ミレニアム自治区七番街、その外れ。いくつかの林を抜けた、その奥地。
「スオウ、ここにいるか?」
そこにはとある少女のほんの小さな、けれども確かに掴み取った幸せ。その象徴。アリウス居住区がある。
「……サッちゃん。さっきスオウを探しに出て行ったんじゃ……」
豊かな自然。かろうじて生活に不便しない程度の開発。誰の目にもつかないように、ただそこに在ることに許しを請うように、静かに。ひっそりと、佇むのみだ。
「ああ、そうなんだが……どうにも、どこにも見当たらなくてな」
いつか、何者にも阻まれることなく。責め立てられることもなく、普通に戻れるように。そんなたくさんの願いが込められた、その地。
けれども、今日はほんの少しばかり。問題があったようで。
「……屋上には?スオウは大抵、あそこを探せばいる」
正確には屋上のさらに上。普段、そんなスペースにスオウは身を隠し……そして妹たちが扉を開けたところで驚かせたりするのだが、アズサ達はその事実を知らない。
ともあれ、そんな確認に対してサオリは首を横に振り。
「いや、そこにも……」
「……サオリ、時計見てみなよ」
「……?」
そしてミサキに言われるがままに、スマホで時刻を確認。十時を少し過ぎた時刻。
この場に第三者がいれば、それがどうした、と一蹴していたところだろう。しかしサオリが着目したのは時間だけではなく、その日付。さらに追及するなら、曜日だ。
「あ……に、日曜日……ちょっと祝日が多かったので、曜日感覚がおかしくなってましたね……!」
「……そう、か……そうだ。今日は、日曜日だったな」
アリウス分校では暗黙の了解、周知の事実となっているとある習慣。
「なら、向かう場所は決まっている」
日曜日の数時間、桐花スオウはふっとどこかへ、その姿を眩ませる。最初のうちは、慌てた者も多かった。また馬鹿が馬鹿をやったのでは、と。
しかし、現実としてそれは早とちり。スオウは確かに、アリウス居住区の中に居る。
「んー……」
ただし、建物の中ではない。そこから少し離れて。ちょうど、屋上からならようやく見えるかな、といった、小さな林。
木々に阻まれた筈のそこは、しかしとある一本の道だけ、獣道のように整えられている。
「はっ……いーい天気だ……」
途中から、木ではなく花が。土を踏み締める音ではなく、ほんのわずかな水のせせらぎが。徐々に、徐々に変化して。
「いた……」
「……ん?」
そして桐花スオウは、サオリの予想通りそこに座っていた。
「どうしました?お姉ちゃんに、何か用ですか?」
土を踏み締める音。弛緩、油断。真後ろに立たれるまで、スオウは彼女に気づかなかった。
「っ、え……?」
白と黒の、オッドアイ。
「あなた、は……」
そして自分とは対照的な、黒よりも黒い色。光を映さない装束に身を包む、『彼女』に。
「っ、があ、ぅ………!?」
直後、銃声。数秒間、戦いの音。そして、無数の血痕がその場に広がり続ける。
ほんの少し時間をおいてその音は止まり、風が木々の間を抜ける音が響く。それに混ざって、その場へと向かう足跡が一つ。
「スオウ、ここに……」
スオウを探しに来たサオリが目撃したものは。
「……え」
変わり果てた姿となった、桐花スオウだった。
◇
ほぼ同刻。場所は移って、とある一室。血に濡れたような数奇な紅に包まれた、円卓を中心に広がる部屋。そしてそこに着く、異形の面々。
『人』というのが正しいはさておいて、とにかくその場には三人の……否、さらに正確に言うなら絵画の彼を含めて四人。或いは、不出来なデッサン人形の双頭、そのどちらにも脳が存在するなら五人。
表現と色々あるが、とにかく実体を持った人間はその場に三人だった。
「少々、遅れました」
そしてそこへ遅れて登場するのは、これまた彼らに負けず劣らずの異形。全身を黒く染め上げられたその体は、自身の器官に代わるようにヒビが入れられ、その右目と思しき箇所からは暗い炎が揺らいでいた。
「……」
「……皆さん、お集まりのようで」
先に居た面々からの挨拶はない。さして期待もしていないが。彼らとは友人でもなければ、味方同士でもない。強いて言うなら、同僚……未満。というよりかは、彼らはコミュニケーションを取っているのだが。
ともあれ、その異形に負けず劣らず、見た目通りの『ひとでなし』。挨拶を期待する方が間違っているのだ。
「それでは、会議を始めましょうか」
会議。一体、なんの。
「少々前のことですが、『無名の司祭』の遺産が観測されました」
そんな疑問に答える者はこの場にいないため、代わりに説明しておくとするならば、彼らは『ゲマトリア』。桐花スオウの仇敵であるベアトリーチェが所属する、崇高へと至ることを目的とした組織。
そのアプローチは個々人によって様々だが、ベアトリーチェの同僚。そんな彼らは当然恨まれることもあるし、或いは相互に研究を高めていくこともできる。そんな共有の場が、この会議というわけだ。
「不勉強で申し訳ないのですが、『無名の司祭』とは具体的に何を意味するのでしょうか?」
無い口を開くのは、コートに身を包み杖をついた、背格好だけ見れば西洋の壮年のような男性。顔が存在せず、手に持った絵画で代用している、と言う点を除けば。
「ベアトリーチェが保有する、ロイヤルブラッド達を保護する技術。そして、古聖堂を破壊した巡航ミサイル……これらが無名の司祭による技術だとわたくしは解釈しておりました」
彼の名はゴルコンダ。ゲマトリアの一員にして、『ヘイローを破壊する爆弾』を手がけた、スオウにとってもう一人の怨敵だ。
「既存技術を凌駕する超科学……その類のものという認識で合っていますか?」
不勉強というわりに、随分と的を射た質問。嫌味にも思えなくは無いが、彼にそんな意図は当然ない。する必要がないからだ。嫌味の一つでも言える性格、もしくは人間性。そのようなものを持っていれば、まだ幾分かは『人間』と呼べただろう。
「そうだな……彼らは端的に言うなら、キヴォトス以前に存在していた
「ふむ……?」
双頭の木製人形、マエストロの言葉に、ゴルコンダは相槌を打ち。
「『名もなき神』とそれを崇拝する『無名の司祭』……彼らはキヴォトスの神秘の下に堆積し、痕跡だけが残るはずだった存在……」
そこから引き継ぐようにして、最も無名の司祭に明るい黒服が説明を始める。
「『名もなき神』……それは大地、海原、天災といった……所謂『神秘』や『恐怖』、とでも申しましょうか。彼らは自然を模った形で顕現するとされております」
それらを崇拝する存在が、無名の司祭。巡航ミサイルなどのオーパーツは、恐らくは今のキヴォトスを生きる者たちとの敵対の中で生み出された。姿は消したが、技術だけが未だこの地にある。
黒服は、大体そんなことを言った。
「私にとっても興味深いものです……なにせ、高値で取引されているのでね。クックック……」
守銭奴というわけでは無い。あくまでも、金が便利だから欲しいというだけ。ともかく、黒服は無名の司祭の技術を『利用できるもの』として捉えているのは確かだ。
「ですが、観測されたのはそんな凡庸なものではありません」
凡庸なもの。ここでいうところの、彼らの技術。オーバーテクノロジーを以て凡庸と言わせしめるだけのもの。そんなものは、決まっている。
「『箱船』が観測されたのです。一瞬ではありましたが」
無名の司祭たち、それそのものである。
「……『観測』?それは観測される概念なのか?」
「それは……」
「興味深い質問ですね。私も……」
『観測』という表現に対して問答があったものの、黒服は「それが本題ではない」と断じ、議論は打ちやめ。主題に戻っていく。
「消え行くはずの『無名の司祭』の兵、そして遺産が再び観測された事……これらはたしかに、我々の想定を上回りました」
嘆かわしいことだと噛み締めるような口調で、黒服は尚も話を続ける。
「シャーレの出現、キヴォトス最高の神秘の確保失敗、唯一残されたアリウス領の剥奪、デカグラマトンの死……そして、『箱船』の観測。計画通りであれば、起こり得ることがなかった事態。遠い未来でさえ、訪れることすらなかった現象かもしれません」
箱船を除き、これらの事態に関わっている人間。彼のことか、あるいはもっと他の何かか。とにかく正体不明、予想外の何か。
「制御不能の変数によって、私たちが迎えた現在は……元の計画からあまりにも逸脱してしまいました」
それを変数、と。黒服は、そう形容した。
「それだけではありません」
「『色彩』がここを発見してしまった。ベアトリーチェ、貴下が行った儀式のせいでな」
「……」
先程から口を開かないベアトリーチェに、マエストロが言い放つ。
色彩。古来よりキヴォトスに訪れる、災いそのもの。そんなものを呼び寄せたのはお前だと、責め立てるニュアンスが混ざっていた。
「儀式は、『色彩』と接触するためのものだった。アレが招く狂乱は分かっていたはずだろう?」
「正確に言えば接触ではなく、力を利用するためのものだったかと。マダムはアレを呼び寄せるつもりではありませんでした」
庇うつもりはない。が、怒りに身を任せて選択を間違えてもいけない。そんな意図から、ゴルコンダはマエストロの発言を半ば否定。諌めるに留まる。
「ああ、そうだとも!」
しかし、マエストロにとって論点はそこではない。呼び寄せる意図があったか否か、そんなことはどうでもいい。仮にその意図がなかったとしても。
「『色彩』の力を利用し、自分を偉大なる者に仕立て上げようとした……」
ベアトリーチェが自己中心的な欲求で禁忌に触れた。その結果として、キヴォトスという巨大な実験場が危険に晒されているのだから。
「そんな低俗な目的のために、アレを……!」
「口の聞き方には気をつけなさい、木偶」
「……」
突如、口を開くベアトリーチェ。
木偶人形。そこに込められた意味がどんな物であるかはわからないが、侮蔑の類であることだけは窺える。
「芸術家というのは、己の作品は偉大であることを願うというのに、他者の願望は見下すのですね。嗚呼……そのような傲慢さが本質なのでしょうか?」
そのことを示すように、ベアトリーチェは口汚く……と言うには、随分と達者に。けれども上品にと言うには、あまりに醜い言葉を並べ立てた。
「マダム、落ち着いてください」
「デカルコマニー、あなたも同じですよ」
「……」
「あなたのその虚像と非実在の隠喩……絵画なんぞに喋らせることで表現しているとでも?私から見れば、サーカスにいる道化師と何ら変わりないように思うのですが」
まごうことなき飛び火。八つ当たりだ。
「そういうこったぁ!!」
「……デカルコマニー、そうカリカリせずに。わたくし達は彼女が受けた侮辱を理解しなくてはなりません」
議論の余地もない。あえてそう口にせず、ゴルコンダはあくまでも中立を保とうとするスタンス。
しかしデカルコマニーとマエストロ、両名が受けた侮辱は、そしてその怒りは計り知れない。
「皆さん、大人になりましょう。ベアトリーチェは色彩を利用しようとしていただけで、キヴォトスに呼び寄せる予定ではなかったはずです」
このままでは埒が明かないと、割って入ったのは黒服だ。元々ベアトリーチェは激情家な面が大きい、これ以上の長話は無用。責任の所在など、後で問えばいい。
今大事なのは、色彩。そしてその対策だ。
「まだ色彩がこちらを発見したとは断定できません。私の知る限り、夢の中で起きた出来事ですから」
「ええ。全てはシャーレの先生が現れてから起こった事。あの存在が元凶であるというのは、皆さんもよく存じているでしょう?」
「……」
だというのに、これだ。
彼女も無数の目に見られていなければ、ため息をついて頭を抑えたかった。内心ひとりごちりながらも、耐え難い沈黙を受け続けるしかない。
「……マダム」
「何度も申し上げた通り、あの者は一刻も早く始末するべきでした」
アリウス分校で受けた、耐え難い屈辱。書き上げた文章に、目の前で痰を吐き捨てられた気分だった。
未来を、意思を、希望を、その全てを奪い、封じ、手籠にした……つもりだった。その偽りが暴かれ、あの大脱走が起こるまでは。その元凶を、他ならぬシャーレの先生に物語ごと書き換えられるまでは。
「……ここが学園都市という概念で存在する限り、先生はわたくし達の存在を凌駕して当然です」
だから腹立たしいというのだ。
「それこそが、この物語のジャンル……つまり、この世界の
だというのに彼らはそれを理解しようとも、或いは利用するわけでも対応するわけでもなく、唯受け入れている。
「物語の作法など、どうでも良いでしょうに!!」
噴出したのは、堪え続けていた怒りだった。
「……」
物語の作法などどうでも良い。先に書き換えたのは彼方だ。
「分かりました。私が、皆さんに解を示して差し上げます」
彼が先生だとういうなら、先生がこの世界で大きな意味を持つというのなら。この世界を泥に沈め、その全てを陵辱し、死してなお消える事のない屈辱と怨嗟に塗れさせ、彼をこの世界から消し去ってみせる。
「『無名の司祭』も、『シャーレ』も、『箱舟』も……全て一度に解決する事ができる、究極の解を」
「ふむ……?」
そのためならば、手段は選ばない。先生と、そして桐花スオウを。彼らを殺すためならば、たとえ我が子であろうと、親であろうと、姉妹であろうと。
……あるいは、世界であろうと喜んで差し出そう。
「『色彩』は既に此処を発見しております」
それが、ベアトリーチェの出した結論だ。
「ええ、より正確に申し上げるのであれば、私が伝えました。『色彩』は今、キヴォトスに向かっております」
驚愕する一同に自慢げに、いや、実際自慢していたのだろう。我が手柄と主張するように、ベアトリーチェはその口を横に裂いていく。
「これで『シャーレ』も、『名もなき神』も、『箱舟』も全て消え失せる。いかがでしょうか?これが最も確実な方法かと」
「その場合、『色彩』はこのキヴォトスをも消し去るだろうな」
唖然。空いた口が塞がらない状態から、最初に復帰したのはマエストロだった。
「……マダムは、わたくし達の探求を台無しにするおつもりで?」
次いで、ゴルコンダ。
「ええ、探究などどうなっても構いません」
これが最後通告。それすらも理解せずに、いや、構わずに。ベアトリーチェは、大層愉快げだった。
「私が本当に求めていたのは、別のものだということに気づいたのです。一部、それもわずかな時間でしたが、儀式を通じて『色彩』と接触した際に、本当に求めているものを悟ったのです」
ゲマトリア。手段、解釈、方法は違えど、彼らの目的、その理念は一つ。探究だ。
「為すべきこと……それは、くだらない実験や探究ではない。そう……偉大な存在になるためには……世界の滅亡と、創世の権限を所有しなくては……」
少なくとも、『偉大なものになりたい』などという矮小な欲望とは比べるべくもなく、崇高な。
「そう、『破壊』し、『創造』する絶対者になるのです。これこそが唯一の方策……」
求めるのは絶対者でも、創世でもない。
「解釈されず、理解されず、疎通されず……ただ到来するだけの不吉な光」
この世界と疎通し、解釈し、理解する。
「目的も疎通もできない不可解な観念……ああ、そう、それこそが……あの先生を消し去る方法……!」
あるいは、先生という存在を解してでも。
「何という体たらく。理性を失ったか、ベアトリーチェ」
「……そうですか、マダム。あなたは自分の憎悪に飲み込まれてしまったのですね」
だというのに、この言い分。もはや採決の余地もなく、満場一致だろう。
「……ベアトリーチェ、あなたはゲマトリアの資格を失いました」
彼女は、ゲマトリアに相応しくない。
「口を慎みなさい……私には、『色彩』の力が宿っているのですよ?あなたがあれほど恐れていた、狂気の力が」
「そのようですね。ゴルコンダ、彼女を送り届けてください」
もはや対話も不要だ。
「はい。……楽しい時間でしたよ、マダム」
「っ……!?」
ベアトリーチェは、ゲマトリアから追放される。
「くっ、ぐあぁぁああ!!?」
突如現れる、黒い洞。引き裂かれるように、引き伸ばされるように。何者かに引き摺り込まれるように、彼女は徐々に、徐々にその姿を消し。
「ああぁぁぁああああっ!!!」
「我々に色彩への対抗手段が無いと思っていたのですか?あなたが『色彩』と接触したと聞いた時から準備しておりましたよ」
「そういうこったぁ!!!」
「貴下とは異なる世界観を持っているがゆえに、何かと衝突が多かったな。だが、貴下の野望には敬意を表そう、ベアトリーチェ」
そして、完全に消え去った。
「また席が空いてしまいましたね。次の人員については、後ほど議論するといたしましょう」
ゲマトリアからの追放。それが意味するところは……明確な、『死』だ。
「それでは、次の議題を……」
心底残念そうに、一人が欠けた円卓で話を始めた。始めようとした。
「っ!?」
直後、地響き。明らかに通常のソレではないとわかる、不吉ささえも思わせる震え。赤く染め上げられる視界。
「これは……!」
続けて、警告。高濃度のエネルギー反応を示すそれは、黒服達の耳を劈いて。
「……急がなければなりませんね」
先程ベアトリーチェが残した爪痕、その大きさを示していた。
◇
高濃度のエネルギー反応。連邦生徒会においても把握されたそれらの所在は、計六箇所。
アビドス砂漠。D.U.郊外の廃遊園地、スランピア。ミレニアムの廃墟。トリニティとゲヘナの境界付近。ミレニアム近郊の都市。そしてサンクトゥムタワーの中央、だ。
連邦生徒会はその正体を掴むべく、各校の代表者を招集。不理解ゆえからの行動である。当然うまくいくはずもなく、カイザーに掬われる始末。
「……では、今観測されたあの6つのエネルギーは『色彩』だと?」
ことゲマトリアにおいては、そのような行為は不要なことこの上ない。とはいえ、しばらくの時間は解析に費やす羽目になったが。
「現状はまだ分かりません。しかし、もう間も無く明かされる事でしょう。……カイザーが独断で動いてしまったので、把握にはもう少々お時間をいただくと思いますが……」
現在キヴォトスで、ゲマトリアから見れば外で、起こっている出来事。連邦生徒会、そしてカイザーPMCの陰謀と策略。
「アビドス砂漠地下のオーパーツはあまり心配する必要がないかと。プレジデントは、どんな手を使ったところでアレを制御できないかと」
アビドス砂漠地下のオーパーツを手にしたカイザーが、キヴォトスの制圧に向けて動き出した。その一手として、彼らは連邦生徒会長を拘束。サンクトゥムタワー、そして『シャーレ』を……先生さえも掌握し、D.U.の通信と交通を遮断したのだ。
「……少々の邪魔にはなっていますが」
その影響を受けて少々の動き辛さこそあるものの、さして問題はないものだ。
しかしよりによって今かというのもまた、黒服の本音。キヴォトスという大きな括りで見れば、単なる内ゲバでしかないのだから。
「観測された『箱舟』への備え。我々の計画を進めましょう」
キヴォトスの破滅という未来と比べれば、どこまでも些事。後回しにして欲しいことこの上ないのだ。
箱舟。つまりは色彩、伴って無名の司祭達。それらが観測された以上、彼らへの対応は可及的速やかに必須、ゲマトリアとて決して余裕があるわけではない。
「アンブロジウスは失敗、グレゴリオはまだ準備が終わっていない、と」
「怪談の無限図書館はまだ始まったばかり……」
「デカグラマトンの預言者は……」
彼らへの対応、つまりは打ち倒す、あるいは打ち滅ぼすほどの戦力の確保。武力による、制圧である。
司祭に対し武力での弾圧。背教的であるようにさえ思えるが、信仰が違うのだから仕方がない。
「忍び寄ってくる『色彩』、復活目前の『無名の司祭』……どちらにせよ、備えておかねばなりません」
「……キヴォトス中の、数多の神秘が消えてゆくのですね」
それで自らの巨大な実験場を、そして研究対象を。その全てを失う絶望を想像するだけでも、「背教的」などという言葉の何と薄っぺらいことか。
「……その明滅をも、私たちの探究であったとしましょう」
もはや犠牲なくして探究は守られない。必要な犠牲である。
動き出そうと、部屋の外を眺めて。
「……ん?」
直後、壁に開く黒洞。
「あなたは……」
白と黒の、オッドアイ。先生とは対照的な、黒よりも黒い色。光を映さない装束に身を包み……。
「げほっ……」
◇
時は、随分と巻き戻って。スオウ達の海からの帰りを、ただ一人空を眺めて待つセイア。
「……」
この頃、彼女の脳裏に浮かぶのは……あの時の事ばかりだ。
「……一体、アレは何を示すんだろうか」
いつぞや、夢で出会った彼女。白子病のような、自身と同じ狐の獣人。
「あの景色は……」
彼女との別れ際に見た、恐らくは生涯で最後になるであろう未来予知。
「……」
血の色に染まる世界。虚妄を紡ぐ塔。広がる混乱。黒い太陽。壊れた電子の箱。死を齎す神。そして。
「……そして」
もう一柱の神。その瞳は、どちらも見覚えのある白と黒で。
「君は……君たちは、何者なんだい?この世界で、何を為すつもりだ」
記憶を失った彼女と、余分な記憶を持つ彼女。両者の頭上に浮かんだ、壊れ欠けたヘイロー。救われたものと、救うもの。互いに真っ黒な装束に身を包み。
似ているようで対照的な、二つの神性。
「砂狼シロコ……桐花、スオウ」
不穏な予感から逃げ去るように、彼女はそっとカーテンを閉じた。