ts転生者の生徒が、頑張るだけのお話。   作:おにっく

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【後日談】シャーレのなんでもない一日:下

 誰かと一緒に街を歩く。一見するとそれはなんでもないようなことに思えるかもしれないけど、存外にして難しいことだったりする。

 ……いや、別にそういう時間がありふれてるようで貴重だとか、それはそうかもしれないけど、そんな大それた話をするつもりはなくて。

 

「う、ちょ、ちょっとごめんなさい……あ、す、すみません、わっ……」

 

 こんな時間でも、人の混み合いは酷いものだ。遠路はるばるやってきた観光客や、もしくは学生やら。獣人の人たちもいるけど、アンドロイドも往々にしてたくさん。背の高い生徒だっている。

 ……要するに。

 

「せ、せんせーい……!!」

 

 俺の身長だと埋もれる。ついでに人を見失いやすくなる。

 

「“大丈夫?”」

「は、はい……なんとか……」

 

 迷惑にならない程度に、目立たない程度に。そのくらいの声で小さく先生に呼びかけたら、それだけですぐに見つけてくれた。

 遠くから戻ってきたとか、そんな感じではなくて。どうにも元々俺が見失ってただけで、すぐ近くにいたらしかった。

 

「あ、危うく迷子になるところでした……!」

「“少し横に逸れようか”」

 

 人通りの多い道の真ん中を抜け出して、店と店の間、ちょうど人が少なくあたりに出る。

 はぐれないように、先生のコートの裾を掴みながら。顔から火が出るように恥ずかしかったけれど、こんなところで一人放り出されるよりはマシな気がしていた。

 

「す、すごい人ですね……!」

「“お昼時だからね……少し時間をズラせればよかったんだけど”」

 

 特段人混みが苦手というわけではないけど、こうも人とぶつかると参ってしまう。こちとらまだ慣れてないんだ。そういうのに。十七年のブランクがあるんだから。

 ああ……居住区の田舎が恋しい。あそこも田舎ってほどではないけど、ここよりも人は少ないし。

 

「“それで、どこか気になるお店は見つかった?”」

「あ、はい。えーっと……」

 

 閑話休題。それよりも問題なのは、食べに行くお店についてだ。

 なにせ、先生が寿司を奢ってくれるっていうんだから、それはもう遠慮なくいただくつもりでいる。なんの理由もないならちょっと気後れしてしまうけれど、今回はお礼、って話だし。

 ……お礼なら、俺の方がずっとずっといっぱいしなきゃいけない気がするけど。それについては一度や二度で返せるものじゃないから、一生をかけてちょっとずつ返していけたら、なんて思ってる。

 

「まだ、ですね」

 

 ともあれ。店が見つからない。いや、正確には見つかるんだけど。

 

「“そっかぁ……ここなんてどう?”」

「……」

 

 先生がスマホで見せてくれたお店には、綺麗に盛り付けられた寿司がいくつか。食べたことなんてない……というか、覚えてないけど、おいしそうだ、となぜだか思う。そのくらいには美味しそう、なんだけど……!

 

「も、もう少し他の場所も見てみましょうか!」

「“それもそうだね”」

 

 見るからに高い……!絶対に高い、あのお店は……!多分一人当たり5桁円は行くんじゃないか……!?

 流石にそれはいけない。先生は基本キャッシュレス決済だけど、あまりお金を持っているイメージはないし……それじゃあ、先生がまたどこぞのセミナー会計に怒られてしまう。

 ただでさえマユミが贈った動くフィギュアについて、出所を問い詰められたみたいだし。

 

「うーん……」

 

 これならいっそ回転寿司にして貰えばよかったかな……今からでも変えてもらおうか。いやしかし、これはお礼なわけで……それはそれで、先生に気を使わせてしまうような。

 なんだろう、どこか……お、ここなんていいんじゃないか。少しお高いけど、せいぜいが二千円と少し。俺なら並にぎりだけで充分腹も膨れるだろうし、よし。ここにしようか。

 

「せんせ、っ……」

 

 いや待て。確かにぱっと見では他のお店とさして変わりがないけど、先生ならお会計の時に気づくはずだ。高いお寿司の中でも安めのお店を選んだことに。

 それじゃあ結局先生に気づかれてしまうし、どうすれば……あ、そうだ。

 

「先生、先生。私、実際にお店を見てみたいです」

「“お店を?”」

「はい。ネットのレビューだけではわからないこともありますし、それならひとつひとつ、自分の足で見て回った方が確実かなぁって」

 

 幸いにして、今の時間で道は覚えた。あとはそっちに行くように、バレない程度に誘導すれば……!

 

「“……また人混みに入ることになると思うけど、大丈夫?”」

「う……!そ、その、コートの端を摘んでいくので……そうすれば、多分はぐれないかと……!」

 

 流石に手は恥ずかしいとか、もうそんな言葉で言い表せたものじゃない。論外だ。絶対にあり得ない。

 それに、周りから見れば迷子の案内をしてるように見えそうで……よそう。虚しくなってきた。虚しいことなんてないけど、そういう意味じゃなくて。

 

「“……わかった。できるだけ、人が少ない道を選んで行こうか”」

「は、はい!」

 

 ……先生の背、おっきいなぁ。俺の頭がちょうど胸元くらい。手を伸ばして、やっと頭に手が届くかな。そんな感じだ。

 少し躊躇いながらも、恐る恐るコートに指を伸ばして、ちょこんと端っこを摘む。俺の腕力ならこれだけでも充分だ。というかこれ以上しっかり掴むのは、その……ちょっと、ね。

 

「……あ」

 

 気にしてなかったけど。できるだけ顔を見られないようにって、下を向いて。やっと、今気づくことができた。

 先生は歩きにくそうにしていて。それの理由は、俺の歩幅に合わせているから。

 

「……」

 

 いつだってそうだ、この人は。本当は先に歩いた方が楽なのに、そんなことはしない。俺たちに歩幅を合わせて、時には引っ張って、先を共に生きてくれる。何故ってそれは、彼が先生だから。

 

「敵わないなぁ……」

「“……?どうかした?”」

「いえ!なんでもないですよ!」

 

 でもせめて、俺の隣にいる時くらいは。

 

「先生、少し走っていきましょう?お腹を空かせて行った方が、きっとおいしいですから」

「“わ、わっと……私はもう、そこまで若くないかな……”」

 

 俺がこうして。

 

 

 

 

 少々駆け足で商店街を急いで、そしたら目的地に辿り着く。できる限り悟られないように、一度通り過ぎるフリをして。

 

「あ……先生!あそこ、お寿司屋さんじゃないですか?それも回らない方の!」

「“どれどれ……あ、本当だ”」

「あそこにしましょう!あそこに!」

 

 そしたら指差して、ちょっと強引に先生の手を引いて行く。多少無理矢理かもしれないけど、先生が疑問を持つより先にこの中に入ってしまえばそれでいい。流石に一度席に着いた店で、何も注文せず帰るなんてことはしないだろうし。

 

「いらっしゃいませ」

「二人です!」

 

 人数の確認をとって、お好きな席へ。こういうお寿司屋さん、来るのは初めて……だ。多分。

 カウンター席だけかと思ったけど、よく見たら奥にはテーブル席がある。比較的リーズナブルな、そこそこに大衆向けな店だからだろうか。きっと夜は、ここは飲み屋になっているんだろう。ふと、テーブルの端にそんな景色を見た。

 ……テーブル席がないと思っていたのは、ひょっとすると前世の記憶に影響されていたりするんだろうか。覚えていないのが、少し残念だ。

 

「先生、どの席にしますか?」

「“うーん……スオウはどっちが良い?”」

「そーですね……」

 

 せっかくだしカウンター席で!……なんて、言いたいところだけどさ。あんまりまじまじと顔を見られたらバレる可能性もあるし、とりあえずはテーブル席かな。代わりに、先生に顔を存分に見せてやる。

 

「テーブル席にしましょうか」

「“わかった”」

 

 店内の賑わいは、可もなく不可もなく程々といったところ。決して多くはないし、けれども席数に対して少なすぎるというわけでもない。

 大声で話すような人はいなくて、どこか自分たちもそれを強いられる雰囲気があった。だから先生に、小声で話しかける。

 

「ちょっと緊張してきました……」

「“私も……”」

「せ、先生もですか……!?」

 

 先生が緊張する理由はよくわからないし、多分冗談だろう。揶揄われているのだろうか。心の中で値段のワンランクアップを検討していると、暖かいお茶が運ばれてきた。ついでに、おしぼりも。

 ほどほどに熱されたそれは、別段熱すぎるということもなくて、手を拭いたあと少し目に当てた。

 

「ふぃー……」

「“……”」

「先生?なんですかそのおじさんを見る目は?」

 

 ちょっとやってみたくなっただけだよ。

 

「“そ、そんな目をしたつもりは……?”」

 

 けれども先生の目線は、思っていた理由とは違うらしい。何故だろうと考えていると、先生がメニューを渡してきた。

 ……ひょっとして、少し察せられてしまったのだろうか?メニューを渡すタイミングでのことだ、気づいてもおかしくはないけど……まあ、口に出さない方がいいだろう。自分から言い出したら認めるようなものなんだから。

 

「えーっと、どれどれ……?」

 

 上から特上にぎり、上にぎり、並にぎり。上に行くほど値段は高い。その他にも丼ものや、それとも単品のネタの注文など、思いの外バリエーションには富んでいた。

 

「とりあえず生一つ……」

「“ダメだからね?”」

「冗談ですよ。カシオレください」

「“ないからね?”」

 

 さっきの冗談への意趣返しをしている隙に、メニューをどうしたものかと頭を捻る。流石に特上を頼むのはちょっと遠慮がなさすぎるし、じゃあ並かと言われると遠慮しすぎな気もする。でも上っていうのも、なぁ……上、中、下だったら迷いなく中を選ぶだけでよかったのに。

 とりあえず、先生に先に注文させて様子を見るとしよう。

 

「先生は何にされるんですか?」

「“私はお腹いっぱいかな……スオウの料理を食べたし”」

「え、えぇ……?」

 

 そんなに量が多かったかな……?流石に以前の反省を活かして弁当の量は減らしたけど、今日は朝食にしては時間が遅かったし、あのくらい文字通り朝飯前かと……というか先生、自分は食べないつもりなのに連れてきてくれたのか。

 

「“迷ってる?”」

「う……はい、実は……どれにすればいいやら……」

「“一番おいしいのは特上じゃない?”」

「そ、それはそうなんでしょうけど!」

 

 これで違ったらちょっと色々変だろう。でも迷う理由はそれじゃないというか、多分先生もわかっててわざと言ってるんだろうけどさ。

 

「“……でもやっぱり、私もお腹が空いてきたかな。私は特上にぎりにするけど、スオウもそれで良い?”」

「あ、は、はい……ありがとうございます」

 

 ……先生、それは流石の俺でも気づくよ。でも、そういうところだよな。そういうところが……先生なんだ。ちょっと言葉にはならないけど。

 なんとなく、注文をする先生の横顔を見つめていた。隈、だいぶ減ってるな。今日、少しは休めたのかな?だったら嬉しいけど。俺のちっぽけな手伝いでも、先生のためになれたのが嬉しい。

 

「“……何か付いてる?”」

「はい。お口が」

「“付いてないと困るなぁ”」

 

 誤魔化して、茶を啜る。注文した品が来るまでの時間は、結構好きだ。何が来るのかってワクワク感にも浸れるし、長時間相手と向き合って喋ることができる。

 

「……お茶って、なんでお寿司屋さんでよく出るか知ってますか?」

「“なんでだろう……消化を助けるため、とか?”」

「それもありそうですけど……お魚さんの脂を舌に残さないようにするため、っていうのが定説だそうです」

「“へぇー”」

 

 特に意味もない、たまたま覚えてただけのちょっとした雑学だとか。

 

「“じゃあひょっとして、ケーキに対する紅茶も同じだったり?”」

「どうなんでしょうか……食い合わせはいいんですけどね。ミカに聞いてみます?」

「“ミカとは、よく連絡を取るの?”」

「はい、最近仕事が忙しいらしくて。早く会いたいよ、ってぼやいてます。思えば、あの一件以来会えてませんからね……」

 

 共通の知り合いの話だとか。

 

「“……そっか。ミカも大変なんだね”」

「私はもちろんですけど……先生も大切なお姫様のこと、ちゃーんと気遣ってあげてくださいね?」

「“わかった。お茶はまだ残ってる?日が当たってるし、席を変わろうか?”」

「……私じゃないですよ!!!」

 

 ……これはまあ、あれだ。ちょっとよくわかんないけど。そりゃロイヤルブラッドだけども、別にだからなんだって話で……!!

 

「もー……!そうやってからかって……!!私以外の生徒にはあんまりやっちゃダメですからね、そういうの!いつか本当に大変なことになりますよ!?」

「“からかったつもりはないんだけど……ごめんね?”」

 

 ……まあこんな感じで、相手の普段見えない一面が見えたり。そういう、これでもかと『相手との会話』を楽しめる時間。意外にも、こういう時間は設けにくいものだ。

 だからこそこういう時間に浸れることが嬉しくて。その時間が、愛おしい、なんて、ちょっと過剰な表現だけど、俺はそう思ってる。

 

「……私は許してあげますよ、私は。いえ、というか大変なことになるってそういう意味じゃなくて……はぁ……」

 

 まあいっか。どうせ先生も相手くらいはきちんと見極めるだろ。多分。恐らく。……メイビー。

 もしできてなくて刺されそうになっても一応助けてはあげるけど、割と自業自得な気がする。

 

「“お、来たよ”」

「あ、ありがとうございます」

 

 いつか訪れるであろうサスペンス劇場を幻視していると、いつの間にやら目の前に寿司が出されていた。量は少なめ、これであのお値段と考えると……中々……あれ、罪悪感が……!!

 

「“スオウ?”」

「あ、え?は、はい!お姉ちゃんです!」

「“……スオウちゃん?”」

 

 ……なんだろう、先生に『ちゃん』付けで呼ばれると、なんかこう……嫌なわけではないけど、違和感というか……なんか……なんだ……!?

 あれか、子供扱いされてるように感じてるのかな。少しムカムカするような感じだ。

 

「“はいこれ”」

「あ、お箸でしたか。ありがとうございます」

 

 ふふ……お箸の使い方は、アリウスのあの環境でも忘れていない。前世から持ち寄った和の心だ、正直知ったこっちゃないけど。お箸を使うのは苦手じゃない、むしろ得意。……訓練で使ったっけな。

 

「……はははっ」

 

 やめやめ。ごめんなシアン、今だけ忘れる。ご飯が美味しく食えなくなるから。

 どこかで「ひっどーい!」とか聞こえたらいいなと思ったけど、とりあえず棚に上げることにした。

 

「これ、食べ方は普通でいいんでしょうか?」

「“場所によっては、醤油を塗って出すらしいけど……ここは、そんなこともないみたいだね。醤油を小皿に出すところからかな”」

「醤油を、塗る……?」

 

 蒲焼のタレみたいなモンかな。なんにせよ、ここはそうなってないんだし……郷に入っては郷に従え。醤油を小皿に出して、ちょろろっと溢れない程度に醤油を垂らす。すでに美味しそうだと思うのは、変な話ではないと思う。

 

「それから……えっと、醤油につけて食べる……だけで、良いんですよね?」

「“うん。一応、決まった付け方はあるみたいだけど……気にせず美味しく食べれれば、それでいいんじゃないかな”」

「……ふぅむ」

 

 ラインナップはマグロ、イカ、なんかよくわかんないの、なんかよくわかんないの、ウニ、カニ、エビ。あとなんかガリ。

 どれから食べようか。正直、エビとカニについてはまだ抵抗感がある。昔から「食べちゃダメ」だと言われ続けてきたから、その感覚が抜けないんだと思う。生の豚肉を食べようとしてる感覚だ。

 で、なんかよくわかんないのは当然ナシ。楽しみはあとにとっておこう。となると、ここは無難に。

 

「マグロから、ですかね……?」

「“いいね。私はイカからもらおうかな”」

「え、じゃ、じゃあ私も……」

 

 いや、合わせる必要はないか。

 

「これ、お箸で取っちゃっていいんでしょうか?」

「“大丈夫だよ。もちろん、手で食べたって”」

「はは……やめておきます……」

 

 どれ、箸で持ち上げて……と、ちょっと崩れやすいか?手で持つイメージがあるのはこれが原因か……ネタだけ外して、そっちを醤油につければいいかな。

 

「どれ……」

 

 ネタの端っこ、三割くらいの位置までちょびっと醤油をつけて、シャリに乗せ直す。少しの緊張の後、崩さないように口に丁寧に放り込んで。

 

「かっ……!?っ……!!んっ……!!」

 

 辛い!!何これ辛い……じゃなくて!!なんかこう、鼻の奥が詰まるみたいな感覚だ!呼吸がつらい!アリウス謹製の催涙ガスといい勝負だぞ!?

 

「“スオウ!?”」

「お、お茶……!あぁああああ……!!」

 

 目から涙が出てきた……!なんだこれ、寿司ってこんな味だったのか……!?いや味は良い、むしろとてもおいしかった。でも鼻に毒物をぶち込まれたみたいなこの痛みは、ちょっと俺には耐え難い……!別にこっちだって痛覚がないわけじゃないんだからさ!

 

「はぁーっ……はぁーっ……!」

「“収まった?”」

「は、はい、なんとか……」

 

 ひょっとしてお寿司って、とんでもなく人を選ぶ料理だったっけ?あれ、俺の記憶ってもうそこまで危ういところまで来て……!?

 

「“わさびは苦手だった?”」

「……え?」

 

 現実を見通せず半泣きになっていると、先生がそう言って話しかけてくる。わさび……わさびってあの、緑色のあれか?

 ……いや、違う。前世の俺は絶対こんなふうになってなかった。多分寿司の中に毒が入れてたんだと思う。毎日毒を摂取してた俺が言うんだから間違いない。

 

「違います……多分……」

「“いや、どうみてもそれは……”」

 

 このお姉ちゃんたる俺が、たかだか食材如きに苦しめられるはずもないだろう。こんな、こんなたかだか辛い食べ物如きで!

 

「……わさびって、これですよね?」

「“う、うん”」

 

 ネタをピラっと捲って、そこから緑色の部分。わさびを取り出して、先生に見せてやる。

 

「どれ」

 

 ヒョイパクッとな。

 

「“あ、待っ”」

「っ!?ぐぇえぇえええん……!!は、鼻が……!!かぁ……!!」

「“あ……泣いちゃった……”」

「泣いてないですよ!!」

 

 いや泣いてるけど、それは別にそういうアレではなく!

 ……これ、わさびが原因みたいだな。今に始まった話じゃないけど、前世の肉体とのギャップ。それが今になって、強く現れてきた、ってことなのかな。別に今回の件についてはなんも嬉しくないけど。

 

「“わさび、抜いてみる?”」

「い、いえ、私はその……!そ、そのままでも……!」

「“本当に……?”」

「ぐぅ……!ぬ、抜きます……!」

 

 どう考えても意地を張るべき場所ではないし、おいしく食べる努力をしないのは失礼だ。

 仕方なく、本当に仕方なくくだらないプライドを捨てて、わさびを取り除いて。

 

「……これ、尻尾って食べて良いんでしょうか?」

「“人によるけど、私は残すかな”」

「じゃあ先にとっちゃいますかね……」

 

 大本命、エビだ。食べたことはない。三十四年間、一度も。……今世でもエビアレルギーとかないよな?食えないものが増えたんだから食えるものも増えないと不平等だよな……!?

 

「……い、いや、大丈夫!」

 

 大丈夫、もしあればアリウスで何かわかっているはずだ。あそこはゴミみたいな場所だけど、シアン達が統治してた頃はそういうのもちゃんとしてたし……うん。大丈夫、なはずだ。

 

「……いただきます!」

 

 グッと覚悟を決めて、口の中に一口。何度か嗅いだことのある、香ばしさ。ほんの少しの磯臭さ。人が食べるのを見て……羨んだことがないわけじゃない。ただ、想像するだけしかなかった味。

 

「……!」

 

 特徴的なのは香りよりも、その食感だ。先程食べたマグロとは違う、強い弾力。それを噛み潰した時に初めて感じ取れる、特有の旨み。これは、これが……これが、エビか。

 

「っ、はぁ……!おいしい!すごくおいしいです、これ!」

 

 最初は怖かったけど、中々どうして悪くない。また食べたいと思うくらいには、かなり気にいった味だった。

 

「“それなら何より。私のもあげるよ”」

「い、いいんですか?ありがとうございます!」

 

 ……やっぱり、悲観することばかりじゃないかな。この体も。この世界も。……俺が一度、死んだってことも。

 食べれるものは減ったけど、食べれないものも減った……ううん、違うか。変わった。俺はきっと、変わったんだろう。何もかもが。

 食事に限った話じゃない。全部がそうだ。何もかもが。

 

「……」

 

 そのどれもが、最近は……まあ、そんなに悪くないかなって、そう思えてる。

 だって、難しいことなんて考えなくたって……今までは食べれなかった美味い飯を食べれる。それだけでいいじゃんか。

 

「じゃあ先生には、お礼にこっちのわさびをあげますね」

「“いらない……”」

 

 やめにして、ただ食事を楽しんだ。

 

 

 

 

 シャーレに戻って、仕事を手伝って。その後の流れは、特に変わったこともなく一日の仕事を終えた。そしたらその日は、もう帰る時間で。

 

「それじゃあ先生、私はこれで」

「“うん、お疲れ様。今日は手伝ってくれてありがとう。……朝のことも”」

 

 先生はいつも通りの言葉に、少し付け加えてそう言った。

 

「構いませんよー……その、お礼ももらいましたから」

「“あれだけだと、少し足らないかもしれないけど……”」

「そんなことないですよ。とってもおいしかったです」

 

 正直、俺の体じゃあれだけでも腹一杯だ。……前世はラーメンに替え玉四つとか、全然食べれたのになぁ。いや、食費が浮いて助かるけど。

 

「“そっか。それじゃあ、また今度どこかへ行こうね”」

「……嬉しいですけど、先生の大人のカードは大丈夫なんですか?」

 

 今日のも比較的安いところを選んだとはいえ、二人で相当行ったと思うんだけど。

 

「“う……”」

 

 ダメだったらしい。先生の大人のカードは……どうにも、どんな使い方でもあまり変わらないみたいだ。目的だとか、その辺がさ。

 

「……それに、お礼を言うのは私も同じですから」

 

 小さく呟いた。静かな部屋だから先生にも聞こえていたはずだけど、きっとあえて何も言わなかったんだとおもう。特に何か反応を期待していたわけではないので、さっさと打ち切ることにした。

 

「……それじゃあ、私はそろそろ行きますね。お疲れ様でした」

「“うん。また今度ね”」

 

 ハンガーから白いコートを取って、シャーレの扉を開ける。出てすぐ右を道なりに、しばらく歩く。そうしたら、また右手側に出口が見える。

 

「……」

 

 シャーレに向かう道は慣れたのだから、同じだけ歩いたはずの帰り道も慣れている。普通は、きっとそのはずだ。

 でも、俺はいつまで経っても慣れる気がしなかった。なぜってそれは、きっと……まあ、はずがしがるような話でもないけど。さっきまで話していた人があっけなくいなくなってしまうのが、寂しいからで。

 

「わっ……」

 

 外へ出た。エンジェル24は、夜も元気に営業中。昼の暑さに抵抗するように、夜の風が熱を奪う。寒いかなと、コートを羽織って。

 

「……ん?」

 

 やけに、コートのサイズが大きいことに気づいた。気のせいかと身を包んで、どこか寂しさは消えた気がした。いや、むしろ安心感さえある。

 

「なんでだろ……」

 

 よくよく分析してみれば、それは匂いだ。先生の匂いがする。好きな匂いだ。コーヒーと紙を混ぜて、そこに洗剤を入れた匂いが。

 

「……先生?」

 

 改めて、今着ているコートを見直して。

 

「あ……ああー!!これ先生のやつ!!」

 

 思いっきり取り違えたことに、今更になってやっと気づいた。むしろなんで今まで気づかなかった、割とサイズ違うのに!

 

「も、戻らないと……!」

 

 というか好きな匂いだの安心感だの、何言ってるんだ俺は……!先生も困ってるだろうし、早く返してあげなきゃ───

 

『“あれだけだと、少し足らないかもしれないけど……”』

 

───……あー。

 

「……まあ、エビが好きになるくらいなんだから。そういうことも、ありますよね」

 

 ……誤魔化すのは、やめにしとこう。このコートは、俺の憧れの証で。それから、憧れの人のもので。何より、この寒さから守ってくれる。

 

「……先生」

 

 気づかないフリをして、コートの端をキュッと握った。昼間は照れ臭くてできなかったけれど、抱きしめるようにいっぱいに包んで、包まれた。

 先生に守られてるみたいで。包まれてるみたいで。その感触が、きっと『今の俺』は好きだった。

 

「足りないと思うなら……その分のお礼は、これで良いですよ」

 

 意味もなく、笑った口元をコートで隠す。

 後できちんと返そう。今だけ、今だけだ。言い聞かせて、そのままみんなの待つ家へと向かった。




来週から多分、夏イベに入ります!お楽しみに!
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