TSお嬢様はミスター味っ子の料理を食べ尽くす!【完結】 作:寛喜堂秀介
11月初頭。
財前貴彦がアメリカへと旅立った。
名目は、窓口だけ作っておいた、現地の会社機能の拡大。
実際は、リクルート事件関連でにらまれてるので、ほとぼりを冷ますのが目的だ。
貴彦の主要な支援者──鷹ノ宮翁、安生明徳、安生歩夢がこれを支援し、鷹ノ宮翁は必要な人材も出している。
ついでに孫娘の桜花をつけているのは、まあ、海外で貴彦との仲が進展するのを期待してのことだろう。
あとは、貴彦が鷹ノ宮グループの身内だと示し、保護目的もあるっぽい。
ちなみにリクルート事件は風化する気配もなく、関係者が魔女狩りのごとく新聞で挙げられ続けている。
10月19日にはリクルートの本社や問題となったリクルートコスモス社、コスモス社社長室長の自宅が家宅捜索され、政官民の大物にまでどんどこ延焼している。
年をまたいで今後も続いていくそんな状況はさておき。
無期限延期になっていたアメリカ行きが急遽決まったのには、もちろん理由がある。
大腸がんの手術を無事成功させた鷹ノ宮翁の退院。
そして、彼のがん発見とともに起こった、お家騒動に対する粛清と、それに絡む喧騒から、かわいい孫娘を遠ざけるためだ。
──なんというか、打つ手に凄みを感じますわね。
一手一手が重く、そこにいろんな意図が含まれていて、気がつけば絡め取られてそうな。
まあ戦後の混乱期を体験した大正生まれの、それも企業グループのトップだ。そりゃ怖い。
歩夢にとっては桜花のおじいちゃんだから怖くないけど。
ともあれ。
貴彦たちがアメリカに行ってからしばらく後。
大手の新聞の一角に、こんな記事が載っていた。
~鷹ノ宮グループお家騒動~
あの鷹ノ宮グループが揺れている。
きっかけは、創業者一族鷹ノ宮家のドン、鷹ノ宮
これを好機と見た会長の従弟と三男が共謀して、取締役会の掌握を目論んだ。いわば鷹ノ宮家のお家騒動だ。
ただ、この動きは不発に終わった。
会長の癌がごく初期のものであり、治療のための手術も問題なく成功したため、両名にはお家騒動を起こそうとしたという不都合な事実だけが残った。
会長の怒りは激しく、退院後両名はそれぞれ解任、および一族会からの追放が決定された。
ここまで苛烈な決定がなされたのは、両名が入院中の会長に刺客を送り、主治医により阻止されるという事件があったからだという噂があるが、定かではない。だがこれで鷹ノ宮グループはあらためて盤石の体勢となったのは確かだ。
ところで、トップが病身に倒れた弱みを突いてのクーデターといえば、竹下首相と経世会を思い起こす。ヤミ将軍と呼ばれた元首相にももちろん問題はあったが、クーデターで派閥を掌握した現総理の、今の体たらくを見れば、あの一件の顛末がこのお家騒動のようであればどうだったかと、思いを馳せざるを得ない。
なんかこっちが本命とばかりに総理がディスられてる気がするが、ともかく。
けっこう大きな記事で出ており、ニュースでもたびたび報道されていることを考えれば、鷹ノ宮翁の配慮通り、桜花をアメリカへ避難させて正解だったかもしれない。
◆
11月に入っても、歩夢は忙しい。
主に世界・食の祭典で披露し、話題になっている鼻歌ソングをリリースするための準備だ。
収録自体はすでに終わっているのだが、海外進出となると、関わる人の数が違う。というかいろいろお偉いさんまで出張ってきて、本気度の違いを感じる。
会社も会社であいかわらず多忙なのだが、いつも笑顔でついて来てくれる仲居さんと、なんだかんだで構ってくれる一馬とその弟子たちが癒やしだ。あと日の出食堂とオグリキャップ。
秋の天皇賞後、オグリキャップは栗東に帰らず、府中で調整を続けていたので、取材で何度か顔を合わせる機会があったのだ。
気配や足音も完全に覚えられていて、一度厩舎に遊びに行ったら、食事中のオグリが飼い葉桶からひょこりと顔を上げて、厩務員さんがびっくりしたこともある。
オグリキャップは一度飼い葉桶に顔を突っ込むと、食べ尽くすまで顔を上げないと知っていたので、歩夢も驚いた。
ホーリックス以来*1の栄誉を賜り、歩夢は感激以上に動揺した。
「これほど……これほどのことをしていただけるなんて、わたくしはいくら貢げばよろしいんですの?」
思わず小切手にゼロを連打しそうになって、一雄と厩務員に全力で止められる事件が起きるなどした。
ちなみに歩夢が昭和に来たとき、シンデレラグレイは第118R「君の言葉」──史実で言う1989年ジャパンカップの前夜祭までやっており、健康ランド師匠ネタはわかる。
そして、11月27日。
この日の東京競馬場のメインは、国際招待レース、ジャパンカップ。
アメリカ、イギリス、イタリア、西ドイツ、オーストラリアより招待馬を迎えて*2、日本の代表馬と力を競う芝の2400m。
1番人気は、名実ともに日本の頂点、タマモクロス。
2番人気は、イタリア代表の凱旋門賞覇者トニービン。
続く3番手に、人気急上昇中の若き怪物オグリキャップ。
ただ、3番人気のオグリは6.5倍*3と少々水を開けられた格好だ。
順調な滑り出しだった。
序盤、先頭争いを制したのは、昨年有馬記念に勝利した古豪メジロデュレン。
オグリキャップは先団に位置取り、タマモクロスは内ラチ沿い中段やや後方。
2コーナーを回って先頭が入れ替わりつつも、レースは展開していく。その中で、オグリキャップは若干折り合いを欠いた動作を見せる。
その隙をついて、背後の馬がオグリを追い抜きにかかる。
両脇を固められる格好で、オグリキャップは身動きが取れない。
オグリキャップが順位を下げていく中、タマモクロスが、大外からじわじわと追い上げていき、集団は3コーナーに入っていく。
3コーナーで、オグリに並びかけていたペイザバトラーが接触すれすれでかわしていく。同馬をマークする形で、タマモクロスが続く。
前に上がろうにも進路を失ったオグリキャップは、やむを得ず減速して、2頭をやり過ごして4コーナーを前に外に持ち出す。内側のトニービンと並んで上がる形だ。
最終直線。
先団でも激しい先頭争いが起きる中、ペイザバトラーが、大外からタマモクロスがぐんぐん伸びてくる。
坂を超え、残り200m。
先頭一団となりながらも、勝負はタマモクロスとペイザバトラーの一騎打ち。
だが、オグリキャップもまだ終わらない。
内の馬群を一気にかわして、先頭に食らいつく。
タマモクロスが伸びる。
だがペイザバトラーも止まらない。
先の天皇賞の配役を入れ替えたように、残り半馬身が縮まらない。
そのままゴール板を割る──直前。
ビッグボーイとともに1馬身後方につけていたオグリキャップがグンと伸びた。
タマモクロスを追い抜くには至らない。
クビ差まで詰め寄った先がゴール板だった。
ビッグボーイ、遅れてトニービンがゴールしていく。
後に判明するが、トニービンはレース中に骨折していた。
同馬はこのレースで引退し、日本で種牡馬生活を送ることになる*4。
レースは力と戦略を完璧に示したペイザバトラーが勝利した。
2着タマモクロスが半馬身差。さらにクビ差で3着オグリキャップ。
天皇賞からわずかに差を縮めてクビ差。
だが、折り合いを欠いた上でのクビ差だ。
もし、ペイザバトラーのように人馬が一心同体となって戦えれば、どうだったか。
勝てはしなかったが、オグリファンにとっては、次への期待が高まる一戦となった。
「タマモクロス様の“最強”を、ペイザバトラー様の“完璧”が制した……そして、オグリキャップ様。あなたさまには“奇跡”の片鱗を見せていただきました」
湧き上がる歓声の中、コースを見下ろしながら、歩夢は語る。
歩夢が知る未来であれば、オグリキャップはタマモクロスに1馬身以上離されていた。
その差が縮んだ。展開の揺れでは収まらない、本来なら有り得ない底力を、オグリは示した。
「次は、有馬記念で。本物の“奇跡”を、見せてくださいまし」
ちなみに。
レース後の取材で、調教助手が「美味しいものを食べさせたのが良かったんですかね。手応えを感じました」と答えている。
これは親交のあるタマモクロスの調教助手に指摘され、食事を改善したからなのだが、答え方が答え方だったために、オグリキャップは大食漢なだけでなく、美食家でもあると語られるようになったという。
◆
ジャパンカップの翌日、11月28日。
歩夢は渡米のため、ニューヨーク行きのジャンボジェット*5に搭乗した。
23日発売のセカンドシングル「ハミング」がデビュー曲「夢を乗せて。」を上回る勢いで売上を伸ばす最中のこと。
上回る勢いってことは、やっぱりオリコン初週1位は確実で、ベストテンをはじめ各種音楽番組から出演オファーが来ていたのだが。
レコード会社の偉い人が「うるせえそんなことより海外だ」と全米リリースに合わせた渡米計画を曲げなかったので、事前収録になった。
現地では、宣伝のために各種メディアに出演したり、ゲリラライブを行ったり。
他には、せっかくのアメリカ行きなんだからと、写真集を作ったり、プロモーションビデオを作ったり、馬主連中に紹介してもらったセレブな方々のパーティに出たり、あとは先にアメリカに行った貴彦たちに会う予定もある。
そのため、同行する人間もめちゃくちゃ多い。
テレビ、新聞など各種メディアの取材陣、出版社、レーベル関係者のほかに、歩夢個人の同行者数名。まるで団体旅行だ。
ここまで大掛かりとなった渡米。
いろいろ面倒なことを引き受けてまで、アメリカ行きを決意したのは──そのほうが面白そうだからだ。
自分でも、なんとまあ奇妙な状況になってるなあと思うが、プロモーションにかけた額を聞いて歩夢がひえってなるくらいみんな本気なのだ。
大の大人があらん限りの情熱を傾けて打ち上げたプロジェクト。
それに乗っかって全力で突っ走るのだ。なんとも楽しそうではないか。
「みなさま、ワクワクしますわね!」
ジャンボジェットのファーストクラス。
歩夢は個人的な同行者3名に同意を求める。
「そうですね! アメリカまで行っちゃうなんてすごいです!」
と、ノリノリなのはメイドの仲居さん。
「オレは、さすがにドキドキのほうが大きいかな」
そう言って胸を抑えるのは、カレー屋の若旦那、一雄。
例によって執事代行としての渡米だが、一雄個人も、貴彦に頼みごとをされているらしい。
そして3人目は。
「アメリカかあ。父さんの料理帳にも、アメリカ料理はほとんど載ってないんだよなあ。どんな料理があるのか、楽しみだね!」
ミスター味っ子味吉陽一である。
当たり前だが陽一は、歩夢の新曲発表にはなんの関係もない。
だが、アメリカ行きが決まったとき、「へー、オレもアメリカ行ってみたいなあ……歩夢さん、オレも連れて行ってくれない?」と話す陽一に、歩夢は思ったのだ。
──これ陽ちゃんといっしょに行けば、ぜったい素敵なことが起きますわ。
そうと決まれば歩夢は一直線だ。
「陽ちゃんが本気なら、わたくしも本気にしますわよ! いっしょに来ていただけるなら、諸経費はすべてわたくしが負担いたしますわ!」
「本当!? 行く! オレ行くよ!」
「陽一、馬鹿言わないの。歩夢さんに迷惑じゃない。それに学校はどうするの?」
法子の心配はもっともだが、陽一には香港行きという実績がある。
名目が語学留学か料理留学かは知らないが、歩夢の方でちゃんと形式を整えてやれば、今回も同じ手でイケるはずだ。
「大丈夫ですわ法子さん! あくまで陽ちゃんが望むなら、ですが……この安生歩夢にお任せあれ! ですわ!」
こんな感じであっという間に準備を整えて。
陽一は歩夢と同行してアメリカに行くことになったのだ。
場所を戻して、機内。
ドリンクのサービスを受けながら、陽一はまだ見ぬアメリカに、ワクワクを隠せない様子だ。
「ねえ歩夢さん。ニューヨークに着いたら、どこ行こう!?」
「味皇料理会から話は通していただいてますので、有名店ならたいていのとこには行けますわよ。わたくしたちは、自由時間があってないようなものなので、そんなにおつき合いできませんけど、行きたいところがあったらお送りいたしますわ」
「うーん。どこも気になるし、メジャーリーグの試合とかも見てみたいけど……歩夢さんテレビ番組とかラジオに出るんでしょ? オレ一人じゃ絶対行けないようなとこ行くのも、楽しそうなんだよなあ」
ガイドブックを広げながら、陽一は悩んでいる。
アメリカに行って、なにを食べるか。
なにを学びたいか。あるいはどこで遊びたいか。
そんな事を話しながら、歩夢たちは飛行機での長旅を堪能した。