TSお嬢様はミスター味っ子の料理を食べ尽くす!【完結】 作:寛喜堂秀介
夏が過ぎて、秋競馬の季節。
オグリキャップはG1レース、秋の天皇賞を目標に見据え、その前哨戦として毎日王冠への出走を決めた。
そしてレースが行われる10月9日。
歩夢は当然のように東京競馬場に応援に行った。
ついでに撮影のオファーがあったので、出走当日のオグリに会い、応援する事ができた。
観戦ついでに、毛利の代わりのマネージャー的な立場で同行していた一雄は、初めてオグリキャップの姿を間近で見ることが出来て感動していた。オグリには無視されてたけど。
その後、同様に取材を受けていたオーナーと話したりした後。
何ヶ月かぶりに馬主席に行くと、馬主連中にめちゃくちゃ押しかけられた。
端的に理由を述べると、歩夢が数ヶ月前とは比べ物にならないくらい人気になったからである。
競馬番組やバラエティ番組、各種CMへの出演。
JRAのCMにイメージキャラクターとしてほぼ単独で出演。
都内で催された大規模イベント──クッキングフェスティバルを企画運営、大成功に導き、イベンターとしての評価も得ている。
とどめにして、馬主連中が押しかけてきた一番の要因が、メジャーデビューだ。
9月頭に発売された歩夢のデビュー曲は、オリコン1位を記録し続け、月間1位も取ってしまった。
素人の歌が出来過ぎだと思う歩夢だが、本人人気で初動が圧倒的だった影響も大きいだろう。歩夢は謙遜するが、歌唱力自体も悪くないし。
ともあれ、そんな感じで。
もともと時の人だった歩夢は、知らない人が居ないってレベルの知名度を獲得してしまった。
おかげで子供や孫から「歩夢ちゃんのサインが欲しい!」とねだられたお父さんやお爺ちゃん馬主は、色紙とサインペンを手に、馬主席を訪れた歩夢に殺到したのだ。
ちょっとしたサイン会場となった馬主席で、歩夢が色紙の山と格闘することになったのはともかく。
めちゃくちゃ知ってる有名なオーナーブリーダー方にもサインを要求されて噴きかけたのも、ともかく。
やっとサインを書き終えたところで、レースの時が訪れた。
毎日王冠に出走するのは、ダイナアクトレスやフレッシュボイスといったいずれ劣らぬ一流の古馬たち。
さらには2年に渡るヨーロッパへの長期遠征を終え帰国した、85年ダービー馬シリウスシンボリまで出走している。
そんな中でオグリキャップは1.7倍の圧倒的な支持に応えた。
古馬の一線級を相手に、スローペースを後方から大外廻って、一気に差し切ってしまった。
著名競馬評論家が「今まで見たことがない。どうやらオグリキャップは本物の怪物らしい」と評した圧巻。
こうして、天皇賞に向けて弾みをつけるとともに。
オグリキャップはその強さを、観客たちに強烈に印象付けた。
熱狂する観客の様子を、馬主席で見ながら。
歩夢は、オグリキャップを先頭とした時代の波が来ているのを感じた。
◆
毎日王冠が終わった翌週15日。
歩夢は飛行機で北海道に向かった。
世界・食の祭典でのコンサートと、日高の牧場に、顔見せの挨拶に行くためだ。
メンバーは4人。
歩夢と執事の毛利。牧場行きのために永田社長と、馬主業の諸々の雑務を担当している黒背広*1が同行することになった。
ちなみに永田社長は歩夢のコンサートに行く気まんまんだ。
「──おお、すずっしーですわ! さすが北海道!」
曇り空の新千歳空港に降り立った歩夢は、思わぬ寒さに声を上げる。
この日の札幌の気温は約10℃。20℃近くあった東京との寒暖差に、永田社長と毛利が身震いする。
「涼しいというか……寒いよこれは」
「この寒暖差は、年寄りには堪えますな」
中年ふたりが寒がる中、歩夢は雪の日の犬のごとく元気いっぱいだ。
なぜか空港から出てきた連中に遠巻きにされながら、待つことしばし。永田社長が手配していた、黒塗りの高級外車が回されてきた。
それから、黒背広の運転で、一行は札幌市豊平区に向かった。
目的地は世界・食の祭典の2つあるメイン会場のひとつ、
月寒会場の中心は、月寒グリーンドーム。
元は競走馬の競り市などの、畜産関係の催事場として使われていた。
もともとの用途が用途なので、札幌の中心からは遠く、交通の便も悪い。というのはともかく。
月寒会場に足を踏み入れた歩夢は、会場を見渡す。
まず目につくのは、ジェットコースターや観覧車だ。
「遊園地に来たみたいだぜ。テンション上がる……あが……ガラッガラですわ!?」
人っ子ひとり居ない会場に、歩夢は思わず声を上げた。
「そりゃあ月寒会場はこの月曜日──10日に閉会しておりますからな……もっとも、最終日以外は連日閑古鳥が鳴いていたようですが」
毛利が説明する。
事前に教えられていたが、人の居ない遊園地の、あまりの廃墟感に、思わず叫んでしまったのだ。遊園地じゃないけど。
「これだけ大仕掛けの会場で、閑古鳥が鳴いてたなんて……想像するだに怖いですわね」
寒々とした会場を見渡しながら、歩夢はつぶやいた。
率直に言うと、世界・食の祭典は大失敗に終わった博覧会だ。
短い準備期間で準備不足なまま、多額の費用を費やし箱物を林立させ、肝心の飲食ブースの設備が不十分で、そのため料理が美味しくないという本末転倒っぷり。
会期は6月から10月末までの4ヶ月。
当初目標入場者数400万人。
8月末に修正された目標入場者数が180万人。
最終入場者数は170万人。うち有料入場者は90万程度。赤字は80億円超という大惨事になる。
青函トンネル開通、青函博開催、新千歳空港開港と、北海道に注目が集まる中でこのざまである。*2
まあ、歩夢がクッキングフェスティバル──食の祭典という似たような語感のイベントを成功させたおかげで、歩夢の知る未来よりマシだったりするのだが。
──時代ですわねえ。
歩夢は胸中でしみじみとつぶやく。
バブル真っ盛りのこの時代。
慎重さよりも無謀さが。手堅さよりも描く絵図面の大きさが。
なによりも優先され、実現性の低い無軌道なプロジェクトに、現在進行形で湯水のように資金が注がれている。
大叔父の安生明徳も首を突っ込んでいたが、大きいものだと3桁、あるいは4桁億の金が動く世界だ。
当然事業が動くのにも、あるいは撤退するのにも時間を要する。明徳叔父は88年夏にこの祭りから手を引くことを決定したが、これでも手間取ればギリギリのタイミングになるだろう。
「実は先方はメイン会場でのコンサートを希望されていたのですが、いかんせん準備時間が足りませんでしたからな。お嬢様がトーク&コンサートをやるのは、札幌の中心地にある、副会場の大通り公園です」
「なぜそこをメイン会場にしなかったんですの……?」
毛利の説明に歩夢は疑問を呈するが、まあいろいろあるんだろう。
「まさにバブルって感じですわね」
夢の残滓に、そんな感想を残して。
歩夢は会場を後にした。
◆
翌日催された、大通り公園での歩夢のトーク&コンサートは超満員となった。
それも当然。
歩夢は現在、歌手として圧倒的な知名度を誇っている。
デビューほやほやの期待の新星。そのファーストコンサート。
ファンや流行りもの好きな連中が全国から続々と集まってきて、地元の人間も、この機会にと会場に押し寄せた。
結果、大通り公園の会場には、公称8万人が集まることとなった。
委員会がだいぶ盛ってたっぽいので、実数はおそらく数万人といったところか。
食の祭典に興味がなかった、道外から来た客が、せっかくだからと分厚い公式ガイドブックやグッズを買っていったりして、これがけっこうな売上になったのは、さておき。
食の祭典のテーマのひとつ、「Joy of eating」について語ったり、ついでに歩夢の座右の銘である「エンジョイ・イーティング」について語ったり、競馬について語ったり、競走馬について語ったり、オグリキャップについて語ったりした後、コンサートの時間になった。
コンサートといっても、歩夢に持ち歌は1曲しかない。
食の祭典には「JOY OF SHARING」というテーマ曲があり、練習不足ながらも仕上げてきたが、まだ足りない。
頭を悩ませていると、ちょうど歩夢のためにと有名作曲家が送ってきた楽曲があったので、それに鼻歌をつけただけのハミング曲を披露するというとんでもねえ案が出た。しかも採用された。
もちろん、後でちゃんと歌詞がついたものを発表すると約束した上でのことだが……これがやたらと受けた。
後日の話になるが、良すぎる声質という歩夢の特徴を生かした最高の手法だと、来場していた音楽評論家が絶賛。
評判が評判を呼び、ついには歩夢の鼻歌ソングが発売されることになってしまった。歩夢は20回くらい「マジですの?」って言ったが、現実である。
ともあれ、世界・食の祭典は、その最後の最後に。
歩夢によって爆発的に周知されるとともに、好意的な印象を残した。*3
◆
イベントが終わった翌日。
歩夢は永田社長とともに、北海道の中央南西部、日高地方に向かう。
日高地方は日本の競走馬の大半を生産する一大馬産地で、著名な競走馬の多くがこの地で生まれた。
沢沿いに牧場が立ち並ぶ。
そんな不思議な光景に目を輝かせながら、一行は目的地にたどり着いた。
尋ねた先は、
──牧場ですわーっ!
歩夢は感激の声を上げる。
小規模といっても、生産規模の話で、敷地はかなり広い。
牧場の中をぱっぱか走る馬たちに目を輝かせながら、歩夢たちは羽妻牧場の事務所に向かう。
出迎えたのは、中年一歩手前といったところの、若い牧場主だ。
「やあ、羽妻くん、しばらくぶりだね」
「これは、永田社長。お元気そうで」
永田社長が軽く手をあげると、牧場長は笑顔を返して、歩夢の方に視線を送る。
「紹介しよう。未来の馬主で、うちの馬主業を手伝ってもらうことになる安生歩夢くんだ」
「話にはうかがっております。安生さん、羽妻牧場の羽妻です。昨日コンサートのニュース、見ましたよ」
安生歩夢、と聞いて、事務所奥に居た奥さんや子供がキャーキャー言いながら挨拶に来た。
対応に追われる歩夢に恐縮しながら、牧場主は永田社長と、近況を語りあう。
ナガタカズマオーが牧場初のオープン馬*5になるかもしれないって話だったり、永田社長が今年買って、無事育成牧場*6に送り出した馬のことだったり、羽妻牧場にも繁殖牝馬を預けている、馬大好きな永田社長の友達の話だったり。
──永田社長のお友達、わりとがっつり馬主業やってらっしゃいますわね。
奥さんたちに達筆すぎるサインを書きながら、歩夢は感心する。
自分もいずれ馬主となり、馬と関わっていく。
永田社長と牧場長の話を聞いて、牧場の空気に触れて。歩夢はそのことを、肌で感じた。
◆
出されたお茶を飲んで一息ついてから。
歩夢たちは牧場長に連れられて、牧場を見学させてもらった。
のんびり草を食む馬や、砂浴びしている子馬なんかを柵越しに見ていると、歩夢のもとに一頭の幼駒がやってきた。
見るからに幼い当歳の子馬だ。
毛色はぽやぽやの真っ黒で、ちょんと乗ったたてがみは、わずかに白っぽくも見える。
くりくりの目のかわいい子馬は、ぴんと立てたこちらに耳を向け、なにかを訴えかけるように歩夢を見つめながら、左右にうろうろしている。
「かわいいですわね。牧場長さま、この子は?」
「タダオだね。うちの当歳*7なんだけど、引き取りが決まっていた馬主さんが資格を失っちゃってねえ」
「ああ、脱税とかで」
事情を聞いて、歩夢は納得する。
オグリキャップはこれが原因で馬主が変わることになった。というか公判が現在進行中である。
「言っちゃなんだけど、タダオは怪我が多くてね。その馬主さんも義理で買ってくれたとこもあるんだ。血統自体は悪くないんだけどね」
「なるほど、ですわ」
牧場主の話にうなずいて、歩夢はタダオをながめる。
かわいい。
そう感じるのは、幼さのためだろう。
よく見れば顔の作りはどこかひょうきんで、愛嬌がある。口元もゆるゆるだ。
牧場長と話していたのをもどかしく感じたのだろうか。
タダオは柵の隙間に頭を突っ込んで、歩夢に向かって首を伸ばす。
歩夢が笑顔を向けると、タダオはぴん、と尻尾を高く上げた。
「……なんだか、気になりますわね」
「歩夢くんの気になるは興味深いな。この子は強くなりそうかね」
歩夢のつぶやきを聞いて、永田社長が問いかけてくる。
永田社長視点の歩夢は、馬を見る目がありすぎる女だ。そりゃ興味も湧くというものだろう。
実際は未来の競馬知識をめいっぱい活用しているだけなので、目利きを求められても困るのだが。
「勝てるとか、強いって感じはわかりませんわね。幼駒の見方とかわかりませんし……でもなにか気になるといいますか」
歩夢は正直に話す。
永田社長と歩夢の話をわかっているのか居ないのか。
タダオはただただうれしそうに、愛嬌のある笑顔を向けている。
その様子に、牧場長が感心するように唸った。
「すごいな。タダオはうちの娘に特別懐いてるんだが、安生さんにはそれ以上かもしれない」
「ここまで懐かれるとうれしいですわね……タダオ様。わたくし歩夢と申しますわ」
牧場長の許可を取って、歩夢がタダオに話しかける。
永田社長はしばらく人馬の交流を見ていたが、ふいに「ふむ」と考え出した。
そして。
「……よし。羽妻くん。君がよければだが……タダオを買わせてくれないかね」
「永田社長。予定外ですが、大丈夫ですの?」
「なに。私も友人からカズマオーをプレゼントされた身だからね。後輩になる歩夢くんのために、気になる馬を一頭引き取るのもいいだろう」
気遣う歩夢に、永田社長はそう言って口の端を上げる。
それは、歩夢が馬主になった時、この馬を譲ることを示唆していた。
「ありがとうございますわ。社長──タダオ様。うちにいらしてくださいますかしら?」
歩夢の言葉を理解したように。
タダオは棹立ちになって、喜びのいななきを上げた。
直後すっころんで、歩夢はこの子馬がしょっちゅう怪我をしている理由を理解した。