全員覚悟ガンギマリなエロゲーの邪教徒モブに転生してしまった件   作:へぶん99

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一一九話 普通のこと

 

 聖都サスフェクト襲撃作戦における至上の命題を解決して、ヨアンヌの身体から急速に力が抜けていく。聖火によって欠損した左腕と肩口の大穴が治癒されていないのを見るに、ヨアンヌは相当のダメージを負っているはずだ。

 

「……っ、痛てて……」

「だ、大丈夫か!?」

「力が入らない。急に聖火が効いてきやがった……」

 

 無論、オクリーも同等以上のダメージを貰ってはいるのだが、何故か精神侵食や肉体損傷への耐性が高いために、まだまだ動けそうな雰囲気を感じさせている。

 

「おぶるよ。掴まってくれ」

「ん……」

「ヨアンヌ、分かってるな。ここから(・・・・)が重要なんだ」

「……そうだな」

 

 オクリーはヨアンヌを片腕で背負って、聖都中心部へと歩き始める。

 スティーラの大暴走から生き残った正教幹部を見つけ出し、この騒動を収めなければならない。同時に、彼らにヨアンヌの身の振り方について納得させる必要がある。

 オクリーの意図することは、第三勢力は消え果てたが、正教幹部から見たヨアンヌはどうだろう――ということであった。

 

 心変わりしてケネス正教及びオクリーの絶対的な味方になったと知っているのは彼自身のみである。心の変化は外見を通して見ても判別がつかない。

 そんな状態で、正教幹部が瀕死のヨアンヌを発見してしまえば、どうなるか。衝突を免れないのは火を見るより明らかだ。

 

「ところで、さっきドルドン神父の名前が出てきたのは何でだ?」

「……聖地メタシムで、あのジジイに、アーロス寺院教団に協力する未来、『小さな世界』に至る未来、オクリーに協力する未来のどれを選ぼうか迷って、相談したことがあったんだ。その時のイメージがあって、ヤツの名前が出たのかもしれない」

「……妙なところで聖職者じみたことしやがって」

 

 焦土を踏み締めて歩くが、聖都中心部は一向に近づいてこない。ただでさえゆっくりな歩みが、ヨアンヌ分の体重を背負っているために更に遅くなっていた。

 ヨアンヌはドルドン神父が示した未来について深堀りし始める。

 

「オクリー、身体の調子はどうだ?」

「どうもこうもあるか。死にかけだよ」

「この戦いが始まる前、昔と比べて身体の内側が痛いとか、視界が霞むとか、匂いや味を感じにくくなったとか、そういう不調を感じることはなかったか?」

「……全部当てはまる。まぁ、人造的に造られた身体だからな。肉体の成長や治癒力を短い一生の中に圧縮して使ってるわけだから、もう数年もすればガタが来るかもしれない」

 

 あっけらかんと語るオクリー。太腿を支える右手が僅かに震えたのを感じ取ったヨアンヌは、己の心が軋む音を聞いた。

 やはりオクリーは己の命が尽きたとしてもアーロス寺院教団を滅ぼすつもりらしい。自分の寿命のことは後回しなわけだ。

 

「アタシの前では強がるな。生きたいんだろう」

「当たり前だ! スティーラは最期に救われて逝ったけど、本当なら救われた後の人生(・・・・・・・・)もあったはずで――やっぱり、どれだけ綺麗事を言っても、死にたくはない……」

 

 そうだろう、そうだろう。だからこそ、ドルドン神父が想起する理想の世界を説明しておくべきだ。オクリーは願望の増幅器『天の心鏡』の存在を忘れている節がある。最上の未来を掴み取るためには、『天の心鏡』すら強欲に利用してやる必要があるのだと。

 

「そこで、ドルドン神父だ」

「……何であいつが」

「ヤツはこう言った。『天の心鏡』が人々の願いを叶える神器であるなら、オクリー・マーキュリーの肉体を普通のモノ(・・・・・)に作りかえることは容易いだろう、と」

「そりゃ、理論的に言えばそうだろうけど……」

「アタシはかつて、人類を二人(・・)まで減らし、人々(・・)の内訳をアタシとオクリーだけにしようとした。その上でオマエの意識を奪って願望の統一化(・・・・・・)を果たし、『小さな世界』を完璧に叶えようとした」

 

 改めて聞くと滅茶苦茶な計画だ。しかしヨアンヌ一人で成し遂げられないこともない、というのがまた恐ろしい野望であった。

 

「アーロス様は聖都サスフェクトから正教の象徴的神具である『天の心鏡』を盗み出し、人々の不安を最高潮にしようとした。そして、培養器で造った人間で頭数を稼いで(・・・・・・)闇の願望を増幅させ、天文現象に合わせて国の崩壊のイメージを確固たるものとして焼きつけ、『国盗り』を完遂させる算段だったはずだ」

 

 アーロスが数々の鬼畜の所業を成したのは、正教徒の心に絶望を擦り込むため。孕み袋で人を増やすことに拘っていたのは、『天の心鏡』の発動条件を理解していたからこそ。

 願望の取り合い(・・・・・・・)に勝利するためだったわけだ。

 

 いずれにせよ、『天の心鏡』は願いを叶える力がある。

 そういう意味では、本当にありとあらゆる事象を現実にすることが可能なのだ。

 

「ドルドンは言った。己の心の赴くままに、と」

 

 しかし、理想への準備段階のために、ヨアンヌは血を流さなければならない。

 ヨアンヌ・サガミクスという少女を、世界に受け入れてもらうのだ。民衆の前に姿を見せ、言葉を交わし、許容されなければ、オクリーが護ろうとした世界の一員になることすらできない。

 

「アタシは正教徒に謝らなくちゃいけない。今更都合がいいのは百も承知だけど、しなくちゃいけない。とにかく謝って、どうにか喋って……後はアタシの行動次第だ。……オクリーがそう(・・)して受け入れられたみたいに、やれることをやってやるさ」

 

 ヨアンヌはオクリーの耳元で、声色を震わせながら言う。

 オクリーと真に心を分かち合ったことで、少女は己の価値観を青年と共有することになった。今まで一心不乱に殺してきた罪なき人々のことを思えば、理想の世界の実現を願う自分自身に『お前は大衆の人生を踏み躙ったくせに幸せになろうとするのか』という疑問が突きつけられる。

 

 ヨアンヌの存在が正教徒達に認められ、その上で『願望』を操作してオクリーの身体を元に戻す。それが二人の目指す本当の最善である。

 実現は難しいだろう。しかし、一歩目を踏み出さなければ話は進まない。今すぐにでも行動を起こして、血を流さずに世界を変えるのだ。

 

 そうして、しばらく歩いた後。付近にあった聖火溜まり(・・・・・)が蠢いたかと思うと、炎の帯が膨張するようにして人の輪郭を作り出す。それ(・・)が超常の存在であることを強調するように、細く束ねられた炎から人が生まれ落ちた。

 

「オクリー、その女から離れたまえ」

 

 ――サレン・デピュティ。不死鳥の業火に包まれ、炎と肌が一体化し、火の精霊のような神々しさを振り撒いている。

 今、一番会いたくない相手だ。オクリーはヨアンヌを背に後ずさりながら、戦闘の意思がないことを口にする。

 

「サレン、スティーラは死んだ! 邪教徒の襲撃は終わったんだ!」

「すぐそこに、邪教徒がいるではないか。最も信用ならない野犬がな」

 

 スティーラがこの世界の理を外れた怪物であったのなら、サレンもまた異次元の化け物。この世に聖火が燻っている限り、肉体消失の縛りを一部無効化することさえできる。

 オクリーからしても、スティーラの攻撃の当たり所が最低最悪でない限りは生存しているだろうと考えていたから、その予想が的中した形になる。

 

 サレンは疲弊した二人にじりじりと近づいていく。周辺に炎の渦を作り出し、二人を鳥籠の中に閉じ込めた。磨り潰す準備はできている。

 

 彼女はケネス正教のためならオクリーに手をかけられる。自国民のために全てを捧げる覚悟がある。だから、ヨアンヌの協力的な姿勢を理解させるのは至難なのだ。これまで散々同胞を殺してきた少女を受け入れるほど甘くもない。

 

「違うんだよ……。ヨアンヌはもう裏切ったりしない! だから頼む、殺さないでくれ!」

「オクリー……その言葉を信じる馬鹿が何処にいる? 一人の恋愛感情のためだけに莫大なリスクを背負えるほど気楽な状況じゃないんだ。周りを見ろ、これが遊びに見えるか? 君を殺したいわけじゃない。口答えしないで、ヨアンヌから離れてくれ」

「サレンは俺を受け入れてくれた。ヨアンヌを受け入れることはできないのか」

 

 不死鳥の業火を掌から噴出するサレンの前で、オクリーは強情を張り続ける。サレンは失望したように舌打ちした。

 

「私の考えは一貫している。我が国、ひいては正教の利益を最優先に、正教徒達の暮らしを守護すること……。君を受け入れたのは、総合的な判断をしたまでだ」

「ヨアンヌは俺達に協力すると今度こそ誓ってくれた! それでもダメなのか!?」

「……君でさえ、ポーメットの助言がなければ、あの時さっさと殺してしまうつもりだった。ヨアンヌは国民を何人殺した? こちらが譲歩しようとして、何度裏切られたと思っている? 状況が違うのだよ」

 

 サレンの両手には、悍ましい光を放つ猛毒の炎が携えられている。周辺を囲む炎の渦と合わせて、いつでもオクリー達を灰にすることができる。

 彼女が炎をさっさと放ってしまわないのは、オクリーを信頼しているからだ。尤も、その信頼感もヨアンヌを庇ったことで冷えてしまったが。

 

「ところで、本当に退く気がないのかね? うっかり(・・・・)で殺してしまうぞ」

「……サレン・デピュティ……質問がある」

「やっと喋ったな、ヨアンヌ・サガミクス。一度だけ許そう。人生最期の言葉だ」

「……アタシは、生まれた時から間違っていたのか……?」

「?」

「オクリーに出会わなかったら、自分のやってることに疑問なんか持たなかった。正教徒共をぶっ殺して、アタシを救ってくれたアーロス様の理想を叶えたいって……そういう生き方しか知らないままだった。でも今は、オクリーが諭してくれたから、自分の間違いに気づくことができて――」

「その懺悔、以前教会に招いた時に聞きたかった。まぁ結果は変わらないがな――醜いホラ吹きめ」

 

 ヨアンヌの言葉に不快感を露わにし、憎々しげに表情を歪めるサレン。息付く間もなく、四方を囲む炎の渦が輪を縮め始め、サレンの掌から巨大な火球が発射された。

 

「――あ」

 

 己の成してきたことの重さが突きつけられて、ヨアンヌが小さな絶望の声を漏らす。吹き荒ぶ熱風に弾かれて、目尻から一滴の涙が空へ昇った。

 もう、二人共、まともに動くこともできない。互いの身体を強く抱き締めながら、審判の時を待つ。

 猛烈な勢いで地上を燃やし尽くす炎が二人の姿を覆い隠す寸前――

 

 偶然、それは起こった。

 地面が解れるような音がして、巨大な穴が空いたのだ。

 

「えっ!?」

 

 スティーラの大暴走によって緩んだ土壌がサレンの攻撃によって限界を迎え、市民が避難した地下空間へ地盤ごと落下してしまったのである。

 重力に引っ張られることで、サレンの炎をギリギリのところで回避できた。スティーラの匂いを残した一陣の風が靡いて、二人は植物の根が張り巡らされた巨大ドームの如き空間へと落ちる。

 

「何だ!?」

 

 水路が通っていたはずの聖都地下に、超巨大な空間が現れた。ノウン・ティルティの植物の力と、クレス・ウォーカーの電磁迷彩と、エヌブラン・ガララーガの水の力で保たれた安寧の空間。一般人が逃げ込むために造られた緊急避難場所である。

 偽りの天球が空を形作り、植物で造られた建物が幾つも建ち並び、あちこちの塔に兵士が立っている。まるで地下都市だ。蔓の先に絡め取られているのは、市民に扮した邪教徒だろうか。

 

「何か降ってきたぞ!」

 

 偽りの空に穴を空けて堕ちてきた二人を指さす市民。その声に釣られてか、幾万人もの民衆が二人を見上げた。土塊と岩石と人が落下してくるのを見て、ざわっと人波が揺れ、腹の底まで響きそうな唸りが起こる。

 オクリーとヨアンヌは彼らの遥か上で植物の葉に叩きつけられ、葉脈の上を転がった。オクリーは衝撃に喘ぎながら、ぐったりと項垂れてヨアンヌを見上げる。

 

「大丈夫か!?」

「う、うぅ……俺、まだ生きてるのか……」

「オマエは自分のしぶとさを舐めすぎだ。数十メートル落ちた程度で死ぬな」

「無茶言うな……」

 

 オクリーは全身を強打して動けない。しなる葉と茎の動きで衝撃はかなり緩和されていたが、一般人に数十メートルは高すぎた。ヨアンヌは彼の前髪を眉の上に梳いてやりながら、治癒魔法をかけてやった。それでもしばらくは動けないだろうが。

 

 サレンが頭上の穴からヨアンヌ達を見下ろしている。いざとなったら全力で息を吹いて炎を押し返してやろうかと考えたが、サレンは何もしてこない。それどころか、炎の勢いを鎮めて傍観の構えである。その表情は修羅の如く険しい。

 

(下に観光客(異教徒)がギッチリ詰まってるから、下手に炎を出せないのか……)

 

 しかし、ヨアンヌにとってはこれ以上ないチャンスでもある。

 敷き詰められた人々が、この世ならざる美貌を持つ少女を指さし始めた。

 

「ヨアンヌだ……」

「あいつだ! 邪教幹部、ヨアンヌ・サガミクスだ!!」

「アーロスの手下の……」

 

 透き通る白と青の髪。白雪の如くすらりと伸びた脚。男を惑わす蠱惑的な肢体。女性的な魅力を醸し出す豊かな双丘。人の心の底を見透かすような螺旋状の瞳――

 人々は、彼女を見ていると何故か動悸が抑えられなくなった。美しい、可愛らしい、彼女の容姿はそんな評価がされて然るべきなのだが、“知性を兼ね備えたケモノ”を見ているような違和感や、異形の怪物から感じるような魔性をどうしても感じてしまう。

 

 ――ただの少女を修羅に変えてしまったのは、誰なのだろう。

 そんな疑問がオクリーの脳裏を過ぎった。彼女は修羅ではなくて、人間に戻ろうとしている。

 

「――皆、アタシの話を聞いてくれっ!!」

 

 満身創痍の少女が、地下都市の隅々まで響き渡る声で叫ぶ。

 天球に穿たれた穴から赤い光が射し込んでいる。人々の喧騒は吹き飛んで、恐怖と絶望の眼差しが少女を貫いた。

 正教の魔法使いはどうした。地上は何故赤く輝いている。何故敵がここにいる。今からこいつに殺されるんだ。誰も、一言も発することができない。極限の不安が人々の心の中で膨らんでいく。

 

「……そ、その……アタシは……アタシは……!」

 

 ――あぁ、自分は、普通の人から、こんな風に見られていたんだ。

 血走った目の群から、まさしく『恐怖』の二文字が滲み出ている。

 息が詰まりそうになるほどの後悔と混乱が、ヨアンヌの喉をきゅうと締めつける。

 

「みんなに……謝りたくて……!」

 

 視界が霞む。喉が痙攣する。ぐちゃぐちゃの感情が柳眉を歪ませる。

 沢山の人を殺してきた。それが成果として評価され、生きる意味だったから。彼らのことは虫だと思っていた。今際の際、何らかの言葉を聞いたはずだが、虫の羽音程度にしか気に留めてこなかった。

 

「い、今までのことを……ここにいる人達の家族や友人……子供を……殺したことを……この場で謝りたくて……!」

 

 彼らは人間として生きている。一人ひとりが意志を持った個人だ。それらの命をあまりにも易々と踏み越えてきたヨアンヌは、もはや人ではなく悪魔として見られていた。

 少女の声は、誰にも届かない。

 

「今さら何を言い出すかと思えば、戯言を!」

 

 サレンが縦穴から地下都市へ下りてくる。消え入りそうなヨアンヌの声を掻き消して、少し離れた葉の上に着地した。

 見渡す限りの人垣が、水面のようにうねる。彼らは口々にサレン・デピュティの名を叫び、ヨアンヌを排除するよう手を伸ばす。

 

「サレン様! あの者を殺してください!」

「邪教徒が! 敵がいます!」

「サレン様ぁぁ!!」

 

 悲鳴と怒号がサレンを唆し、幾万人もの敵意・殺意が少女へ向けられる。炎と一体化した祭服を着たサレンは大衆の声に押されて、点在する葉の上をゆったりと乗り継いでいく。

 この戦いはヨアンヌ・サガミクスを殺すことで終わるのだと言わんばかりに、優雅かつ堂々と歩みを進める。一〇メートルほど空間を開けて立ち止まったサレンは、クリーム色の髪を手の甲で打ち払った後、仰々しい仕草で腕を水平に構えてヨアンヌに狙いを定めた。

 

「ヨアンヌッ! 貴様が本当に己の行いを悔いているというのなら、聖火にその身を焦がされるまで懺悔してみせろ!」

 

 今まで散々虚仮(コケ)にされてきた鬱憤と合わせて、サレンは民の怒りを代弁するように手のひらを突きつける。呼応するように、下界からの歓声が場の空気を一方的に染め上げた。

 “その女を殺せ”。“我等が受けた仕打ちを忘れるな”。“絶対に許すな”。そんな怒涛の如き激情が、業火をいっそう燃え上がらせた。

 

(アタシはどうすればいい……? ドルドン……人の心を動かすために、オマエなら何て言う……?)

 

 殺せ、という歓呼が巻き起こる。地下都市に存在する全ての存在が、ヨアンヌ・サガミクスの死を願っている。もはや(とう)のようになって、少女の死という結末でしか勢いは収まらない。

 

「今までやったことを償いたいっ! 殺した人の命は戻ってこないけど……もうどうにもならないけど……せめてこの戦いを終わらせる手伝いをしたいんだ……!!」

 

 民衆の期待に沿うように、サレンは魔法使いを殺せるだけの威力を持った火球を放つ。

 ヨアンヌの悲痛な叫びは、怒号に掻き消され――

 

「――サレン様、お待ちくださいっ!!」

 

 上空から舞い降りた銀色の風が、場の空気を一変させた。

 ヨアンヌ達から数メートルの地点で火球が霧散し、放射状に掻き消えた残り火からセレスティア・ホットハウンドが姿を現す。

 

「え……?」

「セレスティア様だ!」

「行方不明になられていたはずでは」

「あの御姿は、いったい……」

 

 銀の髪を靡かせたシスターは、サレンとヨアンヌの間に立ち塞がる。

 片目のハイライトは消えたまま戻っておらず、髪先は錆びたように黒を帯びていた。純潔が具現化したようなかつての姿は一変し、どこか仄暗さを兼ね備えている。

 

「セレスティア、何のつもりかっ!」

 

 サレンは犬歯を剥きながら炎を収める。

 

 セレスティアは正教徒から圧倒的な支持を受ける幹部だ。半年間に渡って姿を消していたものの、民への近さや人気という点ではサレンをも凌駕する。そのセレスティアがヨアンヌへの攻撃を止めたことで、民に困惑の模様が拡がった。

 

 シスターの流し目が、ヨアンヌとオクリーを捉える。

 含みのある表情で深呼吸したセレスティアは、修道服を翻して人々に語りかけた。

 

「――確かに、ヨアンヌのやったことは取り返しのつかないことです。しかし、同情の余地はあります。彼女が変わろうとするのなら、我々はチャンスを与えて然るべきです」

「せ、セレスティア……?」

 

 ヨアンヌが思わずといった風に彼女の名前を呟く。

 洗脳解消前、ヨアンヌはセレスティアに縋りついたことがある。しかし、それ以外の時間はアーロスの部下としての振る舞いを見せ続けた。何故庇ってくれているのか、ヨアンヌにとっては見当もつかなかった。

 

「どういうことだ! その女を殺せえっ!」

 

 一方、ヨアンヌの擁護を始めたセレスティアに野次が飛んだ。

 そうだそうだ、という声と、いやしかしセレスティア様が仰るのなら、と尻すぼみになる声が地下都市に満ち、民衆の意見が混沌とし始める。

 

 セレスティアは苦悶に満ちた愛憎入り交じった瞳でヨアンヌを見つめた後、少女の処刑を急く声に真っ向から歯向かった。

 

「ヨアンヌの立場になって考えてください……。寧ろ、今の状況こそ奇跡と言っていいはずです!」

 

 サレンは次なる攻撃の手を繰り出そうとはしない。はたとその手を止めて、セレスティアと民の様子に意識を集中させていた。

 

「ヨアンヌはスラムで生まれました! 親はおらず、教育も受けられず、廃棄物を漁って生活して――餓死寸前にアーロス・ホークアイの魔の手に絡め取られた!! アーロスが親だった! 絶対の神だった! 幼子の心(ヨアンヌ)を穢したのは、教祖アーロスなのですよ!」

 

 生真面目なセレスティアのことだ、邪教幹部の過去をアーロスから予め聞いていたのだろう。オクリーは彼女にそういった情報を与えていない。

 

「幼少期から、言葉の代わりに武器の扱い方を教わって、人の殺し方や騙し方を身につけさせられて! 間違いを間違いと察することすらできない異常な環境に置かれていたヨアンヌが、変わろうとしている! 己の過ちに気づいて、どうにか罪を償おうとしているんです!! 彼女は邪なる神の洗脳を打ち破って、正しく在ろうと藻掻いているのです!!」

 

 サレンは何も言わない。やろうと思えばセレスティアを黙らせることもできるだろうに、全く動かない。民草の顔色を猛禽類の如き瞳でじっと見つめて、心の動きを注視していた。

 

「『普通』であること。それがどれだけ幸せで尊いか……」

 

 その言葉は、オクリーの心にも重々しく滲んだ。

 人間は、生まれる環境やタイミングを選べない……。

 

「私の言葉を聞いても尚、まだヨアンヌ・サガミクスを殺せと言いますか!? やり直しの機会すら与えないで、彼女の弁に耳を貸さず、一方的に、殺せと言いますか!?」

 

 赤い光が後光のように瞬いて、セレスティアの銀髪に輝きを落とす。

 “聖女”。誰も彼もの脳内に、その二文字が過ぎった。セレスティアの高潔な精神と、滲み出る過去への後悔が類稀なる聖と共感性を纏って、人々の心に染み渡っていく。

 

「――誰もが人生で過ちを犯す! どうしようもなく、間違える! 焦って取り返しのつかないことをする! わたくしだってそうです! 最悪の失敗をしました! ……死ぬはずだった! ここにいる青年に助けられたお陰で、辛うじて戻って来られた! やり直しの機会を与えられたのです!!」

 

 誰もが失敗をする。

 オクリーはメタシムで失敗した。ダスケルで失敗した。立ち回りが最善でなかった。結局、スティーラを殺してしまった。

 ヨアンヌは失敗した。人を殺しすぎた。悪縁と憎悪を振り撒き、世界を混乱に陥れた。

 セレスティアは失敗した。焦りのあまり致命的なミスを犯し、アーロスに心を奪われてしまった。

 

 振り返った時、人生は成功ばかりではない。

 いいや、失敗ばかり目につく。人の前で恥をかいた、ここぞの場面でやってはいけないミスを起こした、視野狭窄に陥って勇み足して失恋した、適当にやったことが想像以上の大事になった、不可避の要素があって予想通り失敗した――なんて、様々な種類の、心に引っ掻き傷や火傷を残していくような痛々しい過ちばかり振り返ってしまう。

 

 自分は果たして、そういう失敗に真摯に向き合っていただろうか。

 どうだろう。無視しようとして心の中に(しこり)として残っているモノもあれば、きちんと清算しているモノもあれば、何とも言えないモノもあって。

 どれにしても、完璧に立ち回るなんてできやしない……これが答えだろう。だって、人間はミスを犯す生き物だから。

 

「……わたくしは、ヨアンヌにチャンスを与えるべきだと思います!」

 

 セレスティアの言葉は、誰もが持つ痛々しい記憶の共感性を以て木霊する。

 あの時、ああしていれば。挽回のチャンスすら巡ってこなかった失敗もあるだろう。

 

 人々は知る。

 自分が、自分達が、ヨアンヌの命運を決めるのだ、と。

 

 赦せるわけがない。

 だって、奴らは友達を殺した。家族を殺した。拷問した。洗脳して同胞の殺し合いを仕向けた。

 奴らのせいで家が無くなった。家畜を奪われた。田畑を奪われた。狩場に近づけなくなった。故郷に住めなくなった。子供の遺体が見つからない。死者を辱められた。

 そいつらクソ人間共の幹部だってんなら、八つ裂きにしてもいいだろう。

 

 赦したい気持ちもある。

 彼女が生まれ育った環境の劣悪さは文字通り想像を絶するだろう。普通の子供時代を送って、普通に家族や友人や恋人がいて、普通に社会に出て働いて暮らしている自分達には想像すらできない地獄があるに違いないのだ。

 貧富の差を埋められなかった故にヨアンヌは生まれた。この国の大人が子供を不幸にした。そういう見方もある。

 破滅の道しか無かった少女に、贖罪の機会を与えてもいい気がする。

 

 地下都市が沈黙に満ちた時、皆、心の中に二つの感情を抱いた。

 一人として、これら片一方の感情のみを抱くことはない。狭間で揺れていた。殺意も、同情も、敵意も、許容も、全て同じ場所に存在していた。

 

 民衆の沈黙を受けて、ヨアンヌは改めて己の想いを言葉に乗せる。

 

「――あ、アタシは、数え切れないくらい、償いようのないくらいの罪を犯した……」

 

「でも、せめてもの償いに、アーロス寺院教団を止めたいんだ……。殺戮と破壊を振り撒く教祖アーロスを倒す手伝いをさせてほしい……。それがアタシにできる精一杯だから……」

 

「そ……それで……アタシが一番言いたいのは……」

 

 

「……ごめんなさい……っ」

 

 

 ヨアンヌが膝から崩れ落ちる。

 

 

「――ごめんなさい、ごぇんなさい、……っぐ、ごめんなざい゛ぃ……!! ぅあ……、アタシを……っ、ゆ、ゆるしてください……!!」

 

 

 大粒の涙がとめどなく流れて、感情の錯綜が止められない。瞬きと一緒に弾き出されて、鳩尾の辺りにしゃくりあげるような痙攣を感じて、わあわあという声が止まらなくなった。

 

 呼吸することすら憚られる夜の沈黙の中、人々の遥か頭上で、少女の嗚咽だけが聞こえていた。

 

 痛々しいばかりの泣きように、人々は閉口した。

 ヨアンヌ・サガミクスが人間であることを、初めて思い出した。

 

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