全員覚悟ガンギマリなエロゲーの邪教徒モブに転生してしまった件   作:へぶん99

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一三七話 私はママじゃありません

 

 シャディクは「母親は子に無償の愛を注ぐもの」と言った。ポーメットからしてもその言論は間違っていないなと思う。

 母システィ・ヨースターは無償の愛を注いで育ててくれた。我が子のためを想うからこそどんな困難辛苦にも耐えられる、母システィはそう言っていた。普通の母親というのは、そういうものなんだろう。

 

 母性を求めるシャディクに対して、ポーメットは愛を注ぐ演技をしなければならない、らしい。

 転倒して膝を抱えたシャディクに近づいたポーメットは、そっと膝を折って視線を合わせる。シャディクは当然怪我などしていない。心配してくれるかどうかポーメットを試したのだ。

 

 潤んだ瞳で見つめてくるシャディク。ぽっかりと空いた眼窩が何を見ているのかは分からない。一瞬だけ目が合う。瞳の奥を見透かされているような気がした。

 膝を擦りむいたふりをするシャディクに近づき、顔を真正面から見つめる。 貼り付けたような能面の貌が微笑みに歪む。ふり(・・)をする度に、心の傷口がじくじくと痛んだ。幾度も生乾きの瘡蓋を剥がしたせいで、醜く膿んでいる。

 

 父親の仇。目の前にいる。殺したい。怨念が爆発しそうだ。

 だが、耐え難きを耐えねばならない。攻撃する素振りを見せれば絶対に回避を許してしまう。折角掴みかけている攻略の糸口を失ってしまう。それだけは駄目だ。

 時間をかけると仲間(クレス)達に手柄を譲ることになる。この醜い姿を見せることになる。それも避けたい。とにかく、奴の求める理想の母親像をなぞり、その上で現実を突きつけるしかない。

 

 どうやって敵の矛盾を突く? 会話の中で探って、敵の存在意義を改めて問い質すべきなのか?

 ――会話か? 言の葉で心を揺さぶる他ないのか?

 人間は会話することによって初めて人間になれる。言葉を交わして、この男の芯を探ってやるしかない。ポーメットは息を吸い、思うがままに話し始めた。

 

「シャディクは何故……理想の母を求め続ける?」

「……? 何故って、欲しいからだよ。欲しいから求めて何が悪いの?」

 

 『天の心鏡』を通じて願ったとしても、願望成就が外面だけになることもあるという。理想の母親が欲しい――などというあやふやな願いなら、彼が求めるモノが与えられない可能性もあるのだ。

 この男は母親を(・・・)代替できると(・・・・・・)思って(・・・)いるのか(・・・・)? 

 できるはずがない。母親はつくるものではない。『天の心鏡』は応えてくれないだろう。ポーメットは内心毒づく。

 

 ポーメットの友人には、生みの親と育ての親を持つ者がいる。彼は「俺には二人の母ちゃんがいるんだぜ、羨ましいだろ」と事ある毎に自慢してきた。

 血の繋がり、或いは時間の共有で、人は他人から家族となる。『天の心鏡』が用意した理想の母親は、真の意味での家族にはなれないのだ。

 

 つまり、シャディクの求める『理想の母親』とは、性欲や歪んだ欲望に由来する真の母親とは全くの別物――

 酸いも甘いも共に分かち合ってきた家族とは違う。実現不可能、母親のガワを被った別の何かだ。

 

 母を求めるシャディクが持つ強烈な矛盾に気づく。

 オクリーが表するシャディク像は、「本当の母親を知らない故に『ママ』という虚像を求める化け物」だ。オクリーからシャディクの過去をある程度聞いていたポーメットも同感だった。

 

 ポーメットも父親を知らない。『父親とは何だ?』と問われても、上手く答えることができない。

 シャディクも父親のことが分からないらしい。小さい頃に蒸発したのだという。そして、彼の母親は母の役割を放棄している。シャディクはポーメット以上に『親』という存在について何も分かっていない。

 

 恨むべき相手が哀れみの過去を抱えている。

 腹立たしい。

 苛々する。

 どうして思い通りになってくれないのだ。

 貴様は(・・・)クソ人間(・・・・)のはず(・・・)だろう(・・・)……?

 何故、そうじゃないんだ……。

 

 目の前の老爺が哀れみを帯びる。必死に狂ったふりをしているように見えた。幼子になりたいあまり、その妄執に囚われているのだ。

 

「貴様はワタシの父を奪ったのだぞ。それについては何とも思わないのか」

 

 ポーメットの怨念が滲み出て、シャディクの頸に添えた手に力が入る。いつの間にかシャディクを押し倒して、喉仏を渾身の力で押さえつけていた。

 老爺の姿をした幼子はぎゃあぎゃあ泣きながら首を振って、母親からの虐待に耐えていた。彼にとって母からの虐待は攻撃ではなく日常だった。だからポーメットの首絞めは『拾読』も予知していたが回避できなかった。

 

「ま、まま……痛いのは嫌だよう……おねがいだから……」

「だ、だまれ……! 答えろ!! 何故我が父上を殺したッ!! 言え、言うんだッッ!!」

「わ! あぁ! わああぁぁあああああああああああああん、わあああぁぁぁあああああああああああああああああああああああん」

 

 小さな子供の泣き声が老人の腹の底から飛び出す。蝉の鳴き声のようだった。赤子や幼児の泣き声は、長く聞いていると精神に響く。生命力の全てを振り絞るかのような、鼓膜の奥まで響いてくる不愉快な悲鳴である。ポーメットは凄まじい精神攻撃を受けた。

 

「ぐ……ぎ……き、貴様……やめろ……」

「わあああぁぁぁああああああああああ、ままぁああああああああ、あああああああああぁぁぁあああああああああああああああああ」

 

 濁点が混じっているような泣き叫び。ポーメットの両手が震えた。形容しがたい感情が奔流の如く押し寄せた。

 本来の力が出せたなら、こんな細く頼りない頸部なんて一瞬でへし折ることができたのに、それができない。

 卑怯者だ。庇護対象(幼子)のふりをして、ポーメットを無意識に煽っている。彼女特有の弱みに漬け込んで駄々を捏ねている。最低最悪だった。

 

「やめろおぉッ!! き、きさまあぁぁっ!! どれだけワタシを虚仮(こけ)にする気だ、ああっ!!?」

 

 顔面を真っ赤に茹で上げた女騎士は、あまりのことに虚空で拳を握り締め、ありったけの力を込めて振り下ろした。シャディク・レーンの頬骨を捉えた拳骨の勢いは止まらない。右眼球が飛び出し、脳漿が鼻血と共に噴出した。

 びくんと痙攣したシャディクは身体を丸めて防衛姿勢になる。ひくひくと肩を震わせて、再び不協和音の如き泣き声を上げ始めた。

 当初のプランをかなぐり捨てたポーメットは、防衛姿勢で仰臥するシャディクの腰部に伸し掛り、顔面を両腕で隠した老人の手首を掴み、両腕を顔の上に上げさせ、涙で腫れた双眸を日の元に晒す。

 

「それは何の涙だ……?」

 

 震えるほどに握り固めた拳が、再生途中の顔面を叩く。

 頬骨が容易く砕ける音がして、返り血が女の顔を染めていく。

 

 幾度も拳を振り下ろす。その度に宿敵の顔は崩壊から逆再生されて、元通りの傷ひとつ無い泣き顔に戻っていく。

 

「貴様は人間じゃない……邪悪の使徒だ。なのに何故、涙なんて流す!?」

 

 心の奥底に湧いてくる僅かな同情心を無視するように、何度も拳を叩きつける。途中から頭蓋骨を貫通して地面を殴っているのに気づかず、指の骨が滅茶苦茶な方向に曲がった。

 

「貴様さえいなければ、ワタシは今頃、普通の町娘として生きていけた!! 人殺しと無縁の生活ができた!! 恨みに支配されることなく普通に生きていけた!! 貴様が壊したんだ!!」

 

 シャディクは母親(ポーメット)からの被虐を望んでいたかのように身を捩り、幾度となく肉体を回復させる。彼はポーメットの心の底からの悲鳴に聞き入っていた。彼女(ママ)の苦しみを一身に引き受けられるのは自分自身であると、狂いながらも理解していた。その一端が暴力により表出したものであっても、ぶつけてくれることに酔いしれていた。

 

 殴ることをやめた女が、急激に背筋を震わせる。かと思えば、思いっ切り前傾して痙攣しながら嘔吐した。

 

「ゔっ、――ッグ、ゲェ、ォエエ……!」

 

 ばしゃばしゃと音を立てて、ポーメットの口から吐瀉物が溢れ出す。感情が揺さぶられ続けて、彼女の許容範囲を振り切ってしまったのだ。

 しばらく打ちのめされていると、腰部に嫌な感触が走った。シャディクがしがみついていた。

 

「ママ、大丈夫……?」

「――誰のせいでッ!! 触るな!!」

 

 手の甲で男を弾き飛ばす。

 ポーメットは気づかない。これらの行為はシャディクと彼の実母の関係を再生産しているだけなのだ。

 

 母が殴り、子が受け止め、自己嫌悪に陥った母が泣く。そんな母を子が慰めようとして、拒絶される。

 ポーメットを理想の母親に見立ててままごと(・・・・)をしていたはずが、シャディク自身も知らず知らずのうちに実母との過去を再現してしまっていたらしいことに遅まきながら気づき始めた。

 

「ぼ、僕、ママに良くなってほしいだけなんだ」

「良くなって欲しいだと……? 貴様が死ねば、良くなるよ……」

 

 著しい矛盾がシャディクの胸を穿つ。

 母の肌に薔薇色の発疹が浮き出て、目に見えて体調を崩し始めてからも拒絶された。お前なんて産まなければ良かったと、夜な夜な病状による癇癪を起こした。それでも、日に日に弱っていく母を捨てることができなかったあの頃を想起した。

 

「――ワタシの父上を奪った貴様が死ねばなぁ!!」

 

 ――『あんたなんか産まなきゃ良かった!』

 

 ポーメットの一言がシャディクの胸を貫く。泣き叫ぶ実母にぶつけられた言葉と似ていた。

 そして、酷いショックを受けているはずなのに、昔を懐かしむ自分がいることに気づく。

 

 ポーメットの暴虐を悦ぶ自分がいる。病に侵され狂った死んだはずの実母が現世に舞い戻って構ってくれているような気がした。理想の母親(ママ)とは最も遠い実母からの仕打ちを(なぞら)えているだけなのに、脳が妙な錯覚を起こしている。

 

(僕は理想のママを追い求めていたはずなのに、その実、実母の影を追っている……?)

 

 自分は、ママから暴力を受けて、嬉しいと思っている……?

 

(ち、違う! 僕の母さんはママじゃなくて女だった! 世間一般で言う母親らしいことなんて何ひとつとしてしてくれなかった……! そんな母さんと一緒のことをされて、嬉しいわけがないじゃないか!)

 

 シャディクの両の瞳が別々の方向に動く。ポーメットに攻撃されて混乱して、己が抱える矛盾に気づいて錯乱し始めた。

 それと同時にポーメットの言葉が脳に流し込まれて、シャディクの焦燥は加速していく。

 

「父親がいないことの苦しみは貴様も知っているだろう!? 何故我が父上を狙った!!?」

「お、お前の父親が、僕の母さんを奪った薔薇疹の(ひと)と似てたから――」

「に、似ていたから(・・・・・・)……? そ、それだけで、父上を……?」

「…………」

「――――ッッ!!」

 

 滝のような汗が首筋を伝って流れ落ちる。

 雫が肋骨まで到達した瞬間、顎から上が吹き飛んだ。文字通り削り取られた。ポーメットの握り固めた拳骨によって。

 その瞬間、シャディクは理由も分からず射精していた。性器には指一本も触れていなかったのに、剛直が収まらなかった。

 

 混迷を極めるシャディクの脳内で、幼稚な語調を帯びた思考回路が高速回転する。

 

 ポーメットが昔みたいに僕を虐めている。嬉しいなあ。

 ママが怒っちゃった。狂っちゃった。きっと僕のせいだよね……。

 ……?

 あれ……?

 ま、待て……。混乱している。落ち着け。

 僕は理想のママを求めて戦ってきた。

 理想のママは僕を殴ることなんてしない。

 

 じゃあ何故、ママ(ポーメット)に殴られて喜んでいる?

 ひょっとして、もっと殴らせたいと思っているの? 彼女が僕を殴ることで、彼女の心を傷つけ、永遠に消えない疵を残したいと思っているの?

 

 違う! そんなの間違ってる。でも、どこから間違えている?

 ポーメットを理想のママとして捉えた時点から、間違えているのか?

 

 思考がぐしゃぐしゃになっていく。生きるための目標が靄の中に沈む。元々見据えていたモノそのものが狂っていた可能性を否定できない。理想のママとは何なのだ。今になって分からなくなってきた。しかし、誰も教えてくれない。

 

(……僕は帰りたいだけなんだ。子供時代をママと一緒にやり直したいだけっ! 子宮(あそこ)に帰って、ゼロから普通の人生をやり直したいだけなんだ!!)

 

 ゼロからやり直したい。そのために理想のママがいる。そういう話だ。やっと思い出した。

 で、でも、その理想のママが僕を殴るポーメットという話なんじゃなかったか? あれ、どういうことだ。僕の頭で何が起こってる?

 シャディクの頭部が回復した時、目の前に肩で息をする女がいた。黄金色の透き通った髪に、大きな瞳、小さな鼻、薄い唇の女。頚部から鎖骨への美しいラインに、存在感を放つ豊かな双丘。細い腰部。鼠径部。子宮。呼吸で上下する臍部の下に眠る僕だけの部屋。嗚呼、僕は、この美しい女性の膣から産まれたいのだ。

 

 舐るような視線に気づいた女騎士が腰を前に突き出す。眼前にポーメットの臍部が現れる。視線が吸い寄せられた。

 やや遅れて、胸部、頚部、顔面と視線を上げていくと、心底馬鹿にしたような嘲りに満ちた表情が映った。

 

「貴様……子宮(ここ)に帰りたいと言ったのであったな」

 

 勝気に煽るような表情のポーメット。誘導されていると知りつつも、シャディクはその言葉に固唾を飲んだ。

 

「ならば帰してやる」

「え――」

 

 一〇秒後の未来が意味不明に満ちる。ポーメットが理性の(たが)を外して狂気に身を任せたのだ。

 突然、ポーメットが股間に手刀を突っ込み、臍に向かって切り込みを入れ始めた。大量の血が噴出する。血のシャワーの向こう側に黄色い脂を纏った内臓が覗いた。

 

 切れ目から吹き出した生温い液体が顔の前面を叩く。シャディクは反射的に目を閉じながら、舌をめいいっぱい突き出して、母の血を咥内に取り込んだ。ポーメットの甘い汗の香りを含んだ鉄の味が舌の上で躍る。しょっぱい風味が鼻腔を抜け、老人の脳内は子供時代にトリップした。

 五感で母を感じている。何故だろう、血の味までそっくりに思える。匂いまで一緒だ。あぁ、涙が出そうだ。本当の僕のママがここに居るんだもの。

 

 白目を剥いて感動するシャディクを他所に、ポーメットは真っ青な顔をしながら切腹を続けている。

 手刀が鳩尾の付近まで達し、腹圧でポーメットの臓物がばしゃりと溢れ落ちた。その中央にはシャディクが想いを寄せる部位の子宮が横たわっていた。立ち込める湯気と特有の臭いで現実に戻ってきたシャディクは、ゲル状に形を崩した子宮に目を奪われた。

 

「ほら、待ちに待った子宮だぞ。首突っ込んだらどうだ、え?」

「あ、え。あわ、あわわわ」

「産まれ直したいんだろう!? 子宮に首突っ込みたいんだろう!? ほら、やれよ!! 好きなだけ味わえよ!!」

 

 ポーメットは激痛と狂気に苛まれながら、シャディクの髪の毛を鷲掴みにする。勢いで髪の毛を引き千切りながら、シャディクを内臓の海に引き倒した。男の顔は子宮粘膜に埋もり、呼吸できなくなった。至福の窒息状態に陥ったシャディクは何度も射精しながら、膨らませた頬で血の海を泳ぎ、唇で粘膜を掻き分けて酸素を求めた。

 

「どうだ!! 妊娠出産の疑似体験だ!! これで満足か!? ママから産まれ直した感想はどうでちゅか〜!? ワタシが貴様の夢を一足先に叶えてやったのだぞ!! 喜べシャディク、良かったなぁ、ああっ!!?」

 

 シャディクは生温い感覚を顔面に被りながら、肺までを擬似羊水で満たした。言われるがまま、擬似妊娠・疑似出産に酔った。両腕で内臓を掻き集めて身体を溺れさせてみたり、己の首を切って子宮の中に侵入してみたりして、思いっ切り愉しんだ。

 たった数分間の疑似体験。理想郷の先取り――

 

 …………。

 ……。

 

「…………」

 

 ――昂っていたのは、最初の数十秒だけだった。

 何も起こらない。何の感動も湧いてこない。

 見える景色は赤黒く、脈打っている。ただそれだけだ。胃の中や腸に入っても見える景色は同じだろう。ピンクの膜の中に入っている。ただそれだけだ。

 急激に感動が萎んでいくのを自覚したシャディクは、恐ろしい事実が浮かび上がってきたことに気づく。

 

「……なにも、ない……?」

 

 思えば、当然であった。シャディクはポーメットの子宮からシャディクとして(・・・・・・・・)産まれ直すことはできない。

 擬似体験を経たとしても、それはそれ。内臓から溢れ落ちてくる以上の意味を持たない。

 ならば、子供時代をポーメット(理想のママ)の子としてやり直すとはどういうことなのか?

 それはつまり……。

 

 己の願望の真相に辿り着きかけたところで、疑似羊水の上から女の声がした。

 

「理想の母の幻影を奪われる気分はどうだ」

 

 それから先の言葉を聞いてはいけない気がした。

 水中に沈んでくぐもった音の中、ポーメットは言った。

 

「これで、貴様の理想が如何に矛盾に満ちているか分かっただろう」

 

 シャディクがシャディクである所以は、その記憶を拠り所としている。シャディクの根幹をなす記憶を保ったまま、理想の母親を求めることは不可能だ。ポーメットはそう言ったのである。

 

 大人になってしまった人間は幼少期に戻れない。記憶、性格、魂の形が熟れてしまって、若い頃の輝きを失っている。経験に汚染された大人の魂では、理想の母親との関係性を本物にすることができないのだ。

 子供時代の若々しい魂と経験不足の人格があるからこそ、母親との体験が唯一無二になる。強い結び付きを得る。シャディクの記憶を保ったまま理想の母親をつくったところで、実母の影がチラつき『これは実母と経験したことだ』『あの時実母はこんなことを言っていた』と必ず比較してしまう。

 シャディクが輪廻転生を経てシャディクの記憶を失い、そこで新たな幸せを見つけるというのなら話は別だ。しかしそれはシャディクの求めるところではない。シャディクはシャディクであるままに理想の母親を得たいのだ。シャディクの記憶を失った瞬間、理想の母親を求める強い感情も消え失せる。

 故に、シャディクの願望は実現不可能なのだ。

 

 ――その矛盾に気づいていたからこそ、無意識のうちに、己の理想の母親を実母と重ねていたのだ。

 

 シャディクの心が打ち砕かれる音がした。

 現実と理想の中で撹拌されて、夢が望まぬ形で現実となって襲ってきた。

 己の抱いていた夢はあまりにも空虚で形のないモノだった。それを指摘され、シャディクは血の海で呆然と仰向けになっていた。

 

「これで父上を失ったワタシと同じだ! どうだ、奪ってやった! ざまあみろっ」

 

 感情に任せて痛罵していたポーメットは、くつくつと笑ったかと思えば、静かに泣き始めた。

 だが、彼女自身落涙したことに驚いたらしく、驚愕の表情で涙を拭う。

 

「な、何だこれは……? く、くそっ」

「……哀しかったの?」

「え?」

「ポーメットも奪われたことが辛かったの?」

「…………」

 

 奪った者が奪われた。奪われた者が奪った。不毛な輪廻の果てに辿り着いた結末は誰も報われぬ痛み分けである。

 親の仇の夢を自らの手で打ち砕いた瞬間、何故か胸が締め付けられた。虚構とはいえ、一人の人間が拠り所にしていた母親を殺したのだ。悲しみの再生産をしている。

 だが、その無常をやり通さなければならない。無惨の輪廻を断ち切る。邪教徒の完全駆逐をやり通せば、この負の連鎖は終わるはずだ。

 サレン達はゲルイド神聖国の邪教徒を全員殺害することを目的にしている。メタシム奪還はその前段である。

 

 サレンの決定は絶対だ。それはゲルイド神聖国ひいては国教・ケネス正教の決定である。

 敵を根絶せしめると国が方針を出した。

 シャディクは殺さなければならない。

 そして、敗北は許されない。

 

 狂気の末、一瞬だけ通った二人の心。

 ――突き放す。

 殺すために。

 

「死んでくれるか、シャディク」

「諦め切れないよ……」

「諦めろ。ワタシが父上を諦めたように、貴様も」

「できないよ!」

「やるんだ、シャディク! これ以上は辛いだけだ! 夢想に縋って生きていく人生を終わらせろ!!」

「できないっ!!」

 

 シャディクがシャディクであるまま願いを叶えることはできない――その前提がある以上、彼が生きる意味は無くなった。

 だが、突然夢を奪われたシャディクは、何度も指摘されたにも関わらず首を横に振った。

 

「お前にはお前だけの母親がいた。それだけじゃダメだったのか?」

「い、いやだっ! ヤダヤダっ! やだ、やだよおおぉぉおおおお!!」

 

 血液の海の中、泣き声をあげるシャディクが諭されている。

 

 ――『もう、我儘言わないの、シャディク』

 

 機嫌の良い実母に言われた言葉が脳裏を過ぎる。

 分かっているのだ。どれだけ理想の母親を求めたところで、実母の影が過ぎる。チラつく。どこまで行っても実母に縛られていて、彼女に縛られていることに喜びを覚える自分がいることも。

 

 悔しさとやるせなさのあまり、シャディクの目尻から一筋の雫が伝う。

 口の中で血混じりの悪態をついて、段階的に人生の諦めを積み重ねていく。

 

「……ちがう、のか……? ちがうのかよ……! ポーメットは、ぼくのママじゃないのかよ……!」

「……そうだ。本当の母親はお前だけが知っている」

 

 ポーメットは心の中で呟く。

 ワタシは父親に会うことすらできなかったのだ、と。

 羨ましかった。父親を奪った相手は片親でない。まともな両親ではないが、会えている。持たざる者の痛みと羨望がシャディクの影を踏んでいた。

 

「わ、分かってるよ……。僕のママは、代替できないってこと……。再生産(・・・)できない(・・・・)ってこと……。超常的な力を以てしても、僕のママがあの人である事実は変わらないんだってことも……」

「…………」

「……そうなんでしょ? ポーメット……」

「……あぁ」

 

 『天の心鏡』がシャディクの理想の母親を作り出したところで、心の底から納得することは不可能なのだ。

 シャディクがあの母親から産まれてしまった時点で、どんなことをしようとも、その事実は捻じ曲げられない。

 『天の心鏡』が用意する理想の母親は、母親ではない。心が家族と認めるだけの時間も血縁関係もない。母親面をしているだけのただの女だ。

 

 それはポーメットに母の役割を押し付けようとしていたことにも当てはめられた。超常の力でポーメットを理想の母親にすり替えたところで、真の意味での救いはシャディクに与えられない。

 シャディクの求める母親は、既に見つかっている。醜く歪んだ形をして、彼をずっと待っていたのだ。

 

 魂が抜けたかのようにその場に蹲るシャディクを見て、終わったなと心の中で呟く。

 強烈な思い込みと狂気を鎧に自分自身を護っていたシャディクだったが、今はすっかり狂気も覇気も感じられない。

 

(…………)

 

 親の仇を正気のまま討ち取ることを密やかな目標にしていたポーメットは、少しだけ安心していた。

 シャディクは死ぬ気だ。理想の母親の幻影を感じていた女に殺されるとあれば、彼も本望だろう。

 

 ポーメットが傍に落ちていた聖剣を拾う。

 聖剣で人を斬り殺したところで手応えがほとんどない。熱したナイフでバターを焼き切るように、するりと抜けていく。

 本当なら、己の手で首を絞め殺してやりたかった。だが、贅沢は言っていられない。怨念を込めてポーメットが魔法『光粒子剣(フォトンソード)』を発動する。

 

「死んでくれるな、シャディク」

 

 萎みきった老爺は小さく頷く。

 

「喜べよ。お前にとっての特別な女が、お前を殺しに来たんだぞ。絶対に叶わない夢に押し潰される前に、息の根を止めに来たんだぞ。お前の痛みを分かってやれるのはワタシだけだ。――だから、良いだろう?」

 

 シャディクはポーメットの瞳を見返し、再度ゆっくりと頷いた。

 

「最期に一つ……いいかな」

「?」

「僕の人生は最期まで子供時代に囚われたままだった……。僕の人生、意味はあったのかな……?」

 

 聖剣に加算される形で伸びる半透明の刃。長さ、太さ、厚さが増大していき、地下空間を占めていく。

 気勢は充分。聖剣は敵を焼き切るのに申し分ない精神エネルギーを含有している。

 涙を流してその場にへたり混んでいるシャディクに告げる。

 

「あったさ。自分が気づいていないだけでな」

 

 ――その言葉を掛けてやった理由は、ポーメット自身も分からない。

 

 『光粒子剣(フォトンソード)』の青白い光輝が地下空間に満ちる。

 全身で“構え”の動作に入り、剣を振り下ろす。その一連の所作は優美かつ緩慢のように見えたが、次の瞬間、刹那のうちに全ての動きを終えていた。

 

 シャディクの『拾読(ひろいよみ)』が見逃してしまうほどの俊敏な大上段。

 

 ポーメットの人生全てを掛けて練り上げてきた剣技。

 努力と才能の相互作用で練り上げられた大陸最高峰の剣戟。

 その剣を振るう領域に至るまでに、何年、何十年という年輪を刻まなければならない究極の一太刀――

 

 研ぎ澄ませた執念の一撃が、最後の最後に『拾読(未来視)』を完璧に打ち砕いた。

 

 シャディクの視界全てが蒼に染まる。

 

 

 

 

 ポーメットがどこか哀しそうな表情をしながら、僕の身体を一瞬のうちに斬った。

 その一撃は多分、右の肩口から深く入って、左の腰部から抜けるような軌道を描いた。

 視えなかった。身体が斬られたことに気づかなかった。

 気づいた時には、身体が無くなっていた。超高熱の刃が僕の身体ぜんぶを持っていってしまった。

 

 ……僕の人生はこれで終わる。

 ドルドン神父(あの男)が言ったように、僕の願望は望まぬ形となって叶えられた。

 いや……ずっと昔から叶っていたのに、それに気付かぬまま長年生きてきたと言った方がいいのかな。

 

 確かに、僕の人生は完成して終わるみたいだ。

 あまりにも歪な形で収束して……だけど。

 

 ドルドン、君はここまで見据えた上で、あんな希望を持たせるようなことを言ったんだね。

 罪な男だ。

 でも、悪くない気分だよ。

 僕が本当に求めていたものが分かったから。

 

 皆が思う幸せ。平々凡々という名の平均値的な幸せ。

 違う。

 僕だけの幸せがあった。僕だけのママがいた。

 

 ある夕暮れの日。

 一日だけ……一度だけ……ママが夕ご飯を作ってくれたことがあった。

 

 黄昏時、外から帰ってきた僕を、知らないにおいが包み込んだ。

 あたりには温かくて美味しそうなにおいが立ち込めていて……

 キッチンには機嫌のいいママが鼻歌をうたいながら立っている。

 

 ――シャディク。ごはんよ。

 

 そんな、ぶっきらぼうな言葉と一緒に差し出された夕食。

 味付けがごわごわしていて、お世辞にも美味しいとは言えなかった、たった一度きりの夕食。

 

 大好きだった。

 それを食べて美味しいって言った僕に、少しだけ微笑むママが好きだった。

 

 あの時の夕暮れだけがあればいいって思った。

 僕はあの瞬間のよろこびのために生まれてきたんだって……疑いなく思った。

 

 あの時あの瞬間、時が止まってしまえばよかったのに。

 月日が経って、僕は僕自身の願いを歪めてしまったんだね。

 

 あのときの夕暮れの景色こそが、誰にも邪魔できない、僕だけの幸せ。

 

 代替なんてできやしない、僕だけの……

 

 

 

 

 シャディク・レーンの肉体が細胞ひとつ残さずに消え失せた。

 慣れた動作でポーメットは残心に入る。

 一〇秒、二〇秒。

 一分、二分。

 ――三分。

 それだけ経っても、シャディクの気配が復活することはなかった。

 

「――逝ったか」

 

 小さく息を吐いたポーメットは、火種を取り出そうとポケットを探る。小目的達成時(幹部撃破時)、連絡手段を持たない者は狼煙を上げる等して周囲に報せる決まりとなっていた。

 火起こし材がどこにも無いなと思って血の海を見ると、散らばった内臓の中に火種を入れた筒があった。

 筒型の特殊な器材を取り出す。打ち上げ花火だ。点火すれば数秒後に空に上がり、上空で炸裂する。

 

 導火線に火を灯すと、運良く湿気ていなかったらしく、問題なく花火は上空に打ち上がっていった。落下してきた穴を器用に通り抜けて、地上二〇メートルほどの空で炸裂した。

 

「…………」

 

 ポーメットはしばしの間その場に留まった。

 いつの間にか全身が激情によって震え、とめどない涙が流れ落ちていた。

 打ちのめされて動けなかったのはほんの数分。涙を拭った女騎士は、肩で風を切って悠然とその場を後にした。

 

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