「トウ、あなたもたった今から私の妹です!」
「……」
初めて出会った時、彼女は……小隊長は。私を妹呼ばわりしてきた。
はっきり言おう。不愉快だった。
「物事は俯瞰的に見るものだよ、状況を整理しよう。一つ、私と君は今日初めて出会った。二つ、あいにく私は天涯孤独だ。三つ、君と私の間に血縁関係を示す要素はない。以上のことから、君と私は姉妹ではないということになる。わかるかい?」
何せ、私がせっかく諦めることができたっていうのに。やっと独りになれると思ったのに。ずけずけと、無遠慮で。
「そんなもの、姉妹の絆の前には無力なものです」
「存在しないものを捏造しないでもらえるかい?」
加えて目を閉じしみじみとそんなことを言うのだから、これで腹を立てるなという方が無理がある。
「……まず君は何者だ。何をしにここに来た」
「私はおねえ」
「それはもう聞いた……いいか」
何より。
「二度と私の前で、その言葉を騙るな。殴る蹴るじゃ済まなさないぞ」
……私にとって、姉妹と呼べる存在は……あの三人以外、ありえなかった。それが何より、許し難いことだった。
「……ごめんなさい。いきなり押し付けるのは良くなかったですね。そちらは、少しずつ……ひとまず、今の時点での自己紹介をさせてもらいますね!」
「……まあ、いいだろう」
小隊長は何度も私の顔を見つめて、少しバツが悪そうな顔で謝罪を口にした。後半、明らかに諦めていなかったのが少し気になりはしたけれど、それ以上よくわからない話をしたくなかったから、右から左へ流した。
「改めて、私の名前は桐花スオウ。この度小隊長に任命されました!立場上は、あなたの上司にあたりますね。第三分隊長、余羽トウ!」
「……何故、私の名前を……いや、いい」
その質問をした後の展開は、簡単に予想できた。どうせ「それは私がお姉ちゃんだから」とか、そんなことをほざくのだろうと。その程度の予測は容易かった。
「なるほど、小隊長、ね……」
噂には聞いていた。歴代最年少で小隊長に任命された、優秀なんて言葉では表せない生徒がいると。しかし、ぱっと見は私よりいくらか年下に見えた。
「君、歳は?」
「十三歳です!」
「同い年……その割には、随分と小さい……」
「し、身長には触れないでください!少し気にしてるんですから!」
白から焦茶色に、毛先に向けて階調がかかったその髪を乱しながら、不服だと全身でそう表現する小隊長。その姿を見て、少し揶揄ってやるつもりになった。
「その身長で姉を名乗るなど片腹痛い、君にはせめて妹が向いているんじゃないかい?」
「う、うぐっ……!」
「おやおや、これは小隊長などという称号も怪しくなってきたね。そもそも件の神童は訓練用の的を素手で破壊する化け物だと聞いたよ、とても君はそうは見えない。君は化け物どころかアレだ、ハムスターとかそこらへんがいいところなんじゃないかい?せいぜいが化け物の餌だよ、自然選択に従って淘汰されないよう頑張るんだな」
「い、言い過ぎですよ!」
やたらと、口は饒舌に言葉を紡いだ。ペラペラと、あそこまで話したのは……独り言なんかじゃなくて、誰かに向けた意味ある言葉を発したのは。随分、久しぶりだったと思う。
「……なんだい?その顔は」
小隊長は、小さく口元を緩めていた。ニマついている、とでも表現するのかな。
気になって、質問をしたら。
「お話。してくれるんですね」
「っ……!」
そう言った。小隊長は、そう言った。無自覚だった。無意識だった。いつの間にか乗せられて、自然と会話を繋げられて。
「……帰れ」
「……トウ」
「帰れ……!帰れっ!!今すぐに!!二度と私に近づくんじゃない!!」
「……うん。ごめんなさい。今日はもう、帰りますね」
今の私ならわかる。あんなことがあって、あんなふうになって、それでもまだ私は。心の奥底では。
「っ……くそっ、ふざけろ……!もうごめんだ、あんなの……!」
引き裂かれるほどに……隣に、誰かを求めていたんだ。独りでありたい、なんて。そう思ってたはずなのに。
「私は独りで生きる……!私なら、それができる……!」
そんなものは、ただ目を背け続けていただけなんだろう。水面下で、そう知らしめられた。何かが動く感触がした。
◇
翌日の朝。いつも通り、酷く広いボロ屋で目を覚ます。壁にかけられたお守りを眺めると、扉の優しく叩く音がした。気遣うような叩き方だった。心当たりがある。
「……近づくなって言ったよな?」
「は、はははっ……」
「とても不機嫌だ」、体中でそう表現しながら扉を開けると、自分より幾分か小さい視点に見覚えのある顔があった。薄墨色のパーカー……私と同じ制服を身に纏い、そして唯一。小隊長の証である、腕章を身につけるという変化を持ちながら。
「本当に小隊長だったのか……」
「はい、そうですよ!そしてお姉ちゃんです、お忘れなく」
「……はぁ……そうかい」
正直、反応するのも面倒くさかった。だから流した。「今認めましたね」とか言われると思ったけど、そんなことはなかったらしくて。
「大丈夫ですか?よく眠れてないんじゃ……」
「触れるんじゃない。撃つぞ」
どこか、憚るような態度だった。どうせ気を使うぐらいなら最初から来ないという選択肢はないのか。そう思わないでもなかったけど。
「……で。何故来たんだ?」
苛立った口調のままに質問した。あれだけ釘を刺したのに、昨日の今日だ。何か理由はあるはず。たとえ相手が、理解の外側に在る狂人であろうとも。
「特に理由は」
なかったらしい。私は心底怯えた。あそこまで心が動いたのは、それこそ数年ぶりだったはず。
「君はひょっとしてあれかい、言葉の意味も正しく理解できていない愚か者かい?」
「ひ、酷い言われようですね!?」
過剰な反応だった。オーバーな、感情が豊かに伝わってくる。要するに、わかりやすいやつ。
私としては、別にやりやすかったなんてことはなくって。特に堪えてないとわかって、途方もない気持ちになった記憶がある。
「……まあその、昨日言いそびれたことがありまして。私は小隊長。四つの分隊を率いて、それぞれに指示を出す立場にあります」
「……そうだね。その通りだ。話には聞いているよ」
分隊は、私たちの代では八隊。うち半分を目の前のおかしな奴が、そしてもう半分……私を含めた、一から四分隊は、教員から任命された小隊長が務めることになる。
「だが、私は君の管轄にない。こちらの小隊長と矛盾した命令に従う義務はないぞ」
「……命令、ね」
これこそが、当時の小隊長……桐花スオウの異質さとも呼べるものだ。あの時点で、比較的優秀な教員に比肩し、そして超越する実力を持っていたということ。
「そう、命令だ。教えと言い換えてもいいかもね。……君も知っているはずだ。いや、そうでなくてはおかしい。Vanitas Vanitatum et omnia Vanitas、と」
そして。
「いえ、私……その教え、信じてないので!」
「……何?」
小隊長として認められるほどの忠誠を見出されておきながら、反抗的な思想を持ち合わせていたこと。
「問題発言だぞ。外部に漏れれば懲罰は免れない」
「はははっ、そうかもですね?」
「……本当に、狂っているのか?」
素直な感想を言って、瞬間。這いずるような視線を感じた。じっくりと、見定めるような目だった。その場にいるだけで、鳥肌が立つような。
端的な言葉で言い表してしまえば、というより砕けた言葉を使えば……キモい視線。
「……うん。トウ、あなたは……あなたは、どう思ってるんですか?」
そうして、質問には質問で返された。お前はどう思っているのか、と。すぐに、合点がいった。
「……小隊長殿。あまり試すような真似はしないでくれたまえ。心配せずとも私は反抗の意思などないさ、全ては虚しいもので」
「あ、そういうのじゃないです。ちょっとした、雑談みたいなものだと思ってください」
雑談。気楽に話す、四方山話。ここアリウスにおいて極めて重要なファクターを、そんな扱いで話そうとしていて。
「君は……」
はじめに抱いたのは、疑いだ。当然だろう。相対するのは、アリウスの教えに染まった小隊長。そう思っていたんだから。
けれど、どれだけ思考を巡らせても……その意図が掴めなくて。
「……答える必要が?」
「無理にとは言いませんよ。ごめんなさい、変なこと聞いて」
答えをはぐらかすしかできなかった。深い理由があったわけじゃない。ただ、考えたことがなかったから。
はっきり言って、どうでも良かった。教えも、復讐も。ただ、ただ無気力に生きていた。誰と関わるわけでもなく。諦めたはずの誰かの帰りを待ち続けた。
「君は、まるで違うね。私たちの小隊長とは」
いや、少し違うか。帰り道を探していたのは、私の方だったから。
「どんな人なんですか?あなた達の小隊長って」
特に意図したわけでもない呟きに、小隊長の纏う雰囲気が変わった。ピンと張られた糸のような、今にもちぎれそうに尖った神経をこちらに向けてきたんだ。
「……どんなやつ、か」
どんなやつ。ある程度の実力と指導力、そして指揮力を持ち合わせる以外は、ここの一般的な教員とさほど変わりない。人を人とも見ていないような。
「普通のやつだよ」
そう、普通のことだ。あそこでは普通のことだった。それが普通で、小隊長が異常なんだ。ああいや、第四分隊長も似たようなものだったし……そうだったよな?あまり覚えてない。人に関心を持たないように努めていたんだから、仕方がない面もあるだろう。
「ふむ……」
吐息のような相槌が聞こえた。小さな、小さな。吐き捨てるような。大きな怒りを孕んだ、相槌が。
私に向けられたものでないことに、心から安堵してしまうほどに。
「……しょう、たいちょう?」
「はい、お姉ちゃんですよ!」
少し声をかけただけで、それは一瞬で霧散した。壊れたビデオテープを再生しているような気分だった。
一瞬、幻覚か何かを見たんじゃないかと疑ってしまったくらいだ。
「っと、もうこんな時間……トウ、ごめんなさい、私この後用事があって……いなくなっちゃうんですけど、大丈夫ですか?」
けれどあんまり小隊長がいつも通りで、なんの気なく話しかけてくるから、それについて触れる隙はなくなってしまった。
「……構わないよ。そしてそのまま二度と来るんじゃない、ゴートゥーヘル」
「こら、人にそんな言葉を使っちゃいけません!……それじゃあ」
小隊長は扉に手をかけて、こちらを向いて、最後に一言。
「またお話しましょうね!」
「っ……!」
───また乗せられた。
今思えば、小隊長の掌の上だったと思う。気付けば彼女の話に、彼女のペースの巻き込まれて、いつの間にやら話し込んでいる。
「……なんで」
自分の中途半端さに、嫌気がさした。
「もう、やめてくれ……」
あの時と同じような、心臓に深々と突き立てられるような痛みと。体を蝕むような暖かさが、じんわりと、侵食するように広がって。
「私は、もう……二度とだって……」
一人じゃ使わない、客人用のカップ、椅子。普段より煩く聞こえる、時計の針が時を刻む音。私じゃない誰かの、靴の跡。
全部が、鬱陶しくて仕方がない。言い聞かせた。
◇
一日開けて、また一日。一つ日を飛ばしてから、早朝。小隊長はやってきた。
「……帰れ。今日は入れない」
「ありゃ……」
私は完璧な対策を思いついていた。小隊長にこれ以上心をかき乱されるのはごめんだ、と。
簡単な話、会話なんてものは相手を招くからこそ成立するんだ。最初から拒絶してしまえばいい。加えて、無視を続ければ。
「と、トウー?私何か怒らせちゃうようなことしましたか……?あ、あの、開けてくれると嬉しいなー、なんて」
まだ眠かったから、耳を塞いで布にくるまって、対話を拒絶し続けた。扉には板を立てかけて閉じてやった。あの狂人は私の家を壊すようなことはしないと、そう思って。
「そうだ、これで良い……最初から、これで……」
「……むぅ。仕方がないですね」
事実、それは正しかった。
「よい、しょっと」
ただ予想外があったとすれば、壊さないだけで分解はするということぐらいだ。小隊長は、当然のように扉を外して部屋に入り込んできた。
「なっ、あっ……!」
驚愕のあまり口をパクパクさせていると、わざわざ丁寧に扉を布で拭いて、下の位置にはめ直して、それから板を取り外し……何故だか、改めて外に出て、扉を開けて入ってきた。
「おはようございます、トウ!」
「おまっ……ちょ、えぇ……?」
目の前で起きた情報をなんとか処理し切って、それでも驚愕は収まらない。というよりも、どこから指摘すればいいかわからない。
何故そこまでして部屋に入ってくるのか、何故そんな簡単に扉を外せるのか、何故一度出てから入り直したのか。たくさんの思考が頭を駆け巡っているうちに、不審者の侵入を許してしまった。
「朝ごはんはちゃんと食べましたか?これ、お裾分けです」
麻布に包まれた何か……後で確認したら野菜だったけど、それを机の上に置いて、椅子を引いて座った。
「……いや。いやいやいや、いやいやいやいや!!ちょっと待て!!まず二、三箇所指摘させろ!!何もかもおかしいだろう、何を平然としているんだい!?」
この辺りで、完全にフリーズしていた私はようやく復帰した。人とは理解の外側へ連れていかれると動けなくなってしまうらしい、良い知見を得た。
「……トウ、おかしいことなんて何一つありませんよ。扉が開かなかったから点検がてら少し掃除をした。それだけです」
「その顔をやめろ、ムカっ腹が立ってくる!!なんだそのドヤ顔!!」
眉毛を外側に向けて鋭角で下ろし、口角を片側に偏って引き上げながら、頓知のような理屈を並べ立てて来て。
「……ああ、もう!」
仕方がなく、カップに入れて水を出してやった。
「それ飲んだら帰れよ!」
あれだけ苦悩して、あれだけ決意して。そんなものを、小気味良い爽やかな笑顔で跳ね除けられて。なんだか力が抜けてしまって、それ以上抵抗する気力も起きなかった。
「飲まなければずっと居ていいんですか?」
「その時は君ごとこのカップを爆発させてやる」
流石にその後に続く発言は容認し難かったけど。まあなんというべきか……要するに。抵抗は無意味だと悟ったんだ、私は。
「じょ、冗談ですから銃を下ろして、ね?お姉ちゃん痛いのは嫌ですからね?……ありがとうございます。いただきますね」
「別に構わないよ。私とて分隊長、ある程度融通はきく」
独りで生き延びる、ただそれだけのことで、私はずいぶん強くなった。分隊長ともなれば支給される金も増えるし、多少の意見は許される。生活には困らなかった。
「そもそも、こんな早朝から何の用だ。この後も訓練に、分隊によっては任務が……」
「特に理由はないですよ?ただ様子を見に来ただけです!」
カップの水を飲まず持ち込んだ水筒の水を飲み始めるという不正を働きながら、小隊長はそんなことを宣った。
「それだけのためにこんな早い時間から?」
「そうです!」
「見つかれば、疑われてもおかしくないのに?」
「そうです!」
「扉を外してまで?」
「そうで、それはすみませんでした!」
「……頭がおかしいんじゃないか」
もはや何度目になるかもわからないが、何度積み重ねてもそう思えてしまったんだから仕方がない。小隊長は、何度だって私の予想を上回って来たんだ。
「……嫌、でし」
「嫌だね」
「返事が早いです!!まだ言い切ってすらいませんよ!?」
目を潤ませ、指を前で組む。そんなわざとらしい演技が鼻について、少し早めに返事をした。
「まあ、いいじゃないですか。こうして、のんびりした朝も……ね?」
「……」
───どの辺りがのんびりしてたんだろう。
喉元まで出かかった言葉を水で流し込んで、なんとか抑えつけた。少なくとものんびりはしていない、慌ただしい朝。いつもとは違う、やかましい朝。
朝日と共に降りる静寂も、孤独を知らしめる耳鳴りも、その時だけはなくって。
「……知るか」
でも、そんなことを伝えることはできなかった。それを伝えてしまえば、戻れない……ううん。戻ってしまったんだ。それを伝えてしまえば、すぐにだって。
「そうですか……あ、そうだ。トウ、お土産があるんですよ、ほらこれ」
「……なんだ、これ?」
「漫画です」
「規律違反コンプリートするつもりかい?」
小隊長の違反回数はたった三回出会っただけで、かなりのものだった。噂というものはアテにならないのだと、その時知った。何せ神童の実情は、姉を名乗る狂人だったのだから。
「なんだ、これ……ファルコンボール?」
「読めるんですね、文字。えらいえら、いたい!?発砲はやめてください!?」
「余計に弾薬を消費してしまったね、後ででっち上げて報告しなければ……」
いよいよ堪忍袋の尾が切れて、撫でようとする小隊長の手に向けて発砲した。その時だ。
「……血?」
血の匂いがした。小隊長の手元から。先程まではしなかった、というより……やけに強い、消毒液の匂い。それを覆う手袋で誤魔化されていた。
「すまない、強く撃ちすぎたみたいだね……まあ、君なら擦り傷だろうけど。一応診てやる、手を貸せ」
「いえ、大丈夫です。このくらいならすぐに治りますから」
「そういうわけにもいかないだろう、寄越せ……おい、よこ、力強っ……!」
小隊長の手をひったくろうとしても、それはうまくいかなかった。あまりに力の差がありすぎて。やはり彼女は件の小隊長で間違いないんだろうと、その時確信した。
ただ、それならそれでやりようはあって。
「大体なんだこの手袋!!この前つけてなか、った、ろ……」
それが間違いだった。
「……なんだ、これ」
手袋を一枚奪えば、そこにあったのは……血が滲んだ、包帯。赤黒い色の中に、鮮血が散っていた。先程、発砲した時に傷口が開いたのだろう。
「あー……まあ、色々あったんです。気にしないでください。あ、もうそんなに痛くないから大丈夫ですよ!はははっ」
嘘だ。そんなはずがなかった。あの傷は、あの独特の傷のつけられ方は……懲罰を受けた時のものだ。覚えがある形だったから。
「すまな……ごめん、なさい……私、気付かずに……」
そんなことを露知らず。普段通りの接し方をする小隊長に、追い討ちをかけるように。
「大丈夫ですよ。私はこのくらいへっちゃらです。お姉ちゃんですから」
でも、よく考えてみれば小隊長はあの手で扉を外したり、割と好き勝手やっていた。じゃあ、大丈夫なんだろう。私は自分にそう思い込ませた。
今ならわかる。そんなはずがない。あの時、小隊長がいつも通りに見えた由来は……その強靭な精神力。それ以外の、なにものでもなかったんだ。
「それより!このファルコンボール、すっごく面白いんですよ!所々ページは抜けてますけど、何より特筆するべきはその構図で……!」
その後、私は心ここに在らず、といった感じで話を聞いていたと思う。抵抗する気力もなかった。
「何なんだよ、もう……」
理由は簡単だ。
「頭の中がぐちゃぐちゃする……!!」
言葉で言い表すこともできないぐらいに、かき乱されて。それでも尚、気にせず話し続ける小隊長に……あの時、初めて。少し、絆されたんだと思う。
◇
それから、小隊長は何度も私の家に来た。
「ファルコンボール、どうでした?」
「読み方がよくわからない。どういう順番で読むのが正解なんだ、これは」
「あー、そこからかぁ……」
ある時は、小隊長が無理矢理押し付けていった漫画の感想を聞かれたり。
「……その腕、どうしたんだ?」
「力加減ミスりました。ベキっと。痛いので撫でてください」
「それを言う余裕があるなら平気だろう、まったく……」
ある時はもう一人の小隊長と争って、大怪我をして来た日もあった。
「トウ、最近の第三分隊はどうですか?」
「……まあ、ボチボチなんじゃないかな。別に困ったことがあるわけでもない、いつも通りだよ」
ある時は私だけでなくて、第三分隊の様子を聞きに来たこともあった。
色々な会話があった。他愛もないことから、真剣な話まで。いつしか、毎朝小隊長が訪れるのが日課になっていた。私はいつも塩対応で、それでも小隊長は毎日訪れていた。
そして、三ヶ月を過ぎた辺りで、そんな日々にも居心地の良さを感じて。私は気づいた。同じだ。あの時と。
「おはようございます、トウ。今日は」
「……いい加減に、しろ」
「……トウ?」
あの時もそうだった。自分でも気付かないうちに、首元までどっぷりと。ただ同じ時間を過ごす、それだけの誰かがいる。そんな毒にいつのまにやら長く浸かって、侵されて。
「いつまで私に構うんだ……もう、独りにさせておいてくれ……」
そしてその毒に依存して。そしたら、突然取り上げられる。もうそれ無しではいられないなんて、そんなところまで追い詰めておいて。
「……私が嫌なんです。トウを独りぼっちにさせておくのが。それに、私は妹と一緒に」
「
どれだけ綺麗事を並べ立てても、無害なんてふりをして近寄ってきても。
「どうせ……どうせいつか……!!私の前からいなくなるくせに……!!」
私にとってはどこまでも、孤独を与える毒でしかない。
「なんだ……!なんなんだ、お前は……!お前のせいで私は……私は……!!」
独りでいられないから、何かに依存した。そしたら、いざそれが無くなったら……独りで立ち上がることさえできなくなった。私は、それをよく知っていた。
「これじゃあ……!また、結局……!」
文字通り、骨身に染みて。
「トウ……」
「それなら、最初から誰もいない方がマシだったのに……なのに、お前が……!お前のせいで……!」
八つ当たり。ただ、それでしかなかった。あの時、小隊長に放った言葉は。
「お前なんかがいるせいで、私は……!また、独りになるじゃないか……!!」
それでも、あんな魂を貫かれたような空っぽは、もう味わいたくはなかったんだ。
「ふーっ……!う、うぅ……!」
怒りを吐き出すような荒い呼吸と、滲み出てきたような涙が混ざり合わさって。耳の周りがザワザワして、誰の声も聞こえなかった。
「トウ、落ち着いて」
それでも。誰かの手を握る感触がした。
「私に合わせて、ゆっくり息をしてください」
そんな不安定なものに縋るしかなかった。いつか崩れ果てて消えてしまうようなものだったとしても、それを支えに息をするしかなかった。今日という日を、過ごすしかなかった。
「……うん。上手です。もう大丈夫。座って、少し休みましょうか」
それでしか、あの虚は誤魔化せなかった。
「……」
しばらくの間、小隊長は何も言わずに横に座っていた。距離感が近いことが気になったけど、抵抗する気力も起きなかった。
「……人は……人は、ね?」
そうして、小隊長は口を開いて。
「いつか、必ずいなくなります」
「っ……!」
これでもかと残酷な現実を、私に容赦なく突きつけてきた。わかりきっていたことを。
「お引越しとか。成長とか。喧嘩とか。死別とか。時間にも、別れ方にも違いはあるけど。いつか、絶対いなくなる。あなたが目を閉じる、その時には」
たとえどんな生き物でも、例えば目の前にいた姉を名乗る異常者だって。無敵に見えたって、そうじゃない。命があって、寿命がある。当然の摂理を説かれた。
「それはきっと、覆すことなんてできない」
「……」
でも、それじゃあ。だったら、そんなのは。こんな世界は。
「だったら、こんなところ……辛いだけじゃないか……」
何度も人と出会って、別れを繰り返す。命尽きる、その瞬間まで。時には、自分が相手にも同じようにする。そんなもの、無間地獄と変わらない。
あんな痛みを、何度も、何度も、何度も繰り返す。
「……でも。でもね、トウ。それでも……何も残らないわけじゃ、ないんです。絶対に」
でも、今はわかってる。それは違うって。それだけじゃないんだって。
「思い出が。記憶が。言葉が。表情が。声が。一つ一つ、私たちの中に残されて。同じように、誰かに伝わっていく」
人と関わることは、誰かと一緒にいることは。別れのためにあるわけじゃない。
「誰かを失った孤独は、他の誰かでは埋まらない。でも、代わりにその穴を満たしてくれる。もっと、他の感情で。他の時間で。片時だって、忘れないように。生きるって、そういうことなんです。出会って、別れて。それを誰かに伝えていく。それがきっと、生きるってことなんです。トウ」
「……だから、なんだ」
むしろ、逆で。誰かと居たことを、誰かが生きたことを、ただ他の誰かと共有して。無意味なように思えるそれは、確かに私の中に何かを模って。孤独を満たしてくれる、何かになる。それがあるから、人は生きることができる。
私も人に同じようにして。それらは全て、繋がっていく。誰一人だって、取りこぼさないように。それがきっと、別れが確約されていても……人が、誰かと共に在る意味なんだ。
「だから、トウ……独りで生きるなんて、そんな寂しいこと……私の目が黒いうちは、もう言わせませんよ。あなたには、生きていて欲しいから」
「……そう、か。好きにすればいいさ」
でもその時の私は、まだしっかりとは理解できていなかった。辛いものは辛かったから。だから素っ気ない態度で、それだけ伝えて。
「なんて、黒いのは片方だけなんですけどね、はは」
「だったら、約束しろ」
「っ……?」
冗談めかした小隊長と、確かに交わしたんだ。
「私が独りじゃなくなるまでは……死ぬんじゃない……」
「……」
「お願い、だから……絶対。絶対に、だ……」
「……うん。約束しますよ。できる限りは、死にません。少なくとも、トウが……みんなと一緒に、生きることができるまでは」
あの約束を。
◇
だというのに、今。小隊長はそんな約束も放り出して、独りで命を投げ捨てようとしている。
「ごほっ……!流石に、強いね……!」
「トウちゃん、だいじょーぶ!?」
今の私には、仲間がいる。一緒に戦う、他の小隊長達や……分隊のみんなが。
「……ああ。この程度、問題ないさ!」
確かに、小隊長は約束を果たした。今日という日まで、死ぬことはなかった。……それでも。
「だからって死ぬことを許した覚えはないよ、小隊長……!」
だからいなくなろうとするなんて、自分勝手にも程がある。
「このアンブロジウスは私が受け持つ!ヨセ、君は他のフォローに!!数人、こちらに援護を!!」
「わかった!!」
あの時自分で説いた教えを実現できていないんだ。後で説教でもかましてやろう。そのためにも。
「頼んだぞ……!スクワッド!!シャーレ!!」
私は戦う。みんなと一緒に、戦って。戻ってきた小隊長に、それ見ろ、私はもう独りじゃないぞって。だからお前も、いい加減そんな顔はやめろって。そんな顔で、一緒に生きる。それだけのことをしたいから。