全員覚悟ガンギマリなエロゲーの邪教徒モブに転生してしまった件   作:へぶん99

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一三六話 ママのためなら死ねる

 

 シャディク・レーンは塔の上で胡座をかきながら、鋭い眼光で睨みつけてくる女騎士ポーメットを眺めている。

 

 流れるような美しい金の髪。澄み渡る清流の如き蒼の瞳。すらりと伸びた四肢。

 磨き抜かれた肉体は婉麗であり機能美に溢れている。呼吸することすら忘れてしまいそうなほど美しい。恐らくはその裸体を目撃したとしても、下心より先に感嘆の溜め息が漏れてしまうだろう。

 彼女の肢体には迸る若さがある。水滴を弾くような瑞々しさがある。それでいて僅かに少女の面影すら残している。そんな彼女がいつか誰かの母になっていくのだろうと考えると、臍の下が堪らなく疼いた。

 

 ――その誇り高き瞳は、母にそっくりだ。

 その姿を捉える度、システィ・ヨースターの面影が瞼の裏を横切っていく。

 

 とろんとした目つきでポーメットを見下ろすシャディクは、彼女の心と身体が本当に欲しくて欲しくて我慢ならなくなってきて、自らの足で塔から飛び降りた。

 

 地面に着地すると、遠くで戦っているアーロスとサレンの姿が見えなくなった。

 ポーメットの狙いは邪教陣営の分断である。ポーメットにまんまと釣られたシャディクはポークともアーロスとも遠く離れて孤立した。その老剣士に相対するは、女騎士ポーメットと韋駄天クレスだ。尤も、シャディクはクレスのことなんて眼中に入っていない。偏執はポーメットにのみ向けられている。

 

「最後にノウン・ティルティとも逢いたかった。あの子もママになる素養を有している」

「ポーメットちゃん、アレはその……やっぱり狂ってんのか?」

「アレはあらゆる女性に母性を求める狂人と化している。とっとと切り伏せてしまおう」

 

 母性に狂ったシャディクとの対面が初めてであるクレスは顔を引き攣らせている。通常時の老獪な雰囲気を漂わせるシャディクと何度か戦ったことがあるために、そのギャップに驚いた。

 話には聞いていた。豹変したシャディクはスティーラ以上に話の通じない化け物になる、と。ノウンは『幻夜聖祭』で彼と戦ったらしいが、シャディクのことが完全にトラウマになったらしい。何でも、臍の下辺りに頬擦りされて、唾を飛ばしながら「ここに返してくれ」と奇襲されたとか何とか。

 

 シャディクの心はもはや常人の理解できる範疇にない。それがまたポーメットの心を波立たせた。彼には狂って欲しくなかった。常人のまま現実を見ていてほしかったのだ。

 シャディクは己の過去を楯に逃げ続ける卑怯者である。だから正気を振り切って狂人など演じている。そういう意味では、邪教幹部の誰よりも心が弱い。そんな男が幹部の座に甘んじて居座り、アーロスの庇護下に与っているのは許し難かった。

 

「ポーメット……システィに良く似てきたねえ。やはりママの血は争えないねえ」

「母上の名を口にするな、下郎ッ!!」

 

 ポーメットが聖剣を一閃。先端部から伸びた半透明の刃がシャディクの頭上を掠めていく。当然、未来視を持つシャディクには通じない。

 母の名を囁かれる度に、彼女の中で嫌悪感が増幅していった。この世界で最も尊敬する人を馬鹿にされた気がして、冷静な心が失われていくのが分かった。

 

 ポーメットの母システィは女手ひとつで娘を育て上げた。亡き夫ルーベックの旧友の助けを借りながら家事育児に奔走し、夜中は駄賃を求めて睡眠時間を削って働いた。

 そんな母の姿を見て育った娘は、心身共に大人びた少女へと成長。間もなく父の後を追うように兵士を志願し、出世街道を突き進んでいった。

 

 母は若く美しかった。しかし、その手には苦労の数だけ刻まれた多くの皺があった。ポーメットはその手が大好きだった。実家に帰ると必ず母の手を握り、神に祈るのだ。偉大なる我らの神よ、母をお守りください、と。

 

 凄まじい勢いで武勇を立て、正教幹部への抜擢が決まった時、誰よりも先に母へ報告した。

 己を愛してくれた母があったからこそ、立派に育つことができたのだ。ポーメットは事ある毎に母への感謝を口にした。そして、顔を見たこともない父を思い浮かべて、寂しくなる。怨恨が湧き上がる。

 ポーメットの燃料(ガソリン)は、母への感謝と父の仇への恨み――強い家族愛であった。

 

「僕が下郎だって? ママは酷いことを言うね」

「ワタシは貴様の母ではない。いい加減現実を見ろ、シャディク」

「違う。ポーメットはこれから僕のママになるんだよ……。僕は赤ちゃんなんだ。幼子なんだ。そんな僕に対して、ママは無償の愛をとめどなく注いでくれるんだ……」

 

 対するシャディクはまともな育児を受けていない。子の前で性行為を見せつけられる虐待行為を受けるなど、異常な家庭環境で育ってきた。理想の母親を想像する度に頬がかあっと熱くなり、心臓が高鳴る。実際に受けた非道の数々を思い出す度、脳が混乱し、陰茎が疼いた。

 

 二人の芯を貫くものは等しい。親に対する念だ。

 ある意味同類であることを察したポーメットは剣の峰を立てる。

 

「クレス、さっさと殺してしまおう」

「おう」

「ポーメットママは、ママがいたから特別になれたんだ。ポーメットが僕のママになることで、僕も特別になれる。前に進むことができる……。僕のママになれ――ポーメットォ!!」

「――気持ち悪いッ!」

 

 シャディクが人混みの中から親を見つけ出した子のような表情でポーメットの懐へ突貫する。攻撃というよりは抱擁を求めるような格好である。その様子はあまりにも異様で、無防備のはずなのに破裂寸前の爆弾のように見えた。

 狂人の暴走を妨げるようにクレスの雷が天から降り注ぐ。予測していたとしても回避は困難を極めるはずの落雷を、シャディクは巧みな軽業でひょいひょい超えていく。

 

「ママッ、だっこして、だこちて!!」

 

 だが、クレスも回避されることは想定済みだ。それを織り込み済みで策を講じていた。

 雷を落とした地点には金属片があり、その金属片を帯電させる狙いがあった。たった今落とした一八の雷は全て個々の金属片に吸い込まれていた。

 

「オレが抱っこしてやるよ、ボケ爺さん」

 

 クレスが指先で微細な電磁波を操る。たちまち一八つの金属片が宙に打ち上がり、シャディクの周囲を回転し始めた。響く轟音。滑車が金属のレールと擦れるような異音。

 これには、とろんとした目のシャディクもいくらか正気を取り戻す。束の間、シャディクの右腕が西の空へ引っ張られる。磁力に反応した刀が強烈な力で空中に引っ張られていた。

 

「!」

 

 予期していたとしても不可避。磁力の渦中にあった老爺はどうすることもできずに、腕力のみで力に抗った。

 しかし、岩石を容易く砕く膂力を有するシャディクでも、雷が生み出す磁力には敵わない。強烈な磁場がシャディクの握力を上回り、刀を遥か遠方へと飛ばしていった。

 

 シャディクの未来視は一〇秒先の未来しか視えない。瞬発力に優れる能力だが、一〇秒を超える策略に対しては無力である。

 中長期的なプランを駆使してシャディクを追い詰めていけば、攻略も不可能ではない。

 

「刀ぁ貰ったぜシャディク。次は金属片でハグだ」

 

 シャディクの刀は建物の向こう側へと消えた。得物が無ければかなり楽になるだろう。クレスは電磁波を纏った金属片を縦横無尽に射出した。

 その攻撃は、例えるならば羽虫の群勢である。一匹一匹が自由に飛んでいるように見えて、互いに付かず離れずの距離で飛び回る。そして、標的を見つけた瞬間、総体としての意志を持ったかのように飛来してくる。クレスが操る金属片は、個々が自在に動いて敵を翻弄しつつ、総体として抜群のコンビネーションを発揮していた。

 

 シャディクの狂気を削ぎ落とす金属片の嵐が吹き荒れる。

 当たれば即死。回避するしかない。回避先に雷が落ちてくると知っていても避けるしかない。

 細い身体が電撃に貫かれると同時、肉体が爆裂した。すぐに復活して回避行動を起こそうとするが、再び弾ける。金属片に削り取られる。

 それが幾度となく繰り返される。

 並の人間は何が起きているか状況すら掴めず即死するはずのクレスの嵐を、ダメージこそ負っているものの凌いでいる。それこそ異常だった。

 

 完全消滅を回避されている。雷に打たれる寸前、肉体の末端部を千切って完全消滅を逃れているのだ。

 ポーメットの刃がそれらを狙い澄ましているが、シャディクは紙一重で復活を続けた。肉体を複数個に渡って切り離して、未来視を使えるシャディクが絶対に勝つ読み合いを仕掛けたり、ポーメットの刃が一撃では薙ぎ払えないよう絶妙な位置取りでばら蒔いたりしている。

 

 この嵐でも殺し切れないのか。

 クレスの雷撃がここまで避けられたことはない。強敵にやり過ごされたとしても、『防御』によるダメージ軽減だった。『回避』を許すほどぬるい攻撃をしているわけでもない。

 

(何故ここまで避けられる。ポーメットちゃんの援護もあんだぞ)

 

 焦りと苛立ちがクレスの指先を狂わせる。

 ほんの〇・一秒の隙があった。それを一〇秒前から予知していたシャディクは悠々と隙につけ込んだ。

 雷撃・斬撃・打撃・刺突の数々を、シャディクの細胞を乗せた血液がぬるりとすり抜けていく。紙一重である一点(・・・・)へ放物線を描く。

 その到達点とは、超高速で立ち位置を変えるクレスの移動先。狙うは、治癒魔法による肉体の上書きである。

 

 重なった座標に二人の身体が現れる。クレスの身体が上書きされる。

 大柄な体格が幸いして、クレスの下半身が分離するだけで済んだ。しかし、その後が苦しい。

 血液を纏いながら肉体を再生したシャディクがクレスの喉仏を掴む。老人が大男の身体を跳ね上げ、半月を描きながら投げ飛ばした。

 落下先には尖った瓦礫。クレスから手を離させようと、ポーメットの聖剣がシャディクの手首を狙い澄ます。だが、シャディクはクレスの頭部と聖剣が衝突するよう軌道を変えた。

 

 クレスの頭が胴と切り離される。

 早くも生首から復活し始めたクレスが、殺気立つポーメットに「落ち着け」と諭した。

 

 ポーメットは気が立ってしまっている。素手のシャディクに真っ向から食らいつき、幾度となく剣戟を空振りしていた。

 

(父親の仇を前にして落ち着けって言う方が無理な話ではあるがよお……)

 

 頭に血が上ってしまっている。殺気が全身から溢れ出し、クレスの声が届かない。『拾読(ひろいよみ)』が無くとも見切れそうなほど単調な攻撃の連続であった。

 ただ、一応は冷静な部分が残っているらしく、ポーメットは取ってつけたようにこう叫んだ。

 

「クレス! 援護を頼む!」

「無茶苦茶言うぜ」

 

 苦笑いで応えたクレスは、ポーメットの剣風の中に飛び込んだ。

 目まぐるしい二人の連撃。高圧電流を纏った拳に、この世のあらゆる物体を容易く焼き切る刃――直撃すればひとたまりもない。シャディクが即死攻撃の嵐を掻い潜ることができるのは、予知能力と身体能力の高さ故である。

 

 瞬きのタイミングが噛み合ったり呼吸が乱れたりするだけで死ぬ。立ち位置が数ミリズレるだけで肉体が消し飛ぶ。平静を保つ老爺の精神力は異常だった。

 

(クレス・ウォーカーが邪魔だ。ママと二人きりで話せない)

 

 シャディクはこの戦いに勝てると思っている。クレスを離脱させることくらい容易いだろうと考えていたし、それを可能にするだけの実力を持っていた。

 

 クレスが扱う雷の魔法に弱点はない。破壊力、速度、持続性、応用力、全てに富んだ万能の力。そして、クレス本人もそれらを操るに足る頭脳を兼ね備えている。

 シャディクが勝っているのは戦闘経験の一点に尽きる。しかし、その一点に大きな隔たりがあった。

 

 シャディクの細い瞳が足元を睨む。帯電した金属の板が転がっている。目線だけで目論見を察したポーメットが金属板を破壊しようと右足を踏み込むが、それより先に老人の足が金属板に触れた。

 踏み抜いた板が跳ね上がり、回転しながらシャディクの手中に収まる。舞踊のようなゆるりとした動きと共に金属片を扱う老爺。二人の脳裏には、異国の地で発展した固有の盾術が過ぎった。

 

 ――そいつを奪ってしまえばどうということはない。クレスの眉間から微細な電流が迸る。それは大振りな攻撃の予兆となって周囲に伝わった。

 足元の瓦礫を蹴り上げたシャディクは、飛散した瓦礫を壁にクレスの磁場を潜り抜け、高速移動しようとしたクレスの首を刎ねた。

 ほとんど同時、ポーメットが援護の一太刀を振り抜く。――シャディクは放り出した金属片に隠れてポーメットの背後に電光石火で回り込み、女騎士の肩甲骨の辺りを軽く押した。すると、勢い余ったポーメットの剣筋がクレスの身体を消し飛ばしてしまった。

 

「しまっ――、――クレス!!」

 

 仲間を殺す手伝いをさせられた。錯覚に陥ったポーメットが叫ぶ。

 

「おい!」

 

 斜め後ろで聞き慣れた仲間の声がする。骨格から再生途中のクレスであった。

 

「しぶといね……最善の未来を選択したと思ったのに」

 

 間一髪で同士討ちは免れた。

 だが、一連の攻防は二人の心を折るには充分すぎた。

 

(オレ達二人じゃ勝てねぇ)

(同士討ちの危険が高すぎる。今のワタシがチームプレーをしたところで上手く動けない。敵の思う壺だ)

 

 二人では勝てぬ。むしろ、一人で挑んだ方が勝機に溢れているような気さえする。

 クレスとポーメットは視線を交わす。

 

「ワタシが一人でやる」

「バカ言うな。気持ちは分かるが、却下だ」

「いや……。この男を殺すには、我々以外にもう一人、魔法使い級の戦力が必要だろう」

「だからって一人ずつ戦ってどうなる」

 

 ポーメットはとろんとした目つきのシャディクを睨む。皺だらけの貌が能面の如く歪んでいた。

 恐らくは、一〇秒後のポーメットの返答を聞いたから。

 

「ワタシが戦っている間に助けを呼んでこい。……マリエッタかオクリー辺りが適任だろう。奴らの敵を倒して、こっちに連れてきてくれ。それまでは持ち堪えてみせるさ」

「いや、オレの方が――」

「ワタシにやらせてくれ。頼む……」

「…………」

 

 クレスは一度だけ頷くと、破裂音のような雷鳴を残して消えた。

 二人きりとなったシャディクとポーメットの間に粘ついた雰囲気が漂う。怨念や妬み嫉みの類が二人の四肢に纏わりついた。

 

「やっと二人きりになれたね、ママ」

 

 シャディクの澱んだ瞳が大きな孔のように見えた。それを見ると正気を失う気がして、ポーメットはそちらを向かなかった。ただその手足だけを睨んで、攻撃の予備動作を注視した。

 

「おっぱい……」

 

 気狂いが一言一言発する度に、騎士の正気がごりごり削がれていく。仲間(クレス)にここは任せろと大口を叩いたというのに、半身になってたじろいだ。弱気を振り払うように発声して、一歩前に踏み込んだ。

 

 ポーメットはシャディクを殺す手段を有していた。ただし、彼の『拾読(ひろいよみ)』を打ち砕く妙案が浮かんだわけではない。狂った老爺の心を段階的に折る方法を薄ぼんやり思いついただけだ。

 クレスを追い払ったのは己の手で父親の仇を討ちたいという邪な気持ちもあったが、それ以上に、今から試す『シャディクの心を折る方法』があまりにも狂気の沙汰だからだ。

 

 信頼する仲間に見られたくなかった。狂気に身を委ねる姿を。

 かつて臓器を交換することで少女を壊したあの男のように、人間の精神の限界領域に踏み込む他なかったから。

 

 人の心は不安定で流動的で奥深い。シャディクの狂った心を融かし、己の生を諦めさせるためには、ポーメット自身がシャディク以上の狂気を纏う必要があった。

 

(シャディクの狂気を解体するためには、ワタシ自身が怪物になるしかない)

 

 心がざわめく。心を邪悪に染めなければシャディクを殺すことはできない。

 ポーメットは狂気の笑みを浮かべながらシャディクに言う。

 

「シャディク。貴様のことをもっと教えてくれ」

 

 父親の仇(シャディク)を知らなければ、壊すこともできない。知りたくもない相手のことを知る必要がある。殺したくて堪らない相手に一度寄り添わなければならない。

 その矛盾がポーメットの清流のような心を澱ませていく。顔の右半分は怒り狂って唇を結んでいるのに、左半分は涙を流しながら唇を弓なりに歪めて微笑んでいた。剣先は激情によりかたかたと震え、半透明の刃は明滅を繰り返す。

 

 その常軌を逸した様子に、シャディクは純朴な幼子のように笑う。

 

「ママも、こっち側に来てくれたんだね!」

 

 何となくの感覚で察した。どんな理由があるかは分からないが、ポーメットが歩み寄ろうとしてくれている。それがとても嬉しかった。

 シャディクは足元の尖った硝子片をおもむろに拾い上げて、ポーメットの脳天に向かって放り投げた。

 さく、という音がして、ポーメットの額に深々と突き刺さる。

 

 何故避けなかった? ママだからだ。

 子供が玩具を放り投げたって、普通のママは殴らない。怒るくらいだ。

 シャディクはポーメットの()を期待する。殴りかかってくるのか、それとも怒るのか、無視するのか。偽物のママは鳩尾を蹴り上げてきた。激しく嘔吐して、三日三晩何も食べられないほどの傷を負った。

 本物のママなら、そんなことしないはずだ。シャディクの瞳が、脳が、一〇秒後の未来を凝視する。ポーメットの次なる一言で、シャディクの狂った人生がやり直せるような気さえする。

 

 そう。ポーメットが、怒ってくれるなら、或いは――

 

 前頭葉を負傷した女騎士が次の一言を紡ぐ。

 

「――こら、そんなことしちゃダメだろう……」

 

 ――シャディクの世界に衝撃奔る。

 これまでの不幸が全て前振りだったかのような多幸感に溢れて、視界が滲む。

 

 ――怒られた。けれど、殴られない。

 いや、怒られたというよりも、諭された……?

 そんなの初めてだ。からだは痛くない。けれど、心が痛む。次はこんなこと絶対にやらないって誓えるくらい、心が締め付けられる。

 

 そうだよ。これがママなんだよ。

 この包容力。この説得力。肉体の痛みでなく心の痛みに訴えかけるその母性。シャディクの双眸からとめどなく涙が溢れ落ちた。

 

「……ご、“合格”だ……。やっぱり、本物のママだよぉ……」

 

 ポーメットはこの狂人(シャディク)に紙一重で話を合わせていくしかない。生まれ持った勘のみで、狂人の気まぐれに付き合う他攻略法を持たない。

 最初のステップには成功した。次はどうする。シャディクは本物の母親に何を求めているのだ。額に刺さった硝子片を引っこ抜き、頭脳を高速回転させる。

 

(無償の愛、性欲、被虐欲、加虐欲、あらゆる歪みがこの男に集約されている。……だが、この男がいくら理想の母親を求めたところで、そんな存在が現実にいるわけがない! それを分からせるにはどうしたらいい……!? オクリー、ヨアンヌ、ドルドン、お前達ならどうする……!?)

 

 戦いの余波で地盤が緩んでいたためか、二人の足元が音を立てて崩れ去った。

 二人は地下に造られていた大きな廃墟に着地する。聖地メタシムがただのメタシムだった頃、出産所として使われていた建物である。二人がその事実を知ることはない。

 

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