TSお嬢様はミスター味っ子の料理を食べ尽くす!【完結】   作:寛喜堂秀介

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07 まるでプロポーズみたいに

 

 

 1987年5月31日。東京優駿(ダービー)デー。

 この日はクルマではなく、電車で東京競馬場にやってきた。ナンバーを押さえられないためだ。

 上野駅から新宿へ出て、そこから京王線で行くと、府中競馬場正門前駅。東京競馬場の最寄り駅だ。

 

 

「ふちゅー! ですわー!」

 

 

 快晴の府中で、歩夢は無駄にテンション高く叫びながら、両手を広げる。

 お嬢様めいた格好をしているが、いつもの鞄だけでなく、以前買った旅行用トランクを転がしていた。

 

 

「暑っ……まだ昼前なのに人が多いなあ」

 

「当然ですわ! 今日は日本ダービーですもの! 一年で一番、観客が競馬場に集まる日ですわ!」

 

 

 行き交う人の多さに驚く一雄に、歩夢はなだらかな胸を張って答える。

 

 

「どおりで……あのシンデレラグレイの初回でやってたレースだよね?」

 

「ですわね! ゴールドシチーさんが生で見れますわ! グッドルッキングホースさんですわ!」

 

 

 一雄がシンデレラグレイにくわしくなりすぎてるのはともかく。

 歩夢と一雄はうっきうきで場内を進んでいく。

 

 

「にしてもすごい人だな。早めに並んどかないと馬券買えなそう」

 

「そうですわね! とっとと並びましょう! 今日はダービーしか眼中にありませんわよ! おもいきりぶっこんでやりますわ!」

 

 

 勢い込んで馬券購入の列に突貫する歩夢。

 前回勝ち金を積み増せたので、今日は思い切って買うことを決めている。

 あれほど保管する場所がないと言っていたにも関わらずの凶行だが、ワクワクしたんだから仕方ない。

 どのみち大金は必要になるんだから、あとのことは明日の歩夢に放り投げていまを楽しもうの精神である。

 

 単勝で8番、複勝で1番、枠連で1-3を、各100万円ずつ。

 傍目から見るととんでもねえ買い方だが、他に居ないわけじゃない。

 時代が時代だけに、100万単位で馬券を購入する人間も珍しくないのだ。

 

 とくに今日は日本ダービー。大きく張る人も多い。

 一雄も、枠連1-3に50万円突っ込んでいる。

 

 

「おお、複勝と枠連のオッズがちょっとだけ動きましたわ」

 

「人気薄のとこだしねえ……とはいえ、人気薄にこれだけ突っ込んでもこの程度とか、さすがダービー」

 

「ですわね! さっすが賭けてる人数が違いますわ!」

 

 

 おそらく、この程度のオッズの変動ならすぐに揺り戻すだろう。

 そう判断して、歩夢は買った馬券を鞄にしまい込み、場内で休める場所を探す。

 外は安田記念やオークスの時とうってかわって快晴。炎天下で、長時間落ち着ける場所じゃない。主に日焼け的な意味で。

 

 

「飲食も混んでますわねえ」

 

「あ、それだけど、今日はオレ弁当を準備してきたんだ。いっしょに食べよう」

 

「一雄さんナイスですわ! どこかいい場所で休憩いたしましょう!」

 

 

 構内をうろうろしていると、否応なしにダービーについて語る声が耳に入る。

 

 マティリアルマティリアル言ってる人がとにかく多い。

 岡部とかシービーとかあの追い込みとか熱く語ってるから、すごい馬なのだろう。

 ゴールドシチーも人気だが、やはりマティリアル*1が優勢だ。メリーナイスは微妙というか、昨年の東の王者とはいえ故障がちで信用できない、とのこと。

 

 

 ──まあ、そのメリーナイスが6馬身差つけて1着になるんですけどね。

 

 

 なんとか構内に居場所を確保して、やれやれと落ち着く。

 

 

「ちょっと早いけどお昼にする?」

 

「そうですわね」

 

 

 一雄がバッグから取り出したのは、魔法瓶とアルミホイルで包まれた三角形……おそらくはおにぎりだ。

 

 

「おにぎり……ひょっとしてカレーおにぎりですの?」

 

「そう! 陽ちゃんのアドバイスを貰って改良したカレーおにぎりさ!」

 

「素晴らしいですわ! それでは早速、いただきますわ!」

 

 

 一雄に渡されたおしぼりで手を拭き、両手を合わせてから、アルミホイルの包みを開ける。

 出てきたのは三角形の白飯……ではない。わずかに焦げ目がついている。

 

 

「焼きおにぎり! ですわねっ!」

 

「そう! おにぎりの表面を軽く炙ることで、お米が手に張り付く問題を解決しつつ、味に香ばしさを加えられる、一石二鳥の工夫さ!」

 

 

 笑顔でピースする一雄。

 歩夢は脇目も振らず一口、かじりついた。

 カレーの旨さ、焼きおにぎりの香ばしさが、一気に口中に広がった。

 

 

「うっめぇですわ!!」

 

「だろっ!」

 

 

 ただおにぎりの具にカレーを入れただけじゃない。

 水気の少ないドライカレーは、端までしっかり詰まっている。

 さながらお米のサンドイッチ。そうすることで、口に入るカレーと米の量を均一化しているのだ。

 

 

「これは……しっぽの先まであんこが詰まったたい焼きのような満足感ですわ!」

 

「オレの口ならともかく、女の子の口だと、最初のひと口で具まで届かないからね。それでこういう形にしたのさ」

 

「その視点、グーですわ! これはすてきなメニューですわ!」

 

「ちなみに、それだけじゃ物足りない食いしん坊さんには、こんなサイドメニューも」

 

 

 そう言って一雄がバッグから取り出したのは、弁当箱。

 そこに入っていたのは、キッチンペーパーで油切りされたトンカツだ。

 

 

「カツですわね! すばらしいですわ! カレーおにぎりといっしょに食べれば……これはまごうことなきカツカレーですわ! 優勝ですわ! わたくし、優勝しましたわ!」

 

「喜び方が独特すぎるけど、喜んでもらえてうれしいよ」

 

 

 笑顔になりながら、魔法瓶から冷たい麦茶を二人分入れて。

 一雄もいっしょにカレーおにぎりを食べ始めた。

 

 

 

 

 

 

「そういえば」

 

 

 ダービーまでの間、レースの様子を見ながら談笑していると、一雄がはたと手を打った。

 

 

「中学のときの友達がさ、岐阜のほうで勤めてるんだけど、そいつが競馬やるやつでさ。オグリの話したらこんなのを送ってくれたんだ」

 

 

 一雄が取り出したのは、競馬新聞だ。

 競馬エースと書かれた新聞の紙面には、赤鉛筆のサイン入りの出走表。

 

 日付は1987年5月19日。

 第一レース、サラ系3歳新馬戦ダート800m。

 そこにオグリキヤツプの名前を発見して。

 

 歩夢は思わず過呼吸になりかけた。

 

 

「こ、こ、これは、もしかしてとんでもないお宝ではありませんの?」

 

「う、うん。シンデレラグレイの通りになるなら、たぶん。その友達には、これからオグリ関係の情報が入った新聞や雑誌があったら全部送ってくれって頼んだよ」

 

 

 震える声で顔を向ける歩夢に、一雄はそう語る。

 

 

「か、神……あなたが神ですわ一雄さん……!」

 

「喜び方が独特すぎる……頼んだ甲斐があるけど」

 

「うふふ……このマーチトウショウが、フジマサマーチさんのモデルなんですわ。予想もド本命って感じですわね……オグリキャップは単穴(三番手)評価が多いですわね」

 

「歩夢ちゃんが見たことないくらいうっとりしてる……それにしても、モデルの馬の名前そのままじゃないウマ娘も多いんだね?」

 

「そうですわね。許可が降りなかったのか他に事情があるのか……シンデレラグレイ以外でも多いですわ」

 

「シンデレラグレイ以外にもウマ娘があるの?」

 

「語りましょうか! わたくし最推しのローレルちゃんについて!」

 

 

 そんな話をしているうちに、時間は過ぎ、いよいよダービーの時間になった。

 途中、ダービー出走馬の馬体重の発表で、場内がざわめいたり、撮影機材を担いだ連中がキョロキョロしながら場内をうろついていたりしていたが、些細なことである。

 本命馬マティリアルの調整失敗や、映画「優駿」の撮影のため、競馬に不慣れなスタッフが来ていた*2ことなど、歩夢にはあんまり関係ない。というより、さすがにそこまでは知らない。

 

 レース中、歩夢はゴールドシチーに浮気しかけながら、メリーナイスをがんばって応援した。

 そして。

 

 

『──入着はサニースワローだが勝ったのはメリーナイス! メリーナイスです!』

 

 

 実況に、ガッツポーズをする一雄を尻目に、「さて」と歩夢は立ち上がる。

 

 

「一雄さん、確かめてみましょうか。はたして別室送りが存在するのか」

 

 

 気分は戦国武将。

「いざ出陣」の心持ちで、歩夢はその場を後にする。

 それから、馬券を持って受付に行くと、馬券の数字と金額と歩夢の顔を三往復くらい見返されて、受付番号札を渡された。

 

 その後、しばらくして呼び出され、別室に通される。

 そこで受け取った配当金は、約1億2千万円。加えて一雄の勝ち分が約3千万円だ。

 

 俗に百万円の束をコンニャク、一千万円の束をレンガ、一億円の束をザブトンという。サイズ感が似ているからだが、言うまでもなく非常にかさばる。

 

 

「現金を入れるものはございますか?」

 

「は、はい……良かった。弁当のために大きめのバッグ持ってきてて」

 

「トランクを準備していたわたくしに隙はありませんでしたわ! ちょっと予想以上のボリュームですけれど!」

 

 

 とんでもない量の札束に圧倒されながら、一雄と歩夢は職員の言葉にうなずく。

 

 

「それでは、本日は車でお越しですか? それとも電車で?」

 

「電車ですわね! タクシーを呼んでいただくことは可能ですの?」

 

「手配いたしましょう。こちらでお待ち下さい」

 

 

 正規の手順というよりも、落ち着かない様子の一雄を見かねたのか、職員はそう言ってタクシーの手配をしてくれた。

 

 それから、やはり額が額だからなのか、男性職員がタクシー乗り場までついて来てくれた。

 寡黙な仕事人、といった感じのタクシー運転手に、目的地を告げて。車はゆっくりと、東京競馬場を離れていった。

 

 

 

 

 

 

 運転手が寡黙なこともあり、車中は無言だった。

 一雄は、どこかふわふわした気持ちで、隣に座る彼女に声をかけられないでいた。

 手に入れた現金は3千万。あれだけ欲しかった中古のポルシェが、新車で買えて余裕でお釣りが出る値段だ。

 

 元々の購入資金だって、汗水垂らして働いて得たものじゃない。

 だけど、あれがいいか、これがいいか、買ったらドライブでどこへ行こう。

 そんな楽しかった思い出まで、吹き飛んでしまって……鞄の中の3千万というお金が、恐ろしいものに思えてくる。

 

 ちら、と隣を見る。

 安生歩夢はタクシーの天井を見ながら、ふるふると震えている。

 無理もない。彼女が今日のレースで稼いだ金額は1億2千万円。人生の半分くらいは買える額だ。

 

 きっと自分よりずっと、不安と恐ろしさを感じているに違いない。

 そう思って、励ますために一雄が勇気を振り絞ろうとした、その時。

 

 歩夢の顔が、くるりとこちらを向いた。

 その瞳は、宝石のように、きらきらと輝いている。

 

 

「別室、存在確認! ですわ! ワクワクしましたわね一雄さん!」

 

「……歩夢ちゃんはすごいなあ」

 

「いきなりなんで褒められてますのわたくし!?」

 

「いや、いきなり大金持たされたのに、ぜんぜん浮ついてなくて」

 

「すごくはありませんわよ。わたくしだって一雄さんの立場なら、平静ではいられませんわ」

 

 

 ですが、と彼女は笑う。

 

 

「わたくしにとってお金は泡沫のようなもの。これを使って得られるワクワクこそが大正義、ですわ!」

 

 

 その笑顔は、満天の星空のように遠く、遠く輝いていて。

 泡沫(うたかた)のように消えてしまうんじゃないかと、ふと思った。

 

 

 ──だめだ。だめだだめだだめだ! そんなのいやだ!

 

 

 不安に思うのは、彼女から物欲を感じないからだ。

 食欲はある。楽しみたいという欲求はある。でもすべては刹那的で、なにかを持ち続けたいという欲求が感じられない。

 

 でもそれじゃだめだ。

 この時代に執着してもらわないと、根を下ろしてもらわないと、この時代に未練を残してもらわないと。この時代と彼女を繋ぐなにかがないと、彼女は糸の切れた風船のように、どこかへ行ってしまいかねない。

 

 なら。

 一雄は、考えていたことを口にする。

 

 

「歩夢ちゃん! 籍の件*3、オレといっしょにがんばってみない!?」

 

 

 一風変わったプロポーズだなあ、と、運転手は思った。

 

 

 

 

*1
シンボリルドルフとほぼ同じ血統構成のシンボリ牧場産馬。ルドルフ並の素質と期待され、スプリングステークスの鮮烈な追い込み勝利で一躍クラシック戦線の主役に躍り出た

*2
実際のダービーの映像をレースシーンに使う予定だった。スタッフは本命馬マティリアルが勝つと決め込んでレース中カメラは同馬だけを追っていた

*3
戸籍のことである




いつも本作におつき合いいただき、ありがとうございます。
次話より、独自設定、オリキャラ要素が入ってきますので、ご注意を。
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