「見慣れた天井だ......」
目を覚ますと、そこはギルドの寮にある自室だった。
そのことに安心感を覚えた私は再び慣れ親しんだベッドに身を委ねる。
ああ、帰ってこれたんだ。
「目覚めたか、エミリーちゃん」
横から魔王の声がする。
穏やかで、聞いていて落ち着く声だ。
それに、その口調も自然体で、これまで聞いてきた芝居の掛かったものではない。
......うん?
魔王?
「ああ! 何でいるんだよお前! ここは私の自室だぞ!」
「何だ? 妾がいてはいけないのか? 生意気なやつだねぇ」
がばっと起き上がると、魔王は枕元に座って私のコップで優雅にお茶を飲んでいた。
こら、勝手に飲むな!
そう念じながら私は魔王の手元を凝視した。
「ああこれか。庶民にしては上等な茶だが、やはり妾の舌には合わないね。次からはもっと良い茶を期待しているよ」
むっきぃ!
次なんかねぇよ!
こいつどこまでも自己中だな!
「もう何しに来たんだよ!」
「せっかくお前をここまで運んできたというのに冷たいわねぇ」
私はそんな魔王の言葉に目を白黒させた。
運んできた?
こいつが?
「何だ。やっぱり勇者に運ばれたかったの? 女子だねぇ」
ちげぇよ!
そもそもどうやって王都に入ってきたんだよ。
こいつ魔王オーラぷんぷん出してたし王都に近づいたら絶対騒ぎになるだろ。
私のそうした疑問を魔王にぶつけると、魔王は何ともない風に答えた。
「気配の操作など造作もないよ。実際、勇者はいつも抑えているだろう?」
え?
こいつこんな気遣いできたの?
だったら最初から気を遣えよ。
「ほれ、お茶を飲むと落ち着くぞ」
私が今まで散々振り回してきた魔王に少し怒りを感じていると、魔王は別のコップを差し出してきた。
いや、いつの間に用意したんだ。
手際良すぎだろ。
そう心の中でツッコミながらも飲んでみると、魔王が淹れた茶はいつも飲んでいるものと同じ茶葉だとは思えないほど香ばしい。
やはりこいつ、優雅な佇まいといい、上品な手付きといい、同じ庶民だとは思えないな。
確か名前にもなぜかミドルネームがあったし。
「そういや、お前魔王になる前は何をやってたの?」
「特になにもやってないね。妾は貴族だし、公務はすべて他人任せだったからねぇ」
え?
つまりニート?
いてっ!
失礼なことを考えていたら、いきなり魔力弾が額を襲った。
「過去のことはどうでもいい。大事なのはこれからだよ」
見苦しいニートの言い分......。
これだから学のない庶民は......、なんて言いながら魔王は服を整える。
そして魔王は徐にコップを置き、その隣に手を伸ばした。
その先に目をやると何やらものすごく見覚えのあるノートが置かれていた。
え、まさか。
違うよね。
見つからないように棚の一番奥に仕舞っておいたのに。
背筋を冷たい汗が流れるが、魔王の手は止まらない。
魔王はそのまま私に表紙を見せつけるようにノートを開き、ページをめくり始めた。
あああああああ!
もう殺してくれ!
魔王の手にあったのはやはり私の黒歴史ノートだった。
「なかなか興味深い書物を見つけてね、ちょっと読んでみたのよ」
返せ!
今すぐ返せ!
私はコップを置いてノートを奪おうと必死に手を伸ばしたが、魔王による変なバリアによって阻まれてしまった。
焦った私が無意味にバリアをポコスカ殴っていると、あろうことか魔王はそのまま朗読し始めた。
「『魔王になったから強くなったのではない。強いから魔王になれたんだ』の一文だけど、エミリーちゃんは恐らく勘違いをしているわ。魔王に求められるのは気持ちであって戦闘力ではないの。ただ気持ちが強い人は大抵戦闘力も高いだけなのよ」
どうだっていいんだよそんなことは!
もう、大真面目に解説してんじゃねぇよ。
絶対わざとやってるだろ。
観念した私が俯いてわなわなと震えるのを気にせずに、魔王はさらに言葉を続けた。
「だから、『才能がなくとも、強くなくとも、努力だけで魔王になれる』の解釈は正しいわ。流石だね。着眼点は素晴らしいわ」
あああもう頼むから黙ってくれよ!
いよいよ耐えられなくなった私は頭を枕に顔をうずめて足をバタバタさせる。
一方、そんな私の反応を楽しみながら魔王は再びお茶を飲み始めた。
くそ、いつもこいつに振り回されてばっかりだな、私。
しばらく悶絶したのち、気を紛らわすために私は先日のことを思い返し始めた。
まさか、ただのAランク冒険者である私が、数カ月前はただのBランク冒険者であった私が、勇者とも魔王とも戦うなんて。
うん? 魔王と戦った?
あれ、おかしいな。
ルーカスと戦ったのははっきりと覚えているんだけど、魔王と戦ったか?
何だか記憶に霞がかかって思い出せない。
えっと確か魔王が世の理だとか千年前の魔王だとか言って、それに対して私が反論して、魔王がそれを聞いてキレたんだよね。
うん? 魔王が色んな魔法を飛ばしてきたところまでは何となく覚えているんだけど、そのあとは?
何かすごく重要なことが起きた気がするのに。
「ねぇ。ちょっと記憶が曖昧なんだけど、魔王がいきなりキレたあと何が起きたんだっけ」
「何も起きてないわ」
私を一瞥した魔王は短くそう答えると、再び茶を啜り始めた。
いや、それはないだろ。
あんなに魔法を飛ばしてきたのに私、無傷なんだから。
何かあったに決まってるでしょ。
しかし、いくら問い詰めても魔王は口を閉ざしたままだった。
「さっきも言ったでしょ。大事なのは過去ではなく、未来のことだよ。過去に縛られちゃだめよ?」
うぅ、何か良いことを言ってる風だけど、この場合は違うよね?
一向に口を割らない魔王にこのままだと埒が明かないと判断した私は、別のことを聞くことにした。
「じゃあさ。あの時、何でいきなりキレたの? これなら答えてくれる?」
「それは秘密よ」
おい!
答えろよ。
「エミリーちゃんは何にも気にする必要はない。このままが一番、かわいいんだから」
ふざけんな!
私は変わりたいんだよ!
そう抗議すると、魔王は困ったように考え込む。
「じゃあ、これからは妾のことは魔王じゃなくて名前で呼べ」
え嫌だよ。
魔王は魔王でいいじゃん。
てか変わるってそういう意味じゃねぇよ。
蚊帳の外は嫌だってことだよ。
私の沈黙を拒絶だと理解した魔王は、顔を顰めた。
「名前で呼ばないと首輪は外さないわよ?」
「イルザ様っ!」
「様を付けるな。イルザと呼べイルザと」
「い、イルザぁ~」
何だか変な感じがして声が引き攣ってしまった。
そんな私の声を聞いた魔王は、実に楽しそうだ。
「ふん、まぁいいわ」
そう言って魔王はコップを置いて私に近づき、首輪の表面に指を走らせて軽く弄った。
すると、私が魔王の美しく魅惑的な顔が目と鼻の先にあることにドギマギする間もなく、ガチャっといういい音とともに首輪はあっさりと外された。
私を辱め、苦しめた忌々しい首輪が、ようやく首元から離れていく。
途端に私の身体に纏わりついていた違和感が解消され、私は久しぶりの解放感を味わいながら身も心も軽くなるのを感じた。
しかし、そのことに私は歓喜することなく、サッと魔王から距離を取った。
こいつが至近距離にいると落ち着かないし、何をされるか分からないからな!
ほら、今も恍惚の表情を浮かべながら首輪をべたべた触ってるし、おっかないんだよ。
「ふふ、まだ暖かいわ。このまま永久保存ね」
あっ!
私が奪い返そうと慌てて手を伸ばすよりも早く、そう言うや否や魔王は首輪を異空間に収納した。
ああもう、何だよそのインチキ魔法!
次回が最終話になります。
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