全員覚悟ガンギマリなエロゲーの邪教徒モブに転生してしまった件 作:へぶん99
――腹が減った。
猿轡を嵌められ、五感を封じられたオクリーは、腹の底で煮え滾る強烈な食欲を抑えていた。
「ふーっ、ふーっ」
もう何日も食事を与えられていない。口を強制的に半開きにされているため、咥内に溜めた唾液を飲み下すことすらできない。水分は垂れ流され、糞尿もまた服の中に蓄積されてしまっている。
ここまで放置プレイを貫かれているのは、もっと早くオクリー処刑が決定される予定だったからだ。いくつものイレギュラーによって未来が変わった結果、彼は生き地獄を味わっていた。正教幹部にとってはオクリーの未来を見極めるための準備期間だったのだが、見極めるより前に彼が絶命してもおかしくはなかった。
こうして、彼は永久と錯覚してしまうような一週間を無音と空腹の中で過ごした。
「ふーっ、ふーっ」
最後にサレンやマリエッタと話してから、それだけの時間が経った。にも関わらず、彼は闘争心じみた心を全く失っていなかった。
否、精神汚染による食欲と相まって、彼の精神は危険な領域にまで達していた。
オクリー・マーキュリーはヨアンヌ・サガミクスから内臓を取り返した後、後遺症で意識と記憶を喪失するという危篤状態に陥った。
その際、スティーラ・ベルモンドが彼に己の血肉を分け与えてしまった。食べられる側の気持ちも知らなければならないという出来心によって、二人の間に僅かばかりの繋がりが生まれた瞬間である。
ヨアンヌほどの強固な繋がりはないものの、感情が激しく揺さぶられたり、極度の空腹に襲われたりすると、食人衝動が色濃く表出するようになってしまった。スティーラの想いを孕んだ肉片が消化され、全身に行き渡ってしまったせいで、オクリーの汚染は進む。
そして、今。彼の空腹は限界を超え、前後不覚に陥っていた。
彼の中に入ったヨアンヌの自我が汚染を食い止めるが、今回ばかりはそうもいかない。もしも顔なじみ――オクリーがよく知る原作キャラ――が姿を現した途端、彼は食欲の暴走により相手の首筋を食いちぎってしまうだろう。
そんな中で、オクリーの正体を見極めるための作戦が始まろうとしていた。
クレス・ウォーカーが兵士を引率し、地下室の扉を開く。己の心臓の音や荒っぽい呼吸音しか聞こえないオクリーは彼らの来訪に気づかないが、構わず彼らはオクリーを取り囲んだ。
「よう、オクリー」
声をかけるが、もちろん聞こえるはずもない。
オクリーにしてみれば、唐突に目隠しを外される。血走った目が赤髪の大男を睨めつける。クレスはその威圧感にたじろいだが、耳栓や猿轡を続けて解いてやった。
「……うぐ、誰も世話してなかったのか。悪いことしちまったな……」
眩いばかりの照明が飛び込んで白む視界。その痛みに似た辛さがオクリーを正気へ誘い、食欲を僅かに減退させた。それに加えて、原作における主人公の師匠であった彼への正の感情が、クレスを傷つけてはいけないと強烈な抑制になって働いた。
「…………」
喉が乾燥し切っている。喉の粘膜が剥がれ落ちたかのように鋭い痛みが走って、何も喋れない。
「いや、ほんとに悪かった。言い訳になるが、お前みたいなヤツが現れてオレ達も混乱してたんだ。水とメシ持ってきて正解だったぜ」
クレスが水筒とパンを手渡す。オクリーは反射的にそれを掠め取ると、まさに消化といった勢いで食べ始めた。
「食いながらでいいから聞いてくれ」
突然の解放には胸騒ぎがした。あの時のオクリーに下された判断を引っくり返して、処刑するつもりなのだろうか。もしそうなったら、邪教のウィークポイントになる情報を民衆の前で好き勝手吐いてから死んでやろう。オクリーは最後まで邪教の足を引っ張る決意を密かに固めた。
「……俺は殺されるんだな」
「いや、違う。とある場所まで移動して、オレ達の指示に従ってほしいのさ」
「……?」
いつの間にか、オクリーを取り囲むようにして屈強な兵士が数名立っていた。対邪教徒部隊の者達だ。パンを掻き込むオクリーに治癒魔法を掛けたクレスは、汚れた部位を拭った後、扉に向かって歩き始めた。
「ま、待って……。歩けないんだ、支えてくれると助かる……」
「……お前ら、支えてやれ」
「どこに行くんだ?」
「実験場だ。そこでオレの『洗脳返し』を見てもらう。場所は秘匿させてもらうけどな」
到着するまでは改めて目隠しをさせてもらうということなのだろう。視界ゼロの中、仰向けに担ぎ上げられ、台車のようなものに乗せられる。
しばしの移動。水平方向から垂直方向へ。ゴウンゴウンと巨大な動力が巻き上げられるような音だ。古い坑道にあるような、昇降機のイメージが脳裏を過ぎった。重苦しく湿った空気の様子が変わり、段々と土の臭いが薄くなり、雨と草の香りが近づいてくる。
「乗せるぞ」
「せーのっ」
掛け声が響いて、再び移動が始まる。次に静止して目隠しを外された時、オクリーは見知らぬ建物の中にいた。そこに居たのは、サレン・デピュティと対邪教徒部隊隊長のルツインであった。
それに加えて、オクリーのよく知る茶髪の溌剌とした美少女が一人。マリエッタ・ヴァリエールである。
「オクリーさんっ」
瞳孔の開き切った茶髪の美少女マリエッタが、満面の笑みを浮かべて近づいてくる。それだけで何となく嫌な予感がした。
(正直、マリエッタが苦手だ。何でこの子は俺にここまで固執してくるんだ?)
オクリーの周囲には堆肥の如き悪臭が立ち込めていたが、少女は嫌な顔ひとつせず彼の傍に立った。サレンが着替えと濡れタオルを用意するよう指示を飛ばし、改めて準備が整ったところでクレスの試みが始まった。
閉じ込められていた地下室は植物と洞窟が一体化したような見た目だったが、こちらの施設は正統派というか、石造りのしっかりとした構造をしている。兵士に取り囲まれながら建物の中を移動すると、血錆塗れの檻が立ち並ぶ異様な空間に到着した。
「ここが実験場だ」
オクリーがよく目を凝らしてみると、檻の底に蹲った人間が何人もいるではないか。多数の足音に反応した彼らは、連行されてきた邪教幹部の腹心の姿を見つけると、檻に縋りつくようにしてオクリーの名を叫び始めた。
「オクリー様っ」
「オクリー様ぁぁ!」
「お助け下さいぃ!!」
鉄格子をこじ開けんばかりにかき鳴らし、助けを求める邪教徒達。彼らはオクリーの内心を知る由もないため、自分達を助けに来てくれたと考えているのだろう。そんな彼らのことを内心冷めた目で見ながら、オクリーはクレス達に目配せする。
「全員アーロス寺院教団の者か?」
「うむ、この者共は魔法実験に都合がいいので生かしている」
「邪教徒の肉体を使った様々な実験を行うことで、戦争を有利に進めることができますからね。クレス様の魔法技術の成長もここでサポートしています」
対邪教徒部隊隊長のルツインが言う。これがケネス正教の暗部。邪教徒と比べると随分と拍子抜けしてしまうが、やっていることは大小変わりない鬼畜の所業である。
勝利への手段に直結するとはいえ、人体実験など国家主導で行っていい行為ではない。無論、そんな温い道徳でこの戦争を止められるとも思えなかったが。
「
ケネス正教に協力的な姿勢をこれから見られてしまう以上、捕縛された邪教徒達は全員始末するしかないなとオクリーは思う。それに、ポークのソンビがここに紛れ込んでいた時点でアーロス達に内容が伝わり、一環の終わりでもある。
そんな疑念をサレンはばっさりと切り捨てた。
「もちろん確認済みだ。この場には……いや、この聖都サスフェクトには、ポークのゾンビは一体として紛れ込んでいないと断言しよう」
「どうして断言できるんだ」
「私の炎の能力を知らぬわけではあるまい。燃え滓や灰を振りかけるだけで、ポークの操り人形は自壊する。煮沸を施した水にも炎の特性が残留するから、これを使うだけで判断には困らないんだよ」
サレンは懐から小瓶を取り出す。『聖水』と呼ばれるそれは、聖都サスフェクトの地下で製造される対邪教徒用のキーアイテムだ。ケネス正教徒には軽微な癒しの効果を与え、異教徒には全身を焼け爛れさせるような致命傷を与えるとされている。使い方は火炎瓶の投擲にも似ていて、応急的な回復薬として使われることも稀にあるとか。
ただし、洗脳されたセレスティアのように、不死鳥の炎や聖水の効果を全く受け付けない者もいる。孕み袋出身のオクリーに対してサレンの炎は特効だが、被洗脳者に対してはやや脆弱な面があるとされていて、決定的な手段とはならない場合もあった。
オクリーも『聖水』をお目にかかるのは始めてだ。この小瓶が支給されているのは、一部の兵士や対邪教徒部隊の者に限られる。そんな背景もあって、これを使用される場合があるのは、北東支部の邪教徒や潜入諜報員くらいなものだろう。
それに、異教徒にとって『聖水』は一撃必殺級。その小瓶の正体を知る前に死んでしまうのが大半だった。
「それに、万全を期して、ここにいる邪教徒は今日全て処理する予定だ。この実験場に関わる者達も、情勢が落ち着くまでは聖都サスフェクトの一定範囲から外には出させない」
サレンが言い、小瓶をしまう。あらゆる情報漏洩を恐れてのことだろう。
「では、話を戻させていただく。クレス様は先月、最も実験成功に近づかれた。しかし……」
ルツインが顎でしゃくる。その先にいたのは、虚ろな表情をして両膝を抱え込んだ男だった。自我が崩壊して使い物にならなくなったらしい。邪教徒の生きた身体自体はまだまだ貴重なため、処分するかどうかの判断をしかねている状態だとか。
「……あと一歩のところで、この通りだ。脳の複雑すぎる回路を弄り回して、邪教崇拝と教祖アーロスへの忠誠心をだけを消すってのは難しすぎた。出力をミスって人格部分を……」
「言うまでもなく、セレスティア様に廃人になってもらっては困ります。千里眼を持つ君から助言を頂きたいのですよ」
この場の誰もが、実験台にされる人間を見て何も感じないはずがない。全員が不幸なのだ。マリエッタのように心を壊してしまい、二度と元の性質に戻らない者もいる。この戦いを何年も続けられる余裕はない。早く決着をつけなければ。
「俺は魔法なんて使えないし、クレス本人にしかコツなんてものは分からないんだろうが……力になれるかもしれない」
「ほんとか!?」
「……サレン、クレス、ルツイン、来てくれ」
「あたしは?」
「……マリエッタはそこで待ってろ」
「何でですか」
「多分、君じゃ分からない……」
「…………」
仲間外れにされて絶望の表情をするマリエッタを放置して、オクリーはこの場にいる役職持ちである三人を招集し、軽く円陣を組んだ。
この三人を集めたのは、オクリーが「かなり頭の回る者達だ」と判断したからである。マリエッタはいない方がいいと判断した。
オクリーは原作の描写を記憶の中から掘り起こし、クレス・ウォーカーの『洗脳返し』の核たるテキストを抽出した。
――アーロス寺院教団、並びに教祖アーロスを心の底から信ずる者共にとって、どうしても耐えられぬものがある。彼らの神アーロスを穢し、その教義や理想を踏み躙ることである。どんな宗教を信ずる者にとってもそれは信じられぬほどの無礼と冒涜であるが、ことアーロス寺院教団を背景に持つ者にとっては常軌を逸した怒りを掻き立てる行為となる。
それは文字通りの異常。熱心な宗教家という言葉を超えるほどの猛烈な怒り。敬意や尊重を欠いたせいだとか、そういう理由付けの次元を超越して、まるで人為的にスイッチを押されたかのような暴走が彼らの身体を襲うのだ。
真に敬愛するものを貶された時、人は怒りに狂う。怒りは人間の視野を狭め、時には痛みに対する耐性を獲得させる。アーロスは洗脳によって邪教徒を怒り狂わせやすくすることで、敵対者たちとの闘争を更に誘発させようとした。
信者の人為的な洗脳と、それに起因する脳細胞の異常な活動。洗脳が色濃く発露した者については、特定の単語の組み合わせを聞かせることで、異常活動をしている脳組織を感知することができるはず。
――確か、こんなテキストがあった。クレスの推察だったか、三人称視点の地の文だったかは忘れてしまったが、そんな内容だったのを覚えている。
つまり、単純に脳を弄るだけではダメ。外部から刺激を与えてやらないと、有効な部位を探り当てることはできないのだ。
実際、脳腫瘍の患者を守るため、手術中に言葉を喋らせたり、楽器を演奏させたりする場合もある。クレスの『洗脳返し』が失敗してきたのは、電撃を当てる部位を誤っていたが故だったのかもしれない。
(多分、自我を崩壊させてしまったのも、電撃を当てる場所を間違えたからだ。少なくとも、これで場所に対する失敗はなくなるはず……)
オクリーはそう推察し、クレス達に向けて助言した。
なるほど、脳機能をそういった風に利用するのかと感心したクレス達は、早速邪教徒を相手に新たな『洗脳返し』を敢行し始める。
アーロスという彼らの神を辱められた邪教徒は怒り狂い、犬のように哭いてサレンに食ってかかった。
そんな信者の身体を押さえつけ、頭部を鷲掴みにするクレス。彼は通常時との脳の違いがあまり分からないといった風に首を捻った。「怒りが足りないのかも」オクリーが言うと、すかさずルツインが叫ぶ。
「皆さん、罵倒が足りないようです!! もっとアーロス様を貶してさしあげなさい!!」
兵士達もそれに続いた。
「アーロス死ね!」
「キショい仮面してんじゃね~よ! 信者がキモければ教祖もキメェんだな!」
「気持ち悪ぃナルシスト」
「あたしの大好きな人を返してください」
「善人ぶって人の命を使いつぶして未来の英雄気取りですか!? やりますね」
「人生の一発逆転夢見てカルトなんか作ってんじゃねぇよ!」
「うがああああああああああ!!」
普段から邪教徒と戦ってきたせいか、兵士達の罵倒のキレが非常に鋭い。刺さる発言があったのか、押さえつけられた男の怒りは更に燃え上がった。
すると、脳内に微弱な電撃を当ててレントゲンの如く観察していたクレスは、憤怒によって異常反応を起こす部位を発見した。
「お、オクリー! あったぜ、異常反応する部位!」
「そこが洗脳によって汚染された核部分だ!」
「了解っ」
クレス・ウォーカーは既に脳回路への介入方法をある程度心得ている。攻撃箇所さえ絞れてしまえば、あとは容易い。赤髪の大男の全身から紫電が迸る。固唾を吞んで見守る兵士達に緊張が走り、痺れるような空気の震えが実験場に行き渡った。
「……やったか?」
サレンの凛とした声。隠せぬ期待感に弾んだ声の先、クレスはピクリとも動かなくなった邪教徒の上から退いた。
「分からねえ。分からねえ……が、手ごたえはあった」
「そういえば、確かめ方はどのように? また怒らせるのですか?」
「それは……お、おい、動いたぞ」
兵士達が帯刀した武器に手を添える。上体を起こした男は、澄んだ目で周囲を見渡していた。
「……ここは……?」
これまでの狂犬の如き正気を失った様子とはかけ離れて、一見すると落ち着いている。オクリーとクレスは顔を見合わせる。オクリーとて、洗脳が解消したか否かを確かめる方法は考えていなかった。まさかこんなすぐに上手くいくなんて。そんな困惑の方が大きかった。
クレスが懐から小瓶を取り出して、中身を垂らしてやろうかとジェスチャーしてみるが、サレンの制止が入る。
「この男は元ゲルイド神聖国の民、元ケネス正教徒だ。つまり、洗脳に洗脳を重ねて今この状態にある。私の炎がどう反応したかは有効な判断材料にならんだろう」
「そ、そうか。……確かに、今は洗脳が解けているかをじっくり確かめて、セレスティアの場合に活かせたらいいわけだしな」
しかし、手応えはあった様子だ。クレスは男の様子を注視して、己の手を何回か開閉してみせる。
「……いや、助かったぜオクリー。コイツが邪教崇拝をやめたかどうかは経過観察して確かめるしかないけどよ、かなりビビッと来たもんだ」
クレスは大きく笑ってオクリーの肩を叩いた。満身創痍の身体が折れそうなほどの悲鳴を上げるものの、オクリーはやっと正教幹部に認められたのだと思って少し頬を緩ませた。
そんなクレス達の傍ら、サレンとルツインが小声で会話していた。
「……既にオクリーが嘘をついている可能性は限りなく低いですぞ。恐らく男の洗脳は解けているし、クレス様も納得しているご様子です。本当にマリエッタの
オクリーは本当に正教のために行動している。クレスを小手先の嘘で騙せるとは思えない。信じられぬことではあるが、彼の助言は『洗脳返し』を完成に至らせたのだ。もはやマリエッタを使って下卑た真似をする必要もないように思える。
しかし、妄想の中で鍛えてきた寝技を想い人にぶつけられる場面を直前でキャンセルされるなんて馬鹿な話が、あの少女に通じるはずもないのだ。
「正直、ない」
「では……」
「あの小さな化け物を抑えるには、もう発散させるしかないのだよ」
「えぇ……それはオクリーが流石に可哀想では?」
「……知らん。もう知らん。何故私があの小娘のことでここまで胃を痛めんとならんのだ。やらせておけ。万が一、オクリーの化けの皮が剥がれるということもあるからな」
サレンは少女の性欲を一旦は消費させ、冷静にさせたところで首輪をつけようと考えていた。かのサレン・デピュティも、マリエッタのことになるとかなり投げやりである。
そして、その話を密かに聞いていたマリエッタは精気みなぎる血眼で言った。
「あたしはやりますよ」
何もかもをはき違えている。サレンはこめかみの辺りを押さえながら、ふらふらと数歩後退して壁に寄りかかってしまった。アーロス・ホークアイと戦った時よりもダメージを受けているように見える。
彼女はルツインに対して「少し休む」とか細い声で言い残し、部屋から消えていった。
何となくの事情を察していたルツインは、邪教徒以外のことにリソースを割かなきゃいけないのは大変だなぁと呑気に思った。