平野を冷たい風が吹き抜け、ドクンドクンと脈打つ自分の鼓動を感じる。
ギルドでは大口を叩いたが、いざ動き出してみるとやはり心細い。
しかし、私には私を信じて送り出してくれたギルドのみんなが付いている。
そう考えるだけで、身体の震えは収まる。
ギルドのみんなは私に説得され、全面的に協力をしてくれた。
彼らは私の装備を返してくれただけではなく、指輪やネックレスなどの装備からポーションや魔法スクロールなどの消耗品まで、私に数多くのアイテムを持たせた。
さらに、一人では馬に乗れない私をこの平野まで送り届け、罠の設置にも協力してくれた。
おかげで一日足らずで準備は完了し、早くも翌日の早朝にはゆっくりと魔王を待つ余裕ができた。
しかし、落ち着いていられたのはつい先ほどまで。
日が昇ってしばらく経ったころから、魔王の気配を感じるようになった。
いくら気を強く持っても、時が経つにつれて空気はだんだん重くなり、息が苦しくなる。
私の考えは正しかった。
魔王はやはり、王都に向かっていた。
魔王を迎え撃つ場所として、私は王都より少し北に存在するこの平野を選んだ。
モンスターは少なく、普段であれば馬車が走っていることも珍しくない場所だ。
そんな平野が、今は異様に静だ。
ソワソワする自分を落ち着かせるために、私は改めて自分の姿を確認する。
子供たちに大人気のキャラクター、大魔王だいだらぼっちのローブにマント。
指輪をふんだんに嵌めた両手には赤く輝く宝石を持つ上質な杖。
首にはきれいなネックレスがかけられており、背後には空になったポーションの瓶が積まれている。
うん。
なかなか様になっていると思う。
ベテラン魔法使いの貫録が出ているんじゃない?
そんなバカなことを考えていると、ついに心臓が縮こまるようなプレッシャーとともに前方の景色がゆがみ始めた。
魔王の登場だ。
でも、前回とは違って、あまり嫌な予感は感じない。
それどころかどこか安心している自分に驚いた。何が違うんだろう?
「待たせたわね、エミリーちゃん。それともえみりんと呼んだ方がいいのかな?」
景色のゆがみがぴたりと止むのとともに、魔王は私の目の前に転移してきた。
げっ、知ってたけどこいつ、当たり前のように私の私生活を覗いてきやがるな。
「さて、妾の軍門に下る準備はできたのかしら? 今すぐにとは言わないけど、あまりレディを待たせるじゃないわよ」
妖艶な笑みを浮かべる魔王がこちらに歩み寄るのにつれて、空気が一層重くなった。
「く、来るな!」
得体の知れない恐怖が背筋を這い上がるのを感じた私は思わず後ずさりする。
しかし、震える手で杖を掲げて魔王を遠ざけようとしても、魔王は意にも介さない。
笑顔のまま一歩一歩、近づいてくる。
あと一歩で触れられる距離となったとき、魔王は唐突に止まった。
どうしたんだ?
もしや何かを待っているのだろうか?
「魔王ー!」
突如、魔王の背後から聞き慣れた声がした。
その声を皮切りに、それまで張りつめていた空気が一気に緩和される。
勇者さまの登場だ。
「くそ、いきなり転移しやがって。エミリーに何もしてないだろうな」
悪態をつきながらもルーカスは物凄いスピードで走ってきた。
およそ一か月ぶりのルーカス。
よかった、無事で。
うん?
でもいきなり転移?
それじゃまるで途中まで一緒に来ていたみたいじゃん。
「うふふ、何もしてないわよ。まだ、ね」
私の困惑をよそに、魔王は意味深に微笑む。
くそ、どうなってるの?
「ルーカス? 何で魔王と一緒に......?」
「あー......」
私の問いに対して、ルーカスは返答に困ったように頭をガシガシする。
「勝手に付いてきたんだよ、魔王が」
「別に付いていったわけじゃないわよ。ただ行先がたまたま一緒だったから、ね?」
そんなはた迷惑な!
うーん、それにしてもこの二人、仲が良いわけではなさそうだけど、犬猿の仲ってわけでもなさそうだな。
てっきりバチバチにやり合ったのかと思ってた。
「あら? 何だか状況を飲み込めていない顔をしているわね、エミリーちゃん」
そう言って魔王は再び私に顔を向け、その細められた両目を楽しそうに輝かせた。
「いいわ、教えてあげる。妾と勇者は誤解を解き、盟友となったのだ」
「盟友......?」
魔王の言葉に一層困惑し、私は説明を求めるためにルーカスを見る。
こんな危険人物とルーカスが盟友?
「いや、魔王には別に変な企みがあるわけではなさそうなんだ。エミリーのことも今のところは諦めると言ってたし、まぁいいかと思って」
え?
つまりどういうこと?
「つまり一時休戦ってことよ」
え?
休戦?
でもこの人色々と危ないよ?
「ふふ、理解力のなさも長所の一つね。いいわ、おバカさんなエミリーちゃんには丁寧に説明してあげるわ」
くっそバカにして!
こんな馬鹿げた話、理解できなくて当然だよ!
「妾は別にこの世界をどうこうしようと思っているわけじゃないのよ。それに、エミリーちゃんのことも今は諦めるわ。どうせ時間はいくらでもあるんだもの」
「へっ?」
「ほら、ギルドの人たちといい感じだったじゃない? エミリーちゃんはまだギルドに残りたいだろうし、待ってあげるわ。誰かと仲良くなった程度で運命は変わらないもの」
えっ?
うそ。
こいつ、思ってたより全然いいやつじゃん。
どういう心境の変化なんだ?
......それでも私を手に入れるつもりなのが腹立たしいけど。
「ねぇ、今どんな気持ち? 決死の覚悟で戦いに臨んだのに全部勘違いだったときって、どんな気持ちなの?」
ニマニマした魔王は煽ってくるけど、残念。
私、そういうのには免疫あるんで効きませんよ。
「マントが良く映えるようにそよ風を起してあげてたけど気づいてた? 気づいてないよね! だってこんなに凛とした表情をしていたんだから!」
えっ?
待って、まさか。
最悪の可能性に思い至って、私は冷や汗をかいた。
そんな私の焦りをよそに魔王は左手から魔法陣を展開し、映像を虚空に映し出す。
それはつい先ほど、マントをなびかせ、キリッとした顔で杖を構える私だった。
......し、死にたい。
なかなか様になっているなんて思っていた自分が滑稽で仕方がない。
恥ずかしさのあまりに杖を握る両手に力が入り、無意識に身体が小刻みに震え始めた。
「......ふ」
「うん? 何?」
「ふざけるな! 私がどんなに悩んだのか知ってるだろ! 私がどんな覚悟でここに来たのか知ってるだろ! このまま終わったら、私は......」
「うんうん、不完全燃焼だよね。エミリーちゃんの愚直なところも好きよ」
黙れよ!
分かってますって感じに頷くな!
お前に理解なんてされたくないんだよ!
お前なんて、灰になっちゃえ!
「おっと、君の相手は妾じゃないわ。なかなか会話に入ってこられない残念な勇者さまだよ」
「っ!?」
やけくそになった私が攻撃に移ろうとした瞬間、まるでそれを予期していたかのように魔王は私を制止して、おかしなことを言い出した。
寝耳に水とはまさにこのこと。
私もルーカスも魔王の言葉に驚いて少しフリーズしてしまった。
「ほら、勇者さま。後輩を指導するつもりで戦ってあげてね」
「......はぁ。いいだろう。来い」
私は断るつもりだったのに、意外にもルーカスは違ったようだ。
気だるげながらも魔王の要請を受け入れている。
そんなルーカスが剣を抜いた途端、人間が発しているとは思えない程のプレッシャーが襲い掛かってきた。
それは魔王に負けず劣らずの凄まじい気迫だった。
そのプレッシャーを感じた魔王は満足気に頷き、少し離れたところに転移した。
まぁ、いいだろう。
本当は魔王を相手にしたかったが、ルーカスがやる気ならば仕方あるまい。
今はただ、私の全力をぶつけられる相手が欲しかっただけだから。
それに、なぜだかルーカスは最初から本気だ。
前回は川に落とされてから覇気を出したのに、今回は戦う前から出しているからね。
もしかしたらルーカスは、密かに前回のリベンジに燃えていたのかもしれない。
ふふ、なんて好都合だ。
今回は時間があって自分にとことん有利な舞台を整えることができたからね。
本気のルーカスに、万全の準備を整えた私の作戦がどれほど通じるのか試してみようじゃないか。
よーし、張り切って行くぞー!
「『ウォーターボール』!」
今回の勝利条件は前回と同様、ルーカスをびしょ濡れにすることだ。
もともとは魔王と戦うことを想定していたけど、相手がルーカスに変わったところでそのことに変わりはない。
だって勇者も魔王も、ずぶ濡れにされたらかっこ悪いもんね。
だから小手調べとして、私はとりあえず水の玉をルーカスに向かって真っすぐ飛ばした。
しかし、案の定というべきか、そんな水の玉はルーカスに触れることもなくあっさりと破壊されてしまう。
やはり本気を出したルーカスに水責めは一筋縄にはいかないようだ。
......ところで、何だかいつもより魔法の出力高くない?
うん。試してみるか。
「連続『ファイヤーボール』!」
自分の魔法を怪しく思った私は両手から、一気に『ファイヤーボール』の魔法陣を六つ展開した。
すると、魔法陣からやはりいつも以上に大きい火の玉が放たれた。
それに、出力だけじゃない。魔力の量も上昇しているみたいだ。
まぁ、いつもの装備に加えて色々なアクセサリーを身に着けているし、ポーションも飲んでいる。
これぐらい上がっていても不思議じゃないのかな?
装備の一新、ポーションの使用、そしてAランク冒険者としての修行。短期間で私は急速に成長してきたし、さらに土壇場になってドーピングまでした。
自分を強くするためにあれこれやってきたせいで、自分の実力を正確に把握できなくなっている。
ふーん、まさか自分の強化にこんな落とし穴があったとは。
これはいい勉強になったな。