TSお嬢様はミスター味っ子の料理を食べ尽くす! 作:寛喜堂秀介
およそ30年前。
味皇料理会を率い、日本料理会を席巻せんとしていた味皇、村田源三は、若き日の味吉隆男に敗れた。
あり得ない敗北だった。
食材を吟味し、技術を尽くした己の料理が、一介の町の料理人の、市井にありふれた当たり前の料理に敗けたのだ。
信用を失墜させ、崩壊の危機にあった味皇料理会を支えるため、人徳を買われて、新しく味皇の座についたのが現味皇──源三の実兄、村田源二郎だった。
兄に、取り返しのつかない失態の、後始末をさせてしまった。
そして味皇の激務をこなしながらも、寝る間を惜しんで自らの修行を続ける兄に、源三は思った。
──ああ。オレは生涯この兄には敵うまい……!
だから、源三は選んだ。
味皇料理会の陰となり、自ら捨て石となって兄を支える道を。
その道を歩みながら、源三はずっと考えてきた。
己がなぜ敗けたかを。己の料理に欠けていたものを。
答えが見つかるまでは、決して料理をしないと誓った。
いま、味皇室室長──村田源三は、答えが見つからぬまま覆面を被り、包丁を手に取っている。
ただ、兄のため。
兄の名に、敗北の汚名を着せぬために。
そのためなら、立てた誓いを破り、結果一生迷いから抜け出せぬままでもいいと覚悟して。
迷いがある。
果たして己ごときが調理したものを、兄の料理として出していいのか。
迷いがある。
美味かったと向けられる感謝を、幸せそうな彼らの笑顔を、自分は兄の代わりに受けていいのかと。
だが、室長は迷いを振り払う。
迷いのある包丁使いで、味皇村田源二郎の料理を再現など出来ない。
無念無想で包丁を振るう。
自然、わき起こってくる思いを、抑えきれない。
料理をする楽しさ。
最高の料理を食べる、楽しさ。
料理人と客。ふたりの心が、通い合う感覚。
──ああ、オレに見えていなかったのは、これか。
室長は悟った。
同時に、見えてくる。
味皇村田源二郎の、料理の工夫の数々。
そこに込められた、客のために一心に尽くした思い──心を。
蒙が啓かれる思いだった。
これが村田源二郎の、料理の世界だと知った。
包丁を振るう。
食す者を思い、料理の工程ひとつひとつに思いを尽くす。
その工夫を、食す側はどう受け取るか。どう思うか。どう返してくるか。
己の中の、客。細密極まりないデータの塊だったそれが、眼の前の笑顔を見るたび、美味の歓声を聞くたび、肉の厚みを備えて温かみを発し始めるのを感じる。
──兄さんの料理が、オレを導いてくれたんだ。
覆面の下、涙で頬を濡らしながら、室長は知らず、笑っていた。
鯛の冷やし汁。
思えばこの料理は、味勝負に敗れてどん底だった自分を立ち直らせた、兄のまかない飯の面影を感じる。
──ならば。
すでに敗れた誓いだが、長年の疑問は晴れた。
それゆえ包丁を振るうことに、もはやためらいはない。
食す相手を一心に思い、料理を作る。
腕を磨き、心を磨く。修業の道を歩んでいくのだ。
自分が立ち直るのを、こんなにも根気よく待ってくれた、兄とともに。
──見ているか、かつての盟友よ! 悪いがこの勝負、兄とオレ、2人がかりだ!
味将軍に向けて、心のなかでつぶやいて。
味皇室室長、村田源三は、両手を広げて来場者に声をかける。
「さあ、さあ。食べて驚け食して騒げ! これぞ怪傑味頭巾の──鯛の冷や汁だ!」
いつの間にか空は晴れている。
雨の予報など吹き飛ばすような、見事な快晴だった。
◆
同刻、クッキングフェスティバル運営本部。
歩夢は肩掛け電話の受話器を耳に、病院に随行した垂目からの報告を聞いていた。
救急搬送先の病院で、味皇が目を覚ましたこと。
存外元気にしていて、歩夢に「心配をかけてすまぬ。案ずるな」と伝えてほしいと言っていたこと。
現在検査中だが、静養も兼ねて一日入院。なにもなければ明日には退院できるだろうとのことで、歩夢はほっと一息ついた。
だが、油断はできない。
将来、味皇は心臓発作で倒れ、その後脳の発作で何も感じず、何もわからない状態になってしまう。
あのマントの医師なら、それをなんとか出来るのではないか。そのためには、検査で問題が見つかったほうがいいのではないか。
──お願いしますわ。
心のなかで祈ってから、歩夢は垂目に後事を託して、電話を置く。
ともあれ、発作に関しては、時間はまだある。まずは一安心してもいいだろう。
「それでは、垂目さま。味皇さまを、よろしくお願いいたしますわ」
それから。
通話を終え、席に戻ると、心配していた皆が腰を浮かして迎えた。
鷹ノ宮翁と桜花、安生明徳に加え、昼食の時間に合わせてやってきた永田社長、飛鳥涼吉、西京極。それにメイドの仲居さんと毛利も心配気にこちらをうかがってくる。
そんなみんなに、歩夢は笑顔を向けて、説明する。
「ご心配なく。味皇さまはすでに意識を取り戻され、お元気な様子。年のために検査と一日入院いたしますが、ひとまず安心ですわ!」
歩夢の言葉に、みなほっとする。
とくに鷹ノ宮翁や飛鳥涼吉は、同様に体にガタがくる年頃ゆえ、身につまされるものがあるのだろう。
歩夢に忠告されたこともあって、たぶん鷹ノ宮翁は検査に行ってくれるだろう。歩夢としては、味皇同様、例のマント医師に看てほしいところだ。
「ともあれ、だ」
と、飛鳥涼吉が口を開く。
「──ひと安心したところで、食事にしようじゃないか。ちょうど料理がきたところじゃしの……よければ、鷹ノ宮さんたちや安生くんもどうだろうか」
「毛利さんや仲居さんも、ぜひご一緒しましょう!」
飛鳥涼吉の提案に、歩夢も便乗する。
ふたりの提案に、ほかのみんなも異論ないとうなずく。
結果、総勢9名による、ちょっとした食事会となった。
急遽増設されたテーブルに、少年料理人たちの料理が、ずらりと並ぶ。
中江兵太の料理は、冷やししゃぶ。
深めの器には、きゅうり、トマト、レタス、アスパラなど、たっぷりの野菜。その上に牛肉のしゃぶしゃぶ。周りには、褐色のゼリーが散りばめられている。
まず西京極が箸をつけた。
「……美味い! 冷やしても柔らかさを保つ肉は、燗しゃぶ仕立てやな! 肉質も極上! それにこのゼリーは……ポン酢や! 濃厚な味わいの肉とともに、ゼリー状のポン酢が口の中でほどけていく快感は、味わったことのない種類のもんや! まさに極楽味!」
「それに、この野菜や! 甘みさえ感じる新鮮さで、えぐ味ひとつない! そしてしゃぶしゃぶといっしょに食べた時の美味さといったら……こら美味い! まさに冷たい鍋料理や!」
西京極に続き、明徳叔父が絶賛する。
続いて、劉虎峰の料理は、
さいの目状に切って煮上げたとろっとろの牛肉。加えて卵黄が、白飯の上に乗っている。
こちらに箸を伸ばしたのは、飛鳥涼吉だ。
「うむ! すばらしい! 紅焼──つまり醤油煮にした牛肉の濃厚な味付けは、熱々ご飯との相性抜群! しかも味付けの玄妙極まりない複雑さたるや……さすが皇帝の料理番、劉家の秘伝よ!」
「そしてこの、醤油漬けにした卵黄を潰して肉とごはんに絡めて食べると……ああ、最高だ! この老いた胃袋が、久々に白飯をかき込みたいと主張しておるわ!」
鷹ノ宮翁が感動に身を震わせる。
「さすが劉虎峰! この飛鳥涼吉、美食六十年といえど、これほどすばらしい味体験をしたことはない!」
飛鳥涼吉が締めて。
続いては堺一馬の料理。メニューは、ビーフカツカレーだ。
白米のライスに、香辛料香るカレールー。そしてビーフカツ。カットされた断面は、美しい紅色を呈している。
ここで先陣を切ったのは、もちろん永田社長だ。
「これは──これは! 一馬お得意のスパイスカレー。その黄金配合に加えられたビーフカツ……ミディアムレアに揚げられた牛肉の、圧倒的な肉汁と旨味! さらにはカツの表面に振りかけられた少量のスパイスが、圧倒的な味の立体感を演出している! いや、ただの立体に収まらない──これは異次元の美味さだ!!」
「つけ合わせは福神漬け……文明開化当初にやってきた牛肉の炒め焼きコートレット。そこから生まれた日本料理、ビーフカツのようでありながら、まるで古臭くない、洗練された味です。すばらしい! さすが一馬くんですな!」
永田社長に続いて、執事の毛利が絶賛する。
どれもこれも美味そうすぎる。
歩夢はみんなの食レポに、生唾を飲み込む。
そして、最後、味吉陽一の料理は、ステーキ丼。
たっぷりのご飯の上に、軽く火を通した刻みタマネギ。その上に敷き詰められた牛肉のステーキ。
「おいしっ!?」
「すっごーい!」
「うっめー! ですわっ!」
桜花と仲居さん、歩夢がそろって声を上げた。
「──圧倒的な肉のボリューム! 醤油ベースのソースにガッツリ入ったタマネギとニンニク! これでもかってくらい濃厚な味付けを、熱を通しながらもシャキシャキ感が残る刻みタマネギと、固めに炊かれたお米様が受け止めて……!」
歩夢は無言でステーキ丼をかっ込みたい欲に抗いながら、食レポする。
それだけじゃない。
ザクザクと不揃いに切ったタマネギの、食感の味の変化。
前面に押し出しながら、まるで位負けしない野菜の鮮烈さは、中江兵太。
肉から香る、ステーキに清涼感を加える香草の香り。
アロゼ*1の油に香草の香りを移したその工夫は、焼売勝負での劉虎峰を彷彿とさせる。
そして、肉の表面に擦り込まれたスパイス。
肉汁と合わさり、肉の旨味を最大限に引き出す精緻な調合は、堺一馬。
そして、陽一の、大衆の心を鷲掴みにする工夫。
すなわち──お米の海の中から出てきた、間蒸し*2にされた一片のステーキ。
「たっぷりの肉、タマネギ、米! のボリューム! それぞれががっつりぶつかり合うインパクト! そしてご飯の中から出てくるステーキ! このワクワク感! 最っ高ですわ!」
「濃厚なソースが絡んだたっぷりのタマネギは、これだけでもご飯一杯食べられそうね。大盛りのご飯も気にならないわ」
「固めに炊かれたご飯がまた美味しいんですよね! たぶんいいお米! これだけ美味しいお肉に、ぜんぜん力敗けしてませんもん!」
歩夢に続いて、桜花、仲居さんが絶賛する。
4人の料理は全部が全部最高の出来だったが、一番を選ぶとしたら、間違いなく陽一だろう。
たぶんステーキ丼がこの完成度になったのは、今日になってからだろうけど……ともあれ、人に学び進化し続ける。陽一らしい、いい料理だ。
──この、進化したステーキ丼なら。
思わず、期待してしまう。
ミスター味っ子、味吉陽一なら、もしかしたら2強に手が届くのでは、と。
ワクワクを胸に秘め、歩夢は会場を見渡す。
超満員の会場では、ブラボー! とか、真好吃! なんて歓声が飛び交っていた。
◆
そして、夢のような時間は過ぎて。
楽しいお祭は、
午後4時、全店の営業を一時停止して、コインを回収、集計に入る。
回収が済んだら、順次食事提供は再開するが、これ以降は集計対象外だ。
そして午後5時30分。
結果発表の時間になった。
代々木公園野外ステージの舞台に立って。
歩夢は自分に集まる熱い視線を感じながら、辺りを見渡す。
夕刻だというのに、最後まで付き合ってくれる来場客はすし詰め状態。
その中には、結果をいち早く知ろうと集まった、参加の料理人たちの姿もある。
複数のテレビカメラが会場と歩夢を映し、カメラがシャッターを切る音が止まらない。
まばゆいまでのスポットライトに照らされて。
歩夢はしびれるほどの幸福感を味わっていた。
こんなにも。
歩夢のワクワクにつき合ってくれる人間が、こんなにも居てくれる。感謝しかない。
「──皆さま。食の祭典クッキングフェスティバルに、最後までおつき合いいただき、ありがとうございますわ!」
広場内の端々まで明瞭に届く、澄んだ声で。
歩夢は言葉を続ける。
「さあ、いよいよお待ちかね──結果発表のお時間ですわーっ!!」
わっ、と、歓声が膨れ上がる。
肌がしびれるような、その圧に、歩夢は笑顔で返して。
フェスティバル3日間の売り上げ上位店を、10位から順に挙げていく。
「まずは10位──出張料理人、久島建男さま! 料理は鯛のポワレ ブールブランソース!」
歩夢が名を挙げると、会場から拍手が巻き起こる。
同時に、舞台袖から久島建男が登場して、歩夢と観衆に頭を下げた。
発表される10名には、順位を知らせず先んじて声をかけており、順次舞台に上がってもらう手はずだ。
9位は中江兵太。料理は冷やししゃぶ鍋。
8位は大年寺三郎太。料理は鯛しゃぶの握り。
午後からの晴天も手伝って、中江兵太の3日目のランキングは、なんと5位。総合ランキングをひとつ上げる躍進を遂げた。
「7位は香港小亀楼の劉虎峰さま! 料理は紅焼牛肉飯!」
拍手と歓声の中、劉虎峰が陽一たちに声をかけてから、舞台に上がってくる。
6位は堺一馬。料理はビーフカツカレー。
そして5位は居らず、4位が2名。
下仲基之。料理はクルート・オ・フロマージュ*3。
ジョルジュ・ムスタキ。料理はオムレット・サヴォイアード*4やスフレリーヌ*5をはじめとした多彩なオムレツ。
ここは、最終日ほぼ団子状態。
誰が上でもおかしくなかったが、下仲シェフとムスタキ氏が1日目、2日目のリードを守った形だ。
会場がざわめいた。
ランキング常連で、まだ名前を呼ばれていない人間が居る。
──やりましたわね。なにか起こしてくれると、信じておりましたわ。
その名を。
歩夢は万感の思いを込めて、呼ぶ。
「3位は日の出食堂、味吉陽一さま! 料理は陽一式びっくりステーキ丼!」
「ブラボー!」
「さすがミスター味っ子!」
「やったな陽ちゃん!」
大歓声とともに、陽一が照れながら出てくる。
1日目8位、2日目6位と来て、ここで大躍進は、ミスター味っ子の面目躍如だ。
2位は味吉軍。料理は鯛のてんぷら。
1位は怪傑味頭巾。料理は鯛の冷や汁。
中途交代した室長扮する味の珠三郎は、晴天も手伝って、冷たい料理の利を活かしきり、トップを守りきった。
ただし、その差はごくわずか。
とくに最終日は圧倒的な接戦だ。
そして、接戦に加わったのは、上位2名だけではない。
「驚くべきことに、最終日のみの成績は1位味頭巾さま、2位わずかに及ばず陽一さま、同率2位で味吉軍さまとなっておりますわ! その差わずかに4コイン!」
歓声が、ひときわ大きくなる。
トラブルを乗り越えて1位の座についた味皇と室長。
味皇たちとがっぷり四つに組んで首位を争い続けた味将軍。
そして、料理を、心を、進化させ続けて味皇や味将軍と伍すまでに
成長した、ミスター味っ子、味吉陽一。
下仲シェフやムスタキ氏のフランス料理の名人たち。
堺一馬、劉虎峰、そして中江兵太の天才少年料理人たち。
大年寺三郎太、久島建男の、招待枠に選ばれた料理の達人たち。
舞台に立った勝利人たちは、観衆の声に応えながら、それぞれ語り合う。
「今度は、貴方自身の料理で勝負したいものだ」
味将軍が、隣の室長に語る。
室長は味将軍に視線を向けぬまま、言葉だけを返す。
「味皇村田源二郎の料理だから勝った。オレはこれから修行のやり直しだ」
「……ふむ。なにやら吹っ切れたようだ。長く待ったが……それでこそ、我が盟友。修行成った折には、また料理を競おうではないか」
「抜かせ」
そんな会話の横では、ジョルジュ・ムスタキと下仲基之が話している。
「ははは、ヨーイチたちには敗けてしまったが……引き分けだな、モトユキ。料理の腕も体力も、まだまだ若いもんには敗けておらんぞ!」
「ムシュームスタキ。純粋な味勝負ではない場で、全力で勝ちを狙って、この結果です」
涼やかに言葉を返してから、下仲基之はひとりごちる。
「──まだまだ
と、歩夢のところに、堺一馬が歩いてきた。
その表情は、燃え盛る内心を映して、熱を放っている。
「歩夢のねーちゃん。もっと仕事回してくれや。それもレストランやない。もっともっと回転率の高いとこや。料理の腕では、オレは陽一に敗けとらん。せやけど、客さばきや調理の速さ、人使い……足りんモンはまだまだ多いで」
呆れるほどのストイックさだ。
それも、ライバル陽一の活躍が原因だろう。
「今回の陽ちゃんの料理は、一馬さんや劉虎峰さん、中江兵太さんの影響を強く受けたって感じですけれどね。その意味では、この勝負、一馬さんたちの勝利でもあると思いますわ!」
「ドアホ。オレが勝たな意味ないわい。しかも陽一も1位にはなれとらん……怪傑味頭巾に味吉軍。どえらい料理人がおったもんやで」
──あ、一馬さん、おふたりの正体に気づいてませんわ。
真剣な表情で語る一馬に、歩夢は内心つぶやく。
一馬は味将軍の顔など知らないし、味頭巾状態の味皇とは顔を合わせていない。
だからふたりの正体に気づかなかったのだろうが……一馬が言及している相手は日本料理会の頂点である。
「く、日本人の味覚を掴みきれていなかったか」
劉虎峰が、くやしげにつぶやく。
そこに声をかけたのは、中江兵太だ。
「……いや、僕も君の料理を食べさせてもらったよ。心を熱くさせる、すばらしい味だった」
「それでも、上に6人もいるんだ。味仙人の直弟子。皇帝の料理番、名門劉家の後継者としては喜べんよ」
「僕もさ。今回の勝負、学ぶことばかりだった……まだまだ修行さ。おたがいライバルとして、切磋琢磨していこう」
中江兵太と劉虎峰が握手を交わす横で。
大年寺三郎太は、腕を組んで真っ直ぐ前を見つめていた。
「しばらく山ごもりだな。まだまだ修行が足りん」
「貴方も山での修行か……ならば、どこかで顔を合わせることがあるかもしれんな」
大年寺の独語に。
同じ彼方を見つめながら、久島建男が語った。
ひょっとしたらそこに、下仲シェフも偶然合流してしまうかもしれない。味っ子2本編後にそんな一幕があったし。
「一馬……立派だったぞ」
「いやー、食事会、楽しみだなあ」
「ほんまやほんま。いっそ月イチでやりたいくらいやで!」
永田社長、飛鳥涼吉、西京極の主催者組は、舞台袖から壇上の様子を見てにこにこ顔だ。
そして陽一はといえば、舞台下から口々に祝福の言葉を送るライバルたちに、照れながら応えている。
やがてその環に、舞台上の料理人たちも加わっていく。さすがに味吉軍と室長は、自重していたが。
陽一たちに笑顔を送って。
歩夢は、会場に目を転じた。
奥の方に、一雄が居る。
エロ本同盟の3人もいっしょだ。
真船一雄の最終順位は17位。料理はカレーライスコロッケ。
前後に並ぶのは、イタリア料理部主任丸井善男、青木屋5男坊【青木五郎】、ケーキのアーティスト河合潤二郎、蕎麦打ちの達人岩川清也など、錚々たる面子だ。
──すばらしい成長をみせていただきましたわ。
後方兄貴面的な感情を込めて、歩夢は一雄に笑顔を送る。
一雄の視線は、揺るがない。真っ直ぐ歩夢を見据えている。
それから。
湧き上がってくるすべての感情を噛みしめて。
歩夢は、心からの笑顔を、会場すべてに送りながら、締めの言葉を口にする。
「3日間。夢のような楽しいお時間を、過ごさせていただきましたわ!」
そこで一息ついて、歩夢は言葉を続ける。
「それも、料理人の皆さま方が、すばらしい料理を用意してくれたおかげ! 同時に、これほど大勢の皆さま方が、いっしょに料理を味わおうと、この場に来てくださったおかげでもありますわ!」
観衆を抱くかのように両手を広げて、歩夢は声を投げかける。
澄んだ声は、どこまでも遠くまで、響き渡る。
「──エンジョイ・クッキング! そしてエンジョイ・イーティング! 皆さま料理を、お食事を、楽しんでいただけましたでしょうか!?」
膨大な歓声とともに。
楽しかった、という声が返ってくる。
同時に、たった3日では物足りない、という声も返ってくる。
「皆さまご安心を! 会場で用意されたすばらしい料理の数々は、それぞれのお店で1ヶ月間提供されることになっております!」
そこで、言葉を切って。
歩夢は、万感の思いを込めて、結びの言葉を紡ぐ。
「──そう、ワクワクは、まだまだ終わりませんわ!!」
圧倒的な熱狂と歓声。
肌を打つほどのそれを正面から受け止めながら、歩夢は強く、強く、心が震えるのを感じた。
およそ一年がかりの構想だった。
その間精一杯考え、準備して……精一杯楽しんだ。
いろんな人に出会って、いろんな人に手伝ってもらって。
本当に……人に恵まれたと感じる。
だがそれも、歩夢が心の底から楽しんだから、そしてそれをみんなと共有してきたからこそだ。
このワクワクを、もっと広げていきたい。
そのせいで、この昭和の世界が、歩夢の知る未来とまったく変わってしまったとしても……歩夢の想いは止まらない。
──エンジョイ・マイライフ! 人生を、めいっぱい楽しんでやりますわ!!
光と、拍手と、歓声に包まれながら。
安生歩夢は、天に向かって手を伸ばし──そして握りしめた。
「TSお嬢様はミスター味っ子の料理を食べ尽くす!」におつき合いいただき、本当にありがとうございました!
この後も書きたいことはいろいろありますが、ミスター味っ子の二次創作としては、ここでエンドマークを入れるのが収まりがいいかな、と思い、本編完結とさせていただきます!
外伝として1988年有馬記念まで書く予定ですが、しばらく多忙になりますので、少々お待ちいただければと思います。歩夢さんの物語に、のんびりお付き合いいただければ幸いです!