大きなコートに、身を包む。
天使みたいに真っ白で、傷物みたいにボロボロで。嗅ぎ慣れた、彼の匂いがした。
「先生っ!!準備!!できましたッ!!」
「“了解!!”」
「に、するつもりかわかんねぇけどさぁ……!やるなら、さっさと……!」
軽かったそれは、袖を通した瞬間水を吸ったように、じっとりと重かった。肩に大きな石でも乗せられた気分だった。
「やっぱコートがあった方が落ち着きますね、っと!」
「んなっ……!?」
別世界の俺の前に立ちはだかって、銃を構える。正面戦闘で勝てないことは分かってる。
今ここで戦うのは、勝つためじゃない。だから、これでいい。
「ほらほら、動き鈍って、ますよっ!!」
「いき、きらしながら……いわれてもさぁ……!」
「さっきみたいに!八つ当たりでもしてきやがれってんです!」
「っ、テメっ」
「今!」
隙を見て、先生に合図を送る。彼からの距離は、十メートルもなかっただろう。
致命傷を避けながらここまで引きつけるのは、本当に大変だった。
「“脱出シーケンス、起動!”」
「……!馬鹿!!」
シッテムの箱を起点に、リオが作った脱出シーケンスの起動。それによって、別世界の俺をこの舟から放り出す。
それが、俺の作戦。
「その程度、ぐっ……!」
「“うん。わかってるよ”」
そしてここからが、俺と先生の作戦だ。
「な……!」
脱出シーケンスの起動には、かなりの時間を要する。何より、エネルギーも。
一度起動してしまえば受付期間も極めて短い。であれば、この舟に緊急事態が発生した時に備えて温存しておくべきだ。
だからこれは、ただの
「っははは……そうだ、それでいい……」
シロコのワープホールを使ってこいつを舟の外に出す。先生の提案はこうだった。
でも、それじゃ足りない。こいつを一人にすれば、きっとその先で一人勝手に死のうとするだろう。我ながら、目が離せないやつだから。
そうでなくとも、ワープさせた先での被害は抑えれない。
「そりゃどーも。それじゃ、いきましょっか」
「はっ?」
だから、俺も一緒に行ってやることにした。
「先生っ!!こっちは私に任せてください!!……そっちのことは、お願いしました!!」
「“!……うん。お願いね、スオウ!”」
「はい!!」
先生に視線を送り、別世界の俺の首根っこを引っ掴んで、タッと地面を蹴り上げる。
「お前っ」
「そらっ!!防御しねーと地面に叩きつけられちまいますよ!!」
「は……?っ……!!」
ワープホールを潜り抜けて出た先は、地上……ではなく。空中だった。
「えげつねぇこと考えやがる……!」
「そうでしょう!同じ私同士ですからね!」
おおよそ、地上からの距離は数百メートルといったところか。空中では、俺もそうだけれども。こいつも、身動きを取ることはできない。
さっきのように空中に浮遊すれば話は別だけれども。それでも、一瞬の隙が生まれる。
その一瞬が肝要だった。
「今ですよ!!ミサキィ!!」
「……!?」
聞こえてか、聞こえずか。どちらでもいいけれども、とにかくミサキのロケットランチャー。
その弾が、空中ではいくつもに分かれながらこちらに迫る。周辺を十分な数の爆弾が満たしたところで、それらは爆ぜて。
「ボンッ!」
「ぐぁ、あっ……!」
俺を巻き込んで、そのまま大きく爆ぜた。
「く、はははっ……あー……なっつかしい熱さだよ……!」
「まだまだ、こんなもんじゃないですよ」
「あ……?」
ヒュウ。と、何かが登ってくる音がした。
地上で妹達が打ち上げた、花火だ。
「流石に二度目は勘弁なので」
「ぐ……!」
「防御!!頼みますね!!」
「おっ……まえなぁ!!」
別世界の俺と、距離を詰める。離さないように、ガッチリと掴む。これで俺ごと無理やり移動するか、あるいは俺ごと防御するしかなくなったはず。
「無茶振りしやがっって……」
実際その通りだったらしく、せっかくの綺麗な花火は硬質化した恐怖で覆われて見れなかった。ダメージはほとんどない。
だから、次だ。
「こちとら、殺したい気持ちを抑えんので、ていっぱい……!!」
「っしゃ!!今です!!ヨセ!!」
「う、おぉおおおおおおおおっ!!」
「!?」
流石マユミ。あまりものの廃材でも、即席で完成させてくれたか。
「ちょ、このジェットパックめっちゃバランスわるっ……!に、二度はできないからね!?」
ゴタゴタと文句を言いながら、背中にジェット機のような機械を背負って空に登ってくるヨセ。
「今回だけでいい!!私ごと蹴ってッ!!」
「うわ、ホントに小隊長が二人……ふ、ひひっ……日頃の恨みィ!!」
彼女はあまり覚えのない怒りをぶつけてきながら、そのまま下方向に踵落としを喰らわせてきた。
「ぐ、ぅ……!」
「どーです?」
「あァ!?どうってなんだよ……!」
これでいい。
「私たちは強いでしょ?」
「……!」
本当のことを言うなら。もう、この子と俺が戦う理由はあまりない。地上まで運べば、いくらでも拘束する手段も。無力化する手段もあるだろう。
それでも、このやり方を選んだ。
「心ん中にモヤモヤがあるんでしょ。まだ」
「……」
この子のことを、本当の意味で『助けたい』と、そう思ったから。
「全部空っぽになるまで、全力でぶつけてかかってきてください。どうしようもない気持ちくらい、私たちで受け止めてあげますから」
「くくっ……あははっ……」
本当の意味で、『助ける』と誓ったのだから。約束したのだから。
「ははははははははっ!!だったらもう、手加減はッ……!!要らねェなァ!!?」
「うお、っと……!ヨセ!先に下に!!」
「へっ?どぅわぁっ!?」
別世界の俺の拳で受け止め、ヨセを髪の毛ロープで地上に落としながら、地上への落下を続ける。
地面に到達するまでは、あと数秒。
「待てコラぁ!!」
そして数秒あればこいつは、俺を戦闘不能にできる。
「私一人ならね。ヒヨリッ!!」
「は、はいっ!!」
「ぐっ……!良いィ痛みだヒヨリィ……!!」
「ひ、ひぃっ……!?あの距離で私のこと見えてるんですか……!?」
俺が聞こえてるんだから、そりゃ見えてるよ。心の中でヒヨリに突っ込みつつ、ヨセからくすねた爆弾で下方向に加速。
たどり着いたそこは、周囲に建物もなく、家もなく。どこぞの田舎の、何もない平野。そんな場所だった。
「シオ!!今だ!!」
「私に命令して良いのはッ……!お姉ちゃん、だけよッ!!」
トウが合図を送り、シオが広げてくれたクッションに着地。別世界の俺はそこを避けて、ゆっくりと浮遊しながら地上に降り立った。
「お姉ちゃんッ!!ほとんど二十四時間ぶり……!会いたかった……!」
「っと、シオ。よしよし。寂しい思いをさせちゃいましたね」
「……あー……小隊長、それにシオ。それあとにしてもらえるかい?」
「嫌」
一言だけで簡潔に意思を伝えるシオを撫で付けながら、降り立った別世界の俺の方へ向き合う。
こうしてシオに抱きつかれてると、なんだかほとんど服の一部みたいだな。フルアーマーお姉ちゃんモードと名付けよう。
「アホの小隊長、馬鹿みてぇなこと考えてないで真面目に戦いますよ」
「ヤコ?なんかいつも以上に辛辣じゃないですか?」
「あァ、それには理由があってな小隊長殿。こいつと来たら、テメェがいなくなった程度でピーピー泣きやが」
「殺すぞテメェッ!!!」
ヤコにもかなり心配かけたみたいだな。妹達との再会を喜びたいところだけれど、そういうわけにもいかない。
彼女達がここにいるということは、先生からの連絡も渡っているということ。状況はわかっているのだろう。誰一人として、警戒は解かなかった。
「というかあれ、本当に勝てるのかな……私鍛えられた分みんなよりわかってるつもりだけど、あれ化け物みたいだよ……?」
「ん……知らない、匂い……人間じゃ、ない……でも、小隊長と……一緒……」
「……ん?今お姉ちゃんの事人間じゃないって」
「スオウ、真面目に戦うよ」
アツコに叱られたけれど、今叱られるべきって本当に俺だったんだろうか。まあいいや。
「なるほど、ね……!」
別世界の俺がこちらへ歩いてくるのを見て、スウッと息を吸って。
「アリウス小隊!!総員、戦闘用意!!目的はただ一つ!!別世界の私の無力化!!手段は問わない!!どんな武器を使っても良い!!」
「おあつらえ向きな舞台を用意してくれやがって」
「最前線は私が切る!!分隊長の指揮に従って!!この場にいる全員!!誰一人として欠けるな!!死なずに、任務を遂行してください!!」
『了解!!』
声を張り上げて、駆け出す。
「かかって来いよ、
「そいつはちょっと違いますね」
ショットガン同士をぶつけ合い、鍔迫り合いのように互いの顔を近づけて。
「私は、全部の妹の味方なんです」
「はははっ……そういや、そうだったな」
だからお前も。その言葉だけは、まだ覆い隠して。
最後の戦いが始まった。
◇
場所は変わって、アトラ・ハシースの箱舟。その一角。
「……言われた通り……サオリと、アズサ。それと、スオウ達はワープさせた」
いよいよ体力も限界。息も絶え絶えになりながら、砂狼シロコは
その小さな鼓動を感じながら、じっと彼の顔を見上げて。
「これで、私の罪も……少しくらいなら、償えたかな?先生」
「……シロコ先輩」
「アヤネ」
「っ、はい!」
先程再開した先生の鼓動は、徐々に。されど、確実に。再び、その動きを止めようとしている。
「……ごめん。少し、二人きりにさせて欲しい」
「え……でも……」
「お願い」
「……っ……!」
これから何が起こるのか、理解した。だからこそシロコの表情が、見るに堪えない。そんな反応をしたあと、アヤネはシロコの方に体を預け。
「シロコ先輩……何があっても……私は、私たちは。シロコ先輩の、味方です」
「……うん」
「……私たちもいます。それだけは、忘れないでください」
「ん……約束、する」
それから、少し離れて。涙を拭って、アヤネはその場から逃げるように離れた。
「……二人っきり、だね」
返事は、ない。
「……この舟……もうすぐ、落ちるみたい。脱出機能はあるって言ってたけど、墜落しちゃうかも」
ずっとこうだった。だからもう、慣れていた。
「私の分は、あるのかな。なかったら、先生と一緒に逝けるね……いやだけど……あ、先生とが嫌なんじゃない……だから、終わり方としては悪くない、かも」
独り言のように、先生に体重を預けて。母親に学校での出来事を話す子どものように、話に華を咲かせた。
「……でも、先生も……ホシノ先輩も、ノノミも、アヤネも、セリカも……多分、スオウも……私の分は、用意しようとするから。私はまだ、生きなきゃいけないね」
目を閉じて、彼のぬくもりを感じる。この体から失われてしまわないように。奪われてしまわないように。
この先を生きる一生分の温かさを彼から受け取ろうと、必死に彼の体温に集中した。
「……辛いよ。辛いし、不安だよ……私、幸せになって良いのかな……?……幸せに、なれるのかな?」
ゆっくり、手のない腕が動いた。シロコの頭を、ゆっくり撫でつけた。
「ん……ありがとう」
死にゆく彼に、何度目になるかもわからない。けれども最後の、めいっぱいの甘えだった。
「海……あんなことになるとは、思ってなかったけど。あれはあれで、楽しかった」
ぽつり、ぽつりと。元の世界での、記憶が蘇る。
「正月は慌ただしかったから。今度こそ、一緒に行こう」
もう訪れないと理解している『この先』について話しながら。
「……そうだ、ラーメン……今度こそ、私の隣の席に座ってね……」
その声には、だんだんと水が落ちる音が混ざり始めて。
「それで、私が……また、間違えそうになったら、叱って……」
覚悟していた、はずなのに。
「サイクリング、はっ……せんせ、い、にも……やって、ほし、くて……!」
溢れて、止まらない。
「いやだよ……!死なないで、先生……!!嫌だよぉ……!!」
こんなわがままが誰の拒絶でもない、世界の不条理で叶わないことくらいわかっている。それを願う時間で、彼の残り少ない時間を無駄にすることも。
でも、それでも思わずには。言葉にせずには、いられない。
「私も、生きたい……!生きてて良いって、思いたい……!でも、でも……!先生がいないと、私はこの世界に……!ひとりぼっちみたいになっちゃう……!!」
それが違う、なんてことはわかってる。
でも、彼女にとってこの世界の人間は、あくまで今日あっただけの他人。例えどれほど姿形が似通っていても、それだけは確かで。
「先生がいなくなったら……!しんじゃったら、私は……!上手に生きれるか、わかんない……!」
一層涙は勢いを強めて。大粒の雫が、ポタポタと落ち始めた。
「死にたくないのに……!しにたいみたいになっちゃうよ……!!」
「“……”」
「う、ぅうう……うぅううううう……!」
返事は期待、していない。ただ、甘えているだけなのだ。
この先、辛く苦しいことだらけかもしれない。また孤独になるかもしれない。罪悪感に苛まれることだってあるだろう。
それでも、生きていくための力が。これから自分は、この思い出だけでこれからの人生を生きていけると、そう思えるだけのものが。ただ、欲しかった。
「“……ぉ、こ”」
「……え?」
「“しろ、こ”」
「……せん……せ、い……?」
だから、彼から声が聞こえた時。シロコは、大いに驚いた。
「“最後に……少し、だけ……”」
「先生……!」
そんな彼の言葉に、シロコの回答は。
「“ぐふっ……!”」
鳩尾への強い衝撃だった。無論殴打ではなく、頭突きのそれに近い。
「喋れるならなんで喋ってくれなかったの……!?私、恥ずかしいこといっぱい……!それだけじゃない……!つらかった……ずっとずっと、辛かったんだよ……!?」
「“……うん。見てたよ。ずっと”」
もう時期死ぬはずなのに、体は案外痛むものだなぁ。どこか他人行儀に、彼はそう思った。
残された時間は少ない。だからその、ほんの少しの時間で。彼女に精一杯の言葉を。
「“……ごめんね……あの時、止めることができなくて……”」
「ちがう……!私が……!私が悪いの……!!ごめんなさい……!先生を殺しちゃってごめんなさい……!!私が……私が、弱かったから……!!」
「“……ううん。あなたのせいじゃないよ、シロコ”」
桐花スオウが、伝えてくれた。彼女を希死念慮の呪いから、救いだしてくれた。
「“あなたに、死にたいだなんて思わせてしまった。幸せになることを、諦めさせてしまった。苦しみを受け入れさせてしまった。
「ううん……!幸せだったよ……!私、生きてて幸せだったよ……!!まだ諦めてないよ……!!今は生きたいって、思えてるよ……!!先生がいたからだよ……!!」
「“……”」
仮面の下で、彼は柔らかに微笑んだ。
誰も守れなかった。たくさんの子供を死なせてしまった。最後に残ったシロコでさえ。
───ありがとう、先生。
そう、思っていたのに。
「“……私は、幸せ者だなぁ”」
たったそれだけの言葉で、どれほどまでに。
「“シロコ、約束”」
「え……?」
「“幸せになってね”」
「いや……いや、嫌だよ!!まだ話したいことたくさんあるよ!!不安なこともいっぱいある!!どうすればいいの!?私、どうやって生きたら良いの!?」
差し出された小指に手をかけることはできずに、シロコはただ泣きついた。一分、一秒。今この瞬間に終わってもおかしくない先生との時間が、永遠であることを願って。
「先生がいないと、幸せになれないよ……!!」
「“……ありがとう”」
それでも、彼は死ぬ。そう時間をおかずに。
「先生まで、みんなみたいにいなくなっちゃいや……!怖くなる……!ううん、怖いよ……!またいなくなっちゃうのが、怖いよ……!人が、怖くなる……!」
「“……”」
人は、一人では生きることができない。けれど、人と生きることも。喪うことも、怖い。
矛盾している。人は、矛盾なしには生きられないから。
「“……それでも”」
けれど。例え人と出会うことが、終わりに向かうことだったのだとしても、人は。
「“その悲しみを和らげてくれるのも、また人なんだよ。シロコ”」
「……わかってる……わかってるよ……!でも、先生……!先生に、死んでほしくないの……!また大切な人に、お別れを言いたくない……!!」
「“……ごめんね”」
「ごめんじゃないよ……!!」
この痛みはきっと、彼女を満たし。長く、その心を蝕んでいくのだろう。
「“それでも、生きて。生きて、生きて、生きて。どんなに痛くても足掻いて”」
「……!」
「“今はまだ、立ち止まってもいいから。少しずつでも、構わないから。いつかその先で、幸せを掴み取って”」
「なんで……!?なんでそんなこと言うの……!?私もう、これ以上……!」
「“私はあなたを、信じてる”」
今は立ち上がれなくてもいい。前を向けなくても良い。ただ、いつか歩き出してくれれば、それで良い。
「“私の愛しい生徒のあなたは、必ず幸せになれる。私が、約束する。保証する”」
「……っ……!」
「“たとえ死んでも、あなたを想い続ける。私はあなたを、愛してる”」
「……ずるいよ……」
愛してる。それだけで。その事実だけで、前を向けずとも生きろと。そう言っているのだ。
卑怯者。そう罵ってやりたい気分になった。
「……約束なんて……できない」
「“それでもいい。それでも、私が一方的に約束する。だから”」
これで最後だ、と。彼女を抱き寄せて、腕に力を込めた。
「“まだもう少しだけ、生きて欲しい。それだけを、約束して欲しい”」
「……うん……」
「“……ありがとう、シロコ。あなたがいたから、私は幸せだった”」
誰一人欠けていても、ダメだった。
「“あなたが、生まれてきて、くれたから……生きて、いてくれたから……私は……あり、が……と、う……”」
体が、徐々に動かなくなる。意識が遠のいて、声が出なくなる。
「……うん。生きる」
そっと、彼女は涙もなく先生から離れた。
「生きて、幸せになろうとしてみる」
彼女なりの、先生を安心させるための演技だった。
「だからっ……ありがとう、先生……!」
扉を駆け足で出る彼女の後ろ姿に、涙の跡が浮かんでいた。
それを理解しながらも、先生は安心したように力を抜いた。強がりでも、強がれるだけの生きる意志を見せてくれた。
「“……”」
光の方へ、韋駄天よりも早く。風を切って振り払うように走る彼女。
どうか彼女の未来と旅路に、祈りきれないほどめいっぱいの祝福を。
「“……そこに、いますか?”」
「“……うん”」
あと、もう少し。もう少しだけ、待って欲しい。まだもう少しだけ。
「“ありが、とう……ござい、ます……むちゃ、ぶりを……”」
「“……構わない。最後に、シロコと話をしてあげて欲しかった”」
二つのシッテムの箱。アトラ・ハシースの箱舟と、ウトナピシュティムの本船。その併用による、大きな負担。代償。それをこの世界の先生が肩代わりしても、死者の蘇生は実現し得ない。
許されたのは、ほんの少し。最後に彼女と言葉を交わす時間のみ。
「“……『先生』……どうか……どうか”」
シッテムの箱と、大人のカードを取り出した。シッテムの箱の中には、大切な彼女が。
大人のカードは、もう一人の自分への手向け。置き土産といったところだ。
「“……シロコを……アロナを……スオウを……”」
実に自分らしいじゃないか、と。彼は少し、苦笑いをした。
「“……生徒達のことを……よろしくお願いします……”」
「“……約束する。あなたの想いを、絶対無駄にはしない”」
差し出したカードとシッテムの箱が受け取られたことを確認して。彼は、地面に倒れた。
視界がなくなる。音が聞こえない。息ができない。何も見えない、感じない。
「“……”」
自分は最後まで、『先生』であれただろうか?成すべきことを成せただろうか。彼女は、果たして幸せになってくれただろうか。
「“ふふ……”」
答えはとっくに、懐の中にしまっていた。少しシワがついてしまったけれど。
「あ、先生……ついに来ちゃったか〜」
あとのことは、この世界の自分と。それと、これから成長する彼女達へ。これから大人になる彼女達へ、任せるとしよう。
「お疲れ様、先生」
死の間際の幻聴か。そんな声を聞きながら、先生は絶命した。
ご存知かもしれませんが、ハーメルンの不具合で更新が遅れました!申し訳ないです……
次回、最終編も最終回です!に、なる予定です!