放課後、補習授業部の部室にて。
静寂の中、シャープペンシルをノートに走らせる音が響く。
「ハナコ、この問題はどう解けばいい?」
「どれですか?……ああ、なるほど。確かに計算がちょっとややこしいですが、こういう時は倍数判定法を用いればスッキリと……」
「倍数判定法……ああ、アレか……なるほど。うん、理解した」
その静寂を破る白洲アズサの質問に、ハナコは何の苦もなくあっさりと答えた。
「……」
その光景を見て、どこか安心するヒフミ。
最初こそ不安になるような言動が多く見られたが、今では特段騒ぎも起こさずに勉強会が行えている。
ただでさえ、ファーストコンタクトで正義実現委員会に拘束されていた二人だ。
有体に言ってしまえば、もっと問題が起きると思っていたのだが……その心配は杞憂なようだ。
今のヒフミにとって、心配なのはむしろ……。
「……?」
「えっと、コハルちゃん?何かわからない問題でもありましたか?」
「いっ、いやっ!別に!?」
下江コハルの方だ。
「ちなみに今見てるそのページは、今回のテスト範囲ではありませんよ」
「えっ、うそっ!?」
少なくとも今日始まってからの勉強時間を無駄にしているのだから、心配にもなる。
本人曰く、一年生用のテストさえ受ければ問題ないと言っていたのだが……果たして、本当にそうだろうか?
「コハル、今回のテスト範囲はここ。よく見て、章が違う」
「あ、本当だ……って、ちがっ、知ってるし!今回の範囲は余裕だから、先のところを予習してやっただけ!」
「なるほど、流石……ちょうどその範囲でわからない問題があったから、教えてくれる?この問題なんだけど……」
「っ、い、嫌よ!!馴れ合うつもりは無いって言ったでしょ!!?」
「……そう、か……そうだ、飲み物を買いに行かない?私は丁度喉が渇いたところ」
「行かない!!」
「……」
「……あ、あはは…」
強い拒絶を示すコハルに対し、目に見えて落ち込むアズサ。
これもまた、不安の種の一つだ。
アズサの方はなんとか仲良くしようと、様々なアプローチを仕掛けているのだが……いかんせん裏目に出ることや、拒絶されてしまうことが多い。
「アズサちゃん、どこがわからなかったんですか?」
そしてそのフォローに、ハナコやヒフミ、加えて先生が回る。
いつか大事に至ってしまわぬかと、ハラハラしながら見守っている現状だ。
「あ、それは……」
「あら?できていますね?」
「……!!」
「そ、その……ちゃんとできてるか、不安になって」
「問題ありませんよ。この書き方なら、減点もされないはずですし」
「わ、わかった。ありがとう」
「いえ」
とはいえ、コハルからも勉強に向き合う気概はヒフミ自身感じている。
あまり心配するものでもないのだろうかと、自身の勉強に戻った。
◇
暫くして。
「ハナコ、この文章は何?」
「古い叙事詩の冒頭部分ですね。『怒りを歌え、神性よ──』という書き出しから始まって、とある戦争の最後の決戦に焦点を当てています」
「……ああ、あれか。理解した」
アズサはどうやら、数学から古語の勉強に移ったようだった。
「ハナコ、これは……」
「これは古代語を重訳したものですね。原文を理解するには辞書がないと……ちょっと待っていてくださいね」
「ああ、なるほど。なら、これはおそらく『Gaudium et Spes』……喜びと希望、か」
ふと、そう言ったアズサに対し、ハナコは僅かな驚愕を向ける。
「えっと……はい、そうみたいですね。これは第二回公会議における……いえそれよりも、アズサちゃんは古代語が読めるんですね?」
「ああ。昔習った。ちゃんと教わったわけじゃないから、得意ってほどでもないけど」
古代語は読めるが、古語の問題は解けない。
言うなれば、問題の解き方を知らないような状態。
数学においてはその傾向はあまり見られなかったが、古語においては著しい。
「そうなんですね。では、問題の解き方を学びましょう。まず……」
◇
「“いい感じみたいだね。これ、よければみんなで”」
「あ、ありがとうございます」
ヒフミが先生の差し入れの飲み物を受け取り、机の上に置く。
「それで、そうなんです!ハナコちゃんが何だかとってもすごくって……!アズサちゃんも学習意欲たっぷりです!勉強の仕方も、そんなに悪くはないですし……コハルちゃんについても、実力を隠していたと聞きました」
自分で言っておきながら不安になりつつ、矢継ぎ早に言葉を続ける。
「これならもしかして、余裕で合格できてしまうかもしれません……!」
「“……そっか”」
それはどうだろうかと思いつつ、ひとまず相槌を返す先生。
「本当に良かった……すっごく心配してたんです……」
「“そうだよね。三回あるとはいえ、もうすぐ一回目の特別学力試験が控えてるし……”」
「いえ、それもあるのですが……実は、『もし一次試験で不合格者が出てしまったら、合宿をしてください』と、ティーパーティから言われてまして……」
「”合宿?“」
先生にとって、心当たりのない話だった。
ナギサにしろミカにしろ、そのようなことについては一切触れていなかったし、特段そういった通知もなかったはずだ。
「はい、そうなんです……それに、もし三次試験まで全て落ちてしまったら……あうぅ……」
「”何か、マズいことに……?“」
先程感じた、わずかなきな臭さ。
それが当たっていたとすれば、何かとんでもない無理難題を押し付けられている可能性すらある。
「な、なんでもありません……?心配は杞憂で終わりそうですし。暗い話はこの辺りにして……とにかく、試験は問題なさそうです!」
「”……そっか。それなら、ひとまずは安心だね“」
そんな意図からした質問であったが、他ならぬヒフミ自身によって逸らされてしまった。
言わないということはあまり大したことではないのか、口止めをされているのか。
いずれにしろ、注視しておかなくてはいけない。
「そういえば……ハナコちゃんはどうやらすごく勉強ができる感じですがどうして落第してしまったんでしょう……?」
「”……言われて見れば、確かに“」
そんな決心を胸に、ヒフミの疑問に対し同調を返す。
「私みたいにテストを受けられなくてとか、何か事情があったんでしょうか……?」
「”……“」
ヒフミの場合ペロロ様のイベントに行くため自発的に休んだのだが、一緒にするのはいささか失礼ではないだろうか。
そんな疑問をなかったことにしつつ、先生は考える。
ヒフミは心配は要らなさそうだと言っていたが、自身としてはそうは思わない。
確かにハナコとヒフミに関しては、心配はいらないだろう。
だが問題は、アズサとコハルだ。
アズサに関しては、得手不得手の差が激しい点。
特に、地理学と生物学が酷いものだった。
他の教科についてはある程度基礎も固められているが、その二教科においては全くと言っていいほどの白紙だ。
果たして、ものの数日で身につけることができるだろうか。
そして、コハル。
彼女に関しては、おそらく……あまり、勉強が得意ではないのだろう。
自身も定期的に見に行ったり、教えたこともあったが、単純に勉強が苦手だ、という印象を受けた。
そのため、両名合格できるかについては半々といったところ。
だが、ここで失敗することもまた一つの経験。
チャンスはあと二度ある。
それまでに、皆で協力して無事合格してほしい。
特に、コハルとアズサについてはまだ落ち着いた会話すらあまりできていないのだ。
補習授業部の卒業までに、なんとかコミュニケーションをとって欲しい。
そのために自分がサポートするべき事はするが、できるだけ彼女たちの自主性によって行なって欲しい。
学校とは、勉強だけを学ぶ場ではないのだから。
そんな思惑をよそに、夜は更けていき。
◇
そして、迎えた第一次特別学力試験の結果発表。
「”まずは、ヒフミから。七十二点、合格だよ。よく頑張ったね“」
「あ、ありがとうございます!なんだか無難な点数ですが、良かったです!では、次に……」
ヒフミがアズサの方へと、期待を込めた視線を送る。
「”……アズサ……四十四点、不合格。まだちょっと遠いけど、次に向けて、また頑張ろうね“」
と、そこでヒフミが動きを止め。
「……はいぃいぃっ!!?」
あまりの驚愕に、絹を裂かれたような叫びを上げる。
「ちっ、紙一重だったか」
「ちょっと待ってください、『紙一重』なんてものじゃありませんよ!!?結構足りてないですよ!?」
そんなヒフミの指摘を素知らぬふりをし、コハルの点数発表に移る。
「”コハル……十六点、不合格。基礎が足りていない場所があるから、そこからかな。一緒に頑張ろう“」
「え、えっ!?」
「コハルちゃんんんっ!?力は!!?秘められた力があったんじゃないんですか!?まさか今回も一年生用じゃなくて二年生用……いや、まさか飛んで三年生用の試験を受けたんですか!!?」
連続して訪れる驚愕。
まだ先程の驚愕も収まっていないというのに訪れたそれに、わずかに口調がぶれつつ失礼といえば失礼な疑問を投げかけるヒフミ。
「やっ、その……!か、かなり難しかったし……」
「すっごく簡単でしたよ!?小テストみたいなレベルでしたよ!?」
「コハル、気にする事じゃない。本試験の時の私よりも取れてる。また一緒に勉強して、次はもっと取ろう」
「切り替え早っ!!?い、いえ大事な事ですが!!」
「あらあら……」
まさかこんなことになるとは、やれやれといった具合で解答を受け取り帰ってきたハナコ。
「うぅ……合格したのは私とハナコちゃんだけ、ということでしょうか……となるとまた次の、二次試験を受けないと……」
「あら?何を言っているんですか?」
「へ?」
予想外の発言に、間の抜けた声が漏れ出る。
そんなヒフミに対し、ハナコは自分の解答用紙をペラっと見せ……。
「二点!!?にっ、二点ですか!?二十の間違いじゃ、いえ二十点でもダメなのですが……!むしろ何が正解だったんですか!?と言いますか待ってください、ハナコちゃんものすごく勉強できる感じでしたよね!?」
「確かに私、そういう雰囲気はあるみたいですね。まあ成績は別なのですが」
「雰囲気!?雰囲気だけだったんですか!?成績とは別ってどういうことですかっ!?」
少々酸欠になりつつ、ツッコミを続けるしかないヒフミ。
「う……」
いよいよ視界もグラつき始め……。
「あぅうう……」
「”ヒフミ!しっかり……!“」
そしてついに、完全に意識を失った。
◇
その後、先生は桐藤ナギサとの接触し、多くの情報を得た。
トリニティにエデン条約を妨害しようとする裏切り者がいること。その裏切り者を始末するためにシャーレを利用したこと。このままでは四人揃って退学になること。
そして……その裏切り者を、見つけ出して欲しいこと。
無論、四人揃って退学など、先生にとって容認しかねることだった。
だが、だからといってエデン条約の妨害をさせるのもまずい。
だからこそ、自身のやり方で対処すると伝えたのだが……桐藤ナギサは、まともに試験を受けさせないこともチラつかせてきた。
つまり、どうあっても裏切りものは始末する。そう言いたかったのだろう。
だが、今は自分にできることをするしかない。
そのためにもまず、約束通り補習授業部の面々で合宿を行うことになった。
「ようやく着きましたね、ここが私たちの……」
「はい、合宿の場所です。ようやく着きましたね、ふぅ……」
いつも通りの四人の面子が、各々の荷物を持って合宿場所である別館に集合している。
「……そ、その、綺麗に使ってね……?」
が、そこに一人だけ軽装であり、かつ、補習授業部のメンバーでもない生徒が一人。
「そ、それじゃあ先生……あらためて、よろしくお願いします……」
いつも通りの辿々しい態度のまま、アシリは先生へと挨拶を告げた。