ts転生者の生徒が、頑張るだけのお話。   作:おにっく

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【後日談】動き出す者

 少し場所は変わって。アウトロービーチより遠く離れた、荒廃した海辺の施設。何かの抗争に使われたのか、偵察用の石造の建物はそのまま残されていて。

 

「ぐっ……はぁっ……ふぅー……!」

 

 それが、彼女達……栗浜アケミ達の、今回の作戦での拠点である。

 

「姉様、大丈夫ですか……?」

「……はい。少々、長くあの状態でいすぎました……ですが、問題ありませんわ」

 

 明らかな嘘であることは、妹分の目から見てもわかった。

 全身からの汗は、未だ止むことなく蝕まれている彼女の状態を表しているようで。彫像のような美しい筋肉は、彼女の意思に反してピク、と、時折弾けるような動きを見せる。

 

「わ、私っ……!氷を取ってきます!」

「……ありがとう、ございます」

 

 精一杯、安心させるように笑いかけてから、トス、と冷たい壁に背を預ける。空中に痛みを吐き出して、ただひたすらに、時間を過ぎ去ることを待つ他ない。

 承知していたリスクだ。一瞬でさえ肉体への負担は避けれない呼吸法。数分間、限界を迎えるまで使い続けたのだから、こうなることはわかっていた。

 だからこの苦しみも、痛みも、彼女にとってはあまり問題ではなかった。否、彼女を苦しめているのは痛みではない、というべきか、とにかく。

 

「……クソッ」

 

 栗浜アケミは、敗北した。

 

「……!」

 

 それだけの事実が、ただひたすらに彼女の心に禍根のように突き刺さっている。

 小さな彼女。桃髪の彼女。前者は何か……言うなれば、突然エンジンだけが入れ替わった車を操縦できなくなったような。そんな違和感を抱いたが、それでも拳を打ち合わせたのだ。その強さはわかる。

 

「……まだまだ、ですわね」

 

 あの二人は、自分よりも……強い。間違いなく。違うのは鍛え方?戦術?否。

 精神の異常性。あるいは、天より与えられし才。狂気的と言っても差し支えないそれらが、彼女たちと栗浜アケミの勝敗を分つ。たとえ万全の状態でなかったとしても、こんなところまで引き分けられてしまうほどに。

 

「ふぅ……」

 

 奥歯が砕けて消え果ててしまうほど、グッと噛み締めながら。己の非力を嘆いた。これでもう、選択肢はないも同然。

 あの二人がいるのだから、B.o.Bを再び攫うことはできない。ならば、ここで退くか?答えは否だ。

 愚行であると知りながら、それでも尚止まることはできない。可愛い妹分達がまだ不良として生きていけるのは、あの『アリウスの白い悪魔』の気まぐれだ。

 彼女が再び何かの事件を起こせば。あるいは、ブラックマーケットを餌場とすれば。道中で偶々はち合えば。……悪い可能性は、いくらでも思いついた。

 

「だからこそ……」

 

 だからこそ、ここでヘルメット団へ報復し。知らしめるのだ。『栗浜アケミに手を出す』とはどういうことか、そして『栗浜アケミを敵に回す』とはどういうことか。

 そのためにはもう、一つの選択肢しかない。祭を直接ぶち壊すしか……もはや彼女に、報復の手立てはない。

 

『ほむ、こっぴどくやられたようですね』

 

 そこまで考えて、突然通信が繋がる。杖をついた小さな、強い癖っ毛の生徒が、青白く映し出されていた。股下まで伸びた髪は、彼女が小さく動く度にふわり、と揺れていた。

 

「っ……ニヤニヤ教授」

 

 呼ばれた通りに小さく微笑んで、怪しく猫目のブローチを光らせる彼女……ニヤニヤ教授。

 

『アケミ、あなたがそこまで追い詰められるとは。白い悪魔でもいましたか?』

「冗談はやめてください。あんなものが此処にいたならば、私は矛を収めてはいませんわ」

『ほむ……熱くなりやすい性格は相変わらずですか』

 

 彼女の自称は犯罪コンサルタント、つまりは課題の解決。それを生業とする、その見た目に似合わぬ職業、そして。

 

『あまり無茶はしないでください。なにせ、せっかく脱獄させた七囚人の一人なんですから』

「……承知しております」

 

 栗浜アケミを世に放った張本人でもある。彼女を脱獄させたのは、他ならぬニヤニヤ教授だ。相応に苦労はしたが、なんとか混乱に乗じて成功させた脱獄。再びあんな危うい橋を渡るのは、教授としても勘弁願いたいことだった。

 

『やけに素直ですね……何か心境の変化でも?』

「はい、少々」

『ほむ……詳しく話をお聞きしても?』

 

 教授が少し驚いたように目を開いて、話を聞く体勢に入った瞬間。勢いよく扉が開かれる。

 

「ね、姉様!氷です!」

「ありがとうございます。助かりますわ……そこに置いておいてください」

「あ、お話中でしたか……すみません!」

「いえ。また後ほど」

 

 慌ただしく出ていく妹分に、「話を遮られてしまいましたね」と、教授と苦笑いしあった。

 

『慕われているんですね』

「ええ、有難いことに」

『……貴女から依頼があった時は、少々驚きましたが。彼女達のためだと考えれば、納得も行きます』

「……」

 

 数週間前。肉体の状態も万全以上に戻り、間違いなく今までの自分を、その限界を超えた瞬間。彼女はニヤニヤ教授に依頼した。「ヘルメット団に報復がしたい」、と。

 特に理由を聞いてくることはなかったが、どうやら見透かされていたらしい。

 

『作戦は……聞くまでもないようですね』

「はい……失敗しましたわ。せっかく協力していただいているのに、申し訳ありません」

『特に謝る必要はありませんよ。恐らく、貴女にとっても認識外の何かがあったのでしょう。……次の作戦を考えます。話してみてください』

 

 パートナー。と言うほど、気のおけない仲ではない。それでも、教授はアケミを救い。アケミは教授に恩義を感じている。

 ニヤニヤ教授にとって、依頼主に邪険にされることは珍しくもない。恨まれる仕事をしている自覚もある。それでもアケミは、自分に助っ人という立場で、力を振るうべく協力してくれている。

 お互いに踏み入れないまでも、そこには奇妙な信頼関係と、相手を憎からず想う気持ちがあった。

 

「……今回の作戦の失敗。簡単に言えば、とある二人が原因です」

『とある二人?』

「ええ。小さなヘルメット団の少女と、桃髪のヘルメット団の少女ですわ」

 

 氷で患部を冷やしながら、その力を思い出すアケミ。あれらは、異常だ。自分のような秀才では敵わない、破滅的なまでの戦闘センス。

 

「誘拐に気づかれ、そして隠れ家を特定されることも想定の範囲内。そこで返り討ちにし、人質を取ることがニヤニヤ教授の提案した作戦でした」

『はい、その通りです。まさか貴女が敗北するとは思いませんでしたが……多少腕に覚えがある者がいたのですね。集団戦でも仕掛けられましたか?』

「いえ。一対一の戦いですわ」

『……なんと?』

 

 アケミの言葉に、一瞬自分の耳を疑うニヤニヤ教授。人より回る彼女の頭を真っ白に染めるほどの情報。

 

「一人目……小さい方のヘルメット団には、勝利できそうだったのですが。決着の直前、横槍が入りましたわ」

『冗談……では、なさそうですね。それではまるで、ヘルメット団に貴女と戦えるほどの実力の持ち主がいるかのように聞こえますが』

「少々違いますね。相手は……何か、おかしな点があった。万全ならば、恐らく私よりも……それは、横槍を入れてきたもう一人も同じです」

『っ……!』

 

 アケミの言葉に嘘はない。そのことを表情から察し、一筋の冷や汗を垂らす。先程冗談めかして白い悪魔でもいたか、と聞いたが、これならばそちらの方が幾分かマシだろう。

 アケミとて、キヴォトスで指折りの実力者。それがさらに鍛え直したのだから、その実力を上回る者など、思いつくだけでたかが知れている。アリウスの白い悪魔。ゲヘナの風紀委員長。トリニティの正義実現委員長。

 無論、自分でもその全てを把握しているわけではないと、それは承知の上だ。だがだとしても、あまりに異質。異常と言っていい。否、もはや異常以外では言い表せない。こんな辺鄙なビーチに、キヴォトスでも屈指の強者が集まることなど。

 

『ほむ……アケミ』

「はい」

『退きなさい』

「お断りします」

 

 教授の判断は早かった。情報は惜しい。だが、アケミという駒を失うのはさらに惜しい。彼女をここで失えば、相応の打撃となる。

 だが、アケミとて譲れないものはある。彼女もまた、即座に判断しその指令を拒絶した。

 

『貴女のためです』

「わかっています。ニヤニヤ教授。あなたの言葉が、私を慮った故であることも。その判断に、誤りがないことも」

『……』

「ですが、退けません。ここで退けば、『栗浜アケミは敗北した』という事実が残る」

 

 あの二人のどちらか。少なくともどちらかを倒すまで、アケミは退けない。彼女の戦う理由が、変わらぬ限り。

 

「敗北はいい。私も無敵ではない、そんなことは理解しています。ですが、それでも今回だけは退けない。思い知らせなければならないのです」

『ですが』

「ニヤニヤ教授。私を矯正局から脱獄させてくださったこと。私に役割を与えてくださったこと。どちらも、深く感謝しています」

 

 アケミは溶け切った氷嚢を握り締め、教授の目を見据えながら。

 

「だからこそ、言わせてください。お世話になりました。さようなら、と」

 

 強い決意。たとえ自分が再び捕まろうと、たった一勝。ただの一度だけの勝利が、彼女にとって肝要なのだ。全ては、妹分を守るために。

 

「妹分は、ここに残していきます。もし何か聞かれれば……義理はないかもしれませんが、どうか……」

『……はぁ』

 

 これはテコでも銃でも、戦車でも巡航ミサイルでも動かない。一目みて、それがわかった。

 厄介な駒を握ってしまった。時に従順だが、不良らしくそれは気まぐれ。あくまで最終判断は自分な上、勝手なことを言い出すし。

 

『仕方がありませんね。私が作戦を思いつくまで少し待ってください』

 

 捨て駒にすることさえ許されないのだから。

 

「……え?」

『貴女一人で向かわせれば、敗北は必然。しかし妹分と……私、ニヤニヤ教授の知恵と頭脳があればあるいは。一勝の後、撤退くらいならできるかもしれませんよ?』

「ニヤニヤ教授……」

『わかったらエリザベスを置いて、さっさとそこに座ってください。少なくとも、アケミが負傷している今向かうのは愚策です』

 

 くどいようだが、教授にとってここでアケミを失うのは惜しい。であれば、自分が手綱を握った方が幾分かはマシというもの。理屈で動いていないのだから、丸め込むこともできないだろう。

 加えて、アケミの話に出た異常な二人も気になる。どうせ何かを失うのならば、得るものは多い方がいい。最善はアケミと情報を持ち帰ること、次善はアケミを使った最後の情報収集。

 何より……世話になったというのならば、それは自分も同じこと。恩返しと言われればそれまでだが、義理がないわけでもない。

 

「……ありがとうございます。ニヤニヤ教授」

 

 思考を重ねながら、一先ずは安堵のため息をついた。

 

 

 

 

 シオとの約束も果たして。時計を見れば、約束の二時間。もちろん、全員が集合してる、けど。

 

「うぇえぇええええん……怖かったぁ……!怖かったぁっ……!」

「……あ、アシリ?」

 

 なぜだか号泣しているアシリがそこにはいた。アズサ、それに先生と手を繋ぎながら、迷子になった子供のようにぐずっている。先生は途中で抜けたから、多分アズサ達の方に行ったんだろうけど……一体、何が?

 

「よしよし。どうしたんですか?」

「あ、あのねっ、あのねっ……!わた、私たち、モモフレンズの聖、地に行っててっ……!」

「はい」

「そしたら、それが洞窟の奥でっ……!懐中電灯の電池が切れて、しかもみんなと逸れちゃって……!泣きながら走ってたら、冷たい水に落っこちちゃって……!」

 

 本当に迷子になってたんかい。言葉をグッと飲み込みながら慰めていると、だんだんと落ち着いてきたらしい。握っていた手を焦って離しながら、目元をゴシゴシと拭って。

 

「泣いてないよぉ!」

「無理がある」

 

 その場の全員を代弁して、アズサがツッコミを入れた。流石に手慣れてる……トリニティにいた頃は、きっといつもこんな感じだったんだろうな。りょっぴり不思議な気分だ。

 ……学校、か。もうずいぶん長いこと行ってないから、どんな場所だったかは忘れちゃったけど。ちょっとだけ、また行ってみたくなっちゃうな。

 

「……スオウちゃん?」

「っ、はい。お姉ちゃんです」

「お姉ちゃんは私だよ!」

「違います。ところでミカ、次の種目は何にしますか?」

 

 アシリに「違くないよ!」とか否定返しをされる前にさっさと話を切り替えて、ミカに話題を振る。ミカは寝耳に水と言った感じで目を見開いて。

 

「えっ?わ、私が決めていいの?」

「もちろん。みんなもいいですか?」

 

 全員の反応を見た後、改めてミカの方に向き直る。これは、元々そのつもりだったことだ。ミカが遅れての登場となってしまったわけだし、こうしてたくさんの種目、遊び方を提案してくれたのもミカだ。このくらいのうまみがあっても、誰も文句は言わないだろう。

 

「わーお、予想外……え、えーっと……そうだなぁ……あ、これ!」

「どれどれ……ビーチバレー?」

 

 ミカが指差した先には、ビーチバレーという文字。というか綺麗だな、字。流石にお嬢様。

 余計な思考を横に追いやって、嬉しそうなミカの横顔を見つめて。

 

「それはまた、なぜ……」

「え、っと……その、ね……私、昔から力が強かったから、対等にスポーツできる子がいなくて……でも、スオウちゃん達ならもしかしたらって……ダメ……?」

「ダメなわけないじゃないですか!やりましょう、すぐやりましょう、今すぐやりますよ!」

「スオウ、あまりミカを困らせるな」

 

 サオリに諌められたけど、でもそんなのを聞いて勇み足になるなってのが無理な話な気がする。そうだよな、力があるっていいことばっかりじゃないし……シアンも、そんなことを言ってた。同じだったのかな。

 だからというべきか、友達として。その願いは叶えたいと、心からそう思う。だから、次の種目はビーチバレーで決定だ。

 

「“ルールはどうしようか。人数分けとか”」

「あ、確かに……元々先生を含めて十二人いたから、二対二を十五試合分でいいんじゃない?それなら、全員が戦えるよね?」

「それはそうだけど……ミカのチームが強すぎない?またトリニティとアリウスで一人ずつでしょ?」

 

 ミサキの懸念はもっとも。ミカ、俺と同じくらいには強いわけだし……誰と組むことになったとしても、その組み合わせに勝てるチームはなかなかないんじゃないだろうか。

 

「まあ、その時はその時で……うーん。一応、レシーブする順番は交互じゃないとダメ、ってするつもりだし、大丈夫だと思うけど……」

「……うん、問題なさそう」

 

 確かに、ミカは連携とか苦手っぽいもんな……その分こっちがフォローしなきゃいけないわけで、それならまあ実力も拮抗するだろう。

 

「“私はトリニティに入ればいいかな?”」

「うん、そうしてもらえると助かるかも。それじゃあみんな、このくじを引いてくれる?」

 

 ミカが両手に握って差し出したくじ。先端にアリウス用、トリニティ用とそれぞれ書かれているそれを引いてみると、その片端には一番と書かれていた。

 

「じゃあ、それぞれ自分と同じ番号の人と組んでもらってもいい?」

「む、そういうことですか」

 

 ええと、一番、一番は、と……いた。

 

「ヒフミさんですね」

「は、はい!精一杯、足を引っ張らないように頑張ります!」

「はははっ、リラックス、リラーックス。大丈夫、何があってもおねえ、んん。私がフォローしますからね」

 

 危なかった。癖でお姉ちゃんとか言いそうになってた。しっかりしないと。

 

「みんな組めたみたいだね。ちなみに私のペアはサオリちゃんだよ」

「んん!?」

 

 今なんて言った?今ミカなんて言った?私のペアはサオリちゃん?

 

「……あそこが優勝すると思う人」

「……」

「あ、あはは……」

 

 全員が一様に手を上げて同調した。

 スクワッド最強のサオリ。トリニティ最強のミカ。その二人が組むのだから、そんなのは強いに決まっている。とはいえ、俺たちも勝ち目がないわけじゃない。まずは動きを見て作戦を立てて……と、ん?

 

「そういえばこれ、どういう順番で戦うんですか?」

「一番と二番、三番と四番、五番と六番かな。それが一番わかりやすいし」

「あ、それもそうですね……ちなみにミカは?」

「二番」

 

 終わった。勝ちの目は完全に潰えた、初戦からミカとサオリは無理ゲーってやつだ。まあ、できることはするけどさ。

 

「カウントがめんどくさいし、試合時間十五分で点数が多かった方を勝ちにしよっか。サーブは点数を取られた方で、人数が少ないから交互になら何回でも球に触れてオーケー。それと、コートは三つ用意して……そうすれば、一時間くらいで終わると思うから」

 

 海辺を見ると、日は少し傾き始めている。暮れる前に撤収の準備は始めてしまいたいし、迷子になったり、怪我をしてる妹がいないかの確認もしたい。

 多分、今日できるミッションはこれが最後かな。ミカもそれがわかっていて、三コート用意しようとしているんだろう。

 

「それじゃあ、早速準備しようか!パラソルの所に用意はあるから、それを使ってね!」

 

 ミカがパチン、と手を叩いたタイミングで、みんなが一斉に動き出す。恐らく、最初に試合するチーム同士で協力してコートを作ることになるだろう。その中で会話も生まれるはず。だから設営が必要なビーチバレーだったのかな。

 

「そうだよ」

「……あれ、今口に出てましたか?」

「ううん。でも、スオウちゃんの考えてることは大体わかるから」

「……」

 

 嬉しいやら怖いやら。確かにミカにはその、あまり蒸し返したくはないけど……何もかもお見通しだったわけで。過剰な表現でもないのが恐ろしいところだ。

 

「ミカ様とスオウさんは仲がいいんですね」

「んー?そう見える?えへへ、そう見えちゃうかぁ、そうだよね!私とスオウちゃんは仲良し!」

「……なんというか……いつも通りのあいつだな。以前のような」

「はははっ……ですね」

 

 ミカの話し方はいつも通り。馴染みやすくて、わかりやすくて、一見すると何も考えてないように思える。

 最後に会った時は……思い詰めてる感じだったから。いや、あれは俺のせいだけども。

 

「サオリちゃんもだけどね。ナギちゃんにとってのヒフミちゃんみたいな感じだよ」

「な、ナギサ様にとっての……私……?」

「うん。ナギちゃんったらね、最近お茶会にヒフミちゃんが来るたびヒフミさんが、ヒフミさんがって、その話ばっかり」

 

 少し頬を膨らませて、むーっと不機嫌な顔をして見せるミカ。ちょっと寂しそうには見えるけど、怒ってはいないと思う。

 

「そ、そうだったんですね……」

「そうだったんだよ。でもね、ナギちゃんも元気が出てきたみたいで……幼馴染としては、ちょっと嬉しいんだ。ありがとね、ヒフミちゃん」

「い、いえ私はその……その、私なんかが、ナギサ様によくしていただけて……感謝するのは、私の方ですから……」

「……うーん。こういう所なのかな?」

 

 そういえば、結局よくわからないんだよな。ナギサがヒフミに固執する理由。

 いい子なのはわかるし、ナギサにとって大切な存在なんだ、ってこともわかる。でも、そもそも二人はどこで出会ったんだとか……気になるな。

 

「ヒフミさんとナギサさんって、いつどこで出会ったんですか?」

「あ、それは私も気になってた。あんまり知らないんだよね、そこ二人のこと」

「は、はい。あれは確か、私がトリニティに入学した頃だったんですが……」

 

 ヒフミの話を聞きながら作業を進めていると、いつの間にやらコートはバッチリ完成していた。

 

「よし、それじゃあ……ここからは、敵同士だよ。ねっ、サオリちゃん?」

「ああ。たとえアズサの友人だろうと、容赦するつもりはない。本気でかかってこい」

「は、はいっ!」

 

 ヒフミ、ガッチガチだ……けど、これは別に、恐怖心じゃないな。緊張だ。それも、多分……俺たちの強さに、じゃなくて。ミカやサオリ、ほとんど初対面の人間と遊ぶことに、だ。

 

「ヒフミさん……本当、すごいですね……」

「へ、えっ!?え、えっと、ありがとうございます……?」

 

 やっぱりこの子は、どこか普通じゃない。どんなに強い相手でも、知らない相手でも、前提から同じ人間として扱っている。そこが異質さの正体だ。

 ……なるほど、ナギサとアズサはこういうところが気に入ったのかな。

 

「サオリちゃんと共闘するのは初めてだね。戦ったことはあるけど」

「……そう、だな。あの時はすまなかった……私も、頭に血が昇っていて……」

 

 あの時……ああ。俺がミカに奇襲された時……さっきからなんというか、何回も黒歴史が掘り返されてるみたいで恥ずかしいんだけど。もうあの話やめてくれないかな。いっぱい反省したから。

 

「あ、そんなつもりじゃ……んー。うん……まあ、結構ボコボコにされて痛かったけどね」

「うぐ……すなまい……」

「だから、信頼してるよ。フォローはお願いね!サオリちゃん!」

「っ……!ああ、まかせろ!」

 

 なんて言ってるうちに、向こうは結束も強まってる。妹が仲良くなるために役立てたなら本望だけど、お姉ちゃん辛くて吐いちゃいそうだよ……。

 

「す、スオウさん」

「っと、はい。スオウさんですよ。どうしました、ヒフミさん」

「その……私たち……どうすれば勝てるでしょうか……」

「……へぇ」

 

 どうすれば勝てるか、ね。『絶対に勝てない』とは、微塵も思ってない顔だ。自分の弱さを理解しながらも、諦めていない顔。

 

「勝てないとは思わないんですか?」

「えっ……?え、えっと……思わないわけでもないですが……あ、あはは……ごめんなさい、おかしいですよね」

 

 勝てない可能性を分かった上で、勝つための算段を頭の中では考えている。端的にいえば、諦めが悪いのだろう。根性がある、肝が据わっている。

 表現は色々あるけど、とにかく。

 

「いえ、おかしくなんかないですよ」

 

 妹の友達に、ここまで信じてもらえるなら。

 

「勝ちに行きますよ、ヒフミさん!」

「っ……は、はいっ!」

 

 お姉ちゃんとして。ここは、何がなんでも勝つっきゃないでしょう。

 

「そっちも良さそうかな?それじゃあ、サーブは……じゃんけんでいっか」

「っ、待てミカそれは」

「はい。じゃあ、行きますよ!さーい、しょーは、グー!」

「……遅かったか」

 

 ふっ、ミカ。この俺にじゃんけんで挑もうなんざ百年早いんだよ。一体俺がどれだけの妹に先読みじゃんけんで勝ってきたと思ってるんだ。

 

「じゃーん、けーん!」

 

 ミカの指先の開き方。筋肉の動き。呼吸、視線。間違いない。グーだ。

 

「ぽん!はい私のか、ち……?」

「甘い甘い」

 

 どうなってる。今、ミカの人差し指と中指には、閉じるように力が込められていた。なのに直前で、いきなり指が開いて……っ、まさか!

 

「親指で弾いただけだよ。私たちが先行ね」

「っ……!」

 

 やられた。十年間、誰にも負けたことのなかった先読みじゃんけんが初めて。今、破られてしまった。

 ミカがやったことは単純。親指の先端で人差し指と中指を弾いて、途中から無理やり開いた。だからこそ、見抜けなかった。その動きを。

 

「上等……」

「わ、私には高度すぎて、何が何だか……」

「ヒフミさん、耳を貸してください」

「え?は、はい!」

 

 ヒフミにこっそりと耳打ちをして、サオリとミカに向き直る。サーブは予想通り、ミカだ。

 

「さて、それじゃあ……」

 

 ゆっくりと。軽く弾き上げるように、ミカはボールを上に飛ばして。

 

「せいぜい、足掻いてね?」

 

 音がするよりも先に、衝撃が来た。

 

「っ、お、おおぉおぉぉおおおおおおお!!」

 

 弾け。上に。受けるな、流れを利用して。腕を伝わせるように、上に。

 

「っ、らああああっ!!ヒフミさん!!」

「は、はいっ!!」

 

 上に飛び上げられたボールを、ヒフミに指示してもう一度上に上げてもらう。これで次に打つのは俺。攻勢に向かえる。

 

「ふーっ……」

 

 砂浜を踏み締めて、跳躍。ボールが腕先に来たタイミングで、鞭のように体をしならせ。

 

「せいやっ!!」

 

 ミカ達のコート、その端に向けて、全力で打ち込んだ。

 

「ふっ!」

 

 しかしそこは流石にサオリ、コート端まで腕を伸ばしてどうにか届かせる。ゆったりと上に飛んでいくボール、その動きは緩慢で、そして位置は低い。

 だからこそ、ミカにはレシーブではなくトスしかできないというわけだ。

 

「ま、関係ないけどね」

 

 ミカのトスは、緩やかなカーブを描いて吸い込まれるようにサオリの元へ向かう。そしていつのまに体勢を整えたのやら、サオリは一気に跳び上がり。

 

「ヒフミ。受けてみろ」

 

 次の手番は俺ではなく、ヒフミ。だからこそ俺は、絶対に点数を取るつもりで打った。だが、こうなった今。

 

「っ、うぅ……!」

 

 ヒフミに止める術は、ない。

 

「ご、ごめんなさい……!」

「いえ、気にしないで!ナイストライです!怪我はないですか?」

「だ、大丈夫です!次に行きましょう!」

「……よし!その意気です!腕が赤くなってるので、これ巻いておいてくださいね」

 

 腕が赤くなっている。サオリのレシーブに、それだけの力が込められていた証拠。そしてなにより、「受けてみろ」という言葉。間違いない、サオリは……ヒフミを試すつもりで、今の一撃を打った。

 たった一度の攻防で、この疲労。しかし、勝ち目はある。

 

「次はそっちがサーブだよ」

「はい、わかってます」

 

 だが、それをここでバレるわけにはいかない。だから、ここは……大いに点数を取らせてもらうとしようか。

 

「行きますよ」

 

 ボールを上げて。打つ。普通の、なんの変哲もない。そう表現するべき所作。

 

「っ、さすが、でも」

「待て、ミカ!!その受け方はダメだ!!」

「へっ?」

 

 だが、そこにかけられた回転は……異常なほどだ。

 

「っ、回転っ……!」

 

 回転によりボールはミカの腕を伝って、瞬時に上腕部まで到達。胸にあたり、反射するようにそのまま地面に落ちた。

 

「っ……やられた。流石だね、スオウちゃん」

「……」

 

 ……いや、うん。点数は取れた。点数は取れたんだけどね。なんだろうな、この敗北感。

 多分俺だと顎に当たって落ちてたんだろう。なぜだかすごく腹が立つ。

 

「ま、油断禁物。って、とこですね!」

 

 怒りを外に追いやりながら、なんとか格好つけたセリフを吐いて見せる。点数は点数だ。うん。別に関係ないし。

 

「でも、いいの?」

「なにが?」

「次にサーブ受けるの……ヒフミちゃんだけど」

「……」

 

 そう、だな。俺が点数を取ってしまった以上、次のサーブはサオリ。ミカよりはマシだけど、それでもヒフミにサオリのサーブを止めることができる保証はない。だから。

 

「ヒフミさん……わかってますね?」

「……」

 

 ヒフミが頷いたのを見て、一安心。サオリならきっと、大丈夫なはずだ。

 

「行くぞ……」

 

 ボールがポン、と上がり、強い打撃音。ミカや俺のそれとは違い、素直な、愚直とも言えるサーブ。ヒフミの元へ一直線に向かい、そして。

 

「っ、そ、れぇっ!!」

「っ!?なに!?」

 

 一直線。宙に向けて、弾き返されるような動き。サオリのサーブを、ヒフミは受け切った。

 サオリの驚愕を他所に、ボールは十メートルほど宙へと跳ぶ。ヒフミも体に神秘を込めれば、このくらいはできるようだ。だったら、あとは。

 

「お姉ちゃんのお仕事、ってやつです!」

 

 足に神秘を込めて、跳躍。ボールの()()へ。

 

「まさか」

 

 神秘で強化した聴覚に届く声。そう、そのまさか。

 

「お、らぁああっ!!」

 

 ボールを下へと、思いっきり打ちつけてやった。一直線にミカ達のコートへ落下するボール。風に揺らされることもなく、ボールはコートへと打ち込まれ。

 

「ふぅ……これで一点リード。ですね」

「くっ……!」

 

 地面に到達した頃には、大きなクレーターが残されているだけだった。

 

「どうなっている、ヒフミ……先程の一撃、お前では……」

「あ、あはは……えっとですね……」

 

 ヒフミがやったことは単純だ。サーブを腕で受け切った、それだけ。

 だが、サオリとヒフミの筋力は比較するまでもないほどの差。では、ヒフミはどうやってあの一撃を受け切ったのか。

 

「サオリ……ヒフミが腕を痛めないように、加減しましたね?」

「っ……なるほど……」

 

 最初に受けきれなかった、サオリのレシーブ。ヒフミは全力で防いでいた、わけではなかった。それだけの話だ。

 

「す、すみません、騙してしまって……」

「いや……素晴らしい作戦だった。実行するのも一筋縄ではないだろう。実力のうちだ」

 

 サオリにヒフミの実力を誤認させることによって、「怪我をさせないように」と、サオリが無意識に行なっているであろう加減を強めさせた。それにより、ヒフミはトスに成功したわけだ。

 

「でも、いいのかな?」

「……」

「次のサーブは私、受けるのはヒフミちゃん。サオリちゃんの手加減も通用しない。もう点数は取れないよ」

 

 だが、ミカの指摘の通り。これ以上点数を取る方法は、ミカ達から見ればないも同然。だからこそ、このままでは一点のリードも活かせぬままに敗北してしまう。

 

「……本当に?」

「へぇ……何か策があるのかな?」

 

 話しながらも、サーブの用意をするミカ。

 

「だったら、手加減はできないけど」

 

 その球に込められた気迫は、先程のものよりも大きく。

 

「受けてみなよ!!」

「よし、ヒフミさん!横に逃げて!!」

「えっ?」

 

 球が打ち出される直前。横側に向けて、二人で思いっきり逃げ出した。

 

「ちょ、ちょっと!?」

 

 当然ボールは何者に阻まれることもなく、そのまま着地。黒黒しい跡を残しながら、ミカ達に点数が入る。

 

「どういう」

「これで」

 

 そして、サーブは俺たちに移り。

 

「次のサーブは、ヒフミさんですね?」

 

 今、勝利は決まった。

 

「っ……そういうことか……!」

「えっ?ど、どういうこと!?」

「気をつけろ、ミカ!先程のがもう一度来るぞ!」

 

 ミカのサーブでヒフミの手番を消費せず、次のサーブに回した。これで次のサーブはヒフミ、そしてそれを受けるのはサオリ。ミカに移ったとしても、俺なら受け切ることができる。残り試合時間はわずか、これなら。

 

「ど、どういう」

「え、えいっ!」

 

 サオリが説明し切るよりも先に、ヒフミがサーブを打ち込む。威力が弱いながらもしっかりとサーブの体を成しているそれは、サオリでも無視することはできず。宙へ上がり、ミカの方へ。

 

「っ、何を企んでるかは知らないけど!それじゃジリ貧だよ!!」

 

 腹を立てたようなアタックを、なんとか腕全体で上へ。上へと、弾き上げ。

 

「ヒフミさん!」

「任せてください!」

「っ、そういうことか……!」

 

 ミカが理解するのと同時に、ヒフミが再び空高くへとボールを上げた。当然、俺も先程と同じように跳躍。ボールを地面を叩きつけるべく、腕を構えて。

 

「でも、何度も同じ手が通用するかな?ねぇ、スオウちゃん」

 

 ミカとサオリは見ていた。こちらを、混乱することなく。恐らくミカの言う通り、先程の手は通用しない。ハッタリではない、そう思わせるだけの実力がミカにも、サオリにもある。

 

「けどね……」

 

 そう、先程の手は通用しない。()()()()()()()()なら。

 

「は、ぁあああああああっ!!」

 

 回転をかけるように、ボールを地面へ。向かうのはミカ達のコート、ではなく。俺たちのコート、スレスレ。ネットとコートの狭間。

 

「っ……!」

 

 そしてそこには、ヒフミが立っている。

 

「い、行きますっ!!」

 

 ボールが地面に到達する、直前。ヒフミがラッシュガードを巻いた手でボールに触れ、そして。

 

「なっ……!?」

「やられた……!」

 

 かけられた回転により、横方向へ威力を持ちながらミカ達のコートに落ち。同時に、試合は終了を告げた。

 

「よい、しょっと!」

 

 体をもたつかせながらもなんとかコートに着地して、まずはヒフミの元へ。

 

「ヒフミさん、手は大丈夫ですか?」

「は、はい!このお洋服のおかげで……」

「ならよかったです」

 

 妹の友達に怪我させるわけにはいかないからな……もちろん、手加減はしたけど。無事だったようで何より。

 

「もー!!負けたー!」

「はははっ……ミカぁ、油断しすぎですよ!」

「ぐぬ……ヒフミちゃんがあそこまでやるとは、予想外……!」

「その通り、この勝利はヒフミさんとだからこそです!」

 

 サオリを騙すための策。最後の一球。どちらも、俺や、サオリや、ミカとの力の差を恐れないヒフミとだからこそ実行できた策だ。

 

「わ、私はただ、作戦に従ってただけで……」

「その『だけ』が、本来難しいことなんですけどね……」

 

 現に、コハルやアシリと組んでたなら最後のはやるつもりがなかった。というか、ヒフミとでもやるつもりはなかったんだ。

 だけど、試合前のヒフミを見て……大丈夫だと思って。サオリを騙しおおせたところで、それは確信に変わった。

 

「ヒフミさん」

 

 不思議な子だ。阿慈谷ヒフミ。こうしていれば平凡の塊のような子なのに、どこか恐れ知らず。強い、何者にも曲げることのできない芯がある。

 

「んっ!」

「っ……!は、はい!」

 

 それがきっと、彼女の魅力なのかな。勝利のハイタッチをしながら、そんなことを考えた。

 

 

 

 

「よい、しょっと……これで、準備はオーケーですね」

 

 試合も終わって、日も暮れて。今日はこんなものかと妹達の安全も確認して、ヒフミ達と先生を含めた全員で予約していたホテルにチェックインした。妹達のことを見たり、先生と説明を受けたりしてたから、俺だけちょっと部屋に来るのが遅くなっちゃったけど。

 

「しっかし、シャワーで洗ったとはいえ髪がベタつきますね……」

 

 サオリ達、と言うかスクワッドのみんなとは同室だし、一応着いたよ、ってことだけは伝えたいんだけど……まあ、モモトークでも入れておけばいいか。

 このホテル、そこまで高くもないが、決して安いわけでもない。夏の終わりなこの時期、予約が結構空いてたのは助かったけど。アウトロービーチの一部であるここを選んだのには理由がある。

 

「ふっふっふっ……!久しぶりの温泉だぁ!」

 

 そう、ここには温泉、それも大浴場がある。

 この世界に来て十七年、正直温泉なんてもう、文字通り死ぬまで入ることがないだろうと思ってたけど……まさかこうして、のんびりと過ごせる日々が訪れるとは思っていなかった。

 体を目一杯広げれるほどのお湯の中で、のんびりと湯に浸かりながら疲れを癒す。これ以上の平穏、安静は存在しないだろう。

 

「ふーん、ふん、ふふふふん、ふーふーふーふふーん……」

 

 身体中ベタベタしてるし、ちょうどいい。着替えと入浴セットを持ちながら、鼻息を鳴らして大浴場へ向かう。階層的には下だから、エレベーターで行こうかな。

 

「ふふふん、ふーん、ふん、ふっ、ふふーんふーんふーん……」

 

 チン。という音と共に、金属製の扉が開かれて。淡いライトに照らされた道を歩いていくと、三つの暖簾。

 

「あった!」

 

 うんうん、やっぱり温泉といえばこれだよな。もう必要ないのかもしれないけど、雰囲気は大事だと。

 

「……ん……暖簾が三つ?」

 

 ふと、少しおかしなことに気づく。普通こういうのって、男湯と女湯で二つなんじゃなかったっけ。

 

「どれどれ……?」

 

 青が男湯。赤が女湯。これはいつも通り、変わらない。そしてそのさらに奥の緑が、混浴、と……なるほど、混浴ね。混浴か。

 

「……混浴?」

 

 今日日見ない気もするけど、あるもんなんだな。珍しい。それとも、キヴォトスならではなのかな?

 混浴……うぅん。俺としては、複雑な気持ちだ。この体を男の人に見られたいとも思わないし。でも、女の人に見られたいわけでもない。男の人の体を見たいわけでもないし、女の人の体を見たいわけでもない。

 だから、そういうことを気にせず入れる混浴っていうのは、ある意味で楽だったりするのかも……しれないけど。

 

「ま、ないな!」

 

 普通に体に従って女湯でいいだろう。そもそも温泉は人の体を見るために入るものでも見せるために入るものでもない。風呂に入るために入るものだ。それに、妹である程度は慣れてるし。

 まあでも、そういう気持ちで混浴に入る不届きものもいる、とは聞いたことがあるけど。

 

「と、誰か出てきますね」

 

 ここにずっといたら邪魔だし、どい、て……?

 

「“あ”」

「……先生?」

 

 ……今、先生。混浴の暖簾から出てきたよな。今。混浴の暖簾から、出てきたよな。

 つまりそれって、先生が混浴に入ってたわけで。中にはもしかしたら、獣人やアンドロイド以外の女性もいるかもしれないわけで。

 というか、俺のハニートラップが通用しなかった癖にわざわざ混浴に入るか?いや、多分ない。でも、先生……が、混浴の暖簾から出てきたのは事実で……ああ。俺が子供だったからって、ことか……ふーん。

 

「せっ……」

「“……せ?”」

「先生のすけべ……」

「“誤解だ”」

 

 両手を挙げて焦らずにそんなことを言う。

 ……そういえば、前先生が生徒と不埒なことをしてる、って思った時も、誤解だったっけ。何も話を聞かずに決めつけるのは良くないな。

 

「なんで混浴の暖簾から?」

「“ペットボトルを落とした時に、暖簾の奥まで転がって行っちゃって”」

 

 これだよ、と手に持ちながら説明する先生。言われてみればシャンプーの匂いもしないし、まだ髪がベタついてる。本当に誤解だったのか。

 

「ご、ごめんなさい……変な勘違いしちゃって……」

「“ううん、大丈夫。スオウもこれからお風呂?”」

「はい、そのつもりです。身体中ベタベタですし……それに、久しぶりの温泉ですからね!」

「“そっか。のぼせないように気をつけて、ゆっくり体を休めてね!”」

「はい!先生も!」

 

 男湯と女湯。別れて、暖簾をくぐる。壁一枚を隔てれば、この奥に先生がいる。不思議な気分だ。

 それに、つい十七年前までは……俺も、向こうに……。

 

「やめやめ」

 

 さっさと服を脱いで、浴場へ。まだ人は少ない。サオリ達も入ってないけど、何人か妹はいるな。あんまり人が多いと大変だし、手早く済ませてしまおう。

 

「えっと、まずは体を……はぁ……めんどくさい……」

 

 俺にとって一番憂鬱なのは、この時間だ。ミカが言ってたお風呂前の体、髪の洗い方をしなきゃいけないし。

 ……そういえばミカは何も言ってこなかったけど、チェックとやらは合格でいいのかな。

 

「あ……タオル忘れた……」

 

 あれがないと背中洗いづらいのに……まあ、今日くらい良いかな。

 

「じゃあ、私の使う?」

「いいんですか?ありがとうございます、ミカ」

 

 流石ミカ。俺にあれを送りつけてきただけあって、しっかりと自分、も……?

 

「……ミカ!?」

「えへへ……来ちゃった☆」

 

 来ちゃったて。

 いつぞや想像していた通りのセリフを吐くミカに大いに困惑しながら、かろうじてタオルを受け取った。




すみません、思ったより長くなって一時間ほど更新が遅れました……
今夜にはバレンタイン特別会も投稿予定です。よろしくお願いします。
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