全員覚悟ガンギマリなエロゲーの邪教徒モブに転生してしまった件   作:へぶん99

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一三四話 幽明の求道者

 

 ノウンは睨み合う四人を見ていない。彼女のアッシュグレーの双眸は研究室の壁面や床面に向けられていた。

 

(……アプラホーネの魔法を弱体化する方法を思いついた)

 

 研究室の壁は一様な石に覆われている。床や天井も同一の素材だ。

 オクリー曰く、彼女の魔法『母なる海』は触れた物を塩に変える能力だ。足の裏など身体の一部が床面に接していれば、一定範囲内に存在する同一素材の建材を塩化ナトリウムに変質させられるという。

 

 ノウンは先のアプラホーネの攻撃パターンを全て覚えている。天井の一面を変化させた時、壁や床から何かを現出させた時――全てのパターンにおいて、足が着いている素材と同一の建材が変質していた。逆に、それ以外(・・・・)は全く塩化していないのだ。

 例えば、天井の電球は今も塩化を免れている。床面に埋まっている水槽も塩化していない。それに加えて、アプラホーネに触られて即死した時、肉体は塩化したが服は塩にならなかった。

 

 アプラホーネが触れているモノが石材だった場合、一定範囲内の石材は全て塩化可能な武器となる。石材の間に金属板などがあれば、板の向こう側は塩化できない。

 言わば、均一の物質はアプラホーネにとっての銅線。絶縁体を介して塩化を引き起こすことはできない。

 

 では――建材の素材を同一でなくしてしまえばいい。床、壁、天井のあちこちに植物の根という絶縁体を仕込む。そうすれば、かなりの抑制が効くはずだ。

 

 何より、ホセやメルチェの狙撃を防ぐ際、わざわざ天井から柱を下ろしてきたことがあった。

 アプラホーネの魔法は物質の不可逆な塩化。一度変えた物体は元に戻せない。床の素材を使いすぎて、天井から柱を下ろす他なかったのだろう。使える建材(素材)にも限りはあるということだ。

 

 研究室の床は既に白い結晶まみれで、素足で踏みしめる度にじゃりじゃりと音を立てている。研究室のあちこちには穴が空いていて、床面などは特に酷い。

 

 持久戦になるほど敵は追い詰められていく宿命にある。

 自らが生み出した物質に溺れて身動きが取れなくなり、そして死ぬ。

 やるべき事は定まった。

 

(見えたぞ、わらわ達の未来が……。勝利の未来が!)

 

 ノウンは密かに足元に種子を落とし、研究室の空間を囲うように根を張り巡らせ始めた。表層に出ている建材を破壊し、絶縁体となる植物の根を高密度で張り巡らせていく。

 植物は別々の種を短いスパンで繋ぎ合わせた。これにより、アプラホーネが植物に触れたとしても、短い部分が塩化するだけで済む。アプラホーネの魔法の性質を突いた秘策であった。

 

 これが、オクリーとアプラホーネが言い争いをしている時のこと。オクリー達が再度の激突を予感する中、既に手は打たれていた。

 ホセとメルチェが倒れた直後から対策を練り上げて、僅かな時間を使って策を打ったのだ。

 

(……オクリーとヨアンヌに秘策を告げることはできん。不審な動きをしたらもう一人のオクリーに察知されてしまうわい)

 

 ノウンは努めて平静を装い、魔法ストレージから植物の剣を取り出した。薔薇の茎で練り上げた歪な剣である。複製体がそれを見た途端アプラホーネに耳打ちした。

 複製体の澱んだ瞳を見て思う。やはり種は全てバレていると考えていいらしい。どういう理由かは定かでないが、オクリーは全てを見通す千里眼を有する。秘匿されていたアルファ・プラントの性質をノウンより詳しく知っていたほどだ。

 故に、奥の手を出したと思わせて――『絶縁体』の存在を隠す。

 

 ――薔薇の剣。薔薇などと名付けられているが、本来の薔薇の性質とは全く違う。

 薔薇の剣は粘膜に触れた瞬間、そこに種子を植え付けて全ての養分を吸い取り剣の餌とする。アルファ・プラントの性質から転じて開発された武器だ。

 つまり、斬られた相手は死ぬ(・・)。そういう代物である。

 

 複製体はもう薔薇の剣しか見ていない。アプラホーネも絶縁体については完全に意識外だ。

 

「行くぞ!」

 

 オクリーが地を這いながら踏み込む。それに追随してノウンとヨアンヌも続く。アプラホーネと複製体は後退しながら防御の構えを取る。

 三対二だ。数的有利を形成しながらオクリー達は接近戦を挑む。

 

 現状、アプラホーネに干渉できる攻撃手段を持つのはオクリーの改造銃だけだ。残り少ない弾丸で決め切らなければならない。

 どちらかといえば、複製体を殺すための接近戦。一対三となればオクリーの改造銃は更に通りやすくなる。そのための薔薇の剣でもある。

 

 ノウンの狙いは、アプラホーネの『母なる海』の素材(・・)を枯らすこと。最初は豪勢に白い壁を生成していたアプラホーネも、素材枯れを察して攻撃を身体で受けるようになった。

 彼女の身体は最強の矛にして最強の盾である。スティーラ・ベルモンドの理不尽性能には敵わないものの、アプラホーネに届く全ての物理攻撃は意味を成さなくなる。拳、足、弓矢、弾丸、瓦礫、植物――全て塩化して運動エネルギーを失うからだ。

 

 この場で唯一彼女を傷つけられるのは、改造銃に込められた不死鳥の業火である。ポーメットの光粒子剣(フォトンソード)やセレスティアの風の魔法も効くが、ここにはない。

 ヨアンヌの攻撃やノウンの攻撃は物理攻撃。有効打には繋がりにくい。

 

 しかし、どんなことにも例外は存在するものだ。

 オクリーが左腕に括り付けた盾を振りかぶったのを見て、アプラホーネは盾が触れた瞬間に塩化するであろうと結論づける。どんな物質の干渉も塩化で無効化できると踏んでいたアプラホーネは、回避の素振りすら見せずに攻撃を受けた。

 

 次の瞬間、アプラホーネの脳内に鈍い音が響き渡り、視界が二重にぶれた。

 

「……!!?」

 

 頭の中で鐘が鳴っている。見えている物の輪郭が不規則に歪む。彼女が殴られたと理解したのは、口内から血液混じりの唾液が溢れたからだ。

 動揺するアプラホーネを見て複製体が前に出る。攻撃を引き受けてもらっている間、アプラホーネは膝を着きながらオクリーの装備を観察する。

 

 盾で殴られた。だが、それはおかしい。有り得ない。どんな物質だろうと肌に触れた瞬間形を保てなくなるはずだ。彼女自身、どれだけ硬い物体であろうと一瞬で塩化させる自信があった。

 

 青年の身体を頭からつま先までを注視する。何度も見返してやっと気付く。彼の腕に括り付けられた盾は普通の盾ではなく、ポーメットの『聖剣』と対を成す神具――『聖鎧』の破片だった。

 

 聖盾と呼ばれるそれ(・・)は、魔法使いの攻撃を受けてもびくともしない。この世ならざる物質で作られた正真正銘の聖遺物である。

 そういえば、聖盾に手で触れてみたことはなかった。ひょっとすると聖盾は塩化を全く受け付けないのか。どんな攻撃も効かないとはそういうことなのだろう。

 

「ククク……濡れる、濡れるよォ。――本当にイライラさせてくれるねぇ!」

 

 アプラホーネは狂気的な笑みを浮かべ、両腕を天に掲げる。ノウンとヨアンヌは何事かと身を竦めたが、オクリーの「後ろに跳べ」という声で地を蹴った。

 掲げられた両腕が変形する。元々白かった肌が更に脱色し、病的なまでの白さに変化していく。五指の先端部から白い粉粒が剥がれ落ちる。間髪入れず、腕だった部分が直線状に急伸。白く尖った柱となった腕がオクリー達を攻撃した。

 

「こ、こやつ――触手のような使い方をっ!?」

 

 ノウンの薔薇の剣がアプラホーネの両腕を袈裟斬りにする。ノウンの華奢な身体を刺し貫く寸前、腕から変化した塩の柱は推進力を失った。

 

「ちいっ!」

 

 どうやらアプラホーネの奥の手だったらしく、彼女は初見で見破られたことに苛立っていた。

 

(建材が残り少なくなっていることに、奴らも薄々気付いておるようじゃな!)

 

 奥の手を解き放ったタイミングが今なのは、塩化ナトリウムの結晶で白くなった床面を見てのことだ。穴ぼこの壁面は大量の置換により枯渇寸前である。

 薔薇の剣で斬られた白い両腕は、根本を断たれると切断面から先が崩れ落ちた。ノウンはその挙動から敵の魔法の更なる性質を悟る。

 彼女は物質を塩化させる際の置換エネルギーを運動エネルギーに変えているのだ。塩に変えられてからしばらく経ったモノは動かない。その事実は、床に落ちた結晶を見ても確定的。肉体を塩化させるほど、二度と動かせない死んだ物体が増えていくのだ。

 

 オクリーの聖盾がアプラホーネの両腕と正面衝突する。火花を散らして交錯した後、互いに反動で仰け反る。その隙をカバーするよう複製体の射撃が襲い来るが、ヨアンヌが身を呈してオクリーを守護。背中に大穴を空けられながらも一瞬で傷が塞がった。オクリーも事なきを得た。

 一瞬の判断ミスが死に繋がる戦い。不用意な瞬きすら命取りになる。

 

 片手に折れたロングソード、もう片手に銃を持つ複製体。銃口がオクリーを狙い済ました後、引き金が引かれる。がちんと音がしたものの何も出ない。不発ではなく弾切れだ。

 弾切れを察したノウンが複製体を狙って薔薇の剣を振り上げる。アプラホーネが右手首から先をちぎって放り投げ、複製体とノウンの間で爆発させた。右手を塩化爆弾に変えて炸裂させたのだ。殺傷能力はないが目(くらま)しにはなる。再装填(リロード)の時間稼ぎをするつもりだ。

 

 飛び散った塩粒がノウンの眼球を叩く。撒菱のような形をした結晶が粘膜を貫く。だが瞬きはしない。千載一遇の好機――逃す手はない。

 

「せあっ!」

 

 角膜を破壊されて血の涙を流しながら、ノウンが複製体へ剣を振り下ろす。

 顔面を庇った右腕に棘の刃が通った。かさかさという不気味な音がして、剣身を形作る荊棘が蠢く。傷口に種が植え付けられたのである。

 

 肉体の破壊が始まる寸前、複製体は後ろに大きく飛び退きながら右肘から先を切り落とした。切断された肉片は風船のようにみるみるうちに萎んでいき、皮膚を埋め尽くすように咲き誇った薔薇の花に全ての養分を吸い取られた。

 

 これで間一髪回避した――とほっとしたのも束の間、複製体の背中に剣が突き刺さる。かさかさという音がして、刺さったのが薔薇の剣だとすぐに分かった。

 しかし、何故。ノウンも薔薇の剣も視界の中央に捉えている。複製体は突然の不意打ちに喘いだ。

 

「あがっ――ど、どうして――!?」

 

 背中側には誰もいないはずだ。ヨアンヌもオクリーもノウンも視界前方に捉えていた。誰もいない空間から、ノウンの薔薇の剣の攻撃を食らった――……? 複製体は混乱する。

 咄嗟に振り向いた彼が目の当たりにしたのは、空中に浮いたヨアンヌの右腕。少女が死角に投げた肉片に右腕だけを転送していたのだ。

 そして、遠方に出現させた『魔法ストレージ』から二本目(・・・)の薔薇の剣を掴み取っていた。それが不意打ちの絡繰(カラクリ)だった。

 

 薔薇の剣が一振とは限らない。魔法ストレージはノウン以外使えないなんて誰も言っていない。複製体はノウン本人と話したことがなかったため、そんな簡単なことにも気づけなかった。

 

「死ねよ、ニセモノが」

 

 修羅の形相を呈するヨアンヌ。背中から胸部を刺し貫いた剣を捻り、開胸させてとどめを刺した。

 

「ち、くしょ――」

 

 呟いた複製体は、心臓を中心に爆縮を起こす。まるで突然深海に叩き込まれたボールのような挙動で、中心部に吸い込まれていく。アプラホーネに伸ばしていた手は届かず、身体全体が滓ほどの大きさに萎んでいった。

 拳大の大きさの肉塊から薔薇の荊棘が芽吹く。百足のようにうねった後、深紅の艶やかな花弁を咲かせた。

 

「オクリー君っ……」

 

 己の肉体を塩に変えて彼の援護をしていたアプラホーネは、呆然と呟いた後に薔薇の花の塊を見下ろす。不利状況だったとはいえ、あまりにも呆気ない幕切れ。複製体の残り滓は沈黙している。アプラホーネはよろめいた。

 

 複製体とは幾度となく肌を重ねた仲だ。傷を舐め合い、互いの存在を確かめるように何度も求め合った。無論、「好き」だの「愛してる」だの甘ったるい言葉を交わしたことはなかった。体温を感じるためだけの相手だと互いに割り切っていた――はずだった。

 

 アプラホーネは胸の内に無視できない喪失感を感じている。

 肌を重ねる間に情が湧いてしまったのだ。

 

「っ……」

 

 感情は本来不要だ。必要なのは勝利という結果だけ。それなのに、どうして――

 

 オクリー達の秘策は更に続く。ヨアンヌが薔薇の剣を捨てて殴りかかってきた。

 素肌が剥き出しの攻撃など怖くない。避ける素振りすらなく、『母なる海』の力で一蹴するつもりが――顔面が陥没するほどの重い拳骨を食らって吹っ飛んだ。

 

「あがっ!?」

 

 地面を転がりながら、跳ね起きるようにして体勢を立て直す。

 何故だ。肌に触れた瞬間、純粋な物質であるヨアンヌの肉体は塩に置換されるはず。聖なる盾で殴られたわけでもない。何故自分の肌に触れられる? 何故生きていられる? どんなカラクリを使ったのだ。

 

 左の眼球を抉り取ったヨアンヌの右手を注視する。

 少女は血液で濡れた右手に塩粒を纏わせていた。

 ――なるほど。アプラホーネは膝を打つ。

 

 アプラホーネの魔法『母なる海』は塩を塩に再変換することができない。故に、塩の層で塗り固められた物理攻撃は彼女に通じてしまう。

 既に存在する塩(・・・・・・・)を操作することもできない。彼女の魔法は物質を塩化させる際の置換エネルギーやベクトルを調整して、生成直後の塩の構造物を操作しているように見せているだけだ。つまり塩を纏った拳の勢いを減衰させることができない。

 

 野蛮かつシンプルなこの戦法は、ヨアンヌが土壇場で閃いたものである。そこにはオクリーの知識もノウンの入れ知恵もない。

 

 立て続けに襲い来る猛攻に怯んだアプラホーネは、研究室の最奥へと逃げていった。

 

「追うぞ! 奴はもう袋の鼠だ!」

 

 ノウンの秘策によって使える建材がほとんど残っていないことを知らぬまま、アプラホーネは扉を蹴り開けて奥へ走っていく。

 せめて最後に『ゾンビ毒ガス』のプロトタイプを撒き散らして死んでやろうという悪辣な念が働いた。死ぬ前に敵の足を引っ張ってやろうという、人間が追い詰められた時に起こす典型的な行動の一つである。

 

 硝子容器に圧縮して閉じ込められた『ゾンビ毒ガス』に手をかける女。硝子の障壁を拳で叩き割ることで、無色透明のプロトタイプがエアロゾルと化して研究室に蔓延し始める。

 だが、対する脳筋少女が、飛散直後の『ゾンビ毒ガス』を深呼吸によって全て体内に取り込んでしまったため、あっさり無毒化されてしまう。ガスの絶対量が少なく、かつ量産体制に入る前であったため、アプラホーネが切れる手札は全て尽きてしまった。

 

「うっぷ、気持ち悪ぃ」

 

 ケロリとした表情のヨアンヌにドン引きするオクリー。顔面蒼白になった直後はどうなるかと思ったが、自慢の治癒力で全ての毒を浄化したらしい。たまに彼女は想像の遥か上を行く頭脳と脳筋さを発揮する。

 ともあれ、アプラホーネは万策尽きた。後は残り少なくなっていく建材を気にかけながら死を待つしかない。

 

「く、ククク……ハハハハッ! アハハハハッ!」

 

 最後の手段を早々に封じられたアプラホーネは、艶やかな前髪を押さえてけたけたと笑い始める。それに釣られてヨアンヌも声を上げて笑い始め、勝利を宣言した。

 

「ハハッ! アタシも笑えてきたぜ、アプラホーネ! ええ!? どうやって死にたい!? アタシの拳で消し飛ばされたいか!? ノウンの植物に絡め取られたいか!? それともオクリーの銃撃で焼かれたいか!?」

「吾輩は死なん……! この吾輩が、こんなところで――」

「諦めろッ」

 

 冷たくあしらうヨアンヌ。どぱん、という音がして、アプラホーネの右肩が爆発した。ヨアンヌが己の心臓を引っこ抜き、血液で濡れた臓器を塩粒まみれにしてから投擲したのだ。

 

「弾は無限にあるんだよ。オマエが力を使えば使うほど、状況は悪化していくってワケだ」

 

 ヨアンヌは一瞬で心臓を回復させ、口端についた塩粒を舌で舐め取った。

 もはやオクリーの射撃に頼りっぱなしになることもない。足元に散らばった塩化ナトリウムの粒が攻撃材料となる。

 そうでなくとも、着弾した肉片に『転送』することで、アプラホーネの身体をヨアンヌの身体で上書きして(・・・・・)押し退ける(・・・・・)チャンスすらあった。

 

 スティーラ・ベルモンド討滅戦で当初予定されていたように、肉体治癒による物質の上書きは非常に効果的な攻撃手段だ。いざとなれば、二人で団子になってアプラホーネの肉体へ転送すればいい。

 そう、手段は幾つも揃っている。銃撃、塩を纏った攻撃、押し退け、ノウンの植物……。オクリー達の脳裏に勝利の二文字が浮かぶのも無理ない話であった。

 

 肩で息をするアプラホーネが白い歯を見せる。

 

「なるほど、なるほどね。どうやら本当に挽回不可能のようだ……」

 

 言いながらも、彼女の瞳は忙しなく左右に揺れている。起死回生の何かを探して視線が泳ぐ。だが、見つからない。今までの攻防で使い果たしてしまった。

 あと少しで量産体制に入れるはずだった『ゾンビ毒ガス』の素もない。研究を再開するにはポークから直接『棘』を仕入れてくる他ないため、彼女に残されたのは魔法能力ひとつだけである。

 

「……オクリー君、最期に訊きたいことがある……」

 

 アプラホーネは臍の下に指を突っ込み、子宮を引き摺り出す。突然の奇行にノウンは苦々しい表情になった。血塗れの臓器を握った小さな手は小刻みに震えている。

 

複製体(オクリー君)が言っていた。子宮の内側に直接精子を注ぎ込めば妊娠できるかもしれないと。しかし駄目だった。輸液装置を使って内膜に注ぎ入れても、何の反応も起こらなかったんだ。……吾輩が妊娠できる方法はもう残されていないのかい?」

「答えてどうなる」

「頼む、それだけでも」

 

 アプラホーネの虹彩が歪む。有無を言わさない圧力と、粘ついた呪いのような念がオクリーを気圧す。

 

「そんな方法なんてないから、『天の心鏡』を頼るしかなかったんだろ」

 

 オクリーは吐き捨てた。いくらかの恨みが籠っているとはいえ、言った彼自身も気持ちの良い言葉ではなかった。

 

「そうだった……。何故聞き直すようなことをしてしまったんだろうねぇ」

 

 呆然と呟きながら傷を癒すアプラホーネ。手にした子宮は黒ずんで腐り落ち、元の場所から生えてくる。しかし、妊娠の機能だけは生えてこない。

 

「久々だなぁ、こんな気持ちになるのは……」

 

 憑き物が落ちたような表情になったアプラホーネは、残り少ない建材に手をつけた。唐突に地面が動き出し、白い棘が四方八方から飛び出した。

 しかし、誰一人として倒れない。足の踏み場がないほどの密度で敵を襲ったはずなのに、完璧なコンビネーションで回避されている。

 

 建材に穴が空き、塩が溜まっていく。

 四肢を塩の柱に変えてオクリーを執拗に狙う。

 盾で弾かれる。拳で逸らされる。植物の根に絡め取られる。

 全て上手くいかない。全力で躍動しているはずなのに、心が冷めている。諦めている。何のプランもなく建材を消費し、死へと近づいていく。

 塩化ナトリウムの粒が研究室に溜まっていく。

 いつしか細やかな塩粒は空間を圧迫するほどになって、アプラホーネの足の踏み場がなくなった。

 彼女の足が建材に接触していないことを確認したノウンはほくそ笑む。もう奴が使える建材は残っていない――

 

 なまじ治癒魔法が使えるせいで戦闘時間は間延びしていたが、勝敗は明らかだった。

 

(そうだ……こんな気持ちになるのはあの時(・・・)以来だ……)

 

 悪足掻きを続けるアプラホーネの脳裏にある日の記憶が過ぎる。

 そう、あれは確か……。

 

 アーロスと初めて出会った日のことだ。

 

『子供の生誕は何にも変え難い希望です』

 

 紙束で足の踏み場が無くなった研究室。いつの間にかそこにいた男は、アプラホーネに向かって語りかけた。

 妊娠に関する研究に行き詰まりを感じていた彼女は、伸び放題の長髪の隙間から仮面の男を睨みつけた。厳重な管理体制が敷かれている機関にどうやって侵入したのか、何故素顔を隠しているのか、そんな疑問を抱くことはなかった。

 

『子供の誕生そのものが、未来への希望……。この世の全てが間違っていたとしても、緑児をその手に抱いている瞬間だけは、全てが報われるような……何に尽くしても護り抜かねばならぬと魂が震えるような……愛おしさや憎しみすら超越して、ただただ涙が溢れて圧倒されるような……言葉や理性を超越した存在。それが子供です』

 

 理由は単純だ。その男が纏う雰囲気がこの世ならざる異形のものだったからだ。

 神か悪魔の一部がこの世に現出したのなら、きっとこんな神性を纏っているのだろう。直視し続ければ正気を失うような禍々しさすら孕んでいるのだろう――そんな説得力を有していた。

 

『本能以上に生命の生誕(赤子)に心惹かれる理由――私はこう考えます。子宮から産まれ落ちる瞬間、幽世(かくりよ)と現世の道が繋がり、ほんの僅かだけ神性を纏うからです。――言わば、幽明の存在です。生と死、生物と物質の中間点に位置する狭間の存在。それが赤子なのです』

 

 警戒心より先に、興味が勝った。「君は誰だ」掠れた声で搾り出す。仮面の男は『あなたの夢の手助けに参りました』とあやふやな答えを返した。

 だが、その掴みどころの無さが、アプラホーネの心に(さざなみ)を起こす。妊娠に関する研究が上手くいかず、遥か前に死んでしまったはずの感情が揺れ動く音がした。

 

『子を宿したいようですね。アプラホーネ=ランドリィ』

「…………」

『あなたは妊娠の能を授からない代わりに、それ以外の全てを授けられた。家柄、財産、権力、容姿、運動能力、頭脳、気品……』

「……吾輩はそれ(・・)だけが欲しかった。それさえあれば幸せだった。だが、世界は吾輩に微笑まなかった……。君は、吾輩の運命を哀れと嗤うか?」

 

『運命などという後付けの理論で己の人生に納得しないで下さい。私は、その言葉を打ち破るために、この場所に立っている』

 

 ――その言葉は、精根尽き果てた女の心臓を深々と貫いた。

 

 心臓がどくんと高鳴って、永い眠りから解放されたかのような――ひょっとすると、生まれて初めて心臓が動き始めたんじゃないかというくらい、身体の隅から隅まで活力が漲った。

 

『この手を取りなさい、アプラホーネ。あなたが希望の未来を(こいねが)うその激情が、私の思い描く理想郷への原動力となる』

 

 白い手袋を嵌めた手が目の前に差し出される。

 窓硝子から月明かりが射し込んでいた。

 

『私の名前はアーロス・ホークアイ。この世界の最後の防波堤にして、幽明の求道者。世界があなたを見捨てたとしても、私は、私だけは、絶対にあなたを取り零しはしない』

 

 ――ああ。

 

 どうして君は、そう言ったあの日……

 あんなに悲しそうで、辛そうだったんだい?

 

『アプラホーネ……。ありがとう……』

 

 今思い返せば、おかしな言葉だね。

 手を取った吾輩に対して、ありがとう、だなんて……。

 

 理想の世界――

 それは、己以外の子供(未来)を全て切り捨てた先にあった。

 

 成功に至る過程を全て吹き飛ばして、理想の世界に至らせる『天の心鏡』という劇薬。かの聖遺物の魔力に呑まれた故に、我々はあまりにも人道を踏み外しすぎた。

 

 理想の世界に誰よりも固執しているのは君だ。

 誰よりも渇望していた。

 

 けれど、散々他人を不幸にしておいて、未来を掴み取ることができなかった。

 

『数々の犠牲を無駄にしないためにも、必ずや理想郷を叶えてみせましょう』

 

 あぁ……。

 本当に申し訳ないことをした。

 

 理想を目指す中で、現実が変わっていって、取り巻く状況が変わっていって。

 ボタンを掛け違えてしまうみたいに、元々の夢の輪郭もぼやけていって、狂っていって。

 何もかもが、取り返しのつかない場所まで来てしまった。

 

 許してくれ、アーロス・ホークアイ。

 

 許してくれ。

 

 

 

 

 アプラホーネの身体が不死鳥の業火によって焼かれていく。

 オクリーの弾丸を避けようとしたが、ノウンの植物に行動を一瞬だけ阻まれてしまったのである。

 

 全身が炎上している。皮膚が溶けていく。

 

 白い砂粒の海に膝を着く。

 

 もう自立するだけの力は残っていない。

 

 猛毒が幻覚を齎し、女の視界の中央に虹の(リング)を見せる。

 

 黒く炭化した腕を見下ろしている。

 

 その両腕の中央部に、何かを抱いている。

 

「あ……あぁ……」

 

 枯れていく命の鼓動。狭まる視界。燃える表皮とは裏腹に冷たくなっていく芯。

 

 そんな絶望の中で瑞々しさを放つ光の塊がある。

 

 両腕に包み込むようにして抱いている光の名前は――

 

「わたしの……子供だ……」

 

 女の両腕が崩れ落ちる。

 身体の輪郭が一瞬で崩壊し、風に吹かれて散り散りになっていく。

 

 燃え滓となった肉体は塩の海へと埋もれ、在処が分からなくなった。

 

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