ts転生者の生徒が、頑張るだけのお話。   作:おにっく

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【過去編】分隊長採録:五・下

 空砲を放ち続けるハンドガンを奪われた。包丁を子供の手から離させるような、絡みつくような手つき。

 

「っ……!?」

 

 私だって、無抵抗だったわけじゃない。かなり力を込めて手に持った。それだけでしかこの身を焦がす自己嫌悪を、消化する手段がなかったから。

 

「自分に撃っちゃダメですよ。痛いですから」

 

 それを無視するように、いとも容易く取られてしまった。その小さな指先に込められた筋力が、明らかに私のものを超越していることが分かった。

 

「これはお姉ちゃんが預かっておきますね!」

 

 だが、末恐ろしいのはそれだけじゃない。いや、むしろそれがオマケのようなもんだ。コンビニで買うお菓子に付いてくる、小さなオモチャと同じ。ヨセの奴が喜んで集めてるの。

 

「あ、あなた、は……」

「私ですか?まず私はお姉ちゃんで……あー……自己紹介は、また後ほど!まずはヤコ、あなたの体を休めてください!」

 

 自傷行為で血まみれの顔を、濡れた布で拭き取られた。さっきの力はどこへ行ったのやら。慣れたような、柔らかな手つきだった。

 

「……お気遣いに感謝します。ですが、不要です……私には……」

「必要ですよ。可愛い顔が血だらけなんて、私が耐えられません」

「……」

「さ、これを飲んで」

 

 冷たい水の感触が、染み込むようで心地よかった。軽い手当が終わったら、小隊長はうんうんと頭を捻っていた。「誰に預けたものか」とか、「あの子はまだ不安が残るし」とか、そんなことを言っていた。

 

「……ツムギにマイもいますし、ひとまずはヨセかレイに……っと、ツムギ。来てくれましたね」

「う、うん……この子は?」

「怪我人です。よろしくお願いしますね。私は多分、ちょっとの間いなくなるので……」

 

 小隊長は、どこか急いでいるように見えた。どこかへ向かうように。

 

「わ、わかった!その、こっちに来てもらえますか……?」

「……いえ、結構です。一人で戻れます故」

「パシッと」

 

 横の方から、気の抜けた声が聞こえた。先ほどまで足を伸ばして準備運動をしていた小隊長が、いつの間にやら横に来ていて。私たちの手は、包帯でぐるぐる巻きに繋がれていた。

 

「っ……!」

 

 声を出さずに、驚愕。感情を抑える。習慣付けられたその行為が崩れかけてしまうほどに、あまりに異常な事態。私の目で、追えなかった。

 

「ちょっ、スオウさん!?何するの!?」

「この子、ほっといたら逃げちゃいそうですし……しっかりお願いしますねー?」

「えぇ……?」

 

 おかしな雰囲気だった。おちゃらけた態度。柔らかな話し方。明るい声色。一方がそれらを押し付けてるわけじゃない。互いに。

 アリウス分校では珍しい光景だった。でも、私にはそんなこと……どうでもよかった。

 

「……あなた、なら……」

「……?ねぇ、あなた今喋った?」

 

 こいつなら、サウを助けてくれるかもしれない。サウだけじゃない。他の懲罰送りになったやつも。この強さがあれば、教員に対抗できる。この性格なら、今出会ったばかりの私の願いも聞いてくれるかもしれない。

 

「あ、のっ……っ……!!」

 

 なのに、声が出なかった。

 

「っ、う、ぁ……!」

 

 植え付けられた恐怖(トラウマ)が、それを許さなかった。他者に放り投げる行為さえも、私には耐えられないほどの苦痛が伴う行為だった。

 

「っ……!」

 

 パクパクと、陸に打ち上げられた魚のように呼吸をした。いや、見たことがないから実際どんなものなのかはわからないが、少なくとも一般的にはそんなもんに近かったと思う。

 笑える話だ。人を助けることはおろか、助けてもらうことすら、願うことすらできなくなっていたんだから。

 

「だいじょーぶ!」

 

 狭窄して、暗くなって、詰まるみたいにずっとずっと苦しかった視界が。コツンと、額への衝撃で開けた気がした。

 

「ね?」

「……」

 

 その瞳に、小さく暗がりを落とすだけ。それだけの間、ほんの少しだけ目を細くして、不器用に笑いかけられた。

 自分よりも小さいから、少し目線は下に行くはずだった。そうならなかったのは、私がいつの間にか体勢を崩してたかららしくて。わざわざ視線を合わせたのは、小隊長の方だった。

 

「じゃあツムギ、私はちょっと行ってきますね!数日、よろしくお願いします!」

「あ、ちょっ……行っちゃった……大丈夫ですか?怪我はそんなになさそうだけど……」

 

 何が起こったのかわからなくて、少しの間呆けていた。その間に、頭部の止血をされていたらしい。包帯とガーゼの圧迫感を強く感じていた。

 

「ちょっと痛いかもしれないですけど……」

「……私などのためにご慈悲をいただけたこと、心より感謝します。ですが、もう本当に……っ!?」

 

 頭から伝わってくる痛みで、ようやく私の頭はまともになった。これ以上ここにいるのはまずいと、包帯を切り払って離れようとして。

 

「……切れません」

「えっ……あ、スオウさんの髪が混ざってる……もー!!あの人勝手すぎるって!!」

 

 どうやら私とツムギと呼ばれた子供を繋ぎ止める包帯には、小隊長の髪の毛が混ざっていたらしかった。力を込めて行ったのか、そう簡単に切れる気配もなかった。

 

「……えと、とりあえず任されちゃったので……どうしよ、怪我人……だもんね……着いてきてください」

「……承知いたしました」

 

 特に従う理由はなかった。ただ、一刻も早くそこから消えてしまいたかった。抵抗は無意味だと悟って、仕方なく。

 

「私はツムギって言います。あなたは?」

「高東ヤコ」

「ヤコ……ヤコさん!?第五分隊長に任命された!?」

「……」

 

 返事も特にせず、そうだったかな、と思い返していた。

 訓練に真剣に取り組めば、否応にでも強くなる。そして私は、たまたま才能があった。人を支配できるだけの知能もあった。それだけの話だ。

 

「……それより、先ほどから私語が多いようですね。私は仮にもあなたの上官にあたります。規律違反を上に報告する義務がある」

「んぇ?あ、あー……そういえばそうかもしれないです……」

 

 妙な反応だった。失念していた、とでも言いたげな。

 そんなわけがないだろう。此処はそんなに甘い場所じゃない。忘れたくたって、忘れることができるようなものじゃない。

 

「普段、スオウさん……あ、今は小隊長か……あの人といるから……」

「……なんと?」

「あ、いえ。なんでもないです」

 

 スオウサン。続いて、小隊長。

 

「……」

 

 噂には、聞いたことがあった。最年少で小隊長に抜擢された、神の童。そいつの名前は。

 

「桐花、スオウ……」

「あ、その人です。私、昔からの知り合いで」

「……詳しく、話をお聞きしても?」

「え?う、うーん……まあ、覚悟する時間は必要、だもんね……わかりました。移動しながらお話しします」

 

 肩を差し出された。頭部のみの負傷だから、不要だと断ろうとも思った。だが、フラつく体がそれを許さなかった。

 自分の体を預けることになる。警戒するべきなのは明白だった。だというのに、なんでか。その緩い、生ぬるい雰囲気にあてられて、そんな気も起こらなかった。

 

「えっと、私たちが出会ったのは六年前くらいで……」

 

 曰く、奴は異常なまでの強さを持つ。曰く、誰も奴が眠るところを見たことがない。曰く、奴の知識量はその由来に至るまで、一切が不明である。曰く、奴は出会う者全てを妹にしてくる。曰く、奴は……全ての妹の、味方である。

 

「って、感じです」

「……そうですか」

 

 虚言や作り話の類だと思っていた。私とて長年、住み慣れた土地。だというのに、そんな噂は聞いた覚えがなかったから。

 恐らく目の前の相手……ツムギは、ここの環境に耐えかねて、ありもしない幻覚を見ているのだろう。もしくは、あの白髪が小隊長であるという話が本当なら、私を陥れようとしているのか、試しているのか。

 なんにせよ、私にとっては何も変わらない。これまで通り、虚しくて、痛くて、辛い毎日が続くだけだ。

 

「つ、着きましたよ。少しベッドで休んでてください、他の人も呼んでくるので……」

「……失礼します」

 

 包帯を切って。ツムギがどこかへ行ったのを見て、私はベッドに横たわった。療養のために用意されたものだろうか。手製のそれは、少し動くと不安な音が鳴り響いた。

 

「……なにやってんだろうな、私は」

 

 もしかしたら、これが何かの罠で。私はこの後、酷い目に遭わせられるのかもしれない。経験が、具体性もなくそんな予感を告げた。

 どうでも良かった。どうでもいい。すべてが。

 

「ああ……」

 

 サウの背中に伸ばした手が、空を切った。天井に上げて。血が通わなくなっていく。爪先からじんわりと、暖かい何かが降りてくるような。

 

「……糞食らえだ」

 

 白く、自分の指が染められていく。最初は爪だけ。徐々に、掌全てを覆うほどに。

 

「全部、ぜーんぶ」

 

 力を抜いた。バチっと、強い衝突。目が抉れるように、骨が肌へと埋もれた。

 

「……死ねばいいのに」

 

 そのまま顔に爪を立てて。肌を引き裂いた。爪と指の間に、ちぎれた皮膚が溜まっていった。

 

───……あばよ。

 

「ッ……!!」

 

 自己嫌悪は、強まる一方だ。私は、我が身可愛さにあいつを差し出した。助けなかった。

 そんな後悔を連ねたところで、吐き気が増すだけで。

 

「糞が……」

 

 だというのに、なんでか体に力が入らなかった。あとから、小隊長が薬を盛ったらしいと聞いた。私に渡した水の中に、睡眠薬が入っていたそうだ。

 抜け目のない人だ。自分がしばらく戻れないと見越して、私が早まった行動をしないように。そんなところだったのだろう。

 その時の私は、そんな事実に気づくこともなく。ただひたすらに、自らへの罵詈雑言を並べ立てながら、徐々にその意識を手放した。

 

 

 

 

「ツンツン……」

「ヨセさん、何してるんですか?」

「や、この子起きないなーって。あははっ」

「ああ、この子睡眠薬飲んでるので……でも、そろそろ起きるかな……?」

 

 暗闇の中で、声だけが聞こえた。珍しく、まともに言葉の意味がわかった。

 

「るせぇ……」

「あ、今ちょっとうなされた?ほれほれほれ、ほーれ」

「ちょ、ヨセさん!やめてあげてくださいよ!!この子保護したばっかりなのに」

「あ、うん、そうだよね、わかってるわかってる。……ごめんなさい……あははっ……」

 

 頬に小さな衝撃が、何度も何度も加えられた。痛くはないが、暑さと寝苦しさへ上乗せされた不快感。今でも思い出すと割とイラつく。

 

「そ、そんなに怒ってないですから……大丈夫です。それより、朝食はどうしますか?」

「え?あ、えーっと……私、そんなにお腹空いてなくって……」

「……つまみ食い?」

「してないよっ!?」

 

 体に意識が重なっていく感覚。少しずつ状況を理解し始めて、自分は今眠っているのだとわかった。

 同時に、その状況の危険性も。

 

「っ、は」

「あ、おはようございま、きゃあっ!?」

「ッ……!!」

 

 飛び起きて、声のする方から急いで距離を取った。最初に反応したのはヨセだった。マイとか言ったか、今ではあいつの隊に配属されてる。そいつを庇うように、私の前に立ち塞がった。

 

「……?」

「も、申し訳ございません、全ては私の不徳の致すところです、今後は」

「ちょっと様子がヘンだね」

「うっ……!」

 

 寝起きで混乱する私に、軽い平手打ちが浴びせられた。それでようやく、正気を取り戻すことができた。

 

「ほら、見て!まだこんな時間!私だったら二度寝してるよ……ふぁ……」

「……」

 

 時計の針が、起床時間より前の時刻を示していると気づいて。ようやく、緊張感が少し和らいだ。

 

「ここは……私は……」

「初めましてっ!私、第六分隊長の伏貫ヨセ!!」

「第六……」

 

 このチビが?考えないこともなかったが、これよりもチビな小隊長もいたんだったかと、無駄な疑念を放り捨てた。

 実際、聞かされていた名とは一致している。そんな嘘を吐く理由もないだろうと思った。

 

「左様ですか。私は第五分隊長の高東ヤコと申します」

「オーケー、ヤコちゃんね」

「……ちゃん……?」

 

 ヨセの言動もまたイレギュラーだった。少なくとも、私を混乱させるには充分すぎるくらいに。

 

「ヤコさん、傷は痛みませんか?」

「傷……」

 

 奥から出てきたツムギに容体を聞かれて、なんのことやらと頭に手を伸ばした。包帯が巻かれていることに気づいて、それを皮切れに昨日の出来事を思い出したんだ。

 

「っ……!」

 

 あれから、どのくらい経っている?外を見れば、雨が止んでいるのがわかった。さらに言うのであれば、時刻は六時前。昨日の出来事があったのは、昼頃。

 つまりサウが連れて行かれてから、ほぼ丸一日が経過しているということ。

 

「朝ごはん、コンソメスープとオニオンスープがありますけど」

「結構です。それより、急用を思い出しました」

 

 まだ間に合う。私があの拷問を受けたときは、ほぼまる二日が経過していた。今ならサウを助けることができる。

 

「えっ!?ちょ、ど、どこ行くんですか!?」

「貴方がたに教える理由はありません。それより、言動には注意することです。相手次第では……」

「っ……」

 

 少し脅して、発破をかけた。正直、私にとっては割とどうでもいいことだった。報告はするが、その程度で処罰を受けることはないだろう。多少警戒の目が強まる程度だ。

 報告をしない、なんて選択肢は、長年植え付けられた恐怖がとっくに忘れさせていた。

 

「では、私はこれで」

 

 少し脅しただけで、ツムギとマイは全くと言っていいほど動かなかった。動けなくなっていた。こんな技術が役に立つこともあるのかと、どこか遠い感情を抱いた。

 

「あはー。なるほどなるほど、だから私だったんだね」

「っ!?」

 

 だが、ヤツは違った。

 

「なに、を」

「ん、いい反応」

 

 意識外から到来した拳を掌で防ぎ、掴む。そのまま相手の腕を引いて、空いた自分の手で肘打ちをかまそうとして。

 

「ふんっ!!」

「なっ……!ぐ……!」

 

 返されたのは、頭突き。全体重を乗せたそれに、私の肘は押し負けた。

 

「アタタタ……!!よ、よーしゃないね!?」

「それはこちらの、っ!?」

「まあでも、目的は果たせたよねっ!」

 

 互いに距離を取り、ダメージを確認しようと腕を動かして。鳴り響くのは、鎖の音。

 

「い、今の一瞬で……ヨセさん、本当に強かったんだね、マイちゃん……」

「私も信じてなかった……」

「な、何さ二人して!!」

 

 一瞬の攻防の間。おそらくは、腕を引かれたタイミング。頭突きを返すためにもう片方の手で、私の手を掴んだ。

 

「小隊長、これがわかってたのかな?ヤコちゃんを止められる人は必要だったっぽいし……ん?」

 

 その時だ。その時に私に、あの拘束具をつけた。ほんの一瞬で。

 

「っ、ぁ……は、ふっ……」

 

 そんな分析をする余裕は、当時の私にはなかった。

 

「……ヤコちゃん?」

 

 腕輪をつけられて、鎖で繋がれる。それは、私にとってのトラウマを、鮮明に思い起こさせる状況で。

 

「ひっ……!」

「酷い怯えよう……ヨセさん、手加減はしないと……」

「わ、私じゃないよっ!」

 

 周りの声が、聞こえなくなった。何も見えなくなった。

 

「……」

 

 できるだけ、部屋の端に逃れるように努めた。それをするだけで、幾分かは人に見つかりにくくなる。

 

「っ……!」

 

 だが、ヨセに繋がれた鎖がそれを許さなかった。ピンと張った鎖が、それを止めて。それが余計に、思い出させて。

 

「やめ、て……やめて、ください……お願いします……外して……」

 

 もう、限界だった。いや、とっくの昔に限界なんて超えていた。私はそれで、壊れちまったんだから。

 

「外そう。良いよね?」

「う、うん……」

「……私もさ……色々あったし、色んな友達がいたけど……ここまで酷いのは、初めてかなぁ」

 

 今にして思えば、ヨセには珍しい声色。その時の私は気付くこともなく、ただ近づいて来る足音に怯えていた。

 

「来ない、で」

「……ごめんね。すぐ終わるから」

 

 カチャと、小さな音。手首の圧迫感が消えていく。鎖が外されたのだと、少し時間を置いてか理解できた。

 

「可哀想なことしちゃったな……」

 

 どのくらい時間が経っただろう。朝日が昇って、周囲の気温が暖かくなっていく。それだけの時間を経て、私はようやくまともに戻ることができた。

 

「……それで、どこに行こうとしてたの?」

 

 ヨセと目が合った。少しバツが悪そうに、私は何をするつもりだったのかと、そう聞いてきた。

 もう、抵抗する気力も、自分を覆い隠す余裕さえもなかった。

 

「私の……私、の……」

 

 私とサウの、関係。

 

「……知り合い。知り合いが、私を庇って懲罰へ連れて行かれました」

 

 そう表現するしかなかった。それだけしか、表現する手段を持ち合わせていなかった。

 

「だから、私は……」

 

 それ以上、言葉は出てこなかった。助けるというのも烏滸がましい気がしたし、それを実現するだけの策もないから。

 ヨセは頭に疑問符を浮かべていたが、後ろにいるマイとツムギは理解できたようだった。私に何があったのかも、おおよそ察しはついていたのだろう。

 

「だ、大丈夫!大丈夫ですよ!きっと!」

 

 沈黙に耐えきれなくなったのか、ツムギが大きな声を出した。

 

「スオウさんが、懲罰に連れて行かれた子を助けに行ったんです!」

「……え」

「そ、そうだよ!あの人、基本頭おかしいけど頼りになるときは頼りになるし!」

 

 次いで、マイが補足するように付け加えた。

 

「……よく知らないけど、そーらしいよ!だから私たちは、朝ごはんでも食べて待っておこう?」

「……」

 

 ヨセが軽薄な態度でそんなことを言うから、その信憑性は地に落ちたが。ともかく、心配しなくても大丈夫だと、強く引き止められた。

 

「何を言っているのか。よく、わかりませんね」

 

 きっと頭蓋に脳みそが詰まっていないんだろう。そんなことを思うくらいに、軽薄な、薄っぺらい言葉。

 大丈夫?そんなはずがねぇだろう。あれを、あの恐怖を知らないからそう言えるんだ。あれを知ってしまえば、もう後戻りできなくなってしまう。

 

「多分、今日のお昼には帰ってくるんじゃない?」

「……私は、どのくらい?」

「えっと、ここに来たのが昨日だから……あとちょっとで丸一日?」

 

 だったら、あいつはしばらく戻って来ないんだろう。少なくとも、あと一日は。あそこに連れて行かれるってのがどういうことか、こいつらはわかってないんだ。

 結局こいつらも、現実を知らないだけ。あの苦痛を味わえば、私と同じように。

 

「……チッ」

 

 自分を擁護するような思考に、ほとほと呆れ返った。

 

 

 

 

 そんな私の予想が覆ったのは、その日の夜のことだった。

 

「今戻りましたよー……って、流石に寝てるか……日を改めて……」

「……貴方は」

「っ!?」

 

 少し壁にもたれかかって、ノックもなしに小隊長が室内に入ってきたんだ。

 

「あ、ヤコでしたか。目が覚めたんですね」

「……」

 

 昨日サウが連れ去られてから、まだ一日と半分といったところ。要するに、こいつは失敗したんだろう。

 

「じゃあ、改めて自己紹介から。私の名前は桐花スオウ。この度、小隊長に任命されました」

「……お初にお目にかかります、小隊長殿。私は高東ヤコ、第五分隊長……あなたの部下にあたりますね」

「はい、初めまして。今までよく頑張りましたね。もう大丈夫。今日から私があなたを守る、お姉ちゃんです」

「……」

 

 それだけならいい。それだけなら、どーだっていい。だって、仕方のないことだろう。誰だって、我が身はかわいい。自分のことを優先してしまうのなんて、当然だ。

 私が最も嫌っている事実。それでも、それを否定する権利は私に無い。だって私も、同じだから。

 

「そうですか。それは、よかったです」

「……ふむ」

 

 それでも、その事実さえも偽って。善人ヅラして、守るだとかくだらない言葉を吐き出すから。

 私は最初、小隊長のことが嫌いだった。

 

「道を、譲っていただけますか?」

「断る。と、言ったら?」

「……」

 

 こいつも結局、あの教員どもと同じ。

 

「それ、は……」

 

 押し通る。そう言いたかったが、体はそれを許さなかった。

 

「……なーんて。嘘ですよ。可愛い妹の頼みとあれば、私に拒否する理由はないです」

「……そうですか。では、失礼します」

「でも、どこに行くかくらいは……聞かせてもらえますか?」

 

 小隊長の横を通り過ぎようとしたら、扉が閉められた。否、勝手に閉まったように見えた。

 それが小隊長によって引き起こされたものだと。私の目が追いつかなかったのだと、否応にも理解させられた。抵抗は無意味だと、言外にそう伝えられていることも。

 

「……知り合いを、助けに」

「サウのことをですか?」

「っ……!?」

 

 なぜ、あいつの名を。いや、私の目的を。

 

「言ったでしょう?お姉ちゃんに、任せてって」

 

 そんな疑問が、顔に出ていたのだろうか。小隊長は、答えになっていないながらも答えた。

 こいつが何故姉を名乗っているのか。何故私たちの関係を知っているのか。そんなことはどうでもいい、それよりも。

 

「サウは……?」

「……酷い怪我をしていますが、今は大丈夫です。家で寝てますよ」

「っ……!」

 

 私にとって、あまりに都合がいい言葉。それ以上に、あり得ないはずの出来事。耳を疑う以上に、小隊長のことを疑った。

 

「……顔だけでも、見に行きますか?」

「え……」

「よい、しょっと」

 

 だがそんな疑いを口にするよりも先に、小隊長は私を背負った。いつの間にやら、背負われていた。私よりも、かなり低い身長。ヨセよりもさらに小さな背中。

 けど、その時だけは……なぜだか、それが大きなものに見えた。縋ってみたくなった。

 

「口、閉じてて。舌を噛まないように」

「っ……!」

 

 指示に従え。私の本能が、全身にそう命じた。無論、私の意思そのものでさえも。グッと口を閉じて、目を閉じて。

 

「んんっ!?」

 

 空を割く轟音が、私の耳元で鳴り響いた。あまりの凄まじさに、ほんの一瞬だけ目を開いた。

 いつもの、アリウス分校の景色が、前から後ろへと移ろって消えていく。この学校は意外とちっぽけだったんだと、そのことを示しているようだった。

 

「はい、とーちゃく」

 

 そのまま、数分もせずに。とある場所に着いた。

 

「ここ、は……」

 

 見間違えるはずもない。今だって、鮮明に思い出せる。あの場所は。

 

「サウは、ここに……」

 

 私たちがずっと、一緒に暮らしてきた場所だったから。

 

「……中。入りますか?」

「……」

「そうですか。じゃあ、ここ。ここなら、中の様子も見れます。声も聞こえますからね」

 

 足を踏み入れる気には、ならなかった。そこは私が……捨てた場所だから。あいつに対する裏切り。その、始まりの場所だったから。

 恐る恐る、家に開いた小さな穴を覗いてみた。その中には……サウがいた。

 

「っ……!!」

 

 いたんだ。そこには。サウが、無事で。小隊長は、嘘なんて言ってなかった。

 

「サウ、起きてますか?」

「……今起きた。つーか、起こすな」

 

 あいつは、いつも通りの様子だった。あれを受けた私は、あんな風にまともに口を聞けなかった。物理的にも。

 だが、サウの手を見れば決して懲罰を受けなかったわけじゃない。あれが現実だったってことは、よーくわかった。

 

「あ、ごめんなさい……」

「チッ……いィよ、許してやる。何の用だ?」

「いえ、ちゃんと寝れてるかなって……」

 

 でもそれは、サウだけじゃなくて。

 

「……あァ、なんとかな。テメェの手当てのおかげだ……鎮痛剤がありゃ、ほとんど痛みは感じねェしな。明日までには治るだろうよ。小隊長の方はどうなんだ?」

「違う、小隊長じゃありません。お姉ちゃんです」

「そうか。小隊長の方はどうなんだ?」

「うぇええん……」

 

 小隊長も、同じだった。包帯から血が滲んでいて。サウに指摘された時に、しまった、という顔をした。まるで、私には隠しておきたかったみたいに。

 

「まあ、私もそんなものです。すぐに治りますよ」

「そうか……なァ、小隊長。お前、さっきまでどこにいた?」

「……どこだと思います?」

 

 「言わなくてもわかってるでしょう?」と。小隊長は、そんな表情をしていた。サウは応じるように悪態をついて、溜息した。

 

「律儀なヤローだ」

「約束は大切ですよ?」

「ハッ……まあ、お前ならそう言うんだろうな」

 

 少し痛みが戻ったのか、サウの額に汗が浮かんだ。それを無視するように、サウは豪快に水を飲んだ。いくつか、痛み止めやら抗生物質やら、薬も見えた。

 

「……どうだった?」

「あなたのこと。心配してましたよ」

「……そう、か。そーか、まァ……そりゃ、そうだろうなァ……」

 

 何が嫌だったのだろうか。長い付き合いの私にはわかった、サウは……心底、嫌そうな顔をした。

 私に、私なんかに心配されるのが、そんなにも嫌だったんだろうか。嫌だっだんだろう。裏切り者の、薄情者の、甘ったれの私なんかに、心配されたところで。

 

「……小隊長よ。私との約束。忘れてねェだろうな?」

「はい。もちろんですよ」

 

 それ以上は聞きたくなかった。聞く勇気がなかった。覗き穴から、目を離した。

 

「たまにでいい、あいつを……第五分隊長の、高東ヤコを……」

 

 自分勝手にも、私は。あいつに嫌われているだなんて、そんな当たり前のことを。知りたくなくて。

 

「守ってやってくれ」

「……!」

 

 でもそれは。私の思い込みだった。

 

「あいつは、優しいヤツだからな……すぐに、無茶ばっかりしやがる。弱っちいクセしやがってよ……」

「うーん……結構いい筋してると思うんですけどねぇ……」

 

 私は、サウのことを何も。何一つだって、わかってやれてなかった。

 

「ハッ!あいつはダメだ、ダメダメだ。甘ちゃんすぎる。なんせ、訓練の相手にさえ気ィ使ってるんだぜ?あんな性格してりゃ、いつか自分に押し潰されちまう」

「……そうはなりませんよ。私がさせませんから」

 

 ただ、その時はそんなこと、考える余裕なんてなかった。

 

「あァ、だろうな……だからお前に頼んだんだ……お前は……お前には、我儘を通すだけの力がある」

「はははっ……ヤコも強いですけどね。サウだって」

 

 だって、耳を澄ませば。家の中から聞こえてくるサウの声は、楽しげで。

 

「私はダメだ。私は……私は、あいつとは違うからな」

「そりゃ、同じ人間なんていませんからね」

「そういう話をしてるんじゃねェ」

 

 覗き込んだ穴から見える景色は。私が出て行った、あの時の同じまま。ガサツなあいつらしくもなく、綺麗に整えられていて。

 

「あいつは、私と違って……優しい、ヤツだから」

「……やっぱり、違いませんよ。あなた達は……似たもの同士です」

「ハッ……勘違いも甚だしいなァ?」

 

 足は私の意思と無関係に、家の方は運ばれていった。戻って行った。だって、その時。その間だけは。

 

「勘違いなんかじゃありませんよ。あなた達は、二人だ……意地っ張りの、優しい、大切な……私の大切な、妹です!」

「妹じゃねェ」

「……う、ぅ……」

 

 ただひたすらに、私にとって都合のいい。

 

「ううあぁ……!」

 

 あの現実に、浸っていたかったから。

 

 

 

 

 結局今考えりゃ、あれも小隊長の思惑のうちだったんだろうな。おかげさまで、下らない希望を抱いちまった。生きる理由を与えられちまった。

 ……虚しいことばかりじゃない、って。私自身に、教えられちまった。

 

 だから、私は。

 

「……小隊長が、危ないかもしれない?」

 

 私はあの人に、恩があるんだ。たくさんの、たくさんの恩が。返しても返しきれないほどの恩が。

 

「うん。だから、私の機体に乗って欲しい。あなた達分隊長なら、充分に戦力になるはずなの」

 

 壊れた私を、まともに戻してくれた。私とサウを、繋ぎ止めてくれた。サウのように、私を守ってくれた。そんな小隊長に、私は報いたい。

 

「とうぜ」

「当然だ」

 

 だから当然、アシリとかいうやつの提案には乗るつもりだ。小隊長が死にかけてるかもしれない。スクワッドでさえ危ないかもしれない。だったら、助けに行かない理由なんてない。

 そのつもり、だったのに。

 

「だが、ヤコ。テメェらはここで待ってろ」

「……は?」

 

 一瞬。サウが何を言っているのか、理解できなかった。

 

「最低限、こっちにも戦力は必要だろ。お前はここで残って、雑魚どもを守れ。トリニティの連中からな」

「……それは、奉仕活動部とやらの人間で充分なのでは?」

「そ、そうだよ!私が言うのもなんだけど、うちの部の子達はあれで結構」

「黙れ」

「うっ……!」

 

 私と共に反論したアシリはすぐさまに黙らせられていた。役に立たないやつめ。

 

「だっ、黙らない!黙らないもん!!私だって恩人を助けたい……!ちゃんとした理由がない限り、絶対認めないから!!」

 

 そう思ったが、意外にも食い下がるらしい。なかなかどうして、人とは見かけによらないものだ。

 

「大体、テメーらを信用できる根拠がどこにある?私たちを騙そうとしてる可能性だってあンだろ」

「なっ……!そ、そんなこと言ったら、そもそも私たちに着いてくること自体」

「甘川さん。こちらの者が、大変ご無礼を働きました」

 

 だが、こんなところで押し問答をしている余裕も、時間もない。何せ、時は一分一秒を争うと来たもんだ。だから。

 

「この者の説得は私にお任せください。あなたは、他の分隊長へ説明をお願いします」

「う、うんっ……わかった……」

 

 だからこいつと向き合うのは、私じゃなきゃいけない。そんな気がしたんだ。

 

「……サウ……なんのつもりですか?」

「どーしたもこーしたもあるか。お前、本気でアイツらのことを信じてやがんのか?だとすりゃ、ノーテンキにも程がある。保険は必要だろ」

 

 馬鹿の一つ覚えみたいに、サウはさっきの、アシリとかいうのに言った言葉を繰り返した。

 存外、サウは論理立てて話すのが得意な方だ。珍しいと思った。

 

「それが私である必要性がありません。他の者も充分戦える。何より、あの方が言うように……彼女を疑うのであれば、そもそも着いていくこと自体が失策です」

「……うるせェ。テメェは黙ってここで待ってろ」

 

 あいつが大した論理もなく。感情だけで話しているのは。

 

「断ります。私は、小隊長を助けたい」

「んなもん誰だって一緒だろ、だがな……」

 

 胸ぐらを掴まれた。ある程度のラインを超えると直情的なのは、確かに私と似ているのかもしれないと思った。

 

「お前……本気でこの作戦で、誰も死なねェと思ってんのか?」

「……」

「相手はアリウス分校そのものだ。マダム……ベアトリーチェと言い換えたっていい。私たちが全員生きてここにいるのは、ほとんど奇跡だ」

 

 その通りだ。ここまで全員で逃げ延びられたこと。誰も喪わずに……小隊長を除いて、誰も傷つかずに。ここまで来れたことは、ほとんど奇跡だ。

 それが小隊長にやってもたらされた奇跡だったとしても。

 

「……だったら、私が……私だけが、行けばいいだろ。お前が、お前らが行く必要なんてない」

「ざけんな。それで失敗したらどうするつもりだ」

「……そん時は、そん時だろ。小隊長は死ぬ。場合によっちゃ、私もな」

 

 あっけらかんと言ってのけるあいつに、腹が立って。胸ぐらを掴み返してやった。必然、至近距離で睨み合うことになった。

 

「お前……それでいいと思ってんのか?」

「良いわけねェだろ……良いわけがねェ。だがな……」

 

 それを待っていたと。サウのやつは、空いた手で私の腕を掴んだ。あまりに強く力が込められて、痛みでつい手を離しそうになった。

 

「わかるんだよ。私には。小隊長の気持ちも」

 

 そうして、一瞬サウの服から私の手が離れた、瞬間。腕輪を取り付けられた。

 

「っ……!」

 

 それは今でも、私にトラウマを想起させるもので。

 

「……いずれにしても、その状態のお前じゃ戦力外だ。違うか?」

 

 その先に腹を蹴られて、軽く吹き飛ばされた。

 

「げほっ……て、めぇ……」

「……私はな。ヤコ」

 

 銃を向けられた。私をそのまま気絶させるつもりなのだと、直感的に理解した。

 

「……あの日……あの日、お前を庇ったことを。後悔したことなんて、一度もねェ。お前が無事なら、それでよかった」

「ッ……!グ、ぅッ……!」

 

 一瞬の動揺。その先を狙われて、足元から撃たれた。

 

「……小隊長も、同じだろうさ」

「……だろうな。そりゃそうだろう」

 

 知ってるよ。知ってたさ。サウが私を守ってくれたことなんて。その後もずっと、守ってくれていることなんて。とっくに知ってた。

 だってお前は、出会ったあの時からずっと……優しいやつだから。

 

「けどなァ……!!んなもんッ!!関係あるか!!」

 

 鎖を引きちぎる。小隊長のように力技じゃできないが、この程度私だって技術を身につければできる。

 恐怖で身がすくんだが、そんなものあれを繰り返すことに比べれば屁でもない。

 

「私もだ、サウ」

「ッ……!」

 

 予想外だったのか、一瞬怯んだサウの横っ面を、遠慮なしに殴りつけてやった。手加減なんて一切してない、本気の拳で。

 サウが少し後ろに下がって。拳の威力に、驚いているように見えた。

 

「……あの日、連れ去られるお前を止められなかったことを……お前のように、助けれなかったことを。後悔しなかった日なんか、一度もねェ」

「ッ……!」

「……私は……私がお前に助けられたみたいに、お前を……お前が無事なら、それで良かった」

 

 少しの間、睨み合いは続いた。そしたら、アイツは。

 

「……好きにしやがれ」

 

 それだけ言い残して、銃をしまった。根負けした、とでも言いたげだった。

 

「……」

 

 馬鹿その一の説得は済んだ。きっとこれから、向き合わなくちゃいけないんだろう。ただ、そのきっかけを作れたと、それだけで充分すぎるくらいに思えた。

 だから、今は。

 

「……待っててくださいね。馬鹿その二(大馬鹿野郎)の、小隊長ちゃん」

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