全員覚悟ガンギマリなエロゲーの邪教徒モブに転生してしまった件   作:へぶん99

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六一話 あの日

 

 俺の意識は暗黒の海を揺蕩い続けていた。眼下には吸い込まれそうな暗黒の揺らぎあって、頭上には深海に射し込む陽光の如き光の帯が存在する世界。俺の自意識はその海に似た何かの中にいた。強烈な飢餓と不快感の中、永遠に近い時間を何もせずに過ごしていた。

 身体の輪郭がはっきりしない。精神状態も著しく不安定で、夢の中のように何事の理解も上手くいかないのだ。潮の流れに身を任せるようにして、俺の身体は自堕落な呼吸を繰り返している。俺の身体はずっと動いてくれなかった。精神力を吸い取られてしまったように身体が動かなかったのだ。

 

 しばらくすると、水中なのに呼吸ができるのは何故なんだろうと当然の気づきを得た。俺が薄ぼんやり現実の延長線上だと思っていたこの世界は、どうやら非現実的な夢の世界に当たるらしい。その事実に気づいてから、俺の身体は光の中に引き上げられていった。

 少女の輪郭をした何かが俺の手を取る。暗黒の海から解放され、光に包まれる。あまりの眩さに視界が白んだ。

 

 次に目を開いた時、俺は深々と裾を広げたロッキングチェアに腰掛けていた。一定間隔で揺れる揺籃の椅子。心臓の拍動に合わせたリズムを刻む椅子の上で、うとうとと微睡んでいたようである。この世界には椅子の他に何も存在しないようだ。

 

「ここにいるぞ」

 

 唐突に少女の声がした。左前方に首を振ると、俺を引き上げてくれた女の子が立っていた。いや、正確には少女ではない。光の精霊のような存在とでも言うべきか。身体の輪郭は風に吹かれると揺らいでしまうし、顔に目を向ければ鼻や口のパーツが存在しないのっぺらぼうだった。髪型も分からないし、声だって反響していて男声とも女性とも取れる声質で。それなのに彼女が女の子だと思ってしまったのは……自分でも分からない。どうしてだろう。

 

 少女を見ると、気分の悪さがぶり返してきた。思考回路を暗闇に支配されているような、どうしようもなく仄暗くて後ろめたい気持ちが再燃する。それでも彼女を突き飛ばす気にはなれなくて、俺は椅子の傍で佇む彼女に微妙な視線を送り続けた。

 少女を見ていると何となく分かった。彼女は俺と運命を分け合った誰かなのだと。……そんな綺麗な存在だろうか? 分からないけれど、この夢に出てくるんだから、そういうものだろう。

 

「……?」

 

 彼女の存在について考え始めてから、何か大事なことを忘れている気がした。何を忘れているかを忘れてしまったようだ。

 

 何となく自分の精神状態が分かるようになってきた頃、己の身体に何らかの異常が起こり始めた。

 まず、舌の上に違和感が現れた。不味い肉を詰め込まれているような感じ。腹の中にも妙な違和感が溜まってきているが、全く腹が膨れない。喉に軟骨じみた何かが引っかかってイガイガしていて不快である。

 

 それと、いつまで経っても夢の中から目覚められそうもないことが気にかかった。夢を見ている最中は永遠に近い時間感覚に陥ることがあるものの……ここまで長い夢は初めてだ。夢を見る前のことが全く思い出せないのもおかしい。ついさっきまで何をしていたのか完全に忘却されているのだ。

 

 改めて自分に問いかけてみると、名前が思い出せない。何歳なのかも分からない。意識を失っている理由や、何故こんなに気分が悪いのかも検討がつかなかった。

 しかも、俺の身体は椅子に縫い付けられたかのようにピクリとも動かない。足元は妙な浮遊感に包まれ、言葉を発しようとすると口内に綿を詰められたかのように舌が回らなくなる。どう考えても異常であった。

 

 そんな状況でも俺が正気を失わなかったのは、俺の意識の傍に彼女が寄り添ってくれていたからだ。彼女は四六時中俺の傍にいてくれて、そこを一歩たりとも動こうとしなかった。彼女が居ようと居まいと不可思議な状況には変わりなかったが、何となく守護霊のようだと安心できた。

 

 亡霊のような少女に語りかけようとすると、彼女は俺の言葉を遮るように謝ってきた。ごめん、アタシのせいだ、と。何が何やらサッパリだったのだが、不思議と悪い気はしなかった。

 彼女のことを知ろうと指先を動かそうとすると、少女の輪郭が揺らいだ。椅子と少女だけの世界にノイズが走り、夢の世界が崩壊し始める。

 

「アタシ以外何も信じるな」

 

 白い瓦礫が周辺に落下してくる。土煙のような粒子を巻き上げて、瓦礫が(うずたか)く積もっていく。何が起こっているのかさっぱり分からない。そんな中でも、少女は具体的なことを何ひとつ教えてくれず、警告を発するのみ。

 椅子の傍に巨大な石の塊が降り注ぐ。破片が飛び散る。ロッキングチェアの上から動けず回避行動すら取れない俺は、鋭い欠片が左手に直撃するのを間近で観察する他なかった。悲鳴すら上げられずに、左手の人差し指と中指の第二関節から先の部分が吹き飛ぶのを見せつけられる。いつの間にか左手の薬指も無くなっていた。

 

 遂に声が絞り出されそうになった時、俺の左手は何故か修復されていた。欠けたはずの指は色が違っていたり、サイズが合っていないような気がした。

 

 世界の崩落が止まらない中、使命感に似た目的意識が心の内側に湧き上がってくる。

 

 ――“幻夜聖祭の最終日、花火の打ち上げられる聖都サスフェクトの中心部に向かい”――

 

 ――“そして、不死鳥の神殿の近隣にて、左手の人差し指と中指をナイフで切り落とすのだ”――

 

 身体の奥底から電撃の如き激しさでぶち上げられたその文字列は、一瞬で俺の脳髄に焼き付けられた。まさしく天啓。人生の最終目標へ立ち向かうような実感と共に、俺の思考回路が作り替えられていく。これさえ達成すれば幸せな人生を送れるのだという傲慢なまでの確信さえ抱いていた。

 初めて具体的な固有名詞を思い出せた(・・・・・)ことに歓喜していると、俺の腕に絡みついてくる他我があった。そちらに視線をやると、例の少女が首を振っている。

 

「騙されるな。アタシ以外を信じるな」

 

 この子はそれ以外の言葉を喋らない。だが、突如として現れた目的意識に特別な敵意を抱いているようだった。正直、意味が分からなかった。

 この少女による刷り込みではないのか? だったら、誰による暗示なんだ?

 

 拙い推理を始めようとする間もなく、夢の世界は靄の中に溶けていく。少女と別れの言葉を交わす時間もなく、意識が閉ざされる。リセットされる。

 目覚めの時だ。少女と交わした会話も、きっと忘れてしまうのだろう。目覚めた時に残っているのは、強烈な目的意識だけ。

 

「…………」

 

 夢の世界から覚めた時、俺は森の中にいた。

 

「……ここは何処だ? ……何も分からない……」

 

 東西南北も今立っている場所も分からない。自分の名前も、年齢も、何もかも。████と過ごした大切な記憶すら忘却させられ、俺には何も残っていなかった。

 でも、何をすべきかは分かっている。

 聖都サスフェクトを目指すのだ。そして、歪な継ぎ接ぎをされた指を切断する。それで何が起こるのかは分からなかったが、それが正解なのだ。俺は脳内に蟠る目的意識を崇高なものだと信じて、未知の世界の探索を始めた。

 

 

 メタシムの街が崩壊して一年が経過した。

 かつてメタシムがあった場所から遠く離れたとある街で、一人の少女が教会の傍の静かな墓地に膝を下ろしていた。美しいブラウンの髪を靡かせながら花束を備えた少女は、沈黙する巨大な墓石にそっと指で触れた。

 

「……みんな、おはよ。あの日から一年も経っちゃったんだって……」

 

 メタシム・ダスケル両者で出た死者の数は一万人を超える。故に、二つの街の襲撃によって出た死者は集合墓で慰霊されていた。横に長い墓石には、確認できた限りの死者の名前がびっしりと羅列されている。

 しかし、墓石の下に眠る亡骸は非常に少ない。今や完全に乗っ取られたメタシムの住人の遺体は一人も回収できなかった。廃墟の街と化したダスケルから一部の遺体を引っ張ってくることには成功したが……アーロスの影に圧死させられた死体、個人の特定が困難になるほど原型を留めない死体から、スティーラの魔法によって焼き尽くされて破片しか残っていないものまで、死体の状態は様々だった。

 

 いずれにせよ、残された者達はメタシムやダスケル崩壊の傷から完全に立ち直っていなかった。茶髪の少女は墓石の裏に刻まれた『アルフィー・ジャッジメント』の文字をなぞって、複雑な表情をすると共に口を結んだ。

 

「ずっと一緒に歳を取っていくものだと思ってた。……でも、あたしとアルフィー、一歳違いになっちゃったのかぁ……」

 

 ――少女の名はマリエッタ・ヴァリエール。深紅の瞳に茶髪のセミロングをしており、きりりとした眉に活気な表情が良く似合う少女だ。しかし、そんな少女の背中は大きすぎる悲しみを背負っていて、背後でマリエッタの様子を見守っていたポーメット・ヨースターは目を伏せた。

 アルフィー・ジャッジメントの最期は壮絶だったと言う。迫り来るゾンビ達と火の海から幼馴染を庇ったアルフィーは、最終的に業火に焼かれながら焼死した。せめてもの救いは、彼がポークのゾンビとして蘇らなかったことだろうか。

 

(……ポーク・テッドロータス。あの女に掛かれば、普通に死ぬだけマシという扱いだ。ポークの能力を知る人間が同僚の死に対して『普通の死に方で良かった』と言ってしまうくらいには……)

 

 ポーメットは眉間に皺を寄せながら握り拳を固めた。マリエッタの人生は凄絶すぎる。両親が生きたまま食べられていく場面を見せつけられ、大好きだった幼馴染を失った。彼女はまだまだ将来のある子供だ。あまりにも辛すぎる仕打ちではないか。無念さが胸を打つと同時に、どす黒い殺意がポーメットの心を灼いた。

 

 最悪なことに、亡くなった一般人の多くはポークの毒によって操り人形(ゾンビ)へ変えられてしまった。しかも、そのゾンビ達は死してなおアーロス寺院教団のために働かされていると来る。遺族の感情を汲むのならポークは何よりも優先して殺害すべき対象だったが、彼女は易々と討ち取られるような人間ではなかった。敵の悪辣さをここまで恨んだことはない。

 加えて、ポークの外道っぷりは遺体を回収しようとした人間にまで及んだ。ポークの性格を表すこんな話がある。

 

 ――ダスケルの戦いで子供を失ったとある夫婦が、せめて亡骸だけでも回収しようと廃墟の街ダスケルにやって来た。数日間に及ぶ捜索作業の末、二人は変わり果てた我が子の姿を発見。涙を堪えながら「見つかって良かった」と喜ぶ夫婦は、次の瞬間驚くべき光景を目の当たりにした。

 冷たくなったはずの息子が目を開き、お父さんお母さんと声を漏らしたのだ。夫婦は一瞬困惑してしまったが、しばらくすると息子の生存に手を叩いて喜び始めた。子供の冷たさ(・・・)はどうしても誤魔化せなかったが、我が子の死を信じたくない夫婦は最寄りの街に息子を連れ帰った。

 

 その夜、最寄りの街の一角が壊滅的被害を被った。大規模な火災と、ポークの毒によるゾンビの蔓延。パニックの発生源はその夫婦の仮家からだった。彼らはポーク・テッドロータスの能力を知らなかったのだ。

 偶然その街に滞在していた正教幹部ポーメット・ヨースターによって火事とゾンビ被害は食い止められたが、この話は正教上層部に衝撃を齎した。直ちにダスケルへの通行路は通行禁止になり、遺体回収作業も無期限の打ち切りとなったのである。それに加えて廃墟の街となったダスケルがならず者の温床となって治安が悪化したため、ダスケルの街は正教の支配下から手放されてしまった。噂によると、ならず者を誘導したのはアーロス達だと言われているが、それは定かではない。

 

 幼馴染に近況報告をするマリエッタの手前、激情を露わにすることはなかったが、考えれば考えるほどポーメットは怒りで錯乱状態になりそうだった。

 ダスケルを襲撃された時、邪教徒幹部を倒せていれば。無理を言って成果を急いだセレスティアを止められていれば。……そのどちらかが達成できていたら、ケネス正教がこんなに苦しい立場に陥ることはなかったのだ。

 

「マリエッタ。そろそろ……」

「あっ、はい。それじゃアルフィー、みんな、また後で……」

 

 正教幹部序列四位、ポーメット・ヨースターは、後ろでひとつに纏めた金髪をたなびかせながら墓地を後にした。

 

 

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