ts転生者の生徒が、頑張るだけのお話。   作:おにっく

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【後日談】白花の夢:上

 朝、目覚める時。昔の俺には、苦痛でしかなかった瞬間だ。気持ち悪くなるし。ヤなこと思い出すし。体は怠いままだし。

 最近はそうでもなかった。ちょっとずつ、ちょっとずつ、朝起きたらみんながいて。今日も、いつもと変わらない時間が巡っていく。

 ちょっと肌寒いけど、窓を開けて。気分がいいんだ、少しだけ。

 

「……あれ?」

 

 けど、今日に限ってはそうでもないみたいで。何だか体が重くて、力が出ない。眠いし、起きようって思えない。喉の奥が、酸でも飲み込んだみたいにズキズキ痛む。いや、本当に飲んだことがあるわけじゃないけど

 

「なつかし……」

 

 嫌な思い出と言っても、記憶は記憶。感傷に浸るわけでもなく、ただこの感覚を、ああ懐かしいなぁって、そんなことを考えた。

 時計を見ると、七時を少し過ぎたあたり。今日はシャーレの当番だから、三十分もすればここを出ないといけない。

 

「ケホ……ケホッ!」

 

 咳を撒き散らしながら、ちょっとの浮遊感。揺蕩う足取りで、クローゼットに歩を進める。

 

「うぇ、鼻が出てきた……」

 

 腹の底から、むせかえるような吐き気。鋭敏になった感覚。少し前の、あの頃の感覚だ。

 チーンと鼻をかんで、ゴミ箱へ投げ捨てる。いつもより僅かに予想から外れた軌道で、されどもなんとか狙いは的中。ティッシュの姿は、そこに一切見えなくなった。

 

「ふっ……」

 

 上着を脱ぐと、少し刺さるような寒気が肌に痛い。突き刺されるみたいだ。

 これがホントのハリのムシロ……あれ、なんか意味が違う気がする……?

 

「はははっ……何言ってんだか……」

 

 くだらない冗談だと切り捨てて、いつも通りのアリウスの制服……ではなく、ただの私服。

 一応正式な礼装はアリウスのソレだけど、シャーレで制服に着替えないと道中ヴァルキューレにしょっぴかれる。サオリ達に心配かけたくないし。

 

「よしっ!ばっちし!」

 

 なんて、そんなこんなでしっかり服を着替えて、そしたらようやく準備完了。荷物も良し、弁当は……面倒だから、今日はいいや。

 ふと、「面倒だから」と済ませた自分に疑問を抱いた。おかしな話だけど、普段の自分がする判断とかけ離れている気がしたんだ。

 

「んー……?」

「スオウ……早いな……」

 

 下顎に指を添えて唸っていると、珍しく目覚めが遅いサオリが話しかけてくる。昨日は夜遅くに帰ってきたから、疲れていたんだろう。起こしてしまっただろうか。

 

「サオリ、起こしちゃいましたか?」

「いや、いい……私もそろそろ起きよう。過剰に習慣を崩すと戻し難いものだからな」

 

 真面目だなぁ。サオリらしいっちゃサオリらしいけど。

 

「もう出るのか?」

「……え?あ、あー……はい、そうです」

 

 何だかサオリの声がうまく聞き取れなくて、少し反応が遅れてしまう。

 ちょっと考えて、そしたらやっとサオリが何と言ったのか理解できた。

 

「……?スオウ……何か様子がおかしくないか?」

「んぇ?」

 

 様子がおかしいって、それは別にいつものこととかミサキあたりが言いそうなもんだけど。サオリの表情は、真剣そのもの。こちらを案じているように見えた。

 

「少しこちらへ来れるか?」

「はい」

 

 タタタッとかけだして、サオリの肩の辺りに思いっきり突っ込む。ぽす、と軽いもの同士がぶつかる感触。サオリから、特に抵抗の意思は見られなかった。

 変に思って、手をサオリの背中に回したまま面を上げて。サオリの顔を見てみる。

 

「どれ……」

「っ……!?」

 

 ふとサオリが額の髪を分けて、コツン。小さな音と共にぶつけてきた。

 いつも以上に鋭敏な感覚は、ほんの僅かな痛みと異物感を伝えて。でもそれよりさらに、熱を奪われる感触が気持ちよかった。

 

「……やはりだな。スオウ、お前……」

「……?」

「風邪を引いているぞ」

 

 少し待って、サオリがそんなよくわからないことを言うものだから。さらに首を捻って、改めて自分の頭に触れてみる。少し冷たい感触がまだ残っていて、けれどもそれはすぐに掌で温められてしまった。

 じっとりとした感覚が不愉快で、すぐに手を離して。

 

「引いてないですよ?私、風邪引いたことないです」

「……馬鹿は風邪を引かないとは言うが……お前の場合、風邪を引いていても気づかないだけだな」

 

 あれ、今遠回しに……いやかなりド直球に馬鹿って言われたような。

 

「確認しておこう。喉の痛みや、息苦しさはあるか?」

「あります。ちょっと乾燥してますね、最近」

 

 特にひどいのは喉の痛みだ。毒を飲んでもここまでにはならない。

 

「頭痛はするか?」

「……言われてみれば、少し?」

 

 ちょっと意識を向けてみると、するようなしないような。そんな苦でもないし、放置しておいて問題ない。

 

「鼻か、もしくは咳は?」

「どちらも……花粉症でしょうか。ミサキは大丈夫ですか?」

「ミサキは元気だよ……お前と違って」

 

 鼻声で息がしにくい。ただでさえ唾を飲み込むも嫌になる程喉が痛いのに、口呼吸で余計に痛む。

 

「寒気は」

「そういえば、今日は冷えますね」

「……改めて聞くが、本当に風邪だと思わないか?」

「……す、少し自信がなくなってきたような?」

 

 おかしいな、生まれてこの方風邪なんて……訓練で大怪我をしただとか、骨折の影響で熱が出ただとか、そういうことは今までもあった。

 でも風邪は違う。熱が出て、喉の痛み。炎症を起こしているということ。仮にも推定アリウス最高峰の神秘であるこの俺に、たかだか細菌如きが……?

 

「……よし。測ってみろ」

「あ、は、はい……」

 

 サオリから渡された体温計を手に握って、電源をつけようと試みる。しかし、次の瞬間。

 

「えぶしっ!」

「あ」

 

 ふと鼻がむず痒くなって、耐えきれずに激しく息を吐き出す。要するにくしゃみが出た、ただそれだけ。それだけならよかった。

 

「ぱき?」

 

 拳の中から鳴った嫌な感触、音。恐る恐る、ゆっくり拳を開いて。

 

「……決まりだな」

「ほ、本当ですか!?なんか全く別の現象じゃないですかこれ!?」

 

 その中にあったのは粉々に粉砕され、その一部が溶けた機械の残骸。本来の役割を果たせなくなった体温計が散らばっていた。

 

 

 

 

 サオリに手を引かれ訪れたのは、現アリウス生が居住している建物、その一室。白い、最低限のものが用意された、無機質な部屋。貸し出し用の個室だ。

 

「まさかスオウが風邪引くなんてね……正直、予想外だったよ」

「で、ですね……一番イメージから程遠い人ですし……」

 

 サオリが何やら用意しに行った際、俺が一人残されないようにと、ミサキとヒヨリを呼んできてくれた。

 いや、正確にはアツコとアズサも呼んでいたけど、アツコはサオリの手伝いに。アズサは自室へ向かって何かを用意しに、それぞれ行ってしまった。

 

「はははっ……すみません……」

「……別に、謝ることじゃないでしょ。しょうがないことだし」

 

 それにしても私服のまま布団に寝るってのは変な感覚だ。寝巻きはアズサがついでに取ってきてくれるらしいから、それまで待たないとかな。

 服が汗で体に張り付いて、正直気持ちが悪い。嫌な感じだ。

 

「す、スオウさん、大丈夫ですか……?呼吸が荒いですし、顔も赤くて……あ、あれ?……いつも通りな気がしてきました……!」

「私のこと、変態か何かだと思ってますか……?」

 

 その言い方だと、まるで俺が妹相手に息を荒げたり……してるな。たまにしてるな。あれ、自業自得な気がしてきた。

 

「……まあ、いつも通りならそれに越したことはないけど。明らかに違うからね、これ」

「で、ですね……今日のスオウさんは、なんと言うか……生気がないです……!」

「そんなに……」

 

 生気がない。少し思い当たる節はある。

 いつもより大きな声を出したいって気分にならないし、自分から行動するような事柄に関しては後ろ向き。さっきの弁当がいい例だ。

 ……弁当……はて、何か忘れているような……ダメだ、鼻詰まりで頭が回らない。

 

「スオウ、待たせた」

 

 そんなことを考えてボーッとしていると、先ほど部屋に何かを取りに行ったアズサが帰ってきた。その手には紙袋と、見覚えのない寝巻きが抱えられている。

 

「まずはこれに着替えよう」

「え……いえその、それって私のじゃないですよね……?」

 

 アズサが持っている寝巻きは少しモコモコとしたデザインの、時期尚早とも思える暖かそうな薄い緑の服。あんなものは買った覚えがないし、買うはずがない。アズサとかに着てもらう為なら買うかもしれない。

 なんにせよ、あれが俺の寝巻きであるはずがないのだ。いつものパーカーはどこへやら。

 

「いつものは……」

「あれは相当使い古されてるし、生地がすり減ってる。少なくとも、今のスオウには適していない」

「ああ……確かに、結構ボロボロだもんね。スオウくらいじゃない?まだ着てるの」

 

 う、む……確かに、大抵の子はサイズが合わなくなって着れないし……ヨセはああいった体を覆われる服は嫌いらしいから着ることはない。アズサはトリニティ潜入の時に自分用の新しいものを購入したから、もう着る機会もないだろう。

 あれ、結構気に入ってるんだけどなぁ……なんだかんだ五年くらい着てるわけだし、もう替え時なのかもしれない。それはわかる。それはわかるんだけど。

 

「……じゃあ、それは……」

 

 だからと言って、じゃあその服はどこから出てきたのかという話でもある。

 

「これは衣替え用の寝巻き。マユミがこの建物を用意してくれるときに、一緒に買っておいてくれたみたいだ」

「マユミが?」

 

 そういえば、ここの家具とかもマユミが手配して用意してくれたんだもんな……生活基盤は任せろ、って言ってくれたし。本当、頭が上がらない。

 頭が上がらないけど、それはそれとしてこのデザインはちょっと嫌かもしれない。いや、悪いデザインじゃない、むしろ可愛くて良い見た目だと思うけど、だからこそと言うべきか。

 

「そのままの服装だと悪化する。今すぐ、着替えるべきだと思う」

「……あー、はい。わかりました」

 

 とはいえ、今はそんな我儘を言ってる余裕もない。というか、そんな行為に割く労力さえ億劫だ。

 大人しく上着を脱いで、服を受け取る。ボタンを一つ、二つと外して、着ていた服を脱いで。そしたら寝巻きを上から羽織って、またボタンを付け直していく。

 

「っく、この……!」

 

 指にうまく力が入らない。かと言って下手に強くやったら、さっきの体温計の二の舞だ。

 

「……ちょっと、一つズレて……ああもう。私がやるよ」

 

 見かねたのか、ミサキがそう言ってボタンを全て剥がした。どうにもしたから付けて行ったせいで、ご丁寧に全部ひとつズレた状態になっていたらしい。

 ミサキの頭頂部を見つめながら、されるがままに少しボーッとしていると、いつの間にやら終わっていたようだ。

 

「ほら、できたよ」

「ありがとうございます……」

 

 お姉ちゃん力の低下を感じる……これはまずい。これは非常にいただけない、どこかで一発大逆転しないと……。

 

「入るぞ」

 

 ほざいていると、扉を二回、叩く音がする。特に促すわけでもなく、間を空けずにサオリ達が中へ入ってきた。

 

「色々持ってきた。タオルに冷却シート、氷枕、飲料水に他にも……」

「あとサッちゃんが剥いたリンゴ」

 

 サオリが次々に持ってきたものを置いていく隙に、アツコがりんごを置いてそんなことを暴露する。

 サオリは「え?それ言っちゃうの?」とでも言いたげな表情で見て、誤魔化すかのように軽く咳払いをした。

 

「……あまりうまくはできなかったが……食欲はあるか?」

「……いただきますね」

 

 正直な話をすると、あまり食欲があるわけでもない。元々そんなに食べるわけでもないし問題ない気もするけど、何か腹に入れておかないと体力が保たなさそうだ。

 何より、妹が真心込めて剥いてくれたりんごなわけで。それだけで百薬の長なんか比較にならないほどの効果が見込める。

 

「せっかくなので、可愛い妹に食べさせてもらいたいです」

「良いよ」

 

 まあそりゃそうだよな。仕方ない。大人しく自力で……ん?

 

「今なんて?」

「良いよって」

 

 俺の様子をおかしく思ったのか、アツコが「やっぱり体調悪い?」と、案じてくる。いや体調は実際悪いんだけど、そうじゃない。

 普段ならやれ「その両手はなんのためにある」だの、「くだらないこと言ってないで早く食え」だの言われて流されるだけ。そのはずなのに、なぜだか今日に限って受け入れられたんだから、聞き間違えかと疑うのも無理はないだろう。

 

「はい」

 

 数秒目線を合わせて、痺れを切らしたアツコがりんごを爪楊枝でさらに一口サイズに分けて、そのまま刺して顔の前まで持ってくる。

 今まで妹達にこれをやったことはあるけど、自分がされる側になるのは初めてだ。

 

「え、えと……」

「遠慮しないで。ほら」

 

 ずいっとさらに前へ出されるも照れ臭さと気恥ずかしさが増える一方で、食欲は相変わらず。積極的に食べようという気にはなれなかった。

 

「……やはり、見栄えも大事だろうか」

「そんなことないよ……スオウはただでさえ食欲が希薄な方だし、単に食べる気にならないだけじゃない?」

 

 そんなこと言ってたらサオリが落ち込み始めた!?

 いや、確かにお世辞にも見栄えが良いとは言えないけど、別に食欲が落ちるわけでもないし……それに、初めてでこれなら上出来だろう。ほとんどピーラーを使って剥いたのと変わらない。

 

「……サッちゃんを落ち込ませないためにも……ね……?」

 

 そうして一切れのりんごを観察していると、アツコが小さな声でそう言った。その真意は決してサオリを気遣って、というだけでなく、俺から逃げる余地を無くすという目的であることが垣間見えた。

 

「はい。あーん」

「……あ、あーん……」

 

 口を開けて待っていると、舌の上に瑞々しい甘さ。

 確かそろそろ果物がおいしい時期だと、どこかで見たような気もするけど……残念なことに鼻詰まりのせいで、風味もクソもあったもんじゃない。それはそれとして妹が切った果物を妹が食べさせてくれた。星なんて付けられないほど、プライスレスな味だった。

 

「もう少し食べる?」

「そ、その、もう自分で……」

「ダメ」

 

 ただ困ったことがあるとすれば、自分から言い出したこと故に恥ずかしくても止めることができないということだ。完全に墓穴を掘った。

 

「……その、あとで食べるので、冷蔵庫に入れておいてください……」

「そっか」

 

 四分の一ほどを食べ終えたところで、先に胃の限界が訪れた。腹は空いているのに、これ以上食べれる気がしない。居た堪れなさの限界もほとんど上限値ギリギリだ。

 どこか満足げに鼻から息を漏らしたアツコを見て、なんとか力を込めて起こしていた上体をベッドに投げ出す。いや、投げ出されたと言うべきか。意図的にした行為ではなかった。

 

「……」

 

 体が、針のついた鎧でも着たみたいに重い。痛い。痛いとは少し違う。でも、不愉快なのは確かだ。

 熱で鼻のあたりがツンとする。息がうまくできなくて、目は少しずつ潤んでいって。できることなら、このまま寝てしまいたい。

 

「す、スオウさん……?」

「はい、おねえちゃんですよ……」

「う、うぅ……すでに言葉は届きません……!」

「そこはいつも通りな気もする」

 

 もはや会話も、ほとんど無意識的だ。何か考えるよりも先に、体が勝手に感情を出力している感じ。今なら何を聞かれても、簡単に答えてしまいそうに思えた。

 

「スオウ、気持ちはわかるけど、薬だけは飲んで。そしたら、あとはゆっくり休もう」

「はい……」

 

 アズサに支えられながらなんとか再び体を起こして、薬を2錠、口に含む。そしたらサオリが持ってきてくれたスポーツ飲料で流し込んで、少し喉に沁みた。

 

「ケホッ……ふぅ……」

 

 さっきより、熱が上がってきた気がする。寝起きだったから少し体温が低かったんだろう。早めに移動と着替えを済ませておいてよかった。

 そのまま再び布団に潜り込んで、目を閉じる。冷たい空気が突き刺さるようで、布団の中身でも肌寒さが消えなかった。ずっとずっと、寒いままだ。

 

「眠れそうか?」

「はい、なんとか……」

「そうか。なら、そのまま寝てしまったほうがいい」

「ありがと、ございます……みんな……」

 

 眠い……眠いし寝てしまいたい。いや、今はもうそれができる。それができるはずなのに、何かが変。

 ……ダメだ。うまく思考がまとまらない。もはやこうした思考さえも、言葉が怪しくなってきた。

 

「何か……」

「どうした?」

「物忘れ……」

「モノはスレ?なんだそれは、何かの暗号……モノ……物……は、摩れ……マッチか……?」

「絶対違う」

 

 そういえば、なんでこんな時間に起きたんだっけ。昨日はサオリの帰りを待っていたから、少し寝る時間が遅かったはず……だったら自由に二度寝でもかましてやれば……いや、そうだ。

 

「あ……あぁ!!当番!!」

「っ……!?ちょ、っと……!いきなり、大声出さないで……!」

「あ、ごめんなさい……」

 

 そうだ、当番。今日は俺がシャーレの当番じゃないか。すっかり忘れていた。

 

「ね、寝てる場合じゃないです……!今すぐにシャーレまで」

「風邪うつしちゃうよ。今から連絡入れて、今日は休もう?」

「あ……そ、それもそうですね……」

 

 えっと、スマホ……机の上か。とりあえず、先生のモモトークを開いて、と。

 

「え、と……」

 

 まずい。風邪で碌に頭も回ってないから、文章が思いつかない。一応迷惑かけてるわけだし、ちゃんとした文面で……えっと……!

 

「貸せ。私がやっておこう」

「スオウは寝てな」

 

 頭を捻って考えていると、スマホを奪われた挙句布団の中へ押し込まれてしまった。

 その上、ご丁寧に全身をぐるぐるっと巻かれて。お姉ちゃんロールの完成だ。お姉ちゃんロールってなんだ。本格的に思考が脈絡を得なくなってきた。

 

「スオウ、これは私がヒフミとゲームセンターでとってきたビッグペロロ様だ。流石に、ペロロジラクラスとは言えないけど……お守りがわりに貸してあげる。ちょうど人間のサイズに近いから、寂しくなったらこれを抱きしめると良い」

「いや、抱きしめませんよ……?」

 

 感触は悪くないけど、表情が怖い。目が両端に寄ってるし、舌は明らかに嘴に収納できるサイズじゃないし。お守りと言うより、邪教の偶像みたいだ。悪夢を見そうな気がする。

 というか、一体どうやってあの体積が紙袋の中に入ってたんだ……?

 

「よし、連絡は終わった。問題ない、しっかり体を休めてくれ、だそうだ」

「あ、ありがとうございます」

 

 本格的な異常性に恐怖心を感じていると、俺のスマホを机に置きながらサオリが伝言形式で教えてくれた。

 後顧の憂いも消えて、最後の力を振り絞って張り詰めていた気力もほとんど無くなって。いよいよ本格的に、眠気に抗えない。

 

「スオウ、何かあったらすぐに呼べ。最低でも誰か一人は、ここへ残して行く」

「いや……それ、うつしちゃう……」

「気にするな。それに、今朝まで同じ部屋で寝ていたんだ。どちらにしても、あまり変わらない」

 

 耳が詰まってるように感じる。意識は明瞭なように見えて、どこか朧気だ。汗の感触で、寒気は少し減り始めて。

 同時に、意識を奪われて行くようで。

 

「……む……先生から、追伸が……」

 

 意味を理解することもできない言葉が、暗がりに落ちる直前、鼓膜を震わせた。

 

 

 

 

 シャーレの先生の朝は早い。たまに朝と深夜と区分はない。彼の一日の仕事は、さして好きなわけでもないコーヒーを啜るところから始まる。

 

「“うーん……薄い……”」

 

 シャーレオフィスにはコーヒーメーカーが存在するが、彼がそれを使うことは少ない。手入れが面倒だからだ。さらに言うのであれば、その機能を使いこなせないため、いわゆる宝の持ち腐れである。

 インスタントコーヒーの分量を間違え、うっすいコーヒーに苦笑いする姿を見れば、先生の不器用さはわかるだろう。その薄さたるや、とあるメインOSが出力した彼の似顔絵、その頭髪といい勝負である。余談だが、最近シャンプーとヘアオイルを変えたらしい。

 

「“さて、と……”」

 

 そんな苦い思い出をコーヒーで誤魔化し、懐からタブレットを取り出して椅子に腰掛け、その電源をつける。

 

「“アロナ、何か新しい依頼はあった?”」

 

 あらかじめ否定しておくが、先生は断じて電子の石板に話しかける趣味を持ち合わせているわけではない。変態かどうかは多いに議論の余地があるが、変人ではない……いや、変人だったかもしれない。変人だ。

 変人だが、今回ばかりは理由がある。

 

『はい、先生!こちらが本日のお仕事です!』

 

 画面の中で、その見た目に似つかわしい朗らかな笑みを浮かべる少女。わずかに白んだその青髪を揺らし、左右非対称、空と桜の瞳孔は、彼女が根本から人間とは異なる存在であることを大いに示していた。

 彼女こそ、連邦生徒会長が残したタブレット型端末ことシッテムの箱、そのメインOSを支配する高性能AI……通称、アロナである。

 

「“うーん……これとこれは、出向かないとダメそうかな”」

『そう言うと思いまして、アロナがあらかじめスケジューリングをしておきました!この通りに行けば、今日中には終わるかと!』

「“流石。ありがとう”」

『うぇへへ……』

 

 彼女の主な役割は、先生の仕事の手伝い。また先生が介入する必要のない一部の処理は、彼女が行っている。履歴の管理だとか、募集の確認だとか。現時点では唯一無二、先生の頼れるパートナーなのだ。

 

「“今日の当番は……確か、スオウだったよね?”」

『はい!えぇと……あれ?始業時間は過ぎてるのに、まだ来てませんね……』

「“そうなの?”」

 

 人一倍責任感の強い彼女にしては、珍しいことだ。今までも何度か当番やシャーレの手伝いを担当してくれたことはあるが、できることもできないことも、一生懸命に取り組んでいた。

 そんな真面目な彼女が遅刻した上、さらに連絡もない。考え難いことである。

 

「“……アロナ、スオウから何か連絡は来てないかな?”」

 

 ともすれば、何かの事件に巻き込まれていないとも限らない。

 特に現状スオウは、七囚人に比肩するほどの大型指名手配犯である。ヴァルキューレや正義実現委員会からの追跡、もしくはアリウス分校の残党による襲撃。

 悪い可能性を挙げれば、枚挙に暇がなかった。

 

『連絡ですか?どれどれ……あ!つい先ほど来ています!』

「“本当?”」

『はい!こちらを!』

 

 タブレットを覗き込むと、アロナがうんしょ、うんしょと踏ん張りながら、大きな四角の物体を持ってきた。モモトークのアイコンである。

 

「“ありがとう”」

『いえ!』

 

 やり切った顔で、アロナは額の汗をぐいっと拭った。その気になれば画面ごと移行できるが、彼女は遊び心というものを忘れていないのだ。ただ遊びたかっただけとも言う。

 

「“どれどれ……”」

 

 モモトークのアイコンをポチッと押して、そうすれば昨夜から今朝までに来ていた通知がワッと画面を埋め尽くす。一つや二つなんてものじゃない。数百を超える通知。

 

「“はは……”」

 

 果てしない気持ちになりながら、その中の一番上。スオウのアイコンをタップする。そこには彼女らしからぬ口調で、文章が書かれていた。

 

『先生、起きているか?』

 

 スオウは基本的に、先生と会話する際には敬語を使う。砕けた丁寧語に近いが。ともかく、こういった口調を扱うことは少ないのだ。

 

───やーやー先生!元気そうで何よりだ!

 

「“……”」

 

 もっとも、一時期例外は存在したが。あれ以来、彼女がああいった……マユミやアシリが言うところの、男勝りな口調を使うことはなかった。

 

『“うん、もうすぐ仕事を始めるところ”』

『“スオウじゃないよね?”』

 

 早めに忘れてあげたほうが彼女のためだろうかと意識を横に逸らし、タブレットに表示されたキーボードで返信を打ち込んだ。少し待てば、すぐさまに返事が返ってくる。

 

『ああ。今日はスオウが体調を崩してしまって』

『シャーレの当番になっていたと思うが、向かえなくなってしまった』

『だから私が代わりに伝える』

『すまない』

 

 四つ、吹き出しの文面が軽快な音と共に表示される。内容を噛み砕くまでもなく、スオウは風邪を引いたのだろう。

 こういった短い、短文のような形式は慣れていないのか、どこか微笑ましいと思ってしまうような文章だった。

 

『“そうだったんだね”』

『“何か必要なものはある?”』

『いや、大体は揃っている』

『“そっか”』

 

 必要なもの。アリウス分校であった出来事を考えれば、風邪を引いた時に必要なものが何か、本当に理解しているものだろうかと、かなり不安な気持ちにさせられた。

 

『“こっちのことは気にしなくて大丈夫”』

『“まずは体を第一に考えてね”』

『“ゆっくり休んで、って伝えて欲しいな”』

『わかった』

 

 それからは特に返信があるわけでもなく、役目は果たしたということなのだろう。

 当番の生徒。もちろんいるに越したことはないし、先生個人ではできないことがあるのも確かだ。例えば、武力による鎮圧だとか。書類の整理だとか、帳簿の記入だとか。後ろ二つについては頑張れという話である。

 

「“アロナ、今日の仕事はどこに向かうんだっけ?”」

 

 だが幸いにして、今日の依頼はそういった武力による鎮圧が必要な場面はない。キヴォトスにしては平和な一日である。念押しするようが、あくまでキヴォトスにおいては。

 万に一つ必要に駆られたのであれば、連邦生徒会に協力を仰げば解決できる。

 それはさておき、スオウは今どこに住んでいただろうか。その後、自分から彼女たちの住まいに出向いたことはない。が、マユミ伝手で場所は把握している。

 聞いた時には、確か。

 

『えっと……ミレニアム自治区、七番街です!』

 

───大体その辺にあるわ!

 

 そう、今から依頼を解決する場所。その付近である。

 

 

 

 

 ミレニアム自治区七番街で突如として舞い込んだ依頼。一言で言えば、異常事態の調査である。夜な夜な街の外れから不思議な音が鳴り響き、夜も眠れない。そんな依頼だ。

 厳正なる調査の結果、昔ミレニアムに存在した企業が放置していた機械が誤作動を起こしているだけだとわかった。幽霊の正体見たり枯れ尾花、などという言葉があるが、真に恐ろしきは枯れ尾花を生み出す人の業である。

 

「“それじゃあ、ありがとね”」

「はい、またいつでも頼ってくださいね!」

 

 さらに何を勘違いしたのやら自分に襲いかかってくるのだから、たまったものではない。結局付近にたまたまいた生徒をアロナに呼んでもらい事なきを得た。

 財布の中身は一部吹き飛んだし、物資の支援を行なった影響で書類仕事も増えたのだから、踏んだり蹴ったりというやつである。

 とはいえ依頼主から心ばかりにと、自宅で取れたらしい果物をいただいた。これで安心して眠れると、どこか晴れやかな表情だった。そのことを考えれば、イーブンといったところであろう。

 

「“えっと、確かこっちに……”」

 

 薄暗い、なんの変哲もない道を、一歩一歩、確かめるように歩いて行く。マユミが用意したセーフハウスだけあり、その安全性はかなり厳重に確保されているようだった。

 一度迷ってしまえば二度と出れないようなそれを慎重に歩き、そして辿り着く。

 

「“ここが……”」

 

 何度か写真を見たことのある、アリウス分校生……そして何より、スオウのための隠れ家。相違ないものだった。

 

「“よし……”」

 

 意を決して、自動ドアを潜る。一応スオウの連絡先に見舞いへ行くことは伝えてあったし、大丈夫だとは思うが、玄関で再度連絡を入れることにした。

 

「あ、来た来た。あなたが先生ですね」

「“初めまして”」

 

 するとアリウスの制服を着た生徒が一人、こちらへと向かってくる。

 

「ごめんなさい、少し離れてて……スオウさんのお見舞いですよね?どうぞ、こちらへ」

 

 案内されて階段へと向かい、一階、二階と、その階層を一つずつ上げて行く。大した説明もなく案内してくれるのは助かるが、少々無警戒ではないだろうか。奥底でぼやいた。

 

「あ、無警戒だな、とか思ってますか?」

「“え”」

 

 そんな胸中を読んだかのように、アリウス生徒……ツムギは足を止め、先生の方を見ながら少し観察して。

 

「スオウさんを助けてくれて、ありがとうございました」

 

 先生の目をしっかりと見て、それから頭を下げた。

 

「あの人、頭おかしいですけど……私にとっては、大切な恩人の一人で……本人調子に乗るから言わないけど、お姉ちゃんみたいに思ってます」

 

 再び歩き始めて、一言一言、己の無力を。非力さを。弱さを。後悔を噛み締めるように、連ねて行く。

 

「なのに、私は……私はあの時、何もできなかったから」

「“そんなことないよ”」

 

 そんな様子を見て。否、見ていられなくないって。

 

「“私だって、そんなに大それたことはしてない”」

 

 そんな誤解を、自己否定をさせてなるものかと、慎重に言葉を選びながら、前へと進んで行く。

 

「“スオウが今も生きているのは、スオウが助けを求めてくれたからで……スオウが助けを求めてくれたのは。きっと、あなた達がいたからだよ”」

 

 スオウが生きたいと。まだ生きていたいと。自分は此処に居ていいのだと、在っていいのだと、そう在りたいの思たのは、他ならぬ妹が、彼女たちが居たからだ。

 決して、先生では果たせなかった役割だ。彼女たちがスオウの妹で、味方であり続けたからこそ、スオウはほんの少しでもその願いを肯定できた。

 

「“何もできなかった、なんて、自分を責めないであげて”」

 

 他ならぬその弱さこそが、その平凡こそが、スオウを救ったのだから。

 

「……なんというか……話に聞いてた通りですね。先生」

「“話……?”」

「はい。スオウさん、よく先生のことを話してくれるので」

 

 自分が知らないところで、自分が知られて行く。大して珍しい経験でもないが、どこか照れ臭いような気分になった。

 

「だから、先生のことは信用してますよ。スオウさん、この部屋にいます。多分、今は寝てますけど……看病も交代なので、別の人呼んできますね」

 

 ツムギが去り、一人扉の前に残される。幾らかの逡巡の後、意を決して扉を二回。コンコンと叩き、けれどの中から反応は返ってこなかった。

 先ほどアリウス生の彼女が言ったように、今は寝ているのだろう。

 

「“失礼します”」

 

 ゆっくりと扉を開けると、淑やかな寝息だけが鳴っている。ただ鳴っているだけで、響いてはいなかった。耳を澄まさなければ聞こえないほど薄く、儚い呼吸音。

 

「“寝てる……”」

 

 机の方から椅子を持ってきて、ベッドの横で腰掛ける。差し入れのゼリーと飲み物、ついでに漫画雑誌は預けておけばよかっただろうかと、少し後悔した。

 手持ち無沙汰に、周囲を軽く観察してみる。一体何人が見舞いに来たことやら、机の上は夥しいほどの差し入れで埋め尽くされていた。

 

「ん、うぅ……」

 

 そんな机を横目に、少しスオウの寝顔を観察していると、僅かに魘されているのがわかった。何か怖い夢でも見ているのだろうかと、少し心配にさせられる。

 

「……いやそれは武器じゃない……シアンの拳はゴリラパーツ……」

 

 かと思えばすぐににへら、と頬を緩めて、悪夢ばかりというわけでもないらしい。一安心して、再び椅子に腰掛けた。

 熱を測ろうと首元に触れてみると、薄い皮膚の下では確かに心臓が動いている。熱は幾分か下がったようで、あまり熱さは感じなかった。

 

「“もう熱は下がったのかな……?”」

 

 少し過剰とも思える、スオウへの心配。先生にとってもそれは自覚していることであり、そして何より納得できることであった。

 

───やだ……しなないで、みんな、しなせたくない……!!

 

 いやむしろ、そうでない方がおかしな話なのだ。あれだけのものを見せられておいて。

 キヴォトスでは、『死』というものは希薄な概念だ。先生においては、その限りではないが。キヴォトスで死亡した生徒など、少なくとも先生がシャーレに就任して以来は存在しない事例だ。

 そんな世界で、幼くして大切な人間と死別し。その小さな体に全てを背負い、何もかもを埋め尽くし、己の本質さえも捻じ曲げて。

 

「すぅ……ん、ふふふ……ちがいますよぉ……」

 

 それでも彼女は、今もこうして。

 

「“はは……”」

 

───スオウさんを助けてくれて、ありがとうございました。

 

 先ほどアリウスの生徒から告げられた、感謝の言葉。違う、むしろ逆とも言えるだろう。先生にとって、スオウは。

 

「“ありがとう、スオウ”」

 

 彼自身、そうとしか言い表せなかった。それ以外に表現するつもりもなかったし、それを今の彼女に伝えるつもりにもなれなかった。だからこうして、眠っている隙を見計らうことしかできなかった。

 もし彼女が、本当の意味で己と向き合うことができたなら。もし彼女が、先生と肩を並べる日が来るのなら。その時こそ、きっと。

 

「……ぅ……よか、った」

 

 スオウの寝言は、止まる気配を見せない。特にすることもなく、かと言ってここで仕事を始めるというのも。そんな考えから、少し彼女の寝言に耳を傾けてみた。

 聞こえてくる言葉は「妹」、「ゴリラ」、「ゲーム」……人物名を除き大別するのであれば、大体はこんなものである。

 

「“一体、どんな夢を……”」

 

 その内容は大いに気になるものであるが、恐らくは昔の夢を見ているのだろう。この世界ではない、どこか別の場所か。それとも、十年前の記憶か。

 より深く、その内容を聞き取ろうとして。

 

「どこにも、行かないで……もう、二度と……」

「“……”」

 

 気付けば、スオウは先生のコートを握っていた。いつのまにか、ベッドから手が伸び出ていた。

 がっしりと握って、離して無くさないようにされていた。先生の力で無理にこじ開けることはできなかったし、仮にできたとしてもそうするつもりはなかった。

 自分に比べて一回りも二回りも小さい、彼女の手に触れる。空いた手で、スオウの頭へ手を伸ばす。

 

「“大丈夫。ここにいるよ。私も。他のみんなも”」

 

 彼女を安心させるようにして、少ししてノートPCを取り出す。アロナがせっかく組んでくれたスケジュールをいっぺんに崩して、再びごちゃごちゃと組み直す。

 多少無茶なスケジューリングになったが、それでも実現不可能ではない。空いた時間は、ここで過ごすことにしよう。

 ほんの少し、過去へと旅立つスオウの横で、ゆっくりと仕事を始めた。




すみません、私自身風邪を引いてしまい更新が遅れました……

割としっかり一区切りついたように見えますが、次回に続きます!
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