
「ラジャー! ですわ!」
記者のおじさんの言葉に、歩夢はびしっと手を挙げた。
「うう。せっかくの香港なのにわたしは電話番……歩夢さん、お土産に美味しいもの買ってきてくださいね……!」
日中は電話番な仲居さんが、目をうるうるさせながら、歩夢に懇願する。
かわいそうだと思ったのか、李小亀が「あの……」と仲居さんに声をかける。
「日本からの連絡があるなら、よろしければ小亀楼で承りましょうか? 取材には私も同行しますが、うちは日本語に堪能な人間も多いですし」
「いいんですか!? 毛利さんに大丈夫か確認してみます! ありがとうございます!」
香港を見て回れるとあって、仲居さんが目を輝かせる。
「はい。こちら小亀楼のビジネスの連絡先になりますので、先方にお伝え下さい」
李小亀が渡した名刺を、仲居さんは輝かしいものでも見るように捧げ見ていた。
◆
「わたくしが来ましたわ!」
小亀楼の厨房に、歩夢はダイナミックエントリーする。
青森で懲りたので、エプロン三角巾、手指は消毒済みだ。
なぜかカメラマンがシャッターを切っているが、どう考えても紙面に使える絵面じゃない。
厨房の片隅で、なにやら仕込みをしていた陽一は、あんまりなサプライズに目がまんまるだ。
「歩夢さん!? みんなも!?」
「陽ちゃん、香港でもやってんねぇ、ですわね! 李先生に伺いましたわよ! 餃子2番勝負に中華メン1番勝負! ふっふっふ、お約束しててよかったですわ!」
香港で味勝負をしていたら、双方の料理を歩夢に食べさせる。そんな約束だ。
香港で起こる出来事を知っているので、反則かもしれないが、正直未来を知らなくても予想できる。
「まあ、約束してたしなあ……でも、明日が勝負の日だから、その後でね! あ、明日の勝負に出すオレのラーメン、食べてみる?」
「よろこんでご賞味させていただきますわー!」
厨房の一角に、4人前の中華メンが並ぶ。
歩夢、一雄、仲居さん、カメラマンの分だ。カメラマンは役得である。
ぱっと見は、白っぽいラーメン。
スープは白く乳濁しており、麺は少し色目が濃い。
具材には白身魚に、干したけのこ、黄色のニラと、全体的に色が淡い。
──まあ、正体は知ってるわけですけれど。
白身魚の、そして白いスープの正体は、いしもちだ。
いしもち──香港では黄魚ともいう。
ハタなんかも人気だが、いしもちも香港ではメジャーな食材である。
──陽ちゃんって時々、本場の方より本場っぽい料理作るんですわよね。
そんな事を考えながら、歩夢はレンゲ白いスープをすくい、口につける。
「これは──うっめーですわっ!!」
いしもちの骨をぶつ切りにして煮出したスープは、淡白でありながら、コクが深い。
信じられないほど奥行きのある旨味には、痺れるような多幸感を覚えてしまう。
麺は、油でさっと揚げたフランスパン麺。
広東料理に
油で揚げて表面を油熱で乾燥させられた玉子麺は、それがゆえにいしもちのスープをたっぷりと吸い込んでいて、香ばしい食感とともに、スープの旨味を味わえる。
いしもちの白身は、同じ食材から取っただけあって、スープとの相性抜群で、皮ぎしの脂の旨味がすばらしい。
干したけのこも、取り込んだスープの旨味に、新たな食感と風味を加えている。そして黄ニラのさわやかな香りと味わいは、淡く濃厚なこのラーメンにピッタリのアクセントだ。
「陽ちゃん、これは……マジでうっめーですわ!」
「本当にうまいよ! こんなラーメン初めてだよ!」
「あっさりしてて、しかも美味しくて……何杯でも食べたいです!」
「おかわりって頼んでいい?」
上々な反応に、陽一は上機嫌だ。
「へへっ。勝負は明日。最後まで工夫していくつもりだけど……歩夢さんたちが手放しで褒めてくれるのなら、自信を持てるね!」
「明日の勝負、楽しみにしておりますわ!」
びしっ! と親指を立てる。
そんな陽一に、歩夢も親指を立て返した。