TSお嬢様はミスター味っ子の料理を食べ尽くす!【完結】 作:寛喜堂秀介
手続きを済ませ、JFK空港*1から出て。
いつものごとく「ニューヨーク! ですわーっ!」とやったら、先に出て待ち構えていたテレビカメラやカメラの群れに撮られまくった。
日本からアメリカに行くには、日付変更線をまたぐことになる。
だから11月28日に出発すると、到着するのも11月28日だ。
時刻は午後2時を回ったところ。
気温は7度と、冬の曇り空のためか東京よりもやや寒い。
とはいえ、特別重ね着する必要もない程度。
歩夢は冬仕様のお嬢様ファッションだし、仲居さんもいつものメイド姿。
一雄は執事役のためスーツだが、陽一などいつものジーンズにりんごのアップリケがついたトレーナー姿だ。
加えて音楽プロデューサーをはじめ音楽関係者、テレビや雑誌の取材陣。
大集団となった一行は、現地スタッフが回して来たバス2台に分乗して、マンハッタンに向かった。
マンハッタンは、ハドソン川河口部にある中州地域。
アメリカでもっとも人間が集まるニューヨーク市の中心街だ。
高層ビルが林立しており、摩天楼と呼ばれる景観を成すこの地には、国際連合の本部があり、世界を代表する金融街、ウォール街がある。5番街のような最高級の商店街があり、ブロードウェイのような劇場街があり、タイムズスクエアのような猥雑な繁華街も、また安全とは言えない地域も存在する。
人種の
よくも悪くもエネルギーに満ちた。そんな場所に、歩夢は乗り込んだ。
◆
歩夢たちが拠点となる高級ホテルにたどり着いたのは、午後3時過ぎだった。
セントラルパーク*2の南に位置するホテル街でも最高級の部類で、安全面でも信頼できる場所だ。
歩夢の張り付き取材ということで、予算が潤沢なのか、それともバブルの為せるわざか、各紙の記者たちも同じホテルに泊まることになっている。本人たちもうっきうきだ。
歩夢と仲居さんは高層階のスイートルーム。
一雄と陽一は、本人たちの強い希望で、同じく高層階だが通常の二人部屋になっている。
チェックインを終えると、その日は今後のスケジュールの確認と共有だけだ。
「その間、せっかくだからその辺散歩してこようかな!」
陽一が言い出したが、さすがに心配だ。
と思ってたら、一雄の友人で陽一とも面識のある記者が「なら俺もついて行ってあげよう」と言ってくれた。仕事はカメラマンに放り投げられた。
ともあれ、イベントルームを借りて、みなにスケジュールを共有する。
全米デビューに際しての、テレビ出演とかラジオ出演が主で、雑誌取材などもある。
レコード会社やスタッフの縁をたどったのもあるだろうが、MTV*3やラジオの音楽番組で歩夢のMV*4や歌が流されることになるあたり、相当金をかけてそうだ。
「歩夢ちゃんの強さは、圧倒的な人気と知名度だ」
会の最後に。
海外進出の責任者である、少壮気鋭のプロデューサーは歩夢に語る。
「──“夢を乗せて。”の爆発的な売れ行きは、それで初速を稼げたことが大きい……だが、歩夢ちゃんはアメリカでは無名に近い」
「これまでのようにはいかない、ということですわね!」
「ああ。いま聖子ちゃんもこっちで腰を据えて、デビューに備えてる。デュエット曲で、相手はトップミュージシャンだ。その名声に、いわば相乗りして、アメリカでの知名度の無さをカバーする……そうすりゃあの歌唱力とキャンディボイスは、この国の連中に刺さる。そういう計算なんだろうよ」
思わぬ名前が出てきて、歩夢は驚きながらもうなずく。
令和の世を生きていた歩夢ですら、彼女の歌は聞いたことがある。
この時代の日本の、間違いなくトップアイドルだ。
「わたくしが発表するのは、すでに出来上がった曲。同じ手は使えませんわ。その上歌唱力も、それなりに上達したとはいえ、聖子さまには遠く及びもつきませんわ!」
「まあな。とはいえ……歩夢ちゃん、たぶんなにかの音楽をやってたんじゃないか? 音程を外さないし、デビューのときでも、素人とは思えないくらい歌い慣れてた。北海道でのコンサートのときに見せてもらったが、ダンスもだ」
歩夢が胸を張ると、プロデューサーがめちゃ褒めてきた。
まさか、全部未来のコンテンツ──ウマ娘のおかげだとは思わないだろう。
正確にはウマ娘とニコニコ動画の歌ってみたとか踊ってみたとかに影響されたおかげで、さらに言えば幼い頃ピアノを習わされていたのが下地になってる気がするけど。
そんなことを考える間に、プロデューサーは言葉を続ける。
「──なにより。きみの歌声は、聖子ちゃんとは別種の、だが最高の声質だ。透明感のある極上のクリスタルボイス。しかも都会の騒音を突き破る特異すぎる性質を持っている」
「イベント進行とかにめちゃ重宝しましたわ!」
「それで終わらすのもったいねえって……ともあれ、歌もいい。俺は──いや、デモテープを聞いた誰もが、世界での成功を疑わなかった。MTVを始め各局で垂れ流せば、絶対にブレイクする。君の“ハミング”はそういう歌だ」
歩夢の目をまっすぐに見て。
プロデューサーは不敵に笑う。
「──あとは話題性だ。最初に提案された時は驚かされたが……明日が勝負だ。行くぞ、歩夢ちゃん。ニューヨーカー*5どもにカマしてやれ」
「エンジョイいたしますわ──この国の皆さまも巻き込んで!」
発破をかけられて。
歩夢は、きらっきらの笑みを返した。
その日の夕方。
帰ってきた陽一は、なぜか入院中の父に代わって屋台をやってる少年に協力して、新しいホットドッグメニューを作ることになったという。
初日から飛ばしすぎである。
予定にモロ被りで歩夢は泣いた。
◆
世界の中心、ニューヨーク、マンハッタン。
その、さらに中心とも呼ぶべき場所がある。
タイムズスクエア。
世界の交差点の異名を持つ、時代の熱狂の中心。
それぞれの事情を持つ、多種多様な人間が行き交い、またたむろする。そんな場所。
なのだが。
歩夢の知る令和のタイムズスクエアの光景とは、少々違う。
どこか怪しく、猥雑で、令和のお祭りめいた雰囲気を感じられない。
たむろする人間も、どこか胡乱さを覚える。率直に言って治安が悪そうだ。夜はとてもじゃないけど近寄れなさそうな。
──35年の時間ってすごいですわね。
歩夢が心中でつぶやく。
少し後の時代に行われる治安改善と再開発の結果が、歩夢が知るタイムズスクエアである。
そのイメージで提案したアイデアを実行に移すには、ちょっと勇気が要るが……警官もいる。一雄も居る。関係者だけでも、数十人は居る。目視できる人の数はざっくり200人を超えない程度。
仲間たちの、期待の視線に、ふっと頬を緩めて。
歩夢はハラを決めた。
歩夢の武器は歌ではない。
わけがわからないうちに人を巻き込んでいるその行動力と──求心力。
下町で、渋谷で、札幌で。叩きつけた、受け止めた熱狂は、この比じゃない。
すう、と深く息を吸い込み。
胸を打つような重く透き通る「a」の音が、三度タイムズスクエアを震わせた。
行き交う車のエンジン音を、クラクションの音を、旅行客の話し声を、コンクリートを叩く足音を、それらが幾重にも重なった騒音を。
歩夢の声はたやすく突き破り、道行く者の足を止め、たむろする人間の視線を奪った。
みんなの目が、自分に集まるのを待って。
なんの前置きも、自己紹介もなしに、歩夢は歌い始めた。
歌詞もない。ただの
「la」の洪水が、美しいリズムでタイムズスクエアを洗う。
最初の声で、すでに聞く準備はできている。
だから聴衆が抱いたのは、驚きと歓喜、淡い痺れにも似た陶酔。
冬のニューヨーク。
寒気に変わって温かいなにものかが、タイムズスクエアを満たす。
──皆さま! いっしょにめいっぱい楽しみましょう! ですわ!
歩夢は声を上げながら、体いっぱい使って己の感情を表現する。
温かいなにものかは、やがてさらに熱を帯び、この場に居る者に、より強い陶酔をもたらす。
出来た人混みに、何事か、と人が集まってくる。
彼方まで届く歩夢の声を聞いて、遠くから様子を見にやってくる者もいる。
そんな連中すら巻き込んで。
熱と陶酔は混ざり合い、やがて熱狂に変わる。
繰り返すこと3度。
回を重ねるたびに、唱和する声が増えていく。
興奮のあまり雄叫び、吼える声に満たされながら。
なおすべてを貫く歩夢の声が、タイムズスクエアを支配する。
──あ、これやっべーですわ。
一方歩夢は内心冷や汗をかいていた。
ウケるのはいい。
いっしょに楽しめるのはいい。
でも人が集まりすぎだ。これ以上は収拾がつかなくなる。
というか歩夢の声が通り過ぎるせいで、続々と人が集まってきている。
「歩きますわ。囲まれて、動けなくなる前に」
歌が終わり、また始まる。
その僅かな時間に、歩夢は一雄たちに声をかける。
プロデューサーが、通訳を伴って、慌てて警備の警察のもとに向かった。
歩けば、聴衆は輪ではなく、列になる。
そうすれば身動きがとれなくなる事態は避けられるし、適当な目的地を作れば、それなりに満足させて解散できるだろう。
ホテルからここまで車で5分少々。
ホテルに近いセントラルパークは、徒歩だと2、30分といったところ。
練り歩くにしたらちょうどいい塩梅だろうし、そこには……陽一がいる。
歩夢は、歌いながら7番街を北に向かって歩き始める。
一雄たちが、同行するみながそれに続き、つられて観衆たちも、歌いながらついてくる。
それは幻想的な風景だった。
タイムズスクエアに集まった千にも届こうかという人間が、たったひとりの美少女を先頭に、7番街を歩いていく。
そして途中、その光景を見て、歌声を聞いた人々もまた、誘われるように次々と列に加わっていく。
ウィンターガーデン劇場を超え、カーネギーホールを通り過ぎて、セントラルパークに行き当たる。
そこを左に折れて、公園を右手に見ながら道沿いに歩き……見つけた。モニュメントの前に並ぶ多数の屋台。その中に、陽一と、同年代の金髪の少年の姿。
その前で、歩夢は足を止めた。
陽一たちはなんだなんだと目を見開いているが、歩夢は構わない。
歌いながら一雄に目配せして、ホットドッグを買ってきてもらって、待つ。
行列が横に広がり、最後尾の人間が見えるまで、10分。それを待って、歩夢はみなを見回す。
なんだかよくわからない行進についてきてくれたのだ。みなには感謝しかない。心理的にはすでにマブダチである。
「皆さま、ここまでおつき合いただき、ありがとうございますわ!」
流暢な英語で、歩夢は聴衆に語りかける。
初めて発する意味のある声であり、美しいクイーンズイングリッシュ──やや固っ苦しいので、だいたいお嬢様言葉だ。
「──楽しく、また素敵な時間でございました! この時間を皆さまと共有できたことを感謝いたしますわ! それでは皆さま! 皆さまに祝福を! ですわ!」
そう、結んで。
歩夢はホットドッグを口にした。
パリッと炙られた、下味のついたフランクフルトにたっぷりのチーズ。同様に香ばしく炙ったコッペパン。ただそれだけの組み合わせが、べらぼうに美味かった。
「うっめーですわ!!」
解散とともに、聴衆たちはホットドッグの屋台になだれ込んだ。
この日公園前の屋台はすべて午前の内に完売御礼になった。
殺人的な客さばきを強いられた陽一に超抗議された。
あとプロデューサーは警察にこってりと絞られた。でもめちゃくちゃうれしそうだった。
◆
そんな事があった翌日。
前日の出来事がニュースで報道されたり、新聞に乗ったりといろいろあったが、ともかく。
当初のスケジュール通り。曲の披露のため、音楽番組に生出演する安生歩夢の姿が、地上波に流れた。
衣装は振り袖。
青地に豪奢な和柄装飾が施された、文化が違えどわかる上物の仕立て。
場にそぐわぬ和服と、歩夢の美しさに目を驚かせながら、司会の男性は語りかける。
「やあ、アユム。ニューヨークにようこそ。こちらに来て早速のファンタスティックな行動に、ボクらは驚いてるよ」
「ありがとうございますわ。この場にいる皆さま、そしてテレビの前の皆さま。はじめての方には、はじめまして。わたくし安生歩夢と申します、と、自己紹介させていただきますわ! アユムがファーストネームですわ!」
歩夢はそう言って、司会とカメラにポーズをとった。
きらっきらの笑顔はまぶしく、神秘的な着物と相まって、目が離せない。
「タイムズスクエアでの出来事に関しましては、わたくしも驚いておりますわ! ニューヨークに来て、まずは自己紹介をと思い、街中を歩きながら歌わせていただいたのですが……まさか皆さまついてきてくださるとは思いませんでしたわ! 皆さまといっしょの時間を持てて、いっしょに楽しめて、あらためて感謝ですわ!」
「みんな、いまボクとアユムが話しているのは、まさに昨日起こった素敵な出来事に関してなんだ。みんなはもう見たかい? 昨日の昼前、7番街を練り歩いた奇妙な集団を! 先頭のアユムが歌いながら歩く。ただそれだけでニューヨーカーも旅行客も関係なく、ついていかざるを得なかった! 不思議な光景さ。なにせあの騒々しい雑踏の中でも、アユムの歌声ははっきり聞こえたっていうんだ。なんて素敵なハーメルンの笛吹きなんだ!」
「皆さまがわたくしについていってやろうと。いっしょに楽しもうと、思い立ってくださったからこその素敵な出来事ですわ!」
「はは。みんな、実は素敵なニュースがあるんだ。アユムは、キモノを来ているからわかると思うが、ジャパンから素敵な歌を引きさげやって来たシンガーなんだ! いま、この場所で、話題の歌声が聞けるんだぜ!」
「では、エンジョイ シング・ア・ソング! わたくしのこの国でのデビュー曲“ハミング”! 皆さま、いざ、響き合いましょう!」
司会者の振りとともに、メロディが流れる。
歩夢はリズムに乗って、軽く身振りを使いながら──口を、開いた。
◆
完璧な仕事をこなしながらも、スタジオに居る全員が、どこか舐めていた。
にわか金持ちの日本のレコード会社が、金にあかせて宣伝にねじ込んできた案件でしかないと。
たしかに「SUKIYAKI」*6は素晴らしい。
だが、だれもが坂本のようになれるわけじゃない。
あれは例外中の例外。彼だけが特別な日本人だと、みな知っていた。
タイムズスクエアでの出来事も、斜に構えて見る者も多い。
──ストーリーは完璧。映画を思わせるような仕込みをして、大きな話題を作ってきたようだが、さて実力はどれほどのものか。
そんな考えは。
歩夢が声を発しただけで吹き飛んだ。
ただの一音。それだけで、空気が痺れた。
マイクに口を近づけてるわけでもないのに、スタジオに音が響き渡った。
少々高めだが、キンキン響くような不快な声じゃない。
透き通るような。しかし心臓を直接震わすような、とんでもないパワーを持った歌声。
それが高く、低く……どこまでも響く。
テレビを流し見していた者は、おそらく即座に顔を上げさせられたことだろう。
美しい楽曲が、透き通るような声と絡み合い、高波のような感動を覚えさせる。
思わず声を上げそうな。技法の巧拙を超えたところにある、力のある歌だ。
曲が終わって。
司会者は、目を見開きながらまくしたてる。
「……信じられない。信じられない。こんな事があっていいんだろうか。笛吹きについて行ったハーメルンの子どもたちの気持ちがわかったよ!」
「ありがとうございますわ! テレビの前の皆さまも、エンジョイできたなら歌ってくださいまし! みんなでいっしょに歌いましょう! ですわ!」
まるで成功を約束するかのような諸手を上げた祝福を受けながら。
和服姿の歩夢は、両手を一杯に広げて──全米に向けて声をかけた。
満を持して発売された“ハミング”は、話題も手伝い、全米チャート初週50位代を記録する。
そしてそこから、じわじわと順位を上げ……年をまたいで1月3週目、ついに1位をとることになる。
「あの歌は、歌手の声と楽曲が信じられねえくらいに噛み合った奇跡の産物だ。その上シンプルで、歌詞を覚える必要もねえ。気づけば街中で口ずさんでいる。気づけば誰もが知っている……ありゃそういう性質の歌だ。あれで取れなきゃ俺ぁ最低のヘボプロデューサーさ」
1位の報に接して。
プロデューサーはそう言いながら、一人で祝杯を上げたという。