風呂を上がって、髪も体も乾かして。手入れを終えれば、あとは服を着るだけだ。
入浴するということは、その日の締めくくり。身体中に溜まった疲れを湯に溶け出させて、それでやっと『終わったのだ』と、自分にそう思わせるための行為。ただそれはそれとして、風呂上がりは手間を以て俺の心を憂鬱にさせる。
「とにかく、やっと出れますね……」
「あ、待って待ってスオウちゃん」
下着は先につけておいたので、あとは寝巻きに着替えて出ようとして。ミカに呼び止められる。
「はい、どうしました?」
「せっかくだしさ、こっち着ない?」
そう言ってミカが見せてくるのは、薄っぺらい生地の浴衣。温泉街とかでよく見る、それだ。
「む……」
確か部屋に備え付けてあったはず。わざわざ持ってきたのだろうか。
着慣れた服の方が、動きやすくて俺は好きだし。厚意はありがたいけど、遠慮しておこうかな。
「いえ、私は」
「うん、おっけー☆」
「ちょっ!?」
油断した隙を突かれ、ミカに後ろに回り込まれて。ほんの一瞬で、浴衣に袖を通されてしまう。
ミカ、いつのまにそんな器用さを手に入れて……いや、言ってる場合じゃない。
「ちょっとミカ!!私はいいんですって!いつもの着慣れたこの服が一番便利なんです!」
「それ、昔の訓練服でしょ!!アズサちゃんから聞いてるよ!?せっかくならこういうのも楽しまないと!」
「いーやーでーす!!」
後ろに回り込まれた上体勢を崩されて、これじゃあ力で勝るミカの方が俺よりも圧倒的に有利……だったら!
「そぉ、れっと!」
「なっ!?」
ミカの肩を掴んで、腕力のみを駆使し彼女の頭上で後転。そのまま距離をとって、イーブンの状況まで持ち直した。
「甘いですよミカ!私がこの程度でやられると思いましたか!?」
「……えーっと」
ミカは何やら困惑したように、苦笑いをしながら後ろを振り向く。
……なんだ?一体後ろに何があるって、言う……あ。
「甘いのは、スオウちゃんの方じゃない?」
俺の寝巻き……ミカの後ろに置きっぱなしだ。虚をつくことだけを考えて、本来の目的を忘れてた。
「み、ミカ。落ち着いて、冷静に話し合いましょう。人間は理解し合える生き物です、ほら話し合いを……!」
「私の勝ち!!」
「ミカァ!!!」
一瞬で外に持っていかれてしまった。いつのまに着替えたんだ、あの子。
「……まあ、しょうがないですか」
別に積極的に着たいわけじゃないけど、水着よりもマシなのは確かだ。それに、流石に下着姿で人前に出るわけにもいかないし……ここは浴衣で我慢するとしよう。
「……」
水着と下着。何やら思い出さない方がいいことを思い出しそうになったので、それは頭の片隅に追いやりながらも、スマホで浴衣の着方を検索。ご丁寧に、ミカからモモトークで着方が説明されたサイトのリンクが送られてきていた。
「まったく、ミカは……」
あのくらい気ままに、気持ちのままに振る舞ってるところを見せてくれるなら、友達としては安心だけどさ。
普段仕事のストレスとかも溜まっているのだろうし、できることならこの海で存分に発散していって欲しいけど。
「っと、もう終わり……って、え……?これだけ……?」
少しの間スマホを参考に浴衣を着て、ほんの数分で着付けは終わり。工程が短いってことは、それだけすることも少ないってわけで。
「……スースーしてて落ち着かない……」
ほんの一枚脱いだら、すぐ下着。いや、普段着も時期によってはそうかもしれないけど、これは紐が解けたらすぐにはだけてしまうわけで。
……もう少し硬めに結んでおくか。
「もー……恨みますよっ……!」
これを着て人前に出るのはさすがに恥ずかしいから、部屋に戻ったら真っ先に着替えさせてもらおう。想像力を掻き立てる分、水着よりも破廉恥な気がするし。
とにかく、一旦外に出ないと。
「ミカー、着替えたのでさっさと私の服返して」
「あ、やっと出てきた」
「“おかえり、スオウ”」
暖簾をくぐると、そこにはご丁寧に俺の服を畳んで持つミカと、横でうちわを仰ぐ先生が。
「……はぁ!?」
なんでまた先生と鉢合わせ、いや。入るタイミングが同じだから、出るタイミングが同じってことか……!?先生、だいぶ長風呂気味……そんなことはいい。
「ミカ、服……服を……!」
また先生に恥ずかしい格好を見られて……!!もう何回目だ……!?
……あ、でも先生も浴衣……いや、だからなんだって言うんだ。俺自身の羞恥心にはあんまり関係ないだろう。
「えー、それよりもさ。先生がこれで飲み物奢ってくれるらしいから、一緒に自販機行こう?」
「え……」
ミカが見せびらかしてくる五百円玉から視線を移して、チラッと先生の方を見ると、いいんだよ、といった感じで頷いてくれた。
飲み物……確かに買おうとしてたから、小銭は持ってきてるけど……せっかく良いって言ってくれてるんだし、甘えちゃおうかな。
「その、ありがとうございます。先生も何か飲みますか?」
「“いいんだよ。私はもう買ってあるから、気にしないで”」
そう言って先生は、自分の横に置いていたコーヒー牛乳を手に取って見せびらかしてきた。
……俺も同じものを買おうとしていたということが、深い理由もなく少し嬉しい。
「ほーらスオウちゃん、早く」
「はいはい、自販機は逃げませんからね……」
下着が見えないように胸元を手で押さえて、それから小さくお辞儀をして、ミカの方についていく。その翼は上機嫌に、小さく揺れていた。アズサと過ごした時間もかなり長いから、こういう見極めは得意なつもりだ。
「ミカ、早く服を……」
「似合ってるのに」
「……あ、ありがとうございます。でも恥ずかしいものは恥ずかしいんです」
というか、ミカは恥ずかしくないのだろうか。トリニティのお嬢様なのに、やけに温泉に馴染んでいるような……?
「なぁに、そんなにジッと見て。あ、スオウちゃん何飲む?」
「いえ、何も。コーヒー牛乳で」
「ふーん……あ、ひょっとして翼の部分気になる?はいこれ」
「ありがとうございます。翼の部分、ですか……」
特段そういう意図があったわけではないけど、気にならないと言えば嘘になる。
そんな視線を感じ取ったのか、ミカは自分の腰元のあたり、翼の付け根に軽く触れて。
「ここだね。ここに切れ目が入ってて、そこを通すの。ちょっと面倒だけど、まあ普段の服に比べたらマシかな?」
「へー……」
アズサも服選びが面倒だってボヤいてたな。こういう配慮をした服を見つけるのは、案外面倒なのかもしれない。
フルーツ牛乳を片手に「行こっか」と言うミカに背を向けて、そのまま先生の元へ。うちわで体を仰ぎながら、体を涼めていた。
「先生、これお釣り。ありがとね」
「“大丈夫。それより、モモトークは見た?”」
「モモトーク?」
そういえば、ミカ以外にもグループから連絡が……あ、サオリからだ。
「へー、卓球台……私、やったことないかも」
「ああ……だから部屋にはいなかったんですね」
俺抜きでもヒフミ達と仲良くやれてるようで、お姉ちゃんはちょっと安心。その調子でどんどん仲良くなってくれれば、もしかしたら……かも、しれないし。
「少し休憩したら、私たちも行こっか」
「はい。それじゃあ先生、少し隣に失礼しますね」
「“どうぞ”」
所々の動きではだけないように気をつけつつ、先生が座っていた長椅子の横へ。コーヒー牛乳のキャップを開けて、グイッと一口。
「……」
「……?ミカ、どうかしましたか?」
やけにミカからの視線を感じて、途中でコーヒー牛乳を飲むのをやめに。しばらく視線を交わしていると。
「あ、ううん。なんでもないよ」
「そうですか」
「“私も、残りはここで飲み干していこうかな”」
「あ、先生もコーヒー牛乳……」
いっそうミカからの視線が強まったのを感じて、じっと見つめてみれば、途端にミカは口元を緩めて。
「ふーん、そっか……へぇ、そういう感じかぁ」
「……?」
何がそういう感じなのかはよくわからないけど、とにかく解決したのならよかった。
「私も座ろうかな」
「あ、はい。どうぞ」
「ありがと、うっ!」
「うわっ!?」
ミカが横に押し出すように座ってくるので、自ずと反対側……先生の方へ、バランスを崩してしまう。お姉ちゃんの底意地でなんとか耐えたはいいものの。
「ほらスオウちゃん、詰めて詰めて!ほーらー!」
「ちょっ、やめ、やめてくださいってば!」
ミカがその膂力を大いに活かして押し出してくるから、だんだんと折角保ったパーソナルスペースが崩れ果て。ついには、先生と肩が触れ合って。
「この、ミカっ……!」
先生に触れてる方の肩が、じんわりあったかい。お風呂上がりだからかな。まだそんなに冷えてないらしい。服も違うから、温泉っぽい匂い。嫌な感じはしないけど、俺は普段の先生の匂いの方が。
いや、言ってる場合じゃない。
「いい加減に」
「……うーん。なんか違うな」
「はい?」
首を捻ってしばらく経ったのち、これだ!と、手のひらに拳を乗せて。
「スオウちゃんはこっち来ようか」
「へっ?」
そのままミカの膝に乗せられ、ミカは先程まで俺がいた位置へ。自ずと、先生とミカの距離は先ほどより近くなって、俺もそれは変わらなくて。
「ミカっ……!ミっ、ミカァ!!!」
軽く顎に頭突きをしてフルーツ牛乳をひったくり、膝の上から逃げ出した。
◇
「うぅー……酷いよスオウちゃん、私だって牛乳飲みたかったのに……」
「自業自得です。ああでもしなきゃずっとあそこにいることになってましたよ」
「“はは……”」
休憩は牛乳が飲み終わるまで。だったらミカから奪ったフルーツ牛乳を全て飲み干してやれば、それでおしまいだ。
なんとか逃げおおせたことに安堵しながらも、ミカに少し確認。
「ヘルメットの具合はどうですか?」
「うん、良好良好。流石に、じっくり顔を見られるのはまずいもんね……」
流石に俺たち二人は、なんの変装もせずに、ってわけにもいかないしな。
仕方ないながらも少々煩わしさを感じつつ、向かうは卓球台。そこまで大きくスペースが取られているわけでもなく、数台設置されているだけらしい。まあ、そんなものだろう。
こういうところのネットって、だらんとしててちょっとやりにくいんだよな。
「む……」
ふと思い出された前世の記憶に想いを馳せながら、しばらく歩いてサオリ達に教えてもらった場所へ。目で確認するよりも先に球を打ち合う、小綺麗な打撃音が。
だいぶ白熱しているらしく、ラリーの音はかなり早い。これは……トリニティからはわからないけど、サオリとアズサは戦り合ってるな。
「お待たせしました、お姉ちゃんですよ!」
「む、スオウ。やっと来たか」
声をかけた途端サオリは切り上げて、球を上に。そのまま落下してきた球をノールックで掴んだ。何それかっこいい。
「はい、ごめんなさい、待たせちゃって……」
「いや、いい。お前は何かと忙しかったらしいし……ああ、風呂に入っていたのか」
「あ、気づきました?」
サオリの前でくるっと一回転、浴衣を見せつけてみせる。微笑ましげにため息をつくサオリの横から飛び出るように、アシリが現れて。
「ちょっと待って、スオウちゃんもうお風呂入っちゃったの!?お姉ちゃんとして、私も一緒に入りたかったのにぃ!!」
「妹じゃないです。それに、妹の入浴時間も把握してないようじゃお姉ちゃんとしては二流ですよ」
「人間としては正しいけどね」
ミサキ、それ暗にお姉ちゃんが人間じゃないって言ってないかな?疑問を心に留めつつ、泣きついてこようとするアシリの額に指を刺して抑えていると、ふとアシリはその動きを止めて。
「……あ、あれ……?ミカ様と、先生も浴衣……」
余計なことに気づいた。
「ま、まさか……!」
フルフルと指を震わせながら指してくるアシリの疑問に対して。
「ん?うん、一緒に温泉に入ったよ!」
ケロッと、最悪の回答をしてみせた。
「な、何やってるんですか!?す、スオウちゃんとならまだしも、そっ、そのっ!!」
「ん?あー、まあ温泉では普通のことじゃない?」
「ふつうのこと!!?」
……すごいすれ違ってるのは、側から見たら明らかなんだけど。怒涛の勢いすぎて、ちょっと入っていけない……あ、コハルが爆発した。ハナコにはぜひそのままコハルのことを押さえておいて欲しいものだ。
「スオウ、明日は私とも一緒に入ろうね」
「もちろんですよ、アツコ。なんなら、今日でも構いません」
「それよりあれ、なんとかしなくていいの?」
ミサキが視線を送る先は、当然ミカとアシリの方。打ち破られて、コハルも参戦して来てる。流石にミカ相手だから敬語だけど。
「うーん……」
ミカがすごく誤解されてるけど、先生も介入しそうだし。
「ま、なるようになりますよ」
「そ、そうですか……シオさんに知られたら大変なことになりそうですけど、冷静なんですね……!」
「……あ」
やっぱり止めないとまずいかも。今ここにシオが来る確率は、相当に低いと思うけど───
「───っ!?」
なんて、思った瞬間に。扉を開く音。噂をすれば、だとか、フラグが、だとかなんて言葉があるけど。まさかこんなタイミング悪くシオが来ることなんて、あるわけが。
恐る恐る、扉の方へ視線をやって。
「……チッ……もう、なんで私が飲み物を」
「んんっ、誰……!」
ヘルメットを被っただけの、全くの別人。安堵に胸を撫で下ろしつつ、どこか聞き覚えのある声だな、とよく観察。あのヘルメットの色、少し掠れてるけど……あ。
「おい!!やかましいぞそこのれんちゅ……あ」
「……」
「……さ、さーて。部屋の奴らにこの飲み物をトドケナイトナ、ひっ!?」
「どこに行くんですか、知らない仲でもないのに」
というか、「ひっ!?」って。そんなに怯えられるようなことした覚えはないんだけど……まあいっか。
「ど、怒鳴って悪かったよ!でも別にお前らだって知ってたわけじゃなくって、そもそも同じホテルだったなんて……そっ、そうだ!明日またタダで食わせてやるから、なっ?この食券やるよ。だからここは穏便に……」
「いえ、別に怒ってはいないですけど……」
「で、でもどうせなら食券は貰っておきましょう……えへへ……」
「めっ、ヒヨリ。それを貰ったら、カツアゲと一緒ですよ」
食券を求めるヒヨリを手で制しながら、食券をしまうように促すと、ヘルメット団の彼女……俺たちに焼きそばを奢ってくれた彼女は、渋々といった具合に券をしまい込んだ。
「別にあんたらなら、タダで食わせてやっていいんだけどな……それくらい世話になったし。それなら、せめて明日のステージは存分に楽しんでくれ……B.o.Bも礼がしたいらしいからな。あんた達には、充分その権利がある」
「……し、シオナさん」
「それなら貰ってもいいと思いますよ」
「へ、へへへ……」
「やっぱり欲しいのか?」と言いながら食券をヒヨリに手渡して、ヘルメット越しでも目が白くなったのがわかるような表情で、ふと。
「それで、あれはなんの騒ぎなんだ」
「あー……気にしないでください。ただ色んな意味で頭がピンクな人たちが暴れてるだけなので」
そろそろ誤解も解けるだろうし。それを聞いて、「ほどほどにな」と帰ろうとしたところで。
「あら、貴女でしたか。昼間はお世話になりました」
「ん?」
けれども、それはいつの間にかこちらへ来ていたハナコによって止められてしまった。
「……ああ、お前か。いいよ、するべきことをしただけだし。助けられたのは私たちだしな」
「いえ、それでもです。それに」
「な、なあ。長くなるか?手が冷えて来たから、一回置きたいんだけど」
「あら、すみません」
ヘルメット団の子から缶ジュースを数本受け取り、机に置きながらもハナコは話を続ける。
「それに、今から協力していただきたいこともあるので」
「……何?言っておくが、私一人でできることしかしてやれないぞ?」
机に缶を置き、カシュっと人差し指だけでプルタブを開いて、一口。おっさんみたいな開け方をしてる割に、飲み物は振るタイプのゼリー飲料と、可愛らしい趣味だ。
「いえ、お昼にお話ししたことですが、少し皆さんへの説明していただきたくて」
「……ああ、そんなことか。いいよ、そのくらい。でもその前に」
大きく音を立てながら、缶を机に思いっきり叩きつけて。
「あれ。さっさとなんとかした方がいいんじゃないか」
『休憩!?休憩って、ご休憩ってことですか!!?』
「……は、はははっ」
誤解が加速するアシリ達の方を、くいっと親指で指した。
◇
なんとかアシリ達を仲裁して、休憩スペースに全員で集まって。扉を閉めたことをしっかりと確認し、並んで座り込む。
前に出るのは、件のヘルメット団の子。
「“それで、話っていうのは?”」
外から誰も来ていないことを目で確かめて、話を始めるよう合図を送る。呼応するように、ヘルメット団の彼女はその隠された口を開き。
「まずは改めて、協力に感謝する。ほんっとうに助かった……!」
「大丈夫ですよ、気にしないで」
深々と頭を下げる彼女を宥めると、すぐに顔を上げて。
「それで、念の為確認なんだが……件の不良達は、少し離れた廃ビーチにいた、ってことでいいんだよな……?」
「はい、間違いありません」
「……そして、その中に……七囚人の一人。栗浜アケミがいた、というのも……」
「ああ、嘘ではない。確かに、この目で見たし……実際に、そこのシオナとアネアネピンク、それと私が共闘して、なんとか撤退まで追い込んだ形だ」
……なるほど、そういう設定か。確かに、ほとんど一人でアケミと戦った、と言われるよりは信憑性がある。変な疑いは避けるに越したことはないし。嘘も方便ってやつだ。
「そして……確かに、仄めかしたんだな?栗浜アケミの脱獄を手助けした、『誰か』の存在を」
───あの頃私は、ある方の手引きにより脱獄してからあまり日も経っておらず。
アケミは確かに、そう言っていた。リミッターが壊れ、冷静な判断力の欠けた頭で。戦闘の最中に、まるで俺の戦いぶりへの賞賛である、と言うかのように。真実を語った。
あの言葉に、きっと嘘はない。
「……はい」
「そうか……」
少しの間、きっと現実を飲み込むだけの時間を取って。彼女はようやく、口を開いた。
「まず、そいつの言葉に嘘はない。私たちヘルメット団は大きな組織だが、その件……アケミを嵌めて、矯正局送りにした件は事実確認が取れているし……その事情を知っていると言うなら、お前達も実際彼女に会ったんだろう」
「……」
「だからこそわかる。まだ何も終わっていない」
きっと彼女には、彼女なりの経験がある。俺にはない、裏の世界を生きていくための経験が。
その経験、それに裏打ちされた感覚が今もなお、彼女の中で警鐘を鳴らしているのだろう。冷や汗を垂らしながら、歯を食いしばる音が聞こえた。
「不良とは、そういう世界だ。一度の敗北、それだけならいい。だが、自分から仕掛けての敗北は致命的だ。大義があれど、それを押し通す強さがない。それを大声で発信しているようなものだからな。噂も一瞬で広がる。裏社会では、死んだようなもの」
「……」
アケミの、撤退の時の表情。折れてはいないという顔、だがそれ以上に……プライドよりも大きな何かを、傷つけられたような表情。あれは……そういうこと、なのだろう。
「だから明日。奴らは必ず、もう一度襲撃してくる。今度は策を弄することもない、恐らく狙ってくるのは……直接的な、祭りの破壊だ」
だけど、俺は……アケミと話して。事情も知ってしまった。その考えに、共感さえもしてしまった。
……もう、きっと……単純に勝つだけでは、終わらない。少なくとも、俺にとっては。
「時間も不明。場所も不明。戦力さえも不明。……厄介なこと、この上ない」
……だったら、いざという時は……覚悟を、決めないとな。
「それだけなら、まだマシだったんだがな」
だが予想外に、言葉はその後も続いて。
「ここから先は、そこの二人にも初めて話すことだ。明日連絡しようと思っていた……だから、心して聞いて欲しい」
「了解した」
「ええ」
小器用にハナコとサオリを指差しながら、彼女は語る。
「いいか、まず……奴らの計画。正直に話そう、あいつらはバカだ!」
「ば、バカってあんたね……」
「あ、あはは……」
「少なくとも私たちの計画に嵌められる程度にはバカだ!だが、今回の計画性、それに拠点の配置、戦力の分散。奴ららしくない。私たちはそう判断した」
その違和感は、俺も感じていたものだ。計画の狡猾さに対し、ところどころ痕跡を残す杜撰さ。どこかチグハグな感じを覚えていた。
「確かに、そういうところは目立った。それを言うってことは、何か心当たりがあるの?」
「ああ。とは言っても、これは私たちがよく使う手段、って程度の話でしかないんだがな……」
スマホを少し操作して、それから何かのファイルを開いて。それを俺たちに見せつけてくる。
「犯罪コンサルタント」
何か質問するよりも先に、ヘルメット団の彼女が口を開いた。
「犯罪コンサルタント?」
「犯罪を行う際のアドバイスや戦略を提供し、その見返りとして報酬を要求する、いわばアドバイザーに近い仕事だな。裏社会ではそんなに珍しい仕事じゃないけど」
「……それが、今回の一件に関わっていると?」
「その可能性が高い」
なるほど、あくまで他者が提供した計画に則る。それなら、あの違和感も納得が行くってものだろう。
「だが、あいつの……栗浜アケミの行動としては、違和感を感じるんだ。彼女は、あまり自分以外の誰かに従うタイプでもないし……実際、舎弟どもが慣れてない動きを強いられるってんなら、そういうことだろう」
「……確かに」
アケミの在り方。孤高の、なんてほどではないけど、他者に媚びない姿勢。そして、自分の力だけで通すほどの強さ。今回に限って言えば、妹分のため、で説明がつくけど。可能性は広く見ておいた方がいい。
しかし、この話がどう繋がるのか……あ、待った。
「ひょっとして、そこで例の……脱獄を手引きした、何者かが?」
「そういうわけだ」
わざわざ確認をとって来たと思ったら、そういうことだったのか。
「七囚人を脱獄させるほどの資本、頭脳を持つ犯罪コンサルタントなんて、数が知れてる。それに、アケミ自身を納得させるのにも充分な理由だろう。だから私たちは、この中に今回の襲撃に関わったやつがいると考えた」
ピロンと、モモトークの通知音が鳴らされる。いつの間に追加されていたのやら、とにかく犯罪コンサルタントの広告が数十件。スッスッと目を通していくと、気になる名前が一つ。
「……ニヤニヤ教授?」
なんだろ、聞き覚えが……ニヤと間違えてるのかな。というか、ニヤ自身がそう名乗ってた気もする。とにかく、ちょっと気になったって感情は頭に留めておこう。
「犯罪コンサルタントの計画は、細部で癖が出る。どうしたってな。私たちは、それをもとに今回の計画犯を特定。対策をできるように話を進めている」
「だ、だからエナドリが多かったの……?」
「……まあな」
「ま、マユミちゃんと一緒だぁ……!」
目元に影を落としたヘルメット団を他所に、アシリはマユミへ思いを馳せていた。ミレニアムに置いてきちゃったわけだし、心配なんだろうな。
特に俺は、最近マユミの食事に気を遣ってくれ、なんてお願いされたばっかりだし。
「と、とにかく!……そっちは私たちでなんとかする……だが、どうしても……どうしてもなんとかならなかったら、その時は……!」
「……」
みんなで目を合わせて、お互いの同意を得て。
「乗りかかった船です。最後まで、手助けさせてもらいますよ」
「……ありがとう……!」
改めて、ヘルメット団に協力することに決めた。
「それじゃあ、私は行くよ。色々と、ありがとうな」
「は、はい!また何かあったら教えてくださいね!」
「……ああ。頼んだぞ」
先程エナドリが多いと、そう評した飲み物をかき集めながら、彼女は立ち去って行った。
◇
夕飯も終え、自分の部屋に帰ろうとして。俺とサオリ達は同室。当然、サオリ達の方に着いて行こうとして。
「あ、待って。スオウちゃん借りていい?」
「へ?」
ミカがそんなことを言い出すので、可笑しな声が出てしまった。どうしたものかと、サオリたちに目線を向けると。
「私たちは構わない」
そう言ってくれたので、ひとまずはミカの方に着いていくことにする。ミカが取った部屋の方に案内されて、そのまま中に入って。そうするとミカは、ベッドに腰掛けた。
「どうしたんですか?ミカ」
「んーっとね……その、ちょっとお願いがあって……」
「お願い?」
「うん、お願い」
同じ言葉を復唱するように答えられ少々返事をしあぐねていると、ミカはスーツケースの中から何かを取り出す。あれは。
「……ブラシ?」
「そう……あのね、翼って結構面倒で……ある程度、ブラッシングとかしないといけないんだけど……後ろの方は、自分じゃ届きにくくてさ」
ミカからブラシと、何かのオイルを受け取りながらも説明を受け続ける。
「いつもはお付きの人がやってくれるんだけど、今日はいないし……その、スオウちゃんになら、立場も関係なくお願いできるかなって」
「ああ……そういうことですか。いいですよ、そのくらい」
「やった。じゃあここに布を敷くから、その手前でお願い」
そう言えば、昔アズサにもやってあげたっけな。俺は翼がないからどういう感覚かはわからないけど、意外と心地良さそうにしていた。アリウスの環境だと妙な血吸い虫がいたりするから、そのせいかもしれないけど。
とにかく、友達のお願いとあらば断る理由もない。ベッドに乗って、ミカの背中側に回る。
「えっとね、オイルをつけた後で先端の方から……そうすると……」
色々と説明を受けたけど、理屈はイマイチわからなかった。ミカは自慢げだったけど。
とにかく手順は理解したと、そそくさとブラシを手に、羽を梳く。
「おー、上手だね……アズサちゃんにやってあげてたり?」
「昔は。今は嫌がってたまにしかやらせてくれません……お姉ちゃんなのに……」
ふわふわとした、柔らかい感触。確かに骨が通っていて、弾力があって、暖かさを感じて。この大きな翼は、確かにミカのものなんだ。そう、全体で伝えられている気がした。
「あはは……なるほど、だから小慣れて……」
「アズサも最初の頃は無警戒だったんですけどね。サオリとかを参考に、私への対応を変えたらしいです。喋り方まで影響を受けちゃって」
「あー……あれはそういうことだったんだね……」
雑談を挟みつつ、なお丁寧に羽を梳く。もう必要がないくらいに綺麗な真っ白。少し甘い、花のような匂いもする。けど、そういうことじゃないんだろう。
美容は毎日の積み重ね。ミカに口酸っぱく言われたことだ。
「……スオウちゃん、さ。何か、悩んでる?」
「……っ!?え、え?」
そんなあさっての思考をしている時、突然に言われたので。少し手元がブレた。
「痛っ」
「あ、ご、ごめんなさい……」
「へ、平気平気。ごめんね、おかしなこと言って。でも、スオウちゃん難しいこと考えてる時、顔に出るからさ……」
「はははっ……」
そんなにかな?顔をぐいぐい押して確認しても、よくわからない。
でも、悩んでる……うん、そうだな。そっか。
「迷ってます」
「何に?」
「アケミさん達を……倒して、いいのか」
ブラッシングを再開しながらもなお、口は存外にして饒舌に動いた。本音が溢れて行った。
「……アケミさんは……妹分を守るために、戦っていました。私と同じです」
「……そっか」
「それに、その原因は……」
……アリウスの、白い悪魔のせいだ。そんなことを言ったら怒られてしまいそうな気がした。口には出せなかった。
「でも……だからって、祭りをぶち壊すわけにもいかない。だから、どうしようかなって」
「……うーん」
ミカは幾分か逡巡を見せたのち、口を開いて。
「ごめん、難しい事はよくわかんないや!」
「ええ……」
「いや、だって……私、頭良いわけじゃないし……」
しょうがないじゃん、と続けながら、ミカは尚も言葉を止めず。
「でも、スオウちゃんなら何か思いつくんじゃない?もしくは、もう思いついてたり?」
「……いえ。まだ、何も」
「うーん、そっかぁ……まあ、私に何かできることがあったら言ってね?」
「は、はい」
なんというか、別にアドバイスを求めていたわけではないし、これでいい。話を聞いてくれるだけで充分助かる、けど……カラッとし過ぎてるような。
「……昔、さ。私が、自分が間違ってるかもしれない時、どうするか……って、聞いたよね?」
少し懐かしむような声色で、おそらくは目を閉じて追憶するように、ミカはそう言った。
「そしたら、それでもやるしかないって……だから、責任は全部自分で負う。って。けどね、それは……私は……今の私は、少し間違ってると思う」
「……」
「だって、その人一人で負える責任なんてたかがしれてるし……できることも、少ないし……周りの人は、その人のことを放っておかない。でしょ?」
「……そう、ですね」
ミカの言う事は、大体が正しいんだろう。案外、理想論を口にしてるのは俺の方だったのかもしれない。
「だから、もしこの件でスオウちゃんに何かあったら……その時は、私も責任を取る」
「わっ!?」
ブラッシングが終わったところで、ミカは後ろを振り向いて。そのまま二人で、ベッドに横になって倒れ込んだ。
目が合う。小さなライトで照らされて、表情は窺えないけれど。目に光が反射されているのが、わずかに見ることができた。
「だから、スオウちゃん……あんまり無茶しちゃ、ダメだからね?スオウちゃんの心が、赴くままに……それなら私は、どうなったって味方だから」
「……」
冗談でも、嘘でもない。紛れもない、本当の言葉。この子は俺がした選択なら、心からの選択なら、共に首も差し出すと、そう言ってくれているんだ。
果たして俺にとって、それが許容し得るものなのか。その時俺は、この子を突き放さずにいられるのか。
……俺は……俺は、本当に……あの時から、変わることができたのか。
「うん……」
わからないから、棚に上げて。今はただ、頷くことしかできなかった。きっとそれも、ミカは見透かしているのだろう。
「スオウちゃんっ!!」
「ちょ、おっとと……」
ミカの距離が、突然近くなって。額と額を突き合わせて、目を合わせた。暗闇の中でも、彼女の顔はよく見えて。
「私ね……また会えて、すっごく嬉しい」
「……私もですよ。ミカ」
温もりが眠気を誘って。だんだんと瞼は閉じられて行った。