初めて出会った日のことは、今でもはっきり覚えてる。あいつはもう、覚えちゃいないんだろうが。
「おい。着いてくるんじゃねぇよ」
「……」
「……ったく……変な拾いもんしちまった」
気まぐれのつもりだったんだろう。あいつにとって、あんな情けは。私が知ってるあいつは、そういう人間だから。
もしくは、自分にとって邪魔くさい誰かがそこにいた。それだけなのかもしれない。
「いいか、よく聞け。着いてくるのは勝手だが、テメェの明日は自分で拓け。テメェは一人。何があろうと、助け合いはナシだ。わかったか?」
「……わか、った……」
それでも、私は、ちっぽけな私は。あの気まぐれに、情けに……その奥底にあった、
「で、お前。名前は?」
「……ヤコ」
「そうか、私はサウだ。よろしくな、ヤコ……って、おい?」
その名前が、誰に付けられたものなのかは覚えてない。大した意味はないのかもしれないし、もしかしたら誰かの願いが込められてるのかもしれない。
後者なら、それだけでも充分に幸福だと思えたのだろうか。自分の人生に、意味があると思えたのだろうか。
「……おなか……すいた……」
「……はぁ……お前、話聞いてねェな?」
それでも、私にとっては。
「……はぁあああぁあああ……今日だけだからな。明日倍にして返せ……いや。この恩を一生かけて返しやがれ」
あの日、恩着せがましい言葉と共に与えられた、たった一欠片のパン。使い古された水筒。私の体には、大きすぎる缶詰。
腹を満たした。初めての味だった。初めて、誰かに分け与えられた。
「……倍、って?」
「あァ?そりゃテメェ、これと同じくらいモンがもう一つ……」
「わかった」
「……敬語くらい……まァいい」
それらが、どれだけ私を拾い上げただろう。私を飢えた獣……いや、獣なんてたいそうなものじゃない。ただ、腹が減ってたんだ。それだけだった。
そんな存在から、ただの気まぐれが私を人間に仕立て上げた。
名前なんかがあったところで、その時までの私には、何の意味もなかったことだ。それを呼ぶものさえ、私にはいなかったんだから。
「……着いてくんだろ?勝手にしやがれ、ヤコ」
「うん……」
私の横には、あいつがいなきゃダメだった。私は誰かに支えられて、やっと一人の人間で在れた。
◇
「おい。おーいー?今日倍にして返せつったよなぁ?」
「ひ……ん……」
それはそれ、これはこれ。あいつは翌日、宣言通りに倍の見返りを求めてきやがった。今の私ならバックれてる。
「おい、跳ねろ」
「ん……あ……」
「おいおい、なんか音がしたな?なんだ?何持ってやがる」
まあはっきり言って、後悔してたんだろう。自分の選択を。人間、気まぐれでやった行為を後悔するなんて、往々にしてあることだ。
「か、缶詰……昨日の……」
「……チッ。返品は受け付けてねェ。が、それを二倍の中に含めてやる。こいつは担保として貰っとくぞ。残りをさっさと持ってくるんだな」
「あ、あい……」
小粒の雨が降る中、私は外へ放り出された。体から、血の気が引くような感覚。長時間外にいることは、得策じゃないとわかった。
それでも、いつもよりは随分活動しやすかった。何せあの時、私はもう随分長いこと碌なモノを口に入れていなかった。木材や葉を歯の奥で噛んで、そうしたら残り滓のような唾液が出る。それで渇きを誤魔化して、満腹感を作っていた。
「……おいしかった」
そんな私が、いつぶりだろうか。食事というものに……悦びを見出していた。もしかしたら、生まれて初めてだったのかもしれない。
なんであれ、私はサウのやつに恩義を感じていたんだ。踏み倒すつもりにはならなかった。
「あめ……」
所謂、本降り。雨が少し強くなって。ふと、水筒を手渡されていたことに気がついた。慌ててそれを開けて、まだ中身が少し残っていた。
「んふ……」
それがどれだけ、嬉しかったか。
「んっ……これで、よし」
そんな感傷に浸る間もなく、私は雨を集めた。サウが求めていたのは二倍の量だが、元々古ぼけた手作りの水筒は満杯じゃなかった。充分に、二倍の量と言えるだろうと。
古ぼけた建物の中で雨風を凌ぎながら、水が貯められていくのを見つめた。私の心も満たされるような気分になった。
早めに飲まなきゃまずいだろうが、そこは私たち生徒の肉体。多少の細菌なら問題ないし、場合によっちゃ煮沸する手段も持ち合わせていた。
水を集めたんだから、次は食糧だ。私が渡されたのは一欠片くらいのパン……今にして思えば、自治区の連中から取ってきたんだろう。まあ、そんなに量はなかった。
「食べれる、木……あと、葉っぱ……」
……いや、実際に食えるわけじゃないが、その時の私はそれを食糧と認識していた。小隊長に、加えてヨセあたりにも知られたくない秘密の一つだ。
「たくさん、集まった……これで、二倍……!」
当時の私は本気でそう思い込んでいたんだから、言い訳の余地もない。それらを持ち帰って、サウの元へ走った。
「舐めてんのか?」
引っ叩かれた。流石に殴っては来なかった。私に悪気がないことをわかってたんだろう。
「な、なめて、ない……私、これ……あじ、そこそこ……」
「……どれ、ッ……!」
「ね、ね……?」
「これのどこがそこそこだテメェ!!口の中から唾液が出てくるわ!!まっず!!」
食ったら納得すると思っていた私は、急いで扉を開けて出て行こうとした。怖かったからじゃない、ただ……あいつの期待に応えられなかったのが、申し訳なくてどうしようもなかった。
「そもそも木は食いもんじゃ、ッ待て!!逃げんな!!」
続く言葉に、私は足を止めた。
「にっ、にげて、ない……!それ、サウ、きらい……!私、新しいの……!」
「……あァ?」
誤解されていることがわかって、それが私には我慢ならなかった。それだけの理由で慌てて、拙い言葉で事情を説明して。
「ほーほー、そういうことか……確かによく考えりゃ、こいつを持って行かない理由がねェ。なかなか見上げた根性だ」
「……!」
水筒と缶詰を持ち上げたコクコクと頷きながら、私は必死に悪意がなかったことを訴えた。証明するように葉っぱを噛んで飲み込んだり、木の破片を噛んでみせた。
「これ、こっち……できて、すぐ……食べやすい……」
「新芽か……確かに、さっきよかマシだ。柔らかいし苦味もない、付け合わせとして充分……って、そうじゃねェ」
多分思ったよりうまかったんだと思う。一瞬の戸惑いを見せた後、あいつは誤魔化すようにキレた。
「毒の可能性はねェのか?」
「その時は、なかったことにする……!ぺってすれば、問題ない……!」
「……」
深呼吸。言いたいことをまとめて十数個飲み干して、サウはようやく本題に入るつもりになったらしい。
「いいか、そんなリスクを負うよりもずっと良い方法がある」
今と変わらない、悪意に塗れた笑顔で歯を剥き出しにして、私の手を引いた。
年齢は一つしか違わないが、あいつの体は大きかった。自然と、私はその後ろ姿を見上げていた。
◇
そうして私が連れて行かれたのは、アリウス自治区……その中でも、アリウス分校。その近辺だ。
「いいか、処分されるより先に回収しろ」
期限切れの缶詰や、どうしても食えなくなったような食物。
「ここが、楽園……?意外と、証明、簡単……」
「難しい話知ってんじゃねェか……」
五つ目の古則。私はなぜあんなものを知ってたんだろうか。覚えちゃいないが、ともあれ私が知らないだけで楽園はそこにあった。証明終了。
サウが「そんなわけねェだろ」と言って、それでもそこは確かに私の楽園だった。
「チッ……結構取られてんな……」
「うん……しかも、無事に……持って、帰れない」
「……あ?」
確かに普段に比べれば、圧倒的な量の食料。果物の缶詰もあったから、水分も摂取できる。
だが、私は知っていた。そういった、所謂『穴場』のような場所には、ハイエナのような連中が群がっている。いくらここで拾い集めても、それらは簡単に奪われてしまう。
実際、私も似たような経験をした。そのほとんどを持っていかれた上に、体はボロボロだった。
「バーカ。ここを使え、ここを」
けれども、サウには何か策があるようだった。頭を人差し指でトントンと叩いて、それから何事もなかったかのように踵を返した。
私はサウのことを信じ切って、その背中を追いかけた。
「フンっ!!」
結論から言ってその判断は間違いだった。あいつが言っていたのは、両手が塞がっているなら頭突きをかましてやれと、そういうことだったらしい。
「え……あぅ……」
「モタモタすんな!!仲間が集まってくんぞ!!」
「あ、あい!」
私は走った。逃げ足には自信があったから、そこまで心配はしてなかった。
不安にもならなかった。目の前に現れる敵は、サウが打ち倒してくれたから。
「よしよし、飲み込みが早い……単純に二倍の収入……おいヤコォ!!テメェチビだしそんな食わねェよなァ!?」
「っ……や、やだ!いっぱい食べる!!」
「んだと!?じゃあ殴り合いだ!勝った方が総取りな!!」
「やだぁ……!!」
そうして走って、しばらくしたら私が知ってる道に出た。私がサウに出会う前……その日から、たった二日前まで住処にしていた場所だ。
「さ、サウ!こっち!」
「あァ!?」
「んっ……!」
あいつとしちゃ悪意は無かったんだろうが、聞き返し方があまりに恐ろしかった。恐らくあいつは、根っからの半グレだ。
ともあれ、恐怖で息を飲みながら、私は精一杯に自分の知る情報を伝えた。
「こっち、抜け道……!あいつら、知らない……私、だけ!!」
「……ほぉ。良いねェ!!信じるぜ!?」
「あい!」
即座に方向を変えたサウが、私の方に向かってきた。断じて恐怖心から逃げ出したわけじゃないが、私も逆方向に駆けた。たまたま抜け道がそちらにあってよかったと思う。
「こっち!」
「狭っ、て、んだこりゃ!?」
「知らない、お水!お腹、壊す!!」
「飲んじゃダメな水ってことな!?お前、意外と度胸あんじゃねェか!!」
おそらく瓦礫をはじめとした堆積物で水が排出されず、長い年月をかけてそこに溜まって行ったのだろう。
私たちがギリギリ、息をできるくらいの隙間。洞窟のようなその空間は、人によっては恐慌状態に陥ってもおかしくはない。
「ふっ……ふっ……!」
私があの場を見つけたのは、ただの偶然だ。意識が遠のくような感覚、体に水が染み込む不快感、浅く続けるしかない呼吸。押さえつけて、仰向けに、流れに沿うようにその道を抜け。
「ぷ、はっ……!も、もう使わない……!!」
そしたらやっと、敵の追跡を免れた。
「でも、これで……サウ?」
けど、サウのやつはいつまで経っても出てこなかった。もしかすれば、途中で逸れたのかもしれない。
いつ、どうやってできたのかもわからない、私もたまたま見つけただけの地下通路。サウが自力で出口を見つけられる保証なんて、どこにもなかった。
「っ……!」
そもそも、私が知っている道もたった一通り。サウがどこへ行ったのかさえわからないのだから、私も知らない道を彷徨わなければならない。
「……待って、て」
それでも、私は恩義に報いたかった。それができないくらいなら、いっそ死んじまえば良かった。
「私が、助ける……!」
覚悟を決めて、再び水の中に飛び込んだ、瞬間。
「痛ェ!?」
「もが!?」
ちょうど抜け道から出てきたサウと、額をぶつけた。
「て、テメェ……!先手必勝とはいい度胸じゃねェか、あぁ……!?」
「ちがっ……そんな、つもり……!私、助けに……!」
「あ?」
とんでもない勘違い。手をワキワキと動かしながら迫ってくるあいつに、私は誤解を解こうとかろうじて言葉を返した。
「サウ、おそかった……!道……!」
「……チッ。そういうことかよ……ただ落とし物に気づいただけだ。私がテメェごときに置いていかれるか、ボケが」
口こそ悪いが、私を安心させるように努めていた。多分、そうだったんだと思う。今になっちゃ、真偽を確認する手段は持ち合わせていない。
ただ、普段から……いつ見たとしても、酷い目つきのサウの瞳が、わずかに柔らかな姿を見せていた。そのことだけが確かだ。
「……お前。甘いな」
「……?」
同時に、嗤っていた。私のことを。
「こんな世界で、義理や人情を果たす意味があるか?あの場の正解を教えてやるよ……私を囮に、一人で抜け道から逃げ出すことだ。私を罠にかければ、なお良い」
自分のことだって。
「そ、そんなこと……しない……したく、ない……」
「ハッ……長生きできねェ性格してやがる」
両頬を、強く掴まれた。物珍しい宝石を見るように、その三白眼をゆらりと細めて。
「いいか。この世界にゃ、優先順位がある。あァ、そりゃもう、はっきりと。第一に自分。その次に、自分の大切なモン。最後に、その他大勢どーでもいいやつらだ」
「……」
「それができねェやつにゃ、我儘を通す権利すらねェ。奪われるし、搾取される。大切なことすら貫き通せない、わかるか?」
多分、あいつが見てきたことなんだろうか。私には、聞く勇気がなかった。きっと今聞いたとしても、サウはその根源を思い出すことはないのだろう。忘れっぽいあいつのことだ。
……もしかしたら……私のことなんざ、もうとっくに忘れてるのかもしれない。
「……わかんない……じゃあなんで、サウは……」
「あァ?」
「だってサウは……助けてくれた」
「……気まぐれだよ。深い理由なんかねェ」
きっとあいつの言葉に、偽りはなかった。あいつは本気で、そう思い込んでいた。
たまたまだったんだろう。たまたま、あいつに余裕がある時期に、私はあいつと出会った。
裏返せば、サウは。口に出そうとして、それを言ったら殴られる気がした。だから私は、言葉にしなかった。言っておくべきだった。
「後悔しかけてたが、存外にして良い拾いモンだった。ほら、これやるよ」
「……?」
「お前の借金を取り除いて、残りを折半。分け前だ。お前がいなきゃこんだけの量はあつまらなかった」
その日私は、初めて果物を食べた。甘すぎて少し気持ち悪くなったが、慣れればそれは多幸感を与えるものだとわかった。
疲れを忘れさせるみたいに、私はそれを必死に貪った。
「おォ、食え。テメェにゃその権利がある。それを通すだけの強さを見せた」
「むっ……」
「いいか、ヤコ。強くなれ。他人のことなんざ二の次だ。そして私に、精々恩を返すんだな。楽しみにしてるぜ?」
あいつの言っていることは、大体が正しかった。大体が正しかった、と、思う。多分正しかった。
でも、私はそれを受け入れられなかった。だって私は。
「……何見てやがる?」
「なんでも、ない……えと、ねェ……」
「……んだそりゃ、私の真似か?ハハっ、いいぜ、その調子だ」
その優しさに、生かされたんだから。
◇
それから私たちは、ずっと一緒に生きてきた。
「なァヤコよ、こいつらどーしてくれる?」
「はなし……ぶ、ぶっ飛ばす?」
「正解だ」
二人が揃えば、できないことなんてなかった。
「おいヤコ……テメェ、ちょっと加減してたか?」
「してない……お前こそ、腑抜けてんじゃないか?」
「言うようになってきたじゃねェか……!!上等だ、表出ろ」
私はあいつのことを、本当の姉妹のように思っていた。
私には、あいつがいなきゃダメだった。私はあいつに守られていたし、支えられていた。
私たちは、二人で一つだった。あの時までは。
「痛っ……」
「何をしている。銃を持て。敵を倒せ」
アリウス分校に集められた私たちは、訓練を受けることになった。要するに、扱いやすい駒として育てられた。
訓練は過酷を極めた。人を人とも思っちゃいねぇような、私たちの体には不釣り合いな訓練。全てが虚しいとか、くだらない思想を押し付けられて、従わなきゃ暴力で無理矢理に従えられる。
「で、でき、ない……」
周りの人間が傷ついていった。倒れていた。……泣いていた。
訓練に積極的だった私たちに、それらが向けられることは基本的になかった。我関せず。サウはそんな様子で、知らないふりをしていた。
私も、そうするつもりでいた。
「……そうか」
「あぅっ……!!」
まずは動けないように、足を撃たれていた。恐怖で顔が歪んでいた。誰も、手出しするつもりは無いようだった。そんな周りを見て、そいつもそれを察していた。
「ひっ……ひ……!」
そこから這いずってでも逃げ出そうとして。銃の反動で腕を痛めたのか、動けなくなっていた。手からは血が滲んでいた。芋虫のように体だけで土を分け、それでも前に進んでいた。
「そうだ、頑張れ頑張れ。その調子だ。動こうと思えばできるものだろう?さあ立て」
「うっ……ぐっ……」
見せしめのように、体の端々を撃たれていった。その度に、最初こそ声を上げていたが、そのうち小さなうめき声を漏らすだけになっていった。
徐々に、徐々に。体が動かなくなって、声も出なくなって。
「う、ぁ……」
小さく、小さく、掠れて消えてしまう声で。
「たす、けて……だれ、か……」
誰かと、姿が重なった。一人で生きていたころの。サウと出会わなかった、私と。
「おい。悪趣味も大概にしやがれ、ゲスが」
後ろから、息を呑むような声が聞こえた。十数年。連れ添った、聞き慣れた声。もうこれから、聞くこともなくなるんだろう。
たくさん、世話になった。私ができた恩返しなんて、きっとほとんどないのだろう。私はサウがいたから、生きていられた。
「……ふむ。まだ活きが良いのがいたか」
だからこれ以上、私が、私なんかがそばに居たら……きっとあいつにとってそれは、足枷にしかならない。
私ができる最初で最後の恩返しは、あいつのそばから居なくなること。
「生憎、クズに語る言葉は持ち合わせてねェ。かかってきな」
今度は私が、あいつのように。
◇
結局私に、勝ち目なんてなかった。それでも、被害を抑えることぐらいはできた。それだけで、充分に誇って良いような気がしてた。
「なんで、あんなことをした……!」
「……」
予想通り、あいつはキレた。そりゃそうだろう。進んで自らを危険に晒すような行為、あいつが容認するはずもない。
「私たちまで目をつけられんだぞ!!わかってんのか!!?」
───じゃあ、なんで。
何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も。投げかけようとして、そっとしまい込んできた言葉。どうせ聞いたところで、また「気まぐれだ」、なんて答えが返ってくるだけなのだろう。
今更、染みついた習慣が消えるはずもない。また私は、同じようにして言葉を仕舞い込んだ。
「……お前には、関係ない」
「……あ?」
私は拒絶した。あいつの優しさを無視して、踏み躙って。私がやりたいことをする、ただそれだけのために。
「お仲間ごっこもこれまでだ。もう二度と、私に関わるな」
あの日私は、確かにサウに救われたんだから。
「ふざけんなよ……!」
ただそれを、一人抱えて生きていくなんでごめんだった。目の前で苦しんでいる誰かを見捨てるだなんて、糞食らえだった。
「上等だ!!テメェとは切る縁もねぇ!!とっとと出てって野垂れ死んじまえ!!!」
私が救われたように。私も誰かを救いたかったんだ。
「……最初から、そのつもりだ」
……その日から。私はまた、独りになった。
もう、サウを巻き込むこともない。そうなれば、話は早かった。私にできることなんざ、限られてるが。
教員のヘイトを、私に集まるように努めた。何があっても、少なくともサウに対しては向かないようにした。
幸いにして、助けた人間の数人は私についてくる。私は、そうしてできたコミュニティの中心になるように、そう見えるように振る舞ってみせた。
幸にして、その作戦はうまく行った。暴力は絶えず激化の一途を辿って行ったが、そんなことは私にとって大した問題じゃなかった。
そんな状況でも、サウの噂は不定期に流れて来た。私はそれを使って、サウの現状を確認するようにしていた。
「ぁ……」
「……んだよ」
あいつに話しかけられそうになった時も、拒絶するような態度を保った。巻き込みたくなかった。どこか私の知らない場所へ行って、そこであいつなりに幸せになって欲しかった。
それでも、たったそれだけの行為が、身を蝕むようで。頭がどうにかなりそうだった。
「ヤコさん、これ……良ければ」
「いらねぇ。ほっときゃ治る。それはテメェのために使うんだな」
そのうち、私の周りには人が増え始めた。庇護を求めるように、少しずつ、少しずつ。一人、二人と、私には仲間ができた。
悪い気はしなかった。自分の行いが正しいのだと、肯定されているような気分に浸れた。
けど、私は独りだった。心の中に、ぽっかりとあいつの形をした穴が空いていた。
「サウ……」
気付けばその名を呼んでしまうほどに、私はあいつのことを求めていて。
けど、あんなことを言って。あんな風に拒絶して。きっとサウも、もう私の顔なんざ見たくもないだろう。
それもそうだ。いつかこんな気持ちになることはわかっていた。戻りたくなかった。戻ってはいけなかった。だから、戻れなくしたんだから。
「ッ、クソ……!しっかりしやがれ……!」
心変わりしそうな本音に言い聞かせるようにして、私はなんとか正気を保った。
「……チッ……誰だ、こんな時に」
そんな時期だった。冬ごろの、ずっと寒い季節。扉を叩く音が聞こえた。
悴む手を不器用に使って、ドアノブを開けた。そこに居たのは、教員だった。
「ッ、テメ、が……!!」
後頭部に、強い衝撃。頭の中の脆い部分、重要な部分が、回し崩されるような感覚。仲間の声が、後ろから聞こえて来た。
やられた。そんな思考を最後に、私は意識を失った。
◇
気がついた時。私は牢屋にいた。足に枷がつけられて。脱出することはできないように思えた。
「気が付いたか」
「……オゥ。まさか不意打ちされるとは思わなかったぜ。そうでもしなきゃ私を捕まえられなかったのかもしれねぇが」
強がって、教員を煽ってみせた。これから何をされるのかわからない。それでも心さえ、強く保っていれば。
「お前は……お前たちは、やり過ぎた」
ゆらりと。教員が、何かを手に持って立ち上がった。薄い、金属製のトレー。何かの器具が触れ合って、カラン。そんな音がした。
椅子に体を固定されて、視界を奪われた。腹の中身を何かが這いずり回って、中身が出てくるかと思った。
「……私はお前に同情するよ。高東ヤコ」
耳元で、そう囁かれた。先ほど聞こえた何かの音がどんどん多くなって、体の拘束も増えて行った。
私が何を言っても、教員は反応することがなかった。
「……懲罰を開始する」
地獄を見た。
◇
痛み。痛み。痛み。痛み。痛み、痛み痛み痛み、痛み。
残された感覚は、それだけ。一分、一秒、それに満たない時間さえもが、永遠に感じられた。
最初だけは、奥歯を噛み締めて耐えることができた。噛み締める奥歯さえ奪われたら、いよいよ限界だった。
どれだけ喚いても、その感覚が消えることはない。命が、正気が失われていく感覚が。
何度、死を覚悟しただろうか。否、それができるうちはまだマシだった。
ヤツらに私を死なせるつもりがないのだとわかったとき、深い絶望感を与えられたものだ。
丸一日以上。二度日が昇り、沈んで。悲鳴さえも枯れ果てて。やっと拷問は終わりを告げた。その時されたことも、その感覚さえ、今でもはっきり覚えてる。
「ごめん、なさい……ごめんなさい……ごめんなさい……!!」
折られた。ぺっきりと。心を、折られてしまった。
「ご、ごめんなさいっ……!逆らいませんっ……!!何もしませんから……ゆ、許してください……!!ごめんなさい……!!」
目に映る全てが。私を傷つけようとする、敵にしか見えなくなった。周囲の誰かを見るだけで、その痛みを思い出すようになった。
今、まさしく今拷問をされているかのような、幻痛と呼ぶにはあまりにリアリティのある感覚。
私は、人の顔を見れなくなった。声を聞けなくなった。そこにいる相手が誰なのか、わからなくなった。
毎日毎日、死んだように過ごした。ひたすらに、訓練に打ち込んだ。そうして従っている間だけは、あの痛みを与えられる恐怖から逃れることができた。
結局私は、自分が一番可愛かった。サウのようにはできなかった。
勝手な話だ。自己満足のために人を助けようとして、それに苦痛が伴うだなんて、そんな当然のことを知って、全てを投げ出した。
生半可な覚悟で、最後まで面倒を見ることもできずに。サウとの約束を捨ててまで。
私は、最低だ。私はクソ野郎だ。
「はぁ……はぁ……」
「……おい。誰かその愚図を起こせ」
他人の人生を背負う覚悟もない。
「も、むりです……ゆるして……っ、げほっ……!」
何かを貫き通すだけの強さもない。
「……もういい。連れて行け」
「っ……!ご、ごめんなさいっ!!ごめんなさい!!まだ頑張れます!!やめて……!嫌なんです、もう!あそこだけは!!」
「黙らせろ」
「ひっ……いや、やだぁ!!!」
守り方さえわからない。中途半端な、クズやろう。
「助けてっ!!!」
「っ……」
何度も、何度も。学習せずに、同じ過ちを繰り返す。
「だれかっ……誰でも、誰でもいいから……助けっ、もがっ……!」
そんな過ちにさえ何かな意味があると思っている。その場の衝動に身を任せて、結局自分の身が危うくなったら、全部投げ出すくせに。
愉快な頭をした、底なしの大馬鹿野郎。
「……や、めて」
馬鹿だ。本当に。何がしたかったんだ、私は。あんなことをして、何か意味があるとでも思ってやがったのか?
全てが虚しいとか、そんな教えを心から受け入れてたくせに。
「……おい。今、なんて言った?」
「やめ、て……く、くださ、い……いっ、いやがってます……その子……」
恐怖で、呂律だって回らなかった。何も乗り越えられてなんていなかった。強さの……あいつとの思い出の、口調さえもねじ曲げられて。
「……つまり。命令違反と見て、間違いないな?」
「っ……!は、い……」
震えてて。泣いてて。ちっぽけで。怖がりで。弱くて。誰かの真似事でしかなかった。
「……で?」
「え……」
「それで、どうするつもりだ?嫌がっている?だから?だからなんなんだ?」
「っ……!」
そんなことしたって、何にもならない、なんてわかってた。
「わ、わたしがっ……代わり、に……」
私は。
「おい」
「は?なんだ、お前……っ!!?」
「っ……!!」
いつだって私を助けてくれた、あいつみたいに。綺麗なモンになれたらって。
「ケッ……柄でもねェ」
それだけ、だったんだ。
「おいお前!!何をして」
「謀反だよ。ほれ、連れてくなら連れてけ」
すぐに他の教員が来て、サウのことを拘束していった。
「ま、待っ」
「早くしろ」
全てが壊れた世界の中で、サウの声だけは偽りなく聞こえた。言葉を遮られて。
「っ、う、ふっ……」
同時に、拘束具が見えて。見えてしまって。それだけで、たったそれだけのことで、私は動けなかった。
私に使われていたものと、同じものだったから。
「……あばよ」
今までと同じ。あいつの背中を、見つめることしかできなかった。
◇
失意と絶望、その成れの果て。涙すら果てて、私は動くことができなかった。動く気もしなかった。
「……死ね。死ね、死ね死ね死ね死ね死ね死ね。今すぐ。死んじまえ」
ハンドガンで、自分の頭を撃った。あまり痛くはなかった。なんでかはわからない。
「死ねよ……なんで……なんで!!」
弾が切れた。痛みで麻痺させていた自己嫌悪が、再びその顔を見せた。壊れたように、ガチガチと。虚しい弾丸を撃ち続けた。
「お前は……!!お前なんかが」
「そこまでですよ、ヤコ」
あの人に、止められるまで。
「事情はみんなから聞いてます。あとのことは、もう大丈夫……お姉ちゃんに、任せてください!!」
それが、小隊長との出会いだった。
更新遅れて申し訳ないです……最近こういうことが多いので、更新時間の変更を検討しております
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