全員覚悟ガンギマリなエロゲーの邪教徒モブに転生してしまった件   作:へぶん99

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一三〇話 ワタシの虚構(しんじつ)

 

「で、これからどうするつもり? また殺し合う?」

 

 フアンキロは妖しい闇を纏ったドルドン神父に問いかける。

 

「いや……。その必要はもう無いんじゃないかな。君がロープを取ってワシを助けなかったら、どんな方法を使ってでも殺しに行ったところだが……君は案外義理堅いのだな」

「恩には恩を、仇には仇で返すまでよ。ちなみに、もしワタシが見捨ててたら、どうやって脱出するつもりだったの?」

「実は尻の中に爆弾をひとつ隠していてな。それを使っていただろうよ」

「え」

「君の魔法で確かめてみるかい?」

「い、いえ……遠慮しておくわ」

 

 ドルドンの魔法『金魂姧通(きんこんかんつう)』は全ての人間の確定した未来を読み解く超越的な千里眼である。男女の垣根を超えて心の金玉を摘むことでそれを可能にする上、心象風景を盗み見るおまけ付きだ。

 フアンキロの未来も『第三の手』によって見抜かれ、残り数分の命であることを神父に知られてしまう。心の金玉の下の方を撫でるように触ったドルドンは、彼女に死に様を伝えようか少しばかり迷った。

 

「フアンキロ……ワシが全知全能の未来視の力を手に入れたと言ったら、どうする?」

「ワタシの行く手をこれ以上遮らないなら、特に何も言うことはないわ」

「……君は自分の未来を知りたいとは思わないのかね? ワシは己の未来を見た。絞首刑によって命を落とすその瞬間を、筋肉が弛緩する瞬間をこの身体で感じた。しかも確定していると確信できる。ワシ自身の神威(アウラ)に誓って。どうだ、今なら無料(タダ)で視てやるぞ、君の未来を」

「……なら参考程度に教えてくれない?」

「…………」

 

 ドルドンは即答を躊躇う。女の金玉をより詳細に触ってみると、その死に様の凄惨さが浮き彫りになったからだ。今から一五分後に遭遇する対邪教徒部隊に滅多打ちされて殺される――などと直接的に言うのは難しい。どうしたものかと思案顔の老爺に対して、フアンキロは憑き物の落ちたような穏やかな表情で言う。

 

「ワタシ達、負けるのね?」

「!」

 

 フアンキロは、ドルドンが答えを躊躇ったことに目くじらを立てなかった。それどころか、仄暗い未来が広がっていて当然だといった表情で息を吐く。

 

「アーロス様が勝利すれば、あんたは“特級”の裏切り者として殺される。……“特級”になったら、少なくとも絞首刑なんて生易しいものは課されない。孕み袋にも、ゾンビにもされない。この世で最も過酷で残酷な罰が課されるの。だからこそ、あんたが絞首刑に処されるという未来が正しいのなら、ワタシ達は負けてるってことよ」

「…………」

「その処刑方法は、この世に存在するあらゆる拷問方法よりも遥かに恐ろしいものよ。切り落とした部位をバラバラに(・・・・・)くっつける(・・・・・)とか、犠牲者の視力を維持するために治癒魔法を施しながら視神経を(・・・・)どこまで伸ばせるか(・・・・・・・・・)テストする(・・・・・)とか、そんなお遊びよりももっともっと悍ましい刑罰……」

 

 ドルドンは生唾を嚥下する。フアンキロから飛び出した言葉の数々よりも恐ろしい刑罰とは何なのか。死してなお教団に奉仕を強制される死屍(ゾンビ)や、老化し朽ち果てるまで人間を産み続ける孕み袋も比較対象にならぬ極刑とは、一体どのようなものなのか。

 『金魂姧通』は、その者の未来以外は見えず、知識や経験の仔細は分からない。過去は心象風景から薄らと読み取れるものだけで、人間の人格形成に関わらぬところや大事でない記憶は見えないのだ。

 刑罰の内容について前屈みになった老爺に対して、女は何てことのないことのように告げる。

 

「あの御方の魔法……いえ、存在そのものの最奥に位置する『核』に取り込むことで、その人間を壊す術よ」

 

 フアンキロはこう続ける。

 ――人の悪意と死への恐怖を無限遠点まで凝縮した感情を与える術であり……歴史上で開発されてきた拷問方法の全て、或いはこれから開発されるであろう未来の拷問を体験させ、人の悪意で頭の中を塗り潰す力である、と。

 

 ()から見れば一瞬で死に至るが、それ(・・)をまともに受けた人間の精神は、永遠の刻を究極の苦痛と絶望の中で過ごすことになる。永久に『死に至るまでの激痛や恐怖』を繰り返すが、死そのものには至らない。捨て鉢になることすら許されない時間の牢獄に囚われた者は、発狂することもできずに、自意識を保ったまま『絶望』という名の巨星に押し潰される。

 

 取り返しのつかない重大な失敗を起こした者に対して、アーロスは過去何度かその術を使ったことがあるという。一度だけその場面に立ち会ったフアンキロは、術が与えられた瞬間、人間がみるみる萎んで老化していき、舌根を露呈しながら皺まみれの顔で死んでいく様を目の当たりにした。それが忘れられないと彼女は言う。

 

「…………」

 

 ドルドン神父は考える。『カイル文書』に記されたアーロスの正体は邪神の使徒である。邪神から力を譲り受けることにより、彼はサレン・デピュティに迫るばかりの半神又は使徒となった。

 邪神は恐らく、人間の悪意を司る闇の神――人の性は悪意であるという理の上に立つ神だ。逆に、ケネス正教の唯一神は人の性は善意であるという理の上に立つ太陽或いは光の神。『カイル文書』に記された最後の一文『悪意にまけてはならない』はその意を含み、神々の代理戦争たるこの宗教戦争にも適用されるとドルドンは見た。

 

「オクリー君が捕まったら、その極刑が与えられるのかね」

「もちろんよ。それはワタシが進言した。愛着を捨てて刑罰に処すべき、下の者に示しがつかないから、ってね」

 

 オクリーを血眼になって捜しているのは、信者への影響を考慮してなのだろう。確かに元・信者が組織をめちゃくちゃに荒らした挙句に敵対組織で幅を利かせているとなれば、信者達の溜飲は下がらない。

 

「で、あんたが見た未来は実際どう見えたわけ?」

「アーロスは消滅し、フアンキロも死ぬ。正教徒どもの完全勝利だな」

「ふぅん……でもそれって、変えられる未来なんでしょ? ……いえ、変えられないとしても、ワタシは足掻く。あんたが見た未来なんて下らない情報のひとつでしかない」

 

 ――フアンキロの言葉を否定するのは簡単だった。

 サレン・デピュティやアーロス・ホークアイに迫ろうとするドルドンの格と魔法は、シャディクのように中途半端な未来を視せるものではない。

 神威の中心に立つ神父が得た『金魂姧通』は確定した未来を覗き込むものだ。故に、フアンキロの結末も、ドルドンの結末も、何もかも変えられない。

 

「素晴らしい心意気だな。その調子で頑張りたまえ」

 

 あと一三分四〇秒後にフアンキロ・レガシィは惨めたらしく死ぬ。志の半ばで果てる。

 何故か彼女の死を口惜しく思う。長い人生の中で僅か数度だけ、道を共にしただけなのに。決して交わらない敵同士で、本気で殺し合った者同士なのに――

 この世界の悠久の(とき)のなかで、ほんの少しだけ生の時間を共有した仲間であるという認識すら芽生えていた。

 

「うん、そうだ……。頑張ってくれ。決して諦めることなく、己の夢に向かって……我武者羅に……」

 

 本気で啀み合った。本気で憎しみ合った。命を奪い合った。人間の命を蹂躙した。蔑ろにして、弄んで、倫理観を置き去りにした衝突を繰り返した。

 それでも……この時代を共に生きた仲間だったのだ。理由のわからぬ達観がドルドンの胸中を締め付ける。殺し合いという因果に囚われた関係だったが、それでもいいと思った。

 

 ただただ、この世界で巡り会えたことに万感の思いを抱いた。

 

 ドルドンは乾いた瞳でフアンキロを見る。彼女は肩を竦めた。

 

「なに? ワタシを心配してるの?」

「…………」

「それとも、死ぬのが怖いの?」

「分からない。怖いのかもしれない。ただ、死を体感することそのものが究極の未知だから、それに怯えていると言うべきなのかな。無論、これこそが死の恐怖の本質で、人々が死後の世界を求める理由なのだろうが……。ただ、ワシは死の大ファンだから、はやく死に会ってみたいという気持ちもある」

「はン。何よそれ。相変わらず変なことを言うジジイね」

 

 フアンキロは艶かな白髪を手の甲で弾く。その堂々たる仕草に引っ掛かりを覚えたドルドンは、ふと彼女の横顔を見た。

 

「ワタシは死なんて怖くないわ。ワタシは死を与える側だった。ずっと死のそばに居た。生の瞬間よりも、死の瞬間に立ち会い続けた。だから、なんてことない。それにね……」

 

 フアンキロは半壊した通路を見上げていた。

 彼女の横顔がドルドンの双眸に焼き付けられる。

 

「ワタシ達の傍には、アーロス様がついてくださるんだもの。だから怖くない。たとえこの命が尽きたとしても、あの方が理想郷を実現させて、死者の魂を現世に再びおろして(・・・・)くださる。聖遺物『(あま)心鏡(しんきょう)』を用いた国盗りと死からの救済……この未来が確定している限り、ワタシは死の恐怖になんて囚われない」

 

 ――嘘を、ついている……。

 魔法を使ったわけではない。そんなことをせずとも分かった。

 

 彼女は自分自身に言い聞かせていた。勝気な表情で語っていたはずが、その唇は小刻みに震えていた。ドルドンの『予言』に影響されたのか、それとも『幻夜聖祭』の大敗で破滅を予感していたのか……彼女はドルドンが思うよりも冷静だったが、アーロスへの崇拝と未来への希望を捨て切れていなかった。

 

 彼女のリアリストな部分は教団の破滅を確信しているのに、僅かな可能性を期待して自分に言い聞かせている。安寧の理想郷を夢見ているくせに、聖遺物による死からの復活は成されないと薄ら感じてしまっている。死への恐怖を拭い切れていない。彼女の心は混乱していた。

 

 ――今から逃げれば、命だけでも助かるかもしれないぞ。

 そんな気休めの言葉を掛けようか迷った。だが、彼女の未来は確定してしまっている。今になって、己の神威の開花を恨んだ。知らなければよかった。そうすれば、その言葉を掛けてやって、フアンキロを救った気になっていた。

 

「ッ…………」

 

 どうすれば良いのか分からなかった。

 その苦悩が拙い言葉として搾り出た。

 

「アーロスを、愛しているか……?」

 

「当たり前じゃない。ワタシはあの方を心の底から敬愛してる。崇拝してる。この世界を変えてくださると信じてる。この言葉が陳腐なくらい、想い続けてる」

 

 ――ならばこそ、彼の野望と共に朽ち果てるのは、彼女の本望と言えるのかもしれない。

 彼女がどう思っているかは分からない。ドルドンの中での『救済』が済んだだけだ。これからも、これまでも。

 

 ドルドンはフアンキロの背中を押した。ピンヒールのためバランスを崩した彼女はたたらを踏んだ後、ドルドンを睨めつけた。

 

「ちょっ、何すんのよ」

「話しすぎた。君はアーロスの元へ行け。ここでお別れだ」

「フン、言われなくても。……今生の別れね」

「あぁ」

 

 フアンキロは瓦礫に足をかけ、颯爽と登り始めた。

 

「それじゃ、さよなら。キモかったけど、話せてよかったわ。あんたも頑張りなさいよ、ドルドン」

「さようなら、フアンキロ・レガシィ。逢えて良かった。……君も頑張れよ」

「フン……」

 

 フアンキロが半壊した通路を登っていく。もぞもぞと動いていた彼女は、三〇秒もするとその背中を消した。

 それが二人の今生の別れとなった。

 

 

 

 

「ったく、変な時間使わされたわ。変なジジイのせいで……」

 

 フアンキロが出陣しようとして紫水晶の洞窟に落下してから一時間ほどが経過していた。彼女はまだ知らぬことであるが、聖地メタシムの外壁はヨアンヌ・サガミクスとジアター・コーモッドによって攻略された。

 外門を確保した兵士達が拠点へと雪崩込み、サレン達とは干渉しない場所で邪教徒達との戦闘が勃発していた。

 形勢は断然、正教徒が押している。双方に多大な死者を伴いながら、虫食いのように聖地メタシムが攻略されていく。正教と邪教の兵士同士がぶつかり合うのは実に四度目であり、これが最大にして最後の衝突であると後の歴史書に記されることとなる。

 

 フアンキロがやっとのことで通路の終点に差し掛かる。カタパルトから射出されたスーツが地上に飛び出すための空洞である。半径七メートルほどの丸い孔の終点は、赤い光に満ちていた。

 その光を見て、眼窩を焦がされるような錯覚に陥る。サレン・デピュティが放つ毒の光だ。朝焼けの光と混じり合って、目の奥に刺さるような痛みが走った。

 

 セレスティアの天候操作によって晴れを維持しているのか、空には雲ひとつない。闇の力の影響をできるだけ抑えたいという考えあっての行為か。

 そんな考えを抱きつつ穴を登っていこうとすると、頭上から降り注ぐ光に影が差す。

 

「ん?」

 

 疲弊していたフアンキロは反応に一瞬だけ遅れてしまう。その影の形が人であることは分かっていたのに、彼女が取った行動は傍観。人影が四つ五つと数を増やしてから、その異様さを理解し始めた。

 

「そこの者、誰だ」

「おい、あの女ひょっとして……」

「フアンキロか」

「隊長、命令を」

「殺しましょう」

 

 ――対邪教徒部隊の精鋭兵である。彼らは次々に通路に降り立つと、フアンキロを取り囲み始めた。

 彼女の存在は元々完全に隠蔽されていたが、オクリーの告発により全ての情報を丸裸にされていた。故に、彼女の外見も魔法も皆が知るところである。

 

 軽装備の兵士達は復讐に燃える眼でフアンキロを注視する。

 対するフアンキロは、彼らの名前を知らないために魔法を駆使することもできない。

 

「くっ……」

 

 唯一知っているのは、遠く離れた場所にいる隊長ルツインの情報だけだ。彼は地上から事の成り行きを見守っており、手を出してこないようである。

 それもそのはず、兵士達は『聖水』やサレンの魔法の力を込めた弾丸入りの改造銃を持っており、一斉射撃を以て彼女を屠るつもりだからだ。

 

「フアンキロ・レガシィ。生憎、部下の名前は知らないようですね。魔法が使えない貴女は我々の敵ではない」

「……高みの見物ってワケね。そのツラ、吹っ飛ばしてやるわよ」

「積年の恨みを晴らす時が来ました。皆さん、魔法使い特有の爆発力には気をつけて下さい」

 

 フアンキロが足元に転がっていた拳大の岩石を掬い上げるのと同時、扇状に拡がっていた兵士達が懐に隠していた改造銃の引き金を引く。

 女が腕を振って投擲するより先に、紅蓮の炎を纏った致命的な()の弾が胴体を掠める。粗製濫造された銃ゆえの過大な発火炎(マズルフラッシュ)すらフアンキロへ多大なダメージを与えた。

 

「ッ……!」

 

 この銃はアプラホーネが開発した改造銃をノウンが急遽複製(コピー)した代物である。植物性の組織と金属部品が融合しており、二発射撃すると破損し使い物にならなくなる。ただし、対邪教徒部隊には複数の所持が認められているため弾切れの心配はない。

 

 そんな改造銃の一斉射撃をまともに食らったフアンキロの身体が抉れ、傷口からどろどろに融解していく。左脚、腰部、右胸部、鎖骨、左頚部を失ったが、まだ直立している。

 まだ動かせる右腕を振り抜いて、岩石を砕きながら投擲。豪速の石礫が前方三名の頭蓋骨を貫通する。だが、脳を損傷したはずの兵士の一人がフアンキロの首根っこに噛みつき、土手っ腹に弾丸二発をぶちかました後に死んだ。

 

 残った四名の兵士が回避姿勢から立ち上がると、下半身を失ったフアンキロへ歩み寄る。

 地上で控えていたルツインと部下も、とどめを刺しに近づいていく。

 

「こ……こんなのって…………!」

 

 彼らはフアンキロの身体が回復するまでの数秒で倒し切ることを事前に決めている。フアンキロの直上に位置する兵士達が『聖水』入りの大型柄杓を担いできて、フアンキロに向けて振り撒いた。

 彼女にとって猛毒たる『聖水』が皮下組織に染み込む。不死鳥の業火の影響も相まって、喪失した腰から下の回復が止まった。

 

 まるで対魔法使い(・・・・・)の戦闘方法の具体を事前に決めていて、それらを滞りなくやり通すための訓練すらこなしてきたような円滑さである。治癒魔法を阻害しながら標的の体積を削る一連の流れは、あまりにも一方的で洗練された動きであった。

 

 急速に近づいてくる『死』。

 フアンキロが認識する『死』とは、衰弱しきった末の停止――或いは血液を出し尽くして精根尽き果てた後の(から)(けつ)が死であった。戦場と遠く離れた拷問部屋が唯一の死と触れ合う機会であり、命を弄んだ末に死を与えるというのが彼女の価値観であるから、出会い頭に絶体絶命となっている今この瞬間が信じられなかった。戦場で常に死と隣り合わせの兵士達とは認識がそもそも違っていた。

 

 下半身を失い、追い詰められている自分の姿がどこか他人事のように思えた。こんなにあっさり人が死ぬわけない、まだ自分は死ぬはずがないという盲信を抱きながら、兵士から逃れるために地面を這いずり回る。

 だが、己の身体を駆け巡る強烈な痛みと熱は本物だ。その危険信号は徐々に拷問官の正気を奪っていき、死の実感をふつふつと湧き上がらせた。

 

「い、いやだ――そんなワケ――ワタシが死ぬはずないッ!!」

 

 這いずる背中に、一〇を超える銃口が突きつけられる。

 そして――射撃。無防備な背中を()の弾丸が穿って、フアンキロの肉体の大部分を消し飛ばした。

 

 残存した肉塊は、頭部と右腕だけ。飛び散った肉片から復活しようと画策するが、再び大型の柄杓から『聖水』が振り撒かれ、細かな肉片は組織ごと浄化され腐り落ちていった。

 兵士達は憮然とした表情で、たった二つの欠片となったフアンキロを見下ろしている。

 

「…………ッ」

 

 あの『幹部』が死んでいく。間違いなく、消滅しようとしている。

 暴れ藻掻くフアンキロは絶叫しようとしたが、頚部の切断面から、ひゅう、という空気の抜けるような情けない音が出るのみだった。

 

 体内に仕込んでいた『脱出装置』――首元のボタンを押下することで体内に隠した小型爆弾を炸裂させ、身体の破片が四方に散らばることで逃走経路を確保できるという代物――が使えない。ボタンを押す手と小型爆弾本体を削り取られてしまった。

 生首と右腕を動かして懸命に藻掻くものの、数センチも移動できない。

 

(い、いやだ――死にたくない!!)

 

 ヨアンヌの真似をしているつもりなのか、痙攣する右腕で生首を投げ飛ばそうとするフアンキロ。何とか自分の髪の毛を鷲掴みにした拷問官は、己の頭の重さに苦慮しながら生首を放り投げる。彼女の頭部は傾斜のある地面を転がって、対邪教徒部隊隊長ルツインの足元に辿り着いた。

 

(――獲った! 半径二メートルッ! コイツだけでも殺すッ!!)

 

 唯一本名と年齢を知るルツインを標的にしたフアンキロは、最期の力を振り絞って魔法を解き放つ。ルツインの周囲の空間に黒い靄が現れて、一番濃い部分から錆び付いた鎖が飛び出した。

 軽装にロングソードという出で立ちのルツインの四肢が鎖に巻き取られ、頚部を締め付ける。だが、そんな状況に陥ってもルツインは瞬きひとつしない。色めきたつ部下を手で制する余裕さえ見せた。

 

「慌てることはありません。この魔法『審判の呪い』は様々な行程を踏んだ上で対象者に『虚偽の発言をさせる』ことが主目的の能力……つまりフアンキロ自身の発声を伴わなければただの拘束にしかなりません。張りぼてです」

 

 喉を潰され治癒もままならないフアンキロを見下ろし、ルツインは冷酷に告げる。

 

「どうしてこんな目に……とか思ってますか? 自分が死ぬはずないとか考えてますか? 違いますよ……人は案外あっさり死ぬ。運の悪い事故に巻き込まれて理不尽に死ぬことだってある。――なんて、私の仲間に無慈悲な死を与えてきた貴女なら、よくご存知でしょう?」

 

 フアンキロの視界が焼け爛れていく。『聖水』やサレンの炎に冒されて、眼球に影響が及んでいた。

 

私を見ろ(・・・・)。おまえを殺す者共の顔をその目に焼きつけろ。名前を知らない人間に殺される屈辱を噛み締めろ」

 

 対邪教徒部隊の面々が怨念の宿った瞳でこちらを見ている。凄まじいばかりの純粋な悪意を感じ取ったフアンキロは慄いた。瞼を閉じようとしたが、その部分にあたる皮膚が溶け落ちていて目を逸らせなかった。

 

 やがてルツインの姿すら見えなくなって、彼女が観測する世界は永久の闇に落ちていった。

 視覚が死んだ。夥しい死のにおいを嗅ぎとる嗅覚と、とめどなく溢れてくる鉄の味を感じ取る味覚と、ルツインの声を聴き取る聴覚は生きている。

 

「これは報いだ」

 

 男の声が暗闇に響き渡る。五感に代わる形で、フアンキロの内側に湧き上がるモノがあった。これまでの人生で感じたことの無いほどの――冷たさ。背中があった場所を撫でる冷涼な風。温かかったはずの体温を奪い去っていく『何か』。それは、不死身の肉体に初めて訪れる死の予感。フアンキロのすぐ側に、巨大な死の恐怖がそこにあった。

 

(う、うそだ……こんなの、現実じゃない……)

 

 五体満足だった一分前から、少し油断しただけでこれ(・・)だ。信じられるわけがない。フアンキロは肉体の崩壊を食い止めるために全力で治癒魔法を掛ける。だが、それ故に苦痛はより長く続いた。

 

 嗅覚が死んだ。焼け爛れて甘い臭いを放つ肉体組織の香りを判別できなくなる。

 

「死ね、フアンキロ」

 

 次に、味覚が死んだ。舌の上をぬるい(・・・)液体が流れているのは分かるが、それ以上は感じ取れない。舌の上を転がる液体とぶよぶよした固体の感覚は、彼女に不穏な結末を想起させた。

 

(あ、ああぁ……な、流れてる。口の中いっぱいに、血が流れてる。このまじゃ、ワタシ、死…………死ぬ…………? い、いや……死ぬワケがない……! このワタシが……!)

 

 今まで殺してきた人間の顔が、暗澹たる視界の中に浮かぶ。人間の許容範囲を超越する苦痛を与えてきた者達の顔。彼らの最期の表情は、絶望という言葉が生ぬるいほどの、圧倒的な死への恐怖が表れていた。

 死。死ぬのが怖くて、アーロスの理想郷を目指している。理想郷さえ叶えば、自分はアーロスの手によって復活できるという。そのために命を擲つことなど容易い。だからこそ他人の命を弄んだ側面もあった。

 

 だが、今のこの状況は、あまりにも勝利と程遠い。

 薄らと感じていた最悪の結末が脳裏を過ぎる。

 

 死――永久の無。

 この世界を観測する自我()という絶対的な感覚器官の永久停止。或いは消滅。その死の恐怖から解放され、生に付き纏う苦しみを取り除いた理想郷には辿り着けないのか? アーロスの野望が道半ばとなれば、どうなる? この魂は霧散し、何処へ行くというのだ? ――いや、分からない。死んだことがないのだから、どうなるのか分からない。だから怖いのだ。

 

(ア、アーロス……さま……、たすけて…………)

 

 聴覚が死んだ。もう、誰が何を言っても聞こえない。世界に一人ぼっちとなったフアンキロは、無限に続く闇の中にいた。

 残った肉体の蛋白質が変質し、炭化し、死の足音がゆっくり近づいてくる。

 『死』という最大の未知が急速に近づいてくる。

 

(………………)

 

 肉体が終わりに向かっていく。

 温もりが奪われ、空気中に霧散していく。塵になっていく。

 その最期の瞬間、フアンキロは仮面の男の声を聞いた。

 

『フアンキロ・レガシィ。貴女を助けに来ました』

 

 ――色も光もない無限の闇の中で響く温かな声。

 フアンキロの意識が反射的に頭上を見上げる。

 彼女は遥か昔に同じような場面に出くわしたことがあった。

 

「あ、ああぁ……アーロスさま……! わ、わたしを、あの夜のように、井戸の底から助けに来てくださったのですね……!」

 

 恐怖により潰れそうな精神が限界を振り切って、フアンキロの世界に希望の幻を齎す。頭上にぽっかりと空いた穴から、仮面の男が手を伸ばしている。……いや、実際は仮面の男か分からない。首から上が見えないから。ただ、特徴的な燕尾服と白手袋が見えるから、きっとあの御方なのだ。救いにきてくださったのだ。

 ――幻覚だと即座にわかった。だが、彼女は即座に縋りついた。こうして精神を護るために創り出した幻は、彼女の心を更に追い込んでいく。

 

「アーロスさま、たすけて……!!」

 

 ――フアンキロ(・・・・・)レガシィの(・・・・・)魔法が(・・・)完成してしまう(・・・・・・・)

 

 嘘という名の呪いが反転する。

 

 最後まで嘘を見抜けず、自分自身に嘘を吐き続けた彼女は、観測世界を虚構で塗り固めた。

 

 ――それは、自我の超加速を伴う『永遠に死が来ない嘘だらけの世界の構築』を以て完成した。

 

 闇と鎖に溢れた夢幻の世界で、彼女は永遠に来ない死を待ち続けることになる。

 そう遠くないうちに、矛盾に満ちた世界を元に戻そうと躍起になるが、永遠に何も無い(・・・・・・・)世界に取り残される(・・・・・・・・)ことを彼女は知らない。

 

 自我の摩耗も、発狂による時間の忘却もなく、張りぼての救世主が手を伸ばす嘘だらけの世界で、フアンキロ・レガシィは永久に一人ぼっち。

 

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