全員覚悟ガンギマリなエロゲーの邪教徒モブに転生してしまった件 作:へぶん99
セレスティアとマリエッタが聖地メタシムの中心部へ戻ろうとした時、セレスティアが遥か遠方の異常に気づく。ポークを消去したと勘違いしてから五分が経過した頃だった。
「マリエッタ、待ってください」
「何ですか?」
「何かがおかしい……あれを見てください」
「え?」
セレスティアは遥か遠方で蠢く邪教徒の軍勢を指差す。マリエッタは目を凝らしてやっとその姿を発見すると、特に変なところはないと思いますよと返答する。
「別に、アーロス寺院教団の信者が集まってるだけなのでは?」
「それにしては様子が変じゃありませんか?」
「う〜ん、そんなことは……」
聖地メタシムの中心部から離れた位置に出現した人群。徒党を組んでどこかへ向かっているらしく、どうやらセレスティア達の方へと進軍しているようだ。
マリエッタからすると、正教徒の奇襲を受けて決死の覚悟で反撃に打って出ようとする邪教徒共である。この窮地で結託しても何ら不思議ではないし、何もせずに犬死するより行動を起こしたいと考えるのが自然な人間の姿だろうと思う。
セレスティアからすれば、それがおかしいのだ。
正教幹部の『転送』による襲撃を受けて、邪教徒達はパニックに陥っているはずである。誰かが音頭をとって人員を纏め上げて行動しなければ、あれほど統率の取れた軍としてセレスティア達へ向かうことはできない。それこそ幹部クラスの一声がなければ有象無象達は結束できないはずだ。
とするなら、あの軍勢は誰かの命令を受けて行動しているはずで――
「
セレスティア達が聖地メタシムに到着してから三〇分程しか経過していない。アーロス寺院教団内に正教徒襲撃の一報が伝わり切っていなければ、数百から一千程度の徒党を組んで規則的に行動させるなんて不可能だ。
たかだか三〇分で、敵組織の隅から隅までメタシム襲撃の報が伝わるのだろうか? それも、敵の勢力数や規模感まで、正確に掴めているのだろうか? ジアターの召喚獣やノウンの“根”のように情報拡散に長けた魔法を有するのはポークの魔法だけだ。
そのポークは、襲撃から今に至るまで釘付けにしていたではないか。部下に襲撃の一報を拡散することはできても、正確かつ的確な情報を伝えて次の指令を出せたかと問われれば答えはきっと否である。
つまり、聖地メタシムに居た信者達が一斉に蜂起するなんてことは有り得ない。
自分達が見ているのは、一律の行動が可能であるポークの
「しくじった」
セレスティアが顔面を蒼白にしながら呟く。
首を振って別の方角を見ると、無様に慌てふためき走り回る邪教徒が疎らに見えた。やはり、統率の取れた人影は全て
そんなセレスティアの読みは半分ほど的中していた。
有象無象を束ねることのできるカリスマ性を持った幹部候補生達は、アプラホーネの元に集められ、スーツ装着の対象となっている。つまり雑魚共の天辺に立ち纏め上げられる者は誰もいなかったのだ。
「マリエッタ、恐らくポークはまだ生きています」
「えっ?」
「飛散した氷の中に紛れたか、肉片を別の場所に飛ばしていてそちらに転送したか――いずれにしても、あの軍勢の正体を確かめなければなりません」
「そ、そんな。あれだけの攻撃を叩き込んで死んでないの……?」
「ヨアンヌのしぶとさを思い出してください。一発で死んでくれるほど甘い相手ではありません」
「確かに……」
二人は風を纏いながら建物の屋根を乗り継いで、謎の集団の方角へ向かう。
その集団は慌てる様子も急ぐ様子もなく、漫然と一方向へ行進している。セレスティア達が肉薄すると、彼らは全くの同時に武器を振り上げて襲いかかってきた。その不自然な行動が決め手となり、セレスティア達の脳内に集団の正体がありありと浮かび上がった。
「わたくし達に反応するタイミングといい、行進の様子といい、統率が取れすぎた行動をしていますわね」
「本当にこいつらゾンビだったんだ……!」
彼女達は知る由もないが、彼らは『孕み袋』から生誕したばかりの素材を用いた
視界の端に異様な巨体を有するゾンビを見つけてセレスティアは目を凝らす。
「うぐ……! あいつら、踏み越えちゃいけない一線を超えやがったなッ!!」
アプラホーネやポーク――そして彼女達に指示を下したアーロスに激怒するマリエッタ。教団は人や獣を繋ぎ合わせて練り上げ、人道に反する怪物を作り上げてゾンビに変えた。しかも、子供が人形の手足をバラバラにちぎってちぐはぐに繋ぎ合わせたみたいな、
「ふ、ふざけるな……。ふざけるな!! こんなの、おかしいよっ!! い、いのちを……なんだと思ってるんだ……!!」
怒りを通り超えて、深い悲しみを孕んだ掠れた叫び声。その絶叫の源へ吸い寄せられるようにゾンビ共が襲いかかってくるが、あまりにも鈍間である。二人にダメージは全く通らない。
むしろその鈍重な動きにより、ゾンビ達一人ひとりの表情が分かってしまう。網膜に焼きついてしまう。ぐちゃぐちゃに潰れた顔。普通の人間らしい無表情。怒りの表情、悲しみの表情。不思議と、喜びの表情の者はいなかった。皆、悲しみ、怒り狂っているように見えた。
「に、人間を……こんな……こんな風に……、……ダメだよ……。みんな、生きてるのに……」
「マリエッタ! やるしかないのですよ!」
「っ……!!」
目前に敵集団が迫っている。無視すれば他幹部や正教兵の邪魔になる。無視する選択肢はなかった。
ゾンビ達は二人の攻撃に一歩たりとて怯まず、淀みない足取りで近づいてくる。二人を殺せという命令に忠実に従うため、粛々と歩を進めている。
そんな彼らを倒す度に、身体が千切れた。顔が飛んだ。安心したように緩んで、消えていった。
敵は怒涛の如く押し寄せる。全ての表情が二人を見ている。怨念すら孕んでいるように見えて、少女の胃がひくついた。
人間の業が姿を帯びて行進している。
しかも、見知った顔がいくつも散見された。
――マリエッタの故郷メタシムに出現した
その中に、皆殺しにされたマリエッタの故郷の人々が紛れていた。
少女にとってはあまりにも酷な敵だった。
こらえきれなくなった少女の大きな瞳から、ぽろぽろと大粒の涙が溢れ出す。遂に少女は両手で顔を覆ってしゃがみこんでしまう。
咄嗟にセレスティアが援護に入る。数十秒間間に入って風を撒き散らすと、マリエッタはようやく体勢を立て直した。
「う、ううぅ……っ。…………で、出てこい……。出てこいポーク、出てこいこの――クソ野郎おおぉッッ!! もうやめろよおっ!! あたしだって、ほんとは殺しなんかしたくないんだっ!! おまえらさえやめてくれたら、もうこんなことしなくていいんだっ!!」
氷気の陣を怒りと共に噴出しながらマリエッタが半狂乱になる。
その冷気は一瞬で異形達を呑み込み、身体の芯までを氷漬けにした。ポークの手駒はあっという間に冷凍されて、それらを稼働するための筋肉も動かせなくなった。
しかし、彼らは既に死んだ個体である。痛覚も限界も存在しない。
骨まで凍てついていたはずのゾンビ達は、己の肉体を崩壊させながら動き続ける。主人の命令を忠実に実行するために、関節をひび割れさせ、欠損を伴いながらも前に進む。
マリエッタの顔見知りのゾンビは下半身を欠損していた。そんな支障も厭わず、ゾンビは切断面から凍った臓器を引き摺りながら這い蹲ってくる。
悍ましい光景に戦意がごっそりと削られていく。マリエッタの顔が悲痛に満ちた。
「ね、ねえっ……。もうやだ! こんなのいやっ! どうしてこんな非道いことをできるの!? ポークは人を思いやる当たり前の気持ちすら無くしちゃったのかよ!? やだ……やめてよ……。もう、人が苦しむところ、見たくないよ……!」
マリエッタは首を振りながら引き攣った泣き笑いの表情で冷気を強める。
空気が白く濁り、もう何も見たくないという彼女の心を表するように、周辺に跨る全てのものを吹雪の世界に誘っていく。
絶対零度の冬が街の一角を覆う。マリエッタの悲しみが深くなるほどに冷気の範囲は拡がっていく。彼女を襲おうとしていたゾンビ達は完全に動けなくなった。
しかし、絶対零度の領域外のゾンビ共がまだ残っている。魔法を数回受けた程度では倒れない屈強な個体ばかりが残っていた。
マリエッタはアーロス寺院教団を憎んでいる。その中でも誰を一番恨んでいるかと言われれば、ポークに強い怨念を抱いていると言えよう。
彼女の故郷を火の海に変え、家族友人を生きたまま喰らい、死後も駒のように扱い冒涜する女だ。許せるはずがない。そんな感情以上に、死者を意のままに操れるという性質そのものが気に食わなかった。
ポークのゾンビと対峙するマリエッタには過剰なストレスがかかり過ぎている。
このまま戦い続ければマリエッタの心が壊れてしまう。彼女はあまりにも惨いものを目撃しすぎた。早くこの戦いを終わらせなくてはならない。セレスティアはポークを捜すため上空へと飛空した。
「わたくしは上から
本当は命じたくなかった。悲しき異形たちを葬る役目は本来セレスティアが引き受けるべきだ。それでも、最善手は目の良いセレスティアが一刻も早くゾンビの親玉ポークを見つけること。葛藤しながらセレスティアは高く高く舞い上がった。
「ぐ……!」
分からない。ポークがどこに紛れているのか、全く掴めない。
セレスティアの鷹の如き視力をもってしても、そのような人影は見当たらなかった。
「どこにいるのです……ポーク!」
☆
――キミに何が分かる。キミとボクは違う。
ポーク・テッドロータスはマリエッタ・ヴァリエールにそう言った。
しかし次の言の葉で、同じ人殺し同士なんだから何も変わらないだろうと言った。
心理現象の一種で、人間は本当に思っていることと逆のことを言ってしまう場合があるという。
ポークの言葉はそのケースに当たった。
キミとボクは同じだ。
けれど、心根は違う。同じ人殺し同士でも明確に違うことがある。
彼女の心はマリエッタに言われるまでもなく答えを導き出していた。
☆
『ふ、ふざけるな……。ふざけるな!!』
…………。
『こんなの、おかしいよっ!! い、いのちを……なんだと思ってるんだ……!!』
……うるさい……。
『に、人間を……こんな……こんな風に……、……ダメだよ……』
黙れ……。
『みんな、生きてるのに……』
黙れ、黙れ……。
黙れ黙れだまれだまれだまれッ!!
――ポーク・テッドロータスは地中にいた。
マリエッタの叫びが聞き取れるほどの距離で、地中に棘の巣穴を張り巡らせて隠れていた。
セレスティアの『
またもや悪運が彼女を救った。しかし、少女の心の叫びを耳にしていたポークは、
(ああ、クソ、クソ! 何でこんな時に昔を思い出す!?)
マリエッタの心の叫びが、ポークの過去を呼び起こす。
ポークの一族『テラス族』が散り散りになる寸前――つまり南方国家群で疫病が爆発的に流行し始めた頃、突然テラス族狩りが始まり、ポークの幼馴染が無慈悲にも惨殺された。テラス族の中でも女子供の血肉は疫病の特効薬として特に高値で取引されたため、非力な者にも凶刃が襲いかかった。
小さな島国の一角で密やかに過ごしていたテラス族に、突如として人間の悪意が差し向けられる。友人や親類は踊り食いにされ、逃げ惑うテラス族の背中を次々に弓矢が貫いた。テラス族狩りを止める者もいなかったため、虐殺は加速し苛烈化。ポークの故郷は地獄と化した。
悪意から逃れながら、同胞達が凶刃に倒れていく。惨殺される仲間達を見て、ポークは子供ながらに絶望した。世界の形がこんなにも歪で理不尽なことに怒り狂った。
どうしてそんなに酷いことができる? どうして人に備わった本来の優しさを無視して、殺しなんてできる? テラス族狩りによってポークの心は摩耗して、いつしか彼女は怒ることにも悲しむことにも疲れ、過酷な逃亡生活の中で心身共に荒んでいった。
夜な夜な静かに涙を流しながら、世界への復讐を妄想する日々。ポークの身体が大きく成長すると、同胞を殺した屑共を駆逐するために、テラス族狩りを積極的に行っていた者達の情報を集めた。
彼らの抵抗を受け、仲間は更に減ってしまったが、テラス族狩りを地の果てまで追い詰めて何人も殺してやった。
――ほんの僅かばかり気が紛れただけで、何も戻ってこなかった。喪った仲間達は還らないし、惨たらしい死体が目の前に一つ増えるだけで、良いことなんてひとつも無かった。心と感情の整理のためにテラス族狩りを遂行することは必要であったが、それ以上に、故郷を追われて平穏な暮らしを失ってしまったことへの形容しがたい寂寥感が湧いてきて、もう戻れぬ過去を懐かしむ気持ちばかりが積もっていった。
テラス族の生まれというだけで散々な目に遭った
ポークはテラス族狩りへの復讐を続ける傍ら、世界全てに破滅を撒き散らそうと考えた。
そのどす黒い悪意はアーロスの野望と結託して、今もなお世界を苦しめる毒となっている。
この仄暗い生き方に後悔なんてない。
ないはずだった。
まさか、自分とそっくりな境遇の女子がいるなんて思わなかった。
自分が加担した人殺しの果てに、
考えたことすらなかった。
自分本位に恨みを晴らすことばかり考えていたせいなのだろうか。視野狭窄に陥っていたせいなのだろうか。
ちょっと立ち止まって見渡せばすぐ目に入ったはずなのに、マリエッタのような存在を無意識的に無視していた。もしくは、彼女のような者を徹底的に虐め抜くことを、壊れた心が強制的に愉悦へ変換してしまっていた。だから今の今まで全く罪悪感なく鬼畜の所業をやってのけられたのだ。
普通という言葉が陳腐になるくらいの平穏な暮らしをしていた
女子供だろうが見境なく殺した。毒を感染させた。
彼らはテラス族狩りに加担していたのだろうか。
きっと違う。ただその土地に生まれ、暮らしていただけだ。
アーロスの野望のためにメタシムという街が必要だったから殺された。
正教徒であるという属性を纏っているだけで殺された……。
テラス族であるという属性を持って生まれたポークに、テラス族狩りは容赦なく襲いかかった。
その理不尽と何が違うのだろうか。あれほど嫌悪していたテラス族狩りと同じ類のケダモノになっているのではないか。ポークは
(やめろ……違う……考えるな……!
マリエッタの叫びが、ゾンビを通じずとも鼓膜を震わせる。
『もうやめろよおっ!! あたしだって、ほんとは殺しなんかしたくないんだっ!! おまえらさえやめてくれたら、もうこんなことしなくていいんだっ!!』
その絶叫があまりに痛ましくて思わず耳を塞ぐけれども、隙間から頭の中に入ってくる。
「だ、黙れ……頼むから、黙って…………」
土の中で小さく響く掠れた声。理由のわからぬ涙が溢れた。
正教の街に忍び込ませた諜報員や
マリエッタとポークは本当に何もかもが同じだった。
故郷を壊された経験で人格が歪んでしまったこと。
人を殺すことに慣れてしまって、精神が腐っていったこと。
言い訳と詭弁で自分の心を守ったり、何かに縋りつりたり、盲目的にならないと、やってられなかったこと。
思い出の中の故郷に戻りたいと思っていること。
全部一緒なんだ。
あそこで叫んでいるのは、
マリエッタが苦しむ姿を見ていられないのは、自分だからだ。
けれど、全く同じではない。
彼女が人の善性を疑わず泣いている姿。胸にちくちくと刺さった。同じ人間が死んでいくところなんてこれ以上見たくないよと絶叫する姿は、己の失ってしまった善性と対照的に映った。
そうか……マリエッタは人の善意にまだ希望を抱いているんだ。
どれだけ悪意に晒されても、心の奥深くに善意の芯を持っている。
自分とは違う。自分の芯を貫くのは、果てなき悪意だ。
――だから、こんなにも心を掻き乱されるのか。
あんなにも真っ直ぐ自分の考えを叫べる彼女が羨ましい。
復讐のため、理想のためと言い聞かせて、己の手を汚すことに躊躇いがなくなってから、どれくらい経った?
幹部になる前から、見えない何かの操り人形だった。
マリエッタも『復讐』という大いなる意思に突き動かされながらも、純真だった頃の気持ちを忘れていない。
見えない何かに穢されて人間本来の優しさや同情心を忘れることもない。
この期に及んで「もう戦いをやめよう」という未熟な答を叫べる真っ直ぐさ。
憎しみや恨みの果てに選んだ殺し合いをやめようと言えることの純粋な素晴らしさ。
――そんな等身大のマリエッタが憎たらしくてしょうがない。
同時に、彼女と違って、恨みを攻撃としてぶつけることしかできぬ自分のことも。
「殺す……」
ポークは殺すことで人生の問題を解決してきた。
これまでも、これからも、そのやり方しか知らない。
己の口から殺意の意思が零れたことに驚きはなかった。そういう人間になってしまったと知っているから。
自分と同じだと思っていた少女が自分とは違う生き物だと分かってしまって、どす黒い妬ましさが煮え滾った。
(――綺麗事だろうが、マリエッタぁ……)
眉間に青筋が立つ。綺麗事を貫こうとするマリエッタに虫酸が走った。
そして、悪意の果てに思いつく。
マリエッタの心を完膚なきまでに打ち砕く方法を。
「――は、はは。ははははっ、くふ、クククッ……」
人は自己正当化のためにどれだけ残酷になれるのだろう。正義のためならきっと、人間はどこまででも暴走できるのだ。そんな念を頭の片隅に抱きながら、醜悪なアイデアを形にしていく。
――火の海と化した街メタシムで、非業の死を遂げた少年がいた。
少年と同じくらいの背丈をした茶髪の少女を庇って、炎の渦に巻かれて苦しみの末に死んだ。
勇敢な個体になるかもしれないと目をつけて、メタシム襲撃後にゾンビに変えておいた。
ポークは知っている。彼が庇った少女こそマリエッタであることを。彼がマリエッタにとって大切な存在であったことを。
その焼死体を再利用したゾンビを今マリエッタの目の前に出してやったら、どんな反応をするのだろう。
少女の心は壊れてしまうのではないか?
否。
壊れてしまえばいい。
自分と同じくらい汚れてしまえばいい。
悪意こそ世界の真実であると目覚めてしまえばいい。
あの少女の心を壊すため、ぶつけてやる。
「世界はボクに悪意を叩きつけた。ボクは悪意に対して悪意で以て応える。なら、キミはどうなんだ? これでもまだ人の善意を信じるのかい?」
壊れていく少女の姿をその目に焼き付けるべく、ポークは地上に這いずり出した。少し遅れて彼女の存在に勘づいたセレスティアがマリエッタを呼びつけ、二人纏まって接近してくる。
既に少年の焼死体は足元に呼び出している。氷の魔法が届く寸前に飛び出させて、一年ぶりのご対面と行こうじゃないか。
マリエッタ。お前の心も悪意に塗り潰されろ。
「マリエッタぁぁ!! こっちに来いっ!!」
「言われなくても、行ってやるよ!」
マリエッタが氷の結晶を纏いながら突貫してくる。
(マリエッタとの距離は二〇メートル……まだだ!)
ポークは地中に棘のトンネルを走らせる。
恐らくマリエッタは氷剣で斬って致命傷を与えようと考えるはずだ。その間合いまで肉薄した瞬間に、絶望を見せてやる。
(九――七――五メートル!! 今だ!!)
男装の麗人と茶髪の少女との距離が充分に近づいた。お互いに表情まで見て取れる距離だ。
ポークは棘を自在に操り、目の前に身代わりの如く少年の
足元の土塊が飛散し、触手のような棘に頚部を締め付けられた黒いゾンビが現れる。
ここで、ポークの悪辣なアイデアが煌めく。そのゾンビに名前を呼ばせてやろうと考えた。
黒いゾンビが苦しむ所作を模倣しながら、一瞬だけ硬直したマリエッタに呟く。
「……まり、えった……」
長い間閉じられていた口唇が罅割れ、体細胞が剥がれ落ちる。
その声を聞いた途端、氷剣を握り締めていたマリエッタの手から力が抜けた。
「……え?」
変わり果てた姿。掠れた声。
しかし、忘れるはずがない。
命を賭して守ってくれた大好きな幼馴染の勇姿を――
「ある、ふぃー?」
マリエッタの全身から闘志が抜け落ちていく。あまりのことに走ることさえできず、目の前の黒いアルフィーに向かって歩くことしかできない。
少女が手を伸ばすと、アルフィーは笑った。
左側の眼球が焼け落ちていて、どろりと爛れた眼窩からは闇だけが見える。蝋を被ったかのように黒々と脂ぎった表皮には、鼻らしき組織が見当たらない。めくれ上がって裂傷した唇の隙間から、煤がこびり付いた歯が見えた。舌は細々と痩せ細って、枝のように見えた。
その悍ましい『死』の形をした唇が、マリエッタの名を再び紡ぐ。
「まりえった」
嗄れた声と、壊れた貌が作り出す虚ろな笑顔が、マリエッタの思い出を黒く塗り潰す。
――アルフィー。無口で照れ屋さんで、くしゃっとした可愛らしい笑顔の男の子だった。
その、死体が、笑っている。
「あ」
少女の心に深々と刻みつけられた存在が、ポークの手によって穢される。
大切に守り抜いてきた少女の心の拠り所が壊される。
「あ、あああ、あああぁあああ」
望んでもいないのに、喉の奥からひくついた声が漏れた。
その声は次第に大きくなって、冷静な思考力を奪っていった。目の前の光景のショックを声で上書きしようとして、際限なく大きくなった。
敵を倒す、脳はその命令を実行しようと身体を突き動かしていたはずなのに。
マリエッタの思考回路は深い自責の念と絶望に呑み込まれ、自分自身の破壊行為を招いた。
「あ――、あ――――、あああ゛あ゛あ゛あ゛ア゛ア゛アアアア、アアアアアアぁぁぁああ゛あ゛アアアぁぁぁぁぁあああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
マリエッタは髪の毛を振り乱して、掻き毟って、引き千切って、己の喉笛に爪を立てて頸動脈を掻き切った。
声帯まで貫通した切り傷から直接聞こえてしまうのではないかとすら思えるような、精神が限界を迎えてしまった者の絶叫だった。
「フは――アハハハハハハッ!! そうだ!! その表情だよマリエッタ! その絶望だよマリエッタぁ!! 己の生を後悔しろ!! 善意を持つだけ無駄だ!! 人に期待するだけ無駄だ!! この世界に救いなんてないんだよ!!」
しばらく叫んで自傷行為に及んだ後、マリエッタの意識が限界を振り切る。
前方へつんのめって倒れ、少女は受け身も取れずに地面に倒れ伏した。
そして、人語とは思えぬ呪詛をぶつぶつ呟きながら、泣き笑うだけの人形と化した。
その様子を見ていたセレスティアが、烈風を纏いながら憤怒の表情でポークと相対する。
「何と惨いことを――許さない」
「セレスティアぁ! 少なくとも半年間はボクら仲間だったじゃないか! そんなに怒らないでさ、もう一回こっちに来て楽しくやろうよ!!」
「――ふざけないでください!!」
セレスティアがこめかみに青筋を立てながら、『
彼女の人差し指が動いたのを見て、ポークは
「――キミはこのゾンビを殺せない。なんたって、優しいからね」
セレスティアの頬が痙攣する。ポークの視線はシスターではなく背後の廃人と化した少女へ向けられていた。セレスティアはその視線の意味を一瞬で理解した。
「――――」
目の前で
それを察したセレスティアが、破壊力に優れすぎた『
「対話しようよ、セレスティア。忘れたわけじゃないでしょ? キミがどれだけ嬉しそうな顔して正教徒をぶっ殺してたか……もう一回確かめようよ」
「ポーク……何故貴女はそうも悪辣なのです」
「キミの心根は
ポークの指がセレスティアの瞳を指さす。彼女の片目は光を失い、美しかった銀髪は錆のような黒色を呈している。
アーロスに洗脳された際の外見変化が引き継がれているのだ。心に溜まった汚泥もまた拭い切れていないのだろう、とポークは暗喩した。
「キミも同じさ。善意のくだらなさ、報われなさを知ってる側の人間……そうだろう?」
ポークが粘ついた微笑でセレスティアへ迫る。言わずもがな、二人の間にアルフィーの死体を置くことで盾にしていた。
セレスティアに最大の試練が襲い来る。己が犯した罪と向き合う時が来た。