全員覚悟ガンギマリなエロゲーの邪教徒モブに転生してしまった件 作:へぶん99
“もう止まることはできない。”
“それなら、せめて――”
“大好きなあなたの手で、スティーラを殺して。”
そんな無念に満ちた内なる悲鳴が、オクリーの心を串刺しにした。
「スティーラっ!」
「……オクリーっ!」
双方、涙を流しながら、どちらともなく走り出す。
魔法吸収ゼロ状態の熱線は、直径一メートルほどが最大の大きさである。それが直線上に放たれ、大地を焼く。今のオクリーにとっては軌道さえ読めてしまえば回避は容易かった。
最低限の身体の捻りでレーザー攻撃を回避する。ならば攻撃の量で圧倒してやろうと、対・非幹部用の極小レーザー光線がスティーラの周囲から射出された。
髪の毛ほどの細さに束ねられた光線は、人の肉を容易く断ち切ることができる。細胞を残らず消し飛ばさなければならない対幹部と違って、身体の一部分を切断すれば致命傷を負う対一般人用に戦い方を変えてきたわけだ。
掠れる視界の中、反応と予測だけでレーザー光線を回避する。夜闇が幸いして、どれだけ細くレーザーを束ねても微かな光が見えたのが幸いした。
左腕に括りつけた盾が、脇下から胸部に侵入しかけた光を逸らす。その間にもスティーラ本体は大地を這うように駆け回り、レーザーの発射場所を絶え間なく移動させる。
一定の距離を移動していたスティーラは、更なる揺さぶりをかけるためにオクリーにハイキックを叩き込む。直撃すれば肉を消し飛ばす威力を有した爪先が鼻先を掠め、オクリーはたたらを踏んで仰け反った。
スティーラ・ベルモンドはアーロスに
防御結界と熱線攻撃の手段を得る前から最強の兵士だった。小さな身体をゴム毬のように弾ませ、徒手空拳で以て敵を蹂躙し尽くす。その後、戦場の死体を食事するまでの光景がセットで語られるほど苛烈な戦いぶりを見せた。
少女は素手で人を引き千切る膂力を持ち、刃物を持てば瞬く間に人を解体できた。かつてのヨアンヌが柔の剣の名手と謳われていたのなら、スティーラはありとあらゆる武器で臨機応変に戦う人殺しの天才と呼ばれていた。
大地にどっしりと構え、『反転焦土』によるカウンターを狙うため棒立ちになる戦い方は、あくまで最高効率を追い求めた故の産物。小さな身体を活かして素早く動き回って戦う方が性に合っている。
本来の戦い方を交えて立ち回るようになったスティーラは、至近距離に近づき、極小のレーザーと体術による攻撃でオクリーを攻め立てた。
正拳突きでオクリーの体勢を崩しつつ、誘導した空間に熱線を放射する。体術でオクリーに回避を強要し、熱線で回避後の姿勢を狩り、次なる体術で息もつかせぬ波状攻撃を行う。対オクリー用の戦闘技術だ。
熱線は無造作に薙ぎ払われる。盾一枚だけでは防ぎ切れぬ光の束は、曲芸じみたジャンプと捻りで回避するしかない。ボロ切れのようになった服が裂けるだけならまだマシで、オクリーの身体の節々をレーザー光が容赦なく削り取っていく。
熱線はスティーラ本体から放出されるため、彼女から距離を離すほど光同士の隙間が大きくなる。当然オクリーはスティーラと離れようとするが、それを許すスティーラではないし、近距離攻撃と細いレーザーを交互に繰り出す一辺倒でもない。
レーザーを一本に束ねて肥大化させたり、薙ぎ払った脚先から放射したり、ディレイを掛けたり目線や体重移動でフェイントを掛けたりする。
特に、小手先の揺さぶりは絶大な効果があった。スティーラほどの戦闘力を備えた者が駆け引きや読み合いを強いてくるなど予想外だ。オクリーは左腕に括りつけた盾に踵蹴りを叩き込まれ、上半身ごと後方に吹き飛ばされ――倒れ込んだ右の脇腹に光が貫通した。
「がっ――」
肝臓が焼き切れる。
もんどりうって、血混じりの肉塊を吐いた。
意識がふっと遠くなって、背中から地面に倒れていく。受け身を取れず地面に後頭部を叩きつけて、視界に火花が弾けた。
「……っ、まだだッ!!」
本来であれば意識を断絶しているはずの衝撃だったが、あろうことかオクリーは現世に踏み留まった。
妙に思考が冴え渡っている。しかし、見えてくるのは絶望ばかり。スティーラに勝てる未来が全くもって想像できない。
(…………本当に打つ手がない。殴ってもダメ、投げてもダメ、魔法は使えないし、改造銃も破棄した。唯一の武器は盾くらいなものだが、結局物理攻撃だから左腕が吹き飛ぶのがオチだ……)
スティーラは無敵の要塞だ。オクリーが知る魔法使いの中で最も堅牢な盾を持ち、無限の回復力を持つ。
絶対に勝てないのだ。殺してやりたい相手なのに、誰かに頼るしか殺す方法はない。しかも、その
オクリーに残された時間は少ない。脇腹からの出血が止まらないのだ。スティーラと睨み合っているだけで体力を消耗し、暑さのせいで直立すらままならない。
「……もう、いいよ。……立ち上がらなくていい……」
スティーラは憐れむように、諦めたように首を振る。
その姿があまりにも悲しくて、オクリーはスティーラの元へ最後の力を振り絞って跳躍した。
「――ああああっ!!」
――結局、どれだけ考え抜いても、策は見つからなかった。
盾を括りつけた左腕を振り抜き、スティーラの防御結界に叩きつける。無策とやるせなさが自暴自棄な行動に走らせた。
当然、攻撃の全てがオクリーの身体に跳ね返った。
左腕がぐちゃぐちゃに折れ曲がり、後方に弾き飛ばされる。殴打の起点となった腕が後ろに跳ね飛ばされたため、左肩を脱臼し関節が砕け散った。骨も粉々に破壊されてしまい、オクリーは左半身の皮膚が紫に変色するほどの深手を負ってしまう。
「…………」
身体中の力が抜けて、遂にオクリーは抵抗の意志を失う。
戦いではなく、一方的な蹂躙だった。
これが『最強』。正教幹部が七人で立ち向かっても打ち倒せなかった、最凶の邪教幹部の力か。
あまりにも無慈悲で覆しようがなくて、薄れゆく意識の中で諦めたような笑いが溢れてしまった。
オクリーの瞳の焦点が合わなくなったのを見て、スティーラは小さく息を吐いた。
先刻、スティーラはオクリーの手で救われるべきじゃないと言った。それはオクリーに救われたいという本心の裏返しだ。
本当は、過去の罪も業も忘れて、愛する人の腕に抱かれたかった。
そして、全身で相手の温もりを感じながら、赤子を寝かしつけるように髪の毛を撫でられて、温い幸福感に包まれつつ赦されたかったのだ。
自分勝手かもしれない。
それでも、少し幻想を抱くくらいなら許してくれ。
スティーラはオクリーの呼吸が浅くなっていくのを見下ろして、腰の上に跨る。脇腹から噴水のように溢れてくる血を啜る。その奥に秘めたる肉を舌で掻き分けて吸引する。
もう、美味と感じているのか、そうでないのかも判断がつかない。
自己矛盾の継続のためだけに肉を喰らう。
ぐちゃぐちゃ、にちゃにちゃ。汚泥の底を掻き混ぜるような不快な音が頭蓋に木霊する中、消えかかった意識で考える。
(……スティーラは救済を望んでいる。俺が起きなきゃ、この子は壊れたままだ。もう、“全部が上手くいく”なんて世界は有り得ないけど……せめて、この子の心だけは――)
貪り喰われる中、スティーラの望んでいることが伝わってくる。
莫大な自責の念と、薄らと根を張る自殺願望がスティーラの深層心理を支配していた。哀れな少女を終わらせるには、もはやこの手で殺すこと以外に方法はない。
「――――ッッ!!」
スティーラの歯が肋骨に触れた時、激痛で覚醒したオクリーが少女の四肢と首を絡め取った。青年の腕がスティーラの肩と首を抑え込む。
家族を失って以降ほとんど誰にも触れられなかったこと、肉を喰らう際の恍惚を感じていたことが災いした。スティーラはオクリーの固め技を愛の抱擁と勘違いし、抵抗しなかった。
それどころか、嬉しいとさえ思った。スティーラは己の頚部を抑え込むオクリーの腕に手を添え、偶然にも己を殺す手伝いをしたのである。
「……!」
そんな彼女を見て、オクリーがどんな感情を抱いたのかは分からない。青年は躊躇うことなく少女の頭部を固めきった。
防御結界は、自分の身体同士が激突することによる攻撃は想定されていない。
気道が急速に圧迫され、酸素を取り込めなくなる。夢見心地なスティーラはまだオクリーの腕を振りほどかない。むしろ安心したように全身の力を抜いてしまった。
完璧に決まった
魔法使いは窒息させられた程度では死なない。
肉片の全てを消し去る必要がある。
(……ここからどうする!? スティーラをどうやって殺す……!?)
スティーラの顔に小石を落としてみても、一定距離まで接近した途端、ゴム毬のように真上へ跳ね返ってしまう。投げ技をかけて地面に叩きつけてやろうかと思ったが、力を込めた途端、スティーラの手首を掴んだ右手の五指が逆方向に折れ曲がった。
ならば溶岩に沈めてやろうかとスティーラの腕を融解した土壌に浸してみるものの、表皮から数センチのところに半透明の皮膜が現れ、溶岩を押し退けてしまう。
意識が断絶していようとも防御結界は自動的に展開され続ける。オクリーは舌打ちしながらスティーラの腕を引き上げ、無傷の白い肌を睨みつけた。
絞め技は今も有効だが、決定打に欠ける。肉片の全てを消し去る必要があるからだ。
どうする、どうする。
考えろ。彼女の最期の願いを叶えてやれなくてどうする。この手で逝かせてやるのだ。どうにかアイデアを捻り出せ。
激痛を訴える左半身を庇いながら、オクリーは全力で頭脳を回転させる。
「…………!!」
オクリーの脳裏に、ある予感が走った。
(スティーラは壊れたままだ……。なら、
オクリーはスティーラの手をそっと下から持ち上げ、恐る恐る顔に近づける。そして、己の歯と顎が砕け散る結末を幻視しながら、スティーラの小指の付け根――小指球部の柔な部分に歯を立てた。
衝撃は返ってこない。
予想通りの結果に震えながらスティーラの手を確認すると、見間違いようのないほどのありありとした歯型と、薄らとした出血が見えた。
(…………)
スティーラにとって、食人とは倒錯的なコミュニケーションであり自傷行為だ。かつてスティーラがオクリーに肉片を食べさせた際、彼女の中で『被食』もまたコミュニケーションの一環となった。
彼女は被食を攻撃と捉えていない。いや、歪んだ心である限り、この行為を攻撃と認識することは不可能なのだ。
進退窮まったオクリーの前に、皮肉にも、
苦悶の表情で唇を噛みながら、スティーラの結末を確信するオクリー。手の痛みが起因したのか、スティーラが窒息状態及び多幸状態から復活を始めた。ぴくりと右手が動いたかと思えば、何の前触れもなく仰臥から跳ね起きる。
ステップを踏んで後退し、外気に触れた肋骨を撫でて意識を繋ぎ止めながら、オクリーは無理難題の突破を試みる。
(攻撃は通る。俺の口を使えばスティーラをバラバラにすることもできそうだ。……が、彼女を喰い尽くしたところで、胃の中で復活される危険性が残っている。胃酸で肉片が全部溶けるまで待つってのは有り得ない。結局、肉体を傷つける手段を得ただけで、消し飛ばす目的までは達成できそうもない……)
幻夜聖祭の開催が宣言されてから動きっぱなし、戦いっぱなしの肉体が悲鳴を上げている。膝関節がぎしぎしと痛みを訴えていて、足の末端の感覚がほとんどない。左腕は全く動かないし、右手の指は全て逆方向にねじ曲がっている。
スティーラに貪り喰われた胴部からは、真っ赤な血と黄色がかった半透明の体液が垂れている。肋骨の一部は露出しているし、腹部は肝臓ごと焼き切られて、もう一歩も動けそうにない。
でも、動かなきゃ。
スティーラを助けてあげなきゃ、俺はもう――
「す……てぃー、ら…………」
オクリーが白目を剥く。ぐわん、頭が真後ろに揺れて、受け身も取れずに大地に倒れ込む。
「……オクリー……」
最愛の人の勇姿を見届けた少女は、僅かに目を細めた。
オクリーの努力は伝わった。心の奥まで伝わってきた。無力な身の上で、よくぞ頑張ってくれた。その事実だけが、染み渡るような心の温もりと生の実感を呼び起こす。
そうして、スティーラが満足してしまったその時――
偶然か、必然か――
「……え?」
素っ頓狂な声を上げるオクリー。
少女の肉体が、表面から風化していく。皮膚が乾燥した瘡蓋のように剥がれ落ち、立ち上る火の粉に乗って闇夜へ吸い込まれていく。さらさらという微かな音を立てて、スティーラ・ベルモンドという存在が天へ昇っていくのだ。
つい先程まで地を舐め、死を覚悟してあらゆる意味での敗北を受け入れたオクリーにとっては、脳天を撃ち抜かれたように衝撃的な出来事である。何が起こっているのかさっぱり分からなくて、地面を這いずりながらスティーラの元へ向かう。
「な、何が起こって……!?」
己の存在を世界に溶かしていきながら、スティーラは小さく息を吐いて脱力した。力尽きたかのように割座になり、空へ還っていく己の一部を見上げている。
その表情には満足と寂寥が複雑に入り交じっており、とうに戦闘の意思を手放しているようだった。
ぺたんと座り込んだスティーラに触れたオクリーは、無我夢中で肩を抱き寄せる。
人の肉体が、まるで旋風に吹かれた砂の山のみたいに、刻一刻と
腕の中に抱いた少女の存在が、みるみる軽くなっていく。
スティーラはどこか諦めたような顔で口元を綻ばせた。
「……きっと、サレン達の魔法を受け止めた後遺症。……防ぎ切れなかった炎と熱が、スティーラの身体を蝕んでいたみたい……」
「…………っ」
いくら無敵のスティーラとて、七人の魔法使いの総攻撃を受けて無事で済むはずがなかったのだ。
崩壊は止まらない。明らかに治癒魔法どうこうの話ではなかった。
スティーラの呆気ない最期に、オクリーは激しく取り乱した。
「ま、待て。待ってくれ……!」
疲れ切ったスティーラを我武者羅に抱き寄せる。少女は噴出する青年の血を浴び、体液の温もりでほっとしたのか瞳の力が抜けていった。
聖火の猛毒は閾値を超え、スティーラの魂に幻を見せる。
母の身体から産まれ落ちる前。
少女の身体は温かな羊水の揺籃に包まれていた。
母の手が、父の手が、姉の手が、揺籃の外から抱き締めてくれた。
…………。
この世に産まれ落ちた後。
母や姉の手が、温い水に浸された己の身体を抱いてくれた。
…………。
家族が生きていた頃。
あれが出来たよ、これが出来たよと言って、沢山褒めてもらって、抱き締めてもらった。
…………。
想い人の血を浴びて、腕に抱かれて、スティーラの心が震えた。
まるで、暖かい陽だまりの中の、思い出の中に戻ったみたいな……。
――寛解。
いや、折り合いがついたというべきか。
長い長い旅路の末に、スティーラの心に吹き荒れていた吹雪が晴れた。
想い人と死闘を演じ、聖火の猛毒に侵され、死の寸前に見た幻の中でしか、スティーラは救われなかった。
それでも、スティーラは心の底から思う。
生まれてきてよかった。
生きてきてよかった。
どうしようもなく間違えて、行き詰まって、取り返しのつかないことをしたけれど――
この晴れやかな気持ちを思い出すことができた。
懐かしいあの場所に辿り着くことができた。
それだけでよかったんだ。
人生に意味はあったんだ。
もう少しで死んでしまうけれど、この気持ちひとつあれば、どこまででも歩いて行ける。清涼な全能感がスティーラの身体を駆け巡っていた。
オクリーは逝こうとするスティーラを必死に引き止める。
「スティーラ、逝かないでくれ……!」
先程までどうにかして殺そうと躍起になっていた相手だ。何故、この結末を嘆く必要があるのか――刹那の刻に疑問を持ったが、自らの手で殺してやるのと、他人に殺されるのでは話が違う。
自らの手で決着をつけると覚悟していたオクリーにとっては耐え難い現実だった。
「君は一度、絶体絶命の俺を助けてくれた! 次は俺が君を……!!」
ドルドン神父の魔の手からオクリーを救ったのはスティーラだ。ヨアンヌによる影響だけでは不可能だった出来事だ。
命を脅かしてきた相手ではあるが、命の恩人でもある。傷つけ合い、憎しみ合い、時には淡い想いを潜ませて。二人は激情の果てに強い絆で結ばれた。
双方の目的の先には殺し合いが待っていると知りつつも、奇妙な愛情すら向け合っていた片割れが死んでいくとあって、オクリーは涙ながらにスティーラに縋りついた。
「スティーラ……頼む……っ」
「…………」
「
滅茶苦茶なことを口走っているなと思いつつ、消えていくスティーラの頬に手を寄せる。
彼女と相互理解に至るチャンスは幾度となくあった。
北東支部。あの時、スティーラを“化け物”だと切り捨てず、彼女の
不可能ではなかった。
今までの滅茶苦茶を考えれば、スティーラを救って仲間にすることも不可能じゃなかった。
ヨアンヌ、スティーラ、ドルドン、マリエッタ、アレックス辺りでチームを組んで、邪教の野望を食い止めることだってきっとできた。無敵同然のスティーラがいれば不可能なことなんてないのだから。
「……ふふ……温かい……」
血に塗れたオクリーの右手が、スティーラの額を撫でる。白磁のような肌が紅で彩られる。肘から先端までが失われた左手は、スティーラの背中をしかと支えていた。
すぐ傍に骨の硬さを感じられる、薄くて透明な肢体。少女はオクリーの温もりに包まれて脱力すると、彼の鎖骨の辺りに頬を擦り寄せる。スティーラはトランス状態から抜け出し、少しだけ平静を取り戻しているように見えた。
「……あなたの心臓の音、心地良い……」
スティーラは猫のように目を細めると、深く息を吐く。
消えゆく少女。木炭から灰が舞い上がるように、スティーラの細胞が強制的に浄化されていく。
北東支部にて、オクリーはスティーラの子宮を食べさせられ、スティーラもまたオクリーの一部を食した。その影響で二人は微弱な心の繋がりを得た。
オクリーは前世の記憶と心の繋がりをきっかけに、スティーラに起こった過去の悲劇を知っている。
この哀れな少女を、救えたかもしれない。
もっと早く行動していれば。もっと早く、心の底から寄り添ってあげられたら。もっと早く、スティーラのことを、怪物としてではなく、一人の少女として……人間として見ていられたら。
スティーラは心を壊してしまったとはいえ、人を殺しすぎた。無関係の人を巻き込みすぎた。それでも、スティーラの人生をもっと良い方向に導くことはできたかもしれないのだ。
死の間際でしか救われることができなかった――そんな未来も、きっと避けられたはずなんだ。
「……こんなに晴れやかな気持ちで、大好きな人の腕に抱かれて逝ける……これ以上の救いは無いよ……。……大量殺人鬼が迎えるには、上出来すぎる最期……」
己の人生の終焉を察した少女の姿を見て、目尻から感情が溢れ出す。
血混じりの雫が水彩のようになって、少女の頬にぱたぱたと落ちていった。
「……好き。……スティーラは、オクリーのことが好き……」
「っ……俺もだ、スティーラ。誰よりも大嫌いで、大好きだった……」
「……うん……」
歪んだ愛の結末にオクリーは嗚咽を抑えることができない。
涙で視界がぶれて、赤い残光に満ちる。
「……どうしてスティーラがオクリーを好きになったか、知りたい?」
おもむろにスティーラがオクリーの後頭部に手を回して、ぐいっと引き寄せた。
幾万の人間を喰らった赤い唇がオクリーの唇に触れる。
ほんの一瞬だけ触れ合う、ささやかなくちづけだった。
「……そういう、血と泥に塗れながらも必死にもがき苦しむところが、スティーラの心をくすぐった……」
無邪気な笑みが溢れた。
最後の最後に爆弾を残していった気もするが――オクリーはスティーラの身体を見下ろす。もはや下半身がほとんど消えている。スティーラの肉体が灰となって空に昇っていくのは時間の問題だった。
「……ねぇオクリー……」
「うん……どうしたの?」
涙ながらに答える。上手く喋れているのか分からない。
「……スティーラのこと、食べてくれる?」
彼女の心を救うことは最期まで叶わなかった。
ほんの僅かばかりの救いを抱いて、矛盾と歪みを抱えたまま、人生を閉じるしかなかった。
そんな彼女の最期の願いを聞き入れてやらないはずがない。
スティーラの小さな声を受けて、オクリーは様々な想いに苛まれながら肯首した。
「……ありがとう、ごめんね」
謝るな、オクリーは言う。もう一度、スティーラは「ごめんね」と言った。
「……オクリー……今後、周りの女の子に、スティーラみたいな思いをさせちゃダメだよ?」
スティーラの目尻から、きらりと光る粒子が空に昇った。
「……あぁ。……雪が……とけて…………」
それが最期の言葉となった。
燃え盛る世界の中、ひっそりと命を閉じた少女は、その身体の全てを雪の結晶の如く輝く粒子に変えて、空へ還っていった。
強制的な浄化の後、スティーラの小さな左手の薬指が残った。
運命とは何と皮肉なのだろうか。
それとも、スティーラの意志の力が最後にその部位を残させたのか。
オクリーは涙を呑み、スティーラの薬指を手に取る。
「スティーラ……スティーラ……ごめん、ごめんっ……!」
彼女への恐怖が先行してしまって、取り返しのつかない状況に陥るまでスティーラと心を通わせることができなかった。
彼女をこの手で殺す手段の欠片を得ていながらも、その願いを叶えてやれなかった。
あの子の身体を傷つける手段を、あの子の心を救済する手段へ昇華することができなかった。
全てが後手だった。
あの子は、最期に、救われたと言っていたけれど――
自分が弱かったから、こんな結末を迎えてしまったのだ……。
血と涙でぐちゃぐちゃになりながら、空に昇っていくスティーラの灰を見上げて、薬指を飲み込む。
これが少女への歪んだ弔いになるのなら、喜んで食ってやる。そして、今日という日を永遠に忘れないだろう。
青年の心に一生消えない疵を残して、スティーラ・ベルモンドは消失した。
スティーラの最期の灰が見えなくなって、転送や治癒魔法の気配もなく、世界に静寂が訪れた。
広がる焦土の中、あちこちで燃える火の欠片だけが光源だ。よろめきながら立ち上がって、月夜となった美しい空を眺める。
「…………」
スティーラ・ベルモンド討滅戦は終焉を迎えた。
けれど、うかうかしている時間はない。
サレンやセレスティア達を探さなければならない。スティーラの魔法で死んでしまった者もいるだろうが、とにかく誰かと合流するのが先である。
オクリーは涙を拭って、セレスティアが吹き飛ばされていった方向から捜索することに決めた。
聖都北部を照らしていた街頭のほとんどが消失して、目印となる建物も全て溶け落ちてしまった。遥か遠くの外壁を方角のしるべとしながら、人影がないか夜目を頼りに探していく。
そんな中、オクリーは人の影を発見する。
しかし、相手が誰か直感したオクリーは足を止めた。
「……!? ヨアンヌ! そこに居たのか!」
オクリーはヨアンヌに向かって手を振る。
ウルフカットの少女は、こちらを向いているはずなのに反応に乏しい。疑問に思いつつもヨアンヌの元へ向かっていく。
ヨアンヌとオクリーの間には結構な距離があるようで、走って向かう間に疲労がぶり返してきて、時々立ち止まってしまった。
無理もない。戦いに次ぐ戦いをやり抜いて、既に満身創痍。いつ事切れて倒れ伏してもおかしくない状態だ。……左腕も喪ってしまった。ただ、あの少女が最期に魔法をかけてくれたのか、全身の傷は塞がっていた。
やっとのことでヨアンヌの元へ辿り着く。
前傾姿勢で膝に手をつきながら、息を整えた後に声をかける。
「ヨアンヌ、俺達に協力してくれたんだな」
「…………」
「……ヨアンヌ? どうしたんだ?」
闇の中、ヨアンヌの表情が薄らと見える。無表情でオクリーを見ていた。
一言も喋ろうとしないので不気味に思ったが、青年はあることに気づく。
――ヨアンヌとオクリーの心は繋がっている。
そして、恐らくは、スティーラとの薄らとした間接的な繋がりすら持っている。
ということは。
ヨアンヌは、スティーラ討滅戦の全てを心で感じ、受け止めていたということになる。
ぞわりとした。
頬を引き攣らせたオクリーが声を出そうとする直前、ヨアンヌの掠れた声が彼の言葉を遮った。
「
心臓が大きく跳ね、鼓膜の傍に響くくらい大きな音を立てる。
それは、ヨアンヌと心を通わせる前に度々感じていた、不穏さと高揚の入り交じった拍動の音だった。
寒気が走る。貧血のせいじゃない。もっと恐ろしい何かを感じて、歯の根が噛み合わなくなる。
ヨアンヌはスティーラ討滅戦に協力してくれた。
不死鳥の神殿から『天の心鏡』も強奪していないようだ。
つまり、彼女は味方なのだ。
味方であるはずなのに――
オクリーは無視できないほど莫大な恐怖を抱いてしまった。
ヨアンヌは不気味なほど静かに立っている。
先刻感じていた輪郭のない不安が徐々に形を帯び、青年に襲いかかろうとしていた。
幻夜聖祭は、まだ終わらない。