『もしも幸せを数値化するならば、私は驚かされた回数でそれを決めたいなと思っています』
そのセリフは、俺がかつて読んでいた本の作者のセリフだった。
その人が特別好きかと言われたら悩むけれど、少なくとも心に変な響き方をする言葉だった。いや人格の話をするならだいぶカスだなこの人……ってなるタイプの人間だったかもしれない。
とにかく、尊敬する人や大事な場面で紡がれる言葉ではなく、そんなどこかでたまたま見つけた、俺の事なんて一切考えてない言葉なのかもしれない。
俺の事なんて考えてないからこそ、その言葉は虚飾が無く心に入り込んでくるのかもしれない。
『キズガミの縁魔』。
略称は『キズガミ』とか『縁魔』。将明社から発刊の週刊少年マンデーにて連載されていた漫画で、作者は『メルトアウト』などで知られる
主人公の
それが俺が転生してしまった世界。
『キズガミ』の世界は幽霊や妖怪というものが当然のように実在する。前世でも存在していたのかもしれないが、少なくとも比較にならないくらいに頻繁に現れるのだ。
俺のような霊感がある訳でもない一般人でも週に2回霊障に会う程。
そんな治安最悪の世界に転生してしまった、だけならまだいい。よくないけどね? よくないけど、まだ何とかできる。
しかしどうしようも出来ない問題が、今俺の前に振りかかろうとしていた。
この日、俺はクラスメイトの葬式に来ていた。
どこにでも居そうなのに、浮世離れした不思議な雰囲気を持っていた青年だったと思う。そんな彼の名前は──────。
「上宿、クモリ……」
そう、今葬式が行われているクラスメイトとは、この作品の主人公であるはずの上宿クモリなのである。
待ってね、落ち着こう。
先程も言った通り、『キズガミ』の世界は陰陽師とか退魔師みたいな人達が裏で妖怪幽霊相手にドンパチしていて、それでも何とか表沙汰にならないだけで被害は多発するような世界だ。
大妖怪と契約したクモリは当然その戦いに身を投じることになる訳だが、彼は表の世界を守る為に戦うわけで。
主人公が通う学校なだけあって、うちの学校というかこの街は結構
遺影となるようなことがわかっていたかのような、穏やかな笑みを浮かべる写真を見る。
うん、間違いなくクモリだな。どこにでも居そうなのに不思議と目を引くこのキャラクターデザイン。
主人公、死んじゃってるんだけど……?
「なんで、なんでだよクモリ!?」
思わず声に出してしまったが、俺の悲痛な叫びは会場内のクラスメイトの泣く声や雑音に紛れて誰かが気に留めることもなく消えていく。
落ち着け。
原作ではクモリが大妖怪妖鳴と契約するのは確か二年生の七月。そして今は二年生の六月。
仕留められてる!
物の見事に、まだ力に覚醒する前にあいつったら仕留められてしまっているじゃないか!
だが、そうなってくるとクモリが死んだ理由が謎になる。
クモリは部屋で心臓麻痺によって死んでいたらしい。心臓麻痺、つまり原因不明の心停止。七月以降ならば怪異に挑むか巻き込まれたで負けた、で説明が付くのだが、まだ契約してないとなると話が変わってくる。
クモリは主人公なので、当然のように彼の生い立ちには少し特別なものがある。
長いので具体的な説明は省くが、言えることは二つ。彼はその背景によって高校生になるまでずっと孤独であったこと。そして、彼は何があっても
それでいてクモリは一般人と比べれば遥かに強力な霊への耐性が存在するのだ。
そもそも、主人公が死んだら物語が始まらないのだから原作でこんなことがあるわけが無い。
そうなってくるとこの世界で唯一、原作と違うモノとなってくると、だ。
俺の存在だ。
この世界が『キズガミ』の世界だと気がついた時、俺はすぐにクモリを探した。そして小学生三年生になって、別の学区の小学校に通う彼を見つけた時、すぐさますり寄って友達になったのだ。
『俺は吟一って言うんだ。お前は?』
『……クモリ。えっと、ごめん。友達とか、そういうのあんまり欲しいとか思わないから』
『んー、突き放すなら「俺に関わると良くないことが起きる……」とか言った方が主人公っぽくない?』
『ごめん、何の話? あと初対面の人にいきなりそんな突き放し方は失礼じゃない?』
まぁ、初対面では警戒されまくったけど。
当時の行動を思い返すと、そりゃ当然だなとはなる。しかしあの頃はとにかく死にたくなくて、クモリと友達になってどうにか安全圏に入ることしか頭になかったのだ。
『なんで俺にかまうんだよ。学区もちがうし、そもそもどうやって俺のこと知ったんだ?』
『よく考えてみろクモリ。お前みたいな人間のオーラが隠せるわけないだろ? お前のオーラに自然と引き寄せられた……と、言う他ない』
『頭大丈夫? ……吟一ってホント変なやつだよな……』
うん、当時の俺大分おかしかったな。クモリも素でドン引きしていたが、なんやかんやで突き放すようなことはせず、付き合っていくうちに俺自身原作がどうこう以前にクモリの少し尖っているけど優しい気質に惹かれて、普通に友人になっていた。
そしてつい先日まで、俺はもうこの世界が『キズガミの縁魔』の世界であることなんてなんの問題にも感じていなかったんだ。
何せ今世の半分近くをクモリと共に過ごして、あいつが凄い奴で本物の『主人公』であることはこの世界がそういう物語だから、なんて理由じゃなくて、あいつがそういう人間だから、と知っていたからだ。
だから俺はあいつの友人として、あいつが漫画みたいに……というか本当に漫画なんだけど。とにかくそんな非日常に行ってもいつでも戻ってこれるような居場所の一つで居たいと、ただの友人として思うようになっていた。
だが、本来この物語に『倉木 吟一』というネームドのキャラクターは存在しない。
そもそもクモリに小学校からの付き合いの男友達なんて存在しないのだ。だから、何か原作と違う展開が起きてしまったとすれば、それは原作と違う行動をした人間が原因と考えるのが妥当。
つまり、俺の、せいなのか?
俺が我が身可愛さにクモリと友人になろうとしたから、そのせいで俺は友人を殺した──────
「なんて顔してんのよ、吟一」
「……乙葉こそ、目の周り真っ赤だぞ」
「これは、目薬よ。仮にも遠縁の私が泣かない訳にもいかないでしょう?」
そう言って、赤く腫れた目元を擦りながら目薬を見せつけてくる彼女は
学生は俺を含めほとんど制服で出席している中、彼女は上品な喪服に身を包んでいる。切れ長の瞳と見下すような目線は、縁起でもないが死神のような風貌だと思えてしまう。
彼女は所謂、幼なじみと言うやつだ。
原作ではクモリと小さい頃から縁があったが、とある事件で少し距離が開いてしまい彼女の少々ツンツンした性格もあって疎遠に……と言う感じのヒロインだったが、俺がクモリとつるんでいたところに突っ込んできたので、俺と彼女も幼なじみになっていた。
「誰にでも優しくて、品行方正な
「……わかってるよ。乙葉はそういうやつだもんな」
誰にでも好かれようとして、人前では猫を被ってるが本性は結構キツめ。かと言ってそうやって誰にでも好かれようとするのは、少しでもクモリが他人と馴染めるようにする為。
完璧な自分と友人であるならば、クモリの評価だって上がる。皆が彼を除け者にしないようにと、そんな風にしか優しく接することが出来ない不器用で優しい女の子が彼女なのだ。
「……なんなのよ。吟一はいつもそうやってわかったような口で、クモリはいつも私を置いて……なんなのよ……」
「悪い、俺はもう帰る」
「そう、好きにすればいいわ。顔色悪いし、倒れられても面倒だしね」
そうして、俺は式場を後にする。
いつの間にか、頭の中にあった原作だとかこれからだとかなんて話は抜け落ちていた。
クモリと出会ってから今日までのこと。乙葉の今にも泣き出してしまいそうな表情。
今の俺の中にあるのは、友人を失った悲しみ。ただそれだけだった。
「もう、クモリはいないんだもんね」
去っていく吟一の背中を眺めながら、乙葉は小さくそう呟いた。
握りこまれた拳の中にあった、先端の尖った十字架のような形をした何か。強く握りこんだ故か、乙葉の掌の皮は破け、傷口から血が溢れて一滴、地面へと滴り落ちる。
「じゃあ、私が守らないと」
ポタリ。
地面に落ちた血の雫は、まるで水面に落ちるかのように彼女の影に波紋を映し、吸い込まれる。
地面に血の跡は残らなかった。ならば、血の雫は何処に消えてしまったのか。
「私が、この
その答えを示すように、乙葉の瞳が紅く輝いていた。
「ただいまー……」
玄関のドアを開けた俺の声に、応えるものはいなかった。
両親は共働きで帰りが遅い。婆ちゃんも今は友人と旅行中。 誰もいない家に帰ってくるのは慣れていたが、今はその静寂が心をの傷口を抉る。
友人の死を悲しむ気持ち。
本来ならクモリが対処していたこの街、ひいてはこの世界が滅ぶレベルの事件をどうするかの不安。
そして、友人の死の原因が自分にあるのではないかという───。
……やめだ。
考えたって答えが出る問題じゃない。所詮一般人であり、名前も出てきたことの無いモブである俺が幾ら頭を捻ったって、何かを変えられることは無い。
思考ばっかめぐらせていたせいか、頭が鈍く痛む。
確か冷蔵庫に母さんが買ってきたケーキがあったから、一先ずそれを食べて糖分を補給しよう。
そう考えながら、リビングの扉を開いた。
「おぅ、おかえり吟一くん。このケーキ美味いね。どこの?」
知らない女が、勝手にケーキを食っていた。
上品にナイフとフォークで、しかし勝手にうちのナイフとフォークで。
しかも勝手に俺のコップを使ってジュースも飲んでいるし、テレビも付けている。考え事をしていたせいで音に気づかなかった。
「冷蔵庫の扉くらい、閉めろや」
思考能力が限界を迎えた俺の口から、謎の泥棒に対して咄嗟に出たのはそんな言葉だった。
「……ごめんごめん。うちには冷蔵庫ないから、閉める習慣がなくて」
コース料理を食すかのような上品な手つきで、口元をべちゃべちゃに汚してケーキを食べる。
穏やかな食事風景に見えるのに、やってることは空き巣でしかない。そんなちぐはぐな印象を受ける女は、ジュースを一気に飲み干すと目を俺と合わせてきた。
目盛りが刻まれているような特徴的な瞳。
白と言うより、CDの裏側のような光沢を持つ銀の髪。
「───あ!?」
「もしかしてやっと気づいた? まさかあって最初に冷蔵庫の扉を閉めろって言われるとは想定外。いやぁ、驚かされたよ」
そう言いながらも冷蔵庫を締めに行く素振りを女は一切見せない。
だがそんなことはもはやどうでもよかった。俺は既に腰を抜かしてその場に座り込んでしまい、頭の中にはさっきまでの様々な思考はすっぽり抜け落ちて、今どうやって
──────『七不思議』。
この世界、『キズガミの縁魔』の主な舞台であるK県にある地方都市、八十矢市にもそれは存在する。
しかしこの街の七不思議は、他所の学校等にあるものとは少し違う。それは怪談や噂話ではなく、ルールなのだ。
やってはいけないこと。
触れてはいけないもの。
知ってはならないこと。
破ってしまえば、たとえ退魔師や妖であろうとも喰い殺される。そう言う最上位の法則を持ち合わせたモノを、退魔師達が決して一般人が触れぬように『七不思議』として形に嵌め込み、指向性を持たせることで被害を最小限に抑えこんでいる。
つまりそれらはこの世界のルールそのもの。
リンゴが木から落ちて、重力に引かれて地面に落ちるように。水素と酸素原子が一定の比率でくっついて水分子になるように、それを破ったら死ぬのは当然のこと。
そのうちが一つ、『廃棄区画の路地裏に決して一人で立ち入ってはならない』。『もしも彼女に会いたいならば、正しい作法で路地裏に入り、契約をしなければならない』。
この世界における絶対者の一人。
あらゆるものを消滅させることが出来る、存在そのものの『殺し屋』。彼女と出会ってしまったならば、それは絶対に避けられない消失を意味する。
「
原作における最強キャラの一角にして、敵でも味方でもないどうしようもない厄災。
それが彼女、汚鳥レア──────
「うーん、不正解。その呼び方でもあっているけれど、
女は椅子から立ち上がると、いつの間にか纏っていた白い羽織をマントのようにはためかせ、大袈裟な仕草と身振り手振りでその小さな体を少しでも大きく見せてから、丁寧に頭を下げて自己紹介をする。
「私のこの世界での名前は汚鳥レア。それは間違いじゃない。でも、私の
「は、はぁ? 虎落って……」
「そう、あの虎落! 代表作は『メルトアウト』と『キズガミの縁魔』。いつもご愛読ありがとう、愛しき読者君! ───稀代の天才漫画家、虎落逸軌さ!」
この世界に決して存在するはずのない名前。
七不思議なんて言う『法則』よりもよっぽど馬鹿げた『
もう気絶寸前の脳みそに、お構い無しに原作者はさらなる情報量を叩き込んでくる。
「転生者である君に、助けて欲しいんだ。実は私は───主人公を殺してしまったんだよ!もうやばいからどうにか君の知識を貸して欲しい!」
その瞬間、俺の脳がついにキャパシティをオーバーする音がした。
ゆっくりと色を失い、暗くなっていく視界。突然ぶっ倒れた俺に驚いた表情を浮かべているレア。
……そもそもなんだけどさ。
前世で俺が『キズガミの縁魔』を読み始めたのは、死ぬことになるほんの数日前のことだった。
面白いとは思った。続きを読みたいとも思った。しかし、それは俺には叶わなかった。それよりも早く俺の命の灯火は消え果て、気が付けば前世で最後に読んだ漫画の世界に転生していたのだから。
つまり。
俺はこの物語を、途中までしか読んでないんだよね。
架空原作杯の要項により発生する原作語りタイム
《上宿クモリ》
家族構成:母(故人)、父、妹(別居)
『キズガミの縁魔』の主人公。一般人よりは『見える』側の人間であるが、特別と言えるほどの力はなく、見えないものが見えてしまう体質と片親という境遇からイジメこそ無かったものの積極的に関わる人間もいなかった。
高校二年生になったある日、明らかに人為的に操られた霊が人を襲う事件に巻き込まれ、その際に偶然にも封印されていた大妖怪『妖鳴』と接触。彼女と契約して霊に対抗する力を得る。
キズガミは『妖鳴』。契約した大妖怪の名を関するキズガミであり、姿はそのまま妖鳴のもの。糸と音を操る能力があり、状況に応じて多彩な動きを見せる主人公らしい能力。
……なのだが、覚醒前に心臓麻痺により死亡。
《倉木吟一》
家族構成:母、父、祖母、姉
本作の主人公。
原作にはこの名前の人物は登場せず、『キズガミ』は途中までの物語とインターネットで仕入れた知識しか知らない。