遡行禍殃 東京惨劇編   作:天ヶ瀬 趙世(早川 脩司)

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 今は昔の話。

 暗い部屋、誰も訪れる事の無い神社の隅。辺りを飛び回るカラスが、死にかけの私を狙っていた。
 その時の気温は氷点下で指先は凍り付き、暖を取れる物はひとつも無く、ただ死を待つだけだった。

「……………寒い」

 唯一、私が声に出せたのはこの言葉だけ。後に続く台詞は出てこず、冷気が喉を通り抜けて激痛が走った。
 咳をすればもっと痛む。
 呼吸することすら苦痛に感じる。なぜ、私はここに居るのだろう。

「…………。」

 死ねば楽になると、全てが終わりを迎えて自由になると信じていた。それが私にとっての救いだと。

「…………。」

 でも、死にたくなかった。
 それが矛盾だと分かっていても、死にたいと思っていても心の奥底には『生きたい』と言う願望があった。

「…………… 。」

 声が、出ない。本当に声帯が壊れてしまった。 生きたいという願望すら叶わず、もう少しで迎えが来る。
 私はゆっくりと目を閉じ、その時を待った。

「……… 。」

 私自身が何を言おうとしていたのか、無意識に溢れ出た言葉が何だったのかは分からない。
 そして私は視界が真っ暗になり、意識が朦朧とし始める。終わりだ、終焉が来た。

 終わりを告げる悪魔の声が聞こえて、

「―――お、おい。こんな所で寝たら死んじまうぞ。起きろ、なんとしてでも起きるんだ」

 違う、悪魔じゃない。人間だ。老人の声が私の鼓膜を揺らしている。
 たまたまこの神社を通りかかった老人が、死にかけの私を奇跡的に見つけたようだ。白くなって壊死した指先の少女を。

「………こりゃ酷い。急いで病院に連れてかねば………婆さん。毛布、車の中に毛布があるだろう」

 二人居る。老爺と老婆の二人がそこに居る。

「………… 。」

「………婆さん、どうやら喉もやられてるらしい。こりゃ本当にマズイ状態だ」

 恐らく毛布を取り、戻ってきた老婆がゆっくりと私の身体を包み込む様に毛布を掛けた。
 そのまま老爺が私を抱え、ゆっくりと急ぎながら暖房の効いた車の中へと移動させる。

「………あまりにも軽すぎる。何も食べてないんじゃないだろうか」

「と、取り敢えず病院ですよ。病院に行きましょう」

 私を心配する老爺の言葉を遮り、老婆が急いで車を発進させる。車が動き出すと同時に、私の身体が次第に温もりを取り戻して行く。
 確実に死ぬと思っていた。助けなど無いと、神は私を見放したと思い込んでいた。

 だが、私は生きた。生かされた。神の悪戯か分からないが、死ぬことは許されなかった。

「………婆さん、どんどん吹雪が酷くなって来てる。このまま県道に出られるかどうか怪しいぞ」

「………こりゃ本当に困った。急いで病院に行かないと、この子が本当に死んでしまうよ」

 声しか聞こえないが、多分外は凄まじい吹雪で前も見えない状況になっているのだろう。
 車のエンジン音が増すにつれ、車体が大きく揺れ始めた。風に煽られている感じでは無い、凸凹とした道を走っている感覚だ。

「………本当にここであってるのか?元来た道を戻った方が良いんじゃ……」

「………で、でももう来た道すら……」

 車で走って来た道に雪が積み重なり、帰りの痕跡が完全に消えてしまったようだ。
 そして、遂には車のエンジンが掛からなくなり、完全に白い雪に囲まれた空間に閉じ込められてしまった。

 ここは森の中が故、電波は立たず救助を呼ぶ事は不可能。外に出れば吹雪にさらされ、あっという間に体温が奪われるだけだ。

「………無理だ、もう車も動かんくなってしまった。吹雪が止んだところで、儂らはもう身動き取れん」

「………いつか死ぬとは思ってたけど、まさかこんな死に方とはねぇ………爺さんや、せめて二人でこの子を暖めてあげましょうや」

 この吹雪、そしてエンジンの止まった車内。暖房は消え、私に再び極寒が訪れる……と思っていた。
 助手席と運転席から移動してきた老爺と老婆が、私を挟むように座り、身体を寄せて私を暖め始めた。

「吹雪が止めばいつか助けが来る。何も食べさせてやれなかったけど、儂らがいる限りは寒さで死ぬことは無いはずだ」

「どうにか二人で暖めてあげるからね。安心しなさい」

………二人は死を、受け入れた。
 どうにも助からない状況を悟り、生きる確率の高い私を助ける為に。

「……… 。」

 こんな時でも、私の声は戻らない。伝えたいのに。最期になるであろう二人に言葉を伝えたい。

「………大丈夫、儂らは大丈夫。お前さんが生きててくれさえすれば、儂らは大丈夫さ」

 さっきよりも、吹雪の勢いが増して行く。とうとう車内の温度が極限まで下がり、氷点下と化した。
 窓ガラスや車体は全て雪に包まれ、車内は明かりを失い、老爺と老婆は私に寄り添いながら瞼を閉じた。

 ダメだ、寝てはいけない。そう私に言った張本人が、私よりも先に眠ってしまった。
 身体に力を入れて老爺を起こそうにも、力が入らない。何も食べてなかったのが原因だろう。

「………… !!」

 老爺がダメなら老婆を起こすしかない。
 私は出ない声で最大限まで叫ぶが、老婆に声は届くことは無かった。もしほんの少しでも、声が出ていたとしても、吹雪の音で掻き消されていただろう。

………次第に二人の体温が下がって行くのが分かる。
 何度も、何度も、何度も老爺と老婆の身体を揺らしたが、一向に起きる気配はない。
 そうだ、空気。雪によって車体全体が覆われ、強い風のせいでまともに酸素が供給されていないんだ。

「………… 。」

 すぐに、窓を開けなくちゃ。早く新鮮な空気を取り込まなくてはならない。
 そう思っても、私の脚は言うことを聞かない。手を伸ばそうにも、窓を開けるスイッチまで手が届かない。

 やはり、この二人を起こすしか―――、

「…………… 。」

―――分かってる、分かっているさ。この二人はもう既に、生きていない事を私は既に知っているとも。

 私を温めるために握りしめていた老婆の手は、既に力を失い、私の手のひらから座席の上へと落ちていた。
 同じように、私を包むようにしていた老爺の腕はぐったりと力を失い、その役割を破棄した。

「…… 、 。 !!」

 たった数分という短い時間で、目の前で、二人の人間が死んだ。普通なら有り得ないが、それを可能にする程、この吹雪は異常だった。
 暗い車内、誰も訪れる事の無い森の中。車を包み込む吹雪が、死にかけの私を狙っていた。

 その時の気温は氷点下で指先は冷たくなり、暖を取ってくれた人間は死に、私はただ、助けを待つだけだった。





第十六話『小鳥遊という魔術師』

 

 

「………その後、どうなったのよ」

 

 妖術師達が激戦を繰り広げている京都、から更に遠く離れた場所。『東京』のとある地区。

 そこで『羽枝』の捜索を行う為に移動し続けていた私と、私の目的である人物『羽枝』はゆっくりと午後のティータイムを楽しんでいた。

 

「その後は数時間後に捜索隊が到着。車内にいた私は保護され、老夫婦は病院に搬送されたけど亡くなった、って訳さ。何とも簡潔で中身のない話だろう?」

 

「…………私はそうは思わないわね」

 

 何故、私達は『東京』に居るのか。何故、私と羽枝は優雅にティータイムを楽しんでいるのか。それはとても簡単な話。

 

「…………ところで貴方、本当に私を探す為にわざわざここまで来たの?」

 

「あぁ、そうだとも。危険人物に指定されてる君を保護してくれと言われたから、君の後を尾けて来たのさ」

 

 惣一郎達と解散して十分後。

 一から羽枝を探す方法を模索していた時、たまたま京都を離れようとしている羽枝を見つけ、同じ電車に乗って尾行したのだ。

 

「私の、保護ですって?捕縛の間違いじゃなくて?」

 

「君を刺激しないように優しい言葉を選んだだけさ。変に暴れられても困るし、色々と聞きたい事があるからね」

 

 私に敵意を向けながら、羽枝はカップに残っていた紅茶を一気に飲み干し、勢いよくテーブルへと置く。視線の動き、羽枝の仕草からして、彼女は早急にこの場を離れて逃亡しようも目論んでいる。

 

「京都の時もそうだけど、どうして君は逃げてるんだい?わざわざ一度、京都に足を踏み入れて直ぐに東京へ戻る。君の謎の不明な行動に何か意味が?」

 

 惣一郎の話では、羽枝が収容されていた施設があるのは東京。彼女はそこから一度、京都へと移動している。最初は『沙夜乃』を殺した妖術師への復讐だと考えたが、到着後に羽枝は踵を返して東京へと帰還。

 はっきり言って訳が分からない、この人は何がしたいんだ。

 

「………貴方、何かの術師なんでしょ。私は魔術師の人間、それ以外の術師は全員敵よ。教える必要なんてないわ」

 

「―――へぇ、魔術師以外は全員敵……ね」

 

「じゃあ、魔術師である私に教えるのはセーフ。って事だから、詳しく教えて貰おうか、一体何が目的なのか、何をしようとしているのか。全部をね」

 

「………貴方が魔術師……?悪いけど、魔術師に偽・魔術師は含まれないわよ」

 

 どうやら彼女は、私が魔術師であることを知らない様子だ。

 無理もない。この世に存在する魔術師は東京大規模魔法事件首謀者の3人に、不明の魔術師。偽・魔術師が魔術師に成るなど、彼女たちには出回っていない話だ。

 

「私は純粋な魔術師だよ。一応名乗っておくと、氷系統魔術師『小鳥遊 渚』って名前さ」

 

 名乗りを上げても羽枝はまだ疑いの目を向け続けている。このままでは本当の魔術師だと理解せずに逃げられそうだ。

 仕方がない、ここは一度あの手を使うしかない。

 

「まだ理解出来ないと言うのなら、一度だけ私と殺り合うかい?」

 

 私は座っていた椅子を引き、立ち上がって羽枝に向かって言う。 魔術師から偽・魔術師に向けた決闘の申し込みだ。

 本来なら、魔術師と偽・魔術師が争う事は決して無い。

 魔術師の命令には絶対服従の偽・魔術師は叛逆を試みず、魔術師は偽・魔術師を特別に意識しないが故である。

 

 中には『京都の魔術師』の様に、暇つぶしで決闘を行う魔術師も居るが、それは決闘と言うよりも一方的な暴力だ。

 

「………貴方、本気なのね」

 

「勿論、君から情報を聞き出す為なら何でもやるさ。例えそれが、この地の人間を殺す事だとしても」

 

 妖術師からは「一般の人間を殺すのはナシだ」と言われていたが、それは私への命令では無く、願い……願望だ。

 守る義理は無いし、私は根っからの魔術師だ。人間を殺すことに躊躇う事などありえない。

 

「わかったわ。となれば、極力被害が少ない場所に移動するわよ」

 

 だが、この羽枝はどこか………人間に対して甘い印象がある。

 沙夜乃さんと何か関係があるのかないのか。そこらは全く分からないが、決闘に勝ったらそれも教えて貰おう。

 

「いいよ、それで決闘の場所は何処を指名するんだい?出来れば広々と戦える場所だと嬉しいな」

 

「………なら 渋谷のスクランブル交差点で良いかしら。広々とした場所で魔力も豊富、戦う場所には丁度いいはずよ 」

 

 渋谷のスクランブル交差点、か。私は一度も訪れた事が無く、正直言って不安だ。どのくらい広くてどのくらいの人間が居るのか全く分からないが、承諾相手の羽枝が提案したのなら拒否することは有り得ない。

 

 私は羽枝の言葉に強く頷いて席を立つ。それと同時に羽枝も席を立って、互いに目的地へ向けて移動を開始する。

一歩、二歩と歩き出し、無限に続く数字のカウントを諦めた辺りで、羽枝が口を開いた。

 

「………貴方、私が何系統の偽・魔術師なのか知らないでしょう」

 

「うん、知らないよ」

 

 私は『人物の鑑定』の能力を持つ千里眼を保有しているが、何故か羽枝のステータスや情報が全くと言っていいほど視えない。故に、私は羽枝が何の偽・魔術師か全く知らず、前情報無しで決闘を挑んだ。

 

 正直、勝つ確率は低い。

 魔術師に成ったとはいえ、まだ成長段階。使える魔術も少ないし、全体的な戦闘経験も短い。それでも、何も分からないとしても戦う。

 

 それが私の、役目だから。

 

「………最高に狂ってるわね」

 

「そりゃお互い様でしょ 」

 

 そんな軽口を叩いてる間に、私と羽枝は決闘の地となる『渋谷』へと到着。

 今は朝の10時、通勤途中なのかは分からないが、交差点辺りでは大勢の人が信号待ちをしている。こんな人混みを見るのは初めてだ。

 

 それに、ここは魔力が濃い。人間の "悪" と社会人の疲れによる "陰" が集い、混ざり、魔力の源となるモノを作り出している。

 

「着いたわ………さぁ、始めましょう」

 

 歩行者信号が青に変わり、時代を背負う大人と未来を担う子供たちが一斉に歩き出した。 人々が交差し合い、それぞれがぶつかること無く我が道を行く。

 人間と呼ばれる偽善者の集い、羽枝から見たこの光景は相当に苛立ちが止まらないだろう。

 

「そうだね、こう見えて私もなるべく早く仕事を終わらせたいのさ」

 

 人混みの中、私と羽枝は動かない。 行き交う人の影で羽枝が隠れては見え、隠れては見えを繰り返す。見つめ合う時間が長く続き、互いに攻撃のタイミングを見計らっている。

 

「………ひとつ、聞くのを忘れたわ。私が勝った場合、貴方は私の目的を聞かずにこの場から立ち去り、妖術師の情報を全て吐きなさい」

 

「―――構わないさ。元よりそのつもりだったからね」

 

 羽枝は無表情、私は笑みの表情のまま、全身にゆっくりと魔力を巡らせる。それから数十秒が経つが、 二人はまだ動かない。

 

 と言うよりそもそも、 この決闘に開始の合図は無い。自分の好きなタイミングで、 自由に攻撃を開始しても構わない。それなのに、私と羽枝が動かないのにはワケがある。

 

「……………。」

 

「……………。」

 

 私から見た羽枝は、偽・魔術師と言った点以外は無情報で迂闊に近付く事は出来ない人物。 それに対して羽枝から見た私は偽・魔術師から進化した『魔術師』という異例の人物。

 どこをどう攻めるかの判断が出来ず、互いに思考を巡らせているのだ。

 

 扱う魔術が分からない以上、無策で動けば60%の確率で負けが決まる。

 そうならない様に、ほんの少しの動きだけでも見逃さず、羽枝の魔術を解析する必要がある。

 

「………そう、動かないのね」

 

 しびれを切らして先に動き出したのは私、ではなく羽枝の方。人混みの中で、羽枝はその姿を消した。

 

「―――しまった!!」

 

 見逃さないと宣言したばかりなのに、たったの数秒で羽枝を見失ってしまった。グルグルと周りを見渡しても、羽枝の姿は何処にもない。

 渋谷に集まっているのは数え切れない程、大勢の人間。その中に隠れた時、私が警戒すべき場所は、渋谷ほぼ全域。

 

「………『氷面鏡』を使うか?」

 

 辺り一面を全て凍らせ、人間の動きを止めて羽枝を見つけ出す。この方法なら私は有利に戦いを進める事が出来るが―――。

 

「………いや、それはナシだ」

 

 妖術師と約束してしまった以上、破る訳にはいかない。となれば、私が取るべき行動はひとつしかない。

 周囲の人間全てを、死なない程度に凍らせる。

 

「やるしかない、か。羽枝さん、だったっけ?申し訳ないけど、 新技を試す実験台になって貰うよ」

 

 私の足元が徐々に凍り始める。

 薄い一枚の氷がコンクリートを伝って伸びて行き、歩いていた人間の靴底を地面と完全に接着させる。

 そのまま靴底からじわじわと体が凍っていく、という訳ではなく、本当に靴底のみ。その場に人間を止める、それだけの魔術。

 

「氷系統広範囲極級魔術『締結の審判(アイシクル・ジャッジ)』の下位互換術。………『結氷』とでも呼ぼうか」

 

 私の周囲を歩いていた人間の足元が突然止められ、無意識に一歩を踏み出そうとした人間が次々と倒れ始めた。

 まだ何十人かはギリギリのバランスで持ち堪え、立ち続けているが関係ない。

 

「これである程度は、 視界が良くなったかな」

 

 羽枝は人々の動き、流れに従って身を潜めていた。その盾となる影が急に停止し、進むべき方向へと動かなかった場合、どうなる?

 

「勿論、これで君の居場所も分かる訳だ」

 

 慣性の法則につられ、停止した人の影から羽枝が姿を現す。突然の出来事に困惑、焦りが混ざった表情。

 私はその隙を逃さず、素早く地面に手を当てて魔術を繰り出した。地面に張った氷を自在に操り、まるで生きている生物の様に動かす。蛇の形をした氷が羽枝の両腕と脇腹に噛み付き、血飛沫が宙を舞う。

 

「捕まえた!!」

 

 これで身動きは取れない。氷の蛇は妖術師の一撃でやっと斬れる程度の硬さを持つが故に、拘束技としては完璧の代物。

 急いで氷の蛇の形を維持しつつ、次の魔術を放つ準備段階に入る。このまま『零嵐』で羽枝に致命傷を与えればフィニッシュ―――、

 

 

「切断系統狭範囲上級魔術『斬』」

 

 

 羽枝の身体から、羽枝の全身から不可視の何かが飛び出し、触れた物体全てが綺麗に切断された。

 それは人間も例外では無い。半径10メートル以内に存在していた人間が細切れに切り刻まれ、先程とは違う、見るも無惨な光景へと変貌した。

 

 幸い、私はその範囲に入っていなかった。 遠くから氷の蛇で拘束していたから、私は助かったのだ。

 

「………まさか、君も魔術師だったのかい」

 

 氷系統よりも殺戮に特化した切断系統とは言え、明らかに上級の威力、速度、感じた魔力量ではなかった。

 私はまだ成ったばかりの魔術師だが、 偽・魔術師には絶対に勝てる力を持っている。例えそれが創造系統であっても切断系統であってもだ。

 

 それを圧倒的に凌駕する力、明らかに偽・魔術師では無い。

 もしかすると大いなる力を手に入れた偽・魔術師なのでは。とも一瞬考えたが、

 

「………やっぱり、ね」

 

 私の『千里眼』が、それを否定した。

 情報皆無の謎多き女性、羽枝。その本性は空間支配系統魔術師『沙夜乃』の側近兼切断系統魔術師『羽枝』だ。

 

 彼女の保有する切断にも種類がある。

 切断系統狭範囲上級魔術『斬』と呼ばれる攻撃は周囲に素早い斬撃を繰り出し、全てを切り刻む魔術。切断系統亜空間上級魔術『罪』と呼ばれる攻撃は空間そのものを削り、この世界から切断する魔術。

 

「………っぅおっと!!」

 

 不可視である『斬』が私の右頬を軽く掠り、羽枝が手を振ると同時に連動して『罪』が放たれる。

 私は咄嗟に地面へと手をつけて氷の壁を作り出し、空間の切断から難を逃れた。『斬』もそうだが『罪』はもっとヤバい。あれに当たれば速攻でお陀仏。

 

 今は避けることだけを優先しなければならない。

 

「さっきまでの威勢はどこに行ったのかしら!?」

 

 私が反撃出来ないのをいいことに、羽枝は魔術を連発する。その全てが周囲の人間や建物を次々と切断して行き、私が作った氷さえも軽々と破壊し尽くした。

 

 ここで『締結の審判』を使ってもいいが………、それは今後の計画で邪魔になる可能性がある。物事を円滑に進める為には広範囲型の攻撃は控えなければならない。

 

「なら、短距離で攻める」

 

 猛ダッシュで羽枝に近付き『零嵐』の構えに入る。ほぼゼロ距離からの魔術攻撃。幾ら強い魔術師であっても、至近距離の直接攻撃はそれなりにダメージを受けるはずだ。

 

「『零嵐』」

 

 螺旋を描いた氷の弾丸が羽枝の腹部へと突き刺さった。羽枝は少し苦い顔をした後、すぐに私の方を向いてゼロ距離の『斬』を発動させる。

 だが、その攻撃は何も無い場所を切り刻んだ。既に私は羽枝の懐から離れ『斬』と『罪』を避ける事が出来る距離へと戻ったのだ。

 

「………困ったな」

 

 まだ魔術師に成ったばかりが故、私は扱える魔術に限りがある。氷系統はほとんどが拘束に特化した術な為、羽枝との相性が最高に悪い。

 それに対して羽枝は『斬』と『罪』を何度も繰り出す程の魔力を持ち、更にはもうひとつ魔術を隠し持っている。

 

「―――はは、なんだその魔術は………チートじゃないか」

 

 私の『千里眼』が出した答え。羽枝が持つもうひとつの魔術は。“物語”にすら干渉する究極の攻撃。

 

 

「切断系統概念極級魔術『閻』」

 

 

 羽枝が私に向かって腕を振り、私は急いで防御態勢に入り、正面へと厚い氷の壁を作り出す。手のひら全体を地面に密着させ、体全体の魔力を手のひらへと送る。

 ―――作り出した。作り出せた。作った、作ったはずだ。

 

「………氷が、出てこない」

 

 まずい、このままでは斬撃が来る。人間と同じように斬られて死ぬ。そうなれば作戦は失敗に終わり、また振り出しへと戻る。………いや、今はこの立場を逆に利用して惣一郎の『撤退』を起動させればいい。

 そうすれば一旦、全員集合してまた作戦を立てる事が出来るはずだ。

 

 不可視といえど、先程の斬撃から予測して私に到達するまであと三秒。死ぬ寸前まで行けば私の『撤退』がそれを感知し、必ず転送される。

 

「…………哀れね」

 

 『撤退』が、反応しない。光すら発する事無く、ただ無音で私の耳に有り続ける。となれば、私に待っているのは『死』だ。

 そのまま、羽枝の斬撃は私に到達し、

 綺麗に胴体から真っ二つに―――、 なる事はなかった。

 

 

「…………は」

 

 

 何だ、何だ何だ。何が起きている。私は斬撃を食らったと思っていた。私は『撤退』が起動すると信じていた。なのに、なにも起きない。いや、それよりも先に。

 一番最初に感じた不具合を確かめないといけない。

 

「………どうして」

 

 氷が、出ない。いつもなら全身に魔力を巡らせて地面を凍らせる事が出来るのに、私の体は魔力を持っていない。

 持っていないどころか、最初から存在しなかったかのように、私の魔導具となるリボンが消滅していた。

 

「………本当に哀れね、貴方」

 

 羽枝の放った攻撃、切断系統概念極級魔術。 目に見えない、この世に存在しない『概念』そのものを切断し、無かった事に出来る術。

 そう、私は『魔術師』としての力を断ち切られ、氷系統魔術師の名を闇に葬られたのだ。

 

 今の私はただの、一般人に過ぎない。

 

「う、嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!!そんなわけが無い、わたしが、私が!!妖術師と契りを交わして魔術師に成った私が!!」

 

 酷い混乱と驚愕に脳が狂い始める。 私の発している言葉はなにも聞き取れず、自分ですら何を言っているのか理解出来なかった。私の存在証明。私の生きる価値。

 

 私の、かけがえのない力。

 それを、全て切り捨てられた。羽枝に。

 

「そんな………嘘、だって………」

 

 泣き喚く私の前に、羽枝が一歩、また一歩と近付いてくる。

 立ち上がる力も無い。私に出来るのは無様に地面に項垂れて無いものを取り戻そうと涙を流すことだけ。

 

「あなたの負けよ、さようなら。魔術師……いえ、小鳥遊 渚さん」

 

 あぁ負けだ。これまで築いてきたモノ全てが壊れる刻。

 やはり調子に乗っている人間はいつしか足元を掬われる。何事にも油断大敵でかつ、ある程度の予想外を考えておかなければならない。そうしなければ、そうしなければ。

 

 

「―――あぁ、これでお別れだ。羽枝」

 

 

 速い、凄まじい速度で一閃。致命傷を裂けた斬撃が直撃する。 斬られた身体から鮮血が吹き出し、重力に負けて身体はその場で崩れて膝を着いた。

 その攻撃により、命の灯火は勢いを失う。口から血を吐きながら、己の行動を後悔して地面に強く手を着いた。

 

 と言っても、下を向いているのは。私では無い。

 

「………不意打ちってやつさ。私は昔からこういうのは得意でね」

 

 凄まじい速度の斬撃を食らったのは、羽枝だ。

 一瞬の隙、私が泣き喚く『演技』をしている時に羽枝は少しだけ加減をした。私に哀れみを込めたのか、それとも煽りの意味を込めたのか。

 そんなことなにも知らないが、羽枝は確実に、私に対して隙を見せたのだ。

 

「へぇ、ただの人間はこんな感じなんだ。思ったより魔術師と変わらないな」

 

「………あ、貴方……!!その武器は……!」

 

 苦しむ羽枝の目線、その先にあるのは私が握る武器。一本の長い刀。 かつて『沙夜乃』にトドメを刺した一刀。

 

 妖術師が扱う第二の刀『無銘・永訣』だ。

 本来なら魔術師である私が触れた場合、指先が焼けるように熱くなり、次第に皮膚が溶かされて行く。そんな最高に危ない武器を、私は予め渋谷スクランブル交差点の中心に埋めていたのだ。

 

「……ど、どうやってそれを!?」

 

「氷、さ。私の氷は魔力で出来ている分、この刀に負けない程の魔力を流せば大きなケースを作り出す事が出来る」

 

 羽枝と対決を始める前にそれを解凍し、腕に分厚い氷を纏わせて地面へと突き刺した。真っ黒い刀である『無銘・永訣』は地面に刺さっていれば肉眼で見つける事は難しく、もし見つけたとしても魔術師が触れる事は出来ない。

 

「魔術師であれば絶対に抜けない刀。そして魔術師に対して有効な武器だが、魔術師であり戦闘中の私は引き抜く事は不可能。ならばどうする。魔術師の身であれば抜けない、魔術師の力がただただ邪魔」

 

「―――ま、まさか……!!」

 

 ああ、良くない。良くないが、どうしようも出来ない。

 顔が緩んでしまって、笑顔が溢れだしてしまう。狂気に満ちた、羽枝を絶望へと叩きつける不気味な笑顔が。

 

「そのまさか、さ。最初から最後まで私の『千里眼』で全て先読みしていた。 君の魔術で力を失い、か弱い女の子を演じて油断したところを………ズバッとね」

 

 全てわかっていた。羽枝が渋谷のスクランブル交差点を選ぶ事を、私が力を失う事を、私が最終的に交差点の中心部に到達することを。

 それを利用し、力を失った状態の私はただの人間となり『無銘・永訣』を握る事を許可されたのだ。

 

「………せ、千里眼……妖術師と同じ!!」

 

 なるほど、まさかそこまで情報が行き渡っているとは。 妖術師が千里眼を保有している事が魔術師にバレている。それはつまり、妖術師の『未来視』が魔術師にバレるのは時間の問題だ。

 

「おっと、それ以上は機密情報なものでね。話は別の場所で聞かせて貰うよ」

 

「……っま、まちな……!!私は、まだ!!」

 

 妖術師の妖力が込められた『無銘・永訣』をモロに受けても尚、羽枝は死なずにその場で立ち上がった。やはり羽枝は偽・魔術師じゃなければただの魔術師でも無い。奇跡の力を得た化け物だ。

 

 だが、その化け物も『妖術』には勝てない。

 

「その身体で、かい?私は全然構わないよ、ただ―――、次は加減出来るか私にも分からない」

 

「………っ」

 

 ゴクリと羽枝は息を呑んだ。これ以上戦う事が意味するのは、死だ。 文字通りの自殺行為。それをするほど、羽枝はバカでもないし狂ってもいない。

 

「よし、それじゃあ場所を変えるとするか。そろそろこの時間になれば警察も集まってくる頃だからね」

 

「………貴方、それすらを予測して……わざとやられるフリをして時間を……!?」

 

 所詮、羽枝は私の手のひらの上で遊ばれていただけ。私の思い通りに戦い、思い通りに怒り、思い通りに哀れみ、思い通りに苦しむ。

 

「そうさ、全て仕組まれた戦いだったのさ………そうだな、君が私に言ったのをそのまま返すとすれば。―――本当に哀れだな、君は」

 

 私の一言が効いたのか、羽枝は口をパクパクさせたまま、なにも喋らなくなってしまった。例え羽枝でなくとも、全てを掌握された上で物事を進まされ、これまで取った動きが自分の首を絞めていたのだ。

 これほどまでに最悪な話は無い。

 

「惣一郎、羽枝を確保した。このまま東京で吐かせるか京都に連れていくか選んで欲しい」

 

//「可能なら京都に、もし無理そうならその場で尋問しても構わないよ」

 

 無線越しに、惣一郎の声が聞こえる。ほんの少し銃声と金属音が入り込み、聞き取りづらいが多少は構わない。それに、惣一郎から尋問の許可は出た。

 

「じ……尋問……?保護って言ってたじゃないの!?」

 

「事情が変わったのさ、何系統の魔術かを知らない状況であれば保護。魔術を明らかにした場合は拘束した後に尋問って規定になったんだよ」

 

 これはSaofaが崩壊する前からあるルールであり、羽枝は惣一郎からその事を聞かされていた。だが彼女はそれを聞くことを拒み、完全に理解出来ていなかったのだ。

 

「良いじゃないか、羽枝。君の主人を殺した刀で尋問されるんだ。これほど優しい配慮は他じゃないさ」

 

「……ぁあ、あああ!! 」

 

「おっと、クールなお姉さんキャラだったのが一気に崩れちゃったね。それも沙夜乃さんの真似だったのかな」

 

「あああああああああああ!!」

 

 ズルズルと羽枝を引き摺り、私は渋谷の人通りが少なく薄暗い路地裏へと入って行く。人が通る道からは確実に見えず、車などの騒音で悲鳴が聞こえにくい場所。

 それが過去の私が選んだ地点。

 

「良いよ良いさ良いとも、力を無くしてしまって人間になったが………私の心は生粋の魔術師だ。君なら分かるだろう?人の悲鳴は、魔術師にとっては何よりも心地良いって」

 

「ああ………あ……ああああ………」

 

 羽枝の精神が崩れて行く。過去最悪な侮辱を受けた挙句にただ何も出来ず、沙夜乃の時と同じ感覚をもう一度味わうことになる。私ならすぐこの場で死を選ぶだろう。

 しかし、羽枝がここで死を選ぶ事は無い。プライドが、それを許さないから。

 

 涙と鼻水を垂らした状態で、羽枝はぐったりとして動かなくなった。私はそんな羽枝に容赦なく『無銘・永訣』を突きつける。

 

「………ま………ょ……」

 

 小さくて全然聞こえないが、羽枝が何か言っていた。掠れた声、もう希望を無くした人と全く同じ。

 そう、あの頃の私だ。吹雪で死を悟った私と完全に同じ状態だ。

 

 ほぼ瀕死状態の羽枝はまだ口を揺らしながら、私に何かを伝えようとしていた。私はゆっくりと耳を羽枝の口元に近付け、発言の内容を聞き取る。羽枝は私に向かって囁いた。『魔女』と。ただその一言だけ。

 

 私が耳を傾けるのを辞めた瞬間、事切れたかのように羽枝はパタリと意識を失い、その場で気絶してしまった。

 

「魔女。魔女か、うん良い。とても良い。同じ魔術師から恐れられ、こんな事を言われたのは人生で初めてだ」

 

 

 

 ―――彼女は私を貶すつもりで言ったのだろうけど、私個人的には魔女と呼ばれて悪い気はしない。

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