ts転生者の生徒が、頑張るだけのお話。   作:おにっく

174 / 175
【最終編】これからを生きるあなたへ

 大きなコートに、身を包む。

 天使みたいに真っ白で、傷物みたいにボロボロで。嗅ぎ慣れた、彼の匂いがした。

 

「先生っ!!準備!!できましたッ!!」

「“了解!!”」

「に、するつもりかわかんねぇけどさぁ……!やるなら、さっさと……!」

 

 軽かったそれは、袖を通した瞬間水を吸ったように、じっとりと重かった。肩に大きな石でも乗せられた気分だった。

 

「やっぱコートがあった方が落ち着きますね、っと!」

「んなっ……!?」

 

 別世界の俺の前に立ちはだかって、銃を構える。正面戦闘で勝てないことは分かってる。

 今ここで戦うのは、勝つためじゃない。だから、これでいい。

 

「ほらほら、動き鈍って、ますよっ!!」

「いき、きらしながら……いわれてもさぁ……!」

「さっきみたいに!八つ当たりでもしてきやがれってんです!」

「っ、テメっ」

「今!」

 

 隙を見て、先生に合図を送る。彼からの距離は、十メートルもなかっただろう。

 致命傷を避けながらここまで引きつけるのは、本当に大変だった。

 

「“脱出シーケンス、起動!”」

「……!馬鹿!!」

 

 シッテムの箱を起点に、リオが作った脱出シーケンスの起動。それによって、別世界の俺をこの舟から放り出す。

 それが、俺の作戦。

 

「その程度、ぐっ……!」

「“うん。わかってるよ”」

 

 そしてここからが、俺と先生の作戦だ。

 

「な……!」

 

 脱出シーケンスの起動には、かなりの時間を要する。何より、エネルギーも。

 一度起動してしまえば受付期間も極めて短い。であれば、この舟に緊急事態が発生した時に備えて温存しておくべきだ。

 

 だからこれは、ただの(ブラフ)

 

「っははは……そうだ、それでいい……」

 

 シロコのワープホールを使ってこいつを舟の外に出す。先生の提案はこうだった。

 でも、それじゃ足りない。こいつを一人にすれば、きっとその先で一人勝手に死のうとするだろう。我ながら、目が離せないやつだから。

 そうでなくとも、ワープさせた先での被害は抑えれない。

 

「そりゃどーも。それじゃ、いきましょっか」

「はっ?」

 

 だから、俺も一緒に行ってやることにした。

 

「先生っ!!こっちは私に任せてください!!……そっちのことは、お願いしました!!」

「“!……うん。お願いね、スオウ!”」

「はい!!」

 

 先生に視線を送り、別世界の俺の首根っこを引っ掴んで、タッと地面を蹴り上げる。

 

「お前っ」

「そらっ!!防御しねーと地面に叩きつけられちまいますよ!!」

「は……?っ……!!」

 

 ワープホールを潜り抜けて出た先は、地上……ではなく。空中だった。

 

「えげつねぇこと考えやがる……!」

「そうでしょう!同じ私同士ですからね!」

 

 おおよそ、地上からの距離は数百メートルといったところか。空中では、俺もそうだけれども。こいつも、身動きを取ることはできない。

 さっきのように空中に浮遊すれば話は別だけれども。それでも、一瞬の隙が生まれる。

 その一瞬が肝要だった。

 

「今ですよ!!ミサキィ!!」

「……!?」

 

 聞こえてか、聞こえずか。どちらでもいいけれども、とにかくミサキのロケットランチャー。

 その弾が、空中ではいくつもに分かれながらこちらに迫る。周辺を十分な数の爆弾が満たしたところで、それらは爆ぜて。

 

「ボンッ!」

「ぐぁ、あっ……!」

 

 俺を巻き込んで、そのまま大きく爆ぜた。

 

「く、はははっ……あー……なっつかしい熱さだよ……!」

「まだまだ、こんなもんじゃないですよ」

「あ……?」

 

 ヒュウ。と、何かが登ってくる音がした。

 地上で妹達が打ち上げた、花火だ。

 

「流石に二度目は勘弁なので」

「ぐ……!」

「防御!!頼みますね!!」

「おっ……まえなぁ!!」

 

 別世界の俺と、距離を詰める。離さないように、ガッチリと掴む。これで俺ごと無理やり移動するか、あるいは俺ごと防御するしかなくなったはず。

 

「無茶振りしやがっって……」

 

 実際その通りだったらしく、せっかくの綺麗な花火は硬質化した恐怖で覆われて見れなかった。ダメージはほとんどない。

 だから、次だ。

 

「こちとら、殺したい気持ちを抑えんので、ていっぱい……!!」

「っしゃ!!今です!!ヨセ!!」

「う、おぉおおおおおおおおっ!!」

「!?」

 

 流石マユミ。あまりものの廃材でも、即席で完成させてくれたか。

 

「ちょ、このジェットパックめっちゃバランスわるっ……!に、二度はできないからね!?」

 

 ゴタゴタと文句を言いながら、背中にジェット機のような機械を背負って空に登ってくるヨセ。

 

「今回だけでいい!!私ごと蹴ってッ!!」

「うわ、ホントに小隊長が二人……ふ、ひひっ……日頃の恨みィ!!」

 

 彼女はあまり覚えのない怒りをぶつけてきながら、そのまま下方向に踵落としを喰らわせてきた。

 

「ぐ、ぅ……!」

「どーです?」

「あァ!?どうってなんだよ……!」

 

 これでいい。

 

「私たちは強いでしょ?」

「……!」

 

 本当のことを言うなら。もう、この子と俺が戦う理由はあまりない。地上まで運べば、いくらでも拘束する手段も。無力化する手段もあるだろう。

 それでも、このやり方を選んだ。

 

「心ん中にモヤモヤがあるんでしょ。まだ」

「……」

 

 この子のことを、本当の意味で『助けたい』と、そう思ったから。

 

「全部空っぽになるまで、全力でぶつけてかかってきてください。どうしようもない気持ちくらい、私たちで受け止めてあげますから」

「くくっ……あははっ……」

 

 本当の意味で、『助ける』と誓ったのだから。約束したのだから。

 

「ははははははははっ!!だったらもう、手加減はッ……!!要らねェなァ!!?」

「うお、っと……!ヨセ!先に下に!!」

「へっ?どぅわぁっ!?」

 

 別世界の俺の拳で受け止め、ヨセを髪の毛ロープで地上に落としながら、地上への落下を続ける。

 地面に到達するまでは、あと数秒。

 

「待てコラぁ!!」

 

 そして数秒あればこいつは、俺を戦闘不能にできる。

 

「私一人ならね。ヒヨリッ!!」

「は、はいっ!!」

「ぐっ……!良いィ痛みだヒヨリィ……!!」

「ひ、ひぃっ……!?あの距離で私のこと見えてるんですか……!?」

 

 俺が聞こえてるんだから、そりゃ見えてるよ。心の中でヒヨリに突っ込みつつ、ヨセからくすねた爆弾で下方向に加速。

 たどり着いたそこは、周囲に建物もなく、家もなく。どこぞの田舎の、何もない平野。そんな場所だった。

 

「シオ!!今だ!!」

「私に命令して良いのはッ……!お姉ちゃん、だけよッ!!」

 

 トウが合図を送り、シオが広げてくれたクッションに着地。別世界の俺はそこを避けて、ゆっくりと浮遊しながら地上に降り立った。

 

「お姉ちゃんッ!!ほとんど二十四時間ぶり……!会いたかった……!」

「っと、シオ。よしよし。寂しい思いをさせちゃいましたね」

「……あー……小隊長、それにシオ。それあとにしてもらえるかい?」

「嫌」

 

 一言だけで簡潔に意思を伝えるシオを撫で付けながら、降り立った別世界の俺の方へ向き合う。

 こうしてシオに抱きつかれてると、なんだかほとんど服の一部みたいだな。フルアーマーお姉ちゃんモードと名付けよう。

 

「アホの小隊長、馬鹿みてぇなこと考えてないで真面目に戦いますよ」

「ヤコ?なんかいつも以上に辛辣じゃないですか?」

「あァ、それには理由があってな小隊長殿。こいつと来たら、テメェがいなくなった程度でピーピー泣きやが」

「殺すぞテメェッ!!!」

 

 ヤコにもかなり心配かけたみたいだな。妹達との再会を喜びたいところだけれど、そういうわけにもいかない。

 彼女達がここにいるということは、先生からの連絡も渡っているということ。状況はわかっているのだろう。誰一人として、警戒は解かなかった。

 

「というかあれ、本当に勝てるのかな……私鍛えられた分みんなよりわかってるつもりだけど、あれ化け物みたいだよ……?」

「ん……知らない、匂い……人間じゃ、ない……でも、小隊長と……一緒……」

「……ん?今お姉ちゃんの事人間じゃないって」

「スオウ、真面目に戦うよ」

 

 アツコに叱られたけれど、今叱られるべきって本当に俺だったんだろうか。まあいいや。

 

「なるほど、ね……!」

 

 別世界の俺がこちらへ歩いてくるのを見て、スウッと息を吸って。

 

「アリウス小隊!!総員、戦闘用意!!目的はただ一つ!!別世界の私の無力化!!手段は問わない!!どんな武器を使っても良い!!」

「おあつらえ向きな舞台を用意してくれやがって」

「最前線は私が切る!!分隊長の指揮に従って!!この場にいる全員!!誰一人として欠けるな!!死なずに、任務を遂行してください!!」

『了解!!』

 

 声を張り上げて、駆け出す。

 

「かかって来いよ、お人よし(正義の味方)……悪者は、ここにいる」

「そいつはちょっと違いますね」

 

 ショットガン同士をぶつけ合い、鍔迫り合いのように互いの顔を近づけて。

 

「私は、全部の妹の味方なんです」

「はははっ……そういや、そうだったな」

 

 だからお前も。その言葉だけは、まだ覆い隠して。

 最後の戦いが始まった。

 

 

 

 

 場所は変わって、アトラ・ハシースの箱舟。その一角。

 

「……言われた通り……サオリと、アズサ。それと、スオウ達はワープさせた」

 

 いよいよ体力も限界。息も絶え絶えになりながら、砂狼シロコは先生(プレナパテス)に縋るようにもたれかかった。

 その小さな鼓動を感じながら、じっと彼の顔を見上げて。

 

「これで、私の罪も……少しくらいなら、償えたかな?先生」

「……シロコ先輩」

「アヤネ」

「っ、はい!」

 

 先程再開した先生の鼓動は、徐々に。されど、確実に。再び、その動きを止めようとしている。

 

「……ごめん。少し、二人きりにさせて欲しい」

「え……でも……」

「お願い」

「……っ……!」

 

 これから何が起こるのか、理解した。だからこそシロコの表情が、見るに堪えない。そんな反応をしたあと、アヤネはシロコの方に体を預け。

 

「シロコ先輩……何があっても……私は、私たちは。シロコ先輩の、味方です」

「……うん」

「……私たちもいます。それだけは、忘れないでください」

「ん……約束、する」

 

 それから、少し離れて。涙を拭って、アヤネはその場から逃げるように離れた。

 

「……二人っきり、だね」

 

 返事は、ない。

 

「……この舟……もうすぐ、落ちるみたい。脱出機能はあるって言ってたけど、墜落しちゃうかも」

 

 ずっとこうだった。だからもう、慣れていた。

 

「私の分は、あるのかな。なかったら、先生と一緒に逝けるね……いやだけど……あ、先生とが嫌なんじゃない……だから、終わり方としては悪くない、かも」

 

 独り言のように、先生に体重を預けて。母親に学校での出来事を話す子どものように、話に華を咲かせた。

 

「……でも、先生も……ホシノ先輩も、ノノミも、アヤネも、セリカも……多分、スオウも……私の分は、用意しようとするから。私はまだ、生きなきゃいけないね」

 

 目を閉じて、彼のぬくもりを感じる。この体から失われてしまわないように。奪われてしまわないように。

 この先を生きる一生分の温かさを彼から受け取ろうと、必死に彼の体温に集中した。

 

「……辛いよ。辛いし、不安だよ……私、幸せになって良いのかな……?……幸せに、なれるのかな?」

 

 ゆっくり、手のない腕が動いた。シロコの頭を、ゆっくり撫でつけた。

 

「ん……ありがとう」

 

 死にゆく彼に、何度目になるかもわからない。けれども最後の、めいっぱいの甘えだった。

 

「海……あんなことになるとは、思ってなかったけど。あれはあれで、楽しかった」

 

 ぽつり、ぽつりと。元の世界での、記憶が蘇る。

 

「正月は慌ただしかったから。今度こそ、一緒に行こう」

 

 もう訪れないと理解している『この先』について話しながら。

 

「……そうだ、ラーメン……今度こそ、私の隣の席に座ってね……」

 

 その声には、だんだんと水が落ちる音が混ざり始めて。

 

「それで、私が……また、間違えそうになったら、叱って……」

 

 覚悟していた、はずなのに。

 

「サイクリング、はっ……せんせ、い、にも……やって、ほし、くて……!」

 

 溢れて、止まらない。

 

「いやだよ……!死なないで、先生……!!嫌だよぉ……!!」

 

 こんなわがままが誰の拒絶でもない、世界の不条理で叶わないことくらいわかっている。それを願う時間で、彼の残り少ない時間を無駄にすることも。

 でも、それでも思わずには。言葉にせずには、いられない。

 

「私も、生きたい……!生きてて良いって、思いたい……!でも、でも……!先生がいないと、私はこの世界に……!ひとりぼっちみたいになっちゃう……!!」

 

 それが違う、なんてことはわかってる。

 でも、彼女にとってこの世界の人間は、あくまで今日あっただけの他人。例えどれほど姿形が似通っていても、それだけは確かで。

 

「先生がいなくなったら……!しんじゃったら、私は……!上手に生きれるか、わかんない……!」

 

 一層涙は勢いを強めて。大粒の雫が、ポタポタと落ち始めた。

 

「死にたくないのに……!しにたいみたいになっちゃうよ……!!」

「“……”」

「う、ぅうう……うぅううううう……!」

 

 返事は期待、していない。ただ、甘えているだけなのだ。

 この先、辛く苦しいことだらけかもしれない。また孤独になるかもしれない。罪悪感に苛まれることだってあるだろう。

 

 それでも、生きていくための力が。これから自分は、この思い出だけでこれからの人生を生きていけると、そう思えるだけのものが。ただ、欲しかった。

 

「“……ぉ、こ”」

「……え?」

「“しろ、こ”」

「……せん……せ、い……?」

 

 だから、彼から声が聞こえた時。シロコは、大いに驚いた。

 

「“最後に……少し、だけ……”」

「先生……!」

 

 そんな彼の言葉に、シロコの回答は。

 

「“ぐふっ……!”」

 

 鳩尾への強い衝撃だった。無論殴打ではなく、頭突きのそれに近い。

 

「喋れるならなんで喋ってくれなかったの……!?私、恥ずかしいこといっぱい……!それだけじゃない……!つらかった……ずっとずっと、辛かったんだよ……!?」

「“……うん。見てたよ。ずっと”」

 

 もう時期死ぬはずなのに、体は案外痛むものだなぁ。どこか他人行儀に、彼はそう思った。

 残された時間は少ない。だからその、ほんの少しの時間で。彼女に精一杯の言葉を。

 

「“……ごめんね……あの時、止めることができなくて……”」

「ちがう……!私が……!私が悪いの……!!ごめんなさい……!先生を殺しちゃってごめんなさい……!!私が……私が、弱かったから……!!」

「“……ううん。あなたのせいじゃないよ、シロコ”」

 

 桐花スオウが、伝えてくれた。彼女を希死念慮の呪いから、救いだしてくれた。

 

「“あなたに、死にたいだなんて思わせてしまった。幸せになることを、諦めさせてしまった。苦しみを受け入れさせてしまった。(おとな)の生きる世界で、生徒(こども)にそう思わせるつもりはなかった。だからこれは、私の責任だ”」

「ううん……!幸せだったよ……!私、生きてて幸せだったよ……!!まだ諦めてないよ……!!今は生きたいって、思えてるよ……!!先生がいたからだよ……!!」

「“……”」

 

 仮面の下で、彼は柔らかに微笑んだ。

 

 誰も守れなかった。たくさんの子供を死なせてしまった。最後に残ったシロコでさえ。

 

───ありがとう、先生。

 

 そう、思っていたのに。

 

「“……私は、幸せ者だなぁ”」

 

 たったそれだけの言葉で、どれほどまでに。

 

「“シロコ、約束”」

「え……?」

「“幸せになってね”」

「いや……いや、嫌だよ!!まだ話したいことたくさんあるよ!!不安なこともいっぱいある!!どうすればいいの!?私、どうやって生きたら良いの!?」

 

 差し出された小指に手をかけることはできずに、シロコはただ泣きついた。一分、一秒。今この瞬間に終わってもおかしくない先生との時間が、永遠であることを願って。

 

「先生がいないと、幸せになれないよ……!!」

「“……ありがとう”」

 

 それでも、彼は死ぬ。そう時間をおかずに。

 

「先生まで、みんなみたいにいなくなっちゃいや……!怖くなる……!ううん、怖いよ……!またいなくなっちゃうのが、怖いよ……!人が、怖くなる……!」

「“……”」

 

 人は、一人では生きることができない。けれど、人と生きることも。喪うことも、怖い。

 矛盾している。人は、矛盾なしには生きられないから。

 

「“……それでも”」

 

 けれど。例え人と出会うことが、終わりに向かうことだったのだとしても、人は。

 

「“その悲しみを和らげてくれるのも、また人なんだよ。シロコ”」

「……わかってる……わかってるよ……!でも、先生……!先生に、死んでほしくないの……!また大切な人に、お別れを言いたくない……!!」

「“……ごめんね”」

「ごめんじゃないよ……!!」

 

 この痛みはきっと、彼女を満たし。長く、その心を蝕んでいくのだろう。

 

「“それでも、生きて。生きて、生きて、生きて。どんなに痛くても足掻いて”」

「……!」

「“今はまだ、立ち止まってもいいから。少しずつでも、構わないから。いつかその先で、幸せを掴み取って”」

「なんで……!?なんでそんなこと言うの……!?私もう、これ以上……!」

「“私はあなたを、信じてる”」

 

 今は立ち上がれなくてもいい。前を向けなくても良い。ただ、いつか歩き出してくれれば、それで良い。

 

「“私の愛しい生徒のあなたは、必ず幸せになれる。私が、約束する。保証する”」

「……っ……!」

「“たとえ死んでも、あなたを想い続ける。私はあなたを、愛してる”」

「……ずるいよ……」

 

 愛してる。それだけで。その事実だけで、前を向けずとも生きろと。そう言っているのだ。

 卑怯者。そう罵ってやりたい気分になった。

 

「……約束なんて……できない」

「“それでもいい。それでも、私が一方的に約束する。だから”」

 

 これで最後だ、と。彼女を抱き寄せて、腕に力を込めた。

 

「“まだもう少しだけ、生きて欲しい。それだけを、約束して欲しい”」

「……うん……」

「“……ありがとう、シロコ。あなたがいたから、私は幸せだった”」

 

 誰一人欠けていても、ダメだった。

 

「“あなたが、生まれてきて、くれたから……生きて、いてくれたから……私は……あり、が……と、う……”」

 

 体が、徐々に動かなくなる。意識が遠のいて、声が出なくなる。

 

「……うん。生きる」

 

 そっと、彼女は涙もなく先生から離れた。

 

「生きて、幸せになろうとしてみる」

 

 彼女なりの、先生を安心させるための演技だった。

 

「だからっ……ありがとう、先生……!」

 

 扉を駆け足で出る彼女の後ろ姿に、涙の跡が浮かんでいた。

 それを理解しながらも、先生は安心したように力を抜いた。強がりでも、強がれるだけの生きる意志を見せてくれた。

 

「“……”」

 

 光の方へ、韋駄天よりも早く。風を切って振り払うように走る彼女。

 どうか彼女の未来と旅路に、祈りきれないほどめいっぱいの祝福を。

 

「“……そこに、いますか?”」

「“……うん”」

 

 あと、もう少し。もう少しだけ、待って欲しい。まだもう少しだけ。

 

「“ありが、とう……ござい、ます……むちゃ、ぶりを……”」

「“……構わない。最後に、シロコと話をしてあげて欲しかった”」

 

 二つのシッテムの箱。アトラ・ハシースの箱舟と、ウトナピシュティムの本船。その併用による、大きな負担。代償。それをこの世界の先生が肩代わりしても、死者の蘇生は実現し得ない。

 許されたのは、ほんの少し。最後に彼女と言葉を交わす時間のみ。

 

「“……『先生』……どうか……どうか”」

 

 シッテムの箱と、大人のカードを取り出した。シッテムの箱の中には、大切な彼女が。

 大人のカードは、もう一人の自分への手向け。置き土産といったところだ。

 

「“……シロコを……アロナを……スオウを……”」

 

 実に自分らしいじゃないか、と。彼は少し、苦笑いをした。

 

「“……生徒達のことを……よろしくお願いします……”」

「“……約束する。あなたの想いを、絶対無駄にはしない”」

 

 差し出したカードとシッテムの箱が受け取られたことを確認して。彼は、地面に倒れた。

 視界がなくなる。音が聞こえない。息ができない。何も見えない、感じない。

 

「“……”」

 

 自分は最後まで、『先生』であれただろうか?成すべきことを成せただろうか。彼女は、果たして幸せになってくれただろうか。

 

「“ふふ……”」

 

 答えはとっくに、懐の中にしまっていた。少しシワがついてしまったけれど。

 

「あ、先生……ついに来ちゃったか〜」

 

 あとのことは、この世界の自分と。それと、これから成長する彼女達へ。これから大人になる彼女達へ、任せるとしよう。

 

「お疲れ様、先生」

 

 死の間際の幻聴か。そんな声を聞きながら、先生は絶命した。




ご存知かもしれませんが、ハーメルンの不具合で更新が遅れました!申し訳ないです……

次回、最終編も最終回です!に、なる予定です!
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。