「そ、それじゃあみんな!私、一旦帰るね!」
プールの清掃も終わり、夢中になって遊んでみれば、すっかり夜も更けてしまった。
アシリにより内部構造の説明がなされ、食事をとり、皆が床に就く準備を終える。
「はい!お世話になりました!それに、夕飯まで一緒に……」
「い、いいんだよ……私も、その……楽しかったから!」
「……そう、だな。うん。楽しかった」
「……ふふ、そうですね」
「わ、私は別に……」
そんなことなかった、とコハルが言いかけたところで。
「こ、コハルちゃん……?ひょっとして、迷惑だった……?」
「コハル、そうだったの……?」
「……っあぁ!もう!楽しかったわよ!!これで満足!!?」
元来、優しい生徒であるコハルだ。
涙目のアシリと落ち込み気味のアズサに詰められ、根負けするしかなかった。
「へへー、作戦成功……」
もっともアシリの方に関しては、コハルの本音を引き出すために計算尽くの演技であったが。
「作戦成功って、あんた……」
そんな彼女らしからぬ強かさに抗議の声を上げようとコハルは口を開いたが、疲れからかなんとなくそんな気にもならなかった。
「“改めて本当にありがとう、アシリ。これからもよろしくね”」
「は、はい……」
話しかけてくる先生に、若干の気まずさを感じるアシリ。
はっきり言って、アシリは今日一日だけでも先生は悪人でない、と感じていた。
その一挙一挙に、自分たち生徒に対する気遣いが見て取れたからだ。
周囲をよく観察し、危うい現場があれば注意を促す。なんとなくではあるが、親友が信用した理由もわかった。
まだ尚早、とも言えてしまう判断だ。
しかしアシリは警戒心こそ強いが、一度それをほぐしてしまえばチョロいのだ。本人に自覚がない、というのも拍車をかけている。
そうなると、先日までの自分の態度が失礼なものに思えて仕方がなかった。
「あ、それと……」
「“……?”」
だが、それはそれとして。
「一応、部屋は離しておきましたから……!滅多なことはしないでくださいね……!?」
「“しないよ!?”」
そういった方面で先生を信用したかと言えば、それはまた別の話であった。
◇
「“……?”」
深夜、先生が部屋で残った仕事を消化していると、扉を三回叩く音がする。
「“どうぞ、入って”」
「あ、えと、失礼します……」
辿々しい態度と共に扉の隙間から現れたのは、補習授業部部長の阿慈谷ヒフミ。
「その、夜中にすみません……」
熱くなったノートパソコンを閉じ、回転式の椅子でくるりと回ってヒフミの方へ向き直る。
「“ヒフミ?どうしたの?”」
「その……なんだか眠れないと言いますか……あれこれ考えていたら、その……あうぅ……」
明日にも授業があるというのにこんなにも遅い時間まで起きているのはあまり感心しないが、不安げな表情をしている。
ただでさえ、補習授業部がこれからどうなるのかわからないのだ。加えて、部長として責任も感じているだろう。
昼間は一見すると平気な様に見えたが、見た目以上に不安を感じているのかもしれない。
であれば、話を聞く必要があるだろうと、先生はそう判断した。
「“そっか。それじゃあ少し、私の休憩に付き合ってくれない?紅茶でいいかな?”」
「あ……ありがとうございます……」
お茶を飲みつつ雑談に興じ始めたところで、ポツリ、ポツリとヒフミがここへ来た本当の理由について話し始める。
三次試験まで不合格ならば、自分たちは退学になってしまうこと。
その理由は、あの中に裏切り者がいるからであること。
その裏切り者を探して欲しいことを、桐藤ナギサに頼まれたこと。
多少頼み方に差はあれど、その内容は先生に話したものと大差ないものであった。
ある意味でナギサはヒフミを信用し、託したということだ。
だが、先生にも裏切り者探しを頼んだことを伝えていないということは、つまり……ナギサはヒフミを、奥底では疑っているのだろう。
矛盾しているようだが、先生には少し大人びている彼女らしいようにも感じとれた。
「わ、私はその、裏切り者だなんて、そんな話……」
そんな先生の思考を遮るようにして、震える声でヒフミが話し始める。
「みんな、同じ学校の生徒じゃないですか……今日だって、みんなでお掃除をして、プールで遊んで、一緒にご飯を用意して、食べて……ちょっとずつ、ちょっとずつですけど……みんな、仲良くなって……」
徐々に、徐々に、その言葉は湿りと重みを持ったものへと変わっていく。
「これで、誰が裏切り者かを探れだなんてそんな、そんなこと……そんな、こと……私には……」
そしてついに、何も言葉を発せなくなってしまった。
そうして、少し経って。先生が口を開く。
「“……ヒフミは、優しいね”」
「……!?え、えぇ……!?そんなこと……」
「“その件については、ヒフミは気にしないで大丈夫”」
「せ、先生……?」
「“私に任せて。私が、どうにか解決するから”」
予想外の言葉に、驚くことしかできないヒフミ。
同情や慰めはされど、全て自分に任せて欲しいなどと、そう言ってもらえるとは思っていなかったのだ。
「“ヒフミは、ヒフミにできることを頑張ってほしい”」
「……私に、できること」
そうして、少し思案して。
「……はい!わかりました!あ、その、私に何ができるのかは、まだわかりませんが……ちょっと考えてみようと思います!」
「“うん。私の手伝いが必要だったら、いつでも言ってね”」
「ありがとうございます!なんだか、心が軽くなりました!」
そうして阿慈谷ヒフミの憂いは、一旦は消え去った。
他ならぬ、先生のフォローによって。
……そして、場所は少し離れて。
『なるほど……そういう事情だったわけね』
そんな会話を盗聴する不届きものが二人。
『まったく、目的のものとは違うけど……とんでもない話が出てきたわねぇ?』
「ね、ねぇ……やっぱりよくないと思うよ……?」
『うるさいわねぇ……私たちに手段を選んでできたことなんてあるの?』
「そ、そうだけどぉ……!」
───やはり、コイツに相談したのは間違いだったろうか。
あっけらかんと言ってのける通信越しの相手に、ふとそう思う。
アシリとしては、もっと穏便な手段をとりたかったのだ。
白洲アズサという、アリウス分校に繋がるかもしれない生徒。
仲間の全員に伝えてはいるが、よりにもよってこの相手を選んでしまった。
よく考えてみれば、こいつはアホだか頭がいいのだかわかったものではない。
何より、自分達に相談もせず先生を引き込んだ前科一犯である。加えて、確信犯だと言うのだから救いがない。
『もちろん、最低限配慮はするわよ?トイレや浴場には付けていないんでしょう?』
「だ、ダメだよそんなの!!データが裏で取引とかされて、とんでもないことになっちゃうもん!!」
『あなた、私のことなんだと思ってるのよ……』
通信越しの相手が、疲れた様子でそう悪態をついた。
『でも、あの件についてはよくやってくれたわ。アリウス分校に関係する誰かさん……白洲アズサ、だったかしら?』
「うん!アズサちゃん!」
喜ばしげにその名を口にするアシリ。
ああ、これはすでに絆されたかと思いつつ、自身の考えを話す。
『アリウス分校、ね……調印式も控えようってこの時期に、きな臭い話よ……私としては、スパイの線を疑ってるわ』
「で、でもねでもねっ!?少し話してみたけど、とってもいい子でね……?」
『それはもう何回も聞いたわよ。信用しないわけじゃないけど……』
「けど……?」
『あなた、チョロいじゃない』
「なっ……!?ちょ、チョロくないもん!!!」
『これだものねぇ……』
全くやれやれだぜといった具合に両の手のひらを天井に向け首を振ってみせるが、生憎と音声のみでの通信であるためその動作はアシリに伝わらなかった。
本当に、本人に自覚がないのが困りどころだ。
こんな調子では、自分たちの目的も果たせなくなってしまう。
『ま、そういう甘さは嫌いじゃないけどね……なんて、話してたら件のアリウスっ娘よ。もっとも、さっきからずっといたけど』
「えっ!!?あ、アズサちゃん!?」
『と、ピンク髪の巨乳ね。アシリ、見習いなさい』
「ハナコちゃん……って、い、いまはそれ関係ないよぉ!!?」
『冗談よ』
「なっ、かっ、揶揄ったねっ!!?マユミちゃん!!」
クスクスと笑いながら、遠く離れたアシリの焦りようを楽しむマユミ。
あまり揶揄うのはかわいそうかと、話を戻す。
『さて……一体どんな会話をしているのかしら……?』
「うぅ……ごめんね、みんなぁ……!」
先程から制服を着直し止まっていたアズサに対し、ハナコが近づいていく。
『あらっ、アズサちゃん?まだ起きていたんですか?それに、制服で……?』
『もうある程度寝た。だから見張りでもしておこうかと』
『見張り……いえ、でも、結構眠たそうですよ?実は、全然寝られていないんじゃ……頭が船を漕いでいますし』
『言われてみれば、さっきからそうね』
確かにハナコの言う通り、アズサはかなり眠たげな様子を見せていた。
『……ああ。本当は、そう。慣れない場所だと、あまり寝られなくて』
『……』
『心配しなくてもいい。ある程度、夜寝ずに活動することはできる』
「あ、アズサちゃん……!!ちょっと私、抱きしめてくるっ!!」
『落ち着きなさいな頭ぽわぽわ黄髪女。今あなたが行ったら、会話を盗み聞きしてましたって自白するようなものよ?』
「い、言い過ぎだよっ!!!」
衝動に従ってとんでもない行動をしようとするアシリを静止し、二人の会話へと集中する。
『いえ……そういう話ではなく』
『ハナコも散歩?どうやらヒフミも、どこかに散歩に行ったみたいだし。みんな慣れないところで不安だと思うから、それもあって、見張りでもした方がいいのかもしれないと思って。私の姉モドキも、よくやってくれた』
『……そう、ですか…』
『姉モドキ?何よそれ』
「あ、多分ね、今日言ってた姉のようなナニカ?だと思う」
『だから何よそれ』
「私に聞かれたって知らないよぉ」
───なんでこの子はこんな平気そうな反応なの?
マユミは一瞬そう思ったが、特に口には出さなかった。
『……でしたら!』
そうこうしているうちに、ハナコがゆっくりとアズサの隣に座って。
『眠くなるまで、私にその方のお話を聞かせてくれませんか?それと、前の学校の……話せるところだけでも。お友達について、とか』
『……』
そんなことを口にする。
アズサの方と言えば、いまいち意図が掴めずに目を白黒させていた。
だが、すぐに自分に気を遣ってくれたのだと気づき、ふっと口元を緩ませ。
『……ありがとう。そう、確か姉モドキは……三、四年前だったと思う。突然、私の前に現れたんだ』
『姉モドキ……ひょっとすると、アリウス内にいる教員か、生徒の誰かかしら?』
「多分、そうなのかな……?あ、でもね、こんなことを言ってたんだって」
アシリはマユミに対し、今日アズサから聞いたことを説明した。
『……何よ、それ。私たちが知ってるのと真逆じゃない』
「だ、だよね……?だから、なんでなんだろうって……」
『とにかく、話を聞いてみるわよ』
「う、うん……!」
一旦会話を止め、すぐに盗撮機の画面へと意識を戻す。
『……その時、私は……諸事情で、怪我をしていて。その時、庇ってもらえたんだけど、傷はかなりあって。その手当てをしてくれた。それに、私が傷を負った原因に敵意を向けていた』
『……優しい、人なんですね』
『ああ。……でも、問題はその後。私たち以外にも、庇ってくれた四人がいたんだけど……その人達を、妹として扱っていた。一方的に』
『一方的に、妹……?』
アズサを除く全員が、頭にクエスチョンマークを浮かべる。
一方的に妹として扱う、という言葉が理解できなかった、否、理解はできたが脳が受け入れるのを拒んだのだ。
『そう。血も繋がっていないし、私も会ったのは初めてだった。でも、私も妹として扱われた。と、言うよりも、その学校にいる全員を妹として扱った』
『あ、あの、なんでそんな懐かしむような顔なんですか?良い話なんですよね?今の所、ホラーの導入のように聞こえるのですが……』
『全くね』
ハナコの発言に対し、同意を示すマユミ。
今の所、怪我を治してくれる不審者が現れたようにしか思えないからだ。
『……それで。私に、私たちに、知らないことをたくさん教えてくれて、守ってくれた。初めての経験だった。やり方はおかしかったけど……わからないことは、一緒に考えてくれた。辛い時は、一緒に頑張ろうと言ってくれた。私の話を、よく聞いてくれた。それは、他の四人も同じだった』
『……そんな、ことが……』
『だから、感謝はしている。妹ではないけど』
『……ふふっ。そうだったんですね。では、何か印象に残っている話はありますか?個人的に、興味が出てきました』
『ああ、もちろん。そうだな、あれは確か……』
『……なんか。思ったより普通ね。もっと怖い話かと思ったら、良い人じゃない』
「うぅ……!アズサちゃぁん……!!そんなことが……!!」
『はいはい、落ち着きなさいな。涙拭いて、ほら、深呼吸』
「スー……ハー……」
手慣れた様子でアシリに指示を出し、落ち着きを取り戻させる。
はっきり言って、元々マユミ自身もあまり真面目な性格とは言えないが、アシリを相手にする時は自分がしっかりせざるを得ないのだ。
でなければ、二人仲良く破滅することになりかねない。
『でも、これで決まったわね』
「ズビッ……なにが……?」
『アリウス分校の状況。そのヒントよ』
「……?」
『姉モドキ。現状イレギュラーな存在であるそいつについて詳しく知ることができれば、より正確にアリウスの状況もわかるわ』
「あ、そ、そっか!」
自分たちの知るアリウス分校との違い。その違いの原因である姉モドキについて知ることができれば、今のアリウスの状況も紐解くことができる。
マユミはそう言いたいのだろうと判断した。
『だからやっぱり、現状ではアズサに正体を明かすわけにはいかないわね。万が一があったら困るもの』
「う、うん……」
刹那の沈黙。
互いにこれからどうしたものかと、思考を巡らせる。
『……決めたわ』
「え?」
そうして先に結論を出したのは、マユミの方だった。
『ちょっと準備をするわ。説明は今度するけど、しばらく忙しくなるから、緊急時はモモトークじゃなくてこっちで連絡してちょうだい』
「あ、ちょっ……!切れちゃった……」
マユミは一体何をするつもりなのだろうか。
そんなことを考えつつ、盗撮機の画面へと目を向ける。
『それで、その後で……』
随分と楽しげに、アズサが当時あった出来事について話している。
「ふぁ……これ以上は野暮、だよねぇ……」
その様子を見守りながら、アシリは盗撮機の電源を切った。
◇
「……危なかった」
別館のトイレの中で、小さな通信機を持ったアズサが一息ついている。
「まさかここ以外全部に、盗聴機が仕掛けられているなんて……あとちょっとで、隙を見せるとこだった」
小さく胸を撫で下ろしながら、通信機をポケットにしまう。
「……直接会えないのは、予想外だ。厄介なことになった」
誰にも聞こえることのない悪態が、夜明け前の暗闇へと消えていった。